ヰ世界の歌 夜明け前のダークエルフ 王道硬派な大河ファンタジーの世界で一歩から始める人外愛譚 作:所羅門ヒトリモン
自分が別の存在に変化していく恐怖を、知っている人は少ないと思います。
まして魔物に転生する際の恐ろしさなど、自ら奈落に堕ちての結末ならまだしも。
逆らいようのない高次存在。
抗いようのない上位存在。
人の都合など斟酌しない。
人の意志など知ったコトではない。
根本的に存在としての規格が異なるモノ。
冒涜的で背徳的な〝理の側〟に立つモノから、魂に細工を施されての人魔転変。
ヴァシリーサはまだ、生きていました。
たとえ虫の息で、もう助かる見込みもない終わりの見えた生命だったとしても。
その意思は生きて家に帰り、愛する母親の元に帰ろうと懸命に手を伸ばしていました。
なのに。
「素晴らしい強情です。その精神、生きながらに我らの神を受けるに値する大器。惜しむらくは、脆弱な器。いえ、むしろその器であったからこその大器ですか」
「アっ、アアッ! アアァァアアァァ──!!」
「ますます気に入りました」
魔性の声が囁きます。
ヴァシリーサという女の子の裡側に入り込んで、その大事な中身をことごとく塗り変えようとしてしまいます。
魔女よ。魔女よ。魔女よ。
「そなたは思ったはずです。疫病に沈みゆく町の惨状。──ようやく。ようやく皆が自分と同じ位置にまで落ちて来てくれたと」
「ち、ちが──!」
「本当に? 嘘はお止しなさい。一度でも思わなかったのなら、そなたはどうして笑ったのですか?」
「!?」
どんなに町の皆が、
伝説の白き鳥は、人々を疫病から救いません。
枕元になんか、絶対に降り立たない。
「「だからホラ、私の思った通りじゃない」──!?」
気がつけば口が、勝手に声を紡ぎ出していました。
ヴァシリーサの心が闇に染まりつつあり、黒山羊の
有角の男が微笑みます。
「ええ、ええ。それで構わないのです。そなたはそら見たコトかと笑って良いのです。口角の端が歪んでしまった事実を、恥じる必要はないのですよ?」
「ッ!」
首を振り、ヴァシリーサは違うと否定しました。
「わ、たしッ……そんな、悪い子じゃない……!」
「ほほう? では、イジメっ子はどうですか? そなたのお友だちを無慈悲に理不尽に、首を捥いで殺した残酷なイジメっ子」
彼らが疫病に罹り、家の中から出て来なくなったと知ったとき。
「そなたは少しも思わなかったのですか? 露ほども思わなかったと? ──ザマァみろ! と」
「………………っ!」
否定の出来ない問いかけでした。
卑怯だとすら思いました。
だってそれは、ヴァシリーサにとって本当に許せない憎しみで。
クロウタドリがとても大切で、大好きなお友だちだったからこそ。
あのイジメっ子たちを許せる日は、たとえ天地が引っくり返ったって訪れないと分かっていたのですから。
世界への呪い。
ヴァシリーサの中で昔から、ずっと芽生えの機会を待ち望んでいた仄暗な想いが。
魔性の囁きによって、急速に膨らみ始めて成長していきました。
「病魔に冒されやすい器の脆さについては、そなたはとっくに折り合いをつけて、小さな呪いの種しか撒きませんでしたね」
しかし、
「しかし、病魔自体への呪いは、大きな種を撒いていました。どうです? 憎き病魔が、そなたの大好きな母親にまで魔の手を伸ばしたこの現実」
そもそもこの世に、病魔などというモノが在りさえしなければ。
お母さんがあんなに心配性になるコトも、あんなに苦労するコトも無かったはずなのに。
許せない。憎い。呪わしい。忌々しい。
「──病魔が在るから、人は苦しむんだわ。病魔が在るから、人は心に鬼を生んでしまうのね」
「その通りです。その通りです。残酷なイジメっ子とて、悪い大人とて、病魔が無ければアレほど無惨なマネがどうして出来ましょうか」
この不条理。
この理不尽。
この無慙にして無愧。
「糺せるのは、そなただけではありませんか?」
「──そうね。たしかにそうだわ」
「言祝ぎましょう。呪いましょう。そなたはこれより我らが
隠されし真の名は、マギア・デウス・ネガサルス・モルブス。
転生は完了しました。
ヴァシリーサは魔女になりました。
それと同時に、肉の器からは離脱して。
この世に産声をあげてから初めて、病を完全に克服しました。
後に黒詩の魔女と忌み名を贈られる彼女は、こうして導きの有角神に誘われるまま最初に『
「話が違う! 話が違う! グラマティカ様! 何故だ! 何故だ! 言う通りにしたぞ! ワタシは言う通りにした!」
「思った通り、なんて醜い鳥なのかしら」
「さらば、我が友カラドリウス。そなたのおかげで、また新たに我らが神が新生できました。そなたも第八の原棲魔なら喜んで贄となるべきですね」
「! おのれ……! おのれおのれおのれおのれおのれェェェエエ工ェェエッ! 謀ったかグラマティカァァァァァァッ!!」
カラドリウスとは、第八の空の下において。
病を癒す鳥などではありません。
病を吸い、病を癒したように思わせますが、吸った病を頬の袋に溜めておき。
病の蠱毒を作り上げ、袋がパンパンに膨らんだ頃、世に新たな奇病や不治の病を振り撒く病巣鳥。
第八の原棲魔、『疫病の白き鳥』カラドリウス。
白くても、とても醜くて不快な鳥でした。
魔女になったヴァシリーサが、一番最初に手にかけたのがこの魔物です。
そしてカラドリウスは、ヴァシリーサを魔女に転生させたグラマティカなる第八の有角神と、事前に何らかの取り決めを交わしていた様子でしたが……
「“
「うおごろっぼッ!!!!!!!!」
魔法の神たる
ヴァシリーサの唱えた魔法には適わず、皮肉な運命──すなわち病死、してしまいました。
もちろん。
魔女となってしまったヴァシリーサに、カラドリウスとグラマティカの関係を推し量れる余裕が残っていたはずもありません。
白き鳥が、地に堕ち汚らしい染みを盛大にブチ撒けるのを見下ろして、すぐに興味を失って。
「──ああ、ああっ! 大変だわ大変だわ……!」
「どうしたのです、魔女よ」
「大変なの! あそこにもあっちにもッ、イジメっ子イジメっ子イジメっ子イジメっ子イジメっ子イジメっ子! ひどいわひどいわひどいわひどいわひどいわひどいわ! みんなみんなイジメられて、悪い大人にあんなにたくさん……!!」
「では、そなたが求めるところを早急に為すがよろしいでしょう」
「ええ、ええ、ええ、ええ! そうするわそうするわ! お友だちは守らなきゃ。お友だちは大切で、私だけがみんなを守れるんですものね……!」
「──ふむ」
その
狂気に突き動かされるヴァシリーサの背中へ、グラマティカはひとり静かに呟きます。
もはや声が聞こえていても、魔女の耳は己が世界観の内側で固く閉じていると知っているからです。
「ハ、ハ、ハ。少々誘導が過ぎたかとも想いましたが、杞憂でしたね。病魔への呪いひとつで駆動するのではなく、己と同じ被害者たる者たちへの共感、救済の義務感にも駆られて動きましたか」
原動力は多ければ多いほどいいのです。
クロウタドリへの罪悪感。
お友だちに対する執着心。
そこから転じて、イジメっ子や悪い大人を許せないと怒る気持ち。
呪いはやがて、殺戮の旋律を高らかに奏でるはずでした。
「美しい魂です。生前より引き継いだ業は、さしづめ〝大好きなお母さんに決して会えない〟──そんなところですか。極上だ」
魔性は笑います。
ヴァシリーサの母親はすでに、ヴァシリーサの亡き骸を見つけて絶望死し、亡者の念となっていました。
魔女化したヴァシリーサが、生きているあいだはあんなにお母さんの元へ帰ろうとしていたのに、今ではまったくお母さんに意識を割けないのも、転変の業に囚われているからです。
そして、ヴァシリーサ自身が何より
「ハ、ハ、ハ。本当に強情な娘ですね。我らが神と一体化するのは、第八の係累にとって至極名誉なコトだと言うのに、魔物となってしまった己を嫌悪しているとは」
まるでおねしょを叱られるのを、ビクビクと怖がっている幼子のよう。
お母さんには知られたくない。
子どもゆえの怯えです。
「その幼さは、無垢ゆえに純粋な恐怖を産むでしょう」
グラマティカは笑います。
笑い、不手際を反省します。
「ですが──あまりの逸材ゆえに、少し焦り過ぎましたね。やはり自ら奈落に堕ちた魂でないと、一点の瑕疵が残っていけない。█████様にも叱られてしまう」
不手際不手際、と。
グラマティカは己が仕事の成果に、素直な手落ちを認めて肩を落とします。
が、それもすぐにやめて、
「魔女よ。そなたは熱に浮かされた夢のように、可憐な魔であれ」
ヴァシリーサへ純粋な祝福の言葉を送るのでした。
「……ふむ。それはそうと、失血病はあの
人界は面白いですね。
ついでにもうひとつ、良さげな呪いも見つけてしまいました。
黒の次は白。
「フ、フ、フ。エルノスの星の人間とは、斯くも我々を愉しませてくれる」
有角の神は、そうしてニコニコと牛馬に跨り。
疫病に沈んだ──自らの手で沈ませた──町に、
「なんて汚らしい」
クツクツ肩を震わし、消えるようにその場を立ち去っていったのでした。
────────────
tips:第八の原棲魔
〈
〈崩落の轟〉以降に発生した転変の魔より格が上のモノが多いため、中には転変の魔を見下しているモノもいる。
有角神グラマティカは魔女を創り出す特権の持ち主。