ヰ世界の歌 夜明け前のダークエルフ 王道硬派な大河ファンタジーの世界で一歩から始める人外愛譚 作:所羅門ヒトリモン
では、少女の独白を始めよう。
フェリシア・オウルロッド。
彼女もまた、黒詩の魔女と同じだった。
山王の間で始まった鯨飲濁流との戦い。
フェリシアの恋人は怒りに染まり、その瞳には敵だけが映っていた。
いいや、実際に鯨飲濁流が現れる前から、彼は何か予感めいた衝動に駆られて、フェリシアたちを見ていなかった。
それが鯨飲濁流の出現を予期していたがゆえだったのなら、仕方のない話かもしれない。
彼は物心つく前から数奇な運命を背負っていた英雄で、その人生には尋常人には理解しきれない幾つもの宿命が渦巻いている。
フェリシアもまた理解していたつもりだ。
けれど、フェリシアはあのとき、
怒りに染まった彼もそうだが。
英雄としての運命を歩み、その宿命に自分からもどんどん乗り出していくような、あの姿勢。
人々は英雄譚を称揚する。
英雄譚が幸福な結末を迎えるケースは少ないのに、その最期が悲劇的であればあるほど記憶に強く残るから、胸を打たれて涙さえ流す。
フェリシアは思った。
(私は、先輩の人としての内面を知っているから、好きなんです)
人々が英雄を求める気持ちは分かる。
時代が彼を英雄に押し上げているのも分かる。
だけど、このまま戦って戦って戦って、一番恐ろしい敵と戦い続けて、フェリシアの好きなひとは何度も傷つくのだろうか?
彼自身も、あんなふうに怒りに染まって、そんな生涯を良しとしてしまうのだろうか?
分かっている。
鯨飲濁流は斃すべき敵だ。
鉄鎖流狼も、あの日リンデンで与えられたすべての理不尽に報いを贈り返すためにも、フェリシアは自分の手で斃したいとすら思っている。
それでも、頭と心は別だった。
理性と感情は違う方向を向いていた。
好きなひとが怒りと憎しみに駆られて、激しい戦いに身を投じる姿を。
フェリシアは思わず、見ていられなくて、連合王国軍と一緒にターリアを出てしまったのだ。
一緒に戦うべきだった。
今の自分にはその力があるのに。
何度も引き返そうと思いながらも、ターリアの外に出たら出たで戦争が始まってしまって、そこからは目の前の状況に精一杯で。
力はあっても、やっぱり私はただの村娘なんだなぁ、と。
(ダメだ、私)
後ろ向きになりつつ、戦車を駆っていた。
そこからは、あっという間だ。
戦場は次々に目まぐるしく状況を変えて行って、ルカの意図を汲んで黄衣の女怪を轢き飛ばしたけれど。
大魔法を発動されて、魔法陣の外にいたから目を閉じるしかなくて。
嫌な魔力が、視神経と眼球に気持ち悪い違和感を与えていたから。
変身は解除した。
目を閉じたまま空を飛ぶのは危険だったし、戦車を駆るのだってとても危ない。
すると、真っ暗闇になった世界で、いろんなコトが聞こえた。
意味不明な自己正当化。
ヒステリックに喚き散らして、唾を吐き飛ばしながら甲高い声で騒ぐ黄衣の女怪。
ロドリンド・コルティジャーノ。
肉の繭からカラダを再生させて、フェリシアの村をデモゴルゴンに変えた魔物。
何やらソレは、生前について語っている様子だったが、すべての経緯を他人に理解できるようにしゃべっているワケじゃなく、ただ自分の感情と主張をなんでもいいから吐き出すためにしゃべっているようで。
フェリシアはすぐに、まともに理解しようとするのはやめた。
破綻した精神の発露。
これはただの雑音に過ぎないと判断して、「ああ、そういえば──」と気がつく。
奇しくも両目を閉じたおかげで、いつもより自分を見つめやすかったのだ。
直前まで後ろ向きな思考を繰り広げていたのもあって、フェリシアは自然と腰元の短剣に意識を向けていた。
最後に視認した状況から、フェリシアは女怪の背後にいる。
いや、さすがに空中飛行や戦車の走行中だと支障があるのだが、こうして地面に足を下ろして、普段通りに歩いたり走ったりできる状態なら問題は少ない。
短剣に手を添えれば、いつだって暗闇はそこにある。
(そういえば、ひとつだけ良いこともありました)
怒りに染まった彼を見て、怖いと思ってしまったのは事実だけれども。
同時に心のどこかで、「ああ」とホッとしている自分もいた。
彼や他の人たちは、フェリシアをどんな少女だと思ってくれているだろう?
優しく、善良で、好ましい性質の少女だと思ってくれていたら、とても幸せだ。
(……でも、本当の奥底、真っ暗闇にいる私は、皆さんが思ってくださるような人間じゃありません)
フェリシア・オウルロッド。
刻印騎士、〈炎の隊〉隊長、ベロニカ・レッドフィールドの弟子。
あの師匠の弟子がどうしてこんな娘なんだ? と不思議がられるコトは多い。
自分でも、たまにどうしてなんだろう? と首を傾げそうになる。
そんな時、短剣にいつも手を伸ばす。
フェリシアがベロニカの弟子になったのは、ベロニカが優しくて、拾った子どもの世話を責任を持って引き受けてくれたからなだけじゃない。
(──そう。私の中にも、復讐心はある)
他人には言えない嫌な気持ち。
好きなひとには知られたくないし、親しいひとたちにもずっと誤解されていたい。
なのに、そんなフェリシアが彼にも自分と似たようなところがあるのだと知って、薄暗い喜びを覚えるなんて。
(こんな呪文を毎日毎日、片時も離さず刻み続けると決めた私が……)
ほんとうに、なんて分不相応なのだろうと思う。
でも好きなのだ。
それと同じくらい、この感情も嘘ではない。
何の変哲も無い短剣は、フェリシアにとって忘却を禁じた象徴。
「Girrrrrrrrッ!」
ふと、空気の揺らぎ。
デモゴルゴンが無防備なフェリシア目掛けて、爪を振りかぶる。
それを、フェリシアはするりと躱して、短剣で斬り払った。
「Giyaaaッ!?」
「GAaaaaaaaaaaッ!!」
「Bururaaaaッ!!」
「Shurrurururuッ!!」
仲間がやられたのを察知して、さらにデモゴルゴンが襲い来る。
フェリシアはこれも同じように、するりと隙間を縫って魔物を絶命させた。
最小限の身体駆動で、闇のなかを斬り裂き、抉り、突き殺す。
多少目立つ行動だったが、戦場の喧騒ゆえか生来の愚劣ゆえか、女怪はまだフェリシアに気が付かない。
背後を取ったアドバンテージは、依然としてフェリシアの手元に。
だったら、話は簡単だ。
駆ける。駆ける。駆ける。駆ける。駆ける。
雪の上の歩き方、音を消して走る方法はハイランダーの父から教わった。
母にはびっくりするからやめなさい、とよく叱られた。
ただ普通の、人間に出来るやり方で、フェリシアは半解除状態の〈領域〉を駆けて、跳ぶ。
「──え?」
振り返り始める女怪。
こんなに近づいて、ようやくフェリシアに気がつく。
間に合うか。
一瞬不安になるが、幸いにも間に合いそうだ。
刻印魔法に詠唱は必要ないから、フェリシアは別の言葉を吐き出していた。
「死ね」
心のなかで、誓うように呪文を呟いて。
“
それが、フェリシア・オウルロッドの刻印魔法。
短剣に触れたモノ、斬ったモノにドス黒い闇を押し付ける混じり気なしの呪い。
背中から
「オマエはもうッ、二度と目を開くな……!」
「ァ、ァァアアアアアアア──ッ!?」
視力を奪う。
およそ視覚にまつわる全機能を喪失させて、全き闇に叩き込む。
もう二度と、二度とデモゴルゴンの邪視が、大切なひとをバケモノに変えないように。
フェリシア・オウルロッドには、憎悪があった。
黄衣の女怪に必ず復讐を遂げるという、深い憎悪が。
──邪視の〈領域〉は、
「アアッ! イヤアアアァァァァアアァァァァァアアァァア──ッ!」
その主の醜い悲鳴とともに、完全に崩壊し消滅した。
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──
大地の異変は、浮遊島にも影響を及ぼす。
ゼオメイガスの〈領域〉は、下から突き上げる炎の柱に焼かれるようになった。
堕ちた大魔法使いが夢に描いた理想の学び舎。
それはまるで、夜でもないモノが空を塞ぐとは身の程を知れと言われんばかりに下から貫かれ、大きく均衡を崩す。
燃えていく学園島。
そこには無数に近い化け物馬と蝗龍の死骸が斃れ伏し、臭害で満ち満ちていた。
肉が焼ける匂いも混ざり、コールタールのような異形の血が蒸発するジュウジュウという音もする。
ガラガラ崩れていく美しい学び舎。
「……」
「……ここまで、か」
ゼオメイガスは、宙に浮いたままグラディウスを見下ろしていた。
決着はまだ着いていない。
しかし、戦いを続行するには憤怒の剣は老いすぎていた。
スレイプニールとグラトロンを鏖殺し、ゼオメイガスも残りひとり。
無限に近い増殖分裂も魔力に限界が来ていて、これ以上は数を増やせない。
そこまで追い詰められた。
だが、グラディウスもそこで体力の限界が生じていた。
不撓不屈の鋼。
刻印魔法による回復が、速度を落としている。
それが意味するのは、魔法使いならば火を見るよりも明らかだった。
「……魔力切れだな」
「……」
「……ここで我を討たねば、二度とチャンスはあるまい」
人間の魔力は有限だ。
ゼオメイガスの魔力も、今ならば尽きかけている。
しかし、時が経てば魔物の魔力は戻る。
いいや。むしろ、時を経れば経るほどに魔力の最大量は増えていく。
グラディウスも、それは承知している。
肩で息をして、ようやく呼吸を整え、老雄は小さく頷く。
「だろうなぁ……でも、それは俺がオマエをぶっ殺すチャンスだろ?」
「……なに?」
「俺に無理だったとしても、俺以外のヤツなら話は別だ」
「世迷言を……!」
ゼオメイガスは怒る。
二度に渡る転変は、ただ憤怒の剣へ復讐を果たすため。
それ以外の英雄など知らない。
それ以外の決着などまったく欲しくない。
「我を討てるのは貴様だけだ……! 貴様だけが、我が宿怨なのだ……!」
「……ったく。とんでもねぇジジイに目をつけられちまったぜ」
「年老いたのは貴様のほうであろう! さっさと立ち上がれ! まだ魔力は残っているはずだ……!」
「最後の残り火まで、テメェに注ぎ込めってのか?」
「そうだ! そうするべきであろうが……!」
ゼオメイガスは吼え立て、腕を振り乱して虚空を殴る。
「ここで我を逃せば、我は下にいるモノどもを殺すぞ!」
「……うるせぇなぁ。さっきから、俺に殺されてぇみてぇなコトばっか言ってやがるぞ、テメェ」
「違う! 我は……我はただっ、全盛の貴様を殺してこそ……っ!」
復讐を遂げたかった。
魔法使いとしての意地と誇りだけ。
なのに現実は、人と人ならざるモノとで明確に命運を分ける。
「……我は、あの日の貴様と戦いたかったのだ……だが」
「……」
「貴様はもう、何処にもいない……」
大魔法の発動を停止し、異界の門扉を解錠。
ゼオメイガスは、去る。
「然らばだ。憤怒の剣、だったモノよ」
「……」
「我はもう、何も求めぬ」
大魔はそうして、姿を消す。
宙に放り出された老雄は、「好き勝手言いやがって……」と愚痴った。
高度からの自由落下で、人は死ぬ。
魔力を少しでも残しておこうと思うのは、グラディウスをして当然の思考だ。
「俺がもう戦えねぇだと? 勝手に諦めて、勝手に消えてんじゃねぇよ」
オマエは俺が殺してやる。
老雄の戦意は、まだ燃えていた。
ただ、いまは少しだけ、ガタの入り始めたカラダを休める時間が必要だった──
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tips:崩壊と壊滅の巨人王宮
外の戦場で、大魔たちが次々に姿を消していく頃。
ターリアもまた、英雄と大悪魔の戦いに耐えられず、崩壊が始まっていた。
山王の間は地割れのようにひび割れ、天井は落下し、壁はパラパラと破片を零しながら悲鳴をあげる。
そんななか、英雄は内なる運命共同体の声に否を告げていた。
異界の最厄地、エル・セーレンの王を倒した時と同じように、鯨飲濁流の分身を倒せばいい。
理屈の上では賛同していた。
だが、それは耐えられない。
ヴィクター・C・グレムリンから存在力を奪うのでさえ、本音を言えば避けたかった。
不倶戴天の敵と同化するようなものだ。
たとえ秘紋が解体し、分解し、ただの霊的真髄に変換するのだとしても、そんな勝ち方はしたくない。
他に手が無くなってから採択する最終手段である。
英雄にはまだ、打つべき一手が残っていた。