女神を腕に抱く魔王   作:春秋

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初投稿ですよろしくおねがいします()


ルートB
ルートB


 

 

 それは或る夜のことだった。

 

 体調を崩して登校して来なかった級友の家に見舞いがてら授業内容のまとめを受け渡し、話し込んで帰りが遅くなってしまった帰路の最中。どうも家に急ぐ気にはなれず、夜空を漫然と見上げながら足を動かしていた。

 夜空と言っても満天の星空には程遠い。街灯、照明、文明の光によって星々の輝きはかき消され、闇夜というには薄ぼんやりと照らされて安っぽく感じる。現代人として生まれたからには電気のないひと昔前の生活に順応するのは厳しいと自覚するが、夜道を一人でいる事も手伝ってか感傷を覚えずにいられない。

 太古の人類は夜の闇を死の具現と謳ったが、文明の光によって闇を祓った人類は死を克服出来ていない。死の国は足元に眠っていないし、日蝕はただの影だし、この世に神などいなかった。

 などと、馬鹿げたことを考えているなと嘆息し、ふと立ち止まって視線を横に向ける。意味があった訳ではない。ほんの足休め程度の理由を止まった後で頭に過ぎる以上の何かがあった訳ではなかった。しかし、それが彼の運命を変えたのだ。

 運命という織物を(いた)め、破き、解いてしまう出会い。彼に苦難と災禍の道行を決定付けた邂逅。後に本人はこう語る。これを運命だと言うのなら、破綻するのは当然だったと。

 

「我が求むるはゴルゴネイオン――古の《蛇》よ、願わくばまつろわぬ女王の旅路を導き給え」

 

 闇というには些か明るすぎる夜の帳に誰とも知れぬ声が響いた。朗々と語るそれは鈴の音が如く美しい調べ。不思議と周囲に人影はなく、しかし確かにそれを聞いた。

 自動車の走行音も、民家の空調音も、木々のざわめきも、何も聞こえなくなっていた。耳が痛くなるほどに静かだった。

 

 草薙護堂は呆然と立ち尽くす。

 彼は、自分が立っていることさえも忘れそうになっていた。

 なぜならば、いたのだ。意識の隙間に入り込むように、いつの間にか。唐突に現れたようにも、最初からそこにいたようにも思える。少女が。

 

 それは月の光を溶かしたかのように透き通った銀糸の頭髪。夜の背景に浮かび上がる様は、それ自体が光を発しているような印象さえ受ける。風に煽られてその間から見え隠れする瞳は、宵の空をそのまま宿したかのような黒色で、されど見るものを引き付ける妖しい輝きがあった。

 白い薄衣を合わせたような民族衣装から伸びる手足のまた白いこと。純白の衣よりさらに白いような錯覚を受ける素肌は、触れれば壊れてしまいそうな儚さと、近付いても届かないような神聖さを両立していた。

 

 女神だ……。護堂はただそれだけを胸に思った。それほどまでに少女は美しく、そして美しかった。頭頂から四肢の先まで白銀色の御姿は、夜の闇をただその美貌を際立たせるためだけに存在させているかのようだった。

 闇に踊り、夜を統べる者。世界の創造主こそ少女であり、天上より降臨した女神であると説明されたなら、無条件にそれを信じたことだろう。

 

 そんな少女は護堂の存在に気付いていないかのように遠くを見つめている。事実として気付いていないと誰に言われるでもなく理解する。端的に言って住む世界が違い過ぎるのだ。雲の上から見下ろすような存在にしてみれば、地上を闊歩する人類など、顕微鏡で見る細菌程度の価値もあるまい。視線の先には何があるのだろう。少年にはまるで見当も付かず、そもそもそんな事を考える余地もなかった。ほんの一瞬の出来事だった。

 

 終ぞ少女は護堂に一瞥をくれる事さえなく、その神々しき存在を闇に溶け込ませていた。いつの間にか無音の聖域は崩れ、再びそこはただの夜道に戻っていた。夢でも見ていたのか、幻に過ぎなかったのか。地面にへたり込むことも出来ず、少年はただただ立ち尽くしていた。

 意識のないまま帰宅し、糸の切れた人形のように寝台に崩れ落ち、朝日に晒されてもなお、彼はその夜が忘れられなかった。

 それは畏敬を超え、崇拝を超え、信仰を超え――初恋と、そう呼ぶのだろう。

 

 

 

* * *

 

 

 

 フラウィウス円形闘技場。フラウィウス朝の皇帝が建設者であることからその名を冠する巨大建造物、イタリアの首都ローマを代表する観光地コロッセオの正式名称を知る者は多いと言えない。収容可能人数約五万人、現代で言えば日本の国立競技場の容量にも伍するという、時代を鑑みると呆れるやら感心するやらのトンデモ建築である。

 そんなコロッセオ内部。かつて数多の猛獣が、剣闘士たちが血と汗と涙を流したのだろう舞台。今は夕暮れに染まるそこに、夜の使者たる少女の姿はあった。

 

「我が求むるはゴルゴネイオン。古の《蛇》よ、願わくば闇と大地と天上の叡智を、再び我に授け給え」

 

 聖句に反応しメダルが震えだす。死の気配を漂わせたそれを、不作法に左手の五指が掴み取る。そのまま力づくで共鳴を抑え込み、懐にしまった男は軽快な笑みを浮かべていた。

 社交性に溢れているようにも能天気なだけにも見える金髪の好青年だ。

 ただしそれも、手に凶刃が光っていなければの話である。鈍い金属光沢を放つ両刃の西洋剣。刃渡りは八十センチほど、素人目にそれと分かるような装飾はなく、しかし妖しげな魅力を感じさせる。

 表情も出で立ちも、纏う空気でさえ朗らかなそれだというのに、右手だけがやけに物騒な男は笑顔のまま少女と向かい合っている。

 

「やっぱりコレを狙って来た神様なんだ。ってことは、名前はアンドレアの言ってたアテナでいいのかい?」

「然り。我が名はアテナ、古き女王である。妾もまた名を尋ねよう、この地を統べる神殺しよ」

「僕はサルバトーレ・ドニ。いやあ、こういう自己紹介って騎士の決闘みたいで盛り上がるよね!」

 

 言って、サルバトーレは剣を振り上げる――事はない。いや、実際には振り上げる動作があったのかもしれない。ただそれが、人間の認知できる領域から逸脱していたというだけで。

 速度が並外れていた、かもしれない。

 剣技が桁外れだった、そうかもしれない。

 物理法則が捻じ曲げられた、という事もあるかもしれない。

 ただ、そんな理屈など微塵も関係がなく、そういう物なのだ。と納得しておくしかない。

 事実としてあるのは、まったく動いていないように見えるサルバトーレの姿。そして自身の身の丈を超えるほど巨大な大鎌を手に、何かを振り払ったような体勢に変わっていた少女の姿だった。

 

「決闘の名乗りから間を置かずの牽制か。能天気な顔をしておきながら小賢しい男よ」

「僕らは神殺しって言っても人間だしね、そういう小技を忘れちゃいけないと思うんだ。それに、お互い様って奴でしょ?」

 

 軽口を黙殺し、少女の形をした女神は武器を構え直す。

 言われずとも理解していた。なにせ、足元から忍びよって諸共に裂かれた蛇は彼女の眷属なのだから。

 

「我が求むるはゴルゴネイオン。恐ろしき剣士、そして愚かしき神殺しよ。その忌まわしき(かいな)より女王の叡智を取り戻さん」

 

 アテナの名を冠す戦乙女は地を蹴った。

 武器たる大鎌はその刃を曇らせることなく闇に染めている。迎え撃つは神殺しの刃。見れば剣を握っていた右手が銀の輝きを纏い変色していた。女神はその慧眼で以て即座に看破する。神殺しが簒奪せし権能の痕跡、切断のみを追求した軍神の魔剣であると。

 翻ってアテナの刃もまた神の権能、闇と冥府の魔力を帯びたそれである。どちらも触れれば絶命、その程度は大前提。その前提を覆し得る物もまた、この領域に在るからには持っているのが大前提。

 故に究極、神と神殺しの闘争において勝敗を決定付けるのは意志力の強さ。

 自我の強い方、主張の強い方、執着の強い方が勝つという身も蓋もない結論が残る。

 ――そして此処に、度を越した自我の強さを持つ者がもう一柱(ひとり)

 

「我はあらゆる障碍を打ち破る者なれば――我に敗北を与えよ。我に大敵を与えよ。我に真の闘争を与えよ!」

 

 サルバトーレは気温の上昇に気付く。アテナは死の息吹が祓われている事に目を細める。

 天を見上げれば西に沈み行くそれとは真逆、東の空に第二の太陽が燦然と輝いている。いつしか夕焼け空は白く染まっていた。

 日輪を背に闘技場を見下ろすのはエキゾチックな少年だった。線の細い顔つきに漆黒の髪が揺れ、象牙色の肌は健康的な印象でありながら彫刻のような造形美を感じさせる。

 

 ――少年神は笑った。

 

 その日のローマは夜から明け方にかけて、突発的な強風と異常気象により建造物の倒壊や火災などが相次ぎ、観光地として有名なコロッセオは一部損壊のニュースが駆け巡った。

 草薙護堂が祖父の知人を訪ねてイタリアに入国する、数日前の出来事である。

 

 

 

 






お久しぶりです。
長らく読み専(で通じるのかな?)を続けておりましたが、この度また投稿させて頂きました。相変わらずの駄文のうえ、お恥ずかしながらストックも全くない冒頭部分だけという体たらくです。
もしも続きを楽しみにしていらっしゃる方などおりましたら、続きは三か月後とかです(震え)
それでも時々思い出してページを開き、感想など頂けたならばこれに勝る喜びは御座いません。いつまた途絶えるか分からないどころか、いつまた再開するかも分からない拙作ですが、皆様の心を潤す一助となれれば幸いです。


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