ヰ世界の歌 夜明け前のダークエルフ 王道硬派な大河ファンタジーの世界で一歩から始める人外愛譚 作:所羅門ヒトリモン
その光景を、
「「──良し」」
城塞都市リンデン。
復興後の刻印騎士団支部。
同時に同じ一言を呟いたのは、ひとりの女と一体の魔物だ。
名はそれぞれ、ルカ・クリスタラーと月の瞳。
使い魔契約を結んでいる主従。
彼女たちはともに支部長室の椅子に座り、向かい合う形で執務机を囲んでいた。
しかし二人とも、互いに目を閉じている。
顔を突き合わせて何かを語り合うのではなく、ただ静かに頭の中のビジョンに集中していた。
否、それは
深淵の叡智、悪魔の頭脳、月の啓蒙光に導かれて。
彼女たちは遠い彼方の地で起こった出来事を、ほとんど正確に理解していた。
良し、と頷いたのは、その結果が望ましい
「これで、鯨飲濁流に『躰』は奪われずに済んだ」
「メランくんも、無事に目的を達成できましたね」
「今の王子なら、当然の帰結だ」
異界の最厄地、エル・セーレン。
地底下界の女神が干渉して来た時は多少危機感を覚えたが、それ以外の存在は格下しかいなかった。
旅の伴をした三人の英雄はともかく。
成長後のメランズール・ラズワルド・アダマスにとっては、今回の敵はどれも大した障害ではない。
ヴィクター・C・グレムリンの恐ろしさは、ひとえにその頭脳。
たったひとりの人間が、エル・セーレンを作り上げてしまえたという驚愕の知性。
当人に戦闘能力は無く、また、ワポルマキナ自体も結局は未完成で終わってしまったため、ただの自律型兵器に過ぎなかった。
白嶺の魔女の力。斬撃王の英雄奥義。黒王の秘紋。
いずれであっても問題なく対処可能で、それは他の大魔どもにも通じる。
黄衣の女怪、三千五百年。
外道鍛冶、四千七百年。
堕ちた大魔法使い、三千八百年。
黒詩の魔女は五千年。
つまり、最初から敵ではない黒詩の魔女を除いてしまえば、白嶺の魔女の力だけでも容易に圧倒できる敵しかいなかったのだ。
たとえ白嶺の魔女の魔力が、すでに四千九百年程度にまで減っていたとしても。
暗黒の御伽噺の『黒』を味方につければ、さらに充分にお釣りが来るレベルで蹴散らすコトが可能だった。
その証拠に、鯨飲濁流の走狗たちは黒詩の魔女には一切挑まず、異界の主であるヴィクターを利用して遺体の奪取を目論んでいた。
「黒詩の魔女は、まさに今回──」
「最大の功労者」
「そうだ。自ら堕ちていない分、彼女の魂には一点、人間的な部分が大きく残されている」
それを瑕疵だと、有角神グラマティカは自らの手落ちを認めて反省していたが。
「我々にとっては、ヴァシリーサ嬢の高潔な魂に賛辞を贈るべきだろう」
「でも、これで一勝一敗……」
二人は目蓋を閉ざしたまま、眉間に皺を寄せて張り詰めた
メランも推測していたように、鯨飲濁流はすでにエル・ヌメノスの尼僧の遺体──『心臓』を手にしているからだ。
ゼオメイガスを復活させたのは別の尼僧の遺体だが、合計すれば二つもの秘文字の奇蹟を奪われている現状である。
というのも、
「く……
「……マズイですね。またひとつ、厄介な
「こちらが一手潰せば、計ったように新たな一手を打ってくるな……」
苦渋を呑む月の瞳。
人ならざる頭脳を以って、未来すら視通す能力を持つにもかかわらず。
魔物は顔を歪める。
約一年前、リンデンで
敢えて鯨飲濁流を復活に導くほど、手段を選ばない存在でありながらも。
月の瞳は演算を緩めない。
未来を、過信しない。
主人であるルカにも緊張を共有しながら、彼女たちは敵の攻撃をどう掻い潜るか最善策を模索する。
そうしなければ、
月の瞳が「叔父上」と呼んだ相手。
鯨飲濁流の側にも、未来を視通すモノがいる。
ゆえに、その光景もまた視えてしまった。
──東境の大峡谷、ネルネザゴーン。
グリムランドとも呼ばれる地で。
謎多き新王、ゲーン・ダッドリューの王城。
その大広間が、脳裏に映し出される……
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──
「オイィ……オイオイオイオイオイィッ! どういうコトだァ!? アアッ!?」
初めに大声を発したのは、鉄の鎖の人狼だった。
静寂だった大広間に、ジャラジャラと鎖の音が鳴り響き。
王不在の玉座の前。
壇上より見下ろす形で、大いなる魔が大いなる魔に向かって怒鳴っていた。
「テメェらふざけてんのか? 雁首揃えて遅参した分際で、何の成果も得られなかっただと?」
「……うーむ。何の成果も、と言われると異議を申し出たくなるがのぅ」
「左様。我ら、主目的を果たせなかった。それは認める他ない、が」
「イヌ! あのお方はどこ! 急ぎお知らせしなければならない報告があるのよッ!」
「──馬鹿がッ! 調子に乗ってんじゃあねぇッ!」
鉄鎖流狼は不忠者たちに対して、激怒を露わにしている。
「今はもう古代じゃねぇぞッ! テメェらがデカい顔して偉そうにしてられる時代は終わったんだよッ!」
「……たしかにのぅ。忠心篤きうぬに比べれば、儂らは目下、闇の公子の不興を買っておるわ」
「我は関係ない。我はエリヌッナデルクには関わっていない」
「いいから! さっさと教えなさいよイヌ……! あのお方はどこ!?」
一方で、外道鍛冶は顎鬚を撫でつつ、鉄鎖流狼の怒号を柳に風と受け流した。
ゼオメイガスは冷静に、あるいは空気を読まずに。
自身の陣営参加は、あくまで最近のもの。
古代に鉄鎖流狼に対しデカい顔をした覚えは無いと、小馬鹿にするように主張を否定。
黄衣の女怪は、そもそもイヌの言葉など最初から耳には入れておらず、自身の要求それだけを強引に押し通そうとした。
協調する姿勢など一切無し。
所詮は格下に過ぎない鉄鎖流狼のコトなど、三体の大魔はまったく意に介していなかった。
この中では一番協調性があると言える外道鍛冶でさえ、言外に皮肉を込めている。
──鉄鎖流狼の褒められるべきところなど、忠誠心以外に何かあるのか?
──自分たちが王から不興を買っているのは、あくまで今のところの話であって、働き次第ではすぐに立場は入れ替わる。
──弱いイヌほどよく吠えるのだ……やれやれ。
好々爺を気取る単眼巨躯は、ゆえに泰然。
そんな三体の心の中を、鉄鎖流狼も分かっているからなお怒る。
敬愛する主人を復活させたのは、鉄鎖流狼だ。
自分こそが、闇の公子の誇りし鉄の爪牙なのだ。
霊格が劣ろうとも、鯨飲濁流が一番に寵愛しているのは自分だと。
他の大魔に偉そうな態度を許すつもりは無かった。
まして、主人が命じた仕事を何ひとつ達成できず、まんまと失敗してアワを食いながら逃げ帰って来たような役立たずどもには。
「ゲイイン様の裁断を待つまでもねェッ! テメェら全員、
「穏やかではないのぅ! ともにエリヌッナデルクを楽しんだ仲じゃろうにッ!」
「憤怒の剣に報復を。闇の公子は約束せり。必ずや我に、機会を与えると」
「イヌがご主人様に逆らう気……? ワタシはあのお方の妻なのよ……!?」
魔力、炸裂。
王城があまりのプレッシャー・カオスに軋みを上げた瞬間だった。
ギ ュ ウ イ ィ ィ ィ ン !
「「「「!」」」」
玉座の真上に、異界の門扉が開けられた。
血と臓物と微かな骨でできたグロテスクな門扉が。
地面に並行な向きで、ドサリッ、と解錠者を玉座に落とす。
異様に痩せた青年は、ダラリと玉座にもたれかかり。
「──アァァ。騒ぎ過ぎだァ、オマエら」
「「「「陛下!」」」」
バッ!
言い争っていた大魔たちが、一斉にその場に跪いた。
鯨飲濁流。偉大なる闇の公子。吸血鬼の王が、ジロリと睨みを利かせたからである。
もっとも。
「いい、いい。そう固くなるな。楽にしろ。俺は寛大な王サマだからな」
クツクツと肩を揺らして笑う、当の鯨飲濁流本人からしてみれば。
配下たちに睨みを利かせたつもりなど、まったく無いのかもしれない。
この吸血鬼は古代でも、常態常時、いつだって半笑いを張り付けていた。
自身に臣従する大魔たちと語らう時も、多くの人間を虐殺して血を啜る時も、北の覇者との戦いの中でさえ、ほとんどが半笑いのまま。
鯨飲濁流はいつだって、あらゆるモノを嘲笑している。
だから、いちいち誰かに圧をかけたり、脅しをかけたりなんてしない。
そういう行いは、一度やってしまったが最後、その誰かが自分にとって目障りであるコトを証明してしまうから。
心の底から馬鹿にして、ゲラゲラ嗤うべき相手に、どうして自分の方が煩わされなければならないのか?
圧力を感じて脅されているように感じるのは、ただ単に格の違いによるもの。
鯨飲濁流は悪魔王である。
「ゲイイン様!」
「ン〜? テッサァ、もう忘れちゃったのか?」
「ハ、ハ?」
「俺のコトはゲーンと呼べ。あるいは、ダッドリューだ! いい名前だろ?」
「あ、ああ……し、失礼しました。ゲーン様」
「なんだ?」
「例の件ですが、どうやらコイツら失敗したようです」
「ッ、クソイヌ……ッ!」
「ロドリンド〜! 相変わらず口が悪いな、オマエは!」
「! 申し訳ありません。ゲーン陛下……!」
「まだ俺に惚れてるか? あとで寝所に来るか?」
「ッ、お望みとあらば今すぐこの場でも……!」
「さすが淫売の中の淫売!」
「……いやいや、陛下。ご冗談はそこまでに」
鯨飲濁流と黄衣の女怪のやり取りに、外道鍛冶がさすがに割って入った。
女怪はキッ! と外道鍛冶を睨み、邪魔するんじゃないわよ! と邪視の視線をぶつける。
外道鍛冶の方が格上のため、あいにく簡単にレジストされたが、仲間同士でさえこの不和。
王の前での非礼。
鉄鎖流狼が全身の鎖を逆立て、ゼオメイガスが我関せずと傍観を気取り、またしても
「──皆さん、大変お元気なようで」
「快いではありませんか。二千年の時を経て未だこれほどに血気盛んであるとは、実に素晴らしいですよ」
玉座の横に、二つの門扉が開く。
ひとつは、
ひとつは、ツノのある獣の頭蓋骨や生首。
どちらも異様な、怖気を誘うデザインで。
中から出て来たのは、二人の男。
ただしどちらも異形である。
前者は藍鉄色のクラシカルブラウスに、細身のカラダを包んだ壮年。
しかしながらその全身には、常に泡立つように目玉が浮き上がっており、手のひらや手の甲、頬や額、至るところに異常な数の目玉がある。
大小それぞれ。
集合体恐怖症の持ち主にとっては、必ず天敵になりえる姿だ。
一転して、後者はとてもシンプルだが、それゆえに無視できない。
頭部に生えた巨大な王冠角。
牛馬に跨り降りようとしない不遜。
鯨飲濁流が常に半笑いを浮かべているなら、こちらは常に薄ら笑い。
この場で唯一の、第八の原棲魔だった。
「月眼。グラマティカ」
「陛下。配下の諍いを止めるのも、王たるモノの責務でございますよ?」
「またそのようにダラリと玉座に腰掛けて……そなたには困ったものです。もう少し威厳に注意するべきですよ?」
「ギャハハハハ! オマエたちが俺に責務と威厳を説くのか! 堂々と玉座の横に出てきておいて!」
鯨飲濁流が、最高のジョークを聞いたとばかりに腹を抱えて嗤う。
この二体は他の配下と違って、いささか特殊な立場にいる魔物だった。
鯨飲濁流に忠誠を誓ったワケではなく、言うなれば客将のようなポジションに据えられる大魔である。
しかも、グラマティカに関して言えば、格は鯨飲濁流よりも高い。
だが、月眼もグラマティカも、実はつい先ほどまで鯨飲濁流と一緒だった。
二体は吸血鬼に付き従い、ある場所へ向かう伴をしていたのだ。
鉄鎖流狼を筆頭に、それが面白くないのは忠誠組の共通点。
それぞれ別の仕事を命じられていたとはいえ、失敗の報告をせざるを得ない三体は余計に屈辱を我慢する。
──が、
「そうか。失敗したか。構わん構わん」
「な──ゲーン様!?」
エル・セーレンで起こった出来事を、端的に結果から述べてみれば。
鯨飲濁流は予想外に軽く、許しを与えた。
これには外道鍛冶も黄衣の女怪も堕ちた大魔法使いも、困惑して疑問符を堪え切れない。
罰の執行者が鉄鎖流狼になるかどうかはともかく、何にせよ罰自体は与えられると考えていたからだ。
しかし、
“海よ 海よ 猛き荒海よ”
“箒星を喰らった 滅びの神”
“巨いなる龍は 眠りの底”
“波濤の獣 目覚めるなかれ”
“沈みし魂 鎮魂の歌 最果てに響く”
“海よ 海よ 猛き荒海よ”
“凶つ星を呑んだ 終わりの世”
“矮小なる人は 眠りの園”
“混沌の獣 畏れ多き御名を呼ぶなかれ”
“原初の海にて 望まれざる予言が 彼方に謳う”
吸血鬼が突然、歌を歌った。
上手い歌ではなかったが、歌詞の内容もあって不気味に広間に響いた。
月眼、グラマティカの二体は、ワケ知り顔で沈黙を保っている。
そんななか、悪魔王はひとり目元を覆い、耐え切れないとばかりに吹き出していた。
「ヒッヒヒッ、ヒヒヒヒヒッ! ようやく見つかったのさ」
「陛下……?」
「巨いなる龍は眠りの底──
「──もしや……!」
「ヒヒヒヒヒヒヒヒ! アア、今から愉しみでならん。いったいどんな味なんだ?」
終末の巨龍『波濤の獣』レヤンドラス。
凶つ星を呑んだ終わりの世。
巨大彗星の欠片くらいなら、最果ての海にはあるかもしれなかった。
「女神の
ゲラゲラ、ゲラゲラ。
ゲラゲラ、ゲラゲラ。
ネルネザゴーンに、悪しき魔の哄笑ぞあり。
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──
「「……人界同盟を、急ぎ締結させる」」
世界を救う未来のため。
ルカと月の瞳は、最善と信じる道を選んだ。
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tips:月の瞳の叔父上
月眼の名で呼ばれる壮年の男。
月の瞳同様、大小複数の眼球を持っているが、こちらは直接肌の上にある。
藍鉄色のクラシカルブラウスは、親族ゆえか。
第3部前半 鼓翼編 了
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