ヰ世界の歌 夜明け前のダークエルフ 王道硬派な大河ファンタジーの世界で一歩から始める人外愛譚 作:所羅門ヒトリモン
ゼオメイガスの増殖は、詠唱を完成させるための時間稼ぎだった。
「くっ、この……!」
「「「ハ・ハ・ハ・ハ・ハ!」」」
老獪な嘲笑が、どれだけ雷霆で灼き消しても数を増していく。
大魔法使いは心得ていた。
姑息な手段というのは、このようにして効果的に実践するのだと。
本体の居場所を隠し、四方八方に縦横無尽。
大量の
「気持ち悪すぎるわっ!」
「「「ハ・ハ・ハ・ハ・ハ!」」」
「っ……!」
範囲攻撃も意味が無かった。
すべてのゼオメイガスをまとめて薙ぎ払おうとしても、数が多すぎるのだ。
無限増殖老人をまとめて消す。
それを行うには、工場内だけでなく今や
しかしそれは、アイナノーアには──いや聖槍トライデントには不可能なのだ。
聖具とはあくまで、人類に〝聖域〟をもたらす物。
魔物の脅威から人類を、引いては人類文明を守るために女神が授けた恩寵であって、広域破壊兵器ではない。
事実、過去の歴史を辿ってみても、カルメンタリス教の女神がその手の兵器に祝福を与えた例は、一度も無いと言われている。
当然だ。
兵器とは扱いを誤れば、取り返しのつかない滅びをもたらす物。
人類の文明を愛しているのに、それを滅ぼしかねない兵器があったら、女神の目に好ましく映ろうはずもない。
蘇芳と紅鶸と漆黒が、白雷の軌跡を以ってすら塗り潰せなかった。
そんななか、ゼオメイガスの詠唱が途切れるコトなく明朗に響き渡る。
「“流れる星々が川のせせらぎのように足元を通り過ぎ”」
「“火の灯る大地が千を超える鉄槌に鍛たれる刹那の光景”」
「“青く澄み渡る天球儀は、クルクルと粘土のように捏ね回され”」
「“聳え立つ柱の塔、星を貫き支える蜘蛛の糸”」
詠唱は魔術だった。
かつてエルダース魔法魔術賢哲学院で最高峰の権威に着いていた老人は、『大魔法使い』の肩書きを背負いながら初手は大魔術のカードを切っている。
「──イヤッ!
アイナノーアはズキズキと走る頭痛に、本気で詠唱を止めようとした。
というのも、ゼオメイガスが朗々と言霊を紡ぐ度に、何かひどく言い知れない根源的恐怖が湧き上がって来たからだ。
ここではないどこか。
いまではないいつか。
遥か彼方より忍び寄る絶望的な外宇宙の深淵。
そんな直観が、どうして自分に訪れているのか。
直観がピキン! と背筋を駆ける感覚さえ気持ちが悪く。
なのに、ゼオメイガスの重苦しい声が、明らかに場を『神殿』に変化させていくのが理解できてしまった。
否、理解させられている。
高次存在の眼が、異界の最厄地の法理さえ無視して、
ゼオメイガスが完全に
「“燃え落ちる天蓋に、草花は芽吹き──”」
「“咲き誇る生命の光が、開闢の唄を紡ぎ──”」
「“巨いなる海は泥の中──”」
「“鉄の王女に断頭台──”」
魔術式『外宇宙神話接続』
詠唱が完了し、以ってゼオメイガスの偉業がここに成る。
大魔法使いは自らを魔術によって
糸を辿り、脳を啓蒙し、古き神話、外なる伝承を祀る『神官』の役を受諾したのだ。
すなわち、外宇宙を統べる高次存在と限定的な契約を結んだ。
魔術の世界において、其れは掛け値なしに偉業。
果たしてこれほどの偉業が、有史以来どれほどあるだろうか。
エルダース魔法魔術賢哲学院で
魔術を極めるだけではなく。
存在の何たるかを学び真理を探求し、賢哲と認められるだけではまだ足りず。
いずれの分野においても、神秘の解読者足らねばならないのだと。
今この場にその偉業を真に理解できる者はいなかったけれど、ゼオメイガスは魔物に堕ちてなお叡智の王冠を被り続けていた。
だが、ただ外宇宙の神話と接続するだけが『大魔法使い』の目的ではない。
ゼオメイガスは魔術の腕も神域だが、その本分はやはり魔法にあった。
魔法を使うためにこそ、大魔術を前座にしていた。
魔法の大原則。
どんな魔法も、呪文なくして成立しない。
呪文は詠唱者が、その呪文に紐づく原義を理解していなければ、容易に期待を裏切る。
浅はかな理解、曖昧な解釈、時には自信の不足。
魔法はそれらを、瞭然に結果を創り出す。
存在密度の薄さ。
効力の強弱や増減。
自分のなかで真に迫る納得を得られていなければ、他人に息を呑ませ、己が
ゼオメイガスは、『理解』するために魔術を使った。
ゼオメイガスは、『実感』するために魔術を使った。
ゼオメイガスは、『記憶』するために魔術を使った。
古き神話、外なる伝承。
そこに描かれし神話の一幕。
尋常の人生では、決して目にするコトも耳にするコトも出来ない驚天動地の摩訶不思議。
神が地上を闊歩し、その権能が世界にとって絶対のルールだった時代の物語。
叙事詩を、脳に突き刺す。
啓蒙、完了。
「“
唱えられるのは外宇宙神話において、最強と畏敬された神の権能。
堕ちた大魔法使いは、第八法を以って像を結んだ。
「──
ぶくり。
「ヒ」
音に、アイナノーアは恐怖した。
生理的嫌悪感が爆発し、ゾッと背筋を凍らせた。
その間も魔法は奇跡を創造する。
──ぶくり、ぶくり。
ぶくりぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶくぶく──ッッ!!
「……ッッッ!」
目を背けたくても、何処を見渡しても同じ光景。
何も無い虚空に、唐突に現れ、見る見るうちにカタチを得ていく得体の知れないナニか。
はじめは小さな、アメーバ状の気色悪い粘液。
原初の生命細胞の『誕生』から始まって、粘液はすぐ近くの同じようなドロドロに絡みつき合うと、ますます大きくなって『成長』を重ねる。
成長は次第に、ドロドロに器官と呼べるものを形成し始め、瞬く間に眼や口、エラにヒレ、魚のような特徴から両生類のような特徴を与えて変化していき、遂には手足を獲得。
翼の生えた鳥類的個体も現れれば、爬虫類から哺乳類へ、泡立つ肉の蠢きとともに『進化』していった。
時間にして僅か、数秒の出来事である。
されど、
「まだ止まらないの……!?」
それでもなお止まらぬ、生命の歴史その縮図!
気づけば増殖していたゼオメイガスは、ひとりに戻っていた。
ただし代わりに、もっと巨大で、もっと恐ろしい存在が、
八つ脚の化け物馬と、四翅の飛翼を生やした蟲龍。
全長はそれぞれ、三十メートルと八十メートルを超えている。
前者は黒毛に紫色の
再誕と同時に即座に転変し、人を喰い殺さんと牙を濡らす。
後者はキチン質の体皮に
地竜から古龍へ転じた蝗害を操るドラゴンは、鋭い爪と棘の手足で大地を抉る。
「『人喰い八脚馬』スレイプニール、『貪る蝗龍』グラトロンだ」
「……言われなくても、見れば分かるわよ。貴方、とことんリベンジしたいのね」
「左様。憤怒の剣をへし折る。そのためだけに、かつて敗れし我らは帰還した……」
ゼオメイガス、スレイプニール、グラトロン。
すべてアムニブス・イラ・グラディウスに討滅されたはずの存在。
数だけで考えれば、三分の二が魔物。
至高の聖具を持つアイナノーアからすれば、決して分が悪いとは言えない相性面での優位性。
けれど、
(帰還したって……自分で呼び戻しておいてよく言うわ……!)
三分の三が、〈目録〉に載る禁忌。
しかも内ひとつは、荒御魂が高じて古龍の域にまで上り詰めたと語られる
(クっ、“
魔物に転じているとはいえ、ゼオメイガスは元人間。
困難呪文をこんなにも簡単に獲得してしまう魔法使いを、アイナノーアは初めて目の当たりにした。
聖槍の直撃を避けられていたとはいえ、余波は絶対に至近に届いていたはずである。
それなのに、まるで意に介した様子もなく魔法を成立されてしまった。
ケントに言われたあの一言が、アイナノーアの脳裏にふと過ぎる。
──
「…………」
トライデントの柄を握る手に、視線が落ちる。
聖槍の威力が通じない敵。
そんな相手、アイナノーアはこれまで出会ったコトが無い。
だがもし、もしこれが、初めての
他国の準英雄から見て、〝武器頼りの女〟と判断されてしまう自分に、格上への勝ち目はあるのだろうか……?
「……冗談じゃないわ」
弱気にキッ! と強く視線を上げ、戦乙女は強大な敵へ槍の穂先を向けた。
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tips:創世・生命礼賛宇宙
ゲネシス・オルガニズモスエンコミオン。
外宇宙神話において、最強の神。
すべての獣の祖にして、全生物の創造神。
生命の系統樹その始まりと謳われた龍神が持ち得た権能。
生命を礼賛し、無数に枝分かれするゲノムツリーの、あらゆる『成長』や『進化』の可能性を自在に指し示す。
ゼオメイガスは魔術による啓蒙によって、この権能を魔法で再現した。
生物ではない魔物をも再誕させたのは、堕ちた大魔法使いの二度にわたる転変の経験あってのものか……