これは、走馬灯だろうか?
『なあ、ベル』
『どうした、レイ』
幼い頃のオレとレイが並んで立っていた。
まだ平和そのものだった故郷を眺めながら語り合っているようだ。
『ぼくにはな、夢があるんだ』
『聖騎士になりたいって話か?』
今思えばあいつはずっと目標に真っすぐだった。
努力家で、負けず嫌いで。
だから聖騎士になる夢も叶えた。
アニーと結婚する夢も叶えた。
本当に心の底から羨ましくなるような人生だ。
だが、オレは……そんなあいつを……。
『違う違う!』
からからと笑う声が聞こえてきた。
それは幼いレイのもの。どうやらオレの答えに回答に首を振っていたらしい。
案の定不正解を言い渡されたオレは不貞腐れていた。
この時からオレ達は親友で、好敵手だった。
だから、親友のことで一つでも当てられないことがあったら不満だった。
『じゃあなんだよ』
『……その前にさ、一つ約束してくれ』
『約束? なんだよ、内容も言わないうちに約束なんてできるか』
至極当然な物言いをするオレ。
しかし、レイはゆっくりと首を振った。
『いいから』
頼む、と。
柄にもない真剣な顔だった。
思い出した。オレはそれを見て、仕方ないと頷いたんだ。
『……わかった、約束する』
『よしッ! じゃあ、もしもぼくに何かあったら、この夢はきみが叶えてくれ』
『はあ!?』
『もしもって言ったろ?』
『だからって、そんな縁起でもないこと……』
『そもそも』と子供のオレは言い返す。
『だから、その夢を教えろって』
『おっと、そうだった』
レイは改まって子供のオレを見る。
その横顔は子供ながらに凛然としており、年に似つかわしくない気迫のようなものを感じられた。
思わず後ろに立つオレがたじろぐほどだ。
そうだ……この時のことをオレは憶えている。
『ぼくの夢は──』
あの時のレイの夢は、たしか──。
***
アータンがアニエルと、ライアーがレイエルと死闘を繰り広げている間。
「ぬぅん!」
「フンッ」
ベルゴとネビロスの激突もまた、苛烈さを極めていた。
〈罪〉を解放し、全身から魔力を噴き上げるベルゴは、さながら暴走車の如く果敢にネビロスへと攻め立てる。
流麗かつ豪快な剣技は、掠れるだけでも剣圧で浅くない刀傷を刻み込む。
見ろ、彼の軌跡を。地表には無数の地裂が刻まれているではないか。
だが、それほどまでの攻勢をかけられても尚、ネビロスには致命の一撃を与えることすらままならない。
回避や迎撃ならわかる。
しかし、不意に身体を襲う硬直。こればかりは如何ともし難かった。
(原理はわからん! だがタイミングは掴めてきた!)
硬直した瞬間に降り注ぐ〈
(奴の腕が光った瞬間……おそらくそれが奴の〈罪〉──〈大疑〉の罪魔法が発動される瞬間だ!)
罪化に伴う魔力回路の拡張。
生来定められた保有量を上回る魔力さえ獲得させる罪化だが、全てが全て利点に回るというわけでもない。
魔力回路の発光こそ、罪魔法の発動タイミング。
それさえ見極められれば、無敵とも思えた身体硬直の罪魔法を突破できるかもしれないという光明が見えてきた。
(──ここだ!)
ネビロスがある程度距離を取った瞬間、拘束が解けたベルゴは走り出す。
素早く、しかし、近づき過ぎない程度に。
その理由は至ってシンプルだ。
(奴の罪魔法の射程は……この距離!)
「ッ……」
一定の距離を目途に立ち止まったベルゴを見て、ネビロスの眉尻が下がった。
やはりここが射程限界かと確信を得て、ベルゴは背後の聖霊に構えを取らせる。
(奴は接近戦を仕掛ける敵に対抗する手段こそ持っているが、接近戦自体が得意というわけではない!)
その証拠に攻撃はどれも魔法ばかりだ。
本来、近接戦の要となるであろう罪器シニスターは、ついさっき無残にもライアーが跡形もなく消し飛ばしている。
つまり、今のネビロスを打ち倒すに最も有効となる手段は、罪魔法の射程外から接近戦を仕掛けること。
それを可能とする力こそ、この聖霊だ。
「
ディア教国伝わる剣術の流派、
これはその内の一つ。高速で鋩を乱れ撃つ、近~中距離対応の刺突技。
「恒星て──ッ!!?」
刹那、異変を覚えたベルゴが足を止めようとした。
止めようとした、と表現したのは、実際には彼の足が勝手に動き出していたからだ。
しかも、たった今繰り出した技の射線に。
──不味い!
そう思った時には血飛沫が舞っていた。
パタパタと、無数の染みが地面に出来上がる。
「ッ……!」
「あ~あぁ……惜しかったなぁ……!」
「貴様ッ」
「剣に庇われてなきゃあ……楽に死ねたものをぉ……」
「謀っていたな……!」
嘲るネビロス。
一方ベルゴはと言えば、寸前で間に割って入ったコナトゥスの盾により、辛うじて致命傷は避けられていた。
ただし全てを受け止められたわけではない。ベルゴの卓越した剣技が仇となり、彼の肉体にはいくらか抉られ、そこからドクドクと血が溢れ出していた。
(奴の悪計を見誤っていた……!)
最初から誘われていたのだ。
ライアーがレイエルを〈
正直なところコナトゥスの防御がなければ危うかった。
あのまま自らの聖霊から攻撃を喰らえば、もっと深手を負っていたことは間違いない。
(迂闊に近寄ればこちらが負ける……か)
改めてネビロスの危険性を認識する。
そもそも奴は〈六魔柱〉。魔王軍の大幹部だ。
警戒し過ぎても足りない次元の敵である。
再びの拮抗状態。
どちらも攻めあぐねる時間が過ぎていく。
(……いや、待てよ?)
ベルゴは己の掌を見つめた。
まるでそこに答えがあったかのように、彼の瞳は点と化す。
それから痺れの残る掌を握りしめ、次こそはと力と意気を手中に込めた。
(オレの推測が正しければ──!)
ドゥ! と地面を蹴って駆け出すベルゴ。
蹴った地面が隆起する勢いの突撃だった。
しかしそれを目にするネビロスは嘲笑するだけ。
「フ、フフ、フ……愚図がぁ……」
ネビロスは二の舞を演じようとする敵への侮蔑を掌へと込める。
腕から掌へ、淡い紫色の光が灯った。
(──ここだ!)
そしてベルゴは……。
「おおおおおッ!!」
「なん、だとぉ……!?」
「行け、コナトゥス!!」
手に握っていた罪器を躊躇なく投げた。
予想外の行動にネビロスの眼は見開かれ、眼球は戦場の荒々しい風に吹き晒される。
戦闘中に自身の武器を手放すなど愚策中の愚策。いかに聖霊が扱えるとは言え、ネビロスはそれが正気とは思えなかった。
「とうとう頭に酸素が行き渡らなくなったかぁ……?」
「いいや、違うな」
「なにぃ……?」
「コナトゥス、やれ!!」
ベルゴの声が大気を揺らす。
ビリビリと震える音速。それは瞬く間にコナトゥスへと追いついた。
次の瞬間だ。
投擲槍の如く一直線に突き進んでいたコナトゥスが
“変形”ではなく“変身”だ。そう表現した理由はコナトゥスが見せた姿にあった。
身の丈を超えるほどの長さだった大剣は、流体の如く滑らかに、その形状を大きく変化させる。
柄は細長く二股に。
鍔はくびれある形に。
刀身は中央から左右に割け、まるで腕のように。
(
その姿はまるで甲冑を着た騎士だった。
現れたる一人の騎士は、その空虚な中身とは裏腹に、機敏な動きでネビロスへと詰め寄るや、刃そのものである両腕を一閃する。
「チィ……!」
これをゆらりと回避したネビロスではあるが、その表情には先ほどまでの余裕は消え失せていた。
「
「!」
「──水星天!!」
その顔を暴く鮮烈な光が瞬いた。
聖霊の振るう剣から高速で放たれる二振りの斬撃は、ネビロスを屠る十字架となって彼女へと迫った。
「──クソがぁ」
怨嗟を吐き捨てるネビロス。
轟音は、直後に鳴り響いた。
着弾点はまさに今ネビロスが立っていた地点。
濛々と舞い上がる土煙を眺めるベルゴは、コナトゥスを手放したばかりの掌を開いては閉じてを繰り返す確認動作を行っていた。
「……やはり、か」
ベルゴの聖霊が剣を振るえば、烈風が巻き起こり、立ち込めていた土煙が吹き飛ばされていく。
そうやって景色は開かれる。
血溜まりに倒れるネビロスの姿も、そのまさにど真ん中にあった。
ピクリとも動かぬ悪魔の肉体。
ベルゴの瞳は『当然か』と物語っていた。
「起きろ、ネビロス。それで死ぬタマではないだろう」
返答は、ない。
「貴様の呪縛の正体は掴めた──電気だな」
しかし、ピクリと。
不動を保っていたネビロスの肉体が、ここに来てようやく反応を見せた。
「……ほぉ」
「硬直した後、オレの肉体にはわずかに痺れが残っていた。特に剣を持っていた右手がな」
「ネズミなりに頭も回るらしぃ……」
「初めは硬直の方ばかりに気を取られていたが、コナトゥスのおかげで気付けた」
「フンッ……」
ずるりと立ち上がるネビロス。
胴に十字の傷を負った彼女は、ドクドクと血が溢れることを厭わず、人型へと変形したコナトゥスから飛天で距離を取った。
その際、コナトゥスを見つめる瞳には数多もの感情が乗せられていた。
苛立ち、好奇、憎悪、感心……負と正の感情が綯い交ぜになった瞳は、最終的に研究者としての知的好奇心に溢れた輝きを湛えるに至る。
「いいサンプルだぁ。欲しぃ……自立行動する罪器に対して実験したことはなかったからなぁ……」
「……生身の肉体でない罪器に効かん。聖霊にも効かん。となると、生物の肉体に作用する罪魔法というライアーの見立てはおおむね当たっていたわけだ」
「あの鉄仮面かぁ……」
忌々しそうにネビロスの眉が歪んだ。
「奴は全部知っているとフかしていたがぁ……あながち間違いでもなさそうだなぁ」
「そうだ。あいつは何故かオレよりも知見に溢れているようだからな」
思わず笑みが零れたところで、男は精悍な騎士の顔へと戻った。
そして、今しかないと言葉の刃で切り込んだ。
「ネビロス……その体、
「──……」
沈黙は金、雄弁は銀。
しかし今ばかりは、その沈黙は値千金の回答に他ならなかった。
確信を得たベルゴは畳みかける。
「貴様は手練れの死霊術師。レイの
「……それでぇ?」
「貴様の首を刎ねても死なんのは、そもそもその肉体が死体からできた偽物だからだ。レイやアニーも同じだ。
「……」
「死体の電気による操作、即再生する細胞の活性化、全てひっくるめて『肉体の誤作動』……それが〈大疑〉の罪魔法の正体だ」
悪魔の目の色が変わる。
「──〈
翳されたネビロスの五指が開かれる。
刹那、蒼褪めた電光が宙を掛け、ベルゴに向かって突き進んでいく。
「喰らうものか!」
『コナトゥス!』と叫べば、庇うように罪器が主と電光の間に割って入る。
肉体操作の始動となる電撃をその身で受け止めたのだ。
「チィ……!」
「──〈
「ガラクタがぁ……! だが永遠に動き続けられはしまいぃ。罪器である以上、供給された魔力が尽きれば動かなくなるぅ……違うかぁ?」
「その通りだ!」
下手に隠し抜くよりも断言を選んだベルゴ。
彼は自ら背水に立ち、己を奮い立たせていたのだ。
もう、後には退けない。
その覚悟が彼の背を押し、ネビロスの前へと突き動かしていた。
「だからそれまでに貴様を討つ!」
「出来もしないことをぬけぬけとぉ……!」
ネビロスは地面に手を翳し、漆黒の槍を大量に生み出す。
「──〈
魔法随一の破壊力を秘める〈
しかし、これをベルゴ達は一蹴。片や聖霊の剣を、片や腕を振るって剥き出しの殺意を外周から削る。
互いに必死の形相。
ここに来て初めて両者は同じ舞台に上がった。いいや、ネビロスを引き摺り落としたのだ!
「ネズミがぁ……!」
「フンッ、散々見下した相手に噛み付かれる気分はどうだ!?」
「実験動物風情がぁ……抗うなぁ!」
普段より震えたウィスパーボイスを漏らし、ネビロスは左腕を掲げた。
直後に五指より広がる紫電。またもや〈
「ッ……実験棟の方から!!?」
ネフィリムが現れる際、地面と同様真っ二つに割かれた実験棟。
その外壁を崩し、複数の人間がドッと溢れ出してきたのだ。救出にはリーンやその他〈海の乙女〉が数名向かっていたが、この状況だ。全員の避難を済ませておけと言うにはあまりにも酷だった。
「おのれ、実験に使った人間を……!!」
「これがおれの〈
「おのれぇ……!!」
ますます許し難い所業を目の当たりにし、ベルゴの義憤は薪をくべられたように燃え上がった。
しかし、心火の火勢をそのまま攻撃に転じられない。
なぜならネビロスが操る人々の中には、まだ生きている人間も交じっていたのだ。
「助……け、て……!」
「くっ……!」
レイエルは人質を見捨てられず、命を落としたという。
それが騎士としてあるべき姿、誇り高き生き様だ。
けれども、現実は非情だ。
誇りを守ろうとすればするほどに天は我々に苦難を与える。より大きな壁となって立ち塞がってくるのだ。
(どうすればいい……!)
──教えてくれ、レイよ。
かつての親友に問いかけるベルゴ。
彼の中に罪なき人々を見捨てる選択肢など……ない。
苦心に表情が歪むベルゴを見て、ネビロスの顔面は邪悪に歪んだ。
「やはりおまえらは愚図だぁ……何も進歩していないぃ……!」
それはまさしくレイエルの時と同じ反応だった。
〈怠惰〉の〈罪〉を宿した聖騎士、レイエル。当時猛威を振るっていた魔王軍相手との戦力比を覆し、地獄生まれの悪魔に地獄を見せた人間の英雄だ。
彼を倒す為だけに、各地に散っていた〈六魔柱〉を複数招集したと言えば、その暴れ振りも想像できよう。
だからこそ策を弄した。
人間の弱みに付け込んだ。
人間が人間として生きていく以上、踏み外してはならぬ人道。
それを徹底的に利用してみせたのだ。
「どうしたぁ? 殺せないならおまえが死ぬぞぉ……?」
「クッ……!」
「まあ殺したら殺したでおまえは人間として死ぬだけだがなぁ……フ、フフ、フ……フハハハハハ……!」
外道とは、まさにこいつの為にあった。
押し寄せる人波にベルゴは歯噛みする。
人道を突き進み、誇りの為に己を殺すのか。
外道に突き進み、罪のない人々を殺すのか。
どちらも殺めぬ道は果たしてないのだろうか?
「──なわきゃねえだろ」
ベルゴに届いた。
否定の声? 違う。
それは差し伸べられた仲間の手。
そうだ、彼は一人ではない。
それまでの自問自答はあくまで自分一人しかいな状況に限った話。
仲間が居るなら話は変わる。敵も例外ではない。
だからこそ結果は変わる。
仲間が来てくれたなら、未来は変えられる!
「っ……来たか、ライアー!!」
「遅くなったなベルゴぉ!! 俺様先ほど聖騎士倒してジャジャンとレベルアップしたとこだぜぇー!!」
「来た傍から口がよく回る……元気は十分そうだな!!」
「俺様は年がら年中元気一杯よぉ!! ──ハァ……」
「言った傍から!!」
参上してから数秒で溜め息を吐くライアーに、ベルゴの叱責染みたツッコミが轟く。
しかし、『これよこれぇ~』と待ちかねていたライアーは、勢いよく地面に指を突き立てた。
そして、
「──〈
聖域、展開。
広がる幻影の空間は、一瞬にしてネビロスが開く死の舞踏場を混沌に塗り替える。
「こいつ、はぁ……!!?」
人、人、人……。
眼前の風景には操っていた人数以上の人間が忽然と姿を現したのだ。優に百人は超えそうな人の群れを見て、ネビロスは血走った眼球を剥かずには居られなかった。
しかも性質が悪く、生成される偽物がこの場に本物が居る誰かという点だ。
そう、すでに舞台の演目は変わっていた。
今はネビロスの独擅場ではない。ここは今や、虚構と真実を織り交ぜられた幻を看破しなくてはならぬ仮面舞踏会と化したのだ。
「なるほど! 木を隠すなら森の中というわけだな!」
「カヒュー……カヒュー……」
「ライアーーーッ!!?」
ここまで連戦に次ぐ連戦だった。
中でも聖騎士レイエルを相手にした代償は大きく、ライアーの魔力はクソゴミ埃の塵芥と化していた。その上で聖域を展開した今、彼は路傍のウンコ同然だ。身動きが取れなくなってしまっている。
ともすれば、今最も殺し易い標的。
しかし、迷うベルゴの耳元にライアーの声が響く。
「行けよ、ベルゴ……俺が指一本動かせなくなる前になぁ……!」
「ライアー、お前……!?」
「あんまりちんたらしてると俺がぶっ倒しに行っちまうぜぇ……!?」
聞いているこっちが苦しくなる声だった。
それほどまでの疲弊。
だが、これも始まりは自身が過去の清算を行うと決めたが故。本来付いて来る義務も義理もない一人の男がここまで尽くす意味を考えた。
その時、すでにベルゴの心から迷いは消えていた。
「──恩に着る!」
フッと笑みが零れる息遣いが聞こえた。
男と男が交わせる瞬間など、このくらいでいい。余計な言葉を極限までそぎ落とした意思疎通。
彼らは今、正しく以心伝心であった。
ネビロスを倒す。
その想いを背負い、ベルゴは往く。
「小癪な真似をぉ……!」
苛立った声色を震わせ、ネビロスは五指より迸らせる紫電の動きを変える。
指揮者のような身振り手振りで紫電を操れば、
その動きが意味するところを理解したベルゴの頬には一筋の汗が伝う。
(人質を盾にする気か!!?)
そうなると拙い。
まだ散っていれば〈不当判決〉の範囲外から攻撃を仕掛けられたが、ネビロスを中心に守りを固められると、どう足掻いても犠牲が出る。
そうならぬよう急いで準備を進めるベルゴ。
こうしている間にも肉壁という名の人質はネビロスの下に向かっていく。
──
「あらあら」
そこへ轟く地響きの音色。
次の瞬間、ネビロスの立つ足元がせり上がった。
「な、あぁ……!!?」
「強者の余裕も過ぎれば滑稽ですよ」
「〈悋気〉ぃ……!!」
貴様ぁ、と憎々し気に吐き捨てるネビロス。彼女の視線の先では、セパルが地面に掌を翳していた。
彼女もアニエルに比肩する魔法の天才。
緻密な魔力制御により、標的の足元だけを〈
これでネビロスと人質は物理的に離された。
いかにネビロスが優れた肉体操作技術を持っているとはいえ、常人の身体能力しかない者達全員をわざわざ土壁の上まで登らせるなど数秒でこなせるはずもない。
その数秒こそ、次に繋がる確かな糸だった。
離れようとするネビロスの足元へ、二本の矢が突き刺さる。それらはネビロスにこそ命中はしなかったが、撒き散らされる水を元に、彼女の足を土壁の上に氷結させて縫い留めてみせた。
〈
二本の矢を放ったのは、二人の人間だった。
「〈嫉妬〉ぉ……!!」
一人はアータン。罪冠具が壊れても尚、ネビロスの注意を引くべく攻撃を放った。
そこへ〈氷魔弓〉を射り、単なる攻撃を拘束へと昇華させたのは〈海の乙女〉副団長ことザンだ。
一人の行動を他者がサポートし、より良い結果をもたらす。
これも長年副官として勤めてきたザンのなせる技。
「貴方にはできない真似でしょう」
──他者を使役することしかない死霊術師と違って。
そう言わんばかりの皮肉をたっぷりに、ザンはほくそ笑んだ。
ビキビキと。
まるでそんな音が聞こえてくるような血管の隆起を顔面に浮き上がらせ、ネビロスは周囲を一望する。
おかしい。さっきまでは自分が優位だったはずだ。
人間共を見下す立場だったはずなのに、今や物理的にこそ見下ろせはするが、状況は悪くなる一方である。
「どいつもぉ……こいつもぉ……!!」
「
「!!」
たとえ一本一本がか細い一縷でも。
数多を束ねれば大きな希望となる。
「第十天」
ベルゴはその事実を噛み締める。もし仮に一人でここまで辿り着けていたとしても、ネビロスを打ち倒すことは不可能だったろう。
ライアーにアータン、リーン、シャックス、そして聖都奪還にやって来た騎士団の面々。
彼ら全員の助けがあったからこその、この一瞬。
全てを出し切るに相応しい瞬間は、今をおいて他にない。
ベルゴの背後に立つ聖霊が身構える。
かつてない動と静。激しく炎を燃え上がらせたかと思えば、不意に全ての揺らめきが消えた。
世界から光が消えた。
しかし、それも刹那の幻覚。
暗雲立ち込める空の下、ふと一輪の薔薇が咲いた。
「──至高天」
否、裂いた。
「な゛ッ……あぁああぁああぁあああぁ!!?」
鮮烈な閃光が瞬く。
その次の瞬間、ネビロスの四肢は、首は、全身が細切れにされていた。風景に残る無数の残影の軌跡──あれら全てが聖霊の放った剣閃だ。
「馬、鹿なぁ……!!?」
立つことさえままならず転がる首が、その頭蓋に収められた脳で思考する。
(不味ぃ……!! すぐに離脱、をぉ……!!?)
所詮この肉体は偽物の器。
降霊している己の魂を本体に戻そうと試みた。だが、
「が──ぁあぁ……!!?」
「逃げようとしても無駄だ。聖霊とは魂を司る力。ただの剣や魔法の攻撃とはわけが違う」
「まさかぁ……おれの魂ごとぉ……!!?」
初めから狙っていたのはネビロスの肉体ではなかった。
その器に収められた魂そのもの。いかに偽物の器とはいえ、入れられた魂が本物であるならば、それを仕留めれば済む話。
そして、聖霊以上に魂を打ち取る役目に適した存在はいない。
十天流第十天〈至高天〉。
『天上に咲く薔薇』とも称される十天流至高の一撃は、たしかに、ネビロスの根源を切り裂いたのであった。
「ぐぉ……お、ぉおぉぉお……!!?」
「貴様は終わりだ、ネビロス。地獄に堕ちるその時まで、己の罪を悔い改めるがいい」
「ネズミ……がぁ……!!」
苦悶に喘ぐネビロス。
しかし、それで魂を切り裂かれた痛みが消えるわけではない。より強い苦悶に襲われるネビロスは、壮絶に顔を歪めながら、眼球のみをベルゴの方へと動かした。
「〈怠惰〉ぁ……許さんぞぉ……!!」
「それは」
不意にネビロスへ陰が掛かった。
そして、
「こっちの台詞だ」
ザンッ!! と鋭い音が木霊する。
転がっていたネビロスに刃を突き立てたのは、自立行動をしていたコナトゥスであった。
かすかに残る金属の震える音は、彼女が主の怒りの代弁者だからだろう。
念入りに刃をねじ込み、ネビロスが完全に塵と化した瞬間を見届け、ようやく彼女は刃を引いた。
「……よくやってくれた」
主の労いの言葉に、帰ってきたコナトゥスは跪く。
そこへベルゴが手を差し伸ばせば、彼女は主の手の中に一本の大剣となって戻っていった。
静かな、静かな時間が訪れる。
先までの死闘が嘘だったような静寂。遠くの方では未だ激しい戦闘音が聞こえこそするが、どこか別世界の出来事に思えた。
「終わった、のか……」
ベルゴは空を見上げた。
幼馴染の二人もきっと天国へと昇っていることだろう。
「レイ……アニー……」
故人に想いを馳せたところでベルゴは踵を返す。
そんな彼へ声を投げかけたのは、現在尻だけ突き上げて五体投地しているライアーであった。聖騎士を倒した立役者としてはあまりにもあんまりな姿である。
「ベルゴ、どこ行くんだ?」
「まだ戦いは終わってはいない。騎士団の加勢に向かう。それにあのデカブツもどうにかせねばな」
「ネフィリムか。まあ大丈夫じゃねーのぉ~?」
「……一体どうしてそんな確信を得られるのだ」
些か騎士団に対する信頼が厚すぎやしないか。
もしも自身が騎士団長のままだった時もこのような信頼を寄せられたのかと思うと──今になって胃が痛くなってきた。
「ともかくオレは行くぞ。動けんのならここで休んでいろ」
8年前の責務を果たすべく、いざ市街地の方へと歩み始めた。
『──本当にぃ……殺し切れたとでも思ったかぁ……!!?』
まさにその瞬間、声が聞こえた。
幾万の怨嗟を重ねたような地鳴りが空までも響き渡る。実験棟周辺は再び激しい揺れに見舞われ、ベルゴは周囲を見回した。
「この声……ネビロスかっ!!?」
『フ、フフ、フ……!!』
「どこだ、出てこい!!」
『言われなくともぉ……』
「っ!!」
一際激しい揺れが辺りを襲う。
その瞬間、ネフィリムの現れた地割れより巨大な腕が伸びてきた。
「なんだ……あれは……!!?」
しかし、それは腕と呼ぶにはあまりにも悍ましい見た目だった。
まるで腐った肉と骨を無理やり寄せ集めた肉塊の出来損ない。ミンチの方がまだまとまりのあるように思える代物だ。
腐臭を撒き散らし、現れた巨腕は地割れの淵に手を掛ける。
ズルリ、ズルリ……と。這いずるような粘着音は地割れより、いいや、奈落の底より奏でられた。
そして──それはやって来た。
「貴様、その姿は……!!?」
「──醜い、姿だろぉ……?」
奈落より現れたるは腐敗せし竜だった。
ただし、全身がボトボトと腐れ落ち、蠢動する筋肉の合間からは時折骨が覗いて見える。竜と言っても鱗はない。骨格がそれのように見える、ただそれだけの“物体”でしかなかった。
「気になるかぁ? この姿がぁ……」
その腐竜の頭部に、まるで冠の如くネビロスの上半身は
いや、突き刺さっていると言った方が正しいだろうか。皮膚を突き破る肥大化した肋骨が、辛うじて支えになっているような状態だ。
「本当に不本意だよぉ……こんなクズ肉と一つにならなければ生き延びられない事実がぁ……!!」
「クズ肉だと……!?」
「それだけじゃあなぃ……この肉と骨はぁ、レイエルの
ゴトリと何かが落ちる。
得体のしれない物体は当初、体から剥がれ落ちた腐肉に隠れてよく視えなかった。だがよく目を凝らすとそれが白銀色の鱗であることがわかった。
「馬鹿な……レイの肉体を!!?」
「それでも傷ついた魂を補うには足りなかったぁ……!! わかるかぁ? おまえ以外の魂を自分と一つにしなければならないおれの屈辱がぁ……!!」
「貴様ぁ!!」
「だがぁ……これでも疲弊したおまえらを殺すには十分だぁ!!」
ネビロスの殺意にあてられ、腐竜は苦悶の雄叫びを上げる。
本物のレイエルよりは遥かに巨大な竜の肉体より放たれる魔力。たとえ腐っていたとしても、それは十分すぎるほど強大であった。
「くっ!!?」
「〈
「どこまで……どこまでレイを冒涜すれば気が済む!!?」
憤るベルゴに対し、ネビロスが返したのは冷笑。
「生命の冒涜などに意味はないぃ……!! 言ったろう。おまえらの言う人道とは、技術の進歩と発展を妨げる邪魔でしかないとぉ……!!」
地獄より蘇りし腐竜王は、大地に爪を突き立てながら爬行する。
「だからおまえは、ここで死ぬぅぅううぅうぅうう!!!」
「おのれっ……!!?」
「死ねぇ、〈怠惰〉ぁああぁああああ!!!」
聖霊よりも遥かに巨大な肉体が迫って来る光景に、ベルゴは気圧される。
だが、ここで退けば実験棟が──延いては実験棟内の避難が完了していない人間が危険に晒されるだろう。
(退くわけには……いかん!!!)
「──〈
弾ける水の音。
しかし、その実態は膨大な水の弾丸が腐竜の顔面に直撃した轟音だ。当然、頭部に生えているネビロスにも強烈な衝撃が襲い掛かる。
「う、ぎッ……!!?」
「──我々を忘れてしまっては困りますね」
ベルゴの横に歩み出る人影が一つ。
それは未だ罪化の姿を解かず、天使にも似た魔人の姿を晒すセパルであった。彼女に続き、続々と団員達も後ろに並び立つ。
「苦肉の策如きで我々を倒せるなどと思われるとは……不愉快です」
「〈悋気〉ぃ……教団内の罪派に一度敗れた負け犬がぁ……!!」
「ですが、わたくしはここに居ます」
勝ち誇った笑みを、彼女は背後へと向ける。
つられてベルゴも振り向けば、そこには──。
「──わたくしにとっての勇者が居ましたから」
「そーいうこった」
立ち上がる勇者が居た。
「……ライアー……」
今にも倒れそうなくらい不安定で。
しかし、双眸には強い光を宿した。
そんな勇者が──。
「私も居るよ!」
溌溂とした声を上げ、もう一人現れる。
「アータン……!?」
「ベルゴさん、私も一緒に戦う!」
「だが、お前達は……ッ」
「生きて……一緒にシルウァの村に帰ろうよ!」
「!」
その時、ベルゴは思い出した。
(ああ、そうか……)
それは遠い記憶。
かつて故郷で幼馴染と交わした約束だった。
(レイ、お前は……)
改めて前を向けば、そこには苦悶の呻き声を上げる腐竜が立っていた。
外道な悪魔に弄ばれ、腐り落ちた親友の肉体をかき集めた悍ましい存在。しかし、確かに親友のものであった存在を目の当たりにし、ベルゴは剣を強く握り締めた。
──あの日の記憶が蘇る。
『ぼくの夢は……』
『もったいぶらずに言えよ』
『勇者になりたいんだ』
『……は?』
『勇者だよ、勇者。おとぎ話に出てくる、あの勇者!』
(あの時オレは『聖騎士と何が違うんだ?』と聞いてしまったな……)
青臭かった自分を省みつつ、ベルゴは実感する。
(今ならわかる。お前のなりたかった者が)
再度周囲を一瞥する。
そこでベルゴは確信を得た。
(オレにもなれというのだな……今! 勇者に!)
勇者とは、勇気を分け与える者。
そして勇者はここに居た。
ここに立つ者全員が勇者だったのだ。
「──オレもそういう歳じゃあないんだがなぁ」
独り言つベルゴはやおら身構えた。
目の前には竜が、そして悪魔が居る。伝説では勇者が竜や魔王を打ち取るが、それにしたってお膳立てが過ぎる状況だ。
ならばなれ、〈怠惰〉の騎士よ。
今こそお前も勇者になる時だ。
Tips:
〈六魔柱〉が一柱、ネビロスの〈大疑〉の罪魔法。
その能力はネビロスより放たれる電気を浴びた物の電気信号を操り、肉体の誤作動を引き起こすというもの。ネビロスはこれを自身の死霊術と応用することによって、通常の死霊術では致命傷になる攻撃を喰らっても尚、肉体を操り、不死であるように見せかけていた。
生者に対しても使用すれば、当事者の意思に反した硬直や動きを行わせ、危機に陥らせることが可能。
これ自体に殺傷能力はないものの、ネビロスの死霊術と研究により悪質かつ驚異的な効果を持つ罪魔法と化した。
技名の『
応用技は以下の通り。
・
肉体の電気信号を操り、肉体を操作する基本的な技。『ガルヴァニズム』とは生物内で電気が発生し、またその作用によって生体の筋肉組織が収縮・痙攣することを発見した同時代の化学者ルイージ・ガルヴァーニに由来する言葉。電極をカエルの足にくっつけるとビクビク動くあれ。
・
ネビロスの〈不当判決〉を用いた大技。死霊術にて巨大な肉体を操り、自身の肉体と融合させるもの。
本来直接戦闘を苦手とし、自ら手を下すことを嫌うネビロスが、自身の戦闘力を向上させるというある意味不本意な形態でもある。
本来はネフィリムと同化し、全てを蹂躙するつもりではあったが、ベルゴの〈至高天〉により魂に大きなダメージを負ったため、ありったけの屍肉を集めた結果、こうなった。
・
〈死霊の軍団長〉の内、肉体に占めるレイエルの肉体が大部分を占めた為、腐肉の竜と化した姿である。
アスタロトとは七つの大罪の内、怠惰を象徴する悪魔であり、『地獄公』とも称される大悪魔であるとされている。