翌日、六太と貴志は一度、依頼者である井東未来の居住地に向けて車を走らせていた。既に井東未来とのアポイントメントは取っているが、今日ではなく来週の火曜日、つまり6日後であった。じゃあなぜ事前にこの場所へと来たのかと言えば事前調査のためだ。
理由は二つある
第一に依頼者の言葉に信憑性が欠ける点。
第二に仮に事実とすれば非常に危険であり、速やかな対策を要する点。
全体的に厄介な依頼だ。六太の経験上、こういうのは大抵宜しくない現実がやってくる。それが血塗られた畦道なのか、泥々とした暗澹たる人間模様なのか。幾らNPOとはいえあまり頓珍漢な事件に巻き込まれるのだけは勘弁だ。
どちらにせよ先を考えれば鬱屈とした思いになるからと六太は思考を一旦止めた。代わりに流れる景色を薄く見つめる。閑静な住宅街はとっくに過ぎ、気づけば壮観なダム湖の静謐な水面が眼科に広がる。山肌に作られた橋梁をレンタカーは走る。
東京を出発点として、現在地は相模原市を過ぎたその先である。
今回の依頼者は清川村に住んでいる。
清川村と言えば鉄道も走っておらず、主要な交通手段はバスか自動車。名所はデカい湖にそれを堰き止めるダム。夏場になると宮ケ瀬ダムが干上がっている映像(言うまでもないが完全に干上がったことはない)がテレビで偶に流れては、下流の住民の不安を煽ったりする。
言ってしまえば田舎である。まあ区分で村なので当たり前のように田舎である。更に十把一絡げに言えば神奈川の西側は全体的に割と田舎である。勿論そんなことを態々口にするほど六太は子供ではないが、思ってしまうものはしょうがない。
しかし、六太は助手席から移り変わる自然たっぷりのこの光景に郷愁の念を感じていた。
秋葉原を生活圏とする六太は典型的な東京生まれ東京育ちのシティーボーイだ。川のせせらぎよりもビル風の突風、鳥たちの囀りよりも地下鉄メトロの走行音に馴染みがある。だから当然そのノスタルジーの根源は異世界である。
六太は異世界で別人として人生を送った経験がある。
山里で生まれ、幼少期から14歳までは畑で芋を育てる農民の子供として過ごした。その後、冒険者として4年間ほど世界各地を遊弋しながら異世界を見て回った。
この場所は六太としてではない、異世界の自分の出身地に少し似ているのだ。山肌が切り立っているところとか、湖が近くに存在するところとか。
黙っている助手席の六太を尻目に、カーナビの現在地が目的地に近づいてきたからか貴志が平ぺったい声を上げた。
「この辺って何もねえな何も。水見てたら魚食いたくなってきた。あー寿司屋行きてえ。100円寿司でいいぜ俺」
「無いよそんなの。チェーン店どころかそもそも店だってあんまり無いよ」
「だよなぁ……まあいいけどよ。クソ田舎に期待してねえ」
「言葉悪いよ貴志」
「クソ田舎はクソ田舎だ。ハエが大量発生してそうな匂いが充満してやがる、コンクリ林に帰りてえ」
自然の匂いをハエに例える人間など貴志くらいなものだろうと六太は思った。恐ろしいほどに感性が死滅している。この場に香里がいれば『おっけ、アンタが死んだら穴を掘って埋葬してセメント流し込し込んでその上でコザックダンス踊ってやるわ人工物フェチ』と煽り文句を吐いては運転席と後部座席で不毛なケンカを行い六太が呆れながら喧嘩を止める青写真が容易に浮かぶが、生憎と本日は秋葉原の事務所で留守番をしているため車内の空気は至って穏やかなものだった。
「諦めてくれ。帰りは寿司でいいから機嫌直せよ貴志」
「今がいいんだよ今が。俺の心はアクセルを踏んじまった」
「子供か」
「心はいつだってそう在りたいもんだ」
「そんな話はしてないだろ……あと髑髏の指輪してる奴は心の底まで子供だよ」
「うっせえほっとけ。こりゃパンクファッションなんだよ。わっかんねえかなぁ」
「中学生の時の僕の友達も髑髏やら蛇やら竜やらのジャラジャラ系アクセサリー好きだったよ。口文句は果てろだったかな」
「漫画オタクのガキと一緒にすんじゃねえよ殺すぞ」
「知ってるんだ。パンクファッションとか言って着てるのに」
「……うっせえ。俺だってアニメくらい見るわボケ」
貴志は前を見つつも器用に顔を背けた。なら猶更のこと中二病と言われる理由も分かるだろうにと六太は思うが口にはしない。これ以上怒らせてハンドル操作を誤まりこの道で横転でもしようものなら最悪湖にまっしぐら。中二病と言いすぎて友達が切れて池ポチャしました、などと言う下らない事故理由で賠償金を払いたくない六太である。
少し間を置いて貴志は不機嫌そうに口を開く。
「んなことよりも話すことあるだろ」
「なにかあったっけ」
「今日行く意味、ホントにあんのかって話だ」
「それは何度もしたでしょ」
「俺はハンドル握って気分良いから構わねえけどな、来週井東って依頼者と話すとき行きゃあ良いだろ」
「気になるからだよ。無いって話だけど、もし人死にが出てるんであれば対応は迅速にしなきゃならない。井東さんの話が事実であれば下手人は異世界由来の魔法だの剣術だのを持ってる可能性が極めて高いし、それは貴志だって頷いてたことじゃないか」
「やべえ奴っての分かってる。問題は、ならあの能天気フェイスに連絡してさっさと投げちまっても良いんじゃねえのってこと」
それもそうなんだけど。でもそしたら無問答で"致死処理"が選択されてしまうだろう。
「ダメだよ。あの人を頼るのは僕たちがどうにもならない時だ」
「それが今なんじゃねえの? 魔法が使えてチャンバラが得意なサイコパスとか冗談じゃねえよ」
「冗談だろうが何だろうが最終手段だ。それに今のところ人的被害は出てないみたいだし、僕たちの身に危険が迫るってこともないと思う」
「……まぁお前がそう言うんなら構わねえけどよ。だがいざとなれば俺はお前を頼るからな、頼むぜ『帰還者』さんよ?」
揶揄うように貴志は口角を上げた。
貴志は六太の正体を知っている。異世界で生きたことも、冒険者として戦いに投じたこともあることも。思わず苦笑いを浮かべてしまう。
「あはは……得意じゃないんだけどどねそういうのは」
「回復魔法な。戦い向きじゃねえよなお前の魔法」
因みに異世界では誰しも使える魔法は適性のある一種のみである。複数属性を扱える例外も中にはいたりするが、まあそんな100年に1人レベルのレアケースはさて置いて。
「まあね。ただこの世界じゃ苦労するんだこの魔法」
「大体の怪我なら治せるっつーんだもんなお前。まさにリアルブラックジャック」
「そんな高尚なものじゃないけど。寧ろ不要な争いが生まれる力だよこれは」
と、少し疲れたように言う六太。
六太が回復魔法を使ったのはこの世界でたった2度だけだ。目覚めた直後と、それから長期に渡って意識不明で眠っている───もしかしたら異世界に行ってるかもしれない───女の子を助けようとした時。
社会を少し知れば分かる。無暗に魔法を行使して碌なことが起きるはずがないのだ。炎魔法やら水魔法であっても学術的な研究価値のあるもので、SF映画さながらモルモットにされてしまうことすら危惧すべきだ。そして回復魔法。これは現実世界においてはとんでもない実用性を誇る。なにせ甘崎六太は知っている。自身の回復魔法で治せない病気や怪我は無い。一切と言って良いほど無いのだ。
それが何を意味するのか、予想はとても簡単で。
まず資本家による取り合いが始まる。病気を治せと大金を積まれ、治せば別の資本家からも金を積まれ、いつしか家族や友人を人質に治療を迫られ、最後には『お前が治さなかったから家族は死んだんだ』と逆恨みから刺される。
無論、これは空論だ。
六太がそう思うというだけの話。
でも近いことが起きるだろうという確信は六太にはある。畢竟、魔法なんてこの世の理外の力を使うべきではない。
そんな六太を見て、貴志も何時にも増して神妙に頷く。
「…………そうか」
「ともかく、文字通り異なる世界の力だ。本来あっちゃならないんだ」
六太の言葉に貴志は何か返そうとして、そのまま閉口した。
目的地の駐車場にレンタカーを着けると、木々に洗浄された空気を六太は一吸い。上手い。肺が洗われるような気分すらある。
輪上のストラップに留まった車のキーをクルクル回しながら貴志は辺りを見渡す。
「どっちだ?」
「取り敢えずあっちの山道かな」
「ったく。来るんならこんな何もない展望台じゃなくてあいかわ公園って場所のほうがよかったぜ。出店があるとかネットにあった」
「しょうがないだろ、SNSでこの周辺で動物の骨を見かけたって話なんだからさ」
「ならしゃあねえか……かったりい」
依頼を受けるに当たって六太はSNSにて骨やら白骨とか適当なワードを総当たりで検索を掛けていた。現代ならやって当たり前の行動である。
その結果、SNS幾つかその投稿を見つけることができた。今訪れている山道もその一つで、少し階段を上れば小さな展望台があるらしい。
「上までどんくらいだ?」
「地図だと10分くらいじゃない?」
「高低差考慮してか?」
「ネットの地図は等高線無いしそれは分からない」
「等高線ってなんだ?」
軽く無視した。まさか友人が小学校レベルの社会の用語すら放念しているとは思いたくない六太である。
ハイキングが始まる。山道を伝う階段の傾斜はそこまで急ではないのでサクサクと進む。運動神経に関しては両者ともに良いのもあって、特に疲れを感じないまま登り切った。
「しょぼいな」
「しょぼいね」
二人して思わず呟く。
上った先にあった展望台は全体的に錆が浮いていて、人工的な鉄の階段で更に5段ほど上がれるようになっている。その先は一応方角的には湖面を望めるようなロケーションになってはいるものの、所々高い木々に茂った葉が邪魔をして全景を見ることは叶わない。
「いや待て、あれを見ろ」
何か気になるものでもなったのか、貴志は少し声を大きくして指差した。
六太が見ると死骸があった。
鹿だ。展望台の鉄組に隠れるようにして横たわっている。
ハエも蛆も沸いてないように見える。ということは、まだ新しいのか?
「死骸……いや死骸か?」
「見た目、傷はねえな。寝てる……にしては気配が静かな気がするが」
六太は近づきながら観察をしてみる。
ざっと見て分かるような外傷は無い。流血もしていない。
「いや、よく見たら目を見開いている。死んでるみたいだ」
「マジで? こんな綺麗に? 剥製でも作ろうとしたんなら分かるが、ありえねえだろこれは」
「餓死……にしてはあんまり瘦せてる感じはしないな。あんまり詳しくないけど。どう思う貴志」
「俺だって詳しかねえ。だが同感だ。それに餓死であれば季節も変だろ」
「確かに」
それもそうだった。
今は春だ。鹿の食物となる草などそこら中に生えているはずで、その環境下で餓死はないだろうと六太も同意した。
不自然だ。
現代日本に生きる六太としてではなく、異世界で冒険者として過ごした六太の直感が囁く。
「触ってみるか」
「おいおい本気かよ。素手じゃないだろうな」
「ハンカチ越しにだよ」
六太はポケットから正方形のハンカチを取り出すと、そっと触れてみる。反応は無い。少しずつ強くしながら叩いてみる。反応は無い。10回くらい叩いたところで六太は鹿の瞼を伏せた。
「多分だけど、死んでるよね」
「じゃねえか。野生動物がここまでされて起きないなんてことはねえだろ。俺も専門家じゃねえから知らんけど」
一旦、目の前の鹿が絶命していると仮定することにする。
貴志は目を逸らさずに、取り出したスマホで写真を撮りつつ言葉を続けた。
「例の件に関わる可能性あると思うか?」
「無くはないとは思うけど、断じるには安直すぎるかも」
「死骸と骨。井東未来の兄貴がガチでサイコパスって言うんなら殺し方を楽しんでいるって可能性と思うぜ」
「在り得るけど、そうなると殺し方が分からないな」
「ごもっとも」
「それに老衰の可能性もある」
「老衰……?」
貴志は怪訝な目で鹿を浚う。
老いるという言葉を用いるには少々若々しい気がする。しかしやはり詳しくないので、貴志は疑問符を放つに留めて断言はしなかった。
六太はそれを横目で見つつも慎重さを表す。
「あんまりこの鹿の件を引っ張ると判断を誤まりそうだ。一度、この件は置いておこう」
「……そうだな。わかんねーことを考え続けても疲れるだけだ」
それ以外に展望台に変な点は無い。
収穫と言えるか不明な情報を持って再度階段を下ることにした。
それから骨の目撃情報があった場所を3箇所巡った。収穫はゼロ。春風に揺れる草木があるのみで、事件の残滓や違和感は欠片も無いまま日暮れ時となる。
休憩として立ち寄った道の駅で一息つくと、車へ戻り、エンジンを始動させながら貴志は言う。
「おい〜そろそろ帰ろうぜ。十分やったって俺ら」
「そうだね……いや最後にもう一回さっきの場所へと寄らない?」
「マジで行ってんの? 何もねえって、鹿がいるだけだろ。何なら他の動物とかに食われてエグい絵面になってるかもな。うわ、想像するだけで見たくねえなそれ」
「まあまあ、ここから近いじゃん。30分で終わらせるからさ」
「しゃあねえな。夕飯奢るんならいいぜ」
「……100円寿司なら」
「今はハンバーグの気分だ」
気分屋過ぎるだろと六太は思いつつも車は動き出す。
程無くして展望台近くの駐車場に再び車を止める。手早くドアをロックして、面倒は手早く済ませるのが一番とばかりに早歩きで階段を上る貴志の後を追う。
さっきよりも早い時間で展望台に到着した。ダム湖を照らし上げる茜空。太陽を落としたような明るくも深みの混じった色合いは何とも抒情的で、鬱陶しい木々さえなければちょっとした観光スポットとして有名になれただろう。
横見でダム湖を確認した六太は、鹿の死骸を探す。確か展望台の裏だ。見えづらい位置に身を潜めるみたいに地面に伏していたはずだ。記憶と同じ場所に足を進める。
───しかし、代わりにあったのは骨だった。
「これは……」
「骨、だな」
付け足せば白骨だった。
違和感なんて言葉じゃ最早不足している。
絶対に自然現象じゃないのは明白。
明らかにこれは誰かの手によるものだ。
「さっきの鹿かな?」
「……じゃねえの。鹿の骨格とか知らねえけど、多分こんな感じだろうよ」
動揺もしつつ、六太は骨の落ちる地面が剥げていることに気付いた。先程まで草木が茂っていた。それもあって鹿は見つかりづらかったのだが。
「燃やされたっぽいね。地面が焦げてる」
「おいマジかよ」
地面を触って硬すぎる土質には六太は確信を深める。何週間も日照りが続いたような土壌は、当然、数時間前に見たものと大きく異なる。
「しかし、だとすりゃあ炭一つ残ってねえな。反射炉でも使ったみたいに燃えてやがる。いつから火葬場は持ち運び可能になったんだ?」
「魔法なら簡単だよ。これくらいの火力は炎魔法で普通に作れる。それを人に向けて放つのも日常茶飯事だった」
だから異世界の戦争は20世紀の世界大戦とは別種の阿鼻叫喚であったと六太は回想する。ましてやテロなど最悪だった。ある日突然、人々を豪炎で消し炭にし、水玉で窒息させ、雷炎で燃やし、光で跡形もなく吹き飛ばす───理不尽の塊だ。
世界大戦を歴史や映像でしか知らない六太だが、負けず劣らずの凄惨な地獄だったと断言できる。何せたった1人、熟練魔法使いがいれば街など容易に壊せるのだから。
考えていることを読み取れずとも貴志は何となく空気感で察したのか、辟易とした顔をする。
「ホント物騒だなファンタジー」
「ああ、だから分かるんだ。これは戦場の土だよ。炎魔法で焼かれた土」
「なるほどねえ。ともあれ、これで井東未来の話に信憑性が僅かに増した訳だ」
「だね。少なくとも動物を魔法で燃やす輩は存在するみたい」
「想定とは違ったがな。なんせ死骸使って火遊びだぜ、イキったガキの好きそうなことだ。サイコパスかも怪しいと思うぞ俺は」
馬鹿らしいと言いたげな貴志の言葉に六太の頭が働き始める。
最初は妙な死骸だった。死んだ気配すらないほど穏やかで、眠っているのかと勘違いする程だった。
それが数時間後に骨しか残らず、肉は全て灰燼に帰した。
仮にこの鹿が殺害されたと仮定して、焦点は『犯人が井東未来の兄かどうか』ではなく『下手人が同一人物かどうか』だと六太は考える。
殺すのと燃やすのは全く違う行為だ。
前者は野蛮で、後者は儀礼的にも見える。
無論、殺害を全て否定するわけではない。青臭い理想を語るには六太は人生を送り過ぎている。
「今日は帰ろうぜ。分かんねえもんは分かんねえよ。考えるだけ無駄だ」
「そうだね……」
骨だけとなった鹿の亡骸を背に無人の展望台を後にする。違和感だけをその場に残して。
転職先が忙しいので書く時間が取れず……とはいっても今までも大したペースで投稿してないので多分投稿ペース自体はあまり変わらないです。ただの愚痴。