ヰ世界の歌 夜明け前のダークエルフ 王道硬派な大河ファンタジーの世界で一歩から始める人外愛譚 作:所羅門ヒトリモン
雨色の外套が、降る雪を受けてわずかに白んでいる。
戦場の熱気は高まる一方なれど、天候はあいにく普段通りの
分厚い
真冬ともなれば、平地部でも薄暗さは増していて。
積もる雪が残酷なほど無垢でなければ、他の超大陸人は現在の刻限を、夜が間近だとすら勘違いしたかもしれない。
びゅう、びゅう。
雹混じりの外気は、やがて肌を刺すどころか抉るような寒さをもたらした。
そんななか、ゼノギアの戦い方は〝見れる者〟に、さらなる悪寒を与える殺戮技巧の連続だった。
「テメェ……! 鬱陶しいぞォッ!」
「──!」
大弓による矢弾の連射。
中遠距離を保ち続ける回避と攻撃。
丸眼鏡の神父は険しく眉根を寄せながら瞳孔を広げ、身体機能のすべてを対『鉄鎖流狼』に集中させている。
敵は大魔だ。
しかも、『鉄鎖流狼』はカラダのほとんどを、鋼鉄の鎧で覆っているにも等しい。
毛皮の代わりに生えた鎖。
いや、皮膚に直接、縫い込まれている鎖。
それらは人狼の意思で自在に伸縮もし、鞭のように振るわれりもする。
そもそも、〈目録〉に記された忌み名の由来も。
鉄の鎖が狼の形で流れ動く、という見たまんまに端を発しており。
リンデンで初めて接触したとき、俺はチェーンソーとレーシングカーを同時に連想せざるを得なかった。
尋常の弓矢では通じない。
マンモス狩猟に使われる大弓と、専用の大矢ですらコイツには無用の長物。
古代では至高の聖具か、英雄の
投影される戦闘景色のなかで、だからこそゼノギアも『矢弾』を撃ち放っていた。
腰の矢筒から、一度に複数を抜き取り同時に番え。
足元の悪条件や、人狼の体当たり、鉄鎖の濁流すらも神業レベルで読み切り、ものともせず。
生成りゆえの人外的膂力。
跳躍力や脚力、怪力を以ってとにかく〝巧く〟動き続け、戦闘を優位に進めていた。
撃ち放たれるのは、
ほか、錬金術によって特殊製造された呪矢の類いを、あれから、ゼノギアは実家の財力にものを言わせてさらにパワーアップさせて製造させていたようだ。
大矢はもはや『大矢弾』となり、獲物の体表を抉り裂いても、なおも止まらぬオート・ホーミングさえ実現していた。
さらに言えば、
「ッ〜〜、クソが! 『毒』なんざ、小賢しいんだよ……ッ!」
「敵の弱点を突くのは、当然の戦略でしょうッ!」
ゼノギアは大矢弾のすべてに、人狼という魔物の弱点である『
いや、塗っているというより、仕込んでいるのか。
特殊製造されたゼノギアの呪矢は、その鏃の内部に錬金術で強化された毒液を蓄えており、着弾と同時に中身を炸裂させる。
そういう種類も、揃えているらしい。
鏃に使われる銀は、ただでさえ人狼にとって猛毒である。
ゼノギアは張り詰めながらも、落ち着いていた。
「清澄な水、陽光石、銀樹の杭。オマエたちの王である吸血鬼にも、弱点がたくさんあります」
「ッ、アァッ!?」
落ち着きながら、猛っていた。
「──退治方法も有名だ! 魔法の水壜に閉じ込める、陽光石の鎖で首を縛り上げる、銀樹の杭で心臓を突き刺す! ならば……!」
「──ハッ!
大矢弾の雨を降らせるゼノギアに、人狼はその場で両腕を下ろして〝四つ足〟になり、ギュルンッ! とうねるようにターンするステップをした。
必然、
毒に蝕まれているとは、まるで思えないスピードとパワーだった。
「多くの弱点があってッ、なお最強ッ! 多くの退治方法があってッ、なお不敗ッ!」
「……!」
「忘れたか、カルメンタリス教! だからこその『闇の公子』だッ! オレ程度に初撃で不意を打てたからって、チョーシこいてんじゃねェぞォォッ!」
声も言葉も、リンデンで目の当たりにした大魔のそれだ。
事実、ゼノギアの大矢弾は最初の一撃以降、まともにクリティカルを当てられていない。
仮にこれが偽物だったとしたら、敵はよほどの策を弄じて真に迫る複製を用意したことになる。
本物なら、普通にゼノギアに勝ち目は無い。
……つまり、状況は本物偽物どちらであっても、ゼノギアの形成不利を示していた。
だが。
「ゼノギア神父、すごいですね……!」
「──ああ」
「いくらヴァシリーサちゃんの圧力があるからって、あそこまで戦闘を優位に進められるなんて!」
フェリシアの感嘆。
それには俺も、心から賛同するところだった。
推定『鉄鎖流狼』は、ヴァシリーサによって大きく能力を制限されている。
己が本質たる大魔法……悪心萌芽の〈
本腰を入れて気を張っているヴァシリーサの目の前。
きっと、今頃は鉛のようにカラダが思うようにいかず、歯軋りも堪えきれない心境だろう。
実際、犬歯を剥き出しにして唸っている。
凄まじいデバフを喰らっている証だ。
「……逆に言えば、それだけのハンデがあって、ようやくゼノギアは戦いを有利に進められるってワケだが……ッ」
「このッ」
もう、何波目かも分からないグラトロンの障壁に、フェリシアとともに対処を続けつつ。
俺は改めて、ゼノギアの〝戦い方〟に意外さを禁じ得なかった。
端的に言えば。
(──ゼノギアってこんなに強かったっけか……?)
と、驚いている。
勘違いはしないで欲しい。
実力に信頼は置いている。
ただ、それにしても今のゼノギアが
(……いや、そうじゃないのか)
俺たちが知っていたゼノギアの戦闘能力なんてものは、特殊条件下における〝例外〟だったのかもしれない。
正確には、恐らくこれこそ本来のゼノギア・チェーザレの
俺たちが知っていたのは、東方大陸の旅で大半が暴走状態だったゼノギアだ。
暴走を始める前にしても、慣れない船旅で神父はだいたいグロッキー化していた。
東方大陸に上陸した後も、すぐに人跡未踏の大樹海というロケーションが舞台となった。
つまり。
(ゼノギアが本来の能力を発揮するには、実はとことん向いていない状況だった──?)
ララヤレルンでは、軽い手合わせなどもした。
しかし、それもあくまで本気──殺意を宿した戦いではなかったし、ゼノギアにはテレジアの目などもあった。
だが、思い出そう。
ゼノギア・チェーザレとは、出会った時にどんな形で現れたのか?
あの旅のあと、本人の口やカプリの歌を通して語られた悲しい過去とは、果たしてどんなものだったか?
今でこそ、ゼノギアはララヤレルンで多くの市民に親しまれる〝ちょっと情けない神父様〟だが。
元は連合王国の教会で、異端審問官とは名ばかりの仄暗い任務に身を捧げる殺し屋だった。
神罰の代行使徒と言えば、聞こえが良くなるのかもしれないが、城塞都市クインティンで生成りとなってから。
ゼノギアは贖罪と称した自罰のため、数々の悪人を死に追いやる任務に身を投じていた。
教会暗部における
俺がリンデンで、
たしかな実力と実績が無ければ、そんな呼び名は与えられない。
そして、何より無視できないのは、生成りとしての異名だ。
(──都市伝説『
魔物と化したゼノギアは、その発生経緯から
(本人のこれまでの
獲物が悪人──人間であったのなら。
「市街地戦闘に長けているのは、当然だよな……!」
ゼノギアの動きは、無人となったララヤの家屋を。
時に盾とし、足場とし、死角として利用し──人狼が破壊した瓦礫の〝舞い上がり〟すらも隠れ蓑として扱い、変幻自在の射角を実現していた。
あるいは、建屋の石壁すら貫く剛矢を放った。
人を殺すための技巧に優れ。
人よりも強大な獣を狩る経験に富む。
まさに、
本調子とは程遠い推定『鉄鎖流狼』は、その〝戦い方〟にかなり翻弄されている。
毒の蓄積、間断無き矢弾の雨あられに、苦戦を強いられている。
彼我の地力の差は、確実にゼノギアが劣っているのに。
それでも、およそ人界、都市部における対悪獣狩猟戦闘において。
ゼノギア・チェーザレは、人間と大魔の圧倒的な格の違いをも埋められる──少なくとも、そう感じさせるだけの戦闘極意を四肢に。
平時には見られない
俺の助けなど、要らないのかもと思わせる確殺空間が構築されていく──!
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────
──
大弓を構え、矢弾を番える。
弦を限界まで引き絞って、狙いを撃ち放つ。
一瞬の判断ミスが、即座に自らの肉体をミンチ状に擦り潰す極限状況のなか。
ゼノギアはもう何度、敵に矢を放ったのか分からないほど、神経を張り詰めさせていた。
「ッ!」
「グゥぅッ、ガァァァァ──ッ!!」
当たっている。
自分の攻撃は、確実に人狼に届いている。
フィールドはこれ以上ないアドバンテージをゼノギアに与え、手にしている武器も的確に敵の弱点を突いている。
ただ、相手はそれでも
攻撃を当て続けているのは、ゼノギアだ。
鉄鎖流狼の攻撃は、一度としてゼノギアに届いていない。
だが、本物か偽物か。
もはやそんな疑惑、瑣事に過ぎなかった。
こうして直面している威圧。
振り下ろされる鎖の威力。
家屋が倒壊し、人々の営みの象徴が轢き潰されて挽き回されて。
積もり積もった大量の雪が、瓦礫と一緒に撒き上げられる威容。
敵とゼノギアでは、前提条件が違った。
攻撃を当て続けている?
──言い換えればそれは、仕留め切れていない証拠だ。
一度として、敵の攻撃は届いていない?
──一度でも喰らってしまえば、こちらはそこで終わってしまいかねないの間違いだろう。
「しぶとい……!」
「ギャハハッ! ギャハッ、ゴフッ! グぼぇ……ッッッ! ぅオルァァッ!」
だから、ほら。
鉄鎖流狼はまだ、ドス黒い血反吐を吐きながらも余裕の笑みを零している!
綱渡りをしているのは、依然としてゼノギア。
けれど、そんな危険な綱渡りを。
「……ッ!!」
「グォっ!?」
決して、無惨な結果に終わらせるつもりはなく。
ゼノギアには、どうしてもここで『鉄鎖流狼』に勝たなければいけない理由があった。
ララヤレルンでメランズールから渡されている
要らないと言ってはいたが、必ず受け取らされたので。
大半は、このときのために必要だと思っていた『呪矢』の製造費用に充てて来た。
いい年して父親にも泣きついて。
一度は家名を捨てて、神の門を叩いた勝手な息子だというのに。
恥も外聞もなく、チェーザレ家の
大貴族の人脈をフル活用し、実家お抱えの職人や錬金術師に無理を言って、特殊な矢弾を作らせ続けた。
ララヤレルンではなく、連合王国で。
だから、この街の人々にもしも知られてしまえば、ゼノギアはさぞやビックリされてしまうだろう。
自分で言うのもどうかと思うが。
──安穏とした人畜無害そうな顔の裏で、あの神父は大量の武器を密輸入していた!
と、いつ事が露見してしまうかビクビクしていたものだ。
まぁ、カプリあたりには早い段階で見抜かれていた気もするが。
結局、吟遊詩人の
え? なんのための準備ですかって?
そんなの、私が鉄鎖流狼を仕留めるための準備ですよ。
決まってるじゃあないですか、タハハ。
バレたらバレたで、そんなふうに白状する心の用意もしてはいた。
どうして? と疑問を繰り返されたら。
ゼノギアはいつものように、眉尻を下げて。
もう、すっかりクセになってしまっている『困り顔』を晒すしかないと思っていた。
(あと──もう少しだ。あと、もう少し!)
「そらそらどうしたァ!? 矢の数が減ったんじゃねェのかァッ!? まさか、そろそろ打ち止めって言うんじゃねェよなァァッッ!?」
「クソッ」
「! ギャッハッハッ! ヒヒャッ! ヒヒャハハハッ! ゴホッ……ぐぅぅッ! ハッ! さっきまでの威勢はどうしたクサレ坊主……!」
外套を翻し、わざと慌てたように逃げて見せ。
人狼がゼノギアの腰元、矢筒の残り本数を目敏くチェックしたのを確認する。
そうして背中を見せつつ、あくまでも距離を取るための行動に見せかけた〝誘い込み〟を続けながら──ゼノギアはその
何故なら、
(私は長年、クインティンでの罪と向き合い続け──間違った魂の癒やし方を求めて来ました)
東方大陸での大罪人捕縛の旅。
だから、これはその罪に対する後悔ではない。
群青卿、メランズール・ラズワルド・アダマスのそばで。
生涯に渡って、身命を捧げる。
彼の夢と理想の一助となるため、この命使い果たす。
ゼノギアはハッキリ口にしたワケではないが、そういう覚悟でララヤレルンの神父さんになった。
(と、同時に。だからこそなんです……!)
メランズールに仕えると決めたから。
ゼノギアにはどうしても償いをし、清算を果たさなければいけない過ちがあった。
今なお打ち明けられず、打ち明けたところで「大丈夫だ」と笑って肩を叩かれてしまいそうな予感もして、余計に罪の意識から己を責める苦しみがあった。
(ちょうど、この戦場には……!)
ウィンター・トライ・リンデンライムバウム伯爵や、リンデンの生き残りが援軍として駆けつけているはずで。
彼らが胸に抱く想いにも、ゼノギアはどれだけ頭を下げても足りない後悔があった。
城塞都市リンデン。
月の瞳が裏で糸を引き。
鉄鎖流狼が崩壊させ。
最後に鯨飲濁流が、犠牲者たちすら奪っていったせいで──
(数少ない、遺された者たち! 彼らには哀悼の機会すら与えられなかったッ!)
葬列は形ばかりで、運ばれた棺は空っぽ。
失ったものが多すぎるのに。
せっかく生き残った者には、死者をきちんと送る儀式すら許されなかった。
その咎を、最も槍玉に挙げられる形で背負うことになったのが、あの日のメランズールだ。
憤怒の剣、グラディウスの登場や。
ウィンター伯の元々の人間性から。
幸い、最悪の事態こそ免れたものの。
(私は卑怯者です……私はッ、私に対して本当に反吐が出る……!)
あの日、あの城塞都市。
ゼノギアはいた。
ゼノギアは見ていた。
ただ、見ている。
見ているだけだった。
そこにはもちろん、当時はまだ〝疑い〟のあったメランズールに対して、身を隠した上での監視が任務内容だったからとか。
ウィンター伯の命令で、メランズールとは別方面から人狼探しをしていて、駆けつけるのが遅くなったとか。
ゼノギア自身、人生で初めて目の当たりにする大魔に動揺してしまったとか。
もっともらしい理由が、それなりにあるにはある。
どれも、ゴミですよね?
あの日、ただ何もせず見ていることしか出来なかった罪に対して。
もっと他に、弁明の仕様はないのか? と、自分でもウンザリするくらい最低の理由付けである。
卑怯で、臆病で、クズ過ぎて。
ゼノギアには出来たはずなのに。
(本物の『悪』を前に、私は矢の一本たりとも弓引くコトをしなかった……!)
なにが、罪劫狩りか。
なにが、悪人に裁きを下す神罰の代行使徒か。
所詮、オマエは、人間を殺すことしか出来ない同族嫌悪の精神破綻者だ!
純粋で、無垢で、美しく尊いモノに憧れているだけ。
いくらソラで教典を暗誦できようと。
いくら人畜無害な優男を装い続けようと。
その心根の奥深くには、クインティンで目の当たりにした人間の醜さと同質のものが詰まっている。
「醜く、浅ましく、穢らわしい、咎人」
「アァッ? なにを急に、ブツブツ言ってんだァぁッ!?」
「罪を罪とも、思わない……咎の何たるかも、知り得ない」
酸鼻の極み。
自覚の有るゼノギアには、裁きが下るのは望むところ。
そうとも。ああ、そうだとも。
矢筒に残っていた、最後の一矢を振り向きざまに放つ。
「! ハッ! だからッ! もうマトモにッ、当たらねェって言ってんだろォがァッ!!」
当然、体表を少し削った程度で弾かれる。
銀犬の鏃は撃ち放っても、戻ってくるのが特性だが。
敵が弾くついで矢を破壊するのであれば、矢筒の重さは普通の弓使いと同じく、軽くなっていく宿命から逃れられない。
──弓使いの宿命として、矢が尽きれば途端に無力という悩みがあります。
だから、ほら。
さぁ、無力になったぞ!
「馬鹿が! マヌケを晒したなァァァ──ッ!!」
悪心を礼賛する人狼は、思っていた通り。
耳まで裂けた、卑しい笑みを浮かべて勝利を確信する。
人間など簡単に挽肉にできる鉄鎖流を、今度こそゼノギアに当ててやると驕り高ぶる。
……その
ゼノギアは戦いの最初から待ち構えていたから、カウンターの餌食とする!
「マヌケ──? それはオマエですよ」
「……あァ?」
その瞬間の、『鉄鎖流狼』の声と顔は見物だった。
矢筒は空っぽ。
撃つべき弾を失った弓使い。
人狼の下劣な笑みには、ありありと張り付いていた。
──古代の弓兵なら、戦いながらの補給もやってのけたぞ?
──なのに、テメェはそんなコトも出来ないのか?
──無様だなッ! 有象無象ッ!
所詮は格下と、最初からロクに脅威のほども確認していないから。
人狼には心底、それが想定の埒外だったに違いない。
ララヤ・シュロスを背にし。
城塞都市リンデンでの後悔を抱え。
ここに立っている男が。
たとえ、英雄には決して届かない歴戦の敗北者であり弱者なのだとしても。
大戦の要局を左右する、大きな力の前では。
最終的にどれだけ足掻いたところで、取るに足りない小さな石粒という評価に変わりはないのだとしても。
名前の無い、人間?
そんなワケ、ないだろう!
「私はゼノギア・チェーザレ──生成りです」
「なん、だとォ……ッ!?」
振り返り、構える。
片膝をつき、迎え撃つ。
友の家を守り。
彼の大切な夢と理想の象徴を守り。
自分にはもったいない美人の幼馴染が、命を張って人界同盟を支えているイマ。
限りなくスローとなった世界で、ゼノギアの空いている片手には。
それと同時に、人間としての輪郭は歪み。
崩れ、哭き狂い。
およそニンゲンとは似ても似つかない、ケモノが顕れる。
雪曇りの空は雨雲に。
眼鏡は真白く反射して、目元を一瞬だけ隠した直後に奈落に染まる。
さぁ──此処は、雨霞に紛れる殺戮の人獣の処刑場。
レイニー・ヘイズ・ジェヴォーダン。
神父はこの
雨の魔弾を以って、同族たる
どこかで、黒詩の魔女が「いいわ」と許可を呟いた気がした。
よって、驟雨の獣の異界が展開される。
しかし、心配の必要は無い。
暴走はしない。
理性は維持された。
ただどこまでも匂い立つ酸鼻の極みに。
群青色の空を識る人獣は、もう鼻を歪めるだけで留まれるがゆえに。
「──オマエが、人の悪心を礼賛する醜き
「テメェェェェェエエエエエッッ!!」
「私は、その『悪』をこそ撃ち抜く醜き
悪心萌芽の縛鎖狼に。
対悪心特攻の魔法を持つ生成りが、今度こそ二度目にして計測不可能となるクリティカルを連続させた。
すなわち、胴体の真ん中『心臓』を狙い
驟雨の獣から湧き出る怨念。
呪いの籠もった矢の鏃が、『鉄鎖流狼』の霊核に集中する!
"雨霞に哭け、魔弾の射手"
魔法の名は、プルウィア・ネブラ・ザミエル。
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tips:白貂鼠の森で
城館上空の空が、雪ではなく雨を降らす曇り空に変わったとき。
ララヤレルン西南の森でも、ひとつの危機に対して決着を迎えていた。
「ッ〜〜っ、ぶねぇぶねぇ! おいっ! 無事だよなウィンター!?」
「おかげさまでな」
息を乱し、少し慌てた様子で領主の名前を呼ぶのは、リンデンの騎士長ジャック。
それに対し、尻餅をついた体勢ながらも、すぐに鎧のズレを直して立ち上がるのはリンデンの統治者ウィンター伯。
二人の周囲にはトライミッド・リンデン軍の騎士や兵士たちいる。
もちろん、フライパン従者のアレスもだ。
あと、成り行きで共に戦うことになったティバキンたちも。
彼らはつい先ほどまで、悪心萌芽に呑まれた小国の
相手が魔物でも怪物でもなく、精神に干渉されているだけの人間ということもあって。
戦いはひどくやりづらかったのだが、自軍に犠牲が出ては本末転倒であるため、そこはウィンターが指揮官として責任を負った──のだが。
戦いが本格化する前に、森の獣神が怒りを露わにした。
悪心萌芽の犠牲者たちは、ウィンターらが抑え込むまでもなく。
大半が白貂鼠の森神に『木の実』へ変えられてしまった。
人間が木の実に変わる光景は、正直、戦慄ものだった。
ティンバーボーンの林業組合員たちは、「しばらく、ナッツ食うのやめる」と深刻に落ち込んでいる。
ウィンターも、危うかった。
怒りに狂った獣神は、大まかに対象を選別していたので。
あとちょっとでも敵と剣を鍔競り合う時間が長ければ、完全に巻き添えを喰らっていただろう。
いいや、嘘だ。しっかり、巻き添えは喰らいかけた。
ウィンターは女であり、職業戦士でもない。
だから周囲の男たちに比べれば、咄嗟の反応に差がある。
そこを、ジャックが助けてくれた状況だった。
「ウィンター」
「なんだ?」
「……いや、何でもねぇ」
ジャックは恐らく、ウィンターの性別に気がついた様子でもあった。
獣神の還元法は、接触感染が常識である。
敵から領主を離すため、ジャックはウィンターの身体を抱き飛ばす形で助けたのだ。
鎧で誤魔化せるかと薄ら期待したウィンターだが、女に詳しいジャックには隠せなかったらしい。
まぁ、最初から特に隠しているワケでもないため、ウィンターは気を遣ってもらわなくとも構わないのだが。
ジャックのような人種が気配りを見せるなら、それはそのままにしておいたほうが良いような気もした。
「よし。ここはもう大丈夫そうだな。次へ行くぞ」
「ケロッとしてやがる……いや、全然それでいいんだが!」
その前に、ちょっといいか? と。
ジャックがウィンターに近づいた。
「──待て。まさか変な気は起こしていないだろうな?」
「起こしてねぇよ! どんな状況でだよ!」
「そうか。なら、なんだ?」
「このオ──こいつ」
案外、ジャックにも良いところがあるとウィンターは初めて思った。
が、そのすぐ後に耳にした言葉は、それだけに意表を突かれた。
「いま、オレはアンタの命を救ったな」
「ああ。感謝しよう」
「要らねえ。騎士長の仕事ってヤツだ」
「妙に謙虚だな? もらえるものは、性病でももらっておくタチだろう?」
「おう。でもま、今回は代わりに〝いとま乞い〟ってのをしようってんだ」
「──なに?」
瞠目するウィンターに、ジャックは「ほら、謙虚でも殊勝でもねーぜ!」と笑う。
「どういうつもりだ? まさか、この戦場から逃げたく──」
「いやいや。それは違ぇって。この戦場での仕事は、しっかりやるよ」
「なら……」
「ただ、分かるだろ? オレはさっきので、アンタの騎士としての人生を果たしたつもりだ」
「…………」
ジャックは「悪いとは、思うけどな?」と。
珍しく申し訳なさそうな態度だった。
「もともと、騎士ってのは肌に合わねぇ性分だったんだ」
「オマエの代わりを見つけるのに、どれだけ面倒がかかると思ってる?」
「だから、悪いって」
すでに、決心は固い様子だった。
ウィンターはすべてを察し、謝った。
「すまなかったな。私のせいで、二度も首を括らせるコトに」
「いいって、べつに。さっきのは意外に役得だったしな!」
「クソが」
「クソが!? ったく。よく見りゃ、いいツラしてやがるぅ……なぁんで気づかなかったかな? オレ」
もしかして、錆び付いたかぁ? と。
そこで己が下半身を見つめて寂しげな顔をするジャックに、ウィンターはどんな気持ちになればいいのか分からなくなった。
ただ、
「
「あん? なんだよ急に」
「品は無いが、私は貴公を覚えておこう」
「うーん? まだもうちったぁ、一緒だぜ?」
「名残惜しく無いのが、不思議だよ」
「ひでーな!」
ふたりはそこで、ようやく絆めいたものを互いに感じ合った。
なんだかんだで、主君と騎士ではあったのだ。
崩壊したリンデンから、ともに過ごした時間は……短いような気もするが。
とにかく、ウィンターは敬意を払った。
「門が開いたら、行くんだな」
「行くさ。それが、ケジメってもんだ」
「ジャックぅ、何の話だ?」
「さぁな! ガキには関係ねー話だ!」
「ちぇ」
従者との会話も、いつも通り。
そんなジャックの姿に、ウィンターはもっと〝この男の人となりを理解しておけばよかったか?〟と首を傾げる。
この一連の会話も、きっと後で振り返ったときに。
分かるものだけが、ああ、と懐かしむものになるのだろう。
第二次エリヌッナデルクの、混沌を極める戦場の。
それは不意に空いた隙間のような、まだ何の意味も持たない時間だった。
ドシン、ドシン、ドシン。
「……」
「……」
そして、戦場はすぐに気の休まる時間を置き去りにする。
森の奥深く、小池のある暗がりから。
有翼巨人ネフィリムが、雪豹人の女頭領とともに移動している姿があった。
たったふたりだけで。
「……放置するワケには、いかないなっ」
「方角はオレらと同じくさいか?」
「だったら、急ぎ彼と彼女の護衛をしろ!」
群青卿の客人と、権力は低いようだが臣下の一員らしい雪豹人は死なせられない。
トライミッド・リンデン軍は、次なる戦線へと向かう道すがら二人を守った。