嘘吐きは勇者の始まり   作:柴猫侍

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第二十四話:愛情は家族の始まり

 

 

 

○月×日

 

 今日は村の子供達と釣りをした。

 お姉ちゃんは魔法でたくさん魚を捕まえてたみたいだけど、それは釣りと言っていいんだろうか……?

 

 アジを釣ったらブリが掛かって、ブリを釣ったらサメが掛かった。

 自分でも何を言っているか分からないけれど、こう書くしかない。

 

 そしてサメはラッコに頭を……。

 

 夕ご飯は子供達が釣ったお魚さんを捌いて食べた。

 ライアーがどこからかワサビを取ってきたけれど、私には辛くて食べられなかった。

 

 お酒みたいに、もっと大人になったら美味しく感じるのかなぁ……?

 

 

 

○月□日

 

 皆で潮干狩りに行った。

 砂浜を掻き分けて見つけた貝の数で競争したけれど、私が最下位だった……。

 

 皆に話を聞いてみると、お姉ちゃんなら一時間で貝を100匹も採るんだって。

 流石にその時は採り過ぎだって怒られたみたいだけど、流石お姉ちゃんって感じ。

 

 ちなみにどうやって採ったのか聞いてみたら魔法を使ってたみたい。

 

 やっぱりお姉ちゃんはお姉ちゃんだと思った。

 夕ご飯の貝汁は美味しかった。

 

 

 

○月△日

 

 ライアーがリコリスから採れたカカオでチョコレートを作ろうと言い出した。

 チョコレートはほろ苦くて甘い美味しいお菓子らしいが、結局固まらなくて失敗したみたい。

 

 ライアーは『ドラゴンのエプロンがねえと本気が出せねえよぉー!』と言っていたけど、それは本当に意味があるんだろうか?

 

 失敗したチョコレートはマーターさんの提案で、温めた牛乳に溶かしてホットチョコレートという飲み物にした。

 飲むとたしかにほろ苦くて、甘くて、幸せな味だった。

 

 ライアーは聖都に戻ったらちゃんとしたのを食べようって約束してくれた。

 今から帰るのが楽しみになっちゃった。

 

 

 

○月▽日

 

 初めて船に乗った!

 

 最初は怖かったけれど、船の揺れはずっと心地良かった。

 ライアーと一緒に船釣りをしていたけれど、お日様が温かいから途中から眠っちゃった。

 

 悲鳴が聞こえたから何事かと思って跳び起きた時、目の前にラッコさんが居た時は心臓が止まるかと思った。

 

 でも、お魚を分けたら手を振ってバイバイしてくれた。

 見た目はカワイイのになぁ……。

 

 その後、船に乗ってきたウミガメさんと遊んだ。

 

 ライアーはウミガメをスープにして飲むと死ぬと言っていた。

 

 だからどうしろと?

 

 

 

○月◇日

 

 今日はお世話になっているお屋敷の手伝いをした。

 

 始めは使用人さんのセルウィさんが『お嬢様にそんなことをやらせる訳には!』と言っていたけれど、マーターさんの一声で色々とやらせてもらえた。

 掃除、洗濯、炊事……孤児院でもよくしていた仕事だから、マーターさんには手際がいいと褒められた。

 

 『親孝行してもらってるみたいだよ』と告げるマーターさんは、本当に嬉しそうな顔をしていた。

 

 きっとお姉ちゃんもこんな風に褒めてもらっていたんだろうな。

 そう思うと……ちょっと羨ましい。

 

 マーターさんとパーターさんは、お姉ちゃんを実の娘のように想っていたに違いない。

 だから二人は私のことも家族同然に扱っているんだろうけれど、やっぱり私にはそれが申し訳なく感じてしまう。

 

 私を娘のように想ってくれるのであれば、私も二人を親のように想わなければいけない……そんな気がするから。

 

 

 ***

 

 

「ふぅ」

 

 日記を書き終えたアータンは一息吐くように伸びをした。

 それからインクが渇く間、前日までの日記を軽く読み直す。

 

(この村に来てから色々あったなぁ~)

 

 孤児院時代では想像もしなかったような日々の連続。

 驚愕と感動の連続。もしも、あの日に姉を探す決断をしなければ得られなかったであろう思い出が、すでにいくつもできていた。

 

 そんな日々に満足げに笑みを零すアータン。

 しかし、すべてが順風満帆とは言い難かった。

 

(パーターさんとマーターさんはああだけどなぁ……)

 

 それは姉の養親の存在。

 彼らは自分のことを実の子供同然に扱ってはくれているものの、それでもやはり気が引ける部分がある。

 姉には養親と過ごした日々がある。

 だが、自分にはそれがない。

 だというのに姉が受けていた愛情をそのまま自分に注がれているような感覚が、どうしようもなく申し訳なく感じられてしまう。

 

 もっと軽い考えでいられたならば、二人を親と認めて親しくなれたのかもしれないが───。

 

(……私には、まだ難しいや)

 

 それでも血の繋がった肉親のことを忘れられない。

 命を賭し、悪魔から自分を救ってくれた両親のことを。

 

 彼らを思い出す度に、本当に姉の養親のことを認めていいものかという疑問が湧き上がってくる。

 

「……はぁ~、こんなこと考えるのはやめよっ」

 

 暗い気分になってきたのを自覚し、アータンはそっと日記を閉じる。

 それからポーイッとベッドに自分の体を投げて、今度は瞼を閉じる。

 

 こういう時は楽しいことを考え、床に就くに限る。

 

 しかし、こういう時に限って頭は冴えてしまい、中々寝付けなくなる。

 どうしたものかと悩むアータンであったが、不意に扉が開く音が聞こえて目を覚ますと、

 

「……リコリス?」

「ニャ~」

 

 アイベルが名前を付けたカカオガトー、リコリスが居た。

 村全体が彼の家だと言わんばかりに土足で上がり込むリコリスは、ピョンと軽やかな身のこなしでアータンが横になるベッドに上がり込んでくる。

 するとリコリスは、アータンの体の上に乗っかってくるや否や、フミフミと彼女の胸元を前脚でこね始めたではないか。

 

 そのくすぐったい感触に、アータンも思わず頬がゆるむ。

 

「もぉ~。急にどうしたの?」

「……ニャ~」

「え、なんで急にやめたの? なにその『あれ? 思ってたのと違う』みたいな顔は!? 何が違かったのか言ってごらん!」

「ニャ~」

「そうだよね! ニャ~しか言えないよね!?」

 

 姉の方の胸部装甲と比べて防御が薄かったなどリコリスが言えるはずもなく、求めていた感触が得られなかったリコリスは颯爽と去っていく。

 そんなニャンコに釈然としないながら、布団に染みついたカカオの香りに包まれたアータンは、その芳しい香りに途端に眠気が膨れ上がっていく。

 

(……そうだ。屋敷の厩舎にお馬さんが居たから、明日乗せてもらえないか頼んでみようっと)

 

 微睡の中、アータンは思う。

 

 今の生活に不安はない。

 ただ、この申し訳なさを失くすことにはどうすればいいかは今後も考えていくつもりだ───そのことを頭の片隅に置きつつ、アータンは明日に思いを馳せて眠るのであった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「わぁ、すごい! たかい!」

「はっはっは、そんなにはしゃいだら危ないぞぉ」

 

 屋敷の裏の厩舎。

 そこでは商品を乗せた荷馬車を引く為に飼っている馬が繋がれており、仕事終わりのアータンがそれに乗っている最中であった。

 

 初めての乗馬体験に瞳を輝かせるアータン。

 対して、パーターは無邪気にはしゃぐ少女の姿を満面の笑みで眺めていた。それは紛れもなく愛娘を見つめる父親のそれ。

 

 ただ、若干相手を幼く見過ぎている気がしないでもないが、幸いにもアータン本人がそれに気づくことはなかった。

 

「パーターさん、このお馬さんは走ったりするんですか!?」

「そりゃあ馬だからねぇ。でも、普段は荷馬車を引いているからそこまで早くは走れないかなぁ」

「へぇ~」

「……ここじゃ走らせるのは難しいけれど、少し歩いてみるかい?」

「いいんですかっ!?」

 

 ぱああっ! と空で輝く太陽のような笑み。

 これを前に断れる父親は居ないであろう。パーターは二つ返事で承諾し、アータンを乗せた馬は敷地内を闊歩することとなった。

 

「ほわあぁ……!」

 

 アータンの語彙は先程から行方不明だ。

 物語に出てくるような白馬でも、伝説に出てくる一角獣(ユニコーン)天馬(ペガサス)でもない。どこにでも居るような平々凡々なただの馬だ。

 

 しかし、生まれて初めての乗馬体験は、活字の中にのみ生きている存在よりも貴い輝きを放ちながら彼女の心に刻み込まれていた。

 

「お馬さんの背中ってこんなに温かいんだ……」

 

 ずっしりと自分を支えてくれる馬の背中を撫でる。

 すると、ブルルッと気持ちよさそうに馬が鼻を鳴らした。アータンがこの馬を受け入れているように、馬側もまた先刻まで赤の他人だった少女を背に乗せるくらい受け入れていた。

 

 それからアータンはしばらく乗馬の時間を満喫した。

 パッカパッカと蹄が打ち鳴らされる小気味いい音に耳を傾けながら、馬車とも違った心地の良い揺れに身を任せる。

 普段よりも視線が高くなった景色と空気はどこか澄んでいて、どこまでも遠くを見渡し、そこへ飛んで行ってしまえそうな万能感に満たされる。

 

「……お姉ちゃんもこの子に乗ってたのかなぁ」

「ああ、乗っていたとも」

「本当ですか?」

「乗りこなし過ぎてたとも言えるけどね……」

 

 苦笑いするパーターに、アータンは何となく情景を想像できた。

 記憶のままのアイベルであれば、嬉々として馬を爆走させていてもおかしくはない。

 

 『活発が過ぎて手に余る』と死んだ両親が漏らしていたことを思い出した。

 

「……お姉ちゃんはこの家で幸せに暮らしていたんですね」

「そうだと嬉しいなぁ。私達は目一杯の愛情を注いでいたつもりだが……」

 

 そこから先の言葉は聞こえなかった。

 パーターの表情はどこか苦々し気だった。後悔が滲んでいたとも言える。

 

「……何かあったんですか?」

「あの子───アイベルとは喧嘩別れしてしまってね」

「お姉ちゃんと?」

 

───どうして?

 

 こんなにも優しくて娘を愛してくれる親であるのに。

 姉に不審感を抱きながら、アータンは胸で渦巻くモヤモヤと嫌な気持ちを一先ず呑み込んだ。まずは言葉を聞いてからだ。

 

 アータンが目で促すと、パーターは言いにくそうに紡いだ。

 

「あの子が聖堂騎士団に入ると言って聞かなくてね」

「あー……」

「私は危険だからと反対したんだ。それで言い合いになって、結局あの子は飛び出していってしまった」

 

 両手で顔を覆ったパーターからため息が漏れる。

 きっとその時のやり取りを彼は未だに後悔しているのだろう。自分が言葉を尽くして説得できなかったばかりに、愛娘は危険な魔物や悪魔と戦う道を選んでしまった。

 

 聖堂騎士団に入り民草を守る。それ自体は立派で名誉のある行いだ。

 だからと言って、死と隣り合わせである戦場に送り出すことは別の話。普通の親の感性からしてみれば反対するのが当然だろう。ましてや溺愛する愛娘であればなおさらだ。

 

 パーターは重々しい声色で続ける。

 

「……時折、夢に見るんだ。物言わぬ骸になったあの子が家に送り届けられる夢を」

「パーターさん……」

「心配性だと思うかい? でもね、私はそれくらいあの子を愛しているんだよ」

 

 断言するその瞳はブレていない。

 そのように確固たる愛情を持つ父親の姿を前に、アータンは居た堪れない気持ちになった。

 

「……お姉ちゃんが帰ってきたことは?」

「一度も」

「……手紙とかも?」

「便りの無いのは良い便りとは言うがね。それにしたって筆不精だよ、あの子は。はっはっは」

 

 ここまでくるとアータンは姉に呆れて物も言えなくなっていた。

 

「お姉ちゃん、ひどい! パーターさんがこんなに心配してるのに……」

「そう言ってもらえると少しは気が楽になるよ」

「見つけたらガツンと言ってあげますからね!」

「? ……もしかして、家を出ていくつもりなのかい?」

「はい。そのつもりで……」

 

 言い切るより早く、慌ただしく瞼を開閉させるパーターがアータンの手を取った。

 

「そんな! いくらでも家に居てくれてもいいんだよ!?」

「えぇ!? そ、そんな……いつまでもお邪魔するのも悪いですし……」

「家族が家に居て邪魔なんてことはないよ!」

「でも、私もお姉ちゃんを探しに行かなくちゃ……」

「アイベルだっていつかは家に帰ってくるはずさ! その時まで───」

 

 そこまで言いかけたところでパーターはハッとした顔を浮かべた。

 途端にアータンの手を放した彼は、あからさまに肩を落として項垂れる。

 

「私はこういうところがダメなんだ……きっとアイベルもこれにうんざりして……」

「いえいえいえいえ! そ、そんなことありませんから!」

「気を遣ってくれてすまないね……」

 

 申し訳なさそうにするパーター。

 なんと慰めればいいのか分からないアータンは悩む。が、使用人が『旦那様、お客様がお見えです』とやって来たことで、二人の会話は中断されてしまった。

 

「分かった、すぐ行くよ。アータンはどうする? もう少し馬に乗っているかい?」

「あ……はい! お言葉に甘えて」

「そうかい! それならもう少し乗っておいで」

 

 『何かあったら呼ぶんだよ』と残しつつ、パーターは来客の対応に去った。

 かくして馬と一緒に取り残されるアータン。折角だからと乗馬を続けてみた彼女であったが、特に何をするというわけでもない。

 

 ただただ馬の気分が赴くままに歩かせてみる、ただそれだけだ。

 屋敷の庭に生えている草を食べる姿に心癒されながら、柵の中をうろうろとうろついてみる。

 

(……あれ?)

 

 そうすること数分。

 馬は屋敷の裏庭へとやって来た。敷き詰められた芝生と花壇に植えられた花が鮮やかな、実に見事な裏庭だった。

 

 アータンはわぁ、と感嘆の声を漏らす。

 そんな彼女であったが、裏庭のとある一角に建つ石碑が目に付いた。簡素な作りであるが毎日手入れを欠かしていないのだろう。石碑は光を放つくらい磨き上げられていた。

 それでいて周囲を花壇に咲き誇る花々に囲まれている。

 遠目から眺めれば、花畑に腰降ろす白いワンピースの少女を彷彿とさせるかもしれない。

 

(お墓……?)

 

 馬の背の上から目を凝らす。

 石碑には『フィーリア』という名が刻まれていた。おそらく女性だろう。

 

 しかし、アータンは刻印された数字が目に付いた。

 

 享年7歳。

 

「……」

 

 幼くして亡くなったのだろう。

 途端に胸を締め付けられるような苦痛が身を襲った。

 

 子供が成人するより前に亡くなるのは珍しいことではない。

 むしろ魔物や魔王軍の被害が広がる今、そういった犠牲は人知れず増えているだろう。

 

 だが、どんな時代であろうと子を亡くした親の心痛は察するに余りある。

 

「ブルルッ……」

 

 不意に馬が鳴いた。

 すると次の瞬間、馬はその場にしゃがみこんだではないか。

 

「……ありがとう」

 

 一人では上手に降りられない自分を慮ってくれたのだろう。

 そう感じたアータンは馬の体を撫でながら礼を告げ、早速墓石の前に跪いた。

 

「……」

 

 両手を組み、故人の冥福を祈る。

 

 相手の顔は知らない。

 声も知るはずがない。

 

 それでも祈らずにはいられなかった。

 

「───ごめんなさい」

「何に謝っているんだい?」

「!」

 

 後ろから聞こえた声に振り返れば、そこにはマーターが佇んでいた。

 木桶に雑巾を携えた彼女は、わたわたと慌てふためくアータンの隣に並び、同様に祈りを捧げ始めた。

 

「……フィーリアは私達の娘さ」

 

 長い祈りを終え、マーターは木桶の中に満ちていた水に雑巾を浸す。

 そのまま雑巾を引き上げたマーターが絞れば、汲んできたばかりで澄んでいる水がダバダバと木桶の中へと滴り落ちていく。

 

「もう、天国に行ってしまったけれど」

 

 水は、もう滴らなかった。

 

 それを見計らったマーターは、慣れた手つきで墓石を拭き始める。

 まるで撫でるような所作だった。

 愛おしくて堪らない。そんな母親の愛情が垣間見えるようだった。

 

 既に十分なくらい磨き上げられた墓石であるが、やはりここは海の近く。再度水に浸した雑巾を絞れば、木桶の中がほんの少し濁った。

 

「元々体が弱い子でねぇ。外に出られることなんて滅多になかった。でも、時折調子が良くて外に出たら花ばかり眺めて……」

「それで、この……?」

「ふふっ。あの子が喜ぶと思ってねぇ」

 

 マーターはにっこりと微笑みかけてきた。

 慈愛に満ちた母親の顔だった。

 見る者を安堵させる笑顔。同時に、何か隠し事を見透かされてしまいそうで冷や冷やしてしまいそうでもあった。

 

「それで、何に謝っていたんだい?」

 

 やはりというべきか、マーターは再び問いかけてきた。

 顔を逸らすアータン。しかし、ここで無言を貫いてしまっては辛い過去を話してくれたマーターに失礼であろうと、決心を固めて口を開いた。

 

「お姉ちゃんと私が……この子が貰うはずだった分の愛情を貰っている気がして……」

「……は?」

「それがなんだか申し訳なくて……それで……」

「───あっはっはっは! なんだ、そんなことかい!」

「えっ?」

 

 神妙な面持ちで語っていたはずなのに大笑いされた。

 

「な、何かおかしなこと言いました……?」

「おかしなことって、あんたっ……それって要は『私達が娘を亡くした分、別の子に愛情を注いでるんじゃ?』ってことだろ?」

「そ、そういうわけじゃあ……」

「いいよいいよ、変に気を遣わなくたって!」

「は、はぁ……?」

 

 想像から大きく離れた反応に困惑するアータン。

 対するマーターは、目尻に浮かんだ涙を拭い、今一度墓前に膝を突いた。

 

「───フィーリアが旅立ったすぐ後のことさ。アイベルと出会ったのは」

「え……?」

「ひどい雨の日でねぇ。聖都から帰ってくる道中、旦那が倒れているあの子を見つけてきたんだ」

 

 マーターは懐かしむように語り始める。

 

「あの頃は、まだ娘を亡くした心の傷も癒えないような時だった。そんな時、娘と同じくらいで今にも死にそうな子を拾えば……そりゃあ、多少はそういう感覚にもなってしまったのは否定できないさね」

「……はい」

「でもね、勘違いしちゃあいけないよ。私達はあの子を───アイベルを、フィーリアの代わりだと思って育ててきたわけじゃあない」

 

 途端にマーターの顔がキリッと勇ましくなる。

 

 その顔にアータンは見覚えがあった。

 

 姉と一緒にいけないことをした時、自分達を叱る母と同じ顔。

 間違いを正し、子供を諭す時のそれだと気付いた。

 

「たしかにあの子のおかげでフィーリアを亡くした心の傷は癒えたさ。でもね、だからと言ってアイベルがフィーリアに置き換わったわけじゃあないんだ」

 

 アイベルはアイベル。

 フィーリアはフィーリア。

 

 これまで二人の娘を育ててきた母親のマーター。

 だが、それぞれに注いでいきた愛情がまったくの別物であるということは、他でもない本人が一番理解していた。

 

「いいかい、アータン。自分の子供の代わりなんて誰にも務まるはずがないんだ。『代わりがいる』なんてほざく親が居たら、それこそそいつは親失格さ」

「……はい」

「だからね、私達がアイベルを愛しているのは他でもないあの子だからさ。こればかりは神に誓ってもいい」

 

 力強く言い切る。

 次の瞬間、マーターは再び柔和な母親の顔を取り戻す。そのまま彼女は俯いていたアータンの頭を優しく撫で始めた。

 

「アータン。私達が貴方を家族に迎え入れたいのは、他でもない貴方だからなのよ」

「私……だから……?」

「ずっとずっと、アイベルから聞いていたんだ。『私には妹がいる』『シチューが好き』『気弱だけど優しい』『私が居ないと夜中トイレにもいけない』……その他にもたくさんのことを教えてもらったよ」

 

 にっこりと微笑むマーターに対し、アータンは赤面した。

 どうやら姉は余計なことまで養親に吹聴していたようだ。いいや、実際幼い頃夜中に一人でトイレに行けなかったことは本当であるが、それにしたって他人に覚えられている事実は恥でしかない。

 

 今度は自分が姉の恥ずかしいことを教えてやろうか───そんなことを考えていると、マーターが続きの言葉を紡いだ。

 

「アイベルの話を聞いてね、もし貴方みたいな子が家に居てくれたらって……本当にそう思ったんだ。貴方にしてみれば迷惑かもしれないけれどね」

「そ、そんなことは……」

「いいさいいさ。知らない他人が親面してたら、誰だってそうだろうに」

 

 でもね、と優しい声音が耳朶を打つ。

 

「うちを帰る場所の一つくらいに思ってほしいんだ」

「マーターさん……」

「いつだって歓迎するよ。なんたって、家族の家族なんだからね」

 

 そう言うとマーターは『これも厚かましいったらありゃしないか!』と腹を抱えて笑った。

 そんな彼女の溌剌とした姿に、自然とアータンの顔にも笑みが浮かんだ。

 

「……ありがとう、ございます」

 

 未だに自分はパーターとマーターを実の両親のようには想えない。

 だとしても、これほどまでに彼らが自分を想っているのであれば───。

 

(いつかは私も……この人達を家族みたいに想えるのかな?)

 

 『そうだといいな』と思いつつ墓石の方を見た。

 墓石に映り込む姉と瓜二つの顔は、前よりもちょっとだけ自然に笑えていた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 

 

「み つ け た」

 

 

 

 

 

 




Tips:ブラッドマリン(血鮫)
 海に生息するサメ型の魔物。血に濡れたような色合いの背びれが特徴。
 魔物であるが、その生態はほとんど普通のサメと同じ。血の臭いに非常に敏感であり、獲物と見なせば人間であろうが自身よりも巨大な魔物であろうと積極に襲い掛かる。鋭い歯は非常に鋭利であり、そのまま柄を付けるだけでもナイフになり得るほど。
 触れるだけで相手を傷つける鮫肌を加工すれば、接触した相手に痛手を負わせる防具にもなり得る。

 上位種として『血獄鮫(ヘルマリン)』が存在する。

 シリーズ初出は『ギルティ・シン 色欲のエデン』より。

───ブラッドマリンが不憫過ぎる。

 この正気を失った瞳をしたサメはブラッドマリンと呼び、主に遠洋を回遊するサメ型の魔物となります。
 ブラッドマリンは通常のサメとは違い、このように全身が赤みがかった色をしておりますが、これはプランクトンが大発生し赤く染まった海域『レッド・オーシャン』に適応した為と言われております。別に獲物の血の海に同化しようなどというイカれた生態からではありません。
 しかし、このサメは例にもれず凶暴な性格をしており、見る者全てを餌と認識して襲い掛かります。その凶暴性は皆さんご存じ、首領鯱(ドン・オルカ)に匹敵し、頻繁に彼らと縄張り争いをするほどです。

 このように見た目も性格も恐ろしいブラッドマリンでありますが、皆さまが薄々感じている欠点がこのサメにはあります。

 それは魔物としてはパンチが弱いことです。

 ここまで語った生態のほとんどが普通のサメとなんら変わりなく、違いがあるとすれば若干咬合力が上がったぐらいです。
 そして、前述したドン・オルカとの縄張り争いですが、こちらも所詮軟骨魚類如きが海のギャングとして畏れられているシャチに勝てるはずもなく、ブラッドマリンは統率されたドン・オルカの群れに為す術もなくボコられます。
 挙句の果てには人間とかいうバチクソイカれた雑食動物に狙われ、その血塗られたヒレを美味しいフカヒレに加工され、王都や聖都などのレストランに変わり果てた姿で送り届けられるのです。

 それが獲物を食うつもりが食われる側になっていた魔物、ブラッドマリンです。
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