嘘吐きは勇者の始まり   作:柴猫侍

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第百十五話:虚飾は聖剣の始まり

 

 

 

(リオ、様……)

 

 

 

 裏切りは唐突だった。

 地に伏せ、そして血に沈むハハイヤは回顧する。

 

 ベルゴがアスの元へ向かった後、ハハイヤはリオの治療に尽力していた。

 全身に張り巡らされた根──彼女の心身を縛る〈聖域〉を解除するには、聖域術のエキスパートである自分でなければ対処できないのは自明の理。

 

 その為にはサタナキアほど強大な悪魔を他人に任せるしかなかった。

 ハハイヤとしても苦渋の決断。血涙を呑まざるを得ない決断を下させたのは、ひとえに皆のリオを救わんとする想いに他ならない。

 

 だが、その想いを踏み躙ったのもリオだ。

 一撃──たった一撃で、差し伸べられた手は振り払われた。胸に突き立てられた不意の貫手を避けられず、ハハイヤはただただ困惑しながら倒れた。

 

 それがつい先程の出来事。

 

(あと……もう少しで……私の〈(シン)〉が……!)

 

 体内に蔓延る“根”という物理的な魔法陣を除去するには方法が限られる。

 その一つがハハイヤの〈罪〉──〈不義(ふぎ)〉だった。

 

(だが、あれは──!?)

 

 救いの手を振り払ったリオ。

 かつての近衛騎士から見ても正気ではない聖女が、魔獣の如き咆哮を大聖堂中に響き渡らせていた。

 

 そして、

 

「──我が〈(シン)〉に殉ずる」

 

 禁忌の扉が開かれた。

 

 

 

大罪化(ダイシンカ)

 

 

 

 聖女の声を皮切りに、世界は一変した。

 リオの全身より迸る魔力を喰らい尽くすように、全身から伸びる蔦があちこちへと突き刺さる。天井や壁面に達しても尚成長を止めない蔦は、やがて大聖堂の外壁にまで広がっていく。

 

 度重なる戦いの余波で脆くなっていた部分は崩れ落ち、無防備と化したハハイヤの頭上目掛けて瓦礫が降り注ぐ。

 

「ハハイヤさん!!」

 

 そこへ駆けつけるアスだ。

 罪化に伴う魔人化──木人族の性質を存分に活かし、獣の体構造を疑似的に再現した彼は、小刻みな跳躍でハハイヤの元に辿り着く。

 

「ここは危険です! 早く外に避難しましょう!」

「ぬぅううん!」

 

 アスがハハイヤを抱きかかえると同時に、遅れて到着したベルゴが瓦礫を一蹴。

 たった一振りで瓦礫を埃の如く振り払ったベルゴは、そのまま背後に顕現させた聖霊で、蔦塗れの外壁に大穴を開けてみせた。

 

「こっちだ!」

 

 是非もなくハハイヤは二人と共に運び出される。

 しかし、それで蔦が止まる訳ではない。刻一刻と大聖堂を覆う蔦の面積は広がり、元の荘厳な雰囲気は影も形もなくなっていた。

 言い表すのであれば呪われし魔王の居城だった。禍々しい色へと一変した空模様も相まって、ただごとではない空気は大聖堂を中心に聖都全体へと波及する。

 

 三人はひたすらに背後から迫る蔦からの逃走を図る。

 それにしても恐ろしい成長速度だ。同系統の魔人に変化できるアスだからこそ、リオを発生源とする蔦の多さ──その魔力の出所に疑問が浮かんでいた。

 

「なんなんですか、これは……!?」

(ダイ)……罪化(シンカ)……!」

「大罪化?」

 

 息をするのもままならない怪我を押し、ハハイヤはこの地獄を生み出した現象を口にする。

 

「伝説にのみ語られる〈罪〉の到達点……!」

「〈罪〉の……到達点!?」

「罪化を超えた罪化です! ……まさか、実在していたとは……!」

 

 それはつまりⅠからⅢまで存在する罪度を超えた存在という意味であろうか。

 

「そんな……しようと思ってできるものなんですか!?」

「……分かりません。ですが、騎士の中では語り草とされている伝説で──」

 

 

 

「──いや、実在する」

 

 

 

「ベルゴさん……?」

 

 神妙な声が聞こえ、アスは振り返る。

 そこでは納得と沈痛が綯い交ぜとなった表情のベルゴが、背後より波濤のように迫りくる蔦の群れを蹴散らしていた。

 

 その横顔を見て、アスは彼の心がここないことを悟る。

 

「どういう……意味ですか?」

「空を見てみろ」

「……嫌な雲行きですが、それが……?」

「レイの時もこうだった」

「!」

 

 アスも聞き及んでいたベルゴの親友であり、元〈灰かぶり〉団長こと〈怠惰のレイエル〉。

 彼の最期は、魔王軍の策略により取り囲まれた自軍を逃がそうと、三人の六魔柱と大勢の悪魔を前に殿を務めるという壮絶なものだったはずだ。

 

「今、合点がいった……ッ!」

 

 ポツリと零すベルゴは、忸怩たる思いを隠さない。

 その歪んだ表情は、己に憤っているのか悲しみに明け暮れているのか。

 

 何にせよ親友が辿った末路──その為に彼が何をしたのか、ようやく真相の一端に触れられたといった様子だった。

 

「まさかレイエルさんは……!?」

「かつて魔王を討ち取りし伝説の勇者と同じ御業……あいつはいつも、オレの先に行く……!」

「ベルゴさん……」

 

 力という意味でも、命という意味でも。

 どうしていつも犠牲になるのは力ある者なのか。ベルゴはこの世の無情と、彼を犠牲にするしかなかった己の無力を呪った。

 

 無論、彼とて理解している。

 力ある者が戦地の最前線に赴くからこそ、力なき無辜の民を守れるのだと。だが、頭で理解していても心は理解できない──納得したくなかった。

 

 だが、大聖堂の壁を突き破る極太の蔦を一閃したところで、ベルゴの思考は直面する現実に引き戻される。

 

「ッ──スマン! 今はそれどころではないな」

「そ、そうですよ! 今はどうやってリ──あの方の大罪化とやらを止めるかです!」

「配慮が行き届いているな」

「勿論!」

 

 こんな状況でも頑なにリオ本人の名前を口にしないアス。

 その影武者としての心構えにベルゴは感心した。それどころの状況ではないのに。

 

「っ、うわぁ……!?」

 

 ふと振り返ったアスが思わず唖然とした。

 

 大樹だ。

 数百年以上もの歴史を誇る大聖堂に、大樹が聳え立っていた。

 

 一見幻覚かと目を疑う光景。

 しかし、今なお成長を続ける大樹に巻き込まれる白亜の瓦礫は、確かに大聖堂と同じ材質を見受けられた。

 

「あれを彼女一人で……!?」

「これが大罪化の力だと言うのか!? ええい!」

 

 明らかに人間の範疇を超えた力。これを為せる存在が居るとすれば、まさしくそれは神と呼ぶべきだ。

 

 大いなる罪化の力。

 その一端を目の当たりにした三人の間には、暗澹たる空気が流れ始める。悪い兆候だとは分かりつつも止められなかった。

 

 天災に直面した時と同じだ。

 村を飲み込む土砂崩れ、田畑を押し流す洪水、生命の痕跡を焼き尽くす大噴火等々……。

 人は自らの力でどうしようもない災害に見舞われた時、ただただ茫然と立ち尽くすしかない。人智を超えるとは、つまりそういうことなのだ。

 

 しかし、それでも彼らの足は動く。

 まだだ、体はまだ生きるのを止めようとはしていない。

 

「何か方法は……!?」

「アス、前だ!」

「っ!? しまった!」

 

 突如、進路方向の横にあった壁より蔦が突き出た。

 大蛇の如く蠢く蔦は、養分とする餌を見つけたと言わんばかりに、ハハイヤを抱きかかえるアスに向かってきた。

 

 背後を一瞥するアス。しかし、ベルゴは後ろから迫りくる蔦の迎撃に追われていた。

 このままではハハイヤも巻き込んでしまう──そう思い至った時、彼はハハイヤをその場に降ろした。

 

「すみません! ハハイヤさんをお願いします!」

「アス!?」

「活路を開きます!」

 

 そう叫び、アスは迫りくる極太の蔦を蹴りつける。

 未だ罪化は解いていない。必然、繰り出される蹴りの威力は相当のものだ。横っ面を引っ叩かれた蔦はミシミシと悲鳴を上げながら、狙いを地面に逸らされる。

 

 これで一安心……かと思うのも束の間、大聖堂より再び轟音が鳴り響いた。

 

「この数……!?」

 

 再び蹴り飛ばそうか──そんな風に考えていたアスに立ちはだかったのは数十本にも及ぶ蔦の群れだ。

 

「くっ……!」

 

 打撃主体の自分には厳しい相手だ。

 しかし、あれをどうにかしない限り逃げることもままならない。そうなれば危険に晒されるのはベルゴやハハイヤである。

 

「やってやりますともォ!」

 

 その為に得た力だ。

 アスは克己心を奮い立たせ、襲い掛かる蔦の群れを蹴り、殴り、それでも手が足らぬ時は頭突きも挟んで応戦する。

 奮闘の甲斐もあってか最初の数本は難なく叩き落せた。ただし、全力を出せるにも限界はある。終盤に行くにつれてアスの攻勢は衰え、次第に彼を打ち付ける蔦の数は増えていく。それでも攻撃を後ろに通させないのはアスの頑張りによるものだ。

 

「うぐぅッ!?」

 

 だが、とうとうアスが体勢を崩す。

 度重なる被弾に加え、サタナキア戦で負ったダメージもある。むしろここまでよく健闘したものだと褒め称えられるべきと言えよう。

 しかし、植物には人の心も事情も通らない。

 ただただ養分(エサ)を求めて牙を剥く蔦は、無防備なアスの胴目掛けて鋭く硬い矛先を突き付けた。

 

「しまっ……!?」

「アスッ!!」

 

 

 

「──〈大火魔剣(マグナ・イグニディウス)〉!!」

 

 

 

──忘れること勿れ。

──彼には、彼らには仲間が居ることを。

 

「大丈夫ですか!?」

「アータンちゃん!」

「俺の出番はナッシング~♪」

「ライアーさん!」

 

 参上するは杖に灯した炎の剣で蔦を叩き切るアータン。

 そして、空気を読まずに軽快な歌声を響かせる鉄仮面(ライアー)である。

 

「皆さん、よくご無事でぃゃああああ!?」

 

「「「アス(さん)ぅーーー!?」」」

 

 詰めが甘かった。グラブジャムンぐらい甘かった。

 焼き切られて制御を失った蔦は墜落。慣性のままに前方へ吹っ飛んでは、アスを巻き込みながら転がっていった。

 

「ごごご、ごめんなさい!! 大丈夫ですか!?」

「な……なんとか……」

「今引っ張り出してやる!! 手ぇ貸せ!!」

「はい……あ、あれ?」

「? どうした」

「お尻が……引っかかっちゃいました……」

 

 蔦の下敷きになっているアス。だがしかしアスは、いや、おちんちんシスターは、何故か細かく枝分かれしている蔦に全身を絡め取られ、見ようによっては煽情的と言えなくもない状態のまま何かほざいている。

 互いに見合うライアー達。しかし、こうしている間にも事態は刻一刻と深刻になっている。ここで立ち止まっている暇など一秒たりともない。

 

「クソぁーーーッ!! このデカケツシスターがぁ!! 引っ張り出してやらぁーーー!!」

「ごめんなさい、ホントにごめんなさぁーーーいっ!!」

「謝るな!! そこまで健康的に育つ体に生んでくれた親御さんと、今までの人生でお世話になってきた方々への感謝を述べよっ!!」

「ありがとうございます!! ありがとうございまぁーーーす!!」

 

「なんなのだ、これは」

「分かんないよ」

 

 アス、無事救出。

 

「た、助かりました……」

「本当にごめんなさい……あっ! アスさん、これ!」

「ラーディクス!」

「ちゃんと持ってきましたよ!」

「ありがとぉ~!」

 

 〈聖域〉──〈聖書の庭〉を展開する為、一時貸与していたラーディクスが手元に戻り、アスは歓喜に落涙する。何せこれは師匠の形見のようなもの。壊れたらそれなりに……三日ぐらいは嗚咽を響かせながら枕を濡らす羽目になる代物だ。

 故に、それを無事返してくれたアータンには、アスも全力の良い子良い子頭ナデナディングを繰り出さざるを得ない。

 

 そして、頭をなでなでされたアータンもご満悦な表情となる。

 かくして元気満タンなアータン、満タンアータンの完成である!

 

「よし! 今の内に離れるぞ!」

 

 二人が加勢して余裕は出来た。

 すかさずベルゴはハハイヤを担ぎ上げ、混沌を極める大聖堂から離れる進路を取る。ライアー達も異を唱えることはせず、負傷者を安全圏まで運ばんと全力で援護するのであった。

 

「よし……ここまで来れば大丈夫だろう」

 

 到着した場所は、大樹から伸びる蔦に覆われた大聖堂から離れた広場。

 

「ハハイヤさん、今治療致しますね」

「かたじけない……」

「アータン、〈罪〉でアスを補助してやってくれ」

「うん、任せて!」

 

 傷ついたハハイヤに〈回復魔法〉を掛けるアス。

 だが、傷の深いハハイヤを見たライアーが、アータンに〈罪〉──〈嫉妬〉で魔力増幅を試みるよう指示し、彼女も即座に従った。

 

「……」

 

 治療を受ける間、ハハイヤの瞳は一点を見つめていた。

 今では天を衝かんばかりに聳え立つ大樹。さながら、神話に登場する世界樹にも似た光景を見ていると、ここが現実であるかさえ定かでなくなってくるようだった。

 

「……時間がない」

「え?」

「もう……大丈夫です」

「え……えぇ!? いやッ……!」

 

 ちょっと!? とハハイヤの肩を掴んだアス。

 するとハハイヤはその手を振り払うように体を大きく振った。予想外の行動だ。明確な拒絶の意思が覗く行為に思わずアスも固まってしまう。

 

「──ぐっ」

「ハハイヤさん!?」

 

 だが次の瞬間、立ち上がったはずのハハイヤは膝を突いた。

 駆け寄るアスは俯く顔を覗き込む。血の気がない死人のような顔。これでは立ち上がれぬのも当然といった顔色だった。

 

「無茶です! こんな酷い傷で……!」

「早く急がなければ……リオ様が……!」

「でも大罪化なんてもの、どうやって止めるつもりですか!?」

 

「──大罪化?」

 

 一人、反応する人間が居た。

 

「知っているか、ライアー!?」

「んっ!? あ、う~ん、まぁ……御伽噺程度には、的な……?」

 

 やけに歯切れの悪いこの男、ライアーである。

 煮え切らない態度には疑問符が浮かぶところではあるが、その程度は些事だとベルゴは彼の両肩をガシッと掴みかかった。

 

「知っていることがあるならば何でもいい、話してくれ! 聖女が一大事なのだ!」

「イダダダダ捥げる捥げる捥げるぅーーーッ!? アタイのさっき繋いだばかりの左腕が捥げちゃうぅーーーッ!?」

「ム!? そ、そうだったのか。スマン……」

「ひぃ……ひぃん……!」

 

 恥も外聞もなくライアーは泣く。

 繋がっていたものが離れそう。傍にある時は気付かず、離れた時にようやく気付ける──まるで離れてから気付けた恋のような痛みには、彼も涙を禁じ得なかった。交際経験ゼロであるが。

 

「──要は聖女(リオ)が大罪化した。そういうことだな?」

「ええ。確かにそう言っていました」

「オレも騎士学校時代に御伽噺程度には耳にしていたが……それにしたって情報が少なすぎるのだ」

「まあ、だろうなぁ……」

 

 アスとベルゴより仔細を耳にしたライアーは難しそうに唸る。

 普段、なんだかんだ軽い調子で事を解決する彼がこの反応だ。それだけでどれだけ深刻な事態か、大罪化について知らなかったアータンでさえも理解できてしまった。

 

「じゃあ、その大罪化ってのを止めない限り聖女を助けられない……ってこと?」

「──恐らくサタナキアの仕業だ」

 

 蒼褪めたアータンよりもずっと蒼褪めた顔色のハハイヤ。

 どこからその力が出ているのか──文字通り命を振り絞っているとしか思えぬ騎士団長は、今度は剣を杖にし、その両脚で大地を踏み締めながら立ち上がっていた。

 

「あの時、まだ奴の魅了は解け切っていなかった。私もなんとか解除しようとはしていたが……奴の方が一足早かった」

 

 クソッ! と。

 心底悔しそうな声を震わせ、ハハイヤは自分の腿を殴りつけた。

 

 これにはアスも沈痛な面持ちを湛える。

 本来、リオの魅了は自身の〈聖域〉で解除するはずだった。それを肉体に〈聖域〉を刻むという手段で上回られたのは、そこまで思い至らなかった想定の甘さが生んだ事態に他ならない。

 

 だが、それは他の誰も責められない。想定できなかったのは彼らも同じだ。

 しかし、他の全員が許したとしても他ならぬ自分が許せないのだ。

 

 ハハイヤが抱くのは、きっとそんな自分の気持ちと同じなのだろうとアスは考えるのであった。

 

「ハハイヤさん……」

「だが……まだ間に合う」

「間に合う……? 方法があるんですか!?」

 

 ハハイヤの言葉にアスは身を乗り出した。

 突如として提示された希望。これにはベルゴやアータンも、食い入るようにハハイヤへと視線を向けていた。

 

 そしてハハイヤの血の色を失った唇は、ゆっくりと開かれた。

 

「……魅了を解けば……」

「っ、そうか……! 彼女を大罪化させたのが奴の魅了なら!」

「それを解けば、大罪化も止められる!?」

「なるほど、筋は通っているか。ならどうやって解除するかだが……」

「……私一人に任せてくれ」

 

 え? と。

 口をついて出てしまった声は、一人か、はたまた全員のものだったろうか。

 

 困惑する面々が互いを見合う。

 当のハハイヤと言えば既に大聖堂に向けて歩き始めている。その後ろ姿を見て、ようやく唖然としていた面子は慌てて動き出す。

 

「ま……待ってください! 一人で行くつもりですか!?」

「そうだ」

「無茶です! さっきみたいに蔦が襲い掛かってくるんですよ!? とても一人じゃ……!」

 

 

 

「──ハハイヤ」

 

 

 

 底冷えするような声が浮足立っていた場の熱を急速に冷やす。

 つい先刻聞いたばかりの声色だ。アータンは恐る恐るという言葉が似合うほど、ぎこちない動きで振り返らざるを得なかった。

 

「……ライアー?」

「魅了を解除してその先はどうする?」

「その先って……魅了を解除したら、大罪化も止まるんじゃないの?」

 

 閉口するハハイヤに代わり、アータンが問いかける。

 同時に自分達は一つ大きな思い違い──否、都合のいい勘違いをしていたのではないかと察してしまった。

 

──魅了を解除すれば大罪化も止まる?

──一体、誰がそんなことを明言した?

 

 冷静になるにつれ、三人はドンッと腹を殴りつけられたかの如き衝撃を覚えた。

 今にも吐き出しそうになる悪心(おしん)は留まるところを知らない。

 

 誰かが訊かねばならぬだろう。

 だが、誰もが訊くことをためらった。

 

 しかし、最早猶予はない。

 アスは壮絶な吐き気を押して、遂には問いかけた。

 

「まさか魅了を解いても…」

「大罪化は……止まらない」

 

──嘘だ。

──嘘だと言ってくれ。

 

 皆縋るような視線を嘘吐きに向けていた。

 嘘吐きの瞳は──逸らされなかった。その真意を、仲間である彼らは十二分に理解していた。してしまったのだ。

 

「……そんな」

「大罪化は罪化を超えた罪化。その真髄は己の〈罪〉に殉ずること。つまり、自死を厭わぬ力の解放にある」

「……なら、彼女は……」

「暴走した大罪化の行きつく先は──死だ」

 

 包み隠さず告げられる結末に誰もが言葉を失う。

 

「……知っていたのか」

 

 だが、ただ一人だけは。

 ハハイヤだけは覚悟していたと言わんばかりに、その死刑宣告に等しい言葉を受け止めていた。

 

「それでも私は、あの御方の下へ──!」

「ま、待ってください! 今の話聞いてたんでしょう!? このままでは死ぬだけです! 彼女も……あなたも!」

「それがどうしたッ!」

「っ!?」

 

 ハハイヤは怒号を轟かせる。

 必死に食い止めようとしていたアスも、鼓膜を、胸を、そして心を貫く声に身動きが取れなくなった。

 

 いや、それは声というより──悲鳴だったかもしれない。

 

「あの御方は幼い頃から身を粉にして国に尽くしてきたッ! 遊びたい盛りだろうに我慢してッ……普通ならば享受できる自由を縛られ、聖女としての責務を果たさんと努めてきたッ! なのに……なのにッ!」

 

──こんな末路を認めるものか。

 

 そう、ハハイヤは血反吐を吐くような勢いで叫んだ。

 

 誰も、何も言えなかった。

 言えるはずもなかった。

 

「国の為に……民の為に尽くしてきたリオ様の最期が、誰にも見送られることのない孤独の中であっていいはずがないッ!」

「ハハイヤさん……」

「私は往く……たとえ四肢を捥がれようとッ……! リオ様を独りで逝かせる訳にはいかんのだ……!」

「落ち着いてください! そんな体じゃ……!」

「放してくれッ! どうせ死ぬなら……せめて愛した人の下で──!」

 

 乾いた音が木霊する。

 

「……え?」

 

 

 

『──いい加減にしてッ!』

 

 

 

 じんわりと冷たくなっていた頬が熱を帯びる。

 瞬間、ハハイヤは目の前にリオの面影を見た。

 

「──リオ様?」

「いい加減になさいッ!」

「ッ……アス、殿……?」

 

 幻は次第に晴れる。目の前に居たのはアスだった。

 大きく振り抜いた右手は自分の頬を張ったからだろうと予想が付けば、遅れて頬がピリピリと痛み始める。

 

 しかし、涙を浮かべるのは叩いた当人だ。

 

『なんで……なんでハハイヤは自分を大事にしないのッ!』

「そんなの結局自己満足じゃないですか!」

 

 かつての思い出が蘇る。

 あれはまだ自分とリオが出会って間もない頃。リオが聖女となる為、聖地を巡礼していた途中の出来事であった。

 道中、身の程を知らない悪魔が襲撃を仕掛けてきたのだ。

 これを近衛である自分は難なく撃退した。しかし、仕留めたとばかり思っていた悪魔の一体が、最後っ屁と言わんばかりにリオ目掛けて魔法を放ったのである。

 

 その時、自分は身を呈してリオの乗る馬車を守った。

 同時に魔法を受け止めた腕は重傷を負い、当時幼かったリオも泡を喰って治療してくれたという一件である。

 

 今思えばリオとの大切な思い出であるが、当時はまだ付き合いの浅いリオに随分と叱られたものだ。

 普段手厳しく説教していた仕返しかと皮肉まじりに零せば、烈火の如く怒鳴り散らされ──泣かれてしまった。

 

「愛する人と共に死ぬなんて美談じゃありません! 本当に愛しているなら、死に物狂いで救って……共に生き残るべきじゃないんですかッ!?」

『わたし、ハハイヤが死んじゃったら……悲しいよぅ……!』

 

 二人の顔と声が重なる。

 どうして、どうして二人が重なってしまうのだろう。

 

 顔が似ているから?

 声が似ているから?

 それとも──。

 

「諦めるにはまだ早いです! 何か……何か手があるはずです!」

「しかし聞いたでしょう!? 大罪化は〈罪〉の到達点! 自死を厭わぬ〈罪〉の解放と! どうにかして〈罪〉の解放を止めない限りは……」

「そ──そうだ、免罪符! あれはどうなんです!? あれも一応、〈罪〉の進行を食い止める力が……!」

「あれでは駄目なんです!」

「駄目って……そんな! 試してもないのに!」

「ッ……駄目だったんです……!」

「え……?」

 

 まるで懺悔するかのような物言いだった。

 必死に食って掛かっていたアスも、反論しようとしていた言葉を飲み込んで耳を傾けた。

 

「それは……どういう……?」

「……大罪化は教団内でも最高機密として扱われていた存在。同時に魔王軍に対抗する術として、一部の団員が研究していたものでもありました」

 

 ですが、と。

 重々しい口調で、ハハイヤはそれより先──認めたくない現実を口にせざるを得なかった。

 

「結果は失敗。それどころか研究の第一人者であった騎士──私の前任であった騎士団長は魔王軍を退けようと大罪化しましたが、結局元には戻れず仕舞い。早急に免罪符も試しはしたらしいですが……」

「……そんな」

「免罪符以上の力を望むのであれば、それこそ伝説の聖剣──『浄罪の聖剣』が必要でしょう。あれならばあるいは……」

 

「浄罪の……? あっ!」

 

 声を上げてしまったアータンに視線が集まる。

 何かを知っている風の反応。だがしかし、両手で口を覆って当惑と焦燥を滲ませる彼女の様子から、ハハイヤは仔細を把握して苦笑した。

 

「そうか……聖剣は……」

「知ってたのか?」

「ここだけの話、聖女会談は聖剣の保管場所を極秘裏に移転する目的もあります」

 

 そして、転移した聖剣は各国の大聖堂に用意された宝物庫にて保管される。

 これは各国の大聖堂間を繋ぐ転移門があるからこそできる処置だ。

 

「だが、あの古代の術式で刻まれた〈聖域〉を解ける人間は居ない……そう思っていたんですが」

「済まない。取り返せなかった」

「気にしないでほしい。こんな状況ではどちらにせよ守り切れなかったはずです……」

 

 そう気遣うハハイヤだが、いよいよ状況は絶望的である。

 大罪化を食い止めるには浄罪の聖剣が必要だ。にも拘わらず、宝物庫に保管されていた本物の聖剣は魔王軍に奪い去られてしまった。

 

 これではリオの大罪化を解除できず、結果的に彼女が死ぬのを待つばかり。

 

「希望は……潰えたか……」

 

 絶望を噛み締めるハハイヤの声音。

 それを聞いた四人は胸を締め付けられるような感覚に襲われた。愛する人間を救える唯一の希望すらも打ち砕かれた絶望は推し量るに余りある。

 

 

 

「──冗談じゃねえ」

 

 

 

 だが、そんな時だ。

 まるで絶望を嘲笑うかのような声が澄み渡った。

 

「なぁ~にが『希望は潰えた』だ」

「ライアー……殿……?」

「ハハイヤ、あんたの目は節穴か? よく見てみろよ」

 

 最早、涙に濡れて焦点さえ合っていない。

 現実を直視したくない心の顕れである瞳は、声に導かれるままとある光景を目にした。

 

 視界は──次第に晴れていく。

 

「っ……!」

「……勝手に一人で絶望しないでくれ。絶望ってのはそんな安い言葉かぁ?」

「貴方方はどうして……どうしてそこまでッ……!?」

「少なくとも──望みはまだあるぜ」

 

 そう言ってライアーは指し示す。

 自分も含めた諦めの悪い四人を。

 

「そうですよ! 聖女様だって、大好きな人が一緒に死のうとするより、自分を助けに来てくれた方が嬉しいはずだもん!」

 

〈嫉妬の魔女〉アータンが告げる。

 

「……オレも死ぬことが償いだと思っていた時期がある。だがそれは誤りで……過ちだった。生き恥を晒してでも生きて償う! そうする相手を支えることこそ本当の愛ではないのか!?」

 

〈怠惰の聖騎士〉ベルゴが告げる。

 

「……彼女も自分を偽ることは辛かったはずです。それで罪を犯してしまったことも……でも! だからって彼女が苦しんだままでいいんですか!? 罪を犯したらそれっきりで……償いもクソもないまま死ぬなんてあんまりでしょう!?」

 

〈色欲の聖女〉アスは、尚も続ける。

 

「彼女に罪を償わせてください!! それで……それから笑っていいと!! あなたが彼女に伝えるべきです!!」

「私が……?」

「それができるのはあなたです!! あなたしか居ないんですッ!!」

 

──一生共に秘密を抱え、支え合う関係。

 

 それを成せる相手が居るとするならば、確かにそれはハハイヤしか居ない。

 

「生きなさい!! 生きて愛していると……あなたの口から伝えなさいッ!!」

「……アス殿」

「そーいう訳だ」

 

 そして、〈虚飾の勇者〉ライアーが歩み出た。

 

「どいつもこいつも諦めの悪い奴らばかりでね……ま、俺もその内の一人なんだけどさ」

「ライアー殿……ですが」

「『ですが』、なんだ?」

 

 ズイッと鉄仮面が迫りくる。

 鼻と鼻が触れ合うような距離感だ。鉄臭さが鼻をつくが、それが鉄仮面の臭いか、はたまた彼の流した血潮であるかは判別つかない。

 

 しかし、覗く双眸は真剣そのものだ。

 それだけははっきりと分かった。

 

「あんたの望みを叶えるのに足りないものはなんだ? 戦力か? 道具か? そもそも聖女様を救いたいって気概か?」

「そんなことは──!」

「だったら言ってみろ。あんたの一番の望みはなんだ?」

「私の……望み?」

「そうだ」

 

 語気を強めてライアーは促す。

 最早一刻の猶予もない。決断は早い方が良かった。

 

「私は」

 

 だが、ハハイヤに躊躇はない。

 

「私は、リオ様を……ッ」

 

 この望みだけは揺るがない。

 

 

 

 揺るごうはずが……ない!

 

 

 

 

 

「リオ様を──お救いするのだッ!!」

 

 

 

 

 

「上等」

 

 それを聞き届け、虚飾の勇者は剣を抜く。

 腰に佩いた二振りの内、短い方。本来長剣であったものを折られ、職人に短剣に仕上げ直してもらった一振りだ。

 

「確かにさっきまでなら大言壮語かもしんなかった──けどな」

 

 『偽物』の名を冠する剣──何を思ったのか、それを抜き放った勇者は剣に力を注ぐ。

 すると、にわかに変化が起こり始めた。

 

 魔力を糧に姿を変える〈虚飾〉の剣。

 贋作師の魂が込められたガワだけの剣は、みるみるうちにその姿を変化させる。

 

 純白の柄。

 黄金の鍔。

 白銀の刃。

 そして、嵌め込まれた鮮やかな蒼玉。

 

 全てが渾然一体と化した剣は、まるで聖剣の如き勇ましくも神々しい輝きで飾り立てていく。

 

 普段ならばそれだけだ。

 あくまでこれは偽物。ガワだけの贋作であり、本物には到底及ばぬ虚飾の存在でしかない──しかしだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

()()()()()──()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 斯くして剣は成った。

 全ての罪を洗い流す、清廉な力を宿した聖剣へと。

 

 

 

「──()()()()()

 

 

 

 虚飾の勇者は振り返る。

 

「どうする?」

 

 そして、先刻まで絶望に打ちひしがれていた騎士の方へ手を差し伸ばした。

 

 

 

「今なら聖女──救えるぜ」

 

 

 

 騎士には、その手を握らぬ道理などなかった。

 

 

 

 禁忌の扉は開けられてしまった。

 だが、扉の鍵は手に入れられた。

 

 

 

 ならば後は閉めるのみだ。

 このとどまることを知らぬ想いを胸に。

 

 

 

 




Tips:浄罪(じょうざい)聖剣(せいけん)
 かつて伝説の勇者が握ったとされる伝説の剣の内の一つ。
 その権能は全ての罪を清め、赦す力にあるとされており、罪深き罪使いでさえ浄罪の聖剣を前には罪に手を犯す前のまっさらな魂へ帰ったとも謳われている。

 もし仮に愛する人が大いなる罪の力に手を染めた時、それを止められる手段があるとするならばこの剣を求めよ。
 剣はきっと、貴方の想いに応えてくれるはずだ。

*【噓吐きは勇者の始まり】第一巻 2/28発売!

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