ヰ世界の歌 夜明け前のダークエルフ 王道硬派な大河ファンタジーの世界で一歩から始める人外愛譚 作:所羅門ヒトリモン
出たと言っていいのか分からないけど、気がついたら境界を越えていた。
「……自分の〈
クロウタドリたちに教えられた大通り。
ほんの一秒前まで、俺はテクテクあそこを歩いていた。
大通りの先にあると聞いた『クイーンダム』を目指して、たしかに前方にそれらしい街影を確認もしていた。
けど歩いている途中で、一向に近づけている感覚が無かった。
なので今しがたは、走ったり跳んだり、逆に後退してみたりを試していたところだった。
そしたら、いきなり〝ペラリ〟って紙のめくれるような音がしたかと思うと、突然景色が変わった。
今度は一転して屋内。
洋館のエントランスらしき場所にいる。
タイル調の床に、真っ赤な絨毯。
壁に飾られた絵画は多すぎて、まるで美術館のようだ。
上階に上がれる階段は、左右両方から曲線を描いている。
十九世紀イギリス、ヴィクトリア朝。
内装のイメージは、何となくそんな感じだ。
……よく分からないが、ここが『クイーンダム』という理解で良いんだろうか?
「って、堂々と書かれてるな」
〝ミステリーハウス・クイーンダムへようこそ!〟
後ろに振り返ったら、子どもが書いたと思しい歓迎のメッセージが落書きされていた。
エントランスなのに玄関が無い。
あるのは壁だけ。
「そういえば窓も……あるのは偽物だけか。なるほど」
窓風の壁紙はある。
が、もちろん外は見えない。
「ふぅむ」
境界を跨いだ自覚なんて無かった。
それなのに、いきなり屋内にご招待ってのは、結構驚かされるものがある。
クイーンダムなんて名前から、てっきり国をイメージしていたのは大きな間違いだったんだろうか?
「ミステリーハウス。謎の家。謎めいた家。なんだか、殺人事件でも起こりそうな名前だけど」
たしか『ミステリーハウス』は、遊園地によくあるお化け屋敷だとか、ミラーハウスだとかを意味するんじゃなかったか?
字面の印象を素直に受け取るのなら、ミステリ小説の舞台って線もありえそうだが。
「過去に殺人事件が起こった幽霊屋敷。怪奇現象が確認できる曰くつきの邸宅。さながらそんな雰囲気でもある……」
不気味でおどろおどろしい。
が、まるっきりゴーストハウスってワケでもない。
内装は管理が行き届いているし、繊細な人間じゃなければ不気味に感じたりはしないだろう。
クイーンダムとも名前に付いているので、単なる幽霊屋敷じゃないのは容易に想像し得るが。
ひとまずこの場で確認できる事実として、
「もしかすると、屋内しか無い空間クサイか……?」
玄関扉と窓が無いのは、そんな可能性を示唆している。
無論、他の部屋の確認もしないと断定はできない。
が、境界を跨いだ瞬間に問答無用でミステリーハウスの中ってのは、逆に言えば〝この家の外こそ境界である〟って考え方も不可能じゃない。
というか、むしろそちらの方が自然だ。
「なるほどな」
ハハァ、と顎に手を添えひとり頷く。
黒詩の魔女の〈領域〉は、なかなかユニークな異界法則を持っているようだ。
大通りから見えていた街の影は、嘘、幻、錯覚だった可能性が高い。
恐らくはあの〝ペラリ〟が境界転移の条件だったのだろうが、そうなるとだ。
「これは複数の異界を作ってるっていうより、最初から
たとえば、スゴロクのような。
最初のステージ、次のステージ、次の次のステージと言った感じで。
ひとつのボードの上に、複数のエリアがあると考えれば納得はいく。
恐らく、この洋館でもあの〝ペラリ〟を聞くコトが出来れば、
「
ペラリを聞く条件が不明だけど、とりあえず現状はそう仮説を立てておこう。
「しかし、何にせよ助かった」
胸いっぱいに息を吸うと、ほのかに食べ物の香りがする。
良い匂いだ。
焼き菓子かな?
とてもいい。ハイカロリーはサバイバルでは天の救いそのもの。
そろそろ腹も減って、喉も乾いて来ていた頃合だった。
幽霊屋敷かもしれなくても、何か栄養補給できる物があるなら文明圏万歳。
屋内探索にも俄然、やる気が漲って来る。
黒詩の魔女の捜索は、まずは腹ごしらえをしてからにしよう。
(餓死した場合でも、俺は秘紋で復活できるけど)
あんなもん、一回経験しただけで充分過ぎる。
その気になればいつでも脱出できるんだし、無理する必要は無い。
LET'S GO 家探し。
こういうとき、死霊術は本当に便利である。
すぐに食糧のある部屋を見つけられた。
キッチンだ。
エントランスから右に出て奥。
廊下を渡ると、すぐに台所があった。
思った通り、焼かれたばかりのお菓子──パイやクッキー、ビスケットが置かれている。
床下には氷室もあった。
中を開けると、飲み物は無かったものの瑞々しいフルーツ、冬橘や秋桜葡萄が保管されていた。北の味覚と秋の味覚。
料理人はいないらしい。
「一応、銀貨を置いておくぜ?」
盗み食いではないと主張するため、お菓子が置かれているテーブルに銀貨を三枚ほど乗せておく。
誰かがいれば許可も取りたかったが、いないんなら仕方がない。
異界の食べ物を口にするのは、少々迂闊な気もしないでもないけれど、黒詩の魔女の〈領域〉は冥界や黄泉の国とは違う。
死者の霊が少しもいないのがその証。
食べてもマズイ事態にはならないだろう。
そう思って、クッキーや果物を齧った。
「うん。普通に美味いな……って、あれ?」
異変発生。
俺は甘味を食す手を停止させた。
「……うわ。マジか。そういうルールか」
あの童話は主人公のアリスがお菓子を食べると、体が大きくなったり小さくなったりしたはずだよな。
それと似た現象が、たったいま俺の周囲で起こった。
ただし
「デカすぎんだろ」
俺以外のすべてが、巨大化。
台所は完全に巨人の世界に様変わり。
もっとも、渾天儀世界の巨人の規格と照らし合わせてみても、この大きさはとんでもない。
テーブルは山に。
クッキーはUFOに。
フルーツは隕石に。
ミステリーハウス全体が、ありえないほど大きくなってしまった。
しかも、これは何だ?
ド シ ン !
ド シ ン !
ド シ ン !
ド シ ン !
「おいおい、嘘だろ……」
さっきまでは人っこひとり居らず、大変物静かな家の中だったのに。
明らかにヤバいサイズの何かが近づいて来ていた。
今の俺の小ささじゃ、この家の住人は巨龍に相当する大きさになるはず。
物理法則をここまで無視する異界は、初めてだ。
警戒し、森羅斬伐をしっかり握り締める。
バ タ ン ッ !
ドアが開けられた。
風圧だけで吹き飛ぶかと思った。
間一髪、テーブルの足の裏に飛び込んで突風をやり過ごす。
「あらあら。あらあら。隠れてしまったの?」
そんな俺に、キッチンに入ってきた
白い靴。白い足。白いフリル。
ベアトリクスとは奇妙なほどに反転した白と黒。
黒詩の魔女が、すぐそこにいる。
「ねぇ、姿を見せてくださらない? 久しぶりのお客さま。迷子のお客さま。恥ずかしがりのお客さま。食いしん坊のお客さま。ようこそ私のミステリーハウス・クイーンダムへ。きっと来てくださると思っていたわ。ケージシティでは、ご挨拶できなくてごめんなさい」
「!」
バレている。
俺が鳥籠の街であの一部始終を見ていたコトを、この少女は完全に把握している。
声の誘いに乗り、姿を現すべきかどうか。
俺は逡巡した。
なぜなら、少女の足の後ろには他にも
人ではないモノ。
まだ足しか見えていないのに、一目で危険な怪物だと分かる。
醜く、奇怪で、獰猛な四体。
人型の足もあれば、獣の足もあり、翼竜のような足もある。
コイツらがさっきの足音の正体だ。
そのうえ、怪物たちは無数の亡者にたかられていた。
ドアが開いた瞬間に、一気に死者の怨嗟が俺の眼には映った。
怪物たちはそれを、恐ろしい手で掴み取っては、ムシャムシャ噛み砕いたりズルズル啜っている。
(霊体を喰うのか……!)
黒詩の魔女、ヴァシリーサも気がついた。
「まぁ。珍しい瞳を持っているのね? この子たちのせいで、怖がらせてしまったかしら? だけど心配はしないで? この子たちがやっつけたのは、悪い大人だけ。私たちのお友だちを傷つける悪いイジメっ子だけだから、良い子なら何にも心配は要らないの!」
うふふふふ。
少女の笑い声は無邪気で、華のような童女の無垢を感じさせた。
しかし、それだけに恐怖を刺激する。
他の誰にも分からなくても、俺だけには分かったからだ。
ドアの向こう側、怪物たちの背中には、今も無数の死者が増え続けている。
廊下の奥、屋敷のあちらこちら。
染みついた怨念が、ひっきりなしに浮かび上がって渦を巻いていく。
(
そして、
ここに来る前、俺は黒詩の魔女に期待を寄せてしまった。
ベアトリクスやケイティナを知っているから、このヴァシリーサという魔物にも歩み寄りの余地があるんじゃないかと。
クロウタドリに変えられた子どもたちの様子を見て、そう考えた。
だがそれは!
「ねぇ? まだ姿を見せてくれないの? そろそろ顔を見て、一緒に自己紹介をしましょう? そしたら、私たちきっと新しいお友だち。素敵なお友だち。仲良しのお友だち。嬉しいわ楽しいわ。──
魔女が声色を変質させる。
「
(──やっぱり……!)
駆け巡る衝撃は最北の永久凍土よりも冷たい。
かつて、暗黒の御伽噺と恐れられた『白』の魔女がいた。
彼女は死と冬の女王であり、子どもへの
子ども以外のすべてを、悪魔と認識し殺害する魔物だった。
では、もう片方の暗黒の御伽噺。
白に並ぶ『黒』を冠するモノは、
「──ああ、やっぱり
テーブルの下を、黒山羊の顔が覗き込んだ。
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tips:ミステリーハウス・クイーンダム
怪奇屋敷・魔女王国。
お屋敷の中でのみ完結し、同時に破綻する。
不可思議なコトだけが起こる場所。
黒詩の魔女の〈領域〉中枢にある異界エリア。
そこにある食べ物は、上下左右を反転させたり、縮尺をオカシクしたりする。
長くさまよえばさまようほどオカシイものが増え続けるので、最終的には何がオカシクなっているのか分からなくなってしまう。
「遊びましょう? 踊りましょう? ここには現実なんて何も無いわ!」