ヰ世界の歌 夜明け前のダークエルフ 王道硬派な大河ファンタジーの世界で一歩から始める人外愛譚 作:所羅門ヒトリモン
渾天儀暦6028年1月16日──
出発の朝は、良い天気とは言えなかった。
冷たい風が強く吹き、耳を焼くような寒さが雪礫とともに襲い来る。
ララヤレルンの北西。
ちょうど、アールヴァル妖精山脈がある方角から吹き荒ぶ北の息吹は、そのさらに北側。
遥か遠く、そして懐かしき、
あまりに風が強すぎるがため、長く晒されていると次第に、なにか得体の知れない恐ろしいモノが、臨戦間際の敵意でこちらに唸っているようにも錯覚してしまうだろう。
北の山々には恐怖が巣食う。
「……まるで、怒り狂う巨人の叫び声みたいだ……」
「きっとアールヴァルの、妖精さんのイタズラですよ」
「ひょっとすると、これから旅立つ我々を脅かしているつもりかもしれませんなぁ」
ボソリと不吉なことを呟いたクリスに、フェリシアとカプリが励ますように嘯く。
今回、ララヤレルンから代表として同盟会談に参加するのは、俺を含めてこの四人。
一国の代表としては、あまりに伴回りが少なすぎるかもしれないが、どうせ連合王国とはこのあと合流する。
トーリー王もザディア宰相も、大国の格を示すために軍を動員すると息巻いていた。
(まぁ、王が国を出るんだ)
相当な大所帯になるのは、必然だろう。
旅の道中、俺たちは彼らの世話になりつつ、ともにティタノモンゴットを目指す。
日程は変えられらない。
すでに諸々の支度や挨拶は済ませ、俺たちはアールヴァル妖精山脈の麓へやって来ていた。
西方大陸に旅立つ時は、ドラゴンが空から迎えに来てくれたが、今回の迎えは人目を忍ぶ。
「──やあ、
「……久しぶりだな。
「君からしたら、そうなのだろうね。私からすれば、昨日も今日も変わらない」
「……っ、アレが例の……」
「これはまた、分かりやすく魔物然」
クリスとカプリが、各々リアクションを取る。
俺とフェリシアは、忘れもしない。
月の瞳。
吹雪に紛れようとも、コイツの姿は毒気に満ちる。
いや、狂気に満ちると言ったほうが適切か。
──眼である。
眼、眼、眼、眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼眼────視線。
翠碧に濡れる泡のような瞳の群れ。
藍鉄色のクラシカルブラウス。
フリルが特徴的なホワイトジャボ。
身につけている衣装は全体的に華美というより地味。
だが、女の肌のさめざめとした曲線。
月光を
顔の半分を覆い、その隙間から、無数に現れては消えていく人ならざる怪物の眼──そこからは、何か見てはいけないマズイものが覗いてしまっている。
深淵。
「すまない。いま閉じる」
「ハァッ……ハァッ……!」
「クリスさん、大丈夫ですか」
「ッ、はい、すいません……大丈夫です……」
「カプリも平気か?」
「問題ありません。先ほどから、目は合わせておりませんので」
「……ふむ。王子は当然。覚醒した神人も影響は無いと踏んでいたよ。そこの超人くんは、数秒間のレジストには成功か。予想通りの及第点だね。ああ、最初から目を合わせなかった君については、さすが経験豊富なだけあると言っておくよ」
「……相変わらず、見透かしたような言い回しだな」
「許してくれ。ような、ではなく事実そうなんだ」
「ルカと契約してなかったら、オマエは俺にとっくに殺されててもおかしくない」
「それも、もちろん識っているよ? 世界を救うために、私を殺さないでいてくれて本当にありがとう」
「…………」
舌打ちを堪え、眉間に皺を寄せるに留めた俺は、前より成長しただろうか?
いろいろ言いたいことの多い魔物だが、話せば話すだけモヤモヤするだけでもあるので、クリスの呼吸が落ち着いてきたのを確認してさっさと本題に移る。
「ティタノモンゴットまでのショートカット、オマエが門扉を開けるんだろ?」
「ああ。本当は直接、彼の国のなかへ連れて行ってもいいんだけど、ルカに外交問題になるって言われてね」
「当たり前だろ」
「うん。冗談のつもりだったんだ」
「…………いいから、早く開けろ」
「ふむ」
月の瞳はくるりと背中を向けて、異界の門扉を開けた。
……月面に蠢く眼球、月光で泡立つ妖しい門扉。
境界の向こうの景色は、大して変わり映えのしない雪景色だ。
だが、空気の質が違った。
吹き込んでくる風を舌に乗せる。
すると、より不純なものが消えていて、酸素が薄く、標高が明らかに高くなっていることが分かった。
ただし、連合王国の天幕などが見えない。
予定では、俺たちはコイツの迎えによって先行出発している連合王国と合流する手筈なのだが。
「王子と神人は問題ないかもしれないけど、普通の人間は
「先輩、〝山降ろしの呪い〟ってご存知ですか?」
「え?」
「なるほど。まずは慣らしのため、比較的低い位置からスタートというワケですな?」
「あ、僕も知ってます。高い山に登ると、矮小な人間が天に近づくことを嫌った神様が、人間を山から降ろすために呪いをかけるって話ですよね?」
「呪いって……どんな?」
「頭が痛くなったり、心臓がドキドキしたり、吐き気がするんです」
「…………」
それって、高山病のことじゃないか?
「なるほど。俺はそういえば、かかったことないな……」
「幼少期の賜物だろう。王子のカラダは、その身に備わる神秘とは何ら関係なく非常に頑健だ。貴種のダークエルフの平均を大きく上回っているよ」
「ほほう。つまりメラン殿は、素で非常識的ということですか」
「…………いいから、さっさと行くぞ」
「強くて逞しくて、私はいいと思います!」
我先に門扉へ向かうと、筋肉フェチのフェリシアがニコニコ後を追っかけて来た。
続いて、護衛のクリスが「メ、メラン様! 僕が先頭を行きますので!」と慌てて小走りに。
カプリは「ククク」と笑いながら、器用に先行者の足跡を踏んで楽をする。
月の瞳は何を考えているのか分からない顔で、そんな俺たちを眺め。
「では、まずは『ギガース高原』だ」
巨人たちの山嶺、その足元。
ノタルスカ山脈からすれば、ずっと北北東の方角に聳えるテスカ山脈。
そこは、
ギガース高原に踏み入れば、そこから先に棲息するモノはすべてが大型化していく──と、書物でも伝えられている二番目の北限。
月の瞳が、異界の門扉を閉じた。
「五日ほど慣らしたら、ここを後にしてティタノモンゴットの国境前まで連れていくよ」
「五日もかけるのか? 連合王国との合流は?」
「トライミッド連合王国は、すでにここを踏破して五日後には国境前まで到着する」
「私たちより大人数なのに、ずいぶん早いんですね」
「率いているのが優秀な指導者だからね。君たちはあまり分かってないかもしれないけれど、今代のロアと側近、臣下たちはとても洗練されているんだ。憤怒の剣もいるしね。──それでも」
「?」
「それでも?」
「──今回は少し、時間をかけた方だと言わざるを得ない。理由は五日後に、分かるさ」
意味深な匂わせに、クリスが「えぇ……? なにそれ……」とドン引きした顔で困惑している。
ギガース高原はララヤレルンより幾分雪が強いが、月の瞳の不穏な発言は不気味に耳朶を叩いた。
未来を視通せる魔物でも、何もかもが思い通りってワケではないのか。
(それは逆に、嫌な予感を膨らませるな……)
これから出発って時だってのに、非常に腹が立つ。
俺はムカついたので、
星霜の夜梟が翼を広げギガース高原の空を押し除ける。
朝が夜になり、吹雪もまた止まっていく。
さすがに、エンディアほどの夜じゃあないけどな?
「え──え!?」
「先輩?」
「どうしましたかな?」
「いや、なに。いいかげん、鬱陶しくて」
幸先の悪い不吉な話。
この先の暗雲をほのめかすかのような天気。
どれも鬱陶しかった。
だから示した。
まるで盤上の駒でも見下ろすように、ずっと俺たちを見据える月の瞳に。
「……ふむ。白嶺の魔女を、想い出したよ」
「嘘はつくな。こんなの、ベアトリクスの本領には程遠い」
「かも、しれない。けれど、今の振る舞いには凄味があった──ああ、白嶺はたしかに、今の君と同じことをしただろうね」
死と冬の女王は、
「だが忠告だ。その強気、彼は気に障るかもしれないよ。ティタノモンゴットの王、荘厳銀嶺の統治者はエリヌッナデルクの生き残りでもある」
「……」
「彼はセプテントリア王国がなぜ滅びたのか、今でも覚えているからね」
言外に、白嶺の魔女が間接的に滅亡の原因になったコトを指摘。
「それに、彼らは一度目は譲った。故郷を同じくするダークエルフに、覇王の座を委ねた」
だがその結果、史上最初の超大国は滅亡し、〈
それぞれがそれぞれともに、異なる王国を築き上げた。
「メラネルガリア、ティタノモンゴット。ともに大国に数えられ、けれど今ではどちらが上なのか」
巨人王はこの先に待つ銀嶺のように、冷たく堅く、凍りついた男かもしれない。
月の瞳は、あくまでも見透かしたように言い放つのだった。
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tips:居残り者の朝
メランたちが出発するのを、神父は申し訳ない気持ちで見送った。
リンデンの件を知る当事者ならば、自分もまた証人として参加するべき。
個人的な想いとしても、メランのことは常に傍で支えたかった。西方大陸に続いて、今回も居残り組なんて……
「ゼノギア様も、一緒に行きたかったのですか?」
「ネイト、ええ。ですがこれも、私に与えられた大事な役目。不満があるワケではありません」
メラン不在のあいだ、ララヤレルンを守るのは自分だ。
「……申し訳ありません。我々のせい、ですね」
「クゥナ。違います。貴方たちのせいではありません」
「ですが……」
「まったく。そんなはずがあるワケないじゃないですか」
ホムビヨンの世話も、たしかに手が離せない。
しかしそれは、決して厭わしい話ではない。
「私は貴方たちを、愛しています」
愛しい者を守る。それは、メランへの気持ちと同等以上に、ゼノギアの心身に満ち満ちる誓いだ。
「我々を、愛している……」
「では、ゼノギア様はテレジア様のことも、愛しておられますか?」
「もちろんです。少しだけ意味合いは違いますが……彼女には内緒でお願いしますね」