嘘吐きは勇者の始まり   作:柴猫侍

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第七十二話:再会は真相の始まり

 

 

 

 時は少し遡る。

 

「ほ、本当にあのデカブツとやり合ってるのか……?」

「戦ってるのは〈獅子の心臓(コル・レオニス)〉の団長らしいぞ」

「本当か? たった一人で?」

 

 当初は劣勢を強いられていた〈灰かぶり(シンデレラ)〉も、〈獅子の心臓〉が参戦してからは見事形勢逆転を果たした。

 しかし、戦況が落ち着いても尚、彼らは市街地の中央に聳え立つ巨体を見ると平静では居られない。

 

──巨神兵(ネフィリム)

 

 遥か昔に地上を侵攻した堕天使が遣わした最終兵器。

 たとえネビロスを倒せたとしても、あれをどうにかしない限り、この聖戦が終わりを迎えることはない。

 

 だが、現状ネフィリムと対峙している騎士はたった一人。

 

「あれが……七大聖教最強の騎士」

 

 遠目から眺める騎士の一人は、ネフィリムの周囲を縦横無尽に飛び回る小さな影を見つめていた。

 あのコバエのようなシルエットこそ、ネフィリムをたった一人で相手取っている()()()()()()()()()──ヴィネ、その人である。

 

 彼らの戦いが始まってから、既に数十分が経過しようとしていた。

 あの体格差だ。今の今まで叩き落されていないことだけでも凄まじい技量であるものの、時折ネフィリムの体からは噴水のような出血と共に、巨大な肉片が舞い散っていた。

 

 少しずつ……本当に少しずつではあるが、天を衝かんばかりの巨人は削られていたのだ。

 きっと奴の足元には血の海が出来上がっているだろう。それほどまでに絶え間なくネフィリムの巨体は猛烈な速度で削られていた。

 

 だが、戦いの決着は突然訪れる。

 

 

『──ォォォオオオオン……』

 

 

「お、おい見ろ!!?」

「ネフィリムが……焼かれた!!?」

「倒れるぞ!!」

 

 天をも衝かん巨体を焼き尽くす、蒼い火柱。

 神の怒りを体現したかのような一撃をその身に貰い、とうとうネフィリムは立っていられなくなったようだ。

 

 山のような巨体がぐらりと揺れる。

 あれだけの体長、そして大質量。倒れるだけでも周辺の被害は想像を絶するものとなるだろう。

 

「総員、衝撃に備えろぉーーーッ!!!」

 

 一人の騎士の声で、周囲に居た者達が頭を庇いつつ身を伏せる。

 直後、激震がドゥウス全体を襲った。戦いの余波でボロ家同然と化していた家屋の多くは倒壊し、そうでない強固な建物であっても外壁がボロボロと崩れ落ちる。

 木の葉は散り、ガラス窓は砕ける。地震が少なくない土地柄のディア教国出身の騎士達でさえ、恐怖を覚えるほどの揺れの激しさであった。

 

 それがどれだけの時間続いただろうか?

 

「お、終わったか……?」

 

 立っていられない震動がようやく収まってきた頃、騎士の一人が面を上げた。

 しかし次の瞬間、彼の瞳は大きく──それこそ目尻が裂けんばかりに見開かれる。

 

「ヴィ──!!?」

 

「ヴィネ団長、ご無事っスか!!」

「ああ、大丈夫だよ。きみの方こそ怪我はないかい?」

 

 メキメキと音を立てながら、人の姿へと戻る青年。

 一拍遅れて舞い降りた女騎士に笑顔で返す彼は、むしろ彼女の方を心配し、顎に手を添えながら顔をよく観察する。

 美青年でなければ……あるいは懇ろな関係でなければ許されぬキザったい所作であるが、そのどちらにも該当する女騎士ムルムルは、ポッと頬を染めながら目を逸らした。

 

「ぜ、全然大丈夫っス!!」

「そうかい? きみの顔に傷が付いたらどうしようかと思った」

「え、えへへへへっ」

「まあ、傷が付いたところできみの美しさは変わらないけれど……」

「んもぉ~、褒めたってなんも出ないっスよぉ~!」

 

 ……なんだか猛烈な敗北感を覚えた騎士は、そのまま今一度地面を見た。

 

 おかしいな。雨は降っていないはずなのに地面が濡れていやがる。ちくしょう、世の中ってのはどうしてこうも不平等なんだ。

 

 ──などと悲しむ独り身男性など眼中にないムルムルは、猫撫で声を発しながら、執拗なボディタッチを繰り返していた。

 

 近くでもう一度騎士が血反吐を吐いたがなんのその。

 従魔のグリフォンに白い目で見られるもなんのその。

 

 ここはすでに彼らだけの空間……薔薇園と化していたのだ!

 

 その赤色が嫉妬に悶える騎士共の血反吐とは言ってはいけない。

 

「ヴィネ団長は流石っスねぇ~! あんなデカブツ相手に勝っちゃうんスから!」

「……あぁ、そうだね」

「……団長?」

 

 しかし、美少女に褒めそやされている青年の顔はどこか浮かない。

 何か気がかりでもあるかのような憂い。その感情を表情から読み取ったムルムルは、頬に人差し指を当てながら小首を傾げた。

 

「どしたんスか? 心配事でもあるんスか?」

「……いいや、取るに足らないことさ」

 

 ただ、と彼は付け加える。

 

「──()()()()()()()()()()()()()()()()()()、って」

 

 徐に振り返るヴィネは、未だ黒煙を上げながら燃え盛る蒼炎を眺めた。

 太古の巨神兵を焼き尽くす劫火。遠目から見ても目を焼かれそうな炎を見つめる彼の眼は、どこかここには居ない誰かを見据えているようだった。

 

 しかし、目の色が変わったのは彼だけではない。

 

「……浮気っスか?」

「へ?」

「他の女に色目を使って……許せないっス!!」

「ま……待ってくれ、ムルちゃん! ぼくはそういう意味で言ったわけじゃあ……!?」

「団長の女たらしぃー! スケコマシぃー! 隠し子三十人ー! でも団長のお子さんならアタシ頑張って育てるっス……♡」

「ぼくの人権を親権とトレードしないで?」

 

 『いわれのない風評被害はやめて』とヴィネは悲痛な訴えを口にする。

 なんでも見透かす千里眼と言えど、秋空のように移ろう女心までは見通せない。

 

 

 

 この後、隠し子三十人疑惑だけは何とか訂正させた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 ドゥウスを支配していた大悪魔ネビロスは討たれた。

 ネビロスが使役する最終兵器ネフィリムもまた、〈獅子の心臓〉団長ヴィネの尽力によりその機能を停止し、今も尚灰燼と化している最中である。

 

 あちこちで響いていた戦闘音も、次第に小さくなっていっている。

 

 戦いはやっと終わりを迎えようとしていた。

 

 そんな気配を感じ取るシャックスはと言えば、一人隅の方で黄昏ていた。

 

「姉貴……」

 

 ついさっきまで闘志に溢れていた姿はどこへやら。

 生気のない瞳を湛えた彼は、まるで抜け殻のように身じろぎ一つせずアニエルを──灰と化した姉に想いを馳せていた。

 

 元はと言えば魔王軍に捕まった姉を救ってもらうべくドゥウスに潜入した。

 ネビロス打倒はあくまで通過点。シャックスにとっては姉の命こそが何よりも重要だった。

 

 しかし、現実は無情かな。

 結局ネビロスを打ち倒せはしたものの、姉を取り戻すことは叶わなかった。

 

 肉体が灰と化した姉とは裏腹に、今の彼は精神が灰と化していた。

 浅い呼吸を繰り返し、辛うじて生き永らえている命。そして生きる理由さえ見失った迷い子、それが今のシャックスであった。

 

「……誰か、俺のこと殺してくれねえかなぁ……」

「──随分と物騒な独り言だな」

「おぉわッ!!?」

 

 突如、背後から聞こえてきた声にシャックスは飛び上がった。

 だが、それがいけなかったのだろう。地面を転がる彼の肉体を補っていた〈聖者の嘘(ホーリーシット)〉が解け、一度塞いでもらった傷口が一斉に開いた。

 

「うぐぐ、ぐぉ~……!!?」

「何をしてるんだお前は」

「ア、 アンタが急に脅かすからだろうが……!!?」

「まったく……」

 

 シャックスの目の前に現れた人影、それは女型の鉄仮面ことリーンであった。

 絶賛出血大サービス中のシャックスを見かねた彼女は、溜め息を一つ吐いてから治療を始める。

 

「──〈大回復魔法(ラーティオ)〉」

 

 淡い光がシャックスの全身を包み込む。

 するとどうだ。片翼を捥がれ、脇腹も貫通していた傷だらけの肉体はみるみるうちに癒えていくではないか。

 〈回復魔法(ティオ)〉の上位魔法、〈大回復魔法〉。

 その効力はたとえ致命傷を負っても命に到らせなくするほどの代物。神癒隊(メディック)でも手練れの回復魔法使いでなくては習得できぬ神の如き御業に、悪魔と化した男の体は死から遠ざけられていった。

 

「どうだ? 痛むところはないか?」

「……ば良かったのに」

「? なんか言ったか」

 

 ポツリと零れた独り言を聞き直すように、リーンは顔を寄せる。

 

「このまま見殺しにしてくれりゃあ良かったのに……」

 

 弱音……と呼ぶには些か過ぎた言葉だった。

 これには思わずリーンも面を伏せる。掛ける言葉を見失った、いや、探している最中であろう彼女は数秒の思考を経てた後、やっとその鉄仮面を上げてみせた。

 

 そして、

 

「い゛──いだだだだだだだっ!!? 何の痛みぃーーーーーッ!!?」

「急いで治してやってるだけだが? まあ、その分ちと痛むが……」

「早さと痛さが等価交換!!?」

 

 本来時間を掛けて進めるべき魔法による治療行為。

 それを猛スピードで行っているが故の激痛に襲われ、シャックスはビタンビタンと地面の上で悶え苦しんでいた。

 

 治療が続くこと、約一分。

 地面の上には死にかけの鳥人が一人転がっていた。辛うじて肩が上下しているところから、生きていることだけは確かだ。

 

「ぜぇー……ぜぇー……し、死ぬかと思った……!!」

「それが死の痛みだ。実感できたか?」

「物理が過ぎるだろ……ッ!!」

「ふんっ。まあいい、治ったならとりあえず立て」

「なんだよ、まだ何か──げぼはぁ!!?」

 

 リーンに促されるまま立ち上がったシャックス。

 しかし、そんな彼を襲ったのはリーンの鉄拳だった。美しい右ストレート。ピンと伸びきった肘と吹き飛ぶ悪魔を見る限り、綺麗な一撃が入ったことは明白であった。

 

「おっ……おごごごごぉ……!!? な、何しやがッ……!!?」

「──甘えたこと抜かしてんじゃねえぞ、餓鬼が」

「な゛……!!?」

 

 思わず食って掛かろうとした瞬間、リーンに胸ぐらを掴まれて絶句するシャックス。

 怪物と化したネビロスにさえ立ち向かった彼であるが、この時ばかりは身動き一つ取れなかった。それほどまでの剣呑な空気を纏う彼女が恐ろしかったのだ。

 射殺さんと言わんばかりの眼光に、自然と唾を飲み込む。しかしカラカラに乾いた喉では唾一つ飲み込めやしなかった。

 

 半ばシャックスは恐慌状態と化す。

 けれどもリーンは彼の視線一つすら逃がさない。額と額をくっ付けるように鉄仮面を叩きつけた彼女は、地響きの如きドスの利いた声を震わせる。

 

「お前は家族を救う為に罪を償う気じゃなかったのか? 何一人勝手に死のうとしていやがる」

「そ──それは……だけど、姉貴はっ……!!」

「だったら死んで償うってか? そいつは単なる“逃げ”だろうが」

 

 その問いにシャックスは即答できなかった。

 自分は今、唯一の家族を救えなかったが故に生きる意欲を削がれ、死へと逃げようとしていた。

 

 それは本人も重々理解している。

 理解は……しているのだ。

 

「……姉貴は救えなかったよ」

「そうか」

「そんな俺にまだ生きて罪を償えってか?」

「お前の選んだ道だろう」

「まったく……酷な話だぜ」

「それでもだ」

 

 自嘲気味に吐き捨てるシャックスへ、尚もリーンは真正面を向く。

 決して目を逸らさず、顔を背けず、ジッと目の前の悪魔を見つめ続けていた。

 

 そして言い放った。

 

「死んだ方がマシだと思う生き恥を晒してでも人の為に生きる──それでようやく償いだ」

「ッ……!」

「どっかの勇者の受け売りだが……私もそう思っている」

 

 それまで伝えてから、ようやくリーンはシャックスの胸ぐらから手を離す。

 すると間もなく彼女の足元からすすり泣く声が聞こえ始めた。家族と離れてしまった幼子が不安に駆られて泣きだしたような弱弱しい泣き声が。

 

 しかし、それを見てリーンはむしろ安堵した。

 この涙は、彼が未だ人の道を踏み外していない事実の証左だ。大切な人を失った喪失感と取返しの付かない罪を犯した罪悪感──その板挟みに遭いながらも苦しみ喘ぐ姿は、紛れもなく人間の姿でしかなかった。

 

 同時にリーンはそれまでの剣呑とした雰囲気が嘘のような柔和な笑みを湛える。まるで聖母を彷彿とさせる温もりと慈愛に満ちていた。

 

「いつまでもメソメソ泣くな。そんな泣きっ面じゃあ誰か分かってもらえなくなるだろ」

「んぁ……?」

「顔を上げろ」

 

 また殴られたくはないからと顔を上げるシャックス。

 すると彼の視界には一人の鳥人の姿が映り込んだ。今にも折れそうな細い体ではあるが、携える純白の羽はその者の清廉さを現すかのように白く、美しかった。

 

 その佇まいを見て、シャックスはピタリと止まった。

 時が止まったかのように微動だにしない時間が、一秒、また一秒と流れていく。

 

「……姉貴?」

「シャックス……?」

「……なんで」

 

 気付けば駆け出していた。

 

「なんでわかるんだよぉ……姉貴っ!」

 

 ほとんど飛び込むように抱き着くも、『姉貴』と呼ばれた鳥人は拒絶することなく受け入れる。

 その久しい温もりに包まれ、シャックスはワンワンと泣き始めた。

 

「ごめん、ごめんよ姉ちゃん! 俺が、おれが馬鹿だったがらっ……!」

「っ……ううん、そんなことないよ」

「姉ちゃん……?」

「私も意固地になってた。私のことを想ってくれたはずなのに、そのせいであなたをそんな姿に……っ」

「うっ……!」

 

──うぅぁぁああああん……!

 

 かつての聖都に、在りし日の姉弟のやり取りが繰り広げられる。

 その一部始終を眺めていたのはリーンだけではない。少し離れた場所でもライアーやベルゴも姉弟の再会に目頭を押さえていた。

 

「ネビロスは『使った』とは言っていたが……どうやら嘘だったようだな」

 

 ベルゴは改めてネビロスの発言を思い出す。

 奴は『資料を見直せば数えられる』と言っていた。

 人間を実験道具としか見ていない悪魔が、果たして一個人の名前を言われて思い出せるだろうか?

 

 ……そう考えてみれば、意外と単純な答えだったのかもしれない。

 

 やれやれと首を振るベルゴの横では、専門家面した鉄仮面がケタケタと肩を上下に揺らしていた。

 

「ハッ。どうせ適当な嘘ぶっ込んでお前らの反応を見たかっただけだろ」

「そのようだな。……まんまと騙された」

「ああいう手合いは人様が怒ったり悲しんだりする様子が好きなのさ。だから口から出まかせかます」

「嘘に一家言ある、というわけか」

「おいおい、同じ括りに入れてくれんなよ~?」

 

 『相手を傷つけるような嘘は吐かない流儀だからな』とライアーはおどける。

 その主張にベルゴは思わず吹き出す。いや、可笑しくてしばらく腹を抱えて笑った。

 

 ようやっと笑いが収まった頃、ベルゴは目尻に浮かんだ涙を指で拭う。

 

「そうだな……お前はそういう奴だ」

「ご理解いただけたみたいで何よりだ」

 

 ライアーの返した言葉に、今一度ベルゴは呵々大笑した。

 

(シャックスさん……ベルゴさん……)

 

 暗澹たる空気が霧散し、人々に笑顔が取り戻されていく。

 そのような光景を眺めていたアータンの口元にも、自然と笑みが浮かんでいた。感極まる余り目頭もジンジンと熱くなってくる。

 

「皆、良かったぁ……!」

 

「……」

 

「あれ……リーンさん?」

 

 涙ぐむアータンの隣を颯爽と横切るリーン。

 彼女は『仕事が残っている』とだけ告げて、実験棟から去っていった。

 

(他の人の治療しに行くのかなぁ?)

 

 アータンは呑気に先ほどの治療風景を思い返す。

 いや……あれは治療行為と呼ぶには些か過激だ。どうかお世話にならぬよう、出来る限り怪我は控えよう。アータンはそう心に固く誓った。

 

「さて」

 

 人もまばらになってきた広場にて、ベルゴは地に降り立つ一体の竜と向かい合う。

 

 罪器レナトゥス。

 レイエルの遺品でもある剣は、ネビロスとの一戦の折、ベルゴの助太刀に入って見事悪魔の腕を切り落とした。

 いかに〈怠惰〉により意思を授けられた武器とはいえ、些か狙い過ぎたタイミングであったことは否めない。

 

 ベルゴは静謐な眼差しをレナトゥスへと送る。

 

「──レイ、だな」

『ああ』

 

 よくわかったね、と小さな竜は口を開いた。

 無機質なはずの瞳には僅かだが光が宿っており、しっかりとベルゴの姿をその双眸に映している。これにはライアーも驚いたように、しかし、口を挟まずに親友同士のやり取りに黙って見入っていた。

 

「……さっきはありがとう。お前にはいつも助けられてばかりだな」

『今更だしお互い様さ。ぼくだっていつもきみに助けられてばかりだったさ』

「フッ、そうだったな」

 

 過去を懐かしむ二人。

 だが、こうしている間にも竜の形を取っているレナトゥスの瞳からは、次第に光が失われつつあった。

 

『……すまない。あまり現世(ここ)には長居できないみたいだ』

「そう、か」

『罪器に魂を入れてみたはいいけれど……世の中そう上手くはいかないな』

 

 名残惜しむ声色を奏でるレイエル。

 しかし、そもそも彼が現世に留まっていること自体が奇跡であった。本来降霊術の呪縛から解放された魂は昇天して終わりだ。

 

 だのに、罪器を仮の肉体として動けている理由は──。

 

『ミカは……元気かい?』

「──」

 

 レイエルの言葉に、ベルゴは沈痛な面持ちを湛えて目を伏せた。

 当然、覚悟はしていた。

 だが、いざ面と向かって言われるとなると、今日のどの死闘よりも鋭い痛いが心の臓を貫くようだった。

 

「ミカ、は……」

『……そうか』

「すまない、オレはミカを守れなんだ……ッ!!!」

『いいや──ミカは生きている』

「…………………………は?」

 

 理解が追い付かず、返答できたのは貴重な残り時間を数秒費やしてからだった。

 

「ど……ど、どういう、ことだっ……?」

『あの日、ぼくはネビロスの命令に従う形で聖都の各地を回った』

 

 命令のほとんどが重要拠点の破壊。大聖堂や騎士団の詰所といった、守りの要となる場所であった。

 

 けれども、唯一毛色が違う場所もあったのだ。

 

 それこそがベルゴの家だったのだ──レイエルは淡々とした口調で当時を振り返った。

 

『どうやらネビロスはミカに目を付けていたらしい。きみが育てているということも把握していたようだ』

「それがミカが生きていることとどういう関係が……!!?」

『もぬけの殻だったんだよ』

 

 レイエルは語る。

 ネビロスは聖騎士と聖女の子供の素養に目を付け、真っ先にベルゴの家へと自身を向かわせ、ベルゴが留守中の自宅を襲撃したのだ。

 

 だがしかし、彼の家は無人だった。

 

『──恐らく、アグネス様がいち早くミカを連れて逃げ出して下さったのだろう。あの人が一緒に居るなら大丈夫だ。現に今日まであの子が捕まった報せは届いていなかったからね』

「馬鹿な……では……!!?」

『ミカは、この世界のどこかに居る』

 

 強く、そして信じるようにレイエルは言い放った。

 

 それはアニエルを聖女へと推薦した元聖女アグネスへの信頼か。

 はたまた、純粋に父として娘に生きていてほしいという願いか。

 

 どちらにせよレイエルはミカの生存を心より信じていた。

 

『ベル……もう一度、きみに頼みたいことがある』

「な、なんだ……?」

『もしもあの子に会ったら、こう伝えてくれ』

 

 最後の力を振り絞るよう声音で、彼は紡ぐ。

 

 

 

──ぼく達はきみを愛しているよ、ってね。

 

 

 

 それは父として、親として。

 本当は伝えたかった、けれど、伝えられなかった愛の言葉だ。

 

 叶うなら今からでも世界中を飛び回り、愛する我が子を見つけ出し、己の口から伝えたい真実の愛だ。

 

 しかし、それが叶わぬとはレイエルが一番よく理解している。

 だからこそ最も信頼に値する親友に……否、認めた男に託すのだ。

 

『頼んだ、ぞ……ベ、ル……』

「レイッ!!!」

『どうかミカエルに、届、け──』

 

 光が……絶えた。

 辛うじて魂を留めていた器から生命の気配が消えるや、レナトゥスは元の剣の姿へと返っていく。

 

 変形が終わった時、そこに友の気配は無くなっていた。

 

 天に昇った……いいや、帰ったのだろう。

 最愛の人──アニエルの居る場所へと。

 

「レイ……」

 

 親友の向かうべき場所を見上げるベルゴ。

 直後、ポツリと一粒の雫が地面を濡らした。空はあんなにも晴れ渡っているというのに、地面を叩く雨粒は中々止む気配がない。

 

「……ミカ」

 

 瞼の裏に浮かぶのは親友に託された──そして、自分の愛娘でもある子の太陽のような笑顔だった。

 

(ああ……)

 

 瞼を開ける。

 どうやら世界は未だ薄暗い。あの子の笑顔を前には、太陽の眩しさでさえも劣っていた。

 

 その事実を実感するベルゴは、転がるレナトゥスを拾い上げる。

 そのまま柄尻を額に押し当てれば、今一度瞼を閉じた。

 

 

 

 まだ取り戻すべき輝きは、ここにあった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 地上の戦いが終息を迎える頃、地の底で一つ動きがあった。

 ここはドゥウスの最深部。地下全体に張り巡らされた地下水路のさらに奥。かつての聖都を知る騎士でさえ、この空間の存在は知らないだろう。

 

 何故ならここはドゥウスが魔都と呼ばれるようになってから誕生せし地。

 誰の目にも付かぬ、完全に秘匿された場所だから。

 

 知られるわけにいかぬものを隠すには最適だった。

 

「──」

 

 紫紺の炎が灯る蝋燭が円状に配置される魔法陣。

 その中央に向かって一人の悪魔はブツブツと不気味な呪文を唱えていた。

 

 直後、血で描かれた魔法陣は淡い光を放つ。

 蠟燭に灯る炎も不自然に揺らめき、ボボボッ、と不規則な燃焼を繰り返す。

 

 すると、魔法陣に中央に鎮座していた肉塊に異変が起こった。

 

「お──ぉぉおおぉぉぉおお……!!!」

 

 不愉快な音を響かせ、肉塊が蠢く。

 数分もすれば肉塊が人型を成し、一糸纏わぬ一人の魔人が生まれ堕ちた。

 

「ばぁぁあああ!!! はぁ……はぁ……!!!」

 

 苦悶に呻き、心臓を抑える魔人。

 青白い肌をした枯れ木のような手足をした魔人は、呼吸を整えるべく数度深呼吸をし、ようやっと血の気が引いた面を上げられた。

 

「ネズミ共、がぁ……!!!」

 

 その顔はこの世にあってはならぬ者のものだった。

 呪術的な化粧も施せず、素顔を晒した奴の正体は……。

 

「〈怠惰〉めぇ……よくもおれをぉ──ごぶッ!!?」

 

 〈大疑〉の大悪魔ネビロス。

 新たな肉体(うつわ)に降霊された彼女であったが、本調子ではないのか、口からは夥しい量の血が溢れ出す。

 

「はぁ……ちぃ!!! 魂が削られ過ぎたぁ……おい、ブネぇ!!! 早くおれを連れてここから──」

 

 

「どこに行こうと言うんだ?」

 

 

「……は?」

 

 その時だ。

 突如としてネビロスの顔面を何者かの手が掴む。最初は困惑するネビロスであったが、魔法陣の傍に転がる部下の死体を見て、事態を察する。

 

「まさか、確実におれを殺す為だけに降霊をぉ……!!?」

「ああ、そうだ」

「おまえぇえぇえ……!!! 降霊術を一体なんだとぉ……!!!」

「さあな。だが、部下はお前を呼び出せば命だけは見逃してやると言ってやったら快く引き受けてくれたよ」

 

 しかし、結果は見ての通りだ。

 他者の命を引き合いにする命乞いの結末など知れている。

 

 薄暗い空間、しかし、それ以上に暗澹たる絶望的がネビロスの周りを埋め尽くす。

 何とか打開する策はないか──そもそも相手の正体を掴めぬネビロスであったが、かすかに感じられる魔力にハッと瞠目した。

 

 同時に納得もした。

 なぜなら奴は言っていた。全てを知っていると。

 

「おまえぇ……〈虚飾〉かぁ!!?」

「いいや、違うな」

「なぁ……!!?」

 

 否定と共に、不気味に照らし上げられていた鉄仮面が脱ぎ捨てられる。

 すると内部へ綺麗に収まっていた黒い艶髪が、周囲の炎に照らされて天使の輪を浮かべた。

 

「罪器ファルスス。こいつに刻まれた〈虚飾〉の力は、()()()()()()()()()()()()()()()

「っ──その顔はぁ……!!?」

「やっと思い出したか?」

 

 鉄仮面を脱ぎ捨てた黒騎士──リーンの素顔を見るや否や、ネビロスは納得した様子でうわ言を繰り返す。

 

「そうかぁ、そういうことだったのかぁ……!!! この戦いを仕組んだのもぉ……偽りの情報を仕入れさせたのもぉ……この場所を探り当てたのもぉ~~~……!!?」

「ふんっ。そういう面倒なのは私の領分じゃない」

「う……ぎぃ!!?」

 

 ネビロスの顔面を掴んだまま、リーンはその体を持ち上げる。

 大した膂力だ。しかし、それ以上に掌から溢れ出す赫々とした炎が、ネビロスにとっては何よりも恐ろしかった。

 

「私の仕事は──こっちだ」

「フ、フフ、フ……!!!」

 

 全てを悟り、ネビロスは笑うことしかできなかった。

 間もなく自分は処される。火刑の如く全身を焼かれて、だ。

 

 己の最期を想像し、怯えた瞳を湛える〈大疑〉の大悪魔は、せめてものと言わんばかりに乾いた声を震わせる。

 

「復讐かぁ……?」

「それ以外にあると思うか?」

「お前ほどの罪使いが堕ちたものだなぁ……あの〈虚飾〉も、その道具というわけかぁ?」

「……馬鹿を言うな」

 

 ミヂリッ、と皮膚が突っ張る音が鳴り響く。

 ネビロスの口からは『ぎぃ!!?』と苦悶の声が上がるも、リーンの手が緩む瞬間は一瞬たりとも存在しなかった。

 

「奴はただの仲間だ」

「仲間、だとぉ……!!?」

「こう見えて私は寂しがり屋なんだ」

 

 落ち着いた、けれども、怒りの色が滲んだ声色は淡々と紡がれる。

 

「……サタナキアに会ったら伝えろ。『必ず殺してやる』とな」

「ぐ、ぅぐぅぅぅううぅううう……!!?」

「ただし──地獄でな」

 

 

 

──〈怒りの火(ディエス・イレ)

 

 

 

 刹那、リーンの掌より劫火が迸る。

 ネビロスが、かの大悪魔の肉体がものの数秒で灰燼と化すほどの火勢。それは暗闇に包まれていた空間を、そこに所せましと並んでいた蘇生用の道具の一切をも焼き尽くした。

 

 間もなく部屋は赫々と燃え盛る炎に包まれる。

 火の海の中、しばしリーンは一人立ち尽くしていた。

 

「……こんなものか」

 

 〈六魔柱〉を殺したとは思えぬ、淡々とした口調だった。

 だが、実際当人にとってはそれだけの事実でしかない以上、やり切ったという感慨も達成感も皆無のまま、彼女は一時脱ぎ捨てた鉄仮面──ファルススを被り直す。

 

 

 

 黒騎士としての姿を取り戻した彼女は歩み出す。

 

 

 

 灰が積み上がり、炎を掻き分けた先へ。

 

 

 

 




Tips:罪器ファルスス
 リーンが被っている鉄仮面。
 刻まれた〈虚飾〉の力は、装備者の魔力を別人に偽るとされているが……?
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