稼ぎの少ないオカルト事務所所長、VTuberになる 作:酉柄レイム
「……ん?」
気が付けば、そこはオフィス失楽園だった。いつもと違うところと言えば、配信機材がないところだけ。隣に目を向ければ、満と月宮さんがいた。
「これ……夢?」
「にしては、リアルだな」
「こうして会話できてるのも不思議だし……」
試しに満に触れてみる。ちゃんと触れられて、感触もある。お約束のように自分の頬をつねると、痛覚もある。確かに俺たちはホテルで寝たはずだ。それなら、今は一体なんだ……?
「何かおかしなところがないか、探してみましょ……って、あんた」
「ん? どうした」
月宮さんが俺を見て、頭痛を抑えるように額に手を当てる。そうしてから、俺の左手に目線をやった。なんだ? なくなってるとか? 生憎だが腕の感触はあるし、新しい時代にかけてきた記憶もない。
何を見ているのかと左手を見てみる。白くて細く、病人のような手。およそ健康的とは言い難いその左手の薬指に、指輪が嵌められていた。
「……ここは、奇紀怪解の世界、ということか?」
「多分ね。私たちがどういう状態かはわかんないけど、あんたに結婚の証があるなら、そう考えるのが自然」
「なんか、こう、指輪を見ると実感が沸くなぁ」
「佐藤さん、感動するのは後にして」
いや、記憶としてはあったが、過ごしていた世界では結婚していなかったからつい……。すごいな、俺。まさか結婚できるなんて。透華もよく俺を見捨てないでくれたものだ。それを言ったら帝斗も満も、俺の周りにいてくれる人全員がそうなのだが。
とりあえず、ここが奇紀怪解の世界であろうということはわかった。しかし、それだけ。しばらく事務所の中を調べてみるが、いつもと変わらない事務所だ。覚えのない、正確に言えば俺がいた世界では覚えのない食器等は、アザミや聖麗、マリーのものだ。結婚指輪と合わせて、ここが奇紀怪解の世界であることの証明。
「電波もない。テレビをつけても何もやってない。奇紀怪解の世界とは言っても、完全にそうっていうわけでもなさそうね」
「世界という箱だけがあって、そこに入れられたような感覚だな」
「んー、本当に夢みたいだね。明晰夢っていうやつ?」
「その程度ならまぁいいが」
「はい、どーん!!!!!!」
「おわぁっ!!???」
目の前にいきなり頭蓋骨が現れ、思わず腰を抜かす。職業と能力柄ホラー耐性はあるが、びっくり耐性があるわけではない。そもそもいきなり目の前に頭蓋骨が現れて腰を抜かさない人間がいるか? あとなんで俺は責められているわけでもないのに言い訳をつらつら述べているんだ?
骸骨は、青白い光を纏って宙に浮いている。かたかたと顎を動かしているのは、笑っているのだろうか。
気になるのは、声、そしてその魂。魂を知覚できるというのは難儀なもので、目の前のこの骸骨が何者であるか、俺にはわかってしまう。
「聖麗か?」
「さっすがショチョー! お久しぶりです! 現代最強の陰陽師、オフィス失楽園所属、安倍聖麗です! いやぁーショチョーも満さんも月宮さんも、お変わりないようでなにより!」
「……久しぶりっていうことは」
「えぇ、あなた方なら確定とはいかないまでも、その可能性にはお気づきかと思います。あなた方がいたのは、所謂夢の世界。あなた方が、そしてあなた方を気に入っている邪神が撃退した、邪神によって作られた世界」
月宮さんの手を借りて、立ち上がる。
月宮さんの言っていた説の一つが、当たったということか。俺たちにとっての元の世界は奇紀怪解の世界で、じゃあ俺たちが過ごしていた世界はなんだというのは、邪神によって作られた夢の世界。
目の前の骸骨が、邪神によって作られたものだということも考えなくはなかった。でも、俺には魂を知覚できる。だから難儀だと言った。目の前の骸骨は確実に聖麗で、邪神によって作られたものではない、覚えのある魂だったから。
あの世界が作られた世界だと、信じることができてしまう。
「質問してもいい?」
「ハイ、どうぞ」
「あの邪神……複数いてわかりにくいわね。夢の邪神が作った世界に私たちが囚われた、っていうのは理解したわ。それで、あなたはどうやってこちらへ干渉できたの?」
「あくまで夢の世界ですからね。あなた方の体は無事で、ずっと眠ったまま。脳波を見れば生きていることはわかったので、あとは夢の世界からこちらの世界へ近づいてきてくだされば、干渉は可能でした。別世界を知り尽くした朝凪さんと、不浄の存在をよく理解していらっしゃるアザミさん、そして、ショチョーの次にオカルトの才能があるワタシがいれば、その程度は可能です。透華さんの時は何もできませんでしたので、今回ばかりは失敗するわけにはいかない、と。苦労しましたよォ、干渉できる方法はあっても、あなた方がこちらへ近づいてきてくださらなければ、干渉は不可能でしたから」
かたかたと骨の音が鳴る。明るく陽気に伝えてくれてはいるが、言葉の端々に俺たちへの心配が感じられた。
「ちょっと、座っていいか」
「どうぞ」
いつもの所長机に座る。背もたれに体を預け、天井を眺めた。
あれが夢の世界だと言うのなら、言われなくても想像できる。俺たちが元の世界へ帰ってしまえば、あの世界はなかったことになるんだろう。タチが悪い。俺たちには元の世界の記憶もあるが、あの世界で過ごした記憶もある。
『project:eden』という事務所に、俺たち同期のことが大好きなアザミさん、俺を慕ってくれる星菜さん、そんな星菜さんをコントロールし、俺を気にかけてくれる明さん、頭のおかしい一期生、変態的言動と行動が目立つ安倍さん、俺に激重感情を抱く朝凪さん。こんな俺を面白がって見てくれていた視聴者。そして、VTuberになる前から俺の側にいてくれた帝斗と透華。
あの人たちがすべて作られた存在で、なかったことになる。わかっている。あの世界に対する執着は、夢の邪神の思うツボだと。夢の世界に囚われてしまえば、覚めることのない夢の世界で一生を終えることになる。
元の世界に帰れば、あの世界で過ごしてきた時間を否定することになるんじゃないか。
「……あんた、優しいのね。言っちゃ悪いけど、あの世界は夢の邪神の作り物。関わってきた人たちだって、私たちの記憶、知識をベースに作られた、本物に近い何か。だっていうのに、捨てるって即決できない」
「……あぁ」
月宮さんの震えた声に、肯定する。
そりゃあ、愛着はある。元の世界を知っている俺からすれば、今思えばまさに夢のようだった。誰も不幸にならず、誰も不浄の存在の被害に遭わず、幸せに暮らしている。俺は相変わらず依頼がなかったが、VTuberとして活動し、軌道に乗り、みんなが面白がってくれる毎日は、平和で楽しかった。元の世界のように慌ただしく鮮烈な日々ではないが、尊ぶべき日々だった。
それをすべて嘘だと切り捨てることが、どうしてもできない。
「……俺たちの周りに、誰かいてくれているのか?」
「えぇ。毎日、誰かが側にいて、声をかけています」
一ノ瀬姉妹やルイスたちのあれは、俺たちが元の世界に近づいたことで、元の世界で俺たちに対してかけられていた声が、あぁいう形になって表れた、ということか。
「あと、どれくらい時間が残されてるの?」
「正直なところ、ギリギリですね。残り一週間程度。一週間経てば、目覚めることはないと思ってください」
「元の世界に帰る方法は?」
「オフィス失楽園の事務所。その寝室で、また眠ってください。そうすれば、あとはこちらでなんとかします」
「そう。わかった」
月宮さんは、もう決めたようだ。相変わらず決断が早い。いつも前を向いている。俺は、片方の目を隠しているくせに、人より視界が狭いくせに、後ろを向いたり前を向いたり、優柔不断極まりない。
元の世界に帰るべきというのは理解している。それを気持ちが邪魔している。どちらの世界も大切で、捨てられない。
「佐藤さん。私は、いいよ。佐藤さんがどっちを選んでも」
「満」
気づけば、隣に満が浮いていた。いつものように明るく笑って、俺の頬を撫でる。
「言ったでしょ? ずっと隣にいるからって。佐藤さんがどっちの世界を選んでも、私は隣にいる。一緒に苦しんであげられる。だから、いいよ。それに、夢の世界に囚われて目覚めなくなっちゃっても、みんなならなんとかしてこっちの世界に入ってきてくれそうだし!」
「……お望みとあらば」
「……わかってると思うけど、私たちの帰りを、目が覚めるのを待ってくれてる人たちがいるのよ」
「あぁ、わかってる」
「そう」
魂を知覚できる俺には、聞こえるんだ。
──いっつも頑張ってたし、もう少し寝かせてあげてもいいけどね
──しかし、いつ見ても寝顔までクールだな 流石だ
──あら、オシャレの間違いじゃなくて?
──羨ましいなァ どんなシゲキ的な夢見てんだ?
俺たちの側で、心配そうにしている星菜さんの声が、優しく見守る明さんの声が、いつも通りのルイス、イベリス、シゲキの声が。
──うるさいぞ、お前ら 集中させろ
──いつも通りの方が安心するっしょ
やかましく騒ぐリニスの声が、イラついているアザミの声が、激重ではなく、軽い調子のマリーの声が。
──勘弁してやれ……いや、そうだな 怒ってもいいんじゃねぇの
透華と、帝斗の声が。
「……一週間だな」
「えぇ」
「事務所のベッドで、寝るんだな」
「えぇ」
「わかった。聖麗」
膝に手を置いて、立ち上がる。
「俺は、ミッドナイト・サイコナイト。深夜の狂騎士だ。みんなにそう伝えておいてくれ」
「それになんの意味が……?」
「けじめだ」
あの世界の記憶がある満と月宮さんは、俺が言ったことの意味を理解したのか。少し、苦しそうな顔をした。
「ここから出る方法は?」
「あの世界で眠っているだけですから、あの世界で目を覚ませば出られますよ」
「そうか」
「気合い入れて立ち上がったのにね……」
「行き場所失ったわね」
「うるさいな! 聖麗、もういいぞ。あまり長居するのもよくないんだろう」
「おや、お気づきでしたか」
ここは、元の世界と夢の世界の狭間のような場所。長居すれば、聖麗も夢の世界に引きずり込まれてもおかしくない。
「それでは、この辺りで失礼いたします。最後に、皆様からの伝言を」
面白い土産話を期待している、とのことです。
それだけ言って、聖麗は消えていった。
「……満、月宮さん」
俺は、二人の目を見て。
「戻ったら、卒業配信でもするか」
「事務所に迷惑かけちゃうわね」
「……うー」
「はは、なんだ満。ずっと隣にいてくれるんだろう?」
「……うん」
ふよふよと満が近づいてきて、俺の肩に顔を埋める。
「ありがとう、満」
「うん」
「月宮さんも。俺がうじうじしてしまう分、強いあなたがいてくれて助かった」
「あんたも、偉いわよ」
「そうか」
「そうよ」
「そうか……」
やがて、目が覚める。
俺たちに残された時間は、一週間。
俺たちがVTuberとして過ごす、最後の一週間だ。