ヰ世界の歌 夜明け前のダークエルフ 王道硬派な大河ファンタジーの世界で一歩から始める人外愛譚   作:所羅門ヒトリモン

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#350「ララヤレルンの善き人々」

 

 

 ララヤレルンの戦場で、忘れてはいけないのが湖の存在だ。

 

 凍りついた尻尾湖。

 アイステール・レイク。

 

 北方大陸(グランシャリオ)全体を俯瞰したとき。

 トライミッド連合王国同様、『南部』に位置しているのがララヤレルン。

 

 かつてのメラネルガリアや、〈大雪原〉、永久凍土地帯ヴォレアスなどの『北部』に比べれば。

 そこは豊かなロケーションを持つ景勝地だ。

 

 北西には、凍土に適応した大妖が棲まうと云う『アールヴァル妖精山脈』。

 北北東には、切り立つ崖と峻険な岩肌が目立つ、物珍しい形をした『尖り兜山』。

 西南には獣神のおかげで、年中豊富な木の実が採れる『白貂鼠(カリュオネス)の森』。

 

 そして中央には、北西のアールヴァル妖精山脈から、ちょうどララヤレルンを両断するように南東の方角へ伸びた『アイステール湖』。

 

 凍りついた尻尾の名は、その湖がカチコチに固まってしまった尻尾のような形をしているからだ。

 

 現在は雪豹人(エンシア)の狩猟部族と、彼らが美獣ノタルスカヤマネコを飼い慣らす風習を持つため、〝エンシアン・アイステール〟や〝ノタルスカン・アイステール〟とも親しまれるようになった川状の湖。

 

 斑点槍鱒(パイクトラウト)巨大野牛魚(バイソンピラルク)が棲息し、ララヤレルンでは漁業も営まれる。

 

 一方で、水棲馬(ケルピー)水掻き鬼(アドゥー)などの危険な怪物、怪人類も棲みつきやすく。

 人口の緩やかな増加に伴い、水死者の手(ウォーターハンド)などの小魔も出現を始め。

 

 最近は刻印騎士であるベロニカ・レッドフィールドが、しばしば嬉々とした退治活動に勤しむ姿が確認されるコトでも知られている。

 

 東西を分かつ湖は、基本的に一年中凍っており。

 夏であっても、北方大陸であるがゆえに、水面は薄い氷膜で覆われている。

 

 真冬である現在。

 

 アイステール・レイクは完全に凍りつき。

 表面を分厚く固めるどころか、さらにその上へ大量の雪を積もらせた状態だった。

 

 東と西を繋ぐ唯一の架橋。

 ララヤレルン石橋の橋梁部が、夏に比べれば明らかにその足の長さを短くしているのが、分かっただろう。

 

 夏なんて二ヶ月半しかなく。

 一年を十八ヶ月とする渾天儀暦において、ララヤレルン石橋の本来の橋梁の長さを記憶している者が、いったいどれだけいるかという疑問はあるが。

 

 しかし、いま。

 

 そんなアイステール・レイクは、()()()()()()()()()()()、大事な補給経路となっていた。

 

 実を言うと、戦争が始まる前に群青卿が魔法をかけ、その湖面と積雪の盤石さは、ララヤレルン史に類を見ないほど安心できるものになっている。

 

 何故か?

 

 アイステール・レイクは、ララヤレルンの()()にあるからだ。

 

 長大な湖であるため、正確には北西の端と南東の端は除くが。

 アイステール・レイクがララヤレルンの真ん中を、跨いでいるのは変わらない。

 

 群青卿の(使い魔)のおかげで、ネルネザゴーンからの侵攻は決して()()では起こり得ない。

 そのため、現在ララヤレルンでは、中央に行けば行くだけ安全性が高い。

 

 例外があるとすれば、城館(シュロス)前の大通り。

 そこには『鉄鎖流狼』が出現し、神父ゼノギア・チェーザレが戦闘を開始している。

 

 だが、それはあらかじめ、末端の兵士に至るまで通達されている事でもあった。

 

 つまり織り込み済みであり、城館付近を除いたララヤレルンの中央地帯では、必然的に領土外縁・都市郊外へと向けた補給経路が設置されたのである。

 

 そう──黒詩の魔女が開けた〈異界の門扉〉だ。

 

 凍りついた尻尾湖には、現在、幾つものポータルが〝開いたまま〟で保持されており。

 職業戦士ではないものの、兵站や必要物資の補給などで活躍できる人材。

 

 要するに、商工会や人足協会の人間たち。

 ほか、有志の市民らが門扉に向かって、駆けずり回っている。

 東と西の両側から、彼らは湖の中央ラインに向かって走るコトで、ララヤレルンの『外側』に補給を行っていた。

 

「うぉぉぉぉッ! 運べぇぇぇッ!」

「走れ走れ走れっ!」

「うぉっ!? なんだこの犬橇(いぬぞり)!」

「めちゃ早ぇぇぇぇッ!」

「落とすなよ!? 落とすなよ!?」

「テメェら命を懸けろ! テレジア様の霊薬だ!」

「瓶一本でも落としたら、クビが飛ぶっ」

「ありえねぇありえねぇ……!」

「こんな貴重なモン、手が震えちまう!」

「──それでも運べ!」

「霊薬以外にも、必要なもんは山ほどあるっ!」

 

 門扉の向こう側は、まさしく戦場。

 安全地帯から補給を行っているだけの自分たちが、この程度の仕事もロクに回せないでどうとする?

 

 群青卿のお膝元。

 

 常識はずれの日常には、少しは慣れたつもりだった。

 けれどけれど、彼らは本当の意味でララヤレルンに暮らす意味を、分かっていなかった。

 

 自分たちの領主は、こんなにも恐ろしい敵と戦っているのか──

 

 人界を守る戦いに、自分たちなんかが役立てるコトがあるのか?

 

 門扉越しに垣間見る光景が、あまりに異常識すぎて。

 彼らは震えながらも、しかし、すでにララヤレルンが好きになっているので動きを止めない。

 

 メラネルガリアから提供された獰猛な犬橇も使って、力無き者の精一杯を費やし、ひた走る。

 

 少し離れた空では、見たコトも聞いたコトもない蟲龍が、ヴヴヴヴヴヴッと。

 耳にやかましいほどの翅音を重ね、全身や(アギト)をキチキチ鳴らしている。

 

 ララヤレルンを囲う雄大な山々からは、絶えず雪崩の地響きが伝わり。

 遠方からでも八本の脚を持つのが見て取れる魔性馬が、身を竦ませる(いなな)き声を連続させていた。

 

 大きな音が、怖い。

 天地自然を揺るがすほどの存在が、心底から恐ろしい。

 

 そして、これだけの騒ぎのなか。

 それでも風に乗って耳に届く、敵軍の軍靴や戦線の怒号も。

 

 何もかもが、一般人である彼らには恐ろしかった。

 

 けれど。

 

「ッ……!」

「止まるな」

「動け、動けよ俺の足!」

「歯を噛み締めろ……ッ」

「震えるな膝っ!」

「泣くなッ! みっともない──!」

 

 彼らは皆、ララヤレルンに集まり、ララヤレルンで暮らすコトを選んだ。

 

 最初はただ、他に行き場が無かっただけだ。

 トライミッド連合王国で、仕事を失敗したり人間関係に失敗したり。

 権力者の不興を買ったせいで、居場所を失ったり。

 個別の事情で、どこへ行っても厄介払いされる身の上だったりと。

 

 誰も彼も、似たような過去を抱えてララヤレルンにやって来た。

 

 群青卿ってなんだよ?

 新時代の英雄?

 噂じゃ死霊術を操るって聞いたぞ?

 とんでもねぇ大魔王だとか。

 ダークエルフって大丈夫なのかよ。

 

 母国はえらく、新大公と仲良くしようとしているみたいだが。

 

 こりゃ、テイの良い追放刑だ──と。

 ほとんどの人足や、商人が考えていた。

 騎士や兵士のなかにも、そういうメンツがいた。

 

 しかし彼らは、程なくして知ったのだ。

 

 既存の常識に縛られない『新天地』を目指すララヤレルンでは。

 過去のしがらみも、不当な悪意も。

 すべて置き去りにして、新しい人生を始められるのだと。

 今まで誰にも認められなかった己が、きちんと認められるチャンスを与えられているのだと。

 

 何故なら、ララヤレルンには『未知』がある。

 

 死霊を使った労働力?

 蒸気で動く自律機械?

 東方大陸の野菜や果物?

 カルメンタリス教に頼らない都市の守り方?

 

 未知は、すべてを一歩から切り開いていく努力を要求して来た。

 

 だが、だからこそ、がむしゃらになって掴んだ未知は。

 気づいたとき、不思議なほど居心地のいい居場所を、自分たちに与えてくれたのだ。

 

 ララヤレルンが好きだ。

 

 ララヤレルンでの暮らしが好きだ。

 

「俺たちの街を……」

「私たちの国を──」

「どうして──」

「奪われて」

「たまるものかよ……ッ!」

 

 その想いと熱い魂は。

 当然、アールヴァル妖精山脈でも咆哮していた。

 

 

 

 冬騎士、クリス・クレイコート。

 

 

 

 群青卿の近衛騎士であり、純粋な人間だった頃は『黄土色の騎士』の異名で知られた青年。

 ダァト王族の落とし子の血を引き、ドワーフの血が流れる彼には常人離れした筋力があった。

 外見はニンゲンでも、幼い頃は力加減が効かずに周囲を恐れさせた。

 

 さらには超人の才能もあり、戦場漁りから騎士へと取り立てられた後は。

 

 その実力を疎ましく思った何者かによって貶められ、ララヤレルンには左遷騎士として流れ着いた背景を持つ。

 

 しかしながら、クリスは今現在、主君である群青卿の使い魔に眷属に変えられた。

 

 人界同盟締結のため主君とともに赴いた巨人王国で、命を(なげう)ち主君と主君の娘を守り抜いた結果だった。

 

 七つの冬至(セプタ・ユトラ)の一番目──『泰山雪崩・顎の貪狼』を心臓に宿したクリスは。

 

 いまや、冬の化身。

 伝承と一体化した魔女の眷属。

 

 その能力は、剣を振るえば雪崩を生み出し。

 拳打を振るえば、雪崩と同等のインパクトを起こし。

 雪上を駆け回る速度は、まさしく大顎を開けて命を貪る犬狼の疾駆そのもの。

 

 ゆえにクリスは、アールヴァル妖精山脈の奥深くで、続々と出現する敵軍の〈異界の門扉〉を叩いて潰し回っていた。

 

 ネルネザゴーンの大魔どもは、ララヤレルンの内側に門扉を解錠できない。

 だが、外側ならばいくらでも解錠可能であり。

 

 送り込む兵に際限が無いのなら、出来る限り大量の門扉を設置するのは当然の策。

 

 クリスはそれを、鋭くなった嗅覚で見つけ出しては破壊する。

 ネルネザゴーンの軍勢もろとも、山間部に現れ出でたのがオマエたちの運の尽きだと言わんばかりに。

 

「──オマエたち、誰の許しを得てメラン様の縄張り(領域)を汚すんだ?」

 

 七獣神の霊格は、上位の大魔に匹敵する。

 環境神の最高権能『還元法』も用いて。

 その疾走は、ララヤレルンの北西部を雪崩の大渦へと変えていた。

 

 冬至化形態のクリスは、普段の柔らかな温厚さが嘘のように、獰猛な野生味を漂わせる。

 

 主君への忠誠心も高じて、縄張り意識も強くなり。

 魔女の眷属と化した現在は、ヴァシリーサとの霊的繋がりも強い。

 

 敵の〈異界の門扉〉は、どれも今のところことごとく破壊可能だった。

 アイステール・レイクの南西部では、クリスと同じようにヴァシリーサの下僕(しもべ)が門扉の破壊活動に励んでいる。

 

 然れど、忠犬、番犬、猟犬、猛犬の異名は。

 

 やはりクリスこそに、最も相応しいだろう。

 

 冬騎士クリスは、今やララヤレルンで一番の群青卿の懐刀(ふところがたな)と言えるかもしれない。

 その証拠に、北西部ではクリスの唸り声が響くと、敵がそれだけで恐れや怯みを見せるようになった。

 

 だが、それで終わるクリスではない。

 

 ヴァシリーサからのお願い(指示)で、北西部の山々を駆ける以外にも重要な役目を背負っている。

 

 それは、雪崩を操れるクリスにしか出来ない仕事だ。

 

 ──すなわち、ギンヌンガが暴れるたびに生じる()()への対処。

 

「ギンヌンガ様っ! もう少し加減できませんかっ!?」

「むりだ! ワルいな!」

「も〜〜〜〜!」

 

 ヴァシリーサが開ける〈異界の門扉〉を猛スピードで潜り抜け、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を通り抜けながら。

 

 クリスは同盟の戦線に甚大な被害をもたらしそうな雪崩を、逆位相の雪崩をぶつけることで対消滅させる。

 

 ギンヌンガはとても心強いが、主君と同じであまりに規格外な力を持つために、クリスはむしろこちらの後始末のほうがヒヤッとしていた。

 

 雪崩の他にも、地崩れや地盤沈下。

 味方の軍にたびたび危険が及びそうになっており、それらをクリスは可能な限りカバーしている。

 

 今のところ、それはどうにか〝間に合い〟続けていた。

 

「ヴァシリーサ様が見張ってなかったら、どうなっているコトか……!」

 

 月の瞳ならざるとも、広域に目を張り巡らせるのは不可能ではない。

 黒詩の魔女ヴァシリーサは、ララヤレルン全域に敵大魔の侵入を拒む圧力を掛け続けながら、燈光頭の警備兵(ランプヘッド・シティウォッチ)の動員を以って戦場全体を見守っている。

 

 しかもそれらは、非戦闘員の保護──城館(シュロス)内に避難域を作るための異界維持とも並行している。

 

 魔女の眷属となったコトで、クリスにはそれがどれだけの偉業か分かっていた。

 

(──これが!)

 

 異界の最厄地、エル・セーレンで。

 数多と重なり、数多と犇めき合う異界を、絶えず跳ね除けながら。

 二万人規模の〝お友だち〟を守り続けた恐るべき魔女の力。

 

 暗黒の御伽噺(ダークグリム・フェアリーテイル)は、伊達ではない。

 

 心から畏服し、絶対性に跪いてしまいそうだった。

 

 然れど、魔女に負担がゼロなワケではない。

 如何に鯨飲濁流と同格の大魔であろうとも。

 その心の尊さは、大人が守るべき子どものそれだ。

 

 何も無ければ今だって、クリスに焼き菓子をねだって頬を綻ばせる童女でしかないはずなのだ……!

 

「噛み殺してやる……」

 

 クリスはヴァシリーサの負担を、少しでも減らすために疾走を続けた。

 

 主君の側を、今は物理的に離れていようとも。

 心も魂も、すでに彼とともにある。

 

 主君の娘を守るとは、主君の命を守るも同義。

 

 よってクリスは、さらなる忠誠心の高まりを覚えながら。

 騎士の誓いに、身を捧げる。

 

 クリス・クレイコートは。

 

 間違いなく、騎士道の真ん中を駆け抜けていた。

 故郷では得られなかった誇りを、胸に燃やして──

 

 

 

 

 では、騎士は騎士でも刻印騎士。

 ベロニカ・レッドフィールドは、どうだろうか?

 

 

 

 

 クリスと違って、主君を持たない騎士。

 強いて挙げるなら、人界そのものが仕えるべき主君で。

 

 だがそれは、やはりどちらかと言えば、〝己の定めた信条〟に従っていると言える宣誓(もの)

 

 人界を守る白き盾。

 悪しき魔から、人々を庇護する白騎士。

 魔を以って、魔を穿つ。

 憤怒の剣の背中に集った、魔物退治の専門家のなかでも。

 

 復讐者であるコトを、隠しもしない。

 あくまで魔物憎しがために、千の呪句(イノリ)を重ねた〈炎の隊〉隊長。

 

 ベロニカは愛弟子の件もあって、群青卿に抱く忠誠心などカケラもあるはずがなく。

 

 なのに何故、ララヤレルンを守るために戦っているかと言えば……

 

「ハッ!」

 

 凶悪に歪む、その相貌。

 一番の理由は、言うまでもなく〝魔物を殺せるから〟に他ならなかった。

 

 敵軍のなかにはデモゴルゴンもいて。

 先の同盟会談では、弟子が邪視を追い詰めたと云う。

 

 ならば、詰めの甘い弟子の尻拭いをするのも。

 自分自身の復讐(本懐)を遂げるのも。

 

 こんな初戦では、叶えられるはずもなく。

 

 群青卿がネルネザゴーンに辿り着き、道を繋げた時にこそようやく叶えられる。

 

 ──ならば、ならば……!

 

「これが私の、曲がりなりにも刻印騎士としてのッ、最後の責任だ──ッ!」

 

 ベロニカはひとり、気合いを吐いた。

 不覚だったが、認めよう。

 ララヤレルンでの仕事は、悪くはなかった。

 小さな支部所で、立派になって帰ってきた弟子から小言を聞かされるのも。

 くだらない男たちから、姐さんと妙に慕われたのも。

 

 戦火に身を晒し続けた人生では、他に〝安らぎ〟と言えるような記憶は無く。

 

 穏やかなものが、そこにはあった。

 

 ベロニカ・()()()()()()()()の。

 最初にして最後の人間らしい暮らしが、恐らくはこの時代で最も人間らしくない男の統治下で与えられてしまったのは、まさに不愉快至極と言うほかないが。

 

 人生は常に、ままならないもの。

 

 一時(いちじ)の宿だった。

 鳥が羽を休めるため、気まぐれにとまった(ひさし)

 雪も風もロクに防げはしない、ひどい借り屋だったが。

 

「サボりまくった書類仕事と、領主にツケてカッ食らった飯代に酒代! 耳を揃えて払ってやる程度には、働いてやる──ッ!」

 

 つまり、全力。

 ベロニカがこれまで、ララヤレルンで生命活動を続けてこられた理由の分。

 生きていくうえで当然不可欠であった糧の代価分とは、すなわち命と等価。

 

 魔法使いにとって、魔力とは存在力と同義。

 

 だから、代金を支払う。

 ベロニカは怨敵に残しておくべき魔力を、()()()()()()()()()()()()()()()()、魔法を行使する。

 

 そこは、蜂の巣型の奇妙な機械施設前。

 

 群青卿が巨人王国に赴き、ララヤレルンを留守にしていた間も。

 残されていたララヤレルン市民が、日夜せっせと働き建設と増設を進めていた工事現場。

 

 蒸気加速核(スチームアクセルコア)だとか。

 銀氷蜜蜂(ビーター)だとか。

 蒸気熱集配巣(スチームハイブ)だとか。

 

 ベロニカにはサッパリ理屈の分からない仕組みで動く、蒸気文明技術の雛形らしき小さな結晶たち。

 

 最初はよく、利用しようと思えたなとドン引きした。

 

 マイコノイドの死霊を利用した遠隔通信網の敷設と同様だ。

 エル・セーレンの王が残した土産など、ベロニカからすれば気持ち悪すぎた。

 

 ……だが、日を置いてララヤレルンの民たちを見れば。

 

 ──姐さん。コイツァ、便利ですぜ?

 ──なんでも、雪と氷を食べて勝手にエネルギー補給をして、機体っつうのかなぁ?

 ──ボディを小刻みに震わせながら、飛び回って空気を温めてくれるんですよ!

 ──尻から綺麗な糞もひり出す!

 ──バカっ! ダイアモンドダストっつーんだ! アレは!

 

 それが、受け入れられているのは、ベロニカでも分かった。

 

 職人連中や技術者連中だけじゃなく。

 ベロニカのもとに足繁く通うような、頭の足りない荒くれ上がりどもですら、賢しらに有り難がっていたのだ。

 

 ベロニカが知っているのは、すべてそういう男たちの口から、ギャアギャア聞かされた情報だけである。

 

 けれど。

 

「それで充分だ──!」

 

 蜂の巣型の銀氷蜜蜂(ビーター)ステーション。

 蜂の巣型とはいうが、実際はハニカム構造の全展望監獄(パノプティコン)じみた構造物の名称が、蒸気加速核(スチームアクセルコア)なのか蒸気熱集配巣(スチームハイブ)なのか、記憶に留めるつもりもないから区別もついてはいない。

 

 分かっているのは、それがララヤレルンの都市全域を温める機能を持ち。

 未来のこの国で、多くの人々が暮らしを楽にする国家事業のひとつであるコト。

 

 要は酪農業だとかと一緒である。

 

 だが困ったコトに。

 この蒸気機械構造物は、それなりに土地面積を占有する施設であり。

 稼働している間は少なくない騒音などもあるコトから、どれも都市郊外に敷設される計画らしいのだ。

 

 ベロニカが守っているのは、まだ作りかけの中途半端な二基目。

 

 完成もしていないなら、放置しても良い代物かもしれない。

 

 ……しかし。

 

「Girgirigirigiri!」

「触れるな、ゴミども……!」

 

 不出来なもの。

 未熟なもの。

 足りていないもの。

 

 そういうものでも、頑張っている。

 

 ベロニカは弟子のせいで、見捨てることが出来なかった。

 

 周囲にはダイアモンドダストを撒き散らす、蜂型ワポルマキナ。

 まるでベロニカに感謝をするかのように、()()()()()()()()()()()がネルネザゴーン軍を攻撃する。

 

 群青卿は、未だ知るまい。

 

 ララヤレルンの民は、もたらされた設計図を元にし未来へ歩き出した。

 自分たちの手で掴み取った未来に。

 

「──これで半日以上、かけてみろ……!」

 

 ベロニカ・レッドフィールドは、群青卿にさらなる憎悪を募らせるだろう。

 

 

 

 凶悪に、怒りを張り付ける赤髪橙瞳の火傷顔(フライフェイス)

 

 銀色の軌跡を描き、その周囲を僚機のように飛び交う銀氷蜜蜂(ビーター)

 烈火を撒く女の刻印騎士に、敵の包囲網は「なぜ我々が単騎に押さえ込まれるのか?」と次第に動揺する。

 

 その動揺を、蒸気加速核(スチームアクセルコア)弾丸(バレット)が死神鎌のように刈り取った。

 

 ミツバチたちは極小規模の水蒸気爆発弾を斉射し、自分たちの巣を守っている。

 まだ試作段階のため、大した威力は発していないが。

 人間はいずれ、あらゆるものを自動化させて、危険な労働から解放されるのかもしれない。

 

 だが、今はまだ──

 

「ハッハッハッ、ハハハハハハハッ──!」

 

 ベロニカのような職業戦士が、必要とされる。

 醜魔の群れが、下位の吸血鬼が。

 原型を留めないほどに爆裂し、消し炭も残さない。

 くゆる煙は、爆ぜる戦火の只中で上機嫌に揺れていた。

 

 タバコを咥えた火炎使いは、哄笑をブチ上げる。

 

 その女の喉には、情念の籠もった女夜叉の喜悦が艶めかしく潤っていた。

 しかし、そんなベロニカの口元がしばらくして、不意にいつもの〝への字〟に引き戻される。

 舌の鳴る音を小さく漏らして、

 

 

「チ──生成りめ。仕事を増やすなよ?」

 

 

 オレンジ色の眼光が、城館(シュロス)の方角を一度だけ一瞥(いちべつ)した。

 

 

 

 

────────────

tips:城館のなかで

 

 群青卿の執事、ギルベルト・フォーミュラーは大通りの様子をうかがっていた。

 主人不在のララヤ・シュロス。

 家政機関の長であるギルベルトには、最後まで城館を守る義務がある。

 

 一階のホールで、霊薬を生産し続けているテレジアから、何か城館のことを訊ねられる可能性もあった。

 

 必要なものを必要なときに。

 ギルベルトは城館内のことなら、全て把握している。

 そのため、雪豹人のメイドたちをお嬢様──ヴァシリーサの異界に避難させたあと。

 

 ギルベルトはひとりで、城館内に留まっていた。

 

 何も必要とされるコトは、無いかもしれない。

 しかし、テレジアの労働量は凄まじいものだ。

 執事である自分なら、軽食の準備や軽い休息場所の提供などで、必ずや役立てる時が来るはず。

 

 現状、テレジアがスーパーウーマン過ぎるのと、錬金術のスタミナドリンク? がかなり役に立ち、まだその瞬間は訪れていないが……いずれ限界が来るのは見えている。

 

 そして、仕事内容も求められている役割も、まるで異なる同僚ではあるけれど。

 

 一応、城館内では同期のような存在。

 クリスが外で戦っているのに、ギルベルトが主君へ忠誠を尽くさないのは違った。

 

 テレジアだけじゃない。

 ヴァシリーサだって、世話を必要とするかもしれない。

 飲み物を渡すとか、汗を拭くとか。

 

 どんな形であれ、主人の『家』を守るのがギルベルトの使命だった。

 

「……くっ!」

 

 その使命が、いま危ういかもしれない。

 一階の窓から、大通りの様子が見える。

 

 神父ゼノギアが、〈目録〉に載る大魔と思しい人狼と戦っているからだ。

 

 ギルベルトの印象では、ゼノギアは常にテレジアの尻に敷かれている男性だった。

 丸眼鏡の優男、とよく言われていて、実際その通りの人物だと思っていた。

 誰に対しても物腰が低く、「タハハ」と困ったように笑うのが特徴的で。

 

 主君がかなり信頼しているのが、時に不思議に思えるほど気弱な人に見えていた。

 

(違う!)

 

 ギルベルトには、大魔に立ち向かう勇気など無い。

 人狼が大通りに姿を現したとき、ギルベルトに去来したのは純然たる恐怖でしかなかった。

 今もまだヴァシリーサの異界に駆け込まずに済んでいるのは、きっとカプリから授けられた胆力のようなモノのせいに過ぎない。

 

 一介の執事が、酷い場合だとどうして国のナントカ大臣だとかと、膝を突き合わせて交渉や調整をしなければならないのか。

 

 しかし、そんな胆力も辛うじて、この場に足を縫い止めるだけだ。

 

 ゼノギアは戦っている。

 

 ギルベルトに同じマネは出来ない。

 

 大弓に矢を(つが)えて、神父は信じられないほど勇敢に城館(シュロス)を守っていた。

 心から、ギルベルトは敬服した。

 やはり主君の〝仲間〟と呼ばれる方々は、自分のような一般人とは違うのだ。

 

「っ、ですが……!」

 

 惜しむらくは、敵の強大さ。

 およそ戦闘というものについて、所詮はズブの素人でしかないギルベルトの眼からしても。

 ゼノギアの格は、敵のそれに及んでいないように映った。

 

 ──このままでは、人狼はゼノギアを殺して城館を襲う。

 

 残酷な予感に、ギルベルトが顔を青ざめさせていると。

 そのとき、不意に背後から肩を叩かれた。

 

「ギルベルト」

「うわぁあぁっああ!?」

「驚きすぎでは?」

 

 腰を抜かしかける勢いで、情けない声が漏れた。

 そんなギルベルトに、アルバエルフのダスク・グウェンドリンが不思議そうな顔を向ける。

 

 ちょっと前まで、カタコトでしか喋れなかったのに。

 メラネルガリアからフィロメナというダークエルフの女性が来るや、瞬く間に現代語を修得した古代種族だった。

 

「な、なぜ避難をしていないのですか!?」

「? ギルベルトもしていませんが」

「私はっ! し、執事ですので……!」

「よく分かりませんが、では私はテレジアの友だちだからです」

 

 グウェンドリンは、怯えていない様子だった。

 大通りでは、あの『鉄鎖流狼』が迫ってきているというのに!

 

「怖くないのですか……?」

 

 ギルベルトが思わず訊ねると、グウェンドリンはコクンと頷いた。

 

「私たちは役目を果たすまで、戻るコトはありません」

「役目……? 戻る……?」

「私は海。彼は槍。彼女は船。槍の時は……近づいているかもしれませんが」

「……?」

 

 古代種族ゆえの、何か慣用句的な言い回しなのだろうか?

 ギルベルトには分からなかったが、もしかするとテレジアやフィロメナ女史なら分かるのかもしれない。

 

 とはいえ、そこでギルベルトは「ハッ」と気づいた。

 

「そうだっ、アルステラ様はっ?」

「なんです?」

「アルステラ様なら、ゼノギア様の助けになるのでは……!」

 

 グウェンドリンと同じ古代からのまれびと。

 半龍のアルステラ・レイディバグは、市井のあいだでも〝強い〟と評判だった。

 世界最強の獣であるドラゴンとも、関係がある種族だ。

 ギルベルトが頼りにしたいと思うのは、当然だった。

 

 グウェンドリンは首を振った。

 

「彼女なら、先ほど北東から北南の方角で、空にいるのを見ましたよ」

「空!?」

「? 翼があるのですから、飛べるのは当然です。

 どうやら、ニック・ノタルスカとともに、グラトロンなる蟲龍の一部を相手にしているようですね」

「えっ!?」

「どちらにせよ、彼女を頼るのは無理でしょう」

 

 グウェンドリンは、どうやってそこまでの情報を把握しているのか。

 妙に確信を秘めた断言口調だった。

 

「で、では……ネフィリムのティール様は……?」

「彼は子どもですよ? それに、彼には槍の時が近づいています」

 

 有翼巨人もまた、頼ることは出来ないらしい。

 理由は不明だったが、ギルベルトもティールが子どもらしいというのは把握していた。

 ニックの妹であるニコが、シャーマニズムによる意思疎通を続けているからだ。

 

 子どもに戦ってもらうなど、どうかしている。

 

 まさかそんな物の道理まで、分からなくなるほど動揺しているのかと。

 ギルベルトが歯噛みし、自責的に暗い顔になると。

 

「心配せずとも、ゼノギア・チェーザレはまだ戦いますよ」

「……えっ?」

「彼はテレジアを、決して危険に晒したりしません」

 

 アルバエルフは、またしても自信を持って断言した。

 

「なぜ、言い切れるのですか……?」

「なぜ? ──そんなの、決まっているでしょう」

 

 それとも、現代では男女の在り方は変わってしまったのですか?

 グウェンドリンは、言う。

 

「愛する女を守るため、男性はいつも命を懸けるのです」

 

 

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