新年度最初の全校集会は校庭で行われ、全生徒が一同に校長のありがたいお話を聞いていた。
新年度も始まり。新たな一年を生活するうえでの心構えや最近の時事ネタを踏まえた長くて、退屈な校長の話がマイクを通してスピーカーから流れる。
校長の話が終われば、次に待っているのは教頭のありがたいお話。こちらは高校生らしい態度と勉学を疎かにせずにしっかり励むようにと言った内容だ。
整列している生徒の中には、話を聞かずひそひそと会話を始める者や愚痴をこぼす者。だらけた体勢になる者や眠そうに欠伸をする者がちらほら見受けられる。
由貴もこの心地よい春の陽気な日差しに眠気を誘われる。
「続きまして、本年度より新任する教師の紹介に入ります。新任の教師の方々はご壇上ください」
MCを担当する教師のアナウンスと共に数人の教師がお立ち台に登る。今日の集会で一番重要なのは、新任教師の挨拶だろう。
「ねぇ、あの先生カッコよくない?」
「ホントだよね。授業の担当になってくれないかな?」
などと、面食いな女子生徒の中では好評な教師がいたようだ。
「次。滝先生よろしくお願いします」
呼ばれた教師が頭を下げてからマイクの前に立つ。
スラっとした物腰の柔らかそうな体躯。端正な顔立ちに優しそうな穏やかな表情。
「ご紹介に預かりました滝 昇です。本年度から二年生の音楽の授業を担当することになりました。まだまだ若輩者ですが、皆さんよろしくお願いします」
落ち着いた物腰の柔らかい口調と穏やかな笑みで頭を深々と下げる。なるほどこれは好みにもよるが女性受けは良さそうだ。由貴の近くの女子も滝を見るなり、ひそひそ話に声色を弾ませていた。
滝……という苗字を聞いて、由貴はある事を思い出していた。
以前、京都には指導者として非常に優秀な教師がいたという。その卓越した指導力でプロの音楽家や音楽教師を輩出したことで、音楽界でも名指導者として広く知れ渡っている。
今では考えられないが、かつてはここ北宇治高校でも教鞭を執って、吹奏楽部を関西大会常連の強豪校へと押し上げた実績もある。
その人の名は、滝 透。
もちろん、滝という苗字はそれほど珍しい苗字ではない。偶然同姓という可能性もある。しかし、何故か運命的な何かを由貴は自分の中で感じていた。
おそらく音楽に関わってた経験から来る直感なのか。吹奏楽への未練からなのか分からない。
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全校集会の次は本格的に授業が始まる翌週に向けて、担任からの説明と教科書の配布。そして各教室の確認を含めた学内説明。
一年のクラス毎に分かれて移動する為、待機時間を教室で待っていた。
その間、やはりと言って良いのか、由貴はクラスメイトからの質問攻めを受けていた。
『暁 由貴です。今年の春に東京から京都に引っ越してきました。まだまだこの辺りに関して知らないことばかりですが、よろしくお願いします』
昨日の自己紹介で東京から引っ越してきたことを説明したのもあって、休み時間等の空いた時間に由貴の席には人が集まってくる。
東京からやってきたと聞けば、皆やはり気になるだろう。男女問わず、由貴に話しかけてくる。
おかげで、初手コミニュケーションを失敗せずに済んだのは大きい。
「暁くん、人気者だね」
周囲に集まったクラスメイトたちから解放され、ひと息ついたところに後ろから声をかけられる。
茶色の長い髪に手入れの行き届いた眉の女子生徒。
「東京から来たってのもあって珍しいんだろう。転校生が転入初日に質問攻めにされる気分がよく分かったよ」
「確かに。私のクラスにも転校生が来たことあるけどあんな感じだった」
彼女、井上順菜は笑いながら答える。
昨日の自己紹介の後、真っ先に声をかけてきたのは順菜の方からだった。
彼女は中学時代から吹奏楽をやっていたようで、由貴の持ってきていたトランペットケースを見て声をかけてきた。
「そういえばさ。暁くんって吹部に入るの?」
「吹部に?」
「だって部活もやってないのにトランペットを持ち歩いてるじゃん? もしかして、吹部に入るのかな? って」
順菜の質問に由貴は少し考える。正直、中学時代のこともあって吹奏楽部に入部することに気が乗らない。北宇治高校を選んだ最大の理由が元々吹奏楽を辞めるつもりでいたから他ならない。
京都に行くことが決まり、そのことが各高校に知られた際、関西の強豪校から推薦の話が舞い込んできた。同じ京都府内の強豪校として知られる立華や洛秋はもちろん、関西屈指の全国金賞常連校からも声を掛けられたのは言うまでもない。
そして、桜海大椿の高等部からも引き止められた。
中でも、ある指導者に今年度から特別顧問をすることになった高校に来ないか? と誘われた時はかなり揺らいで悩んだのは今でも覚えてる。
「いや、今のところ入るかは決めてない。楽器を持ち歩いてるのも学校終わりに何処かしらで吹くつもりで持ってきてるだけだから」
「だったらさ、今日の授業が終わったら見学に行ってみない?」
真っ直ぐ由貴を見て順菜は言った。
「せっかくの高校生活を部活もしないでただ吹いてるのも、なんかもったいないし。一人で演奏するよりみんなと演奏した方が楽しいでしょ? それに、私は暁くんがどんな演奏するのか気になるし」
確かに順菜の言い分は一理ある。一人で演奏している時間も楽しいが、合奏している時間は一番音楽をやってて楽しい時間だと由貴は思っている。中学時代、吹奏楽部で仲の良いメンバーで集まってアンサンブルをしていたあのひととき。数少ない桜海大時代の楽しい思い出として残っている。
しかし、昨日の演奏を聴いてみた限り、真面目に練習している部には感じなかった。おそらく楽しく思い出作りをしようって方針で活動しているのだろう。
「入部するかはともかく、見学くらいならしても良いな」
少しの間、思考した後、そう結論した。
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少し用があるから階段の所で待ってて。そう告げられて由貴は階段の角に背中を預けて立っていた。放課後になり、和気藹々とした生徒たちで廊下は人の行き交いが激しくなっていた。
この待ち時間、携帯を使って暇潰しをしたいところだが、あいにく北宇治高校の携帯の使用は校則で禁じられている。入学早々校則違反で捕まって反省文だの何だのはお断りなので、由貴は同級生たちをぼんやりと眺めていた。
「———えっ⁉︎」
不意にそんな驚きを漏らす声が聞こえた。気になった由貴は視線をそっちに向けると、由貴の顔を見て驚愕した表情を浮かべた女子生徒が立っていた。
セーラー服の胸元で結ばれた赤いスカーフの辺りまである艶やかで黒く長い髪。大きく見開いた瞳。同い年にしては少し大人びた雰囲気を感じる整った顔立ちと佇まい。容姿端麗という言葉がしっくりくる容姿をした女子が由貴を見ていた。
「…………なんで
突然投げかけられた言葉に由貴は困惑する。
由貴は彼女の事を知らない。反応から察するに彼女は由貴の事を知っている様子だ。
「学校、東京だったよね? 確か桜海大椿の……」
「そうだけど、なんで知ってるんだ?」
「去年の春の定演。私観に行ったから」
その言葉に由貴は驚いた。桜海大椿は春夏冬に定期演奏会を開催する。
春の定期演奏会は全国大会出場校との合同演奏会ということもあって、全国各地から多くの人々が鑑賞しに来る。
ちなみに、チケット入手の難易度は非常に高く、現地観覧は毎回高倍率の抽選を通った強運の持ち主か音楽関係くらいしか観れない。最近ではネット配信で期間限定で視聴する事も出来るようになったが、わざわざ京都から東京まで来るのだから、彼女は余程の音楽好きなのだろう。
しかし、由貴が驚いたのはそこではない。
「定演観たからって、俺が桜海大だったって普通分からないだろ?」
「分かるに決まってるじゃない。あれだけ上手いトランペットソロ吹いてたら。凄かった。同世代であそこまで吹ける人、初めて見たから」
「……なるほど。納得した」
「ねえ、吹部入るの?」
彼女は真っ直ぐに詰め寄る。あまりに近い距離に一瞬動揺するが、すぐに平静さを戻す。人通りがある中で、こんな容姿の良い女子に詰め寄られては目立つ。周囲にいる生徒たちからちらちらと視線を向けられる。
「まだ入部するかは決めてない」
「どうして?」
「どうしてって、別に高校に上がったからって吹奏楽部に入るとは限らないだろ? 現に吹奏楽を続けるくらいなら、わざわざ桜海大に残る選択肢だってあったんだから」
由貴の言葉に沈黙する。しかし、彼女は真っ直ぐと目を見て視線をずらそうとしなかった。
「そう……。せっかく競い合える人が見つかったと思ったんだけど……」
やがて残念そうな表情をして距離を取るように後ろに数歩下がる。彼女に悪いという感情は抱きながらも、由貴はふぅ〜と一息つく。
「でも、絶対吹奏楽部に入らなかった事後悔させないから。考えておいて」
それだけ言葉にして彼女は、立ち去った。この一幕を見てた生徒は何事もなかったかのように再び動き出した。由貴は立ち去る彼女の後ろ姿を見送る。どこか機嫌の良さそうに腰の近くまで伸ばしている髪が揺れているように思えた。
「お待たせー。……ってどうしたの?」
用事を終えた順菜が由貴の元へとやってきた。先ほどまでのやりとりを知らない順菜はきょとんとした顔をしていた。
「あー。まあなんて言ったら良いか。とりあえず……」
振り返らずに由貴は。
「ナンパされた?で良いのか?」
「なんで疑問系?」
次もなるべく早めに投稿出来たら良いなと思っております。