諸人、立チ入ルベカラズ   作:クサリ

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前編

 草薙健次(くさなぎけんじ)という男は、とかく不幸というものを惹きつけがちな人物であった。道を歩けば石につまずき、雨を歩けば車の跳ね上げた泥に巻き込まれて、雪を歩けば埋もれた側溝に足を取られて転んだ挙句に雪だるまに頭から突っ込むような人生を生きてきた。そんな彼の最大の不幸は、彼が生まれつき特殊な霊的素養を()()()()()()()()()ことと、その発覚が高校三年生の春頃に行われた健康診断で起こってしまったことだろう。

 霊的素養────肉眼のまま霊視が出来たりだとか、祓魔術(アーツ)に適性を持っていたりだとかは決して普遍的な才能ではない。進路に迷いを抱えていた草薙少年は飛びつくように境界対策課のスカウトに応じてしまったのだ。一年程の訓練と座学の研修を終えて配属されたのは境界対策課長直属の装備実験班。タクティカル祓魔師達が扱う装備のテスターを担当する班であり、裏方に見えるが皆が使う装備の安全性を確かめる全ての祓魔師の命綱だという説明に草薙は誇りを持って勤めようと決意していた。そう、配属された直後は。

 

「くそ、くそぉぉぉ……ここ、どこだよぉぉぉ」

 

 情けない声を漏らしながら草薙は辺りを見回す。視界に入ってくるのは草、木、茂みに揺れる怪しげな暗がりばかり。一見、何の変哲もない森に見えるが草薙の霊的センスと直前の記憶がそれを否定している。

 だって、草薙は一瞬前まで廃ビルに居たはずなのだ。

 

「絶対やばいよなぁここ。もしかして異界? なんで俺だけこんなとこに……!」

 

 草薙は、新作装備の実戦テストのために前線で界異の祓滅を行う戦闘班に組み込まれ、廃ビルで界異達と戦っていたはずなのだ。味方を二号級────鬼種と呼ばれる怪力の骸の一撃から庇い、堪らず押し出された先に空いていた“穴”に落っこちてこんな所に辿り着いた。だというのに、辺りを見回しても元居た廃ビルなんてものは影すらない。明らかな異常事態に巻き込まれていた。

 界異は多かれ少なかれ、身に纏う穢れによって現世の法則を塗り替える。そうして法則を大きく塗り替えられてしまった空間を異界と呼ぶのだが、これは強力な界異が行うことであり、一から五までの等級で二番目の脅威度しか認められない鬼種が展開できるものではない。何か、とてつもなく理不尽な出来事を経て瞬間移動のようなことを成し遂げてしまったとしか思えないのだが、未だに新人に毛が生えた程度の草薙にはとんと見当のつかない事態だ。

 恐怖を噛み締めながら黒い盾の後ろに身を隠し、短杖を握りしめる。全く気に食わない装備ではあったが、今はこれが草薙の生命線であった。

 

 ぶうううん、という重たい音がした。穢れが、頭皮を撫でる感触に鳥肌が立った。咄嗟に振り向いた視界が美しい藍色の紋様を透かした羽を認識した瞬間、頭の内側から膨れ上がる感触がして、ぶつりと草薙の意識が途切れた。

 

────弔飛棒(ちょうとんぼう)。その姿を直接視認したもの、その羽音を直接聞いたもの、全ての脳を爆発させて即死させるトンボのような姿をした三号級界異。草薙が相手をするには、あまりにも荷が勝ち過ぎている。

 

 形代紙(かたしろがみ)が草薙の死を肩代わりして黒ずみ、散る。顔面の穴という穴から血と脳の入り混じった物体を飛び散らせていた草薙は一瞬にして健康体へと戻るが、盾の後ろに隠れて自らに遮音結界を張るのが精一杯だった。

 ふざけた話だ。今まで自分が駆り出されてきた現場は等級が高くても二号。それも複数人でチームを組んでの対応だったというのに、今ひとりぼっちで三号級に相対している。震える体をどうにか押さえ込んで、霊視でどうにか弔飛棒の位置を探ろうとする、が……違和感。

 弔飛棒の存在が感じられない。位置はともかく、あれだけ濃密な穢れを纏っている界異の存在そのものを見落とすはずがない。こうなれば目視で確認しなければならないが、絶対に弔飛棒を目視なんかしたくない。行くべきか、行かざるべきか。恐怖に震えながら考えていると、ふと視界に影が差した。見上げると、スキンヘッドの大男が睨みつけるような目で己を見下している。

 

 思わず悲鳴を挙げながら飛び上がり、男に杖を突きつける。次々と巻き起こる意味不明な事象に草薙はもういっぱいいっぱいだった。胆の小さな若者の心臓は今にも爆発しそうなほど脈打ち、強張る体に逃走を促す。

 

 そこで、草薙は男が自分の耳を指差しながら何かを話していることに気づいた。慌てて遮音結界を解除すると男は呆れたようにため息をついて、低い声でこう言った。

 

「ヴァカめ。そんなおもちゃで戦う気なのか?」

「────あ…………」

 

 草薙は、己が握りしめているものが何なのかを思い出した。それは、白と赤を基調にした、やたらとハートの意匠で飾り立てられたどうみても女児玩具の“魔法の杖”だった。

 

 

 

 

「マジカル⭐︎ホワイトタクトォ!? はっはっはっはっは、何だそりゃ! 今じゃそんなのが主流なのか!?」

「まだテスト中の試作装備っすね……はい……。ちなみに盾の方はマジカル⭐︎ブラックシールドです……」

 

 一層激しくなる大男の大笑を前に草薙は羞恥のあまりに小さく縮こまっていた。マジカル⭐︎ホワイトタクトはどうみても魔法少女的なハートづくしの小さな杖。マジカル⭐︎ブラックシールドは翼の意匠で彩られた、こちらも少女趣味な見た目の大楯だった。ふざけた名前然り、間違っても成人男性である草薙が使う装備の見た目ではないのだが、適性の問題でこうした少女趣味の装備のテストは優先的に草薙に回されていた。これでいて装備としては確かに優秀だからこそタチが悪いのだ。

 

「なんだ、こんなとこに居るから警戒しちまったけど面白え兄ちゃんじゃんか。オレは荼毘(だび)。あんた、名前は?」

「草薙です……。あの、こんなとこって、ここどこだか分かるのか?」

 

 どう考えても偽名そのものな名前を名乗ったその男は、草薙からの問いにううむと唸る。陽光を受けて光る禿頭や190cmに届こうかという巨躯に圧倒されるが、それを除けば荼毘は黒のタンクトップに緑色のズボンと非常にラフな格好をしていた。どう見ても森に立ち入る装備には思えず、もしかしたら同じように意味不明な移動方法で迷い込んだ同類かもしれないと草薙は考えていたのだが、どうも反応がおかしいような気がした。どことなく、哀れみを込めた目で見られているような……。

 

「草薙、まさかお前、ここがどこか知らずに迷い込んだのか?」

「えっ。な、なんだよその含みは。確かに知らんうちに迷ってたけどさ……」

「ここ、“禁域”だぞ。普通に三〜四号級がうろうろしてるタイプの」

 

 声にならない悲鳴が草薙の口から飛び出した。禁域というのは、簡単に言えば現実を上書きした上で“定着”した異界のことだ。その内部は幽世と非常に緊密になっていたり、物理法則が人智を超えて異なっていたり、強力な界異がうようよと蔓延っていたりする超危険地帯。基本的には対界異のプロである祓魔師ですら立ち入り禁止となる魔窟のことだった。そんな所に、なぜ!?

 

「俺、なんか穴に落とされただけだぞ!? 何で禁域に!?」

「お前ホントに運悪いんだな……。多分その穴が供潰(きょうかい)の開けた穴だったんだろう。ワームホールって奴だ」

「これ以上心臓に悪い名前出さないでくれないか!?」

 

 しれっと語られる堂々の五号級界異の名前にとうとう草薙は頭を抱えてしまう。ダメだ、生きて帰れる気がしない。

 それでも、生き残ろうと必死に回転を始める頭脳が一つの違和感を訴える。聞いたら殺される可能性もあるが、放置されても死ぬ。半ばヤケの心境で草薙はそれを突きつけることにした。

 

「それで、そんなに詳しい上でここにいるあんたは何なんだよ。さっきの弔飛棒もあんたが祓ったんだろ?」

「なんだ、見た目ほど頭は麻痺ってないようだな。踏み込む決断をするのも良い度胸だ」

 

 にやにやと愉快そうに笑いながら目を細める荼毘に敵意は感じられない。……詰みは避けられそうか?

 

「聞かない方が良い、ってのは言っておくぞ。なーに、心配いらねえよ。余計な詮索さえ避けてくれりゃオレはあんたを助けようって気でさえいる」

どう聞いても犯罪者(ロクでもなさそう)な返答ありがとよ! あーもう、それで俺を助けようって、理由は?」

「旅は道連れが多い方が楽しいもんだ。だろ?」

 

 厳つい禿げ男が茶目っ気たっぷりにウィンクをする様子に目眩を覚えるような心地になりながら、それでも草薙はその提案を呑むしかない。

 大きなため息を吐いて頷く草薙の様子に荼毘は愉快そうに笑い、歩き始めた。一度振り返り、親指で進行方向を指してついて来いと示す。

 

「それで荼毘、あんたはどこに行こうってんだよ。出口?」

「残念ながらオレにゃ野暮用があってね。向かうのは供潰の方さ」

「うげ、なんだってそんな化け物のとこに────荼毘っ!」

 

 草薙がそれに対して反応できたのは全くの偶然だった。うんざりのジェスチャーで傾げた視界の端に夜闇の如き漆黒が見えた気がして、反射的に盾を構えただけだ。刹那の内に襲いくる盾への衝撃に草薙は苦悶の声を漏らす。草薙に一当てした真っ黒なトンボはがちがちと小馬鹿にしたように牙を打ち鳴らして獲物を見下ろしていた。

 

禍地蟲(かちむし)か。こりゃ赤夜児(あかやご)がどっかに居るなあ」

 

 トンボ型界異は、同じ幼体から分岐するように様々な種の生態へと羽化をする。その中で禍地蟲というのは、その速度と高い知能、何よりも鱗粉状の穢れを広範囲に撒き散らして生息域を押し広げていく特に危険度の高い形態だった。そう、弔飛棒よりも、危険なのだ!

 

 雑談でもするかのように和やかに話す荼毘に対し、草薙は返事をする余裕すらもない。禍地蟲がばら撒く穢れは盾と狩衣が防いでくれるにしても、一度でも目を離せばその速度で翻弄されて殺される末路しか残されていない。

 冷や汗を流しながら注視する草薙を嘲笑うように、禍地蟲は漆黒の線と化して視界からかき消える。

 

「くそ……っ!」

 

 咄嗟に構えた盾を迂回して腕の肉を食いちぎられる。急いで振り向く無様を揶揄うように同速で背後に貼り付かれ、脇腹を抉り取られた。欠損した内臓を侵すように穢れが回る痛みと気持ち悪さに吐きそうになるが、そのダメージを形代紙が肩代わりするのを見越して無理やり無視する。

 やはり、追いつくことができない。苦し紛れにタクトを振り回す草薙にさらに痛打を与えようとまた脇腹を抉ろうとして────脇を通し、盾に隠すようにして突きつけられたタクトに禍地蟲は気がついた。タクトの大振りは囮か!

 

「悪いな、打撃武器じゃないんだよこれ」

 

 だが、禍地蟲の敏捷性ならばまだ軌道の修正が効く。タクトの先端を避けるように脇へと逸れながら肉を食いちぎってやろうと飛んだ先で、見えない壁にぶつかり一瞬動きが止まった。

 【加護防壁】。祓魔術で扱う結界術の基礎の基礎、身を守る防壁を展開する、草薙が唯一まともに扱える切り札だ。

 

解放(リリース)

 

 唱えられたキーワードに反応して杖先のハート型の宝玉が黒い輝きに染まる。稲妻を帯びた黒い光がドギツイショッキングピンク色に侵食され、破壊の力として小さな爆発を引き起こした。

 毒々しい桃色の閃光に呑まれ、禍地蟲は地に落ちる……が、まだ死んでいない!

 

「くそっ、くそくそっ、タフすぎるだろ!」

 

 即座に飛び立とうとするその体を覆うように加護防壁を展開して押さえつけながら草薙は毒づく。さすがにこれ以上は一人ではどうにもならない。俺を助けるつもりがあるとか言ってた同行者は何してんだと声をあげかけて、大きな足が防壁ごと禍地蟲を踏みつけて地面に縫い止めるのを目撃する。

 

「……驚いた。まさかマジで一人で無力化まで持ってくとは、いや、悪い。お前の実力舐めてたよ」

 

 視線を上げると、荼毘が感嘆の意も露わにうんうんと頷いていた。その手には、三匹ばかりの禍地蟲が頭を抑えるようにして指の間に囚われている。

 

「……は? 捕まえた、のか、禍地蟲を!? 素手で!?」

「おうよ、すげえだろ?」

 

 凄いどころではない。意味がわからない。禍地蟲は高機動力とそれを支える動体視力、悪辣な知能の高さを併せ持った怪物だ。例え巨大な虫取り網を装備していようが禍地蟲を捕まえるのは尋常なことではない。それを、素手で、三匹もというのははっきり言って人間に可能な技なのか疑わしかった。

 

 禍地蟲を捕まえる荼毘の手に入れ墨のような黒い紋様が浮き上がる。小規模な呪詛反応の直後に、大きな呪詛の爆発が荼毘の手と足元に発生した。禍地蟲は一匹残らず、黒い爆発の中に呑まれてカケラも残さず消えていく。

 

「……何の術だよそれ。てか強すぎんだろ」

「はっはっは! そう褒めるな褒めるな、オレでも些かこそばゆくなる」

 

 ウィンクで言外に秘密だと伝えながら、荼毘は再び歩き始めた。草薙は痛む体を引きずりながら、大きなため息を吐いてその後を追った。

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