降り立ったその場所は見渡す限り、辺り一面が黄色系統の様々な花で敷き詰められていた。
漂う香りは互いに調和するかのように混ざり合い、ここが観光地であったならば、皆が顔を綻ばせていただろう。
「クレーターが無い、どころじゃないな」
苦々しげに呟く、木野まこと……いや、既に変身している今は戦士として、セーラージュピターと呼ぶべきだろう。
「シルバーミレニアムの町並みも、ムーンキャッスルもない……! まるでまったく違う場所にいるかのよう……!!」
声を震わせる水野亜美……セーラーマーキュリーに至っては、顔が青ざめるどころか蒼白となっている。正しい座標だと認識できているが故に、尚更、驚愕が上回ったのだろう。
「…………」
動揺する対して無言のヴィーナス。同じく冷静に周囲に気を配っていたマーズは、クルリと背後にいた外部太陽系守護戦士の四人に視線を向けた。
「やっぱり、間違いない」
ただその視線の奥にはメラメラと、隠しきれない激情が迸っていた。
「月はここよ。間違いなく……ただ巨大な何かが、膜のように月を覆っている。そのせいで、本来の月の力が地表にまで届かなくなっているんだわ」
「なるほど。つまり私達が見ているこの風景は、その「膜」に映っている虚像のようなものという訳ね」
マーズの結論を補足しながら、セーラーネプチューンは、手に抱くタリスマン、サブマリン・ミラーを傾け、マーズのいう「膜」を鏡に映す。
しかしその光景が、元の見慣れたクレーターへ変わることはなかった。
「同時に、この星の全域から次元の歪みを感じます……やはり別次元からの侵略と、見るべきなのでしょう」
セーラープルートが手元のタリスマン、ガーネット・オーブに触れながら呟く。
その僅かに震える声に、ふとマーズはつい数時間前に炎を介してみたものを口に出していた。
「「異世界」の門が再び開く。……変革がもたらされる……」
「マーズ?」
前触れもなく告げられたマーズの言葉に、振り向いたヴィーナスが首を傾げた。
「……今朝方の祈祷で出たの。その時は意味はよく分からなかったけど」
「この事態に関係があると言うこと?」
「……分からないわ。ただ、祈祷で悪しきものとは感じなかった」
マーズの言葉に皆が一様に眉を寄せる。
少なくとも、月をこのような状態にしている相手を、善いものとみるのは、ここにいる全員が難しい事実だ。
「人の気配は、無さそうだな」
重くなる空気に耐えきれないのか、微かに息をついてジュピターは切り出した。
月の異変の元凶がこの「膜」だと分かったものの、このまま手出しが出来ないのならば意味がない。
「異世界……それがこの膜に映されている光景と仮定するなら、その「門」とやらがつなぎ目になっていると言うことか?」
マーズの言葉を受けて、考察するウラヌスに、サターンはプルートを見つめた。
「全域から次元の歪みを感じるって言ったよね? それってどの場所も同じように歪んでいるの?規則性とか……局所的に歪みが酷いとかない!?」
サターンの的確な意見に他の戦士達の目の色も変わる。
プルートが目を閉ざして気配を研ぎ澄ませると、確かに彼女の考察通り、局所的に歪みが多く生じている箇所が存在していた。
「あります。全部で五つ。これは……」
気炎を上げ、プルートは続けた。
「ムーンキャッスルの心臓部、祈りの間と、晴れの海……マーレ・セレニタティスを囲うように、四方……おそらく、東西南北に」
「異世界……」
セーラーマーズの祈祷、そこに出たという言葉を、ちびうさ……セーラーちびムーンは繰り返した。
彼女もまた、月の守護を持つ戦士だが、月野うさぎと異なり、彼女の守護星は未来の30世紀に存在する。
それでも、今の月に充満する空気は、どこか嫌だった。
息の詰まるような、胸に大きな石でも詰め込まれたかのような苦しさを感じるのだ。
「大丈夫か? ちびムーン」
彼女の歩調に合わせてくれる未来の父、衛こと、タキシード仮面に頷きながら、同時にこの星に足をつけてから感じる、どこからか聞こえる、頭の中に響く奇妙な声に息をのんだ。
何重にも音が重なり、何を言っているのかは分からない。
ただ彼らが発する何か……強い感情というものが、ちびムーンの心をひやりと撫でるのだ。
とある場所では「心意を侵す心意」と呼ばれる力を、知らず知らず受けながら、ちびムーンは歩みを進めていく。
その先にある更なる絶望にまだ誰も気づくことなく。
その頃、地球にめぐるあらゆるネットワーク……
電子の海の中では、ある者は驚愕し、ある者は絶叫し、ある者は目を丸くした。
中には言葉を失った者もいるだろう。
「信じられるかい!? あんな月はあり得ないよ!!」
いくつもの政府機関でも確認された、明確な月についての異変。
めざといメディアは国としての見解が発表される前に速報という形で民衆に周知していく。
天体望遠鏡の一つでもあれば月の天体観測は難しくない。
速報が信じられずに望遠鏡を覗き込み、それが真実とわかり更に混乱が広がる。
そんなループが形成されつつあった。
「お兄ちゃんっ! 起きてっ!!」
がばっと、音を立てて布団を剥ぎ取られた青年、桐ヶ谷和人もそんな混乱に巻き込まれた一人だった。
「どうした……スグ……眠い……」
切れ切れに不満を訴える兄を気にすることなく、妹、桐ヶ谷直葉は手の中にあったタブレット端末を大きく掲げた。
「大ニュースだよ! 月が! 月じゃなくなったの!!」
「……はぁ?」
訳の分からない主張に、寝ぼけ眼のまま、首を傾げることしか出来なかった。