ヰ世界の歌 夜明け前のダークエルフ 王道硬派な大河ファンタジーの世界で一歩から始める人外愛譚 作:所羅門ヒトリモン
湯から上がると、俺たちはエメラルドの館のサロンで、完全な夕涼みに移行した。
火照った体を程よく冷ます外の風が、窓から吹き込み気持ち良かったのだ。
なんだかんだと洗濯が終わるのを待つ必要もあったので、男女三人で仲良くテーブルを囲み、アイスドリンクなども注文してしまっていた。
氷室で冷やされたキンキンの生搾りフルーツジュース。
味は柑橘系の酸味に、ココナッツジュースを薄めて混ぜたような独特なモノ。
正直美味しいかどうかと聞かれると微妙なのだが、今はただ冷たい飲み物が飲めるというだけで、何でも美味しいと感じられた。
湯上がりの俺たちは、エメラルドの館が貸し出しを行っている麻の貫頭衣を着ていて、ゆったりとした着心地がまた気だるさを助長していた。
もっとも、フェリシアはひとりノースリーブに近い袖口や、ヒラヒラゆらゆらした裾から覗く自分の素肌に、やや気が気でない様子ではあったが。
(あまりモジモジされると、こっちも目のやり場に困るんだがな)
明るい榛摺色の髪も、今はしとっていて素直に艶かしい。
普段とは違う下ろした髪型。
首筋から鎖骨へ流れる汗の雫。
ふとした拍子に香る女性の香り。
実年齢は一回り近く離れているのに、肉体的にはフェリシアの方が歳上なのも困った。
いや別に、変な気を起こしているワケじゃないが。
(こうして見ると、やっぱ普通に可愛いんだよな)
男慣れしてなさそうなところも、初心っぽい反応も、特定の男にはドストライクだろう。
袖や裾を気にするあまり、襟元への注意がおろそかになってるのも隙があってヤバい。
……いや、ヤバいのはこんな思考をしている俺か?
「ん、ん……ハァ」
「おや、一気飲みですか」
「そんなに美味しいです、これ?」
「いや。ちょっとのぼせ気味かなって」
「追加注文しましょうか」
「そうですね」
ダークエルフが種族的に暑さに弱いことを、二人は知っている。
要らない誤解を招いた気もするが、弁明する気も無いので素直に厚意を受け取った。
店員が二本目のフルーツジュースを、大銅貨と引き換えに卓上に置く。
「石鹸代を稼がなきゃって話をしてたのに、バンバン金を使っちゃいますね」
「人間、快楽には逆らえないというコトでしょう」
「神父さんとは思えない発言……」
フェリシアが苦笑した。
しかし実際、ゼノギアの言葉はカルメンタリス教の神父とは思えない。
人類文明を守護する女神の信奉者。
カルメンタ信仰の教えは、清く正しく美しく。
何事も真面目に働いて、節度を守って暮らしていくのが説法のお決まりでもあるはずだが。
ゼノギアはやはり、典型的な神父像とは掛け離れた一面を持っているらしい。
「教義や信仰心だけでは、人は救われませんからね」
「断言しますか」
「何を今さら。神父である私でさえ、女神様は船酔いからは救ってくださいませんでした」
「それはそうですけど」
「では、冷たい飲み物を求める我々の心が、まさか悪しきものだとでも? いやいや、いやいやいや」
丸メガネは微笑むように否定した。
「人間が人間らしく生きるためには、多少の欲は肯定されて然るべきなのです。でなければ、我々の文明はどうして発展できますか?」
「む」
「より良い生活を望み、より良い幸せを望み、人々が快適な世界をもっともっとと望んだからこそ、女神様も我らの文明を認め、その暮らしを守らんと聖なる恩寵を授けてくださるのです」
ならば、表面上の教義だけをなぞったところで意味は無し。
ゼノギアは言った。
欲望、快楽、大いに結構。
「ただ、行き過ぎはもちろんダメですが」
「へぇ……神父らしいところも、ちゃんとあったんですね」
「どういう意味です……?」
あ、あれ? と優男は首をひねって、椅子からズリ落ちそうになった。
人間やっぱり、身だしなみを整えて綺麗な格好になると、途端に見え方が変わってくるものだよな。
俺とゼノギアのやり取りに、フェリシアはクスクス笑う。
「ま、それはさておき」
「さておかれてしまった……」
「石鹸代、どうやって稼ぐか何か良い案は思いつきました?」
「んー。私たちに出来るコトとなると、やっぱり退治系かなって思いましたけど」
「あー、都合よく厄介事が、転がってるかってところだよなぁ」
フェリシアと俺の考えは、どちらも似たり寄ったりだったようだ。
一日限りの短期アルバイトをするにしても、信用も何も無い余所者がどこまで稼げるか。
命に多少の危険が付きまとう程度のトラブルを解決でもしない限り、手っ取り早くまとまった金は稼げそうにない。
タイムリミットがある以上、俺たちの選択肢は自ずと制限されていた。
「はい! 私が説法を説いて回り、喜捨を仰ぐというのはどうでしょう!」
「島の住民が、カルメンタリス教にどこまで心靡きますかね……」
「それに喜捨って、島の人たちもそこまで余裕は無いと思います」
「ですね。言ってみただけです」
俺たちは「うーん」と悩んだ。
その時、
「失礼。何やらお困りのご様子。よろしければこのカプリめに、貴方がたの手助けをさせていただけないでしょうか?」
「え?」
背後からトントン。
近づいて来たのは、緑衣をまとった白毛の
手には洒脱なリュートハープを携え、恐らくは吟遊詩人と思しい風体の亜人は、慇懃に申し出た。
ドール・ビッグ・ホーンのような立派な角が特徴的だった。
(あれ……この男、どこかで)
見覚えがある。
記憶の片隅に引っ掛かるものがある。
だが、俺が自分の記憶を手繰り寄せるよりも先に、
よく通るテノール。
「いきなりお声がけしてしまい、申し訳ございません。ですが、聞き耳を立てていたワケではないのです」
「カプリさん、とおっしゃいましたか?」
「はい。ワタクシは旅の吟遊詩人、寄る辺も無きさすらいの歌。〝唄うたい〟を生業としておりますカプリと申します」
深々と下げられる頭。
やや芝居がかった礼の取り方は、吟遊詩人らしい芸人の所作といったところであろうか。
加えて、セプテントリア語での丁寧な自己紹介。
島の住民が
暗に告げられるのは、同郷であるというメッセージか?
あるいは、親近感を抱かせるコトが目的なのか。
「カプリさんは、我々と同じ
「はい。皆様と同じく、連合王国の栄えある巨人艦に乗船させていただいております」
「トーリー号の乗客でしたか」
「えっと、唄うたいの方が私たちに、何のご用でしょう?」
フェリシアが戸惑いながらも尋ねる。
同じ船に乗っていたとしても、トーリー号は大きい。
約一ヶ月も船旅をしていれば、他の乗客の顔もそれなりにある程度は覚えてくるものだが、中にはゼノギアのようにほとんど船室に篭りっぱなしだった者もいるだろう。
緑衣の
俺たちに面識は無い。
すると、こちらの警戒が多少なりとも伝わったのか、カプリは物静かに一度首肯。
「今宵の風は音をよく届けます」
「え?」
「申し訳ございません。ワタクシ、生まれつき風の精に深く愛されておりまして、いろいろな噂や聞いてはいけない話などが、自ずと耳に入ってきてしまうのです」
「風の精に愛される……?」
「それってひょっとして……『精霊の祝福』!?」
フェリシアとゼノギアが、揃って同じタイミングで俺を見た。
人ならざるモノからの不思議な贈り物。
俺の場合は言うまでもない。
死者の世界を覗き、死者の世界と接続する青の瞳──死界の王の加護。
この
「あいにく、俺たちの誰も
神々の息吹を吹き込まれた者には、分かる者には一目でそうと分かる独特な気配が滲むものらしい。
今のところ、俺はノタルスカの森で遭遇した
残念なコトに、フェリシアもゼノギアも
聞き耳を立てていなかったと言われても、そう簡単に信じられるものじゃない。
旅の吟遊詩人のなかには、コソ泥まがいやインチキまがいの小悪党だっているものだ。
(悲しいけど)
初対面の吟遊詩人には、胡散臭いと疑ってかかるくらいでちょうどいいだろう。
メラネルガリアを出ての二年間で、俺は変な幻想を持つのをやめている。
そんな俺の顔に、カプリはけれど、堂々としたものだった。
「では、軽く証明して見せましょう」
「証明?」
「このように」
白色の体毛に覆われた亜人の手は、そこから急に一陣の風を起こした。
テーブルの周囲の音が、急に音量を上げて俺たちの耳に届く。
「っ」
「わ!」
「うるさ!?」
「お分かりいただけたでしょうか。このように、ワタクシはとてもイタズラな風の精に愛されているのです」
疑ってかかられるのは、慣れているのかもしれない。
カプリは気分を害した様子もなく、再度人差し指を回転させた。
ただし、今度は先ほどとは逆回転に回し、音量は元の大きさへ戻る。
精霊の祝福。
どうやら、信じないワケにはいかないようだ。
「すみません、失礼を働きました」
「構いません。それで、提案は受けていただけますか?」
「ふむ。しかし、手助けとおっしゃっていましたが……」
ゼノギアは「なぜ?」と訝しげだ。
誰にでも物腰柔らかなカルメンタリス教の神父も、さすがに初対面の他人から由縁の知れない善意を口にされると、疑惑の種が生まれるらしい。
特に、俺たちは先ほどまで金に困っていると話していた。
金銭に関する手助けと聞いて、トラブルに巻き込まれるリスクは当然無視できない。
カプリもそこは承知の上なのだろう。
「なに、怪しい話ではございません。ワタクシはしがない吟遊詩人。貴方がたの手助けを申し出たのは、単に歌のモデルになっていただけないかと、お声がけの機会を探っていたからなのです」
「歌のモデル?」
「はい。深海の悪霊を、魔法の火で撃退した勇壮なる少年少女。新たな英雄譚の予感に、ワタクシの創作意欲がビシビシ刺激されておりまして」
「え、えぇ〜? そんな、私なんてまだまだなのに、困っちゃいますっ」
「フェリシア……」
真に受けすぎだし、舞い上がりすぎだろ。
少女の照れ照れした顔に半ば呆れつつ、俺はともあれ「なるほど」と頷いた。
たしかに、あれだけの派手な戦闘があれば、船室に閉じこもっているよう指示されていた乗客とて、何があったかは知りたがるだろう。
カプリはきっと、巨人たちから俺とフェリシアの話を聞きつけたに違いない。
ゼノギアが察し、「あ、これ、私には関係ない話ですね」と寂しそうに呟いた。
やや気まずいが、
「つまり、カプリさんは俺たちに、歌のモデルにしてもいいか許可が欲しかった、って理解で良いでしょうか?」
「はい。その代わりとして、いくらか路銀のご融通をさせていただければと」
「なんだか俺たちに、損が無いような話に聞こえますね?」
「とんでもありません。この提案を受け入れていただきましたら、ワタクシは歌の創作のため、貴方がたの旅に同伴させていただきます」
「「「え」」」
驚きの申し出パート2に、俺たちの目が点になる。
「何を驚くことがありましょう? ワタクシは吟遊詩人。一度題材を決め、歌を作るとなれば、実際にこの目で見て、この耳で聞いて、この手で触れ、この口で味わったものを詩にいたします」
どんな叙事詩も、どんな抒情詩も、物語が無ければ歌にはならない。
「ゆえに、歌のモデルになっていただくというコトは、ワタクシの同伴を受け入れていただくのと同義。なぜなら、ワタクシは貴方がたを取材しなければならないからです。魂懸けた創作のために。……ご理解いただけますか?」
カプリの言葉は、熱意ある主張だった。
吟遊詩人としての誇りを感じさせる信念。
新たな歌の創作のため、モデルの取材と観察を求めるのは、カプリのような人種には必然の要求なのだろう。
けれど……
「「「……」」」
顔を見合わし、どうしたものかと判断に迷う。
東方大陸を目指す旅の目的。
トライミッド連合王国からの大罪人捕縛の交換条件。
灰色の魔術師、リュディガー・シモンなる男は、憤怒の英雄の刃を逃れた。
「俺たちの旅は、恐らくかなり危険なものです」
「関係の無い旅の方を、それも吟遊詩人の方を巻き込むワケには……」
「道中なにが起こるかも分かりませんし……」
難色を示さざるを得ない。
そんな俺たちに、カプリは然れども食い下がった。
「旅に危険がつきまとうのは、当たり前かと存じます」
「ですが……」
「ワタクシは単なる唄うたいですが、風の精の祝福もありますし、自分の身は自分で守り各地をさすらって来ました。いざとなれば、風のように逃げますゆえ」
「いやでも、今回ばかりはさすがに……」
「でしたら、こう考えてはいかがか? ワタクシは貴方がたに雇われた旅のサポート。金銭的な問題や、諸々の雑事を引き受けましょう」
「ええ!?」
カプリは凄まじい提案を繰り出してくる。
「お代は歌のモデルと、旅の同伴を了承いただくコトです」
「カプリさんの損が、多いように思えますが」
「価値観の相違です。ですが、気にかけていただけるならば、本当に危なくなった際の護衛もお願いいたします」
「護衛……」
なるほど。
話がそう転んでいくのであれば、俺たちの心理的負担も多少は軽減する。
旅のサポート係を雇うのは、実際かなりメリットが大きいし。
サポート係の身の安全を守るのは、もちろん俺たちの旅にとっても得になる。
実質的な対価は、カプリの護衛。
これは案外、悪くはない話かもしれない。
「どうします?」
「私は、いいかなって気がして来ました」
「私も特段、異論はありませんね」
フェリシア、ゼノギアも首を縦に振った。
だったら、話は決まりだ。
立ち上がって右手を差し出す。
「カプリさん。よろしくお願いします」
「おお。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
握手は非常に滑らかな感触だった。
白毛と緑衣の吟遊詩人。
俺たちの旅に、カプリが加わった瞬間である。
「ではさっそく、あそこの石鹸を買い求めておきましょう」
「……ちなみに、どれくらい余裕があるんですか?」
「ご安心を。大銀貨六十枚の手持ちです」
「!!」
石鹸二十個分。
船上の旅には、ひとり二個ずつとしてもおよそ四分の一で足りるはずだ。
さすらいの吟遊詩人と言う割に、かなり金のある