ヰ世界の歌 夜明け前のダークエルフ 王道硬派な大河ファンタジーの世界で一歩から始める人外愛譚 作:所羅門ヒトリモン
歩いて近づいていくと、ヴァシリーサはドキリとした様子でカラダを強ばらせた。
「あ、お兄さんだー!」
「ボクらのコト分かる?」
「元の姿に戻っちゃったんだから、分かるワケないよ!」
「わぁ、この人がみんなが言ってたお兄さんかー!」
「すげー! でっけー!」
「モイ! また会えたね、お兄さん!」
クロウタドリだった子どもたちも、紙の中に囚われていた子どもたちも。
どうやら全員、元の姿に戻って解放されているみたいだ。
数が多すぎて何人いるのか分からないが、たぶん二万人くらいはいるか?
ピーチクパーチク、相変わらずすごい騒ぎ声がする。
手を振って軽く返事をしながら、ヴァシリーサの前に立った。
「……」
「……えっと」
まずは何と声をかけよう。
魔女化は解いたし、闇人化ももちろん解いた。
今の俺は最初に会った時と同じ姿で、最後に会った時のことも当然覚えている。
ミステリーハウス・クイーンダムでは、イジメっ子と認識されてめちゃくちゃに追いかけ回された。
カットエンド・ボトムに落とされた時には、口を縫われたし首まで折られている。
(普通なら死んでるよなぁ)
そう考えると、俺ってかなり人間やめちゃった感がある。
しかも、再会した際には魔女化&闇人化の魔人化状態。
森羅斬伐やら捕食の風やら、初見じゃ絶対に意味が分からないし、大魔であっても不気味に思う理由は足りている。
警戒されて怖がられていても、何も不思議は無かった。
ただこうして近づいてみても、前みたいに即座に攻撃を仕掛けられるって感じにはなっていないので、イジメっ子の判定からは何とか抜け出せたのだと信じたいところ。
とりあえず、片膝を着いて視線を合わせてみる。
「……ご丁寧に、ありがとう」
「ん? ああ、いや。こうした方が俺も話しやすいから」
怖ず怖ずとした声に、努めて柔らかな声音を心掛けた。
こちらから話しかける前に、ヴァシリーサの方から声をかけてくれるとは思わなかったから、ちょっと不意は打たれたが。
話しかけてもらえて、嬉しくないはずがない。
「まずは自己紹介から、始めようか」
俺はメランズール・ラズワルド・アダマス。
キミは?
「……私は、ヴァシリーサ。貴方、お名前が長いのね」
「ああ。フラグメントのキミにも、同じコトを言われたな」
「……そう。じゃぁやっぱり……お母さん、じゃ……?」
「悪いけど、それは違う」
「っ……ど、どうして、なの……?」
少女の震え声は、切なさに満ちていた。
どうして。
どうして、俺がベアトリクスのチカラを持っているのか、か……
──説明すれば、それはとても長い話になる。
無辺の大雪原に、ひとり放り出されて彷徨ったあの日々。
それから最北の永久凍土で、あたたかな揺籃に迎えられて、凍えていた心を優しく溶かされて。
(最後に──)
炎を、見た。
「……そうだな。一言ではとても説明し切れないけど、これだけは言えるよ」
「……」
「俺は彼女を、彼女たちを……今でも、愛してる」
永遠に。
誰であろうと、この気持ちは変えられない。
「だから、愛が奇跡を起こした、なんて……そんな都合のいい御託で、納得してもらえるとは思ってもいないんだけど……」
本当に奇跡みたいな愛情が、俺たちを繋ぎ合わせてくれた。
真摯に、そういう想いがあるコトだけは、分かってもらいたい。
言うと、ヴァシリーサは俯きがちに戸惑った。
「ごめんなさい……よく、分からないわ……」
「……そうだよな。いや、いいんだ。こっちこそ、ごめん。俺ってあんまり、口が上手い方じゃなくて」
抽象的なコトばっかり、一方的に伝えてしまった。
これじゃあ何の説明にもなっていない。
というか、説明を諦めているようにも聞こえる自己中ムーブだ。
素直に、ごめん、ともう一度謝った。
すると、
「……私、貴方に助けてもらったわ」
「え?」
「貴方がお母さんじゃないのは……とても、とても残念だけど……ごめんなさいなんて、言わないで」
むしろそれは、私の方が言わなくちゃいけない言葉よ、と。
ヴァシリーサは完全に顔を俯かせる。
そして、
「……ごめん、なさい。貴方にひどいコト、したわ」
少女は両手でスカートを握りしめて、泣きそうに謝った。
ダメだダメだダメだ。
泣くな。
それだけはとても耐えられない。
俺は息を吸って、ハッキリ告げた。
「もう治ったし、気にしてないよ」
「……でも、とっても痛かったでしょう……?」
口を縫うのも、首を折るのも。
子どものオイタにしては、たしかに度を超えている。
けれどあの時は、仕方がない。
「俺はキミの秘密を、勝手に盗み見たんだ。怒るのは当然だし、多少痛めつけられたって文句なんか無い」
「……どうして?」
「どうして? だって、当然だろ? 俺だって怒るさ。誰かに自分の日記を読まれたりしたら」
「ううんっ、そうじゃなくてっ!」
ヴァシリーサはそこで、俯けていた顔を再び前に向けた。
その顔は大きな戸惑いに満ちていた。
「貴方はどうして……どうしてそんなに、私に優しくしてくれるの?」
「優しくされるのが、そんなに不思議?」
「だってっ……私のお母さんじゃ、ないんでしょう……? 貴方、すごくお母さんみたいだけど、でも、お母さんじゃない……」
なのにどうして、ヴァシリーサに優しくするのか。
ヴァシリーサを助けて、ヴァシリーサを守って、あんなにもヴィクター・C・グレムリンに怒りの声を上げて。
ヴァシリーサに触れるな、と。
まるで実の親のように、躊躇わなかった。
「貴方、おかしいわ……」
「……おかしい、か。どうしてそう思う?」
「……私は、恐い魔女だもん。たくさんたくさん、とっても怖がられてる魔女なんだもん……」
大いなる魔、忌み名は黒詩の魔女。
実際にヴァシリーサ本人が手を下して殺した人間は、恐らく片手の指の数ほどもいない。
いいや、きっとひとりもいないだろう。
もちろん、悪夢を見せて発狂させたり、異界に招待して廃人にしたり。
残酷な行いが、まったくのゼロ件ってワケでもない。
だが、それらは因果応報。
ヴァシリーサはただ、子どもを救っていただけだ。
(証拠は目の前に、二万以上)
子どもたちの顔と言葉で充分に。
バーバ・ヤーガ。
ジャバウォック。
グレイマルキン。
恐らくは過去にそれなりの事件を起こしたであろう下僕たちもいるが、今はヴァシリーサの魔法で完全な制御下。
むしろヴァシリーサのおかげで、無害化されたと言っても過言ではない。
たしかに、怒らせればベアトリクスと同様、国ひとつくらいは容易に滅ぼせるだろう。
危険性だけで物を語るのなら、〈目録〉に登録されても仕方がない能力と逸話を持っている。
だがそれは、愚かな人間が自分たちの罪を棚に上げて、手前勝手な魔女像を世間に広げたせいでもある。
子どもを取り返そうとした親。
闇祓いの魔法使い。
家畜に姿を変えられた王。
誰ひとり殺されてはいないのに、〈目録〉には殺されたと記載があった。
得体の知れない秘密組織も、所詮は人の手で運営されているはず。
禁忌に登録される際に、何か公正でない意思が混ざり込んでいたとしても不思議は無い。
特に闇祓いなんて、魔法使いの世界では王侯貴族より強い権力を持っているらしいからな。
「俺はキミを恐ろしいとは思わない」
「嘘よ……!」
「本当だ。なんなら、今も証明できる」
「……証明?」
「ああ。おいで、俺に抱き締めさせてくれ」
「!」
腕を広げると、ヴァシリーサは半歩後ろに下がった。
信じられなすぎて、咄嗟に言葉を返せないくらいに動揺してしまったのだろう。
腕を掴んで引き寄せ、有無を言わせず抱き締めた。
「あー! お兄さんがヴァシリーサちゃんとハグしてる!」
「なんでなんで!?」
「お兄さんってばもしかして、ヴァシリーサちゃんが好きなの!?」
「そうだよ。俺はヴァシリーサが好きだ」
「ぁ……ぅぅ……!」
囃し立てるように騒ぎ声を増す子どもたちに囲まれながら、背中をさすって嗚咽を慰める。
泣かせてしまうのは本意ではなかったけれど、ヴァシリーサは胸の中でポロポロ大粒の涙を落としていた。
「ほら。分かってくれたか?」
「うん……うんっ……!」
少女の魂は孤独だった。
五千年間、ヴァシリーサは心のどこかで、ずっと母親を求めていた。
たくさんのお友だちを作り、五千年間ずっと話し相手には困らなくても。
魔女は瘴気を漂わせてしまう。
何も気にせず、何も躊躇わず、真の意味で寂しさを埋められた瞬間は一度も無い。
この子はそういう子だ。
俺はそれから、しばらく背中をさすり続けて、ヴァシリーサが落ち着くのを待った。
「……あ、ありがとう。もう、大丈夫よ」
「そうか?」
ヴァシリーサは照れ臭そうに、視線を逸らした。
抱擁を解いて、もう一度さっきまでと同じ距離感になって向かい合う。
「ヘンなヒト……」
「ヘンか。まぁ、俺みたいなヤツは渾天儀世界中、どこを探したっていないだろうからな」
ヘンではある。
真面目に頷くと、ヴァシリーサは「そういう意味じゃ……でも、たしかにそうね」と納得した雰囲気になった。
「カラダ中に流れ星がベッタリ張り付いているヒトなんて、私も初めて見たわ」
「流れ星。……ああ、秘紋のコトか?」
「そうよ。貴方は、そう呼んでるのね。ヴィクターを食べた真っ黒けっけ。なんだか私と、お揃いみたい」
魔力喰らいの黒王秘紋。
魔女であるヴァシリーサには、俺の肌に蠢く黒色の文字群がやっぱり分かっているらしい。
黒詩の魔女と黒王秘紋。
言われてみれば、たしかにこんなところにもシンパシーがある。
「なぁ、ヴァシリーサ」
「なに? ラズィ」
初めて名前を呼ばれた。
しかも、フラグメントに教えた愛称の方だ。
一瞬あまりの
が、
「……この秘紋の正体が、キミには分かってるんだよな?」
「エル・ヌメノス様の巫女様よね」
「ああ。俺はエル・セーレンに、コイツの『躰』を探しに来てたんだ」
「……」
「キミが持ってるのは分かってる。できればそれを、渡して欲しい」
お願いすると、ヴァシリーサは迷いの気配を見せた。
何かを考え込むように、わずかに俯いて。
数瞬して、伏し目がちになったまま訊ねてくる。
「……私が巫女様の躰を渡したら、ラズィは嬉しい?」
「? そりゃまあ、そのためにエル・セーレンに来たワケだから」
嬉しくないはずがないし、ありがたくないはずもない。
「じゃあ、私が
「……何か渡したくない理由があるのか?」
黒山羊の眼が、こちらを見ようとしない。
にわかに不穏な空気が漂って来た感覚がして、俺は困惑した。
「秘文字の奇蹟が誰かに使われるコトを、もし不安に思ってるなら心配しないで大丈夫だ。もう分かってるだろうけど、俺の秘紋はたったひとつの願い事しか叶えられない」
「うん」
「キミが持ってる躰は、俺の秘紋と同じ巫女様なんだ。見ての通り一心同体ってヤツでさ。彼女のためにも、遺体は全部取り返してあげたいと思ってる」
「うん」
「……それでも、ダメなのか?」
ヴァシリーサは、肯定も否定もせず押し黙ったまま固まる。
やがて、二十秒以上の間を挟んで、辛抱強くこちらが待ち続けていると、
「……心配はしてないわ。ラズィにはヴィクターみたいな心配は、何もしてない」
躰の正当な所有権が、俺の秘紋にあるコトも分かっている。
だけど、と。
「私が巫女様の躰を返しちゃったら……ラズィは帰っちゃう。そうでしょう?」
ヴァシリーサはギュッと、再びスカートの裾を握り込んで上目遣いになって俺を見た。
「それは……」
「イヤよ。イヤ、イヤ、イヤ。私、ラズィと離れたくなんか、ない」
気がつけばヴァシリーサの足元から、黒いインクのような魔力が滲み出していた。
インクは地面の上に広がって、本の挿絵のように街の景色を作り始め、
「──おい! どうなってる!?」
異変を察したベロニカたちが、慌てて声を張り上げ出す。
一度経験済みの俺には、すぐに分かった。
黒詩の魔女の〈領域〉が、再構築されようとしている。
そんななか、ヴァシリーサは縋るように言った。
「ねえ、ラズィ? 私と一緒に、ずっと一緒にいましょう? 貴方のお友だちも特別に招待してあげる。だから、もうどこにも行かないで? ずっと私のそばにいて……?」
たとえ憎まれても、それでも構わない。
「貴方が鬼で、私が子。ずっとずっと二人で、鬼ごっこをして過ごしましょう……?」
今度は逆の立ち位置で、捕まるまで躰は返さない。
ヴァシリーサはそうして、ワガママを言った。
でもそれは、決して許してはあげられないワガママだった。
「ヴァシリーサ」
「っ」
「分かってるだろう?」
優しく、
何故なら、俺には森羅斬伐があるからだ。
ここでクイーンダムを展開されても、ヴァシリーサが望むような鬼ごっこにはならない。
それに、
「俺と二人でずっと一緒にいたいってって言ってくれるのは、すごく光栄だけど」
「……」
「キミはお友だちを見捨てない。ここにいるたくさんの子どもたちを、放っぽり出して自分だけなんて」
首を横に振る。
黒詩の魔女には選択できないから。
試しにやってみても、すぐに楽しめなくなって破綻するから。
ヴァシリーサは、駄々をこねるように叫んだ。
「お友だちのみんなもっ! 一緒に連れて行くもの!」
「でもそれは、俺が斧を振るったらフリダシだ」
子どもたちは解放されたり閉じ込められたり、文字通りの意味で振り回されるコトになる。
第一、こうして久しぶりに異界の外へ出てきた子どもたちの中には、好奇心いっぱいの顔で『外』を見ているのもいる。
残酷な真実かもしれなくても、教えてあげなきゃならない。
「キミも気づいてるはずだ」
「イヤ……言わないで……」
「いつまでもこの子たちを、子どものままにしておくコトは出来ない。キミはこの子たちを救った優しい魔女だけど、いつかまたキミが大変なコトになったら、キミという保護者を失って、この子たちがどれだけ大変な目に遭うと思う?」
ヴィクター・C・グレムリンに、もしもヴァシリーサが捕まっていたら。
二万人もの子どもが、どうなっていたかは分からない。
そしてヴァシリーサは、自分のせいでお友だちが苦しむ道は絶対に選ばないのだ。
「だってそれこそが、キミが奈落に堕ちてなお譲らなかった信念であり、意地だ」
「ウゥゥゥゥゥ……!」
インクがカタチを結ばない。
魔力が不定形なまま、水に溶けた絵の具のようにマーブル状にほつれる。
正論は最低だ。
大人はいつだって子どもに、こうやって苦痛を押し付ける。
(けどそれは……)
子どもが大人へ成長するために、必要不可欠な
「……ヴァシリーサちゃん、大丈夫?」
「お兄さん、どうしてヴァシリーサちゃんを泣かせたの?」
「喧嘩? ダメだよ喧嘩は!」
「仲直りしよ!」
「ふ、ふふ。大丈夫、ちょっと目にゴミが入っただけだから……」
「そう?」
「ならよかった!」
子どもたちに心配されて、ヴァシリーサが安心させるように微笑む。
その姿に俺は、在りし日のもうひとりをも幻視する。
(……ケイティナ)
ともに彼女の娘。
なら
俺が静かに覚悟を決めていると、ヴァシリーサは諦めたように肩を落とした。
「……ごめんなさい。躰、返すわ」
ハイ、これ。
ポケットから、ハンカチほどの
瞬間。
秘紋が しゅるりッ! と動いて、中にあるモノを素早く回収した。
「ッ……」
ふらつき、目眩。
激しい動悸。
──ドクン、ドクン、ドクン。
心臓の鼓動が一際高く三回ほど鳴り響いた。
けれど変化は、それだけに留まらない。
俺とヴァシリーサのすぐ横に、金色の光が集まり出す。
光は俺の体から、蛍火のようにどんどん浮かび上がって、次第に霊体を構成する。
遠くからアイナノーアの「アレって……」という息を呑んだ声がした。
「……エル・ヌメノス様の、巫女様?」
「ええ。
「──驚いたな。やっと、こっち側にも出て来られるようになったのか」
「はい、我が王。我が今生の君」
秘紋が跪拝の姿勢を取り、いつものように恭しく礼のポーズになる。
ハンカチの中身はもう何も無い。
ヴァシリーサの魔法で、きっと縮尺を小さくされていたんだろう。
また実物を見る前に回収されてしまった。
どんだけ恥ずかしがり屋さんなのだ。
「っ、こほん!」
「おっと。それで? どうして急に出て来たんだ?」
「言う必要がございますか?」
「俺にはなくても、ヴァシリーサには説明してあげなきゃだろう」
「?」
突然の会話に、何が何だか状況を掴めていないヴァシリーサが小首を傾げる。
しかし、話は簡単だ。
俺も秘紋も、これからヴァシリーサにひとつの提案をするだけ。
「ヴァシリーサ。躰、ありがとう。返してくれて嬉しいよ」
「これで五分の三。私からも感謝を申し上げます」
「……べつに、いいわ」
二人同時に礼を伝えても、ヴァシリーサはショボンと落ち込んだまま。
無理も無い。
ヴァシリーサからすれば、これで俺の用事は終わり。
恐らくは世界でただひとり、ヴァシリーサの孤独を真に埋められる存在が背中を向けて〝さようなら〟してしまうと思っているのだ。
一方で、ヴァシリーサには子どもたち。
今回の事件で、遠からず手放さなければいけなくなってしまったお友だちだけが、残る。
なら結局、ヴァシリーサに与えられるのは何も無い。
現実の残酷さを、むしろ改めて突きつけられただけで、少女の不幸せは続いてしまう。
強引なやり方で俺をどうこうするコトもできない。
誰が読んでも、誰が解釈しても、どこにもめでたしめでたしで終われる要素が無い。
(なら、当然このまま、物語を終えていいはずもないよな?)
原典がどれだけ残酷な御伽噺でも。
やっぱり、大勢の人々が望んでいるのは。
翻案されて、夢と希望に満ち溢れたハッピーエンド。
ヴァシリーサの前に跪く。
(ま、大して姿勢は変わっちゃいないが……)
ちょっとだけ姿勢を整えて、騎士の真似事を。
右手を胸に添えて、左手を差し出して。
秘紋はその横で、立ち上がって司祭の役。
「な、なに……? 二人とも、急にどうしちゃったの……?」
「ヴァシリーサ。これは俺たち二人からの、共通した感謝の印だ」
「感謝の印……?」
「言葉だけで礼をしただけじゃ、キミの頑張りにはまったく報いられない」
「ですから、もしよろしければ」
息を吸って、目を瞑り、もう一度目を開けて申し出る。
「暗黒の御伽噺、『黒』の
「えっと……」
「俺の
「──────え?」
人間と魔物の契約。
別名、魂合わせの誓い。
第八の神から、人類へと割譲された太古の盟約のひとつにして、魔物からは忌み嫌われるモノ。
人間は魔物を、『
魔物は奉仕の代価に、人間の魂を共有する。
結べば、人間は魔物の能力を自分の物のように何時でも自在に引き出せるが、代わりに魔物との強い霊的結合を経て、ほとんどの確率で精神を破綻に追い込まれる。
どちらかが死んだ場合、どちらもが消滅するデメリットもあり、古代では強大な魔物を言葉巧みに騙した魔法使いが、自死を以って道連れにした逸話も散見される。
基本的に魔物側に、メリットは存在しない。
しかし、こと俺とヴァシリーサの関係ならばどうだろうか?
「契約を結べば、俺たちは
魂が同化するのだ。
そして、通常ならば免れない精神破綻のデメリットも、俺ならば回避できる。
ここにいる秘紋が、その役目を負ってくれる。
ヴァシリーサは高位の魔女だ。
言葉多く説明せずとも、この提案がどんな意味を持つのかは大部分察した様子だった。
そのうえで──
「本気、なの……?」
「冗談でこんなコトは言わない。だけど、もちろんキミに選択は委ねる」
人間側にもデメリットはあるが、基本的に魔物側にデメリットが多いのが使い魔契約だ。
ヴァシリーサが望まないのなら、俺は契約を強要しない。
それでも、期待して返答を待った。
「死は暗くて冷たい。使い魔契約なんてモノがこの世にあると知った時、俺は何度想ったか分からない」
もしもベアトリクスと、ケイティナと。
違う未来があったのならば。
「キミのお母さんに、俺は同じようにこの提案を持ち掛けたと思う」
「っ……」
「だけど、俺は簒奪者だ。それが現実だ。キミが本当の意味で求めてるお母さんじゃない。それでも、もしこんな俺とでも一緒にいたいって思ってくれるなら──」
誓う。
「本当の娘のように、キミを
黒山羊の面に隠された、少女の心に宣誓した。
すると、ヴァシリーサは唇を
途中でその動きが、ピタリと止まる。
「……嬉しいわ。こんなに嬉しい申し出は、はじめてだわ」
「うん」
「嬉しすぎて、涙も枯れちゃいそう」
「うん」
「でも……ごめんなさい」
「──どうして?」
「だって、さっきラズィも言ってたでしょう?」
黒詩の魔女は、お友だちを見捨てない。
「私がラズィの使い魔になっちゃったら、お友だちにもラズィにもいっぱい迷惑をかけちゃう」
「迷惑? それって、どんな?」
「お友だちは私を慕ってくれるけど、私が子どもを攫った怖い魔女なのは変わらないもの」
もうとっくに、子どもたちに帰る場所などない。
もともと居場所の無かった子どもたちばかりでも、中には古代からいきなり現代にタイムスリップした状況の子もいる。
「だから、ここで私だけ貴方の手を取って、さようなら、なんて勝手なワケにはいかないの。最後まで面倒を見てあげて、お世話してあげる責任が私にはあるの」
「────」
伸ばしかけた手を引っ込めていくヴァシリーサに、俺は息を呑んだ。
(まさか──)
まさか、ここまで芯の強い少女だったなんて。
地上のどこを見渡しても、これほど尊い在り方は他にない。
秘紋もまた、俺と同じくらい衝撃を受けているのが伝わってくる。
そんな俺たちの動揺を、知ってか知らずか。
ヴァシリーサは両手を後ろに回して、
童女の仕草で精一杯の強がり。
こちらに向かって、ニコッと微笑んだ。
「それに、私なんかを使い魔にしたら、ラズィってば色んな人から怖がられちゃうわ」
ただでさえ、もう大変そうなのに。
堪えるのは不可能だった。
「馬鹿が!」
「え、あ、わっ!?」
ヴァシリーサを強く引き寄せ、抱き締める。
問答無用で、羽交い締めにして抱き締める。
片膝立ちなんか、保っていられない。
「ちょ、ラズィ……?」
「子どもが大人に、遠慮なんかするな!」
「え、で、でもっ」
「良いことを教えてやる。俺は世間じゃ、群青卿って呼ばれてるんだ」
「か、かっこいい渾名だわ?」
「茶化すな。いいか? よく聞け?」
群青卿、メランズール・ラズワルド・アダマスの名において約束する。
「二万だろうが三万だろうが、関係ない。ヴァシリーサの
「っ……!?」
「お友だちのコトなら心配するな。俺が全員、面倒見てやる。だからもう、さっさと頷いちまえ」
舐めんなよ? 馬鹿娘が。
「俺の評判なんか、ちっとも知らないクセに。俺が今さら、他人からどうこう言われて気にするワケないだろう。そういうのは終わったんだ。あと、斧とか目とか出自とか、他にも色々知ったら絶対ドン引きなんだからな?」
「それは本当にそうですね」
秘紋が苦笑した。
が、今ばかりはヴァシリーサだけに集中する。
抱きしめれば抱き締めるほどに、小さく華奢なカラダを決して失くさないように強く想いながら。
「……なぁ、ヴァシリーサ?」
「な、なに? ラズィ」
「もう一回、聞かせてくれ」
キミは本当に、俺の
「っ……」
「ひとりぼっちは、もうイヤだろう?」
「……じゃあ、本当にいいの?」
小さな両手が、恐る恐ると言った様子で俺の背中に伸ばされる。
体格の差のせいで、背中まで手が回らないのがちょっとだけくすぐったい。
だけど、たしかに掴まれた。
胸の中に埋めたヴァシリーサから、くぐもった声が届く。
「私と契約したら……ラズィ、もう二度と純粋な人間じゃなくなっちゃうのよ?」
「心配ない。もうとっくにそうだ」
「っ。私と契約したら、死ぬまで離れ離れになれないのよ?」
「違うな。たとえ死んでも、離れ離れにはなれないんだ。それでいいんだ」
「ウ、ゥゥゥ……後悔しない? 絶対、後悔しない?」
「──ああ。後悔なんて、絶対しない」
むしろ、ヴァシリーサと一緒にいられない方が困る。
「なぜだか分かるか? キミを知ったあの時から、俺の人生、今後キミ無しじゃめちゃくちゃ不幸せだって確定しちまったからだ」
「ウゥ、ウゥゥゥ……!」
堪えるように唸るクセは、また追い追い指摘しよう。
背中をさすり、頭を撫でて。
「俺の使い魔になってくれるか?」
「……うんっ!」
短い返答に、心からの「ありがとう」を。
秘紋の背中にある象形太陽が、まるで鐘の音のようにガゴンと鳴った。
────────────
tips:使い魔契約
魔法使いと使い魔の関係について。
魔法世界では古くから〝魂は許しても心は許すな〟という格言が存在する。
しかし仮に、魂だけでなく心すら許し合えるモノがパートナーになったなら、魔法世界ではこのようにも云われている。
〝人魔一体、新たな命を得たがごとし〟