ヰ世界の歌 夜明け前のダークエルフ 王道硬派な大河ファンタジーの世界で一歩から始める人外愛譚 作:所羅門ヒトリモン
ノエラと会ったのは、リンデンに来て最初の頃だった。
(というか、最初に来たのがこっちの森の方で……)
リンデンという城塞都市に辿り着いたのは、実はこの森を抜けた後でのコトである。
〈大雪原〉を南下して、デドン川の下流をしばらく辿ると、ムルデア村なる実に寂れた寒村があるのだが。
そこをさらに南へ下り、辛うじて道と言えなくもない道を進んで遥か彼方。
三つの廃村と二つの物見塔、一つの廃小屋を超えてもうしばらく。
銀冬菩提樹と丸酸塊の森は、まるで天の救いか悪魔の罠かのようにして、旅人の前に広がる。
なので、
(八年前、当然、森の恵にあやかろうと思った俺は……)
天の救いではなく、悪魔の罠の方に自ら入り込んでしまった。
分かりやすく言うと、深入りしすぎて迷子になった。
これは二年間の旅の中で、特に問題もなく、ひとりで生きてこられた弊害でもあったのだろう。
当時の俺は、いささか自分でも気づかぬうちに自信過剰になっていた。
短絡的な思考と楽観視。
見知らぬ森であろうとも、成長した自分なら抜けられる。
そんなふうに、タカを括って油断慢心していた。
結果、夜になった途端うぞうぞ蠢き出した
森の恵みそのものは、幸いにも非常に豊富で食うには困らなかったが、気がつけば完全にトラブル続きで、半月近くは同じようなところをグルグルしてしまっていた。
で、そんな折りに。
(……いいかげん、風雨をマトモに凌げる壁と屋根と、柔らかいベッドが恋しくてたまらなくなった頃……)
まるで霧が、そこだけ晴れるかのように。
目の前に突然、『家』としか呼べないモノが、パッ! と出現したのである。
第一印象は、童話の森の魔女の家。
瓦屋根と石漆喰が、巨大な菩提樹に半ば呑み込まれかけながらも、
玄関の前には、小人の通り道としか思えない狭い階段と、疎らな石畳。種々のハーブを植えたガーデン。
申し訳程度に立てられた木柵は、腰が低くて丸みを帯びている。
童話であれば、優しい魔女の棲む〝隠れ家〟だと誰もが思うだろう。
そこに。
「──こんばんわ、佳い夜だね少年」
「こんばんわ、ノエラ」
透けるように軽い銀の長髪。
花のように薄い赤と青の虹彩。
湿った楡木色の肌。
縦に長い馴鹿の角。
薄黒い森のドレスに、花と苔のヴェールを纏った異様な長駆。
〈
「今夜も
「ああ」
「物好きな少年だ。まぁいい」
ノエラは「這入りたまえ」と扉を開けた。
こうやって訪れるのは、初めてのコトじゃない。
迷家神の祝福。
ノエラは俺と同じで、祝福の保持者だ。
自身の棲まう家を、『迷家』へと変えてしまう神のノロイ。
迷家というのは、ザッと説明すれば竜宮城のようなモノで、訪れた者に「富」ないし「罰」を与えるあやかしの家のコト。
家の主人に誠実で、無欲であれば「富」を授け、その逆であれば「罰」を与える。
昔からよくある、寓話じみた特性を宿した小さな異界。
迷家の名の通り、訪れるには周辺を迷うしかない。
が、逆に言えば、迷いさえすれば必ず目の前に現れる特殊な法則を持っている。
同じ祝福持ちというコトもあって、互いに多少のシンパシーを感じてもいるのだろう。
俺は度々、折りを見てはノエラを訪問していた。
ノエラもまた、このように出迎えてくれる。
ただし、ここに来た際の決まりとして、迷家のルールには従わなければならない。
(ま、それは別に、客側に何の悪意もなければ問題ないんだけど)
ノエラが望むと望まずに拘わらず、迷家は客に
判定は帰り際、玄関扉を背中にした時に。
富と罰。
どちらであろうとも、
俺の場合はそうだな。
過去に薬や、地図などをポッケに入れてもらった。
だが、ひどい場合は臓物や汚物、ゴミなどが、代わりに入れられているらしい。
不思議で奇妙で、やや恐ろしい。
迷家とはそういう〝
ともあれ。
「ハーブティーでも淹れようか?」
「ありがとう。頼む」
「なに、構わないさ。知っての通り、客をもてなす機会には飢えている」
この通り、ノエラ当人は悪いヤツではない。
見た目は人外で、明らか妖物魔物に思われてしまうが、種族的には人界の亜人道。
言葉も通じるし、誰彼構わずひとを襲ったりもしない。
普通にマトモである。
ただ、〈
精霊郷、妖精郷、異郷秘郷の緑星で、魔物とはまた違うものの、そこに連なる種族は天性の〈領域〉持ちとして知られている。
しかも、
肉の
大半の人々には、『半精霊』だの『半妖』だのと云われて、遠巻きにされている。
ノエラと接していると、「それもまぁ仕方がないかもなぁ……」という部分はままあった。
たとえば、
「数日ぶりだけど、最近はどうだ?」
「森の声に変わりはない。ただ、最近は少し獣どもの暴虐が目に余るな」
「獣ども?
「ああ。狂乱の病にでもかかったか、狼たちに少し変調が起きているようだ」
「マジか。そりゃ気をつけないと──でも、今のは別に森じゃなくて、ノエラについての質問だったんだぜ?」
「……?」
「あくまで、ノエラ個人の近況を尋ねたんだよ」
「……すまない、よく分からない」
「ええ?」
「少年は
人界は難しいな、とノエラは苦笑する。
俺には何が何やら。
しかし、種族が違えば価値観も異なる。
同じ人間同士ですら、国や文化、育った環境が違ってしまえば、相手が何を考えているのかまったく分からなくなるもの。
異種族同士ならなおさらだ。
だって、死生観からして土台が異なる。
こういうすれ違いは、〈渾天儀世界〉では往々にしてよくある話。
ノエラの場合は、なんだろうな? 視座が違うのかな?
「まあ、いいよ。お茶、ありがとう。美味しかった」
「そうか? であれば、どういたしまして」
微笑むノエラにティーカップを返しつつ、特徴的な角につい目を奪われながら、「さて」と椅子に
冬の夜を歩き回りっぱなしだったからか、温かなハーブの潤いが、ポカポカと身体に優しかった。
「んじゃ、そろそろ
「せっかちだな。もうやりたいのか?」
「いいだろ? 俺とノエラの仲じゃないか」
「私としては、願ってもない話だが」
やれやれ、とノエラが少し困った様子で肩を竦ませる。
流し目が妙に艶めいているのは、期待に淡く興奮が迸っているからか。
しかし、ノエラは普通の
〈
植物系の地精霊にとっては、まさに楽園とも言える場所だ。
なのに、ノエラはそこから、敢えてここ北方大陸まで移動してきた変わり者。
──否。
第四の理にありながら、第八の理に傾倒してしまったため、
受肉して樹界人になったキッカケも、精霊のままでは人界に受け入れられないため、仕方なく零落するしかなかったと云う「え、それちょっと、どうなの?」な女なのである。
なお、性別は受肉時に決まったとか。
「では、始めようか」
「ああ」
ノエラが顔を近づけ、俺と額をくっつける。
これから行われるのは、双方合意のもとに行われる一種の精神同調。
本来なら、人間である俺との精神感応など無理。
だが、俺の魂にはニドアの林の妖木。
ベアトリクスだけでなく、あのオバケツリーも取り込まれていた。
そのため、元地精であるノエラとは、こうして肉体的な接触を介するコトで、ごく一時的ながらも
──要するに。
「準備はいいか?」
「……ああ、いつでも」
「では、ともに向かおう。魔法の深淵へ」
俺たちは八年間、こうやって精神世界で魔法の訓練、修行をしていた。
暗き夜が、いつかの世界へ置き換えられる──