嘘吐きは勇者の始まり   作:柴猫侍

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第六十七話:窮地は堕天の始まり

 

 

 

「──〈大火魔槍(マグナ・イグニハスター)〉!!」

「ぐぅおおお!!?」

 

 特大の炎が渦を巻き、ハエルの胸を貫いた。

 一縷の希望さえ残さぬ絶死の魔槍。心臓のみならず周辺の骨肉をも焼かれたハエルは、立ち上がる余力すら残らず地に伏せた。

 

「死者の体を冒涜する悪魔が。これが罰だ」

「ヒョッヒョ……さすがは騎士団長。私などでは手も足も出ませんねぇ……」

「このままネビロスの首も取らせてもらう。一足先に地獄に堕ちるんだな」

「それは……どうでしょうねぇ……」

 

 苦し紛れの強がりと見たエレミアは鼻を鳴らし、その場を後にしようとする。

 だがしかし、突如として地面を揺るがす激震にたたらを踏んでしまった。

 

「な、なんだこの揺れは!?」

「おぉ……ついにあれを動かされたのですね、ネビロス様ぁ……!」

「貴様! 何か知っているのか!?」

「ヒョ……ヒョ……私が教えずとも、すぐに……」

 

 そう言って塵と化すハエル。

 ほんの少しでもタイミングが違っていれば、口を割らす為に生かしていたというのに──そのような後悔が脳裏を過るが、

 

「……な、ぁ……!?」

 

 エレミアは声を失った。

 向かうべき先、ネビロスの居城と化している大聖堂の方を向いていた彼女は、信じられぬ光景を目にしたのだった。

 

 大聖堂よりも巨大な化け物が地を裂いて現れたのだ。

 

 あれだけ大きな魔物など見たことがない。海の魔物で最大級の超越鱏(ウルトラマンタ)でさえ霞んで見えるほどだ。

 

 一歩踏み出す度に大地は揺れ、空は啼く。

 魔王軍に支配されて以降も辛うじて残されていたかつての街並みは、巨人が起こす揺れによって怯えるように震え、そして崩れていった。

 

「あんなものがこの世に存在していいのか……?」

「──巨神兵(ネフィリム)か」

「その声は……っきゃああああ!!?」

「理不尽なケツビンタがぼくを襲う!」

 

 音もなく現れた〈獅子の心臓(コル・レオニス)〉団長・ヴィネ。

 しかし、この戦場で音がなさすぎるというのも考え物だ。突然隣に並び立たれたエレミアは許容量以上の驚愕を受けた結果、青年のケツを全力で平手打ちしてしまった。

 若輩と言えど騎士団長。

 その破壊力は推し量るに余りある。

 

「ぐ、ぐぅ……ヴァラファールちゃんのビンタよりも強烈ぅ……!」

「す、すまないヴィネ団長! 不審者かと思って!」

「たしかに世の女性にとってぼくという恋を盗んでいく泥棒は不審者と言えるかもしれないね」

「それよりもヴィネ団長、そのネフィリムとはなんなのだ?」

「はい」

 

 決め顔を華麗にスルーされたところで、二人は眼前に聳える巨人を見上げた。

 

「ネフィリム──まだミレニアム王国が建国されるより昔の話だ。インヴィー教国を滅ぼそうとした堕天使が放った最終兵器、それこそがネフィリムだとされている」

「最終兵器だと……!?」

 

 穏やかではない単語の羅列に、エレミアの頬には一筋の汗が伝う。

 これまでの戦闘で体が火照っているというのに、流れる汗はゾッとするほどに冷たかった。

 

「なぜそのようなものがドゥウスに!?」

「さあね。ネフィリムは全て〈嫉妬の魔王〉……いや、〈嫉妬の勇者〉か。彼が全て破壊したとされているけれど」

 

 思案を巡らせるヴィネの視線は大聖堂を向く。

 

「ネビロスは死霊術の使い手なんだろう? 体さえ用意できれば……ということかもしれない」

「馬鹿な! いかに降霊できようともあれだけの巨体、どうやって……!?」

「どうもこうもないさ。現実にああやって用意された以上、ぼく達が対処しなくてはならないことは確かさ」

 

 ネフィリムの起こす激震の中でさえ平然と直立するヴィネが片手を上げる。

 刹那、彼の背後に二つの人影。

 

「なんでしょう、団長」

「あなたさまのご命令とあらば、如何様にも」

 

 騎士隊隊長サブナックと聖歌隊隊長オリアス。

 恭しく首を垂れる彼女に告げるヴィネの命令はこうだ。

 

「人払いを。そして、このシンデレラが舞踏会に間に合うようエスコートしてあげてくれ」

「「は!」」

「……は?」

 

 婉曲的な物言いにエレミアの目が点となる。

 だが、そんな彼女を先導するように命令された二人が彼女を手招くではないか。

 

「エレミア団長殿、こちらへ」

「いや、しかし……」

「うちの大将の命令ですので。お気になさらず」

「いや……いやいやいや、待ってくれ!?」

 

 そういうわけじゃない! とエレミアは決め顔を湛えるヴィネへと詰め寄る。

 

「どういう意味なんだ!? さっぱり分からないのだが!?」

「? そのままの意味さ。きみはネビロスの下へと向かってくれ」

「シンデレラって私か!?」

「そうだが?」

「……きゅん」

 

 ちょっといい気になって頬を染めてしまった。

 しかし、問題はそこではない。

 

「人払いとはなんだ!? ここは全員の力を結集させ、あの化け物を打ち取るべきではないのか!?」

「それには及ばないさ」

「な……!?」

 

 たじろぐエレミア。

 何故なら一瞬気圧されたからだ。騎士団長ともあろう女が、目の前の男一人に。

 

「あの大きい玩具はぼく一人で十分」

 

 男は自身の“眼”を指し示し、こう言った。

 

「ぼくの“眼”がそう言っている」

 

 七大教国最強〈獅子の心臓(コル・レオニス)〉。

 その騎士団長を務めるヴィネこそ、七人しか居ない聖堂騎士団長の中で最強である事実は疑いようもなかった。

 

 何より彼が持つ魔眼『千里眼』は、過去や未来を見通す。

 彼が『十分』と告げた以上、それは紛れもない真実に等しいのだろう。

 

 そこまで考えが至った時、エレミアは肩を落としながら頷いた。

 

「そう、か……わかった。ネフィリムは貴方に任せよう」

「礼には及ばないよ。だが、あれだけの巨体だ。戦闘の余波に巻き込まれぬよう他の団員をまとめあげてくれ」

「あいわかった!」

 

 まとめ上げた後は、少し遠回りになるが迂回して大聖堂を目指せばいい。

 今後の指針を決めたエレミアの動きは迅速だった。同伴していた各部隊長に命令を飛ばす。

 

「それではヴィネ団長、武運を!」

「ああ」

 

 颯爽と去り行く女騎士──の尻を重点的に眺めたヴィネは、実に満足げな笑みを浮かべていた。

 

「やはり鍛え上げられた女性の引き締まったヒップは目の保養に良い……きみもそうは思わないかい?」

『オォオオォォォォ……』

「……そうかい。きみとぼくとでは趣味が合いそうにないな」

 

 と、唸り声を上げて進撃を続けるネフィリムを見上げるヴィネ。

 今はただドゥウスの街並みを踏み荒らしているだけではあるが、あれを聖都の外に解き放てば、ディア教国のみならず周辺国家までもが踏み荒らされる事態は必至。

 

 ディア教国の北側に位置するスペルビ教国も、それは例外ではない。

 

「強者は弱者の為に戦うもの」

 

 言い聞かせるように呟き、鎧の胸に刻まれた団章に手を当てる。

 

「ならばぼくの心臓は弱者の為に捧げよう」

 

 若獅子は吼える。

 

 

 

「──告解しよう」

 

 

 

 その時、光が空を貫いた。

 その光芒を目撃した者は後に語る。

 

 

 

──光とはああも禍々しく輝くものか、と。

 

 

 

 ***

 

 

 

「レイ……アニー……!」

 

 ベルゴの前では、まさに今、異形が生まれ堕ちようとしていた。

 〈罪〉を解放し、罪化する二人の男女。

 青春を共に過ごしたはずの幼馴染は、未だかつて見たことのない変貌を繰り広げていた。

 

「がああああ……!!」

「ぐっ、ぎっ、うぅ……!!」

 

 両目からは血涙を流し、口からブクブクと血の泡が溢れ出す。

 継ぎ接ぎにされた体の部位からも流れる血の量は尋常ではなく、あっという間に二人を中心に血溜まりがその場に出来上がった。

 

「やめろぉーーー!!」

 

 見るに堪えず慟哭するベルゴ。

 だが、既に機は逸していた。

 

「がああああ!!」

「うああああ!!」

 

 喉が裂けんばかりに雄叫びを上げる二人。

 全身から溢れ出る魔力にあてられた魔の因子は急激に活性化し、彼らの肉体を人外のそれへと作り替えていく。

 

 レイエルは白銀の竜へ。

 アニエルは黄金の鳥へ。

 

「っ……〈堕天〉か!!」

 

 光輪を浮かべぬ異形。

 竜人と鳥人の悪魔と化した両者は、光のない瞳で周囲を一望する。

 

 次の瞬間、彼らの姿はネビロスを狙っていた二人の副団長の前にあった。

 

「なっ──!?」

「早い!」

 

 咄嗟に反応するザンとハアイヤ。

 ザンは〈氷魔法(ラキエ)〉を宿した拳で。

 ハアイヤは〈火魔剣(イグニディウス)〉を薙いで反撃を仕掛けた。

 

 直撃。

 二体の悪魔は避けもせず、副団長の攻撃をその身で受け止めた。

 

 しかし、眼前の光景に二人は瞠目する。

 

「再生……!!?」

 

 ザンの凍れる拳は、たしかにアニエルの胴を捉えた。

 肉体を凍結し、そのまま拳撃の衝撃で破砕する彼女独自の武術。生身で受け止めれば肉体が欠損する恐ろしい一撃──にも拘わらず、砕けた傍からアニエルの肉体は再生を始めた。

 

(これは〈回復魔法(ティオ)〉じゃない!)

 

 ただの〈回復魔法〉であれば凍結で遅延できる。

 けれどもアニエルは違った。凍り付き、砕けた部位から謎の発火現象が起こる。熱を伴う本物の炎により凍結は解け、瞬く間に欠損部位を元通りに修復する。

 

(これではまるで──!?)

 

「──〈極大火魔法(イグニエル)〉」

 

「ぐぅ!!?」

「ザンちゃん!!」

 

 ゼロ距離で放たれる〈極大火魔法〉に、ザンは全身を炎に包まれる。

 悲鳴のように甲高い声でセパルが呼びかけるも、爆炎によって吹き飛ばされたザンは返事を返さない。

 

「ば、馬鹿な……!!?」

 

 一方でハアイヤも窮地に陥っていた。

 

「〈火魔剣〉が……通らない……!!?」

 

 (ディウス)系の魔法の中でも、純粋な火力で敵を焼き切る〈火魔剣〉。

 それを至近距離で浴びせたというのに、竜人と化したレイエルの肉体を前には、鱗一つ焼き切れず受け止められた。

 

「──」

「があっ!!?」

 

 呆然としていたのはほんの一瞬。

 あるとすれば刹那の隙だった。

 それをこともなげに突いたレイエルは、右手に持っていた剣で一閃。ハアイヤが纏っていた堅牢な鎧を容易く切り裂きながら、彼の骨肉すらも絶ってみせた。

 

 溢れる流血は足元に真っ赤な泥濘を生み出す。

 立つ力さえ奪われたハアイヤは、直後に膝を折って崩れ落ちた。

 

 二撃目が振り翳される。

 回避する余力さえ残されていないハアイヤは、ただ斬首の時を待つばかりであった。

 

 しかし、

 

「おおおおおらぁ!!!」

 

 寸前、救世主が現れた。

 レイエルの白銀の翼とは正反対の漆黒の翼。舞い散る黒い羽根は聖騎士の視界をほんの少しにでも覆っていく。

 

 それを厭わず振り落とされた斬撃は、割って入ったライアーによって受け止められた。

 

 〈罪〉は解放済み。罪度Ⅲ。完全解放だ。

 

「ぐ、んぎぎぎぎぎ、んぎぃーーーーー!!?」

 

 うんとこしょ、どっこいしょ。

 

 それでも剣は押し返せません。

 

「俺、追加ッ!!!」

「おお!」

 

 堪らずライアーは〈もう一人の自分(アルター・エゴ)〉で人数を増やす。

 

 うんとこしょ、どっこいしょ。

 

 それでも剣は押し返せません。

 

「ん゛も゛う゛一゛声゛ッ゛!」

 

 さらに分身に追加。

 合計三人。そこまでしてようやく竜人の剣をわずかに押し返した。

 

「俺、撤収!」

「「おお!」」

 

 その間、三人になった内の二人が斃れたハアイヤとザンを回収する。

 どちらも重傷。命に関わると見たライアーは迷わずリーンの元に向かい、二人を託した。

 

「治療頼む!」

「大丈夫か?」

「何とかする。それよりお前は実験棟に囚われてる人達の救助と……」

 

 分身のライアーが明後日の方向を見据える。

 彼の視線を辿れば、そこには天地を揺るがしながら歩むネフィリムの後ろ姿があった。

 

「……チッ。面倒な役回りばかり押し付けやがって」

「お前にしか任せられないからな」

 

 あまりにもさらりと言うものだから、リーンは一瞬面食らった後、

 

「死ぬなよ」

「死ぬかよ」

 

 短く言葉を交わし、負傷者を連れてその場から去った。

 

「わ、私は何すればいい……!?」

「〈海の乙女(シーレーン)〉とシャックスと一緒に実験棟の中に居る人達を避難させてくれ。少しでも安全な場所に逃がしたい」

「う、うん!」

 

 取り残されたアータンに協力を要請し、救出要員の〈海の乙女〉とシャックスは、少女と共に実験棟へ駆けていく。

 

「──」

「させませんよ」

 

 立ち去ろうとする背中を狙おうと掌を翳すアニエル。

 そこへ立ち塞がるのは凄絶な戦士の面持ちを湛えたセパルであった。

 

「わたくしの副官を傷つけたのは、たとえ雷名を轟かせた〈悲泣の歌姫〉と言えども許しがたい所業」

 

──お覚悟を。

 

 セパルは前髪を掻き揚げ、抉られた右目の虚空を覆う眼帯を露わにした。

 

「告解する」

 

 加減などいらない。

 する必要などない。

 

「わたくしの〈(シン)〉は〈悋気(りんき)〉」

 

 最強の一柱に名を連ねる人魚姫は、謳うように己の罪を告白した。

 青海波の罪紋が奔る。

 全身に広がる魚鱗の魔力回路は、青と緑の入り混じった花緑青の光を迸らせ、セパルの肉体をみるみるうちに人外のそれへと作り替える。

 

 太古の魔人より受け継がれし血脈。

 それらは罪化に伴う莫大な魔力にあてられ、彼女の(シン)なる姿を顕現させるに至った。

 

「わたくしは──〈悋気(りんき)のセパル〉!!」

 

 彼女を包み込んでいた魔力の貝殻が弾け飛んだ。

 

 ああ、彼女こそが真珠か。

 生ける者の輝きだろうか。

 

 豊満な女体を魚鱗の如き鎧で包んだ騎士が、そこには君臨していた。

 背中に生えた一対の背びれは翼のよう。

 それでいて腰回りを覆うヒレは腰布と言うべきか。

 さらには肥大化した足に至っては指と指の間に膜が張った──いわゆる水かきに似た形状へと変貌していた。

 

 彼女が掌を広げれば、周囲を揺蕩う魔力が結集し、一本の槍が形成される。

 

「あなたの鎮魂歌はわたくしが歌いましょうとも」

 

 刹那、足元に水流を生み出したセパルがアニエルに急接近する。

 生み出した水槍を横薙ぎに一閃。これを両腕で防ぐアニエルだが、螺旋を描く穂先に触れた途端、腕はあらぬ方向へと拉げる。

 

 そのまま無防備な懐へセパルの魔法が爆ぜた。

 

「あっちは大丈夫そうだな」

 

 そう呟いたのはレイエルを相手取るライアーだ。

 こちらもこちらで罪度Ⅲと化した聖騎士が相手。刃を交える度に剣を折られかねない衝撃を覚える彼は、涙目になりながら辛うじて剣戟を演じていた。

 

「なら、あんたも俺一人でなんとかしなくっちゃなぁ……!」

「──」

「ここまでの戦績憶えてるか?」

 

 彼らはすでに廃城と地下水路で刃を交えた仲。

 その戦績は──一勝一敗。

 

「そろそろ白黒つけたくはねえか?」

 

──なあ、聖騎士さんよぉ。

 

 ライアーがイリテュムを構える。

 一度はレイエルの首を刎ねた罪器。

 それを見た聖騎士──竜人と化した縦長の瞳孔が見開かれた。

 

「ッ……!!!」

 

 地面を穿つ轟音。

 ライアーを狙って振り下ろされた斬撃は、その威力の余り、亀裂が広がった地面を隆起させるに至った。

 

「っぶねえ……なぁ!!!」

 

 しかし、これをライアーは紙一重で回避。

 幻影がなければ頭の天辺から股間まで両断されていたであろう斬撃に冷や汗を流しつつ、彼は果敢にもレイエルの懐へと潜り込む。

 

 自殺行為に等しいその行動。

 それを攪乱用の幻影で押し通すライアーは、見事レイエルの二撃目をも惑わせ、がら空きの胴体にイリテュムを振り抜いた。

 

 そして、

 

「──だから竜人は面倒なんだよ……!」

 

 刃は、白銀の鱗に止められていた。

 

 次の瞬間、視界が炎に包まれた。

 罪無き者も罪深き者も焼き殺す白銀の業火。

 

 レイエルという名の竜の吐く炎が、惰弱な幻影の一切を焼き尽くす。

 

「ライアー様」

 

 離れていても肌が焼け付かんばかりの熱波が広場全体を襲う。

 それを全身に纏う水のベールで緩和するセパルであるが、彼女が心配するのはまさにあの火中に居るであろう想い人だ。

 

 今すぐにでも救援に向かいたい。

 だが、眼前の鳥人はそれを許さない。

 

 光の具合で極彩色にも輝く黄金の羽毛を携えた魔人は、セパルの苛烈な〈水魔槍〉を喰らっても怯まない。

 

 むしろ欠損に伴う発火現象により、〈水魔槍〉を蒸発させん勢いだ。

 

「流石は〈悲泣の歌姫〉……! 不死鳥への魔人化は伊達ではありませんね!」

 

 魔人化は体内に存在する魔の因子によって姿を変える。同時に、発現した魔人の姿によっては種族の特性を大いに発揮するのだ。

 

 アニエルの場合、彼女は不死鳥(フェニックス)の魔人と化す。

 それが意味する特性は、尋常ならざる不死性。

 

 四肢を削られようとものの数秒で再生する肉体は、数多もの魔人の中でも最強格と呼んで過言でない能力だ。

 

 これでは千日手──否、先に魔力が削られる分、セパルの方が不利になる可能性が高い。

 

「かくなる上は……!」

 

 セパルの判断は早かった。

 想い人の救出とアニエルの撃破。

 その両方を為すべく宙に飛翔した彼女は、掲げる穂先に魔力を集中させ始めた。

 

(しゅ)よ、()たしたまえ」

 

 やらなければならないことは二つ。

 一つ、レイエルの吐く業火を鎮めること。

 一つ、アニエルの不死性を突破すること。

 

 それを為しうる魔法はただ一つ。

 〈水魔法〉系の最上位に位置する超魔法。

 

 全てを激流で圧砕し、人の形を保てなくさせるだけの威力を誇る魔法であれば──。

 

 しかし、高まる魔力を感じ取ったアニエルが動き出す。

 おもむろに矢を射る体勢に移る。すると彼女の全身が発火に、左手に生み出された巨大な弓に、自身の燃え盛る羽毛を矢羽根とする矢を番えたではないか。

 

 

 

「──〈不死鳥の大火魔弓(フェネクス・イグニアルクス)〉」

 

 

 

 歌姫とは喉が裂けても言えぬ、聞くに堪えない声が響いた。

 刹那、猛火を伴った矢が宙を疾走する。

 

(ですが、この程度なら)

 

 セパルは迫って来る火矢の威力を見極め、詠唱を継続する。

 

『──主よ、来りたまえ』

 

 違和感。

 誰とも判らぬ何者かの声が聞こえてきた。

 

『我に栄えを、仰がせたまえ。火を 火を、火を待つ我らに』

(これは……)

『良きも悪しきも、ことごと献ぐ。火を 火を、火を待つ我らに』

(まさか!?)

 

 迫る火矢を注視する。

 よく視るとそれは小さな火の鳥の姿をしていた。

 だが小さな嘴で囀っていくにつれ、燃え盛る炎の体は目に見えて膨れ上がっていく。

 

(魔法そのものが詠唱を!?)

 

 術者本人ではなく魔法自体が詠唱を口にする。

 あり得ぬ光景を目の前にした魔法の天才は、その異常性に思わず息を呑んだ。

 

 なぜならそれは剣士の振るった剣が自らその刃を研ぐに等しい現象。

 

──そのリソースはどこから発生しているのだ?

 

 心当たりがあるとすれば、火矢の矢羽根──不死鳥の魔人と化した彼女の一部だろう。

 

(これが彼女の罪魔法だというのですか!?)

 

 自分の肉体を犠牲に発動する罪魔法。

 なるほど、確かにそれならば矢羽根より供給される魔力によって、火矢が膨れ上がってもおかしくはない。

 

(ですが!!)

 

 火の鳥と化した矢が眼前に迫った瞬間、彼女は首を傾けた。

 紙一重にして神業。

 頬に多少の火傷を負いつつも、セパルは飛来した凶弾を回避してみせた。

 

「いくら強大な魔法と言えど、喰らわなければ──!」

 

 

 

『御名の為に今、満ちさせたまえ。火を、火を、火を待つ我らに』

 

 

 

「ッ……!?」

 

 歌が、聞こえた。

 振り返るセパル。彼女の瞳には、一羽の火の鳥が映り込んでいた。

 

(そんな……!?)

 

 

 

『奇しき御業を、行いたまえ。贖いませる、賜物を今』

 

 

 

()()()()()()()()()()()()!!?)

 

 羽搏く炎の巨鳥が飛び込む先は、セパルが掲げていた水の塊の中。

 

 水は熱されると沸騰する。

 もっと言えば気体に変化する。

 

 その時、純然たる物理現象が牙を剥いた。

 

 水から水蒸気へと変化した場合、その体積は約1700倍にも膨れ上がる。

 

 少しずつ気化するのであればいい。

 ただし、それが一瞬ともなれば──。

 

「しまっ──」

 

 セパルの視界が弾けた。

 最大級の〈水魔法〉とそれに匹敵する火力の罪魔法。

 

 二つが混ざり合って引き起こされた水蒸気爆発は、無情にも最も間近に居たセパルを標的と定めた。

 

 爆風と衝撃。

 片方だけでも人を死に至らしめるに十分な暴力がセパルを襲った。

 

 空を優雅に泳いでいた人魚の天使。

 彼女はその背より間もなく翼を捥がれた。

 

 

 

 天使は、空から蹴落とされた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 

「──死の定義とはなんだぁ?」

「心臓が動いていない?」

「脳が動いていない?」

「肉体が腐っている?」

「魂の有無かぁ?」

「そもそも生の定義とはなんだぁ?」

「おまえは疑ったことがあるかぁ?」

 

「なぁ? ──〈怠惰(たいだ)のベルゴ〉」

 

 戦場に影が二つ。

 

 一つは見下ろす影が。

 一つは膝を突く影が。

 

(ここまで……)

 

 膝を突く男は食い縛る。

 彼──ベルゴは、目の前に立ちはだかる大きな壁に血まみれの姿を晒していた。

 

(ここまで強いとは……〈六魔柱(シックス)〉!!)

 

 侮っていたわけではない。

 油断していたわけでもない。

 

 それでも眼前の悪魔の強さは、これまでに相まみえた悪魔とは比べ物にならぬ力を持っていた。

 

(体が……動かぬ!!)

 

 度重なる戦闘によって全身は痛めつけられ、筋線維は今にも引きちぎれ、骨は砕け散りそうだ。

 

 だが、ベルゴが動けない理由はそこではなかった。

 

「これが……貴様の〈罪〉の力か……!?」

「あの鉄仮面に何か吹き込まれたかぁ?」

「この力でレイとアニーを操っているのだろう!!」

 

 先ほどから暴虐の限りを尽くす幼馴染を見て、彼は確信を得ていた。

 

「〈罪〉は生者にしか許されぬ力……!! 貴様が二人の肉体に細工することで罪化をもたらしている!! 違うか!?」

「ほぉ……馬鹿じゃあないらしぃ」

 

 ネビロスは実に愉しそうに嗤う。

 

「そうさぁ。死んだ生命に〈罪〉を宿らせるぅ……それがおれの研究テーマの一つでなぁ。だからあちこちから実験体を集めたぁ」

「あの死隊(レヴェニエンス)とやらもそうだな!? 罪のない人々を攫ったのも、殺して回ったのも!! そうやって何人の人間を犠牲にした!?」

「そうだなぁ……おれは几帳面だからなぁ。研究資料を見直せばきっちり数えられるだろうよぉ」

「貴様ぁ……!!」

 

 怒りの形相さえも面白がりながら、ネビロスは罪さ重ねてきた悍ましい実験の数々を思い出し、恍惚とした表情を湛える。

 

「大変だったんだぜぇ……? 神話の時代、〈原罪の魔王〉がもたらしたとされる罪深き〈罪〉の力ぁ。今まで誰も疑うことのなかったその力の全貌を暴こうと言うんだぁ」

 

──こんなにもそそる話はないだろぉ……?

 

 眼前に立つ大悪魔は嗤う。嗤う。嗤う。

 多くの命を踏み躙ったこと。

 悲鳴を、絶叫を、慟哭を。

 その全てを耳にしながらも、己が好奇と探求のままに弄り回した大罪人は、ただただ得られた結果に満足するような笑みを湛えるばかりであった。

 

「最も必要なのはぁ……“心臓”と“魂”……」

 

 陥没した胸の中央を押さえるネビロスの両目は、器用にレイエルとアニエルの二人それぞれへ向けられる。

 

「作り上げた“器”に生者の心臓を移植するぅ……それから降霊を行えば世にも珍しい〈罪〉を扱う屍人の完成だぁ……」

「生者の心臓を……!!? 貴様、それでは心臓の持ち主はどうなる!!?」

「死ぬに決まってるだろぉ?」

 

 馬鹿なのか? と。

 ネビロスは事もなげに小首を傾げた。それを見たベルゴは更なる怒りを形相に滲ませ、砕けんばかりに歯を食い縛った。

 

 しかし、それすらも今はネビロスを楽しませる肴に過ぎない。

 何故なら奴は悪魔だからだ。

 悪質で、悪辣で、悪逆で。

 だからこそ悪魔と呼ばれる者達。悪意に浸された魔人。

 彼らにとって、他者の不幸など自分を喜ばせる余興でしかないのだから。

 

「ただし、()()()()は特別だぁ。易々と死なぬよう、おれの〈罪〉を全身に刻み込んでいるぅ……」

「貴様の〈罪〉を!!?」

「見ただろぉ? 首を刎ね飛ばされた奴らをぉ」

 

 そして、それはネビロスも同じ話。

 

「おれの〈罪〉は死の定義さえ疑わせるぅ……」

 

 大悪魔が告げる。

 

「それがおれの〈罪〉……〈大疑〉の力だぁ」

「〈大疑〉……だとっ!!? 貴様は……貴様はなぜそこまでも命を冒涜するような所業をできる!!?」

「逆に訊くがどうしておまえたちはやらないぃ?」

 

 思わぬ返答だった。

 これにはベルゴの思考も中断し、空白の時間が生まれた。

 

 そこへ畳みかけるように大悪魔は続けた。

 

「倫理だ道徳だぁ……なぜおまえ達は、そんな不合理なものを守るぅ……?」

 

 語る内に苛立ってきたのか、ガリガリと頭を掻き毟るネビロスがウィスパーボイスを震わせる。

 

「おれから言わせればそれこそが“怠惰”だぁ」

「貴様ぁ……!!」

「だからこそおまえは死ぬぅ……おれがぁ……殺すぅ……」

 

 ゆらり、と。

 ネビロスの枯れ枝のような指が服の裾を捲り上げる。

 

 そこにあったのは無数の縫合痕。骨と皮だけの肉体のあちこちを繋ぐ縫合痕はまさに『異常』の一言に尽きた。

 

 だが、よく目を凝らしてみろ。

 その縫合糸はいずれもくすんだ金色の光を放っているではないか。

 

(まさか!?)

 

 そうベルゴが声を上げるよりも一瞬早く、ネビロスの震えた唇は紡いだ。

 

「告解、するぅ……」

 

 湧き上がる魔力。

 しかしそれだ澄んだ湧き水のような代物ではない。

 例えるのならヘドロの溜まった水底からガスが湧いてくるような、そんな粘着質な感触だった。

 

 間もなく死の予感が纏わりついてくる。

 ゾッと鳥肌が立つ感覚に、ベルゴは背後に立つ聖霊を身構えさせる。

 

(来るか……!!)

 

 

 

「おれの〈罪〉はぁ……〈大疑(たいぎ)〉ぃ……」

 

 

 

 第二波の“死”。

 それは先刻よりも遥かに強大で、濃密な死臭を放っていた。とめどなく溢れ出す禍々しい魔力は、あっという間にネビロスの青白い肌に漆黒の紋様を刻み込む。

 

「おれはぁ……〈大疑(たいぎ)のネビロス〉だぁ……!!」

 

 目の前に立つは死屍累々。

 たった一人のシルエットに積み重なる犠牲者の影を見たベルゴは、その悍ましい魔力の質感に恐れ戦いた。

 

 未だかつて出会ったことがない。

 これほどまでに堕ちた魔力の持ち主は。

 

「さぁ……死ぬ覚悟はできたかぁ……?」

「死ぬつもりは……ない!!」

「馬鹿の一つ覚えのように同じことをぉ……その〈怠惰〉こそがおまえの死ぬ理由だぁ」

 

 ネビロスが嘲った、その瞬間だ。

 

 

 

 

 

「──告解する」

 

 

 

 

 

「!?」

 

 視界の端で光と魔力が爆ぜた。

 最初は小さな、弱弱しい輝きだった。

 けれども、刻一刻と膨れ上がる魔力の高まりを受け、初めは静観を決め込んでいたネビロスも頬に汗を伝わせて、魔力の発生源へと目をやった。

 

「……なん、だとぉ……?」

 

 そこには人が、いや、人魚が居た。

 

 しかし、彼女はセパルではなかった。

 

「私の〈(シン)〉は〈嫉妬(しっと)〉」

 

 『人魚姫』と言われる御伽噺がある。

 王子との恋を叶えるべく人間と化したが、他の女性と結ばれた彼の幸福を願い、人魚に戻ることなく泡と消えた悲恋の物語。

 

 

 

「私は──」

 

 

 

 少女は立ち上がる。

 

 たとえ痛みに苛まれようとも。

 たとえ二度と戻れぬとしても。

 

 

 

「〈嫉妬(しっと)のアータン〉」

 

 

 

 彼女は背水の人魚姫。

 

 泡と化す覚悟を抱きながら、愛する者の為に立ち上がった悪魔だ。

 

 

 




Tips:巨神兵(ネフィリム)
 遥か昔、堕天使が産み落とした地上征服の為の最終兵器。
 100メートルにも及ぶ巨体は山に等しく、その足が大地を踏みしめる度、周囲には天変地異が如き災害が巻き起こるとされている。
 かつてインヴィー教国に現れた堕天使が嫉妬の勇者リヴァイに対抗するべく遣わし、リヴァイ率いる連合軍と地上全土を揺るがす激戦を繰り広げたとされている。
 産み落とされたネフィリムは一体だけではなく、大きさや機能など別々の種類のものが複数あったとされている。

 中でも特に巨大だったネフィリムは『ベヒーモス』と称され、文字通りリヴァイと死闘を繰り広げ、最期は彼の〈海蛇神(レヴィアタン)〉の名を冠する罪魔法によって討ち取られたとされている。

 伝承自体が1000年以上も前であり、内容も正確性には欠けるが、もしも仮にこの世にもう一度ネフィリムが産み落とされたとするならば、地上は再び災厄の炎と共に阿鼻叫喚が広がるであろう。
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