我ながら手探り状態の駄文だとは思いますが、楽しく読んで下さる方がきっといると信じたいです。
トンネル内に巣食う呪霊達を同期に負けないよう懸命に祓いながら、猪野の脳裏に一つの疑問が生まれた。
今回、猪野達が出動する事になった契機である新しい被害者は、車輪に轢かれたように両脚が潰されていた、と聞いていた。
しかし、自分が郡と共に祓った呪霊の中に、そのような力を持った呪霊はいなかった。
その呪霊は一体何処に潜んでいるのだ?
そう思った直後、その問いに答えるようなタイミングで地面から強大な呪力が湧き上がってくるのを猪野は感じた。
それは郡も同様で、感じられる呪力は明らかに報告されていた二級程度の呪霊のものを上回っていた。
突然の事態に硬直するを二人を尻目に、強烈な呪力の塊がゆっくりと地面から姿を表した。
それは、とても奇妙な姿をした呪霊だった。
古びた牛車の正面に長い髪を振り乱した巨大な顔が貼り付いた、そんな不気味な姿をしていた。
猪野と郡はその呪霊の姿に見覚えがあった。
子供の頃に呪霊を知る為の教育の一環として、妖怪図鑑の類の本を読んだ時に目にした“朧車”という妖怪に酷似している。
“仮想怨霊”
猪野と郡の脳裏のその言葉がすぐに浮かび上がった。
仮想怨霊とは、人間が恐れる見えない脅威、幽霊や妖怪等に対する恐怖心から誕生した呪霊の総称。
数多の人間からの共感、共通の恐怖心から生まれるそれは、総じて強力な呪霊になりやすい。
二人の目の前に現れた“朧車”の呪霊は確実に一級、下手すれば特級相当の圧倒的な呪力を全身から放っている。
これは、明らかに自分達よりも格上の脅威だ。
とてもどうにかなる相手じゃない。
強大な呪霊に出会った場合、呪術師が選べる選択は二つだ。
「逃げる」か「死ぬ」かのどちらかだ。
だから、先達の呪術師達は若者達が無駄に命を散らさないよう、絶対に戦わず逃げる事を教える。
今が、正にその時だ。
すぐに逃げないと、絶対に死ぬ。
そう分かっているはずなのに、猪野の身体は恐怖で震え、脚が竦んで動けなくなっていた。
呼吸すらもままならない恐怖。
ヤバい!
逃げなきゃヤバいのに、何で動けねぇんだよ!?
猪野は術師の家系に生まれ、高専に入学する前からそれなりに呪霊との交戦を経験していた。
初めて呪霊退治の依頼を受けた時でさえ、これ程のプレッシャーは感じなかった。
「何やってる!? 早く逃げろ猪野!!」
金縛り状態になっていた猪野の耳に、郡の叫び声が響いた。
それを契機に、先程まで動かなかった猪野の身体が言う事を聞くようになった。
急いで逃げねぇとっ!!
猪野が逃げる為に身を翻そうとした、その時だった。
“朧車”の両眼から緑色の閃光が放たれ、それを正面から浴びた猪野の身体は石化したように硬直してしまった。
身動きを封じられた事に戸惑う猪野は、自分の足元に轍のような一本に伸びた窪みが現れ、それが“朧車”の車輪へと一直線に繋がっている事に気付いた。
これがあの呪霊の術式なのか、と考える間もなく“朧車”は猛スピードで一気に動けない猪野目掛けて走り出した。
ああ、俺は死ぬのか……。
猛スピードで迫ってきているはずの“朧車”の動きがヤケに遅く、ゆっくりと近付いて来ているように見える。
走馬灯が見える、世界がゆっくり動いているように見える、よく聞く死が間近になった時の感覚。
それが、これかと猪野は本能的に悟る。
“呪術師に悔いのない死などない”
高専入学式の学長の言葉の時に、夜蛾学長が口にしていた言葉で、呪術界ではよく耳にする珍しくない言葉。
はは……マジでその通りだな。
まだやりたい事はたくさんある。
こんな所で、死にたくない。
そんな猪野の思いを無視するように、悍ましい異形の死が目前まで迫る。
「大丈夫だよぉ」
絶望の色に染まる猪野の耳に響いたのは、聞き覚えのある場違いな程にのんびりとした口調の女の声。
「生徒を守る為にぃ、先生はいるんだからねぇ」
“朧車”が猪野の身体を轢く直前、真横から駆け付けた鶯は“朧車”の車体の部分に触れた。
それから“朧車”に異変が起きたのは、一瞬の事だった。
「術式解放ーー【捩切】ぃ」
“朧車”の身体が、まるで絞られている雑巾のように勝手に捻じ曲がっていった。
巨大な顔を苦痛に歪め、悍ましい悲鳴を上げながら悶え苦しみながら“朧車”の車体はバラバラに千切れ、黒い靄のようになって消滅した。
小倉鶯の術式“螺旋呪法”
触れた物を強制的に回転させる術式。
回転させる方向や強さは鶯の意思と呪力で好きに決められる。
固体と液体は術式の対象となるが、気体や空間といった触れる事の出来ない物は対象外となる。
「はい、これで任務完了だねぇ。猪野君も郡君もお疲れ様ぁ」
あれ程の圧倒的な呪力を放つ“仮想怨霊”をアッサリと祓ってしまった。
これが、高専の教師を務める準一級呪術師、小倉鶯の実力。
命が助かった事への安堵と急激な事態の変化による反動から、猪野は腰を抜かすように地べたに腰を下ろしていた。
それを見た鶯が手を差し伸べたので、猪野は、どうもっす、と小さな声で答えながら、その手を取って立ち上がった。
かすり傷程度で大した怪我はしていない、殆ど無事な状態ではあったが、猪野の胸中はズキッと密かに痛んでいた。
負傷や呪いによるものではない。
これは、自分の不甲斐なさに対する悔しさからだと、猪野は理解していた。
こうして、猪野の高専入学後初の任務は完了した。
始まりの時点から結構散々な目に遭わせてしまって、ごめんよ猪野くん。
ここまで読んで下さり、ありがとうございます。
次はもう少し早く更新出来るよう頑張りたいと思います。