ヰ世界の歌 夜明け前のダークエルフ 王道硬派な大河ファンタジーの世界で一歩から始める人外愛譚 作:所羅門ヒトリモン
ゼノギアが『鉄鎖流狼』と戦いを開始した。
時同じくして、ララヤレルンの北東部郊外では強者同士による衝突があった。
闇の公子の紋章を掲げ、ネルネザゴーン軍はララヤレルンへの侵攻を試みる。
なかにはヒトガタとも言えない異形も混ざり。
いや、大半が化け物然とした化け物でしかなく。
一見して獣。
理性なき魔物と怪物の群れ。
統率の取れた〝軍〟とは、到底思えない陣容でありながらも。
東境の大峡谷から、魔軍ははるばるララヤレルンへ牙を伸ばしていた。
黒詩の魔女の存在によって、ララヤレルンでは実質的に〈異界の門扉〉が封じられている。
そのため、ネルネザゴーンは〝ララヤレルンの外から〟包囲侵攻を開始するしかなく。
結果的に、大公国領の外縁部や都市郊外が戦場となった。
迎え撃っているのは、群青色の布地に漆黒の両刃斧。
ララヤレルン大公の紋章を掲げたララヤレルン軍。
さらにそこに、連合王国からの応援。
三叉槍の紋章と、銀冬菩提樹の紋章それぞれを掲げたトライミッド・リンデン軍。
黒地に翠の装飾。
今現在は
新生メラネルガリア軍と、幾つもの同盟側戦旗が雪風にはためいている。
凍てつく真冬。
吹く風も肌を刺し、降り積もる雪と氷は足を絡め取る。
──然れど。
両陣営のぶつかり合いには、異常なまでの熱気が孕まれていた。
当然である。
片や、常識を超越した魔軍。
人間の価値基準では『限界』を計ることなど出来ない魑魅魍魎にして悪鬼羅刹。
外見がヒトガタに近い兵でも、アンデッド化やデモゴルゴン化によって、北方大陸の厳しい気候や自然にも耐性を獲得している。
加えて、複数の大魔から浸透的な圧力を受け続けたコトで、その精神や行動原理は変異していた。
吸血鬼の王のように。
醜魔の女王のように。
性悪説の人狼のように。
魔軍の大半は、個としての自我など薄れて、ほとんどが大魔の破綻した精神に影響を受けていた。
だからこそ、腐り果てた性根のままに悪辱を為そうとする。
一方で、同盟側もここを敗北すれば後は無いと知る獅子奮迅にして背水の陣。
外見が単なる人間、脆弱な一般兵であろうとも、死兵となる覚悟で戦場に臨んでいる。
加えて、異なる種族同士、異なる国同士での古代以来の結束。
霊薬という回復手段を手にしたことで、異様とすら言える域で士気を上げて、命を燃やしている。
さらにさらに。
戦場がただの〝人間VS化け物〟の構図でもない点。
ララヤレルンからは自律型蒸気機械兵器が投入され、ともすれば敵と見間違いかねない白嶺の魔女の死霊さえもが、ともに戦っている現実。
同士討ちを避けるため、おおよその死霊たちは地中──否、雪中を移動して敵の背後に回り込み、現在は挟撃の形でネルネザゴーン軍を攻撃していて。
人界同盟軍は。
ハッキリ言って。
「──ハ」
「ははっ」
「ハッハッハッ!」
奇妙な興奮と笑いを得ていた。
本来なら、普段なら。
忌むべき魔物とともに、協力して戦いに臨むなど。
ともすれば恐怖に身がすくんで、拒否していただろう。
ふざけるなと悪態すらついたかもしれない。
だが、どうだ?
強大な力を持った英雄……
恐るべき力を持った化け物……
人ならざるモノが人間とともに在る時、こんなにも頼もしく心強い存在と化すなど!
人間である彼らは、思いもしていなかった。
ゆえに、万軍の助勢を得たような感覚で、同盟軍は困惑不可避の奇妙な興奮を覚えて──笑っていたのである。
そこには、既存社会で育まれた常識や倫理観。
これまで大切に育み続けてきた良識と照らし合わせて、氷柱に爪を立て擦るような〝後ろ暗さ〟もあったものの。
戦争という特異な状況下が、幼少期にはじめて火熾しに成功した時と同じような速度で、熱狂を膨れ上がらせていた。
「──我ら、群青卿の兵なり!」
「──我ら、人界同盟の軍なり!」
「──我ら、たとえ英雄ならざるとも……!」
「英雄と
白雪を汚す流血と汚泥。
前線はもつれ合い、人魔入り乱れて動乱は激しく。
その熱気は、次第に戦場一帯の雪を溶かし、足元をどろりとした
泥濘みはやがて、尖り兜山の麓。
北東部の郊外部にて、最も大きな熱気の滞留区画も露わにする。
そこは未だ、復興途中の廃墟エリアであり。
もともと避難するべき住民も、大していなかった。
それがゆえに、しばしば東の方角からやって来た
言い換えれば。
低脳のカスであっても、ララヤレルンに侵入しやすい『経路』と繋がっている。
ならば、ネルネザゴーン軍の将帥からすれば、戦力を集中させて敵陣の突破を試みるには、最適と言える要所だった。
ゆえに──必然と強者が集う。
戦線の要局を察知し、見抜き、把握できる能力と。
敵側の猛攻に対して、純然たる武力で以って対応できるだけの力を持つ者が。
ララヤレルン防衛戦線。
最初にして最大の戦いは、北東部に聳え立つ
まるで、両陣営を二分するかのごとく伸びた断崖の巨影を浴びて始まった。
すぐ隣、いや、すぐ後ろでは。
第五世界の怪神が、ララヤレルンの中心で巨大な爪を振り回し。
空も山々も、神話の戦いがごとくして泣き叫び、崩れていく。
だから、スレイプニールやグラトロンの撃ち漏らしが無いのは、同盟側にとって非常にありがたかったが。
余波は、甚大だ。
文字通りの天変地異だ。
雪崩も起こる。
地滑りも起こる。
瓦礫も崩れる。
時には巨大な肉片が、悪趣味な冗談のようにして落下し大地を鳴動させる。
ただの〝巻き添え〟で、誰がいつ何処で死んでも不思議は無い。
──そんななか。
「ったく……また槍使いなワケ?」
「気をつけて、セラス。アレはたぶん『グリムびと』よ」
メラネルガリア軍の指揮官。
黒曜石家の双子姉妹は、翻る数多の戦旗と同じように白髪をたなびかせながら。
敵軍から単騎、突出した強さを見せる存在に、自然と意識を吸い寄せられていた。
「……凄まじい槍技だな。アレが、例の悪逆現象か?」
その横には、ウィンター伯もいる。
トライミッド・リンデン軍を率いて、美貌の伯爵もまた二人と同じく戦場の『枢要』を感得したのだ。
三者はそれぞれ、騒乱と熱狂に包まれた戦場のなか。
友軍同士で、意図して構築した『前方指揮所』で騎馬している。
陣頭指揮を執り行うと言っても、前線は目と鼻の先であり天幕すら立てられてはいない。
動乱と混乱の激しい現状では、あくまで機動力を保ったまま臨機応変に敵軍の動きに応じる必要があるからだ。
実際、あまりに前線に近すぎるため、流れ弾すら時々飛んできている。
仲間の盾や魔術による障壁。
そういったもので、三人は辛うじて守られていた。
ウィンター伯の質問に、姉妹が同時に首を横へ振る。
「違うわね」
「でも、同じくらいには危険かもしれないわ」
「そうか……では、セラスランカ殿に頼らざるを得ないか?」
「アレの相手をできるのは、私しかいないでしょうしねっ!」
言うや否や。
セラスランカは仮初の安全地帯から飛び出し、馬を駆って敵のもとへ突撃した。
あまりにも早い即断即応だった。
「なっ、いいのか!?」
「よくないわね。でも、リンデン公」
「っ……!」
「貴方の言った通り、ここは私の姉に出てもらうしかないの」
冷静なティアドロップに、ウィンター伯は険しい顔になりながらも数瞬を置いて頷く。
「分かった。では、私は周囲一帯の有象無象を受け持とう」
「……いいのかしら?」
「フっ、構わないとも。なにせこちらも、敵からすれば有象無象だ」
城塞都市リンデンの主は、賢明な判断で最適解を選択する。
尋常人の枠を出ない戦力は、
英雄と大魔の戦いを知ればこそ、それは当然のサポートでもあった。
無駄にしゃしゃり出たりはしない。
「西の森……たしか、
「……新手? 大丈夫? そっちには、強そうなのは?」
「現状はロータスの手に負えるレベルと報告を受けている」
心配というよりかは、冷徹な戦況把握といった様子のティアに対して。
ウィンター伯も余分な感情を削ぎ落として、迅速な事実を回答をする。
が、言った後でさすがに少し苦笑した。
「安心してくれ。うちの古株の刻印騎士だ」
「刻印騎士……だったら、任せられるわね」
「ああ、問題ない。そのために、私たちは来たッ!」
言うと、先ほどのセラスランカを彷彿とさせる瞬発力で。
宣言通り、〝周囲一帯〟を相手どるために。
「……」
その背中を、ティアドロップはわずかに見送った。
瞬く間に〝指揮官はひとりだけ〟の状況になってしまったが、心細さは感じる暇も無かった。
ただ、ほんの一秒だけ。
他種族との協力に関して、奇妙な感慨を得ていた。
メラネルガリアは長年、鎖国を続けて来た。
まだ年若い世代にとっては、巨人やエルノス人との交流は未知との遭遇に等しい。
ゆえに、少なくない疑念もあった。
もともとダークエルフは、迫害の歴史を持っている。
故郷を同じくする巨人ならともかく、エルノス人の腹の内はどんなものか分からない。
ララヤレルン防衛にあたり、城塞都市リンデンの領主がともに指揮に立つと聞いたとき。
ティアドロップは疑わずにはいられなかった。
なぜなら、リンデンは崩壊している。
ウィンター伯とラズワルドの間には、確執のような糸が張り詰めているようにも思っていた。
だから、ウィンター・トライ・リンデンライムバウムは。
この戦争の最中、ララヤレルンを敢えて窮地に陥れるために、名乗りを上げたのではないかと。
リンデンを壊滅させられた恨みを、ラズワルドとララヤレルンに意図してぶつけるつもりではないかと邪推していた。
しかし、美貌の伯爵は〝ちゃんと〟戦っている。
メラネルガリアほど、ダークエルフほど、陰湿ではない。
「……まったく」
戦いが始まる前、彼は言った。
──鉄鎖流狼が来るのなら、今度は私も最初から全力で守りたいんだ。
リンデンだろうがララヤレルンだろうが、関係ない。
これは『領主』としての意地であり、『統治者』としての復讐であり、『貴族』としての誇り。
──あの日、彼を責めるコトで自らの失態から少しでも目を背けようとしていた自分を……いいかげん、許してやるためにも戦いたい。
その言葉は、かつて貴族なんてクソだと思っていたはずのティアドロップをして、無性に共感できてしまう在り方だった。
いつの間にか自分も、すっかり貴種としての自覚に包まれていたらしいと。
ティアドロップは「やっぱり十年って、短くはないわよね」と納得した。
(なら……)
背中は、預けよう。
今はともに、人界同盟軍というひとつの共同体。
ウィンター伯率いるトライミッド・リンデン軍には、ネルネザゴーン軍の吸血鬼化兵や醜魔化兵を担当してもらう。
ララヤレルンの死霊やワポルマキナ、少ないながらも職業戦士たちの戦力もあれば、有象無象はどうにかできるはずだ。
「──となると、必然的に私たちはキッツイほうを請け負うコトになるけれど」
妹は、姉の背中に視線を移す。
周囲には、同胞。
信頼できるダークエルフ。
「やるわよ」
ハッ! と。
ティアドロップの声に、すかさず気勢を吐く精鋭たち。
メラネルガリアは、ダークエルフは、たしかに落ちぶれた。
しかし、いくら落ちぶれたからと言っても。
エルノス人の平均レベルに比べれば、ダークエルフはスペックからして差がある。
いま、こうして生き残っている同胞たちが、かつて同胞同士で底辺のレッテルを貼られていた下層民だとしても。
物心ついた頃から魔術が側にあり、強さだけを至上の美徳として、頭のおかしい教育を施されてきた。
その事実だけは、覆らない。
国が、文化が、価値観が、やはり今にして振り返っても常軌を逸していたのだから。
ティアドロップは、堂々たる将──『軍師』として拡声の魔術で敵へ問うた。
「〝我が名はティアドロップ・オブシディアン!〟
〝そちらに向かう巨猪がごとき白髪鬼は、我が姉セラスランカ!〟
〝この戦場でオマエたちを相手どる、最強の智慧者と武辺者と知れ!〟
〝メラネルガリア貴石貴族、『
〝しからば──そちらも名乗ってから味わうがいい!〟」
直後だった。
セラスランカと槍使いが武器を交錯させ、ただでさえ刺すような冬の大気を。
完全に──刃へと変える激突をした!
冴える。冴える。
冴え渡り、冴え冴えと!
両者が交わす剣戟と槍戟は、熱狂の戦場をそこだけ心胆寒からしむる凍獄へ削り上げていくようだった。
氷の塊を、
「チィ──!」
数秒後。
ティアドロップには分からなかったが、セラスランカが敵に何らかの遅れを取ったのか舌打ちとともに大きく
すると、敵の槍使いは呼吸も乱さずに、戦場の
戦の作法を遵守した。
「〝強き女よ、賢き女よ〟
〝その蛮勇と驕りに、敬意を表し教えよう〟
〝我が名はネメオン……『白眉のネメオン』〟
〝この魔軍の将帥職を預かる者であり……〟
〝古くはオマエたちが、『第八世界人』と呼んだ者〟」
「「!」」
相手の拡声方法は、魔術ではなかった。
しかし、魔法でもなかった。
何かしらの道具を用いているワケでもなく、ただ喉の使い方を変えているだけのようだった。
「〝そして、かつての〈崩落轟〉の生き残りであり〟
〝オマエたちにとっては、
〝つまりは、〈
グリムびと。
いとあやしき、グリムびと。
魔界で生まれ、魔界で育ち、魔界の法理とともに存在した人間。
だがその姿と肉体の機能は、魔物に近く。
月の瞳は、言っていた。
ネルネザゴーンとの戦いになれば、グリムびとも出てくるだろうと。
──彼らは、天性の『魔人』だよ。
声に魔力を乗せて、その音を拡げるくらい。
ごく普通に、当たり前の身体機能として備え持つ。
それが有する意味は、ただ声を発するだけで『堕ちた大魔法使い』と似たような超常現象を起こせるというコト。
魔人──魔人!
それは、双子姉妹が恋しく思っているプリンス。
群青卿、メランズール・ラズワルド・アダマスの最強形態にも通ずる存在を意味する。
魔女化は魔法の極みとも言える変身。
闇人化は魔術の極みとも言える変身。
どちらをも同時に行うコトで、ラズワルドは魔人化を可能にした。
では、『魔』を極めた先にあるのが、『魔人』という意味にはならないか?
灰色の肌、黒く尖った耳先、両側頭部から湾曲した捩じれツノ。
人界を避けると云う
「〝錬金術師を差し出すがいい〟
〝然れば、その命までは取るまい〟」
「なん、ですって?」
「コイツ……」
どれだけ魔的で、妖しい貌をしていても。
なのに、大魔の圧力には耐性があるという、ここに来て開陳されるには恐ろしすぎる敵の手駒だった。
「〝無論、断れば押し通るのみだ〟」
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────
──
「天性の魔人、ね?」
グラトロンの壁を引き続き撃ち落としながら、俺は投影される戦線の状況に知らず知らず呟きを漏らしていた。
その声を、フェリシアが耳敏くキャッチする。
「第八世界人であるグリムびとは、エルダースでも謎が多い種族です」
「ああ。そもそもが、ネルネザゴーンにしかいないって話だろ?」
俺もこの世界で、隙を見ては様々な書物や文献を読み漁ってきたクチだが。
グリムびとの所在と詳細に関しては、決まって〝
「巨大彗星の衝突によって、各円環帯の異なる理が中つ星に混ざり合ったとき、八番目の理で最も深くて濃い部分は、大峡谷を作った」
荘厳なる銀嶺が、第五世界の理を強く残していたように。
北方大陸の東境には、第八世界の理が強く残ったのだ。
「『解体神書』と『壊れた渾天儀世界』ですね」
「ああ」
フェリシアが有名な本の
どちらも、この〈渾天儀世界〉を識るのに非常に便利な参考文献だ。
前者は世界神エル・ヌメノスの創世神話。
また、エル・ヌメノスを信仰する旧世界宗教〈渾天儀教〉について、詳しく概要を補足するもので。
後者は宇宙誕生から天地開闢、未曾有の彗星大災害、世界が変わってしまった原因とその影響について語る新釈世界論の入門書。
ヴォレアスの書棚にもあった。
「魔界における人間。それは言うなれば、エルノス人がエル・ヌメノスの子どもたちに創造されたって神話と同じで」
「グリムびとは、第八の神が創造した種族とされていますね」
「要は魔物たちの楽園だっつぅ世界で、魔物をベースに創り出された人間だよな」
だから、魔物じみた能力も持っている。
ベアトリクスやヴァシリーサが、魔女として本能レベルで魔法の知識と技に優れるように。
鯨飲濁流が吸血鬼として、不死性や怪力、変身能力を持つように。
その魔物が核とする
どうやらグリムびとの場合、それは他種族とは異なるレベルでの魔力運用のようだが……
「見た感じ、普通に戦闘能力も高そうだし、まだぜんぜん大した芸当はしちゃいないって顔だな」
推定鉄鎖流狼と戦い始めたゼノギアも気になるのに、なかなか強敵っぽいヤツが出てきている。
仮にこのネメオンってのが、俺と同じくらい法外な能力を持っているなら、そんなのは確かに魔人と呼ぶ以外に相応しい呼び名が無い。
俺がセラスとティアたちの身を案じていると、フェリシアがふと、思ってもいなかったところに言及した。
「──たしかに、先輩の言う通り何が出てくるか分からない敵ですけど……」
「どうした?」
「いえ、気のせいかもしれませんが……このひと、輪郭が少しズレてませんか?」
「……ズレ?」
言われ、俺も改めて輪郭を確認する。
すると……
「……ラグ、か?」
情報体に特有の、ホログラムの崩れにも似た〝輪郭ズレ〟が。
たしかに、白眉のネメオンの端々に生じていた。
恐らく、月の瞳の
しかし、そうなると問題は。
「コイツ……情報体なのか? だとしたら」
「どうして、こんなに情報の密度があるんでしょうか?」
肉声もハッキリしている。
まさか、メレク・モルディガーンと同格の現象存在なはずはない。
「『白眉のネメオン』なんて、俺たちはまったく知らないぞ?」
「〈目録〉にだって、載ってません」
ネメオンが本当に、名乗りの通りに第八世界人ならば。
グリムびとという自己紹介が、本当に正しい申告ならば。
これまでこの星の歴史で、ほとんど表舞台に上がってこなかった事実がある以上。
知名度が無いのは当然であり、霊脈に堆積する記録も少ないはず。
なのに、どうして情報体のようなラグがあるのか?
「…………」
答えは、恐らく月眼=ムーングラムによる何らかの策略に違いなかった。
俺はとりあえず、ララヤレルンにいるヴァシリーサに念話を送る。
愛する使い魔の精神状況は、極めて危険な様子だったが。
声をかけると、恐ろしいほど不気味に落ち着いた返答があった。
『──なぁに? ラズィ』
俺は、差し当たってテレジアとホムビヨンの安全を確保するコトと。
いざとなれば、タイミングを合わせて門扉を開けるよう頼んだ。
そうこうしているうちに、グラトロンの肉壁が分厚さを増す。
「先輩ッ」
「……俺の視界を塞ぐのが目的か」
門扉解錠による空中ショートカット。
フェリシアのトップスピードを維持したまま、可能な限りネルネザゴーン到着を早めるためには、俺は絶えず東の空への視界を確保していなければならない。
単純だが、またしても実に効果的な妨害だった。
だが、
「何度も言わせるなよ……どうせ視てるんだろ? ──押し通るッ!」
冬至の七神から、空を飛べる
星霜の夜梟を前方に先行させ、〝冬の夜空〟という環境を作り出して強制的に道を開ける。
もちろん、押し除けられても両翼から、即座にグラトロンの群れが戻ろうとしてくるが。
「少し無理をさせるぞ──"
そこは、白緑の蛇を召喚して両サイドに壁を作ってもらった。
もちろん、空を飛べるヤツではないので、アイスグリーンの雪氷壁は作られた端から重力に従って落ちていく。
よって、俺は少し上空から第二冬至を召喚していた。
二体に分霊化させての無茶振りなので、大した壁にはならないだろうが。
北方大陸に七つあると謳われた冬の姿、その一角たる雪渓と氷瀑の壁落とし。
グラトロンの群れは、巨大な弾頭台の刃を浴びるかのごとくして、ある種、ドミノ倒しにも通じる絵面で〝遮断〟されていった。
フェリシアがぞくりと、恍惚に震えかける。
「ああ──冬が心地良い──」
否、それはフェリシアの裡に潜む
なんにせよ、神性が励起したのなら、フェリシアの速度はさらに上がる。
ネルネザゴーンまで、止まるつもりは一切無かった。
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tips:リンデンの生き残り
ティアドロップ・オブシディアンが、エルノス人との共闘に『感慨』を得ていたように。
ウィンター・トライ・リンデンライムバウムもまた、ダークエルフとの共闘に思うところを得ていた。
「──キツいな。自分の過ちを、こうして突きつけられるのは」
「そうテメェを責めるなよ、ウィンター」
「口の利き方に気をつけろ、ジャック」
「ひどくね?」
オレ、いま慰めたよね? と。
リンデン公の隣で、銀冬菩提樹の紋章を印したマントの騎士長が「アレー?」と釈然としない顔をする。
その後ろでは、フライパン従者のアレスが「フケー罪で死ぬよ! ジャック!」と気を揉んでいた。
ルカ・クリスタラーがロアで、連合王国の首脳陣を守る魔法陣を展開している以上。
ララヤレルンの援軍に駆けつけたトライミッド・リンデン軍で、ウィンター伯の近衛となるのは自由民上がりのアゴヒゲでしかなかった。
その周囲には、無論、正規のリンデン兵や年輪騎士もいるが。
ただ剣の実力を以って『騎士長』の座を掴んだ男に、彼らは一定の敬意を払っている。
敬愛する領主への気安い口調には、青筋を浮かべてピキピキしているものの、現場での指揮系統に乱れをもたらさないため、今ばかりはハーフエルフを咎める者もいない。
そして、そんな余裕も乱戦の最中では、ほとんど無かった。
トライミッド・リンデン軍は、ウィンター伯を守るための本陣を必死に維持しながら、抑えるべき戦場を的確に駆けていく。
今は、西の森を目指していた。
「後悔なんざ、いくら繰り返したところで心の健康には良くないぜ」
「かと言って、貴様ほど軽佻浮薄になるのも問題だろう」
「ハッ! そうかい? 悪ぃね、ロクデナシなもんで」
「そうやって、プリンス・レオナルドの死にも向き合わないつもりなのか?」
「オイオイ、そりゃぁねえだろ」
ジャックは「参るわー」と馬上で天を仰ぎながら、ウィンター伯に返す。
「オレだって、傷つく心はあるんだぜ? ウィンター」
「どうだかな」
「ちぇっ、イマイチ信頼がねーぜ。日頃の行いのせいか?」
でもよ? と。
リンデンの騎士長はその時、目を細めた。
「それでも、後悔ばっかしの人生はシケてやがるぜ」
「……」
「後悔ばっかりのオレが言うんだ。あの日〝
「オナニーってなんだ?」
「ガキは黙ってろ」
アレスの「なんだよもー!」という態度に、ゲンコツを振り翳してジャックは黙らせつつ。
意外にも、正確にウィンター伯の内心を見透かしていた。
まさに、言われた通りだ。
リンデンが鉄鎖流狼に襲われた日。
いや、もっとそれ以前から。
ウィンター伯は何度も、ルカ・クリスタラーの口を通して『自由民メラン』の話を聞いていた。
いずれは正式に騎士になってもらいたい、などともよく会話をしていた。
だが、そうはならなかった。
(なぜだ?)
と、ウィンター伯は自分を見つめ返した時、〝偏見があったから〟だと気づいてしまった。
ダークエルフの流れ者。
死者を浮かび上がらせる青い瞳。
信頼できる刻印騎士から、幾度となく評判は耳にしていたのに。
それでも、ウィンターが自由民メランを騎士へと取り立てるコトは無かった。
有能な人材だ。
ジャックを取り立てているコトからも分かるように、ウィンター伯に身分差から来る差別意識は無い。
だが、相手がもしダークエルフでなかったのなら……
本当はもっと、早くに声をかけていた。
自分はそういう領主だったのだと、ウィンター伯は後になって気がついたのだ。
差別も偏見も、自分では無いつもりだった。
実際は違った。
ゆえに、この状況。
メラネルガリアのダークエルフたちと共闘する状況。
後悔は、どうしても避けようが無いのである。
もっと早くに、彼を信じて迎え上げていたら。
彼がこちらを信じて、魔女の力を告白する勇気にも繋がったのではないか?
リンデンの民を悪魔に奪わせたのは、自分なのではないか。
ウィンター伯はそう、自身を責めざるを得ない。
「では、貴様はどうする?」
「アン?」
「後悔で埋もれ、息すらロクにできそうになかったら?」
「──ああ。そりゃぁ、簡単だ」
主君の問いに、騎士長は自嘲げに肩をすくめ、背後からの流れ弾を振り返りもせずに剣で弾いた。
「酒飲んで忘れる」
「は?」
「酒飲んでも、全然美味くねぇくらいシンドイなら。テメェの人生、首を括るしかねぇ」
「自害しろと? ただの逃避だぞ」
「勘違いすんな。首の括り方にも、イロイロ方法はあるって話だよ」
つまり、命を懸けろ。
人生の意義はもはや、その後悔を晴らすためにのみ使うほかない。
それは傭兵上がりの自由民ゆえなのか。
如何にも、シビアで潔のいい人生哲学だった。
「っと、オイオイ。ありゃティバキンか?」
「む?」
「ウィンター。アイツらまで呼んだのかよ?」
そこで、ジャックは西の森のバリケードを顎で指した。
銀色のヘルメットを被った、ティンバーボーンのティバキン。
リンデンの材木事業を一手に担うビーバーの亜人。
戦争に必要な木材物資を、彼らはララヤレルンに用意しに来た様子だった。
バリケードを作り、木盾を作り、荷車や杭、木槍なども作っている。
戦場のすぐ横で。
「……いや、私は呼んでいない」
「ハッ! なら、アイツら『出稼ぎ』か? 思うところあったってか?」
ったくヨォ。
「どいつもこいつも」
「ジャック? うぉーいっ! ジャーックッ! たすけてくれぇーッ!」
「行くぞッ、ウィンター!」
「私が指揮官だぞ、バカめ!」
リンデンの生き残りは、それぞれがそれぞれ命の使い方を決意していた。
西の森には、悪心萌芽に呑まれた小国の犠牲者たちが、最も多く敵として押し寄せている──