『異世界転生防止委員会』の主な業務内容は異世界への憧れを粉々に消し去ることだ。
肇少年の一件のように直接会って話すケースもあるが、多くはメールや電話で完結する場合が多い。
「今月、忙しすぎだぜ全く。どいつもこいつもネガティブで滅入る。俺今日8件も同時で対応してるんだけど」
と、愚痴を零すのは今日も今日とて髑髏のシルバーアクセサリーを首に掛けて、4月というには少し強い日差しに対抗するためか黒いタンクトップと穴開きジーパンという社会人とは思えぬパンクな恰好をしながら、怒涛のブラインドタッチを披露する
同じくして
「仕方ないじゃない。4月なんだから文句言わないの。あたしだって7件対応中なのよ。殺すわよ」
4月とは年度初めである。何かと始まりのシーズンだ。
特にこのIP委員会の主な相談者は学生である。進学、進級、その他諸々。ナイーブになりやすいからこそ現実を切り捨てて安易に異世界に乗り換えようと愚考する学生からの相談が絶えない。因みに4月が最多相談数で、次が8月、1月と続く。長期連休終了間際も相談件数が多いのだ。
「俺に当たるなよ香里」
「あたしを名前で呼ぶな。すごい虫唾が走った今」
「そんな風に言わなくてもいいじゃんかよ香里~。香里香里香里ちゃそ~。大学1年からの仲だろ?」
「キモ。死ね。無縁仏に入れられろ。寧ろ無縁仏に殴殺されろ」
「それどういう状況?」
罵倒のエキセントリックさに思わず貴志は首を傾げる。良く分からないが、今日の香里の機嫌はあまり宜しく無いのだけは分かる。
集中力が切れてしまったらしい貴志は今度は
「なぁ~六太~これもうAIお任せ案件じゃね? 大体が『初めまして。受験失敗して滑り止め入学しましたが辛いです』って内容だしもうChatGPT-4と契約しようぜ」
「楽したいだけだろお前は」
名前呼びに関しては六太は一旦スルーした。ここで先日の続きでもしようものなら、今度こそ香里に何かしらの制裁を食らいかねないと考えたからだ。
「そりゃそうだろ。受験関連の相談は結局どいつもこいつも真剣みが無えのよ。話を聞いてもガチで異世界行きたくて悩んでるって感じでもねえし。結局大人しく大学生活を充実してもらうか仮面浪人してもらうか退学して再受験してもらうか、その3つくらいしか俺らは答えを持ってねえ訳じゃん。もうAIでいいだろ」
「真剣ではあるでしょ。少なくとも受験生からすれば人生を左右するものだよ」
「そらそうだが、そういうのの相談はもっと違う人間の役目だろ。俺らじゃなくて高校の教師だとか塾講師だとか学歴系Yotuberにでも相談してもらった方が早えよ。どうせ根の根は学歴コンプで拗れてるだけだ、俺らの出番じゃなくねえマジで」
「確かに僕達の専門じゃないけど。それでも落ちて自殺する学生だっているわけだし、僕らはそういう子供の心を救わなきゃならないでしょ? 真摯に寄り添わないと」
「何でも屋じゃねえんだぞ……ったくよ」
悪態を吐きつつも手は止めない辺り、貴志もまたNPO職員としての理念を持っているのであった。
貴志は口や態度や見た目こそ悪いが、というかその3点セットが悪ければもう普通にチンピラに符号してしまう気もするが、中身はちゃんと好青年である。だからこそ六太は趣味も考え方も違う貴志のことを信頼し、親友として友誼を結べているのだ。
「六太さん、今ってお時間ありますか?」
六太はメールに追われていると、
「うん。皆が頑張ってるおかげで何とかね」
「なら俺の持ってる案件1つで良いから変われよ六太~」
「それで何かな江川さん」
「ええとですね、ちょっと判断が難しいと言いますか、変な相談依頼がフォームに来てまして」
当然のように貴志の声は無視された。
美耶は脇に抱えたタブレットを操作するとメールサービスを立ち上げた。この事務所ではホームページに入力された相談内容はメールにて届くようになっている。
「これなんですけど、悪戯……でしょうか?」
「うん……?」
六太が覗いてみるとこんな内容が書かれていた。
【初めまして。異世界転生に関連した相談を受け付けているとお聞きしました。相談があります。兄が魔法を使って赤の他人を殺す前に、兄をどうにか殺してくれないでしょうか?】
「悪戯だったら悪質だね」
「ですよね……」
二人して真剣にメールを確認する。この全文だけでは詳細な内容は把握できない。
「どうしたのよ? また意味不明な文章でも来た?」
「脅迫状でも送り付けられたか?」
香里と貴志も興味があったのか六太のデスクへ近寄った。
インターネットにて全体公開している相談フォームなので頻繁に変なメッセージが来る。団体名に入った異世界転生という単語が悪目立ちしているのもあるだろう。その度に職員それぞれがテンプレートで長々と『本当に支援が必要な人々の妨げになるから止めてくれ』と送るわけだが、全く収まる気配はない。無視するにも中には真に迫る質の悪いものもあるため、現在は一つ一つ労力を使って処理している状況である。
「殺すってのは穏やかじゃないね。込み入った事情があるかも」
「でもこれは本気であるなら私達のことを舐めてますよ甘崎さん! 私達は命を救う団体であって、殺すなんて以ての外です!」
冷静な六太に対し、明らかに憤慨する美耶。
美耶の言葉にはその場にいる他3人も全面的に頷ける事実だった。普通、NPO法人に暗殺の依頼を送る馬鹿はいない。そう言うのはもっと世間体の宜しくない───例えばヤクザとかに任せるべき仕事であって決してNPO法人に送る依頼ではない。だからと言ってヤクザに送るのもどうかと思うが。
IP委員会は日本政府の公金の下運営されている法に則った組織である。当然のように殺しなど認可していない。それは依頼者だって承知の上のはずだ。
要するに、見るからに悪戯っぽい。
それでも事実であることを前提にして考えるのが、未だこの世界で超常現象と定義される異世界転生を扱うIP委員会のスタンスである。
「弟か妹が送ってきたって感じだな、文章を見れば」
「依頼主の素性はそこまで重要じゃないでしょ。問題はその兄が何故殺意を持っているか、誰を殺そうとしているかじゃないの?」
「殺意の理由ねえ。両親と仲が折り合いが悪いのかと思ったが赤の他人を殺すと書かれているな。だが魔法と言ってるんならこの兄貴は異世界転生を一度経験しているのは間違いねえ」
「魔法による無差別殺人。最悪ね。現代日本でそんなことをやられれば迷宮入り間違い無しよ」
「私、思うんですけどやっぱり悪戯じゃないですか? 仮に兄の殺意を知ったとして、何でウチに送るのかが分かりません」
「……いや、兄が魔法を扱えるからこそ僕らに頼んできたのかも。事件性が無い以上、警察は頼れないだろうし。一時期話題になった甘崎がこの団体に居ることを知っていれば、対抗手段として浮かぶのもまあ分からなくもない。それにしても殺害を依頼してくるのは踏むべきステップを10個以上蹴り飛ばしているけど」
口々に意見を言い合う。しかしそもそもの情報量が少なすぎる為、意見が浅くなってしまう。
「メールは送るべきね」
「俺も同感。聞くこと聞かねえと判断出来ねえ」
「だね」
手早く六太は自分のPCから共有メールボックスに入ったそのメールを探し、より詳細な内容が欲しい旨を簡単に記載すると返信した。悪戯ならこれで判明するわけだ。
一旦解散して各々の席に戻ると、再度静寂がオフィスを満たす。
件数が多いので六太も流れ作業のように片付けていく。メールで終わるような簡単な依頼であれば秒殺とはいかなくとも5分で返信を書ける。あまりにも思春期特有の悩み相談に慣れてしまった六太の手癖は素早く回答を打ち出していく。最早一種のひみつ道具のようになっていた。あまりにも局所的な用途なので未来デパートで売り出しても一つも売れなそうである。
1時間後、11時を過ぎた頃を見計らってメールチェックをすると返信が来ていることに気付く。
六太は慣れた様子でティーパックの紅茶を飲みながら目を通すことにする。
【返信いただきありがとうございます。私は井東未来です。状況について詳しく説明いたします。兄は事故に遭って、半年後に目を覚ますと甘崎さんもご想像の通りだと思いますが異世界について話すようになりました。すぐさまこれはテレビで流れている奴だと私はわかりました。しかし、問題は兄が小動物を殺していることです。最初観たのは偶然でした。近所の野良猫を火の魔法を使って生きたまま燃やしていたのを私は見付けました。何て残酷なことをするんだと思うのと同時に、私は止めることが出来ませんでした。それまでの兄は人畜無害で、私の思う兄とのギャップが大きかったので恐怖してしまったのです。最終的に何かの見間違えだと考え、その場を去りました。しかし兄の凶行はここで留まりません。犬、猫、鳥と、私の家の付近で死骸がが良く見つかるようになりました。いえ、兄の魔法の火力が高いのか、正確には燃カスとなっていましたが、骨の形状で何となく分かります。間違いなく兄の仕業です。兄の悪辣な悪意の対象には区別はきっとありません。私にはこれは代替行為ではないかと強い直感を抱きました。普段こ性根をそ隠していますが、間違いなく兄は異世界で人を殺しています。そして、この世界に戻ってもその味を忘れられないんじゃないかと強い恐れを私は抱きました。サイコパスじゃないかと思うんです。どうか、兄を殺してはいただけませんか?】
これは……。
六太は何度も読み返して、或る程度の信憑性に値する文章だと判断した。
動物を殺しているという兄を持つ家族からの依頼。全面的に内容を信用するのであれば、救うべきは兄ではなく将来の被害者だ。だが法治国家の日本には推定無罪の原則があって『お前は多分これから犯罪するだろうから予防逮捕するわ』だなんて言い分でしょっ引くことは出来ない。そもそもこの依頼主、井東未来の主張もどうも一方的で過激的だ。最初の依頼分からして過激だったが、事情の触りを知ってもその感想は変わらない。六太が井東未来が事実とは異なる曲解をしている可能性を疑うのも当然のことだった。
「小窪さん、ちょっと来てもらってもいいかな?」
「んだよ、この前の名前の話なら今はしねえぞ。香里がアホみたくコエーから」
「それはしない」
「ならいい」
香里は貴志に対して『コエーじゃねえのよ万年チンピラ駄目職員、いい歳してシルバーアクセサリーとか感性クソガキか、体育館裏の桜の木の下に埋葬してやろうか殺すぞガキが』と言いたげな凄い目で睨んでいたが実際には言っていないからセーフだし、貴志は貴志でまあ良くあることだしなと気にしていなかった。何なんだこのNPO法人。
六太の肩に手を置きながら貴志は画面を覗き込むと得心が行ったとばかりに目を細めた。
「あー。これは筋金入りの面倒な依頼者と見た。経験上あれだぜ、相談対象より依頼者を説得するのに骨が折れるやつ」
「小窪さん、あんまり依頼者のことを悪く言われると僕も困る」
「悪ぃな。前にそんな感じの偏った主張をする依頼者からヒステリーに叫ばれたことがあってな、ちょいフラッシュバックした」
IP委員会に相談する依頼者は当たり前のように悩みを抱えており、それが拗れてしまって精神的に不安定になって職員に強く当たる依頼者も珍しくは無い。貴志はその中の自分が担当した一件を思い出したみたいで、つまらなそうに溜息を吐いた。
「で、呼んだ理由は? 怠いから押し付けようって訳じゃないんだろう?」
「そんなことするか。怪しい部分も多いけど、概ねこの井東さんの主張通りの状況だった場合、江川さんと平石さんじゃ手に余るから消去法で何があっても問題無い小窪さんと僕で対応すべきかなと思うんだけど、どう思う?」
「何があっても問題無いって部分に職員軽視を感じられるんだが? 六太お前パワハラか?」
誰がこんな痛いチンピラ相手にパワハラなぞするかとこの場にいる三人は口にしたくなったが、社会人としての良識から何とか口を閉ざした。
「パワハラするなら見た目的に小窪でしょ」
尚、香里だけは別の形でしっかり言葉にした。これには隣に座る美耶も苦笑いを浮かべるしかない。
「しねえよそんな下らねえこと。法律にも背くことだからな。これでも法学部出てるんだぜ、法律には強い」
「卒業してから法律とは無縁になってもう三年だよね。流石にもう駄目でしょ、錆びついてるだろ知識」
「そんな訳無いだろうが。文系って侮るなかれ、法学部の勉強ってまあしんどいんだぜ。条文の暗記と言い事例の把握と言い、結構試験難易度高えんだよマジで。そんな地獄の四年間を乗りきった俺に死角はねえ」
「じゃあパワハラを法律違反とする根拠となる法律は?」
「…………。」
「えっと……なら日本国憲法25条の内容は?」
「……………………。」
「貴志お前……法学部出ててそれはちょっと……」
死角だらけだった。
流石に憲法くらいは分かるだろと哀れみから汚名返上の機会を与えていたので、思わぬ無言に面食らってつい名前呼びをしてしまう六太である。
「あ、私分かります」
所在なさげなデカいオブジェとなった貴志はさておき、この中で最も若くフレッシュな美耶へが手を挙げた。
「回答権が自称法律自信ニキのその実超絶アホ野郎から美耶さんに移りましたー。さあ答えをどうぞ美耶さん」
「うっせアホギャル」
「あたしは無意味に自分のことを大きく言うガキとは違うわよ」
「んだと? 良い機会だ、大学時代から一度お前とはケリを付けねえとは思っていたんだ」
「望むところよチンピラ野郎」
何だか背後で白熱し始めた二人を無視して、美耶は期待をするような目で六太を見る。補足するとこの二人の諍いは大学一年時から続く日常であるので、美耶も今更驚いたり気に止めたりはしない。
「一つ目は改正労働施策総合推進法、二つ目は生存権でその内容は二つあって『すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。』、それから『国は、すべて の生活部面について社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。』です。合ってますか甘崎さん!?」
「あ、ああ。多分合ってると思う」
自信満々な美耶とは逆に六太は少しビビりながら肯定した。前者については本当に正解か判断するための正しい知識が六太には無かったし、後者についても生存権や『健康的で文化的な最低限の生活』という文言は知っていれど流石に詳細な文章については中学生の頃に丸暗記をさせられて以来、記憶の底から抜けてしまっている。
因みに六太は法学部卒ではないということを名誉のために補足しておく。
「やった……!」
「この調子で色々と知識を身に着けてくれるといざって時に助かる。頼りにしているよ江川さん」
「はい!」
「そしてそこの将棋をしてる2人は見習うように」
嬉し気に笑みを咲き散らかす美耶に新人特有の微笑ましさというのを感じつつ、一方で現存のだれきった部下を咎めることも忘れないところが六太がこの団体の代表者である所以だろう。
六太は二人の戦局の趨勢を見守ることなく、オフィスに何故か備品として置かれている将棋盤を一方的に片付けた。
「ああちょっと何やってんのよ六太!」
「そうだぜ一手損角換わりをマトモに受けるかどうか悩んでたっつうのに」
「五月蠅い、仕事しなよ2人とも」
序盤も序盤だったようだ。角換わりだとかそれっぽい戦術を用いているのは、学生時代に何かと雌雄を決すときは将棋で決着を付けていたために勝つため自然と腕が磨かれてしまった副産物だ。双方ともに将棋中継を見ることもなければ実は棋生でした、なんてオチも無いし、実力もアマチュア五級とか三級とかそのくらいである。多分。
「しょうがねえ……この勝負はまた今度でいいか?」
「ええ。叩き潰してあげるから」
「そりゃ俺のセリフだ」
「どうでもいいから小窪さんはカムバック」
ライバルみたいな言い合いをする時点で本当は仲が良いんじゃと思うこともあるが、生憎職務中の六太はそんなことよりも依頼を優先する姿勢を見せる。渋々と貴志は六太のデスクへと戻ってきた。
何故か設定と噛み合ってなかったので修正してます
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