東京都千代田区秋葉原。JR秋葉原駅。
二次元美少女の際どい広告で氾濫した電気街口を陽とすれば、オフィスビルが立ち並び比較的閑静なビジネスストリートを思わせる昭和通り口は陰である。流行り病の旬が過ぎ、再び増え始めた外国人や多様な変態のニーズに応えるべく乱立しているコンカフェの客引きメイドはここには存在しない。嘘だ。出口を間違えたのか理由は判然としないが偶に昭和通りにも迷い込んでくる、が、基本的にはいないと思っていい。
事務所があるのはそんな閑静な昭和通りを更に二本裏通りへ進み、つい去年に築60年を迎えてより貫禄が増した雑居ビルの二階だ。ビルの前に看板もある。
『異世界転生防止委員会』。一昔前ならばそれこそ土地柄も相まって、同人サークルか何かと勘違いされてしまいそうなアホっぽい団体名。
誤解されぬよう、まず『異世界転生防止委員会』が発足した経緯を説明させていただきたい。
発端は2015年。とある男子高校生が目を覚ました。彼の名前をA君とする。
A君は不幸なことにその1年前、スマホの操作に
1年の歳月を経てA君は奇跡的に目を覚ますと、奇妙な話をしたのだ。
───自分は異世界で冒険者として別の人生を送ってきた、と。
信じられるかといえば信じられるはずがない。
詳らかに説明をするA君に、当然それを聞いた両親は密かに精神病を疑った。事実、彼には死を間際に感じた多大なストレスがあったはずで、その影響を鑑みると精神的ショックがあったのは想像に容易い。両親が虚言妄想と判断するのもやむを得ない結論だ。
しかしA君が証拠として魔法を行使してからは話は一変した。
A君が使った魔法。それは回復魔法、有名RPGであれば『ヒール』とか『ケアル』とか言われているアレだ。
両親は信じざるを得なかった。A君は奇跡的に意識こそ回復したものの、事故の影響で半身不随───つまり両足が動かない状態だったのだ。それがリハビリ一つしない内から後遺症を感じさせないほどに滑らかに動かし、両親の心配をよそに何度もジャンプまでしたと言う。明確に完治したと言っていい。
そして同じくして、彼の主治医、それからA君の病態を知っていた他の医師や看護師も奇跡という言葉の定義を大きく逸脱したその事象に目を疑い、最終的に魔法という未知の存在を肯定した。
この一件はネットやテレビでもカルト的な衝撃ニュースとして取り上げられたが、問題はそれからだった。
半月後にまたもや事故で植物状態だったBさんでも同様の事象が起きた。Bさんは富山県で工場事務として勤務する若い女性だったが、目覚めてからは自分のことを宮廷魔術師と自称し始める。BさんはA君と違い回復魔法を行使することはなかったが、代わりに、空気を吸うくらい気軽な所作で魔法を使い水を出してはコップに注いで、ごくごくと喉を潤していたという。
その後も同様のことは続いた。
C、D、E……今ではアルファベットを使い切るくらいの人数が意識不明から目覚めて『実はファンタジー世界で生活してました』という内容の告白を行っている。
そうなれば世間だって放っておかない。メディアは挙って一連の奇跡の回復劇を取り上げると、まるでネット小説が実写化したようだと面白半分で報じ始めた。
非公式ながら彼らのことを『帰還者』と呼び始めたのはこの頃だった。勿論現代ならありがちなインターネット発の単語である。この頃には既にマスメディアは残飯を漁る乞食みたいにネットの後追いとなっていて、後からマスメディアも『帰還者』という単語を使い始める。
そして西暦は2017年。異世界転生物が過熱し始めた。
原理は分からなくとも異世界転生は『誰にでも起こり得ること』という共通認識が生まれ、以降は異世界転生を題材にした作品が更に急激に増えることになる。ライトノベルを飛び出して、一般文芸でも異世界転生は旬を迎え、黎明期と比べて『どれだけよりリアルに異世界ファンタジーを表現できるか』という新たな競技性を持って流行りがベタ踏み加速していくのだが、まあこの話は今は置いておく。
重要なのは異世界転生が『誰にでも起こり得ること』と認識されてしまったことだ。
2018年に入って、若年層の自殺未遂回数が急激に増加していることが判明し世間は衝撃に包まれた。自殺未遂件数に比例して自殺件数も激増。少し前のネット掲示板で良く流れた「いざとなったら死ねばOK。来世にワンチャン期待して自殺」が現実として証明されてしまったのが原因だった。
これを重く見た政府は声明を出すことになる。即ち、『日本政府は異世界について存在を確認していない。異世界は存在しない』と会見で発表し、社会に落ち着きを齎そうとしたのだ。ただでさえ10代20代の人口減に頭を悩ましては保育園を増設したり子供支援と言って金をばら撒いたりして何とか少子化を食い止めようとしている最中なのに、こんな胡散臭い都市伝説みたいな流説が起因して若い希望が潰えてしまう現状は政府としても絶対に見過ごすことが出来ないことだった。こればかりは普段は無理筋を見つけては与党批判に勤しむ野党を筆頭に、全てのマスメディア、様々な専門分野を持つ大学教授、良識的なインフルエンサー、平凡なインターネットの住民達。そのほぼ全ての大人たちが政府の公式発表に同意した。未来ある若者たちが幻想を抱いて死んでいくのは誰だって止めたいものだ。
それが功を奏したのかは不明だが2019年は前年よりは減少した。以来、2023年まで微減を続け、線グラフは緩やかに負の一次方程式を描き続けている。
ここで漸く『異世界転生防止委員会』の話に戻ろうと思う。
元々この『異世界転生防止委員会』、略称はIP委員会(Isekaitensei Protectionの頭文字から抜粋)が出来たのは世間の報道が過熱し始めた2017年のことだった。
前身は当時大学生だった甘崎六太が通う私立浅草大学にて設立された『異世界転生研究サークル』。最初こそ名前の通り異世界を研究するだけのサークルだったが、活動するにつれて異世界に興味を抱く若年層の危うさに触れ、気付けば異世界転生をしようと自殺を考える若者の救済へと活動内容がシフト。今では政府から助成金や補助金の提供を受けて公的に活動するほどとなっていた。
規模は20人。内、大阪と東北と九州に支部があり、ここ秋葉原にメインオフィスを置いた東京関東甲信地区には6名の職員がいる。
「紅茶いりますか甘崎さん」
「態々良いよ。気持ちだけ受け取っとく」
午前9時、既に出勤していた六太のデスクにバックを引っさげて歩み寄ってきたのは今年新人として入職した3つ下の
「あ、コーヒーの方が良かったですか?」
「違う違う。もし欲しくなったら自分で行くよ。令和の時代に新人の仕事はお茶出しなんて言う気はないさ」
「でも私は新人ですし、そういうことは率先してやるべきだってお母さんが言ってまして」
「江川さんのご両親の時代はそうだったかもしれないけどね。今後も僕にそこまで気を遣う必要ないから気にしないでよ」
「でも甘崎先輩代表ですし……」
「僕は先輩じゃないよ江川さん」
「あ……! すみませんあみゃ、甘崎さん!」
慌てて美耶は言い直した。嚙んでしまったのは穏やかに流す。
「それに江川さんはインターンシップでも去年いたし、今更畏まる必要なんて無いって」
六太は優しく諭すように美耶を見た。
美耶が入職したのは先月、4月1日のことだったが、元々去年からインターンシップ制度を利用して『異世界転生防止委員会』で働いている。それはもう六太が都内最低賃金で使うことに罪悪感を覚えるほど扱き使われていた。美耶が六太を先輩呼びしかけたのもそれが原因で、去年までこのオフィスの内輪はサークルのような気軽さがあったのだ。しかしそれは良くないだろうと今年度からは一律で『苗字+さん』に呼び方を統一しようと六太は画策している……のだが、浸透するのはまだ少し時間が掛かりそうである。
「そ、そうですかね?」
美耶が小首を傾げると、別のデスクからやんちゃ気のある若い男の声。
「そうだぜ美耶ちゃん。俺からすれば『あ、まだ正規の職員じゃなかったんだ』って感じだし」
「小窪さん。名前禁止、OK?」
「だからそれはねえって江川。今まで仲良くやってたのに急に他人行儀になれとか俺は受け入れられんよ」
六太に対して不満を吐露するのは
貴志はサークル時代からの創設メンバーで六太の親友で同い年、なのだが本音を取り繕うのが苦手で、ちょくちょく要らないことを言ってはオフィスの空気を悪くしている。或る職員からは『5年間水を取り替えてない加湿器ですか?』とばい菌拡散機のような扱いを受けることもしばしば。それでも持ち前の鋼メンタルは強固で傷付かない。親友ながら六太もちょっとは傷付いて反省した方が良いのでは? と思ったりもする。
「前も言った通りだけどプライベートは関与しないよ。でも今後さらに人が増える可能性があることを考えると、サークルから持ってきたそういう曖昧な文化は規律を乱す可能性が高い。道理的にも宜しくない。況してや仕事なんだ。頼むよ小窪さん」
「お前はそう言うけど、やっぱ今更気持ち悪いじゃん。それにお前も分かってるだろ。4月から少し空気も固くなってる。なあ、俺達の使命は異世界なんて有るかどうか分からねえ物に魅入られた子供の目を覚ましてやることだよな。つまり相互のコミュニケーションが命なわけだ。コミュニケーションを阻害する要因を作ってどうするよ江川。規律だの秩序だのはもっと組織がデカくなって必要になってから改めて考えればいいだろ」
六太と貴志は睨み合った。立ち位置的に間に挟まってしまった美耶があわあわと自分のデスクへと早歩きで戻る。
この二人、大学では気は合っていたのだが、六太がNPO団体を立ち上げて以降はどうも意見を違える機会が多かった。同じ方向を見ているのは確かなのだ。しかし方法に対しては考え方が少し異なる。今後を見据えて痛みを伴った改革すら厭わない六太と、現場を最優先する貴志。衝突の機会が増えるのも自然と言えた。
「僕は別に根本から組織改革をしようだなんて思ってない。ただ組織を少しだけビジネスライクにしたいだけだ、分かるだろう小窪?」
「さん抜けてるぜ甘崎。俺は今じゃなくて良いって言ってるんだ。それは命を零してまでやる必要があることか? それに俺達は事業会社じゃない、
「あるよ。僕たちは確かにビジネスでやっていない。単なる事実として言うけど、これは一銭にもならない活動だ。でもその活動資金は何処から出る? 税金だよ。血税。税金で活動している組織が大学サークルみたいな内輪ノリのまま緩く活動するのは示しが付かないよね。これはそんな是正の一個なんだよ」
剥き身にした矛を収めず、互いに譲らぬ舌戦が朝から繰り広げられる。
気まずい。とても気まずい。
美耶がさっさといつもの空気に戻ることを隣席でテキパキ書類を捌いている人物に対して祈っていると、願いが通じたかのようにその人物は溜息を吐いた。
「もう止めて。落ち着きなさい二人とも」
痺れが走った空間に、鶴の一声。
声の主は女性だ。
香里は女性的なふくよかさを持ちつつもキツめの目尻や凍土を思わせる引き締まった声色から異性同性ともに避けられがちだった。高校から続いて大学でも孤立寸前だったところを六太に勧誘され、サークルに入る。年数が経つにつれて活動内容は変容していったが、香里自身もこの活動にやりがいを感じているために、この東京本部で六太の次に情熱を持って仕事に励んでいると言える。
だから年度を超して以来続く六太と貴志の言い争いには好い加減うんざりしていた。香里としては正直どちらでも良い。活動が阻害されない限りはどちらの言い分にも寄り添う気は無い。最も中立的と言えるだろう。
よって、この場を収めるのに香里は適任と言えた。
「朝からうるさいのよ。暇人ですか。働く気ないんですか。やる気ないんだったら帰ってくれないかしら? あたしと美耶の迷惑なんだけど」
「え、ええ、えええ!?」
適任───と思われたが違うかもしれない。
見方によればまた別の角度から爆弾を投じただけにも見える。
美耶は自分まで巻き込まれたことのに動揺しつつも、早く終わらないかなぁこの諍い、と今度は星に願うことにした。
だが、第三者の毒舌はエスカレートした二人の頭を冷やす暴風になったようだ。気概が一気に削がれると、六太と貴志は目を合わせる。
どうしようもないな、うんここが潮時だね、なんてアイコンタクトを交わす。ほぼ同時にこれ以上香里を怒らすと不味いと悟っていた。「仲が良いのか悪いのか分からないんですけどこの二人……」とは
「ごめん平石さん。ちょっと熱くなり過ぎた」
「俺もだ平石。ここまで言う気は無かった、悪い」
一転して反省の弁を垂れ流す二人に香里は頷いた
「じゃあ座れ。働け。件数を熟せ」
「「は、はい……」」
冷たすぎる声に二人して返事が重なる。
営利企業じゃないからノルマなんて概念は存在しないはずなのに、その日六太はいつも以上の件数の依頼へ対応することになる。
さて、『異世界転生防止委員会』の目的について説明しよう。
最初は大学サークルから始まった当組織の目的は簡単に言うと「異世界に転生しようだなんて考えている頭お花畑な思春期の若者を説得しよう!」と言ったコンセプトから始まっている。その根幹にあるのは勿論『異世界なんて存在しない』というとても現実的で当たり前の考えだ。日本政府の公式見解に乗っかる形である。公的な資金源をチューチューしているので下手な事は言えないとも言う。
ともかくとして、最初こそ異世界なんて抜かす奴は説教だ、と息巻いて始まったこの活動は現在ではまた少し違った活動も守備範囲に含まれていたりするのだが、9割は異世界行きたい病に囚われた若者やその親族・友人からの相談依頼で占められている。
その沢山ある内の一件が今日会うアポイントメントを取っていた、目の前の少年からの依頼だ。
「園田君初めまして。僕はNPO法人異世界転生防止委員会の甘崎六太です。横にいる彼女は同じく江川さんです」
「初めまして、江川美耶です。今日は宜しくお願いしますね園田君」
自己紹介を恙無く終わらせて、六太は目の前の少年の事を考える。
一応だがこれはまだ近い方だ。東京本部では山梨や静岡、長野も対応圏内としているので場合によっては電車で行けないこともある。その度に運転免許証を持っている貴志か香里が駆り出され、六太が申し訳なさそうな顔でレンタカーに乗り込むのが通例となっている。閑話休題。
「は、初めまして甘崎さん、江川さん。園田です。今日はその、宜しくお願いします」
肇少年は自信無さげな表情を浮かべ、緊張の面持ちを隠さない。
その様子を見て美耶が空気を解すように笑みを作る。
「園田君、緊張しなくていいからね! 今日はただお喋りするだけだと思って何でも話してもらえれば!」
「は、はい」
肇少年の返事は固い。
それを見ても美耶は笑顔を崩さなかった。一年間インターンをしてきた経験から、相談者の多くは内向的であまり言葉数が多くないことを美耶はよくよく知っていた。今じゃこのくらいの反応は慣れっこだ。邪険にされないだけマシとも考えられる。
美耶はまずはアイスブレイクとして本題とは関係ない話を始める。これも緊張を解すために良く取られる手法だ。まずは答えやすい『はい』『いいえ』で答えられる質問から始め、口が慣れてきたらもう少し難しい質問を投げかける。これは六太がいつもやっていることだった。
肇少年のことや、学校のこと、休日のことなど聞いていく。本筋とは関係ないながらも美耶は一応覚えていくと、頃合いを見計らって本題を投げ掛けた。
「それじゃあ何で異世界に行きたいのか聞かせてもらってもいいかな?」
「はい……俺、現実じゃダメダメなんです。テストは出来ないし、それで親にも教師にも怒られるし、運動神経も良くないし、何の取り柄も無くて。でも、こんな人生でも、転生すれば何もかも変わって新しい俺になるるのかな……そう考えました」
「そっか。ご両親とは学業の事で話し合ったの?」
首を横に振った。予想できていたことだった。美耶の経験上、親子でコミュニケーションが十全に取れているならば相談フォームに依頼を持ち込まない。
と、肇少年は少し間を置いて身体を僅かに前傾姿勢にした。今まで会話を主導した美耶でなく六太を憧れの目で見据える。
「実は俺、甘崎さんの事を知ってるんです」
「僕のことを?」
「最初の『帰還者』なんですよね! その話をお聞かせしてくれないかと思って俺は相談フォームに投稿したんです!」
知られているとは少し参ったな、と六太は後頭部を擦りたくなった。
肇少年の言う通り、六太は帰還者だ。それも一番最初に異世界から帰ってきて、回復魔法で自分の怪我を治すなどと目立つ行動に走った帰還者だ。
しかし六太の名前は公には発表されていない。確かにテレビなどで六太のことは報じられたが当時未成年だった六太は匿名扱いで報じられた。それを2年後、六太と同じ高校に通っていた後のYoutuberに暴露され、その動画が100万再生を突破。今は六太によって動画は削除申請され、ついでに民事訴訟を起こして賠償金も取り終えたものの、この情報化社会において一度ネットに出回った情報を消すことは不可能。こうして度々芸能活動もネットでの活動もしていないにも関わらず身バレの憂き目に遭うのだ。
当然この事実は他の『異世界転生防止委員会』のメンバーも全員知っていた。横にいる美耶は、あー、と少し面倒そうな声を思わず上げてしまっている。
だが六太は美耶とは違い、表面上は普通に頷いて見せた。
「そうだな、何を聞きたい? 異世界の土産話かな?」
「異世界で何をしていたんですか?」
「面白くない話になるけど……ずっと雑用だったよ。僕は冒険者だったからね。薬や暗殺や薬物なんかに使える葉っぱを採取したり、親子連れのゴブリンを一家郎党根絶やしにしたり、偶に護衛依頼で奴隷商を守ったり犯罪者を別の街に輸送したり」
「正しくファンタジーだ良いなあ……って暗殺? 薬物? 一家郎党?」
肇少年は六太の話に引っ掛かりを覚える。想像するファンタジーと違う。なんというか、残酷というか、趣味の悪い洋ゲーみたいな依頼多すぎじゃない? みたいな顔を浮かべて困惑している。
勿論その感想は六太の狙ったところだ。
「園田君はあちらの世界に高度な倫理観があると思った? 最低限も無いよ。カスみたいな倫理観の下でパシられるのが冒険者の仕事だからね。一番酷かったのは奴隷商とその商品を運んだ時だったかな。商品の中に異物が混入しててね、それが僕以外を全員殺しちゃったんだ。おかげで依頼は失敗するし信用も失うし最悪だった」
「異物って…………なんですか?」
「子供だったよ。君よりも小さい。年齢は知らないけど、見た目だけなら10歳くらいかな。でも多分どっかの組織か貴族が暗殺者として育成していたんだと思う、かなりの使い手だった。僕以外全員殺っちゃうくらいだしね。僕も危なかったよ」
「甘崎さんはその子をどう……」
「殺したよ。当然だろう」
その言葉に肇少年は明確に怯えを見せた。無理も無い。突然目の前の大人が信頼のできるNPO職員から人殺しに変わったのだから。
「分かるだろ。脅すような形になってしまって悪いけど、これが園田君、君が望んでいるファンタジーだ。国民的RPGゲームのような可愛げは欠片も無いし、悪意とは常に隣人だった。一度経験した身としては、仮に転生出来たとして人生が好転するとは僕は思えないよ」
「……で、でも魔法はあるんでしょ?」
「あるよ。ファンタジーだからね」
「な、なら!」
「ゲームのせいで勘違いされるけど異世界において魔法は人殺しの道具だ。刀とか銃と一緒」
「そんなの使い方の問題じゃないですか!」
「現代日本であれば一理あるけど、異世界じゃそうじゃないんだ。違うんだよ。アメリカの警官が公衆で銃を構えている一般人がいたら警告せずに撃ってしまう場面、テレビかなんかで見たことないかな。それと一緒で、その辺で魔法なんて振るおうものならどう殺されても文句は言えない。真意は考慮されないんだ。魔法って言うのは血塗られた物騒な技術でしかないんだ」
六太は重ねて脅すように言う。
「比較して、日本は凄いよ。そういった非人道的な行為は絶無というくらい起きないし、エグイ犯罪に巻き込まれることもない。それに倫理観の平均も何百倍も異世界の住民たちより高いんだ。園田君、君は優しい子だと思う。真っ当な世界で生きるべきだ」
すっかり委縮してしまった肇少年は、悩んだように力なく呟く。
「それでも……次のチャンスに掛けてみたいという気持ちは、本当なんです」
「なるほど。仮に異世界に行けたとして、それは本当にチャンスって呼べる代物なのかな?」
「どういうこと……ですか?」
息を吸った。これから言うことが更に残酷な事実であると理解している。それでも六太は目の前の少年が無謀にも自殺するよりも、一つ現実のベールを取り去った方がマシと考えて、口を開く。
「今、日本には異世界からの帰還者は26人とされているけど、これは実のところ正確じゃないんだよ」
「……え?」
「僕がこの活動で今まで知り得た人数を足すと現実はその凡そ3倍くらい。どうしてだと思う?」
「ええと……分からないです」
「心がね、壊れちゃった人がいるんだ。沢山」
それは異世界に憧れる中学生には生々しくて、六太としてもあまり口にしたくない現実だ。美耶は攻めるような視線を六太に送る、それを六太は敢えて無視する。
「実際に会った中には何を言っているのか分からない人も多かった。だけどどんな惨い経験をしたのかは顔を見れば想像が付くよ。これはその中でも比較的明瞭な小声でぶつぶつと独り言を話すところを僕が観察して推測した、ある女性の方の人生だ。その方は転生してから普通に暮らしていたけど、或る日村を盗賊団に襲われて男や老人はみんな殺された。女は性の捌け口にされた後に売られかけて、途中で魔物に襲われて盗賊ごと殺された。そこで異世界での生を終えて現実に帰還者として帰ってきたんだと思う。酷い有様だったよ。彼女は日本と異世界の区別が付いていなかった。更に妄想の中では異世界の両親は生きていて幼馴染はずっとそばにいる"設定"だった」
ここで少し惨い話をし過ぎたと六太は漸く反省する。誤魔化すように笑みを浮かべて、
「ともかく、僕が何を言いたかったかというと生きるっていうのはどの世界でも厳しいってことなんだ。日本は文明が発達しているから難しい、異世界は未開だから簡単って訳じゃ決してないし、況してやライトノベルのファンタジーを現実の異世界に期待しちゃいけない。だから両方の世界で生きた経験のある僕としては、まだ生きるのが簡単な日本での生活を踏み留まってくれると嬉しく思う」
深刻な面持ちで肇少年は沈黙を保つ。これが第三者からの受け売りの言葉であったり、子供騙しの脅しであれば決して熟慮などせず、若さゆえの主人公感のまま突っ走っていた可能性もあった。肇少年を真正面から受け止め、飾らぬ言葉で事実を伝え、その身を案じて見せた経験者の六太の言葉だからその幻想に罅を入れることが出来た。
その日、結局肇少年は答えを出さなかった。
しかし「もっとよく考えてみます」と言った姿を見た六太は、この少年はもう大丈夫だろう、そう確信した。
これが基本的な『異世界転生防止委員会』の仕事である。
私には難しい題材でしたが、こういう異世界ものもアリかと思いました。