遅筆ながらも細々書き続けております(笑)
たいやきシリーズを楽しみにして下さっている方も今回初めて作品に目を通る方も楽しく読んで戴けたら幸いです。
高専の体育館に、姫宮は一人で立っていた。
ほんの数時間前まで骨折していた右脚が、今では違和感を覚えない程に完治している。
姫宮は改めて、反転術式とそれを他人を施す事の出来る硝子の凄さを思い知った。
すぅ、と静かに深呼吸をして、息を吐き出すと姫宮は両腕を左右に広げて、その姿勢で右脚を上げると力強く床を踏む。
ダァンッ、と衝撃音が広く静かな体育館の中に響く。
強く踏み締めた右脚を軸に、軽やかに回転しながら空色の髪と袖を靡かせ、優雅に舞い踊る。
愛を求める鳥のように大胆に、花から花へと旅する蝶のように軽やかに、姫宮は夢中で踊り続けた。
「…………よし!」
一頻り舞い続け、額を伝う汗を軽く拭いながら姫宮は満足げな笑みを浮かべた。
「スゲーな! 右脚、完全に治ったみたいだな」
聞き慣れた友人の声が体育館に響き、姫宮は振り返って声の主の姿を認めると明るい微笑を浮かべた。
「よぉ、起きんのが遅ぇぞ、タク」
「おいおい、さっきまで意識失ってた奴に言うのがそれかよ……」
「ははっ、悪い悪い」
苦笑を浮かべる猪野に対して、姫宮は短く笑いながら、そう答えた。
「お前なら、必ず目を覚ますって思ってたからな」
「……そりゃ当然だろ」
猪野が握った拳を突き出すと、姫宮も拳を握ってそれをコツンと合わせた。
「タク、お前は最高にイカした呪術師だぜ」
「おう、お前もな」
猪野と姫宮は互いの健闘を称え合い、楽しげに笑い合った。
※
「思ったんだけどよぉ、潮の奴って強いのか?」
廃ビルでの任務が終わってから数日後の一年生の教室。
束の間の平穏の中で、自分の席で寛いで休憩時間を過ごしていた猪野は、ふと思い浮かんだ疑問を口にした。
猪野の隣の席に座る姫宮は、それが自分に掛けられた声だと気付くと微かに首を傾げた。
「さあ、どうだろうな? 俺はまだ一度も一緒に任務に行った事もねぇし、それに普段からアレだからな……」
姫宮が横目で向ける視線の先には、自分の机の上に突っ伏している気怠げな出海の姿があった。
「鍛錬に誘っても面倒の一点張りで、実力の知りようがないからな」
姫宮はヤレヤレといった態度で苦笑した。
「確か、潮って五条悟がスカウトしたんだよな? だったら、弱いって事は多分ねぇよな?」
入学式当日、教室で自己紹介をしようとしたタイミングで五条悟が乱入してきた事を、猪野は思い出した。
ビシッと決めるつもりが出鼻を挫かれ、アッサリと流された上に、四人の頭文字を合わせて“たいやき”なんて締まらないアダ名まで付けられたりと散々だった。
「イズは非術師の家系みたいだしな。余程の才能があるか、何か特別な事情でもない限りは高専に入学は出来ないからな」
猪野の言葉を肯定する姫宮に、だよな? と猪野は返した。
「一体、何の話をしているんだ?」
そう言って、猪野と姫宮に声を掛けたのは、用事を終えて教員室から戻ってきた郡だった。
「あ……よお、郡」
あの廃トンネルでの出来事以来、苦い記憶を思い出す事や姫宮との特訓に明け暮れていた事もあり、しばらく会話を交わしていなかった。
そのせいか、猪野の態度はどうもぎこちなくなってしまった。
「イズが強いかどうかって話をしてたんだよ。ヤトはイズの術式とか知ってるか?」
そんな猪野の様子を察したのか、姫宮は猪野の代弁をするように郡に尋ねた。
「いや、潮の術式や実力に関する事は僕も知らない」
対して、郡の方は普段のクールな態度を一切崩さなかった。
「普段から全くやる気を見せないからな……任務に呼ばれた事もないようだし、鍛錬にも顔を出さないから知りようがない」
「任務にも呼ばれてない? どうしてだ?」
郡の口から出た新情報に、猪野はつい先程の気まずさをスッカリ忘れたように反応した。
「さあな、理由は分からないが潮が任務に行く姿を見た事もなければ、実際に呪霊を祓ったという話も聞かない、という事は、恐らく事実だろう」
そう言って、視線を後ろの方へ移した郡に続いて、猪野と姫宮も同じ方向へと視線を移した。
そこには、ずっと机に突っ伏したやる気のない姿勢のままな出海が、眠そうに大きな欠伸をしてる姿があった。
「確かに、そもそも潮が任務に行ったって話自体、俺も聞かないな……」
なんか、どんどんコイツの事が気になってくるな。
そんな事を思っていると、姫宮が自然な動きで出海の席の方へと近付いて行った。
「なあ、イズ? 少し話がしてぇんだけど、今いいか?」
姫宮に声を掛けられた出海は、眠たそうな態度を崩さないまま、何? と返事をした。
「イズはさ、まだ俺達の中の誰とも任務行ってねぇだろ?」
「ん? ああ、確かにそうだね」
そこでやっと、出海は突っ伏していた上半身を起こし、腕をゆっくり伸ばして固くなった身体を解し始めた。
「私ってさ、色々面倒な条件があるから中々任務に行けないんだよね」
「条件? 何だそりゃ?」
出海の口から出た予想外の単語に、猪野は思わず姫宮よりも先に疑問を口にしていた。
「本当はさ、いっぱい泳ぎたいから任務も沢山受けたいんだけど、お偉い人達が色々面倒くさいって悟が言ってたから、そのせいであまり任務が来ないんだ」
そこまで言うと、出海は全て言い切ったとばかりに気怠そうに溜息を一つ吐いた。
泳ぐ?
任務を受けたいのに任務が来ない?
お偉いさんが面倒?
今まで知らなかった新情報が一気に明らかになり、猪野は勿論、普段から落ち着いている姫宮やクールな態度を崩さない郡も少なからず戸惑う様子を見せていた。
未だ謎の多い、東京都立呪術高等専門学校一年生の三級呪術師、潮出海。
その真相を猪野が知る事になるのは、この時から僅か一週間後という意外と遠くない未来の事だった。
※
その日、猪野は高専入学してから三度目の任務に就いていた。
二台の車が目的地に向かって、高速道路を走っていく。
一台はよく利用する黒塗りの自動車、もう一台は巨大なコンテナを積んだ大型のトレーラーだ。
「あのトレーラーって、一体何を運んでるんすか?」
自動車の方に乗っている猪野がチラッと、後続する大型トレーラーを眺めながら疑問を口にした。
「ああ、あれはですね……」
「あれにはね、アタシの相棒が入ってるんだよ」
猪野の問いに補助監督の今川が答えるよりも先に、隣に座っている出海が答えた。
「相棒? 呪具でも詰んでんのか? それにしたってデカ過ぎだろ」
「ふふ……あのトレーラーには、私の呪具も積んで貰っているよ」
今度は助手席に座る女性が、静かな笑い声と共にそう呟いた。
艶やかな白い髪と妖艶な笑みが目を惹く、黒尽くめの格好をした長身の女性。
彼女の名は冥冥、フリーランスで活躍する一級呪術師。
依頼の報酬は高額だか、その強さは一級の名に恥じない屈指の実力者。
そんな彼女が任務に参加する。
過去二件の任務はどれも命懸けのものだったが、今回の任務はそれ以上のものになるかもしれない。
猪野は、自分が無意識の内に身体を固くしている事に気が付くと、ゆっくりと深呼吸をした。
――緊張し過ぎてっと、その感情で呪霊の力が増しちまう。
――肩の力を抜くのも必要だぜ。
姫宮の言葉を思い出し、猪野は呪術師としてベストな状態になろうと自分の気持ちを落ち着かせた。
闘志は熱くても、頭は冷静に!
よしっと気合を入れ直しす猪野の隣で、出海は教室では見せないような楽しげな表情を浮かべ、長い睫毛に縁取られた瞳を妖しく爛々と輝かせていた。
「ああ、やっと思い切り泳げるなぁ」
出海は興奮の滲んだ声でそう呟くと、赤い舌でペロリと自分の唇を湿らせた。
やる気に満ち溢れている二人の若者の姿を、冥冥は不敵な笑みを崩さないままにバックミラー越しに観察していた。
今年の一年生は優秀な子が揃っていると聞くけど、さてどれ程のものかな?
中々厄介な仕事になりそうな内容だけど、頂くギャラの分はしっかりと働かせて貰うよ。
三人の呪術師を乗せ、黒塗りの車と大型トレーラーは目的の場所へと向かって走り続けた。
最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
次回から、任務突入です。
上手くいけば高専入学の経緯や術式について触れる事になる潮の事と、今回初登場の原作キャラの冥冥の描写を上手く書けたら良いなぁ、と願いつつ意識しながら書いていきますので、もし楽しみにして下さる方がいらっしゃいましたら、応援よろしくお願いします。
勿論、主人公の猪野くんをしっかり書く事は前提条件として忘れていませんので悪しからず(笑)
ちなみに余談ですが、作中でサラリと書いていましたが、姫宮は年が近くて親しい相手の事は名前の最初の二文字を愛称にして呼びます。
だから、猪野くんは猪野琢真なのでタクと呼ぶ感じです。
この呼び方は、姫宮の元ネタになったキャラがそういう呼び方をしていたので、リスペクトで採用したものです。