たとえ現在は人工フラクトライト……魂を宿している疑いがあろうとも、その大本……基盤となっているのが変わらずミニオンならば、そのプログラムコード特有のあれこれ……ための動作等基本モーションの前兆は、そう簡単に変わっていないのではないかという予測は当たっていた。
問題は動体視力で追え、頭で理解できるそれに、和人の体が追いつかないことだ。
ミニオンの突進技を、一撃でも食らったら動けなくなる。
それを確信しているからこそ、何とかその軌道上から逃れようとしているが、その余波から完全に逃れられていない。
砕ける校舎だった残骸を目眩ましに使いながら、和人は下へ下へと駆け下り……いや、既に
(変だ……なんで)
最初は、他の生徒を巻き込んでしまうかもと言う不安はあったが、その不安は幸か不幸か、すぐに霧散することになった。
同時に湧き上がったのは、言いようの無い焦燥感と、恐怖心である。
(誰もいない……誰一人会わない……そんな偶然、有るはずが無い……!!)
カフェテリアにいたのはどう見積もっても十数人。
首都近郊のSAO事件被害者のうち、更に学生だけとはいえ、帰還者学校の全校生徒数は中高合わせて一応は百人には届いていた筈だ。
何よりこれだけの大きな騒音が出ているのに、教師や警備員……そんな大人が現れる気配も足音すらない。
「ははははははっ!!」
笑っているのか、何度目かの壁への激突の後に声を上げたミニオン「擬き」はズンズンと足踏みを始めた。
「なんだ?」
不安感も相成り、咄嗟に止まったのは後から考えれば間違いなく失敗だ。
ミシミシと廊下に走る亀裂に、次に何が起きるか気づいた和人は走り出すが間に合わず……そのまま床ごと下へと落下した。
「これは……どうなっているの?」
最後に異形の存在を確認した真新しい教育施設に入り込んだヴィーナス以外の内部太陽系の戦士達は、子供一人いない、静かすぎる校舎に顔を強張らせた。
「強い……歪みが発生している! おそらく中にいた人達はどこかに空間ごと移動している可能性が高いわ!!」
マーキュリーゴーグルを使い、何事かを調べていたマーキュリーの声にジュピターは低い声で呟く。
「奴等の仕業か?」
自分達が苦渋をなめさせられた相手に怒りを向けるジュピターだったが、それに対してマーキュリーの反応は明瞭ではない。
「分からないわ……確かに「月」にあった歪みに近いものだけど」
断言するには早すぎると言葉を詰まらせるマーキュリーの声に被さるように、それは起きた。
巨大な震動と共に、建物の一部……中庭を挟んだ別棟が崩れたのだ。
「なるほどね」
計画の概要を聞いた男は画面を凝視しながら忙しなくキーボードを動かす男に、それでと言葉を加える。
「回収した中にいたんですか? 「セイオウ」らしき対象は?」
揶揄い混じりのこちらの声にいらつきを隠さないワイエルメスの姿が応えなくとも雄弁に語っている。
おそらく外れたのだろう。
現在、リアルワールドの生命が活動できる青い惑星……アンダーワールドでは主星、カルディナに該当するだろう星の名前は「地球」と言うらしい。
その「地球」の中に、自分達の探している「セイオウ」が存在するのは間違いない。
ワイエルメスがモニターで懸命に調べている「セイオウ」の力……それがあの星を包むように大きく渦巻いているのは自分でも分かる。
ゾクゾクするような感覚、と言うのだろうか。
あの女は強い香りと言っていたし、感じ方は個々に違いがあるのかもしれない。
だがそれは間違いなく、いま自分達が
「しっかし……何なんでしょうねぇ、「セイオウ」って」
つい呟いたこちらの声に、訝しげなワイエルメスの視線が注がれる。
それに気づかないふりをして、男は自分が知る「セイオウ」とやらの情報を頭の中で浚った。
人界と暗黒界の間で起きた「異界戦争」で敵、暗黒神ベクタを打ち破り、その後、後の暗黒界で最高権限を持つ暗黒拳闘士、イスカーンと一騎打ちを行い、それを下し人界代表剣士に着任した……と言われている。
星界統一会議の前身に当たる人界統一会議を発足後、それまで人界を治めていた公理教会にかわり整合騎士団を支配下に置き、セントラル・カセドラルを本部とする。
王妃である星王妃は一説では天界三神の一人、創世神ステイシアの生まれ変わりと言われているが、流石にこれは後世の後付けだろう。
でなければ随分と狂った女性だ。
その後、機竜を製造し、終わりの壁を越え、新大陸に到達。新大陸に君臨していた主と呼ばれる神獣達を相手取り、星そのものを開拓した。
そういった意味では彼は君主と言うより他の呼び方の方が合っていたのかもしれない。
それでもその人物を「王」と呼ぶのは確かに彼の言葉がその治世の大まかな指針となっていたからに他ならない。
人界人だけでなく、暗黒界人まで信頼関係を結べた人界人は、あの当時かなり稀少と言って良かっただろう。
それが実は純粋な人界人ではなく、外側の世界、リアルワールド人の擬態した姿であったなど、知っていた存在はどれほどいたのだろうか。
もしかしたら最側近とされていたから整合騎士団の面々すら知らなかったのかもしれない。
(まぁ、今となっちゃあ、どうでも良いんだろうけどな……)
そう独り言ち、男が漏らしたのは自嘲だろうか。
今の時代で「星王」の物語を実話として受け取るものは殆どいない。
名前すらも明かされない英雄は、絵本の英雄である「ベルクーリ」よりも信憑性がないだろう。
星王の紋章を掲げる者達も、実際に実在していた人物と言うよりも象徴と言う意味合いでしか受け取っていないのではないだろうか。
機士団が生まれる以前、今では保護区にしか生存しない飛龍を駆って戦ったという騎士団がおとぎ話とされるように、実際の星王の存在など真剣に取り合うものなど今の世界には存在しない。
(だからこそ、その力も重要視されない……本当に馬鹿な話だ)
「「セイオウ」が何だろうがそこまで問題はないでしょう」
モニターから目を話もしないワイエルメスの声に顔をあげる。
どうやら男の独り言に、律儀に返答をくれるらしい。
「力は使わなければ意味がない。そこにあるなら利用する方法を模索し、効率よく使用するだけです。それ以外の理由など不要でしょう」
モニターの中ではいくつものデータが折り重なるように、一つの空間上に重なる。
一つの空間に、何十箇所もの別の空間……この場合は別の場所といいかえるべきだろうが。そこに存在していた人間の座標を上書き、移動させた結果が示されているのだろう。
そんなことをすればその空間はとんでもなく捩れ、いびつな形になりそうなものだが、
そこに自分達の目的となる「セイオウ」がいないと言うのなら尚のこと。
「力は単純に、力でしかないのだから」
「ぐう゛っ……!」
ズキリズキリと熱と共に訴えられた痛みに、和人は意識を覚醒させた。
気を失っていた時間がどれくらいかは分からないが、周囲を見回したことで、この場所がかなり酷い崩れ方をしたのだと分かる。
「五体、満足なのは……運が、よかったな……」
思わず零した呟きに、自然と苦笑が漏れる。和人の体ほどの大きさで転がる石……崩落した校舎の残骸が辺り一面の視界を塞いでいた。微かに空気の流れが感じられるので生き埋めにはなってはいないが、あのミニオン「擬き」がこちらを見失うのには十分だったのだろう。
出来ればあちら側は巻き込まれて重傷になっていて貰いたいものだが、これが向こう側がしかけた攻撃の延長である以上、その可能性は極めて低い。
「明日奈、達は……大丈夫、かなぁ」
ミニオン擬きから逃げる時、棟と棟の渡り廊下を何回か走り抜けた記憶はあるのでグルリと一周していなければ別棟にはなっていたはずだ。
どれくらいの規模の揺れかが分からない以上油断は出来ないが、この崩壊に巻き込まれた可能性は低い、と思いたい。
はぁと吐き出した吐息が熱を持っている。
バクバクと早く打つ心臓の鼓動から、熱が出ていることが分かった。
興奮しているのか、出血があるのか。
どこかはっきりとしない思考を遊ばせながら、自分の体を確認すれば、異変はすぐに分かった。片足…左足の膝から下が、不自然に腫れ上がっている。
おかしな方向に折れてはいないが、これでは上手く立ち上がることも難しいだろう。
歩くことなど論外だ。
「………っ!」
微かに息をのみ、僅かに止める。ゆっくりと息を吐き出しながら、意識を研ぎ澄ませ、集中力を高めていく。
バクバクと早まったまま、落ち着かない鼓動を数えながら、思考だけは止めずに考え続ける。
ミニオンの動きは読めないが、予想はいくつか立てられる。
その最たる物が、和人が稼いだ……そう思いたいヘイトがどうなったかだ。
こちらにヘイトが向き続けていれば落ちた和人を探している可能性がある。
和人としては、その展開が望ましい所だ。
ヘイトが落ちていた場合、異なる相手にヘイトが移りミニオンが移動する可能性がある。
まだカフェテリアに残っているかもしれない明日奈やリズ、シリカ……珪子だけでない。
外に出られたらそれこそ、街中が大混乱になるだろう。妹の直葉や母の翠……他にもたくさんの人達が巻き込まれるかもしれないのだ。
既に複数のミニオンが街に被害を与えている事も知らず、和人は思考を続ける。
それは他者から見れば明らかに異様に感じただろう。
力のないものが力あるものを阻もうとする。
そんなことは出来るはずがない。
和人とて、普段なら迷いなくそういうだろう。
自分が無力な人間な事も。
相手が下手な野生動物よりも、余程脅威と言うことも知っている。
ゲームの中と異なり、スキルもない自分に出来ることなど何もない。
(そんなことは分かっている。けど……)
それでも、引くわけにはいかない。
脳裏に浮かんだ仲間達の姿に、目を閉じずとも浮かぶもう一人の自分の姿に、浮かべた笑みはもう苦笑に近かった。
今までそうやって「キリト」は戦ってきたのだ。
「桐ヶ谷和人」と「キリト」には、VR空間と現実世界と言う絶対に越えられない境界がある。
「桐ヶ谷和人」が「キリト」と同じ行動をする必要は必ずしもないだろう。
VRゲームだけではない。
人は誰しも何かを演じている。
現実世界とゲームの中で、完全な地続きになるなどあり得ない……そう言い切れれば確かに楽になるのかもしれない。だが同時に、おそらくそれを認めてしまえば和人は己の中の芯をなくすのだ。
自分の生きる世界こそが現実だと、他ならないあの死のゲームの中で昔の自分が、今の自分の原点が言い切ったのだから。
だからこそ、たとえどんな世界であっても、守ると誓った事は消えない。……消すわけにはいかなかった。
「やれるかやれないかじゃない」
小さく呟いた和人は目の前の障害物となり得る残骸に手をかけ、なるべく左足に体重をかけないように立ち上がる。
「やるんだ」
その目には鋭い光が一つ瞬いた。