【完結】匂いで交わる恋もある   作:足洗

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色が付いたのが嬉しかったので



幕間
五月雨・狂


 

 

 音に包まれている。

 色彩が落ちた視界。しとどに降り頻る無数の雫によってなにもかもくすんで見える。

 小箱のようなバスの停留所に先輩と二人立ち尽くし、雨空を見上げた。

 

「……これは止みそうにないね」

 

 一目瞭然の事実を先輩は今一度改めた。

 放課後、帰路を同道する最中降り出した雨は、当初の我々の期待を嘲笑うが如く歩調を早め早めて今や豪豪とアスファルトを叩き壊す勢い。

 斯くて我々は立往生を余儀なくされていた。

 解決手段はいくつかある。

 まず一つ。己がコンビニなり雑貨店なりへ走り、傘を調達する。多少雨で濡れようがその程度で体調を崩すほど繊細な体でもない。一考の価値がある。

 二つ。電話で親族に救援を要請する。在宅であるなら車で送迎を頼むのも手だ。

 

「それは流石に悪いよ。親御さんにご足労いただくくらいなら私がコンビニに走る……すまないがこちらには期待しないでくれ。たぶん家には、誰もいないだろうから」

 

 先輩の声音は平静だった。あるいは平淡でさえあった。

 この雨と同様に冷えて、無機的で、色がない。

 俺は自戒を新たにする。己の言動の無思慮に自己嫌悪が湧く。

 他人の家庭事情。己如きが気を遣ったところで、それは要らぬ世話というもの。

 不和、軋轢、擦れ違い、ありふれて、であればこそ避け得ぬ身内同士の諸々。誰しもそうであるように、この人もまた内に抱えるものがあるのだ。

 完璧超人にも思える女性に垣間見えた苦悩に、俺はむしろ感慨を深めた。親近感と言い換えてもいい。そしてそれが下衆の勘繰りも同然の思考であると思い至り、再び自己嫌悪が腹腔を不快に満たした。

 物憂げな美しい横顔から目を逸らし、俺が一人悶々としていると、不意に。

 彼女は突然に、閃いたと言わんばかりに。

 

「そうだ。私の家に行こう。コンビニより近いし着替えもある」

 

 名案だと本気で思っているらしい晴れやかな顔が、その時ばかりは妙に薄ら惚けて見えた。

 

 

 

 

 しん、と静まり返った玄関。シューズクロークの広さにまず驚く。

 立派な二階建ての、モダンな豪邸と言って差し支えない内装。

 雨粒を滴らさせて立ち尽くす無様な己に、先輩は無邪気にスリッパを勧めてくる。

 

「いらっしゃい。どうぞ上がって……っと、その前にタオルだね」

 

 はにかんで彼女は小走りに廊下の奥へ消える。

 ああ、彼女も緊張しているのだ。その事実に無闇に安堵を覚える。

 灯の消えた家屋という大きな箱の中、本当に誰もいないこの場所に先輩と二人きりなのだという事実をほんの一時でも忘れたかった。

 程なく、タオルを持って戻ってきた先輩は、こちらにそれを手渡しながら。

 

「お風呂、すぐに沸くからリビングで待っててくれるかい? そうだな、とりあえずなにか暖かいものを」

 

 いや、待て、風呂? 何故?

 堪らず尋ねるこちらに、心底不思議そうな顔で小首を傾げる可愛らしい少女。

 平時の凛々しく怜悧な佇まいからかけ離れたキョトン顔である。怒りより呆れより、その無防備さが心底心配になった。

 

「雨に濡れた服は洗った方がいいし、乾かすにも時間が掛かる。どうせ着替えるなら入浴を済ませてしまった方がいいだろう。衛生的に」

 

 それは、正論である。しかし暴論の感を拭えないのは一体何故であろうか。

 

「後輩くん、往生際が悪いぞ。そうやって濡れ鼠のままじゃ風邪をひいてしまうし……ああ、それとも」

 

 翻意を引き出す算段を腹の内で練り上げようとする己の魂胆を見透かした様子で、先輩は悪戯な微笑を浮かべた。

 少しだけ背伸びした彼女の顔が己の鼻先に近寄る。

 蠱惑的な、妖しげな形をした唇が、囁く。

 

「一緒に入るかい?」

 

 俺は観念して、湯を借りることにした。無論、一人でだ。

 

 

 

 

 

 

 

 匂い立つ。

 ひどく、雨に濡れた君は。

 塵埃を含んだ水は饐えて、本来は不快な筈の汚れた臭気が、しかしどうだ。

 それを纏った君は、どうしてこうも香しい。

 雨の中を走ってきた所為で、薄っすらと汗を滲ませた君の体と垂れ落ちた雫は、混淆した匂いを湿気と共に立ち昇らせる。

 

「ん、は……んぉ……」

 

 くらくらする。

 くらくら、ふらふらと、私は。

 なにをしてるんだ。

 どうして脱衣所にいるのだろう。

 半ば強要して回収した君の衣類を収めた籠を抱えて私は何をしようというのだろう。

 また。

 また?

 私は呆として彼の濡れ汚れた衣類を手に取り、あっさりと鼻に押し当てた。

 

「んふっ、ふぅ、すぅぅううううううううう…………んひっ、ぃ、いい」

 

 シャワーの音がする。

 磨りガラス越し見える彼の大きなシルエットが、ひどく、ひどくエロティックで。

 私は、私は、私は。

 

「だめ……だめ、だ……だ、め、え、んぁっ」

 

 雨の所為だ。

 雨に濡れた彼の匂いが、今日も一層私を狂わせる。

 指先が意思とは無関係に出鱈目に股座で蠢き、こね上げ、責め立てて、私を。

 救いようのない場所へと押し上げた。

 

「好き……好き……スキ……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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