長生きTSダークエルフはひっそり暮らしたい〜今はごく普通の占術師なので、どうか放って置いて下さい〜 作:きつね雨
最初と同じく、セナは上空を見上げている。
「あ、あれは……空が……割れ、る?」
クラウディアは呆然と立ち尽くした。あの様な現象など聞いた事がないし、二百年に渡る旅路の中でさえ見た事もない。
音はしない。だが空にヒビが入り、まるで陶器が割れてしまうように、それが少しずつ広がっていく。その割れ目からは、赤黒く毒々しい霧が流れ出ていた。誰が見ても不吉の象徴としか思えない。
「セナさんの精霊力が全て死んでいく? まるで……自死としか……」
小さかったが、セウルスの声が白の姫の長い耳を震わせた。
今のセナが何をしたいのか、何をしているのか、クラウディアにはやはり分からない。"心からの願い"がアレなのだろうかと、思い起こすくらいしか出来なかった。
世界を紡ぐ糸である精霊力が死んでいく。そして、ひび割れた空の向こう側に何かが見え始めた。それはまだ小さな隙間だが、少しずつ、少しずつ拡がっていった。
まず目についたのは、信じられない程に巨大で高い塔、だろうか。それぞれの高さこそバラバラだが、世界中の国を見渡しても絶対に存在しない。オーフェルレムの城さえも比較にならない規模で、それが無数に乱立しているのだ。それらは全体的に灰色で、光を反射する窓らしきモノが大量に張り付いている。
異常はそれだけでなく、馬が引いてもいないのに進む四輪の荷車らしき何か。体は恐らく金属で、大量に走り回っている。内部にヒトの姿が見えるが、不思議と喰われた様子ではない。
何より、信じられない程の数のヒト。そう、歩いている全てがヒト種のみ。着ている衣服も不可思議で、そんな街などオーフェルレムの聖都でさえ考えられない。聞いた事もないのだ。
そして最も不可解なのは、向こう側に
正に、異常。例えるならば異世界。
想像すら不可能な、全く異なった場所だ。
クラウディアの精神には、ただただ恐怖心しか浮かばなかった。怖いのだ。何一つ分かない事が、アレが何なのか、セナの望みの向かう先も、精霊が死滅していく理由さえも。
「カ、エル」
「アノ、セカ、イ」
ボソボソと、聞こえた。
酷く嗄れていて、片言の言葉たち。
空を見上げて、黒に染まった瞳を向けている。そして、ホロリと涙が溢れていった。怒りに支配されている筈のセナが悲哀を湛えたのだ。
頬を伝い落ちていくのは愛する者が流す涙の一雫。それを見たクラウディアの精神は力を取り戻し、襲う恐怖を振り払った。
「
だからクラウディアは、失われていく精霊力を何とか引き留めようと願う。予感か、直感か、あるいは残る精霊達が教えてくれているのか。溢れ出る赤黒い霧を許しては駄目なのだと確信した。
「止める! 力を貸して!」
放り投げた大剣を拾おうとした。しかし、刃はつぶれ、極端な温度変化にやられたのか。武器として既に死んでいた。それでもクラウディアは挫けない。相手のセナも弓を失い、全ての精霊力を空へ喰わせているからだ。つまり、破壊的な魔法など互いに行使出来ない。
精霊魔法の撃ち合いとなれば周囲と世界への影響が凄まじい。仲間達もタダでは済まないし、自身だって勝利に確信が持てなかった。
幸いと言ってよいか、セナが操る膨大な精霊力は他者でなく世界と空に向かっている。
「セナ! アナタが
無意識に、自然に溢れた「帰る場所」という言葉。その瞬間、クラウディアは理解した。セナは
そんな事を許すのか。いや、絶対に許せない。そんなのもう耐えられないから。二百年前の絶望は、私をより強く、ずっと弱くしてしまったのだ。それが自分勝手な我儘であろうとも、セナが居なくなるなど認めない。
そんな言葉達が頭の中に浮かび、ようやく身体が動き出した。
「セナァ!」
一気に加速。二歩で愛しい黒エルフの立つ場所に到達する。握った拳でセナを殴り付けようと、横腹へ振るった。
セナはあっさりと、竜をも殺す重い一撃を、ロズダマスクが描かれた籠手で完全に受け流した。エルジュビエータから学んだ防御技術はまだ何処かに残っているのか。
しかしクラウディアは驚く事もなく、追撃へ移行する。セナを殺したい訳ではないから、完全な本気では無い。それでも凄まじい膂力を誇る白の姫だ。その辺の武具と同じ威力だろう。
腕を掴みあげようとしたソレを、今度は蹴り上げで対応された。弾けた音、衝撃、泳ぐ体。それを無理矢理に力で抑え込み、内在する精霊により強く願った。もっと力を、もっと速さを、白が黒を染めるほどに、と。
「精霊達! まだ足りない!」
踏み込みんだ足元はドンと陥没する。その膂力を大地は受け止めきれなかった。地面にヒビ割れが発生し、その勢いのまま、一気に下から蹴りを繰り出す。
それだけで立ち昇った土煙を物ともせず、セナは横に見切って踏み込んで来た。折れた指を残して握られた拳は高音の空を切る音がする。その拳を顔面で受けてしまったら、間違いなく頭部は弾け飛ぶだろう。
「くっ……!」
長い耳の横を通り過ぎ、動いた風だけで身体ごと揺れた。もうそれだけで致命の一撃と理解出来る。だが同時に気付いた。あれほど猛威を振るった精霊魔法はやはり行使されない、と。
セナが操る精霊達は空を割り消滅する。そのことに全てが費やされているのは確実だった。
続いて、力なんて入ったように思えない前蹴りが来る。片腕でしっかりと受け止めたのに、クラウディアはフワリと浮いた。しかし動揺はなく、そのまま流れるように襲う横殴りの手刀も弾き返す。
その時、何かが折れた感触。
ぐにゃりと曲がっている。
「ああ……そんな」
白の姫の唇から悲しい吐息。
手刀を振るったセナの腕が、肘の近く辺りで折れていた。骨は確実に粉砕し、内出血も起きているようだ。セナは無表情のまま、ブラリと垂れ下がる腕を眺めている。あれほどに強力だった
どうしたら良いのか……時間を掛けて精霊力の枯渇を待つ? そんな考えが浮かんだとき、何かの悲鳴が聞こえた。いや、間違いなく断末魔だ。
見上げた先、割れていく空の近く、上空で羽ばたいていたネブカハ達だ。赤黒い霧に触れた瞬間、ボロボロと羽と皮膚が溶けた。ほんの僅かな時間で、あっさりと絶命したようだ。間違いなく、毒などと言う生易しいものではない。
ジワジワと世界に広がっていく。
アレに襲われたならば、白の姫さえ耐えられる保証はない。ましてや、意識のないシャティヨンと、支える
《白の姫。まだ分からないの?》
そんな時、あの赤黒い霧に似た衣服を纏った少女の姿が現れる。セナとクラウディアの間に再び顕現したのだ。
「
《もう自由にしてあげて。セナは世界に怒りを抱き、いつか
「う、うるさい」
《他の精霊や
「……それでも私は」
《誓う、約束するから。私も消滅するけれど、絶対に、
クラウディアの、傾きかけていた心が震え、そして氷のように冷えた。
二百年前のあの日。まだ制御出来ていなかった精霊達。悲しみに沈んだ自身を、
目の前に浮かぶのは、生物を怒りで
何よりも
精霊は「命」と「死」を本質的に理解出来ない。
「……アナタの想いは分かった。本当に愛してるのも」
クラウディアは
「でも、やっぱりセナは返して貰う」