ヰ世界の歌 夜明け前のダークエルフ 王道硬派な大河ファンタジーの世界で一歩から始める人外愛譚 作:所羅門ヒトリモン
その哄笑に、旅の仲間が全員ギョッとした。
常日頃の神父からは、決して出ないであろうと思われる軋んだ叫びだったからだ。
ともすれば、魂の裂ける音かと聞き紛うほどに。
笑ってはいるが、まったく柔らかではなく。
ゼノギアという神父が、絶えず浮かべ続けた和やかな顔は消えた。
代わりに現れたのは、ヒビ割れて砕け散りそうな異様に張り詰めたカオ。
奥底に仕舞い込まれていた〝魔〟の片鱗。
「ッ!」
肩を掴んでいた吟遊詩人が、本能ゆえに怖気に駆られて手を離す。
「ゼノギア神父……!?」
「な、どうしちゃったんですか!?」
ダークエルフの少年。
刻印騎士団の少女。
二人はさすが、魔物退治に慣れているからか。
神父の変貌を直観的に察知し、それぞれが自身の得物に手を伸ばした。
然れど、二人ともその途中で手を止める。
旅の仲間。
目の前の相手がゼノギアである事実に気がついて、理性が行動を止めたのだ。
神父はしかし、そんな三者の戸惑いには意識を割かず、ただ真っ直ぐ街路の先を見つめる。
古代の遺跡。
ピラミッドを背景にして。
そこには、男にとって何よりも無視できぬ現実。
神の愛をも疑いかねない過去の写し鏡。
たとえ十年以上の時を経ようとも、決して癒え切らぬ心の傷が存在していた。
名前を、呼ぶ。
「アノス……クゥナ……ネイト……ミレイ……ヨルン……」
忘れたくとも忘れられない。
五人の子どもたち。
ゼノギアの目には、今なお彼らの最期が焼き付いている。
だから記憶が、かつてのトラウマが。
遠い日の失敗が、罪と罰が。
贖罪を求めて、魂を掻き毟る。
目の前に奈落が広がって、闇が心をわし掴む……
────────────
────────
────
──
……その昔、ゼノギアは才能に満ち溢れた少年だった。
トライミッド連合王国。
宰相、ザディア・チェーザレの息子。
古くは大セプテントリアの貴族に
恵まれた環境で生まれ育ち、両親からも愛情を注がれ、ゼノギアの子ども時代は誰が見ても幸福なものだったと断言されるだろう。
大貴族令息。
母ゆずりの柔和な美貌。
勉学の才にも秀で、身体も丈夫。
周りがゼノギアに何かを与えようとすれば、彼は
将来は父親にも劣らぬ、立派な政治手腕を持つだろうと。
ゼノギアを取り巻く人間は彼の未来を
少年だったゼノギアも、周囲の期待に応えるのは楽しかったし、何より愛する家族が勧める道ならばと。
──僕はいずれ、父上の跡を継いで宰相職に就きます。
そう確信し、疑うコトなど一度として無かった。
カルメンタリス教の女神。
聖槍──『トライデント』
言うまでもなく、それはトライミッド連合王国の至宝である。
大セプテントリアが滅亡し、
エルフ、ドワーフ、ニンゲンの代表が、一本の三叉槍に結束を誓って建国を成した。
だから、トライミッド連合王国の貴族たちには、十六歳になると聖槍の前で先祖伝来の誓いを行う伝統がある。
我、聖なる三叉槍に誓う──。
先祖が積み重ねた共和の理念。
エルノス人としての絆。
寒さ厳しく糧に乏しい北方だからこそ、この結束は決して自分たちの代で終わらせない。
王都ロアの大聖堂で、ゼノギアは祖父母にも見守られながら誓いの言葉を告げた。
それ自体は、別に大した話ではない。
儀礼的な面が多分に強い行事だったし、ゼノギア自身、聖槍へ向ける想いは他人と変わらなかった。
古代の秘宝匠が鍛えた至高の聖具。
人類文明を愛する女神が、特別に価値を見出して破魔の聖域を結ぶ恩寵を宿した。
それが事実であれば、たしかにありがたい話ではあるし。
人々がこうして何代にもわたって誓いを続けるのも、それはそれで重要な役割を果たしているのだろう。
──とはいえ、そんなに素晴らしい道具なら、こんなところで大層大事に飾られているのではなく、実際に使われているべきでは?
至高の聖具は担い手を選ぶと言う。
人類文明を守るに相応しくない者には、決して扱えないそうだ。
西方大陸のウェスタルシアという王国では、そうした理由から過去に聖剣を抜いた王の一族を、聖王聖君の末裔として現在でも敬う風土があるという。
なら、国中から人を集めて、総当たりでも担い手を探すべきだ。
聖槍が担い手を選ぶというなら、相応しくない者の手には必ず聖槍は渡らない。
トライデントが国の中心にあることで、多くの人々が安心して暮らせるという大人たちの言い分には、違和感を覚える。
担い手がいない状態でも、至高の聖具には破魔の波動が滲んでいるのかもしれないが。
それは絶対に、担い手がいなければ叶わない。
多くの特権階級が、それを事実として学んでいる。
なのに、誰一人として聖槍の担い手を探そうとしない。
教会の司教や司祭も、敬虔な信徒だという貴族のお歴々も。
〝長年同じところにあったものが、急に無くなってしまったら……なんとなくだけど不吉な気がする〟
そんな理由で聖槍を象徴に据えて、いつまでも道具本来の役割を失わせたまま。
少年の日のゼノギアにとって、ゆえに誓いは多少の虚しさを伴うもので。
心の底から魂に刻むほどの想いは、まったく懸けていなかった。
だから、他人と変わらない。
同年代の貴族令息、貴族令嬢。
十代の若者にとって、家族に強制される大昔からの伝統行事など。
いつの世も内心では、退屈を噛み殺しながらやり過ごしているもの。
皆が皆そうだとは言わないけれども。
と、そんなワケで。
ゼノギアは幼馴染の少女と並びながらソツなくイベントを済ませると、その時は何事もなく元の日常生活に戻った。
しかし、転機が訪れたのはそれから程なくして。
ある雨の日に、十七歳となったゼノギアは魔物に襲われた。
小人とは云うが人間らしい特徴はなく、黒色の蛆が二足歩行でうねっている。
そんな特徴を持つ魔物で、
発生する理由はよく分かっていない。
ただ、昔から廃坑や地下室などで出現する魔物であるため、刻印騎士団の調査では土砂崩れなどで非業の死を遂げた怨念の集合体ではないかと。
トライミッド連合王国では悍ましい外見から、主に鉱夫たちの間で恐れられていた。
家の事業の手伝いでチェーザレ家の
──あ、死んだ。
奇跡的に転落死を免れ、「なんて幸運なんだ」と思った矢先。
夥しく、奇怪で、下等で醜悪。
戦って勝てる? とは思わなかった。
転落時に頭を打ってしまい、視界がフラフラしていて足元もおぼつかない。
腰には護身用の剣を差してはいたが、柄を握ろうとしても握力が定まらず、鞘から抜くコトもできなかった。
そんな状態では、魔物に一矢報いるなど不可能。
よって、ゼノギアの進退は窮まり。
「「「シャアァアァアァ……!」」」
(──わ、お友だちがたくさんッ!?)
父よ母よ、どうか先立つ不幸をお許しくださいと末期の祈りも呂律が回らず口に出せず。
大多数の死者がそうであるように、終わりは理不尽に有無を言わさず与えられた。
と、思ったのだが。
飛びかかってきた
なぜか?
答えは単純。
「────!?」
ホワイトスパーク。
天の怒り。
それは遥か彼方の頭上から、真っ直ぐにゼノギアの落ちた山底まで駆け抜けて。
あまりの輝かしさ。
ハッとして目を庇ったゼノギアは、次いで信じられない光景を目にする。
「良かった! 間に合ったみたい!」
「あ、貴方は──」
「私? 私は見ての通り空飛ぶ正義の味方! 名前は──っと、ごめん! それは言えないんだった! 怪我はない? 意識は大丈夫そ? 私が助けたんだから当然よね! じゃ!」
「な、ちょ──」
止める間は一切無かった。
空から飛んできた謎の女性は、凄まじい勢いで言いたいことだけを捲し立て。
ゼノギアが無事であるのを確認すると、嘘みたいに空へ戻って行ったのだ。
正体はまったく分からない。
けれど、ゼノギアがあの日見た彼女の片手には、たしかに握られていた。
──聖槍トライデント!
つまり、国はとっくに担い手を見つけていたのだ。
賢いゼノギアはすぐに真実に到達した。
象徴として国民の心の支えになっている聖槍を、表立って動かすコトはできない。
だが、至高の聖具を単なる飾りとして大聖堂に置いておく?
国は秘密裏に担い手を見出し、影から人々を助ける正義の使徒を作り出した。
大聖堂に置いてあるものは、恐らく精巧に作られたレプリカだろう。
真実に気がついたゼノギアは、もちろん己を強く恥じた。
そして、命を救われた大恩。
密かに軽んじていたカルメンタリス教が、裏では人々のために日夜戦い続けていたのだと知って。
女神とその教えに、今後は深く身を捧げようと誓った。
心の底から魂に刻むほどの想いで、聖槍へ。
ゼノギアが家の反対を押し切り、聖職へ進んだのはこの出来事がキッカケである。
──そう。では、貴方は私より女神様を選ぶんですね。
幼馴染の少女。
婚約者だった令嬢からは、頬を張られるほど嫌われてしまったが。
信仰に目覚めたゼノギアは、それでも今後は、自分も世のため人のため身を粉にして働きたい。
大貴族の跡取りとしてではなく、町の教会の一介の神父として。
誰かの心を人知れず支えられるような、そんな生き方を理想に抱いた。
十九歳。
神の門を叩いて晴れて神父となったゼノギアは、そうしてある街に赴任する……