暇な時にでも読んでください。
––––––名古屋国際会議場 全日本吹奏楽コンクール中学生の部
『桜海大学付属椿高等学校中等部。ゴールド金賞』
会場から湧き上がる歓声。
嬉しさのあまり、ガッツポーズを決めて叫ぶ者。両手で顔を抑えて涙を流す者。隣同士で笑いながら抱き合う者。
これまでの努力が実った瞬間を今、それぞれが喜びを分かち合う。
「…………終わった」
ただ一人、歓声が湧き上がる中でぽつりと呟いた。
こうして、中学三年間の吹奏楽は終わりを迎えた。
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四月。京阪急六地蔵駅の改札を出ると、信号先の空き地に咲いた一本の桜の木から桜色の花びらが風に揺られ舞う。
新品の制服はまだ少し固く少し窮屈に感じるが、中学生時代から学ランを着ていたのからそのうち慣れるだろう。
山科川沿いの橋からは、JR奈良線の線路を渡る電車が見える。
京阪急六地蔵から徒歩五分程度歩くとJR六地蔵駅があり、京都方面と奈良方面から通学してくる生徒と途中で合流する。
由貴が通うのは、京都府立北宇治高校。
宇治市内の丘陵地帯に存在する公立高校。
学力は中より上くらいで進学実績はそこそこ。
何処にでもあるような普通の学校だ。
父親が仕事の都合で転勤が決まり、慣れ親しんだ神奈川の地から京都へと引っ越してきた。
本当なら父親一人で単身赴任すれば良い話だが、娘と離れ離れで暮らしたくないという理由で床に穴が開くのでは? と思ってしまう勢いで全力の土下座をしてきた時は、家族全員揃ってドン引きしたものだ。
実際、母親に関しては外回り以外ならパソコンさえあれば仕事は何処でもやれるので問題ない。
妹自身はせっかく仲良くなった同級生や小学校時代の友人達と離れることに多少ごねてはいたが、京都という場所への興味と好奇心に負けて転校を快く受け入れていた。
学校に近づくにつれて、茶色いセーラー服と同じ学ランを来た生徒の姿が増えてきた。
事前に調べた範囲では、北宇治高校の制服は市内唯一のセーラー服と学ランの高校とのこと。
特にセーラー服は可愛いと評判が高い。
何せセーラー服目当てに受験する生徒もいるくらいだ。
周りの生徒たちの中には、緊張しているのか動きが少し固い。
これから始まる新しい学生生活への期待と不安の入り混じった表情をしていた。
しかし、彼ら彼女らの瞳はキラキラと希望に満ちていたのは確か。
「うっそ。もう人が集まってる」
「だからもっと早くしようって言ったのに」
「しょうがないじゃん。チューニングに時間掛かっちゃったんだしさ」
「もうみんな、口を動かさないで早く準備しないと……」
京都府立北宇治高校と書かれた校門を進み、道から途中で分岐して校舎へ繋がる階段の所まで着くと、二〇人程の生徒が階段に集まって何やら準備をしている。
各々が手に持っている物を見て、由貴は足を止める。
幼い頃からずっと見続けてきたソレは興味を引くのに充分だった。
「これから演奏でもするのか……」
太陽の光を反射させて、黄金色に輝く金管楽器。
特にその中でも一際大きいチューバーの存在感は強い。
他には吹奏楽の花形トランペットを始め、トロンボーン、サックス、ホルン、ユーフォニアム。
木管楽器のクラリネット、フルート、ピッコロ。
そして打楽器系統のパーカッション。
どうやら吹奏楽部が新入生歓迎の演奏を始めるようだ。
デカデカと書かれた新入生歓迎の看板と入部募集の看板が目立つ。
既に運動部を中心とした部活動が熱心に新入生を勧誘している中、準備に手間取っているようで、演奏が始まる気配がなかった。
(これが桜海だったら、間違いなく先生やOBにドヤされてたな。あそこはあそこで他と変わってる部分があるから比較対象にしたらいけないか……)
かつて在籍していた吹奏楽部の事を思い出しながら、由貴は階段から少し離れた位置に移動する。
鞄から麦茶の入ったペットボトルを取り出し、それを口に含む。
麦茶特有の苦さを感じ、喉を潤す。
「新入生の皆さん、北宇治高校へようこそ!」
女子生徒の声に行き交う生徒たちの足が止まる。
階段に整列した吹奏楽部員たちの先頭に立つ女子生徒を中心に視線を集めていた。
「輝かしい皆さんの入学を祝して」
流れるような動きで注目を集めると、右手に持った指揮棒を構えた。
合わせて、各々が自分の楽器を演奏の体勢に入った。
周囲は一瞬で鎮まり、その演奏を見守る。
一、二、三、と振られた指揮棒に合わせて、演奏者たちから音が紡がれた。
「マ、マジか……」
出だしの音を聴いた瞬間、由貴は思わずそう呟いてしまった。
演奏された曲は暴れん坊将軍のテーマ。
有名な曲で知らない人は少ないだろう曲目は、新入生の注目を集めるにはもってこいだろう。
高校野球の応援歌としてメジャーな曲で、甲子園出場の強豪校の応援でも演奏されている。
しかし、入学式の新入生を迎えるには、渋い選択だ。
既に由貴の頭の中には、砂浜を白い馬で駆ける若様の姿が
何故その曲を選曲したのか? とツッコミを入れたくなってしまった。
ただ、問題はそこではない。
音が合ってない。
テンポも悪い。
楽器それぞれの音がズレている。
奏でられた旋律は、音楽経験者からすれば下手としか言いようがないレベルの完成度だった。
そんな吹奏楽部の演奏を、目を輝かせて鑑賞する生徒の姿がちらほら見受けられる。
おそらく、この中の何人かは吹奏楽部を見学する人がいるかもしれない。
由貴はペットボトルをバックに仕舞い、校舎へと歩くのだった。
「ダメだこりゃ……」
由貴の知らない所で、そんな事を声に出してしまった生徒がいたのはまた別の話。
——————
入学式は滞りなく終わり。
教室での担任からの説明や自己紹介等のホームルームを終え、由貴は自宅に帰らずに京阪宇治駅周辺を歩いていた。
三月末に京都に引っ越してきたばかりで、入学式までの間は荷物整理と自宅周辺の散策、自転車通学に必要な学校までの通学路確認であっという間に今日を迎えた。
せっかく京都に来たのだから、修学旅行で回らなかった場所を見てみたいと思った。
宇治川沿いの桜は観光の名所で、入学式前の休日には宇治川さくらまつりが開催されていた。
満開の桜が舞うのを眺めながら遊歩道を歩く。
桜並木を通過していき、住宅街に出た由貴はこのまま気の赴くまま散策していく。
しばらくして、不意に足を止めた。
「こんなところに寺か神社でもあるのか?」
住宅地を抜けた先に石で造られた階段が目に映った。
表面はうっすらと苔に覆われて奥には新緑が生い茂っていた。
時間的にはまだ余裕がある。
由貴は石畳の階段を登り出した。
上がり下りがしやすいように手すりが備え付けられた階段を上がっていくと木製の山門が現れた。
せっかくここまで来たのだ。
お参りと御守りくらい買っていくのも良いだろうと思った由貴は、一度山門の前でお辞儀をした。
境内に足を踏み入れ、手水を取り本殿へと歩く。
平日ということもあってか、参拝者らしき人影は見ない。
代わりに、正面の仏殿の石畳を竹箒を使って掃き掃除をしている人物がいるくらい。
お賽銭箱の前に立ち止まり、使財布から五円玉を取り出してそっと入れる。
手を合わせて目を瞑る。
(高校生活三年間。面倒事に巻き込まれずに平穏で過ごせますように……。あと、妹に変な虫が付きませんように‼︎ むしろそっちの方が重要なのでお願いします‼︎)
合わせた手に力が籠る。
妹は明るく可愛くて愛嬌もあって友達も多い。
コミュニケーション能力も高くて、男子が相手でも物怖じせずにはっきり言う。
そのせいか男子からモテる。
こっちに転校しても、モテる可能性は十分にある。
目の届かない範囲は流石にカバー出来ない。
なのでこうして神頼みするのだ。
「あの、すみません」
不意に隣から声をかけられた。
目を開けて顔を向けると、先ほどから掃除をしていた仏殿の周囲を掃除していた女性が立っていた。
女性というにはまだ幼さを残した顔立ちをしており、由貴より歳下の女の子だと分かる。
腰の辺りまで伸びた黒髪に白袖の上に緋袴を着たその姿はまさに巫女だった。
「これ落としましたよ」
女の子の手には、Suicaが握られていた。
入れ方が甘かったのか、どうやら小銭を出す際に誤って落ちたのだろう。
「ありがとう。これがなかったらここら一帯を探すハメになってたよ」
「いえ。そんなこと」
由貴はSuicaを受け取り、財布の奥までしっかり入れる。
「もしかして、トランペットやってるんですか?」
「あぁ。やってるよ。よく分かったね」
「そのケースと同じ種類を前に吹部の先輩が使っていたので」
「てことは、君は吹部に入ってるのかな?」
吹奏楽部は所属してる生徒から吹部と略される。
吹奏楽部所属あるいは吹奏楽部所属の友人がいない限り、その略称はあまりしない。
「はい。南中でやってます」
南中と言われても由貴にはピンと来ないが、どうやら吹奏楽部員である事には間違いなかった。
「すまない。最近まで関東の方に住んでたからこの辺の学校の事はあまり知らないんだ」
「そうだったんですか。すみません」
「謝らなくてもいいよ。そうだ。御守りを買いたいんだけど良いかな?」
「はい。こちらにありますので案内します」
女の子に案内されて寺事務所にやってきた。
数種類ある中から、安全祈願の御守りを一つ購入して寺を後にした。
最後にちゃんと山門に向かってお辞儀をする事を忘れずに。
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夕日が沈み始め、宇治の街を橙色に染める。
由貴は宇治川の川沿いに腰を下ろして、大吉山を眺めていた。
前に住んでいた場所より自然が多く、寺院など古き日本を感じさせて由貴の心は落ち着く。
由貴はバックと一緒に置いた黒いケースに手を伸ばす。
中学に行く時はいつも持ち歩いていたそれは習慣として染み付いていて、持ってくる必要もない日でありながら、ないと落ち着かないのかいつも通りに持ってきてしまった。
けど、それで良かった。
今無性に楽器を吹きたいと思ったからだ。
ケースを開けると、金色のトランペットが姿を現した。
しっかりと手入れの行き届いた
マウスピースをはめ込み、ピストンの上に指を置いて動きを確認する。
慣れた手つきで準備を済ませ、由貴は大吉山の方に向かってトランペットを構えた。
静かに息継ぎをして、マウスピースへと息を吹き込んだ。
トランペットの綺麗な旋律が鳴り響いた。
「凄く綺麗な音……」
次回はアニメ3期始まる前までに更新したいです。