ヰ世界の歌 夜明け前のダークエルフ 王道硬派な大河ファンタジーの世界で一歩から始める人外愛譚 作:所羅門ヒトリモン
海岸沿いに近づくと、ガブリエラ王妃の言っていた通り、黒龍は速度を緩めた。
新幹線から準急運行の電車くらいの速さになり、空の旅が始まって初めて快適と呼べる時間が訪れる。
とはいえ、手はすっかりかじかみ、必死にしがみついていたから全身の痺れも凄い。
思っていた以上に、これはなかなかハードな体験である。
「まだ目的地には着いていないだろう。どうして速度を緩めたんだ?」
「聞こえてなかったのか? 一度陸で、食事休憩を挟むんだよ」
「我々の?」
「ドラゴンのだけど、まぁ俺たちの休憩でもあるな」
だいたい三〜四時間ほどは経過しただろうか。
朝からずっと飛びっぱなしで、もう海を越えてしまった。
恐らくこの中では、最も体力がある俺でも疲労を感じている。
ベロニカの表情は変わらないが、内心では素直に喜んでいるに違いない。
「イリス。ご飯の時間にしましょうね」
「CuRuRuRuRuRu」
ガブリエラ王妃が声をかけると、ドラゴンもたぶん嬉しそうな声で応答を返している。
にわかには信じられない光景だ。
しかし、本当に絆を結んでいるのだろう。
海岸に着地すると、俺たちは全員とも地面の感触に感謝した。
「あは! まだフワフワしてる!」
「フワフワ?」
「やっと地面に降りられたけど、心は空を飛んでる感じ?」
「アイナノーア様は空に慣れているのでは?」
「ええ。でもちょっと違う感覚!」
長身長躯長髪。
エルフのプリンセスは「うっひゃー!」と足踏みを繰り返しては、「うーん!」と伸びをする。
それを横目に、肩を竦めたベロニカは早速タバコに火をつけ、懐から酒瓶を取り出していた。
冷えた体をアルコールの力で温めるつもりだ。
どうせ中身は
「またもう少ししたら、空ですよ?」
「だから何だ小僧」
「小僧!? し、失礼ですね貴方は!」
「ガキが大人から楽しみを奪おうとするもんじゃない」
ケントからの忠告も鼻で笑い、ベロニカはゴクゴク酒をやり始めた。
普通なら心配する一気飲み。
しかしベロニカは、肝臓が常人のうん十倍も強いので、酒瓶一本くらいじゃほろ酔いにもならない酒豪である。
俺もギルベルトに用意してもらった携帯食(
保温性がイマイチなので、もうだいぶヌルくなってしまっているが。
服の内側で体温と一緒だったので、まだ優しい温かみを感じられた。
「あー! なんかひとりだけ良いもの食べてる!」
「アイナノーア姫殿下も食べますか?」
「アイナでいいわ。くるしゅうない」
つまり寄越せと。
仕方がないので二つ目を差し出す。
せっかちなお姫様のコトだ。
恐らくエリンからララヤに来る際、お付きの者たちは絶対に弁当を用意していたはず。
なのに手ぶらなのは、初めてのドラゴン旅に気を取られ、周りの声を聞かなかったのだろう。
聖槍は自動追従くさいし、マジで身につけている物だけが荷物っぽい。
対照的に、少年護剣士は一番荷物が多そうだ。
腰に佩いてる双剣然り、きちんと自分の携帯食(肉の干物のようだ)も用意しているし、肩掛けの背嚢も背負っている。
言い換えれば、きちんと旅の準備をして来た旅慣れした者の装い。
まだ十四歳なのに、アイナノーアとは差しかなかった。
(……ちなみにアイナノーアの年齢は、二百二十八歳)
このなかで最も年寄りなのだが、精神年齢は最も低いと思われる。
今も俺から渡されたサンドイッチを頬張り、「まぁまぁね!」などと言っているし。
無礼というより、子どもみたいに正直すぎる性格である。
そんな風に眺めていると、
「まったく。とんでもない女性たちですね」
「ん?」
「北方の女性は慎ましさに欠けるというか。分を弁えないというか。群青卿もさぞや大変でしょう」
「……んん?」
「旅のあいだ、男は僕たちだけです。いざとなれば、僕らが彼女たちを守らなければならないのに……やれやれ」
ケントが物凄いコトを言いながら話しかけて来た。
ヤバいな。ひっさしぶりにこんな男尊女卑的ムーブを見たぞ?
さりげなく北方ディスも入ってるし。
小声だから平気だと思ってるかもしれないが、アイナノーアの耳がピクリと動いている。
余計なコトは言わない方が良さそうだぞ、ケント・トバルカイン。
ここはちょっと、軽く釘を刺しておくか。
「俺からすれば、オマエも含めて守る必要がありそうなんだがな」
「え?」
「でもま、ウチの女性陣と同格って触れ込みだし、ウェスタルシアの護剣士の実力、期待はしてるよ」
「えっ、ええ! もちろんです!」
失言に気づいたか否か。
そこは分からなかったが、相手はまだガキ。
軽く背中を叩いて、「ガハハ」と笑って誤魔化しておく。
どうやら天気は偶然にも曇天のようだが、東から差し込む太陽の光が見るからに北方とは違った。
海岸沿いの黒岩で欠伸をしていたドラゴンが、騎手に頬を撫でられ空へ飛び立った。
突風に煽られ、しばし踏ん張る。
「イリスには自力で食事をして来てもらいますわ。しばらくしたら戻って来るでしょう」
「しばらくとは、どのくらいで?」
「空腹具合にもよりますけれど、そうですわね……一時間くらいかしら」
「このあたりには、ドラゴンが腹を満たせるような獲物が?」
「北方からのお客様に向けて説明いたしますと、それはもう
金髪の王妃は目をグルリとさせて、いかにもウンザリした声音で言った。
「このあたりは『怪物岬』と呼ばれていて、怪物の巣穴がいたるところにありますの」
「そんなところに降ろしたのか」
ベロニカが敬語も忘れてツッコミを入れた。
アイナノーアもキョロキョロ首を回す。
たしかに、よくよく目を凝らしてみれば、周囲の岩場は物陰も多くて営巣には良さそうな環境をしている。
問題は、どんな怪物がいるかだが。
「ご安心を。何が出てきても僕が退治してご覧に入れますよ」
「わー頼もしいー」
棒読みで返事。
やはり先ほどのケントの発言を、しっかり聞いていたのだろう。
アイナノーアは珍しく皮肉げだ。
ケントがやや気分を害した顔つきになる。
「で、何が出るんだ?」
「『青銅怪鳥』ステュムパリデス、『蟻獅子』ミルメコレオ、『蛇牛』オピオタウロスなどですわ」
「などと来たか」
ベロニカが酷薄な笑みを浮かべて、肩を揺らした。
いま挙げられた三つの名前は、いずれも神話世界の怪物として有名である。
グリフィンやセイレーンと同じく、
ステュムパリデスは体が青銅で出来た鳥で、大きさは人間と同じくらい。
普段は青銅の像に擬態してジッとしているが、人間が近くに寄って来るとたちまち金切り声をあげて襲って来る。
鋭利な羽を飛ばして遠距離から攻撃してきたり、どう見ても無機物なのに生き物だという不可思議生命だ。
ミルメコレオは上半身がライオンで下半身が蟻。
蟻のように地下に巣穴を掘って、獲物を群れで襲う。
猛獣の恐ろしさと、虫の奇怪な悍ましさを併せ持った極めて獰猛な異形である。
オピオタウロスも似たようなもので、こちらは上半身が牡牛で下半身が蛇。
体の前半が草食獣だからと言って油断は禁物。
下半身は大蛇のそれで、一度獲物に巻き付けば、人間など簡単に絞め殺される。
食うためではなく、殺すために襲いかかってくる残酷性を秘めている。
「──と、噂をすれば何とやらか」
「いるな」
ギチリ、ギチリ。
歯を鳴らす音。
岩場の物陰から、出てきたのはミルメコレオの群れ。
ドラゴンがいなくなった途端、新鮮な肉の匂いにつられて巣穴から出てきたらしい。
数はざっと、二十くらいか。
大した脅威じゃないが、
「どうする? 誰が片付ける?」
「僕がやりますよ。構いませんよね? ガブリエラ王妃」
「結構ですわ。この程度の露払い、自己紹介がてらやってしまいなさいな」
「承知──では、参ります」
「お手並み拝見ね?」
ケント・トバルカインが、俺たちに見守られながら双剣を抜き放った。
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tips:怪物岬
怪物がたくさんいる岬。
その所以は、人界を脅かす怪物の豊富さにも由来している。
神々は去りしども、神話世界へ繋がる門扉は去らじ──