ヰ世界の歌 夜明け前のダークエルフ 王道硬派な大河ファンタジーの世界で一歩から始める人外愛譚 作:所羅門ヒトリモン
ある精霊の話をしよう。
その精霊は人間を〝美しい〟と思った。
六千年前の真実。
終末の巨龍を封じた黎明の民。
彼らの輝きを識って、
故郷である〈
それでも、ほとんどの精霊にとって人間を好ましいと思うコトは稀だったし、大抵は嫌うコトの方が多かった。
心の結晶である精神霊にとって、時に魔物にすら成り果ててしまう人間の内面は、非常に受け入れがたかったからだ。
──こんなにも醜く、こんなにも矮小で、こんなにも愚か極まる生命が。
自分たちを形作った一因であるなどと、理性では理解していても感情が拒絶反応を起こして、人間を嫌悪せざるを得ない。
精霊にとって、人間は無条件で苛立たしさを覚えさせる不快な存在だった。
薔薇男爵にとっても、それは同じ。
というか、故郷にいた頃、薔薇男爵は全精霊のなかで最も〝人間嫌い〟だったと言っても過言ではない。
だが、〈崩落の轟〉によって美しき故郷は打ち砕かれ、エルノスの星に漂着した薔薇男爵は六千年前、同胞たちと共に黎明の民の輝きを識った。
彼らの精神は、心の在り様は、とても気持ちが良かった。
人間とはこういう生き物だったのかと、認識を改めざるを得なかったほどに。
その最たる切っ掛けが、終末の巨龍との戦いだ。
──我らもはや、ありえざる神代の徒輩。
──然れど、我ら未だ明日の輝きを識る〝生命〟なり。
──たとえ死するとも、席を譲った先達の末裔として汝を否定しよう。
──生まれたばかりの〝
終末の巨龍に向かって、何たる勇気! 何たる気高さ!
人間とは斯くも輝かしく生きられる生命だったのか? と。
眼球の無い植物のカラダで、薔薇男爵は目を焼かれる気持ちになった。
胸の奥が熱く燃え滾り、感動が心より尊敬を成長させ、人間を初めて好きになった。
(吾輩は誤解していた……!)
人間はちっとも醜くなどない。
これまでの思い込みは、真に彼らを理解しようとして来なかった
真に醜く狭量で矮小で、愚かだったのはどちらなのか。
薔薇男爵は後悔の念から、心を綺麗サッパリ入れ替えると誓った。
そこでまずは、
斬撃王ヨキによって、終末の巨龍が封印された後。
特に人間の国を見て周り、人間がどれだけ素晴らしい営みを為しているか、心をワクワクさせて観察するつもりだった。
(最初の百年で期待は裏切られた)
外の世界では戦争が勃発していたのだ。
東西南北どこの超大陸でも、強大な力を持った大国が多種族協和を訴え、力による統一戦争の真っ只中だった。
世界は荒れていた。
人心は乱れ、悲劇は汲めども汲めども尽き果てず。
栄華と安寧を享受しているのは、一部の者だけ。
全体を俯瞰すれば、いずれ破綻は免れぬとあまりにも明らかな理想の下に、人々は愚かとしか言えないイカれた騒ぎに耽っていた。
後の世に四方大国暦100年と呼ばれる時代。
(ある国では大国に
後の世に四方大国暦200年と呼ばれる時代。
(ある国では戦火が絶えず、飢餓と貧困によって血を啜る鬼が発生し、世界にまたひとつ闇を深めた)
後の世に四方大国暦300年と呼ばれる時代。
(ある国で原因不明の疫病が発生し、白と黒の御伽噺が囁かれ、復讐と怨嗟の歌が鳴り響いた)
後の世に四方大国暦400年と呼ばれる時代。
(ある国では怪人類との関係が悪化し、内乱が起こって絶滅した種族が現れた)
後の世に四方大国暦500年と呼ばれる時代。
(ある国では暴君の圧政に耐えかね、魔神の招聘を行った反抗者たちがいたが、国が滅んで終わった)
後の世に四方大国暦600年と呼ばれる時代。
(ある国では強欲に取り憑かれた商業団が、古き神性を目覚めさせて黄金の呪いを受けた)
後の世に四方大国暦700年と呼ばれる時代。
(ある国では神への信仰を理由に聖地とやらを奪い合い、血みどろの大戦争が起きた)
後の世に四方大国暦800年と呼ばれる時代。
(ある国ではついに統一が果たされるも、陰謀と野望はとぐろを巻き栄光を蝕み始めた)
後の世に四方大国暦900年と呼ばれる時代。
(吾輩は禁忌に指定された)
女王から許された旅の猶予には百年の余裕があった。
しかし、この時になると薔薇男爵の心は黒く染まり、人間はやはり醜い生き物だと嫌悪に苦しんでいた。
(何故だ? 何故なのだ!?)
黎明の民は輝いていた。
彼らはあんなにも、後の世を想って身を捧げたというのに。
その報酬がコレなのか?
こんなモノ、救う価値も無い汚泥ではないか!
薔薇男爵は苦しんだ。
大地の美々しさを司る精霊として、薔薇男爵は醜悪なモノを何より憎んでいる。
黎明の民、斬撃王、人間が醜くはないと知って、あんなにも喜んだ理由とは何か?
薔薇男爵はただ、自分が精神霊として矛盾を抱え込んでいると考えていたからに他ならない。
精神霊は心の結晶。
集合的無意識の元素凝結。
ならば、〝絶景を目にした際の感動〟──とりわけ植物の美しさに端を発してカタチを得た薔薇男爵は、純粋美の化身でなければならない。
しかし、薔薇男爵には人間の精神も含まれている。
(醜く、矮小で、愚かな人間の心がッ!)
地精霊のカラダを這いずり周り、内側でドロドロと巡っているのだ。
考えただけでも、とても耐えられない現実だった。
識ろうとさえ思わなければ、まだ耐えられたが。
(限界だ……)
薔薇男爵は自死を考えた。
実は精霊にとって死とは、自らの記録を記した『詩篇』の破棄によって叶う。
誕生する際は勝手にカタチを得て生まれて来るのが精霊というモノだが、死ぬ時は第四の神に願い出るコトで、存在を綺麗に抹消して貰えるのだ。
薔薇男爵は迷った。
「……」
迷った末に、ある国に辿り着いた。
後の世に四方大国暦1000年と呼ばれる時代。
そこは奴隷の国と呼ばれていた。
人攫いの国とも呼ばれているようだった。
(ちょうどいい……)
薔薇男爵は禁忌に指定されたばかりだった。
この国で少しだけ騒ぎを起こして、人間たちがどう判断するか。
それを以って、最後の結論を下そう。
端的に言えば、哀れな奴隷を一人か二人救い出して、別の国に届けようと考えたのだ。
(醜く愚かな人間であれば、吾輩の行いの是非など考えず、禁忌が連れてきた怪しい人間として奴隷を殺すであろう)
そうなれば後の話は早い。
薔薇男爵の身には汚泥が混ざっている。
醜悪な己になど耐えられない。
速やかに
どうせ結果は見えていると思ったが、如何な精霊とはいえ自死には決意がいった。
薔薇男爵は行動に移った。
そして、出会った。
(出会ってしまった……)
──あら? あなた、とってもステキなお顔をしているのね。不思議。
──少女よ……吾輩が恐ろしくはないのですかな?
──? どうして? こんなにステキなのに、あなたのどこを怖がる必要があるの?
(我が永遠の乙女……ローズ)
幼くして視力を失い、他者の助けなくしては満足に食事も取れなかった全盲の人間。
身に不具があるゆえ、女奴隷のなかでも底辺の値段で売られていた。
ロクな売り物にならないからと商人からも捨てられ、国の外に放り出されかけていた薔薇男爵と同じ名を持つ儚き少女。
彼女は薔薇というより、どちらかといえば生まれたばかりの雛か小鳥を思わせるほど華奢な体躯だった。
しかし、人間でありながらも目が見えないという事実がそうさせたのか。
ローズは他の人間とは違い、精霊を目の当たりにしても恐慌状態に陥ったりなどはせず、それどころか暢気に喜ぶような奇特な人間であった。
──いい香りがするわっ!
──まぁ、あなた、お顔がわたしの名前と同じお花でできているのねっ?
──嬉しいわ。わたし、ずっと薔薇の香りを嗅いでみたいと思っていたの。
──え? 他のお花も咲かせられるの?
──わぁ、きれい……
奇特だったのは性格だけではない。
視力を失ったからか、ローズは代わりに匂いを感じ取る能力にも非常に優れていた。
その嗅覚は、おそらく常人離れしていただろう。
ローズにとって、世界は匂いによって構成されるものだった。
曰く──人間とは違う香りがしたの。でも、嫌な匂いじゃなかったから、きっと悪いモノではないと思って。
こちらが軽く頬を撫でれば、それだけで首が折れてしまいそうな弱々しさで、無邪気に堂々そんなことを言ってのけたのだ。
──可哀想に。頭が足りていない。
──まぁ、ひどい言い草ね!
薔薇男爵はローズを哀れんだ。
当時の時代、劣悪な環境で奴隷として扱われていたのだから、当たり前かもしれなかったが。
少女はロクな教育も受けていない様子だったし、世界の常識を何も知らない無知ゆえの勘違いを起こしていた。
哀れを誘うには充分だったし、そんなローズをただ無益だからという身勝手な理由で放逐する人間は、やはり醜い。
(……決意は固まったぞ)
この少女がこのまま哀れに無惨に死ぬ定めなのか。
あるいは、人間によって救いがもたらされるのか。
(それを以って、我が積年に対する最終判断としよう)
ローズが人間の悪性によって救いなく死ぬのならば、それは人間という生き物の度し難さを意味している。
美しさを解する心など無い。
あるのはただ、醜悪に尽きる汚泥。
さすれば、薔薇男爵は美しさではなく醜さの化身というコト。
泥水にワインが一滴入ろうと、その泥水は最初から最期まで泥水でしかない。
だが、ワインに泥水が一滴入れば、そのワインはその時点で泥水と化す。
微かであっても、醜悪な人間の精神力をたしかに含んでいる以上は、この身はどこまでも汚らわしく無価値なゴミクズに他ならない。
よって、ローズという少女を別の国まで連れて行き、そこで救いの手がひとつでも差し伸べられるかどうか。
薔薇男爵はかつて自分が禁忌に指定された国で、試してやろうと思った。
──ええっと、つまりおじさまは、わたしが死んだら死んじゃうの?
──そうなりますな。なに、心配するコトはない。吾輩は望んでそうするのだから。
──でも……ううん。じゃあ、わたし頑張らなくちゃいけないね?
──ハッ! 何を頑張ると?
──えっと、それは……
──いや良い。どうせあの国に連れて行けば用は済む。
──む。ひどいわ、まるでわたしを道具みたいに思っているのね?
──ひどい結構! 吾輩はそなたがこのまま生きるか死ぬかを、ただ見届けたいだけであるがゆえに!
異界の門扉を使うつもりは無かった。
儚く哀れなローズが旅の途中で死ぬのならば、それはそれでひとつの答え。
残酷な世界に未練などなく、せいせいした気持ちで
逆に、何事もなく無事に街まで辿り着けたとしても、それもそれでひとつの答え。
人間はローズを生かすか殺すか。
答えを見出すに相応しい結末が訪れるはず。
薔薇男爵は少女と連れ添い、幾数ヶ月かの旅を行った。
その結果、
──ふふ。結局、何事もなく街まで着いちゃったわね?
──バカな。なぜ餓狼の一匹も現れなかった……
──よかったじゃない。わたしが死ななければ、世界はきれいって思えるんでしょう?
──まだだ! まだ分かりませぬ! 人間はどうせそなたに手を差し伸べたりはしない! なぜなら! オマエたちは醜いからだ!
──すいませーん! たすけてくださーい!
──! おい! あそこに女の子と、アレは……『エルケーニヒ』!? か、鐘を鳴らせぇぇッ!!
──ぬぅ!?
(ローズは……思えば意外と、したたかな子でしたな)
目が見えないのをいいコトに、振り返ると随分都合良く使われていた気がする。
薔薇男爵が花だけでなく、林檎や葡萄などの果物も自在に生み出せると知られてからは、
──ねえ、おじさま? わたしあの花が見たいわ!
──……そら、これで良いか?
──うん! ねえねえ、おじさま。次はあれを咲かせられる?
──まだ足りぬのか!
──だって、あ、わかった。さすがのおじさまでも、あれは無理なのね?
──舐めるな小娘が! 吾輩に咲かせられぬ植物など無い!
──やった、すごーい!
と。
まぁ、とにかく終始そんな感じで。
──せっかく咲かしてもらったんだから、食べないのはもったいないわよね?
──好きにするがいい。
──じゃ、遠慮なく!
なんて、今にして思えば金の成る木ならぬ食料の成る木と思われていたフシもある。
ローズが街の衛兵に助けを求めると、当時の刻印騎士団がたまたま逗留していて、さながら悪しき魔物から乙女を救うように彼女を保護した。
──そんな……
薔薇男爵は呆気に取られて仕方がなかった。
運のいい少女。いや、
(まさか、吾輩は利用されていたのか……?)
けれど。
だとしても。
(──何故だ? 恨む気持ちがない。怒りも湧いて来ない……)
その証拠に、
──ねぇ、おじさま? おじさまはご自分をみにくいとかけがらわしいとか、むかちだ、とか。とにかくそういうふうに思いたいのかもしれないけれど、そんなことは絶対にありえないのよ?
──なん、だと……?
──あの日、わたしを助けてくれたのは誰? 旅の間、実はわたしが何かに襲われないようにずっと近くで見守ってくれていたのは誰? この街まで、優しく導いてくれたあなたよ?
そんなヒトが、醜いはずはないのだと。
汚らわしいはずも。
無価値であるワケも。
たとえ薔薇男爵が、自分をどれだけ否定したいのだとしても。
──わたしにとって、あなたと出会えたあの瞬間は、とてもステキで
目が見えないわたしが、きれいって言ったの覚えてる?
死んでなんかやるものですか。
ローズは笑い、じゃあね、大好きよおじさま! と言って背中を向けた。
「────嗚呼」
そして、そんな簡単な一言で、薔薇男爵はいとも容易く……
(──救われて、しまったのですなぁ)
死の理由にしようとしていた少女から、最後の最後に生きる意味を与えられた。
世界は残酷で度し難い。
醜さは世にごまんと溢れている。
しかし、それでも──
(美しいモノはたしかに、そこにあるのだと)
生まれてから、たかだか十数年の小娘にそう教えられた。
しかし、考えてみれば物の道理だった。
(そもそも完全無欠な純粋美など、この世には存在しない)
すべてが美しさしか持たないのならば、それは何も美しくないのと同じ。
何もかもが等価値な世界では、美しさなどに意味は無い。
醜くて、おぞましくて。
汚らわしすぎて、思わず目を背けたくなるような糞の吐き溜めにも等しい汚泥があるからこそ。
美しいという価値が燦然と煌めく。
生きていて良かったと、心から感動して時には死生観さえ変える。
であるならば……
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──
「──吾輩は、魂を懸けるッ! ローズが美しいと言ってくれた我が身に誓って、この世界を愛し守り抜くッ! 終末の巨龍など復活させてなるものかッ! 畜生風情が、イキがるなァァッッ!!」
「「グッ……!?」」
薔薇男爵は本性を曝す。
服装が普段の
二柱の獣神は苦鳴して膝を着いた。
「貴様らは知る由もないだろうが、吾輩らの故郷はとても美しい場所だ」
「……っ、おのれ……!」
「ぬぅぅ……!」
「花と緑、童話と詩、雨と神秘の楽園と讃えられ、物語を愛する住人が多い」
「それが……!」
「何だという……!」
「話は聞け。吾輩はな、故郷ではある特別な立場にあった。貴様らも神話を知っているなら、
つまり何が言いたいのか?
怒気に歪む神威の眼光を冷然と踏みつけて、薔薇男爵は言葉を続けた。
「吾輩は、言うなれば
御伽噺の悪者。
童話に出てくる悪役。
「と言っても、ずっとそうだったワケではない。ある時は樹木の精霊の王。ある時は詩と観劇好きの妖精王」
「!? 莫迦、な……!」
「貴様が、王……!? だが貴様は女王に……!」
「然り。吾輩は忠誠を誓っている。王冠を被るような趣味も無い」
ならば、どういう意味で王の称号を名乗るのか。
答えはひとつである。
「吾輩は故郷の幾つかの物語において、『
「「──な」」
「精霊としては間違いなく地のエレメンタルなのだが、永く永くこの世に在り続けていると、貴様らも知っての通り信仰を得るであろう?」
獣神が擬人化された神格となるように。
精霊もまた、後から後から様々な側面を付け足されていく。
薔薇男爵の場合、それが『魔王』だった。
「薔薇が何ゆえ赤いのか? それは茨で傷つけたモノの血を、リャナンシーのように好んで吸っているからだと迷惑な俗信が切っ掛けになってな」
以来、精霊として本分に立ち返る際には、このように恐怖を誘う姿に変わってしまう。
人界で禁忌に指定された際には、『エルケーニヒ』の忌み名で登録もされた。
「ともあれ……これが最期だ。貴様らには吾輩の真名をくれてやる」
「……!?」
「ッ……!」
獣神たちは息を呑み戦慄した。
精霊の真名。
それすなわち、精霊法の発動に他ならない。
その精霊がどんな〈
強力な異界法則が展開される。
抗うために全霊を燃やすが、
「
言霊は厳粛に、驚愕の事実を伝えて〝夜〟を打ち払った。
「“
植物界・麗容道、美麗回帰の理。
この世界の尋常の植物には、ただ美しく在ろうという願いがある。
神秘道や浸蝕道ばかりが目立って取り沙汰されるが、最も強いのは麗容道の植物に他ならない。
数が多く種族保存の能力も高く、何より優れているのは、そう──
「森羅道など始まる遥か前から、吾輩らはずっとこの世界に在った。新参者が、それも畜生モドキが、
一面の花畑と、色とりどりの植物が咲き乱れる花園で、二柱の獣神は苗床となって消滅した。