前回、書き切れなかった場面を書けて本当に良かったです。
今回は猪野くんが遂にしっかりと活躍するので、どうかよろしくお願いします!
猪野と姫宮が呪霊が巣食う建物の中へと吸い込まれ、連絡が付かなくなってから三十分以上が経過していた。
補助監督の今川が不安げに建物を凝視していると、キキィッという車のブレーキ音が聞こえてきた。
今川が振り返ると、そこには黒塗りの車が停車しており、そこから一人の男が下りてきた。
「今川、どんな状況になってんだ?」
草臥れたロングコートに、腰に差した一本の日本刀。
短めの髪は跳ねていて、咥えた棒付きキャンディーが気怠げな男の雰囲気と風貌のせいで煙草のように見える。
「は、はい! 日下部一級術師! 今からおよ三十分ほど前に現場に到着した姫宮二級術師と猪野三級術師が、建物の中へと吸い込まれていき、現在も連絡がつかない状況です!」
今川は溢れ出る汗をハンカチで拭いつつ、今起こっている事柄を早口かつ簡潔に説明した。
日下部一級術師と呼ばれた男は、なるほどな、と呟くように返すと、嫌そうに顔を顰めた。
彼の名前は、日下部篤也。
特級を除く、呪術師の最高位である一級呪術師の肩書を持ち、鶯と同じ高専で教員を勤めている実力者だ。
「元々の情報じゃあ、三級か高くても準二級程度の案件だったはずだろ? 二級の姫宮の御曹司が吸い込まれて、まだ出てこないって事は二級以上の案件の可能性が高いな」
「は、はい! ですから、勝手だとは思いましたが私の判断で一級術師である貴方様に救援要請を致した次第です!」
今川の言葉を聞き、日下部は眉間の皺を寄せて渋面になった。
日下部の表情を見て、何か粗相をしたのかと今川は慌てて頭を深く下げた。
「よせよせ、そんな頭下げんなよ」
そう言って、日下部は必要以上に恐縮する今川を制止した。
事実、日下部は別に気分を害した訳ではなかった。
ただ純粋に、強い呪霊が絡んでいる危険な案件に出来れば関わりたくない、という気持ちから顔を顰めただけだった。
日下部は一級呪術師という高い地位と、それに見合った実力を持っていながらも、実はかなりの小心者。
呪霊討伐の依頼も極力避け、高専の教員としての業務を優先する事が多い為、今川からの要請があった時も書類仕事中だったので、すぐに駆け付ける事が出来たのだった。
一級か準一級相当の呪霊が絡む案件は、当然危険度が高い。
だから、小心者の日下部としては極力関わりたくない、というのが正直な気持ちなのだ。
ーー正直、あまり行きたくはねぇなぁ。
ーーだが、後輩の教え子が危ないってんなら、無視する訳にもいかんからなぁ。
ーーこれも俺達、呪術師の仕事だ。
ふぅ、と静かに溜息を一つ吐くと、日下部は問題の建物へ向き直った。
「……よし、一丁行くか」
覚悟を決め、日下部は呪霊と猪野達の待つ建物へと一歩踏み出した。
次の瞬間、爆発音と共に建物の出入り口と周辺の壁がバラバラに吹き飛び、四散してきた。
「うおっ!!」
突然の事に日下部は声を上げ、自分に向かって飛んでくる大小の瓦礫やガラスの欠片を慌てて避けた。
すると、今度は日下部の視界に大きな黒い塊が、勢い良くこちらに向けて飛んでくる光景が写った。
※
救援要請を受けた日下部が到着する十分ほど前、猪野は姫宮と共に襲い掛かってくる呪霊を祓い続けていた。
「おらぁっ!」
両腕を広げて襲い掛かる呪霊達に、猪野は呪力を込めた拳を思い切り打ち込む。
ぎゃあああああああっ!!
男の低い声と女の高い声が混ざった独特の悲鳴を上げ、呪霊の身体が弾け飛ぶ。
呪霊の群れと戦い続けて、もう二十分近く経過していた。
体力と呪力がかなり削られ、猪野の疲労は確実に蓄積されていたが、それでも勝利の可能性を信じていた。
それは現実逃避によるものではなく、戦っている呪霊に変化が起きているからだ。
最初は猪野の拳の一撃では祓えず、数発もしくは【獬豸】の一撃でなければ祓えなかった。
倒しても、すぐに分身が生まれる術式も厄介極まりなかった。
しかし、今の呪霊は猪野の拳一発で祓う事が出来、更に増殖のスピードも明らかに遅くなり、中には失敗したのか、人の形になる前に崩れて肉壁に戻る個体も現れ、数も減ってきていた。
呪霊の力が徐々に弱ってきている。
必死に戦いながら、猪野はそれを確信していた。
そして、それが恐らく姫宮の術式によるものだという事も察していた。
猪野は近くにいる呪霊を更に一体祓いながら、すぐ側で戦う姫宮の姿を目で捉えた。
姫宮は、まるで舞を踊るように呪霊を祓っていた。
長い脚を高く上げ、身体を軽やかに回転させながら、鋭い蹴りと鉄扇による一閃で次々と呪霊を祓っていく。
姫宮の制服は猪野や郡の物とは少し形状が違い、袖口の部分が広く、まるで振袖のようになっており、それが姫宮が舞う度にひらひらと蝶の羽のように優雅に靡く。
姫宮の整った中性的な顔立ちと艶やかな御空色の長髪と相まって、まるで舞い踊る天女のように見える。
姫宮京雅の術式――“切力理舞”
舞踊をする事を条件に呪力等の力の流れを断ち切り、相手の術式及び呪力の強化を乱す、姫宮家相伝の術式。
姫宮の一族は神楽や舞踊に関連する術式が多く、その術式を活かした体術を駆使して呪霊を祓う。
姫宮が舞いながら呪霊を祓う事により、呪霊の呪力の流れと術式を乱す。
それによって呪霊は弱体化し、増殖の術式も劣化していた。
猪野達と呪霊、どちらが先に力尽きるかの根比べだった。
「タク! まだへばっちゃいないよなっ!?」
「ッ! ま、まだヨユーだっつのっ! そっちこそ踊り疲れてんじゃねぇか!?」
「はっ! 俺のスタミナなめんなよ! このまま日付が変わるまで踊り明かしてやるぜっ!」
こうして互いに檄を飛ばし合い、二人は闘争心を奮い立たせていた。
「はあっ!!」
姫宮が手にした鉄扇で、最後の一体となった呪霊を袈裟斬りする。
ああああああああああああああっ!!
断末魔の悲鳴を上げた呪霊が、呪力を撒き散らしながら消滅した。
最後の一体の最期を見届け、緊張の解けた猪野の身体から力が抜けた。
「やった……これで、俺達の……」
「待て、肉壁が消えてねぇ……油断すんな」
姫宮の声に緩みかけた空気が引き締まり、猪野は身体中に力を入れ直した。
まだ、いるのか?
猪野の頭に浮かんだ疑問に答えるかのように、その呪霊が肉壁の中から姿を現れた。
今まで戦ってきたのと同一の姿をした呪霊が何十体も絡み合い、巨大な頭部と左右の手首を構築した醜悪な姿。
そして、そこから放たれる強大な呪力に、猪野は以前相対した仮想怨霊“朧車”を思い出した。
こいつも一級相当の呪霊だ。
強大な相手を前にした純粋な圧迫感と、かつてのトラウマで猪野の身体は硬直した。
身体が、動かねぇ。
くそっ、強くなるって決めたってのに……これじゃ何も変わらねぇっ!
動け、動けよ俺!!
「タクっ!!」
自分の名前を叫ぶ姫宮の鋭い声が聞こえた直後、横から強く身体を突き飛ばされた。
床に倒れる直前、猪野の目に映ったのは迫り来る呪霊の巨大な右手。
そして、猪野を突き飛ばして、すぐに体勢を整えた姫宮がそれに向かって呪力を込めた大振りの蹴りを入れた瞬間、黒い稲妻のような光が迸る光景だった。
【黒閃】
それは、打撃との誤差が0.000001秒以内に呪力が衝突した際に生じる、空間が歪む現象の名称。
黒閃が生じた打撃の威力は、平均で通常の打撃の2.5乗という驚異的な破壊力。
しかし、それは極めて稀に発生する現象であり【黒閃】を狙って出せる呪術師は、最強の術師である五条悟も含めて存在しない。
つまり、この時の姫宮の【黒閃】は様々な条件が偶然揃って発生した奇跡の一撃。
「うおおおおおおおおおお!!」
姫宮の放った蹴りが呪霊の巨大な右手をバラバラに破裂させ、頭は空間を震わせる程の声量で苦痛と憎悪の込められた悲鳴を上げた。
まさに会心の一撃。
だがーー。
同時にボギッという音と共に、姫宮が蹴りを放った左脚が関節を無視した方向へと折れ曲がった。
呪霊の質量と初めての【黒閃】の威力に、まだ身体が仕上がっていない若者である姫宮の脚が耐え切れなかったのだ。
「姫宮っ!!」
左脚の骨折のせいでバランスを崩し、その場に倒れ伏した姫宮に猪野は慌てて駆け寄る。
「おいっ! お前、脚が……」
「タク……あれを、見ろ」
痛みと疲労で持ち前の美貌を微かに歪めながらも、取り乱す事なく姫宮は落ち着いた様子で猪野の背後を指差した。
「え?」
姫宮が指差した方向を見る為に振り返ると、そこには元々あったガラス窓が微かに見える程に薄くなった肉壁があった。
「これはっ!?」
「ははっ、祓うついでに、蹴りと鉄扇を何発か同じ場所に喰らわせてやった……タク、あれくらい薄くなりゃ、お前の【獬豸】で逃げ道用の穴くらい、余裕で作れるだろ?」
「そうだな、あの程度なら……ッ!?」
姫宮の言葉に納得し掛けた猪野だったが、姫宮の落ち着き過ぎた様子に嫌な予感を覚えた。
「姫宮……お前、俺と一緒に逃げるつもりだよな?」
「……いや、作れる穴は恐らく、一人がギリギリ入れるくらいだろ……それに、今の俺の脚だと逃げ切れねぇ……」
そう言いながら、姫宮は右脚だけの力でフラフラと不安定ながらも立ち上がった。
「ぐっ!!」
左脚の痛みから、姫宮の顔が更に苦痛で歪む。
「おい! 何やってんだよ!?」
「……俺が時間を稼ぐから、タクはそれまでに脱出して、外にいる今川さんに応援要請をするよう頼んでこい」
「なっ……」
姫宮の発言に猪野は絶句した。
猪野の予感通り、姫宮は犠牲になるつもりだ。
「っざけんな!! その脚で戦える訳ねぇだろ!!」
激昂する猪野に対し、姫宮は痛みを堪えて無理矢理作った微笑を向けた。
「ははっ、お前こそ俺を舐めんなよ? 片脚でも華麗に舞ってやるさ!」
両手の鉄扇を広げ、傾く重心を右脚と上半身のバランスで矯正し、また舞い踊る臨戦体勢へと入った。
守るべき者の為に、己の力の全てを賭して戦う。
これだ。
これが、俺が姫宮とずっと戦闘訓練を続けてきた理由、目指す目標。
強い、本物の呪術師。
此処で逃げるのが正しいと思う。
失敗すれば二人共死んで、姫宮の苦労が水の泡になる。
呪霊は放置されて、新しい呪術師が派遣されるまで被害者も増え続ける。
それでも!
此処で逃げたら、俺はもう本当に呪術師でいられなくなる!
俺の心が、魂がそれを許さねぇ!
俺は、強くなるって決めたんだ!!
「……悪ぃな、姫宮」
猪野はそう呟くと、姫宮の隣まで近寄り、両手を前に出して構えた。
「……タク、お前の【獬豸】じゃアレは倒し切れねぇ……頼むから、早く逃げろ」
「【獬豸】じゃ無理だな……でもなっ!」
次の瞬間、猪野の両手に大量の呪力が注ぎ込まれていき、初めて見る猪野の様子に姫宮は驚き、目を見開いた。
「【獬豸】だけじゃねぇ……俺の“来訪瑞獣”には、奥の手があるんだよっ!!」
猪野琢真の術式“来訪瑞獣”は、四種の瑞獣の力を行使する事が出来る。
追尾能力を持つ鋭い角で相手を貫く、一番【獬豸】
呪力の水で防御と滑走を行う、二番【霊亀】
自身の痛覚を遮断して傷付いた身体すらも動かす、三番【麒麟】
そして“来訪瑞獣”最大の火力を持つ奥の手ーー。
それは、消費する呪力の多さと身体への負荷で、猪野自身がまだ完全に扱い切れない為、普段の呪霊討伐では滅多に使う事のない切り札。
「四番【竜】!!」
その名を口にした瞬間、猪野の身体は突風で飛ばされる枯葉のように後方へと吹き飛んだ。
それは、猪野の両手から突如姿を現した巨大な竜が、呪霊の頭へと牙を向けて襲い掛かった反動によるものだった。
肉壁を突き破り、背後から本物の建物の壁に直撃した衝撃と激痛で、薄れゆく意識とぼやける視界で、自らの放った【竜】が呪霊の頭を噛み砕いて消滅させるのを見届け、猪野は安堵の笑みを浮かべた。
ここまで読んで戴き、本当にありがとうございます!
次回は任務後の様子を描いた閑話エピソードでも挟もうかなと思っています。
本当に拙い作品ですが、楽しく読んで戴ければ幸いです。