ヰ世界の歌 夜明け前のダークエルフ 王道硬派な大河ファンタジーの世界で一歩から始める人外愛譚 作:所羅門ヒトリモン
夜が明けたが、空が暗い。
──謎の異国都市の路地裏。
青緑色の街灯が等間隔で表通りを照らす。
しかし、堂々と道の真ん中を歩くのは馬鹿のやるコトだと、ケントはすでに学んでいた。
ケントとアイナノーアが墜落した異界は、極めて高い文明力を持っている。
都市の街並みは
だが、どこも必ず鉄鋼の歯車や絡繰仕掛けと思しい構造物を備えていた。
周囲の探索を始めるにあたり、ケントは最初に適当な民家を選んで慎重に侵入を試みてみたのだが、なんとそこの玄関扉が勝手に開いたのである。
ケントが近づくと、プシュー! という蒸気音が何処かから聞こえてきて、カチカチカチッ、と何かが作動した音がした。
何事かと緊張し咄嗟に身を隠したら、扉がひとりでに動き出したのだ。
中には誰もおらず、気配もしない。
なのに勝手に、玄関扉はバタン! と閉まった。
あのときの驚きと恐怖は、とても一言では言い表せない。
ケントは密使(ウェスタルシア王国には密告者を束ねる諜報機関がある)なのに、思わず猫のように飛び上がって「ふわぁぁぁ!?」と剣を抜いてしまったほどだった。
誰かに見られていなくて(特にアイナノーアに見られていなくて)、本当に良かったと強く思う。
それから、しばらく都市の探索を続けて分かったのは以下の三点。
①この都市の名前は『グレムリン・エンパイア』と云う。
②グレムリン・エンパイアには青黴色の怪人類が潜んでいる。
③青黴色の怪人類は、『カリプト』なる種族名である。
都市の名前が分かったのは、民家にあった
ウェスタルシア王国でも近年、印刷技術の進歩によって新聞が普及を開始している。
そのおかげで、ケントも
(エル・セーレンに新聞があるなんて、にわかには信じられなかったけど……)
古代アークデン・メガロポリスの発展は、他の超大国よりも抜きん出たものがあったと歴史書では語られている。
グレムリン・エンパイアが古代の都市かどうかは、まだ確証が得られていないが。
異様な都市の街並みの中にも、どことなく見慣れた雰囲気が散らばっている。
西方大陸人特有の感覚で、ケントはほぼ間違いないだろうと判断していた。
次に、青黴色の怪人類について。
これは実際に、何度か遭遇して戦闘になったために明らかになった。
グレムリン・エンパイアには肌が青黴色で、非常に凶暴なニンゲンサイズの怪人類がいる。
表通りを歩くのは危険だ。
カリプトという種族名が分かったのも新聞を読んだからだが、ヤツらは新鮮な生肉が大好物で、動いている生き物なら何でも八つ裂きにして食べようとする。
そこいら中の物陰に隠れていて、通りがかった獲物を屋上から飛びかかって襲う場合もある。実際襲われた。
全身の皮膚はひどく爛れていて、目と鼻や耳などは無い。
顔にあるのは二重になった口だけで、肩と背中は不自然に盛り上がり、両腕は地面に着くくらい長い。
エル・セーレンの外にはいない種族である。
もしかするとケントが知らないだけで、渾天儀世界のどこかにはいるのかもしれないが。
少なくとも西と北と南の超大陸には、こんな怪人種族はいない。
なにせ新聞によると、正体は
変異。
適応。
進化。
発狂。
何と形容するかは人に依るだろう。
ケントは素直に変異と判断するが、グレムリン・エンパイアで発行されていた新聞には、人々が徐々にカリプト化していく恐怖と混乱が絶望と共に書かれていた。
家族、友人、恋人、子供。
エル・セーレンはまさに、神に見放されてしまった土地と言うほかない。
なぜ呪い=カリプト化なのかは分からないが、新聞を読んだケントは気分が悪くなった。
カリプトを斬り倒してしまった自分の両手を、苦い思いで抑えつけなければいけなかった。
割り切りは数分で済ませた。
(……僕には使命がある)
一族の使命。護剣士の定め。
過去、聖剣を盗まれたがために凋落の一途を辿るしかなかった先祖の無念。
特定の国家や種族には肩入れせず、ただ人界の秩序のために〝護剣〟の責務を遂行する。
それこそが護剣士であったはずが、今ではウェスタルシア王国の庇護下になければ存続も危ぶまれている。
ケント・トバルカインは、そんな時代のそんな一族の期待を背負って、今回の旅に同伴したのだ。
盗まれた聖剣──『日輪剣カエロラム』の奪還は、全護剣士にとっての悲願である。
(大丈夫。自信はある)
聖剣の所在を知っていると思しい人物。
群青卿、メランズール・ラズワルド・アダマス。
彼はケントが思っていた通り、世の秩序を重んじる正義の人だった。
白嶺の魔女の魔力と魔法の
普通の人間だったら、容易く力に振り回されて世に混乱を招き起こしただろう。
なのに、群青卿は英雄たるに相応しい大器によって、城塞都市リンデンでは大魔の襲来があるまで穏やかな暮らしを実現していた。
市井の民に混ざって、人々を
普通の人間、衆愚たる俗物であったなら、力に驕り、力を見せつけ、力によって一国でも支配していただろう。
なのに、彼はそれをしなかった。
世の安寧を尊び、世の平安さを保つ価値を重んじ。
悪心に傾く様子など、欠片も無かった。
素晴らしい超克である。
普通の人間心理ではない。
ケントは自分が、他人とは違うコトを知っている。
剣神の祝福を授かった己が、他の人間よりも異常である事実を知っている。
だから思う。
他者との違いを明確に意識している者は、その才能を隠すコトに苦悩すると。
どう人目を忍んだところで、細やかなズレは必ず発生し、真実は露呈してしまう。
なぜなら。
(天才はただ息をして、そこに存在しているだけで)
自他の違いを残酷に分かつ生き物なのだ。
ケントは昔から「貴方は天才よ」「オマエは天賦の才を授かった」「神童だ」「オマエなんか生まれて来なければ良かった」と。
親兄弟にさえ一線を引かれて、育って来た。
剣を振るえば褒めそやされ、何かを斬れば褒めそやされ。
それと同時に絆や愛情の結びつきも何処かで断ち切れ。
どんな名剣であろうと、大人が扱えぬ神話の時代の宝剣であろうと。
ケントの手にはすぐに馴染んだ一方で、
(普通の人間が苦労せず手にする幸せが、僕にはどうやっても与えられなかった)
それが、天才の宿命。
世の主流である多数派とは異なる。
言ってしまえば、世界に紛れ込んだ異物なのである。
未だ英雄ではないケントでさえ、その自覚があるのだ。
本物の英雄たる群青卿ならば、どれほどの疎外感や苦悩を味わって来たことだろうか?
それとも、本物の英雄と呼ばれる偉人であれば、こんな悩みや辛さとは無縁で、だからこそ自然に傑物の道を征けるのだろうか?
(群青卿の目から見て、僕が未熟で頼りない人間に写ってしまうのはしょうがない……)
聖剣の在り処を聞いても、延々に答えをはぐらかされ続けているのは、すべてケントの不甲斐なさゆえだろう。
怪物岬でも大した活躍は見せられなかった。
──こんな子どもに日輪剣を預けても、護剣士って前にも剣を盗まれているし、信用できない。
──だったら、自分の手で聖剣の在り処を守っていた方がいい。
群青卿の偉大なる配慮が、ケントにも分かる。なんて大きな背中だ!
「絶対に、役に立ってみせる……!」
この旅が始まってから、ケントはその闘志で気合を燃やしている。
英雄剣の二つ名に懸けても、必ずや恥じない働きをこなし、最後には信用どころか信頼まで勝ち取る目算。
他国の貴人を悪く言うつもりは無いが、あんな軽薄な性格で不埒な格好までした考え無しの女性に
「ウッウン!」
──現在、ケントが探索しているのはグレムリン・エンパイアの
路地裏から表通りを横断するところには、大きな軍施設があった。
練兵場。
カリプトに理性は無い。
しかし、目の前の広大な施設では、複数のカリプトが剣や槍を持って訓練に勤しんでいる。
「訓練というより、調教と言った方が正しいのかもしれませんが……」
壁際に背中を貼り付け、注意深く様子を窺う。
カリプトたちの中には、明らかに上位個体のような存在がいて。
その個体が振るう鞭のしなりに、下位個体のカリプトが「ギィ!」とか「ギャッ!」とか呻きながらも従っているようだ。
どう考えても怪しい……
理性なきカリプトが軍を作る理由。
何処かに侵攻する予定があるのか?
エル・セーレンの情報は少ない。
グレムリン・エンパイアが如何なる異界なのかも含めて、ケントは調査と探索のために潜入を開始した。
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tips:カリプト
霧と狂気の蒸気機械帝都『グレムリン・エンパイア』に棲息する怪人類。
青黴色の肌と、異様に長い腕を持つ。
理性は無く生肉を好み、野良個体は主に待ち伏せ型の狩りを単独で行う。
帝都の西の町では、謎のカリプト軍施設が存在している。
正体はカルメンタリス教の女神に呪われた元人間であり、変異してしまった末路だと情報が残されている。