ヰ世界の歌 夜明け前のダークエルフ 王道硬派な大河ファンタジーの世界で一歩から始める人外愛譚   作:所羅門ヒトリモン

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#106「閉幕の静寂」

 

 

 黒い、喪服のような外套に変じていた。

 周囲の気温が、ストン、と明らかに下がった。

 燃え盛る炎に囲まれて、戦場は茹だるような熱気で包み込まれていたのに。

 その()()が顕れてからは、景色が変わった気がするほど、熱というものが失われていく……

 

「その、姿は……」

「……」

 

 魔人は震え、無意識にか数歩あとずさる。

 秘文字による強制世界介入。

 世界で最も優先される言の葉の祝詞によって、身体に起きていた硬直の命令は解かれた。

 しかし、

 

「余は、貴様を……識っているぞ」

「──へぇ」

「黒き衣と白き(はだ)……貴き獣の骨面からは、捻れ狂った枝角……」

 

 ──ゾクリ、と。

 魔人の背筋が凍る。肌が粟立つ。

 太古の記憶が呼び起こされ、恐怖さえ取り戻された。

 古代北方大陸を生きた人間で、知らない者など存在しない。

 落窪んだ昏い眼窩。

 生命の熱を奪う二つ足の死。

 暗黒の御伽話(ダークグリム・フェアリーテイル)

 恐怖なくして語られぬ。

 白嶺の魔女の忌み名は、当時最も北方大陸(グランシャリオ)を震撼させた。

 ぐらり、と目眩。

 

「……そうか。そう、だったか……よりにもよって、()()()立ちはだかっていたか……」

「──会ったコトでも、あったか?」

「無い。だが、友を……チェーザレを殺された……」

 

 魔人はふらめき、その軍隊にも自ずと動揺が広がっていく。

 魔術によって似姿をかたどられた、偽りの戦士たち。

 然れど、現実を凌駕し本物にも迫る〝実感〟を持った彼らには、セプテントリア時代の残酷な記憶が、ある意味で本物に等しく追憶されていた。

 鎧がカタカタ、鳴り始める。

 赤色の空が、段々と白に染まっていく。

 雪がチラリと、舞い落ちた。

 魔女の霊威(ころも)を纏った少年は、静かに雪の欠片を手のひらに乗せる。

 その手は白い。

 まるで凍えてしまった、死者の骨のように、白い──

 

「なあ……オマエの目には、俺が何に見える?」

「なん、だと……?」

「ダークエルフの王子、メランズール・アダマスか? それとも、ラズワルド・スピネル?」

「貴様……何を言っている」

「いや、単に気になっただけだよ。俺は正直、この国の身分と立場には、初めから馴染める気がしてなかった。けどさ」

 

 メランズール・アダマスとして生まれなければ、ネグロ・アダマスの呪いを身に宿すことはなく。

 ラズワルド・スピネルとして戻らなければ、自身のルーツを識って、その宿命を受け入れることはできなかった。

 故国の存在も親の存在も、どちらももう立派に『俺』に必要不可欠。同時に、

 

「オマエも、いや、オマエ以外の誰だってでもいいから、聞かせて欲しい──俺は何だ?」

「決まっている……貴様は魔物だ。禁忌の魔物だッ!」

「……やっぱり、そうなるよな」

 

 メラネルガリアの誰も知らない『俺』の真実。

 この国を追われて、その先で得た出会いと別れ。

 ダークエルフだとか王族だとか、そんなしがらみは一切関係なく、ただの〝ラズワルド〟としてこの世界を識った。

 

「メランズール・アダマスは、魔力を持って生まれて来なかった。我が父ネグロは、それを以って俺を用無しとした。けれどな……それは大きな過ちだったんだよ」

 

 ネグロ・アダマスは、自身の呪いの結実を、秘紋の真価を問う前に諦めてしまった。

 息子に魔力が宿っていなかったことを、実験の失敗だと思い込んで勝手に失望した。

 なぜ魔力を宿らせようと思い立ったのか。

 それはきっと、千年後の未来とやらのために必要だと考えたためなのだろうが、どうあれ、呪いの本質はそこには存在しない。

 

「〝魔力喰らいの黒王秘紋〟……名付けの由来までは知らないけど、喰らうってコトは、自分以外の何かから、糧として取り込むってコトだった」

 

 存在力を奪い、その霊的真髄を自分のモノに変えてしまう簒奪の呪詛(ノロイ)

 

「……ここまで言えば、分かってくれるよな?」

「つまり、貴様は……」

「ああ、そうだよ。俺はオマエたちが、白嶺の魔女と呼ぶ彼女に出会った!」

「そして、奪ったワケか……ヤツの存在、魔力、深淵のすべて……!」

 

 畏怖、愕然、恐慌。

 魔人は戦慄のシバリングを隠し切ることもできず、必死に剣へ縋り付く。

 禁忌、とは──

 〈目録〉によって周知される、絶対の手出し不要命令。

 その災いに触れるべからず。

 汝、人界に安穏と平和を求むるなら、決して勇気と蛮勇を履き違えるなかれ。

 (こと)に、忌み名を贈られた大魔には、絶対に近づいてはいけない。

 なぜなら、

 

「白嶺の魔女……白嶺の魔女……!

 貴様さえ、貴様さえ、貴様さえ居なければッ、王国があの大戦で負けるコトは無かったッ!

 チェーザレの援軍が間に合ってさえいればッ、エリヌッナデルクの趨勢は、我らの勝利に傾いて終わっていた……!」

 

 セプテントリア王国滅亡の切っ掛け。

 〈渾天儀世界〉史上、古代の終わりはとある大戦の終結と共に語られている。

 それがエリヌッナデルク。

 乱れた秩序律を修復するため、世界各地で行われたヒトと混沌渦勢力との戦い。

 北方大陸(グランシャリオ)では主に、大魔の吸血鬼と血みどろの戦争が行われた。

 そして、歴史のターニングポイント。

 この戦いに勝利すれば、どうあれ決着が着くという重要な局面で……

 

「セプテントリア王国、チェーザレ辺境伯の軍か」

「そうだ! アレは王国でも、最強の矛だった! 貴様に潰された!」

「ああ、識ってるよ」

 

 援軍に向かう辺境伯の軍は、偶然にも魔女と遭遇してしまった。

 民家を襲い、家畜や農作物を奪う途中の魔女を。

 結果、セプテントリア王国は国の存亡がかかった大事な場面で、最強の矛を振るうことなく、無惨に敗北してしまう。

 禁忌とは、ゆえにそういうコト。

 軽率に手出しすれば、国ひとつが容易に滅びに追いやられる。

 

「──つまりだ」

 

 ここに対峙しているのは、互いに互いを不倶戴天と認める敵同士。

 

「俺はオマエが許せないし、オマエも俺を許せないだろう?」

「──認めよう。貴様は余の敵だ。怨敵だった!」

「それでいい。十把一絡げの雑な(くく)りで剣を向けられるより、ちゃんと理解してもらった方が、こっちもやる気が出る」

 

 そのうえで、潰す。

 両者は睨み合い、しんしんと雪の降るなか、殺意の輪郭を捉えて構え合った。

 もっとも──

 

「ウオォォォォォォァァァァァ”ァ”ァ”ァ”ァ”──ッ!!」

 

 爆炎の推進力で、隕星のように突進しながら大きく剣を振りかぶった魔人と違って。

 少年(魔女)は一言、右手を翳して呟くだけだったが。

 

「── 白髏の夜、喪失の帳(レトゥス・アルバ)

 

 とはいえ、決着をつけるにはそれにて充分。

 ダークエルフが積み上げた歴史と信仰。

 伝説はたしかに驚くべき強さを誇ったが、あいにく世界にはそれよりも、もっと深いところに刻まれたバケモノがいる。

 少年の魂は五千年の奈落を呑み込んだ。

 ならば、過去に敗北した亡国の王。

 メレク・アダマス・セプテントリアに、白嶺の魔女が屈する道理は無し。

 呪文の詠唱はメラネルガリアを一瞬で侵蝕し、〈領域(レルム)〉は上書かれ、

 

「──こ、の」

「…………」

 

 白い女のたおやかな手が、天と地とを埋め尽くして伝承を圧殺した。

 魔人は存在の基を絶たれ、魔術の(くびき)から解放される。

 吹雪く風に煌夜の祭は終わった。

 後にはただ、意識を失い倒れ込む孤独な王太子と──

 

「……………………」

「それで?」

 

 そんな彼を庇うかのように両手を広げた、少女がひとり。

 フィロメナ・セレンディバイトは、眦から涙を流し、ゆっくり地面へ膝を着くと、そのまま静かに土下座した。

 言葉は無い。

 

「……続ける意思は、もうないってコトでいいのか?」

「……はい」

 

 尋ねると、掠れるような声で肯定が返る。

 ずいぶんと泣き腫らしたらしい。

 聞き覚えのある声よりも、いくらか低くなった声だった。

 だが、少女ひとりが降参を宣言したからといって、事態がそれで楽に収まるワケじゃない。

 死者があまりに多すぎる。

 

「オマエ、ひとりか?」

 

 問いかけると、小さく首が横に振られた。

 ……まあ、それはそうだろう。

 主犯がナハトだったにしても、仕掛けは大掛かりで被害も甚大。

 フィロメナは恐らくだが、単なる協力者に過ぎない。

 深々と溜め息が漏れる。

 

「……バカだな、オマエ。そんなに怯えて後悔するくらいなら、初めからやらなきゃ良かっただろうが」

「っ」

 

 怯える背中と華奢な肩。

 フィロメナは怖いものでもたくさん見たのか、哀れなほど怯えている。

 だからではないが、魔女化を解いて「はぁ〜ぁ」と俺も腰を下ろした。

 死界の王の加護は止まらない。

 俺が目を開き続ける限り、あちらの世界は常にこちらに浮かび上がる。

 すると、

 

「……意外だな。殺さないのか」

「あ? 誰だよオマエ……って、レイナート? いや、トルネイン・シャーマナイトか?」

「ほう。その瞳、魂まで見分けるか。仮面を外していた方が、やはりずいぶんと便利そうだな」

「アンタ、死んだのか」

「安心したまえ。自らの選択だ」

 

 雪の積もり始めた戦場跡に、ひどく憔悴したひとりの男が現れた。

 

「あまりフィロメナ嬢を苛めてくれるな。彼女はただ我々の指示に従い、言われたままを鐘で報せただけ」

 

 術式の発動と成立には、何の寄与もしていない。

 ガワとナカミがちぐはぐな男は、鼻を鳴らして立ち止まる。

 涙ぐましい庇い合い。

 だが、あいにくと言う相手が俺じゃあな。

 

「悪いけど、自白とか弁明とか、そういうのは後で、然るべき時と然るべき場所でやってくれないか」

「なに?」

「俺はたしかに王族で、オマエたちの計画を叩き潰した張本人なんだろうけどさ」

 

 裁く権利は俺に無い。

 裁くつもりもありはしない。

 王族であることも、貴族であることも真面目に受け入れられなかった俺だ。

 メラネルガリアで起きた犯罪は、正当な筋を通して、メラネルガリア国民に裁かれるべきだと思う。

 言うと、

 

「……フン。ならばせめて、彼女の事情だけでも聞いておけ」

「は?」

「メランズール・アダマスには、フィロメナ・セレンディバイトの動機を知っておく義務がある」

「……やめてください。老公」

「黙れ。我々はどうせ死罪だ。最強のカードを切り、すべて捩じ伏せられた以上、大人しく沙汰を受け入れるしかない。ならば最後の最後ぐらい、胸の内を正直に明かさずに何とする」

 

 ──いいか、よく聞け。

 老人は淡々と話し始めた。

 

「ここにいるフィロメナ嬢は、王太子の婚約者となるべく育てられた」

「……」

「分からんか? つまり、本来であればナハト殿下ではなく、この娘は貴様と婚約を結ぶはずだったのだ」

「……え?」

「しかし、第一王子メランズールは幼くして死んだ。焦ったセレンディバイト家は、ヘマタイト家に媚びを売り、娘であるフィロメナ嬢は、未来の妃として何より〝完璧〟であることを一層強いられるようになった」

 

 求められるまま望まれるまま、女としての価値をただ磨き、しかし、その先にあったのは実の父からさえ毒婦と罵られる不遇のそれ。

 フィロメナの心は、疾うの昔、幼き日に壊されている。

 

「それを懸命に繋ぎ直し、最後の希望として癒しを与えた者こそ、ナハト殿下だ」

「老公、お願いします、もう結構ですから……」

「貴様に分かるか? この娘にとって、我らの計画に従うのは、唯一の救いだったのだよ」

「……どういう意味だ?」

「まだ分からんのか。周囲に望まれるまま、ただ男の言いなりになる愛玩人形としての人生。

 フィロメナ嬢はな、そんな世界に我ら〝男〟の命じるまま滅びを与えられたら、どんなに痛快かと」

 

 皮肉と復讐を込めて、その一心で協力していた。

 ならばこそ、

 

「哀れとは思わんか。情けの気持ちは一雫も湧かないか」

「……」

 

 俯くフィロメナは何も言わない。

 だが、だとしても言い訳だと俺は思った。

 

「アンタの言ってるコトが、本当にフィロメナ自身の動機だったんだとしても、それならせめて〝後悔〟だけはするなよ」

「っ」

「殺しの理由が何であれ、殺した後に「ごめんなさい」って謝られたって、死んだヤツらも俺も、胸糞悪いだけで同情なんか出来やしない」

「……ええ。まったくその通りです」

「! 殿下ッ!?」

 

 ナハトが目を覚ました。

 

「シャーマナイト公……悔しい気持ちは分かります。ですが、嫌味ならばやめましょう。他人の心情を勝手に代弁するような真似も、いささか以上にみっともない」

「……しかし殿下っ」

「目的は半分達成しました。……特に公、貴方の悲願はこれ以上ないほど完璧に成就している。ならば、僕やフィロメナ嬢の分まで不要な未練を受け持とうとするのは、過分な気遣いというものです」

「……御意」

 

 ナハトの指摘に、トルネインが目蓋を下ろして俯く。

 主従の関係。

 対等な共謀者。

 ふたりの間には、見たところ少なくない絆が結ばれているようだ。

 

「スピネル殿──いや、()()

「なんだ? 言っておくけど、正体を隠していた件について、俺に謝るつもりは無い」

「ハハ……その件ならば別に。最初からほとんど、察していたような物ですし」

「マジかよ……」

 

 と、思わず「嘘だろ?」みたいなリアクションを返してしまったが、これは考えれば、俺の想像力が足りていなかった。

 セドリックの言うことを真に受けすぎていたというのももちろんあるが、ルフリーネに陰ながら守られていたという事実も含めて、きっとメラネルガリア貴族社会では、ラズワルド・スピネルの正体はとっくに露見していたんだろう。

 それでも敢えて、静観・放置され続けてきたのは……

 

「なぁ……俺の正体を分かってたなら、どうして何もしなかったんだ? オマエが動けば、たぶん他の家だって、もっと派手に動いただろ」

「バカを言わないでください……僕の性格はご存知でしょう。()()()()()()()()()()()()、僕はここで倒れているんですよ」

「……じゃあ、その点に関しては、礼を言っておく」

 

 腹違いの弟の、気高さと愚かしさ。

 モラトリアムは、そのおかげで得られていた側面もある。

 しかし、ナハトはゆっくり首を振った。

 

「要りませんよ、礼なんて。さっきはああ言いましたが、実際、兄上が本当に兄上なのかどうかは、イマイチ確信を持てていませんでした」

「……そうなのか?」

「ええ、そうなんです。ルフリーネ妃の沈黙が、あまりに変わり無さすぎました」

 

 彼女には皆な、一杯食わされた形ですね。

 ナハトは眩しそうに笑って言う。

 ……なるほどな。

 

「母は偉大、ってことか」

「──かもしれませんね。まぁ、そんなワケですので、ルフリーネ妃を含めて、ほか大勢を殺しかけた……実際に殺してしまった僕へは、間違っても感謝などしないでください」

「……そうだな」

 

 ナハトたちの計画では、無差別に虐殺が行われた。

 秘紋の力が無ければ、俺だって死んでいただろう。

 すぐそこに浮かび上がる死者の存在。

 それを忘れてはいけないし、目を逸らすことも以っての他。

 

「じゃあ、ナハト」

「なんです、兄上」

「オマエ、ちょっと俺に優しくしすぎたな」

「……は?」

「だって、俺はこの国のことなんか、ちっとも好きじゃなかったんだぜ?」

「…………」

「ホント、どうしてこうなったやら」

 

 頬に当たる氷の花の溶ける感覚。

 

「兄上」

「ん?」

「やはり貴方は、他とは違う」

「……そうか?」

「そうですよ」

「じゃあ、そうかもしれないな」

 

 時は重たく、言葉は淡く。

 ナハトはそれきりむっつりと黙り込んで、俺は仕方がないから、ぼんやり辺りを眺めた。

 兄弟の会話はそれで終わったのだろう。

 メラネルガリアでの日々も、じき終わる。

 遠くから近づいてくるザワザワした声に兆しを感じ、俺は最後にそっと弟の肩を叩いた。

 

 

 

 

 

 





tips:エリヌッナデルク

 古代末期に行われた大戦。
 世界が秩序律と混沌渦の二種の勢力に別れて争いあった。
 どちらが勝ったかは誰も分かっていない。
 ただ、この大戦で古代(四方大国暦)は終わり、新たに中世(黒曜八蝕暦)が始まった。
 渾天儀教が姿を消し、代わりにカルメンタリス教が広く信仰を獲得したのも、この辺りとされている。

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