ヰ世界の歌 夜明け前のダークエルフ 王道硬派な大河ファンタジーの世界で一歩から始める人外愛譚 作:所羅門ヒトリモン
東境の大峡谷、ネルネザゴーンへと向けた群青卿空輸投下作戦。
フェリシア・オウルロッドの音速を超える飛行が、ついにあともう少しで目的地に辿り着くという頃。
具体的には、軍師であるティアドロップに『白眉のネメオン』打倒方法を閃くコトを期待していた。
まさに、その瞬間である。
「ぜんぜん分からないわね」
当のティアドロップは、双子の姉と魔槍使いの激突を凝視しながら、双肩にのしかかる期待とは裏腹に〝分からない〟という事実を吐露していた。
ティアドロップを守るため、そばで守りを固めている騎士たちが「!?」と顔を焦りに歪める。
褐色肌の女騎士たち。
その内のひとりは、ターリアでティアドロップたちが〝感動の再会〟をする直前。
何やら扉の前で、メランズールと言葉を交わしていた者だ。
ティアドロップはメランズールと関係のある女は、全員把握している。
ほんの一言二言交わしただけの女でも、メランズールに恋をする可能性のある女は、いろいろと把握しておくほうが後々になって〝良い〟と思っているからだ。
なので、そのひとりについても当然把握していた。
メランズールに対し、心からの敬意を抱いている。
そんな女が、いまティアドロップを「マジですか!?」という顔で凝視している。
すわ、自分たちの運命はもう終わりかもしれない、と。
なんだか失意と絶望に、一瞬で染まりかけている。
失礼な女だ。
言い換えれば要するに、「こんなところで白旗を振るような
(は? 許せないわね……)
ティアドロップは思わず眉を顰めた。
すると、女騎士は周囲も含めて、ますます暗く動揺した顔になった。
騎馬している
黒馬は呼気を乱し、わずかに後退しかける。
「まぁ、待ちなさい」
「は、はい!」
それを、ティアドロップは駆り手として完璧に宥めた。
指揮官としても、周囲の部下に対して悠々たる仕草で落ち着くよう、片手を挙げて制する。
「状況はたしかに、由々しき事態だわ。でも、絶望的ではないわ」
「おお……!」
完全に嘘というワケではなかったが、正味だいぶ苦しい状況であるのを虚勢で誤魔化すと。
部下たちは安堵した様子で──または期待を寄せた様子で感嘆を吐く。どうしよう。
「見なさい」
内心の動揺もポーカーフェイスで完璧に封じ、ティアドロップはあくまでデキる将を装い続けた。
取り敢えず、自分の言動で腹心の士気が下がっていくのはマズい。
自分自身を鼓舞する意味も込めて、なんか良い感じな事実を指し示さなければ。
「ほら。ほら。──敵の軍勢には、あらかじめ用意しておいた『炎素翠液』の火炎放射器で、かなり優位に立ち回れているわ」
うんうん! と。
部下たちはティアドロップが示した方角を確認し、良い感じで頷いた。よし。良い感じである。
「私たちの軍は、決して劣勢じゃない」
「さすがはティアドロップ様です……!」
「フフン」
なお、決して優勢でもないのだが、部下たちも自分を鼓舞したいのだろう。
(良いわ。とても、良いわ。──その感じでよろしく)
と、ティアドロップは頷きを繰り返した。
実際、火炎放射器はかなり役に立っている。
昨日までの七日間。
急いで用意させた甲斐もあった。
元王太子ナハトと、その元婚約者であったフィロメナ。
メラネルガリアから追放されたクーデター犯が、なんか知らないうちに夜闇の王を召喚できる術式を成功させていて。
正確には北方大陸王との習合だとか何だとかは話半分にしながら、ティアドロップはメレク・モルディガーンから神造兵器の扱い方について、より汎用的で効率的な扱い方のレクチャーを受けておいたのだ。
──これはまた懐かしいものを。
──威力が高すぎるから、もっと小規模な運用方法を教えて。
──よかろう。噴射式の火炎砲とするがよい。
──その手があったわね……!
開発者に直接質問できるのは、素晴らしい。
また、短い時間ではあったものの。
ララヤレルンでは神代のレベルに到達しているクールビューティーな
テレジア・トライ・トロイメライ。
恐ろしいほどに、〝人々を癒し助ける〟方向性に特化したエルノス人女性だ。
錬金術に造詣が深い自負を持つティアドロップは、私も負けてはいられないと奮起したのは記憶に新しい。
ただ、やはり生まれた国のせいなのか。
テレジアと比較すると、ティアドロップは自分が爆薬だとか毒薬だとか、危険な方向性に特化している事実を自覚せざるを得なかった。
清楚可憐とは、なかなかいかない。
(でも、良いの)
メランズールはきっと、毒のある女のほうが好きに違いないから。
心に傷を残す女のほうが、伝え聞いた過去の経験からして好みだと思うのだ。
(つまり私は、危険な香りのする毒持ち女よ)
ん?
なんか、腐った食べ物みたいな自認になってしまったが、話が逸れすぎているので現実逃避はこのくらいにしておこう。
小魔の軍勢には、対処できている。
ララヤレルンの商工会と協力して、急遽開発してもらった新型の火炎放射器。
新型ゆえに数は少ないものの、信用できる兵士に扱わせてはいる。
火炎放射器が無い兵士たちも、『炎素翠液』はもともと瓶に入れて搬入していたため、投擲武器──火炎瓶として有効利用中だ。
武器と魔術でも普通に戦っているし、有象無象の相手はもうしばらくは保つだろう。
犠牲は当然出ている。
が、それは最初から織り込み済みの損益だ。
テレジアがどれだけ優れた錬金術師であっても、霊薬を一度に万単位で作れるワケじゃない。
被害はジリジリと増えていく。いけない! 士気が下がりそうだ!
「くっ!」
「ティアドロップ様!?」
「問題ないわ」
いいや、問題だらけだ。
「お、おお……」
部下の反応はいったん尻目に。
思索に耽るため、ティアドロップは雑念をシャットアウトする。
(──『白眉のネメオン』)
コイツが問題だ。
異名はあくまで、相手の自称。
グリムびとはこれまで、ほとんど歴史の表舞台に上がって来ていない。
なので白眉と聞かされても、それが単にネメオンの身体的特徴に由来したものなのか。
はたまた、言葉の字義通りに、第八世界人にとっても〝優れたモノのなかでも最も優れたモノ〟を意味するのか。
あるいは、その両方なのか。
もしかすると、まだ開陳されていない何らかの能力に由来している線もあるが……さすがにそんなのは推測のしようも無い。
現状は、ネメオンが
それはネメオンが、第八の原棲魔である有角神について、特別な思い入れがあるらしいのを語っていたコト。
どうやら有角神は、第八世界でも位の高い魔物だったっぽいコト。
そんな有角神から、ネメオンは明らかに特別な感じの魔槍を下賜された、と話していたコト。
以上の三点と、
ティアドロップはネメオンを、魔槍の真価を最大限に発揮できる人材なのだと暫定評価するしか無かった。
なにせ、ララヤレルン北東部はいまや、異様な光景を作り出している。
メランズールの使い魔。
黒詩の魔女ヴァシリーサのおかげで、それらは戦場を完全に塗り替えてはいないが。
塗り替える寸前の、上被せの状態で景色を二重にして明滅していた。
そこは、《死》と《地の底》の世界……
空はあり、べつに地下でもないのに《深淵》という世界……
輝くもの、あたたかなもの、明るいもの……
そういうモノはすべて褪せていて……
建物はみな壮大で……
いっそ美しくすらあるのに……
湧き出るような、染み出すような《闇》と《呪い》で満たされている……
魔物が闊歩し、魔法と信仰があり……
生きている人間は、正気と狂気の狭間で聖者と愚者を演じ分ける……
怪物も存在し、
一種の《暗黒芸術》を煮詰めたかのごとき、魔界だった──
「────」
思っていたよりかは、案外〈
むしろ、全体の
(致命的なのは)
一眼見ただけで、思い知らされた『隔絶』だ。
境界が違いすぎている。
異界の深度が、違いすぎている。
今ある世界の理と、あまりにもかけ離れすぎていて。
こんな場所で恩恵を得られるのは、まさに第八世界に
(つまり、今の〈渾天儀世界〉に生存している種族は、呼吸すらままならなくなるわ)
直観は死を前にした戦慄と同じだ。
いや、もしかすると。
たとえ命を落としたとしても、それは最悪ではないのかもしれない。
この魔界は、入り込んだ異邦者を。
きっと、新たな魔物へ強制的に転生させる!
要は第八世界の理に、適応した存在として。
第八世界の理に、適応できるように一度殺される。
ヤバすぎる。
ティアドロップはべつに、霊感の高いほうではない。
──それなのに、一瞬で分からせられた。
〝これは、他の世界の理を許容しない〟
もとが第五世界人であるダークエルフは、ゆえに入り込んだだけで息もできなくなる。
もちろん、他の種族も同様の宿命だろう。
(なんてものを展開しようとしているのよ!)
危険すぎる。
しかも、ネメオンはさらに魔槍の機能を起動し、魔法も使ってくる。
姉がいて良かった。
ティアドロップはセラスランカが大好きだ。まぁ、元から大好きなのだが。
「セラスがまだ死んでないのが、とことん不思議ね」
「ティアドロップ様!?」
「なぜそんなに冷静に!?」
「まぁ、待ちなさい」
部下たちの動揺が、ややドン引きの色を帯びたことに再度「待て」と片手を宙に置き直して。
ティアドロップは、とりあえず〝グリムびとであるネメオンの攻略方法〟を考えるのを諦める。
セラスランカに魔槍の根本法則。
すなわち、魔界礼賛を成り立たせている〝魔槍とはこういう物である〟という定義を斬り殺してもらうのが、一番早いとは思うのだが。
(──何かを斬ることにかけて、巨猪並みの頭しかないセラスが)
まだそれを実現できていない時点で、試してみたけど無理だったのは明白だ。
恐らく、最初の斬りかかりでダメだったのだろう。
大闘技決闘会で、一応、上古の神の権能にも通じると判明した超人戦技だったのに。
あの槍は、恐らく鯨飲濁流の捨て身戦法と同じ理屈で、セラスランカの超人戦技を無効化している。
第一、魔界の再構築とは、〈
世界というものには、重要な法則がたくさんある。
ネメオンの魔槍は、どうやら魔界の一部地理を再構築しているだけに留まるようだが……この〈渾天儀世界〉に、どれだけ独特かつ異常な地理があると思っているのか?
さらにネメオンの口ぶりでは、まるで魔法の呪文の数だけ法則があるようでもあった。
(無理ね)
どう考えても、この観測視点からネメオンは攻略できない。
では、どうする?
(──まぁ、ひとつしかないわよね)
情報体。
観察する時間を得たおかげで、ティアドロップはネメオンのカラダが時々ブレているのに気がついていた。
そこで考えられる可能性として、以下の説を考慮した。
1:ネメオンは第八世界の英雄現象である
2:ネメオンはメレク・モルディガーン級である
3:ネメオンには自覚がない
一番目の仮説は、すぐに否定できた。
白眉のネメオンなんて存在が、現在の〈渾天儀世界〉でほぼほぼ無名に等しいにもかかわらず。
どうして情報体として存在しているのか?
それを考えたとき、もともと情報体だったからだと論理的に考えたのだが。
(だったら、〈崩落轟〉からの生き残りとは名乗らないわよね)
もう死んでいるのだから。
そんなワケで、二番目の仮説に移った。
これはネメオンが、あまりにもハッキリした肉声と輪郭を保っている点から、実は偽名を使っている可能性を検討したもの。
ただし、これもすぐに否定された。
情報体が偽名を使うメリットが無い。
加え、
メレク・モルディガーン級であるなら、なおさらに。
よって、三番目。
ティアドロップはこれを、結論にした。
(あのグリムびとには、自分が情報体である自覚が無いんだわ)
正確には、
要は変化している最中であり、まだ生きた人間なのである。
なお、ネメオンが情報体化しつつある理由は知ったコトではない。
目の前の現実が、今はすべてだ。
そう考えると、途端に辻褄が合うのだから。
そして、当人もまだ気がついていないのならば……
(こっちが利用するには、まさにうってつけの隙でしかないわよね?)
情報体には、魔術が有効である。
つい先日、巨人王国の戦場でも、有意な教訓を得たばかりでもあった。
よし、これで行こう。
「ええ、ええ。そうよね、うん」
「大丈夫ですか? ティアドロップ様……?」
「私はいつだって大丈夫よ。だってこれしか思いつかないし、だってこれしかやれることも無いんだもの。そんなワケで、私が出るわ」
「──へ?」
「えっ!?」
驚愕する女騎士たちに、ティアドロップは「セラスを下がらせて」と指示しつつ。
同時に、「あり得ないでしょうコレ」と白目を剥きそうになるのを、必死に堪えた。
よりにもよって、あんなに強い武の力を持つ敵を相手に。
巨猪姉ではなく、自分が出るハメになるなんて。
指揮官が矢面に立ってしまうのも、腹立たしい。
自分のこれまでの人生設計的に、一種の敗北じみたものを感じる。
「──でも、仕方がないわよね?」
だって、現状のメラネルガリアで、ナハトとフィロメナを除いてしまえば。
「私が、最強の魔術師なんですものね?」
今は遠き〈学院〉時代。
兵装院に通う姉と、仮面の同級生を羨ましく思っていた。
自分は魔術院で、ひとり寂しく魔術を学んでいるというのに、あっちは馬で遠乗りとか舐めてるんじゃないの死ぬの? と。
だが、今こそ、昔日の屈辱を晴らす時である。
研鑽の価値を、指し示す時である。超怖い、嘘でしょう?
(助けてラズワルド君)
決して、声には出さず。
ティアドロップが澄ました顔で
セラスランカがズザザザッ! と後方跳躍で横に跳んで来た。
すでに指示は届いている。
「イケるの?」
「まぁ、やってみるわ」
「ッ、イマイチ不安な返事ねッ?」
こういう時は、嘘でもイケるって言いなさいよ! と姉は無茶を言ってくる。
「嘘なんて、私たちの間じゃ意味無いでしょ」
「それはそうかもだけど!」
「むしろ、嘘をついたほうが不安にさせそうだわ」
いいから、下がってちょうだい。
ティアドロップは指文字で姉に頼んだ。
「ダメそうだったら、すぐだからね」
「ええ」
「ほう。今度は賢き女が、私の相手か」
将として、当然、ティアドロップが優秀な軍師であると見抜いていたのだろう。
まさか最初の名乗り上げを鵜呑みにして、〝賢い女〟とは口にしていないはずだ。
だからこそ、ここからはこういった
「魔術式『
──
────────────
────────
────
──
ネメオンは
「これは……」
何か大仰な変化が、起こったワケではない。
傍目には特に何も、派手な仕掛けは作動していない。
しかし、眼前の女ダークエルフは、たしかに〝魔術式〟と口にした。
ブラフである可能性を残しつつも、ネメオンは「であれば」と戦場の水面下を警戒する。
白髪の女、優秀な軍師。
先ほどまで武器を交えていた長剣使いも、ネメオンからすれば年齢の割に大した戦士だったが。
容貌の類似。
恐らくは、近親者であろう今度の女は。
どうやら相当な、やり手と思しい魔術師のようだ。
名前はたしか、ティアドロップ。
長剣のほうがセラスランカで。
(同じ家名を名乗っていたな)
なら、どちらが姉で妹かは知らないが。
本来は後ろからアレコレするタイプが、ネメオンの武威を目の当たりにして、なおも前へと出てきた以上。
「賢き女よ。何をする?」
「勝つための行動を」
「面白い──」
必然、策があっての行動だとネメオンは判断した。
その行動を、やはり『将』としての喜悦から愉快に思いつつ。
実直で、飾り気が無いのに、明らかに貪欲な勝利を求める返答についても、気に入ったと評するほかに無かった。
グリムびととして、魔槍の真価を発揮したネメオンに。
さて、ここからどうやって他種族の人間が立ち向かうのか?
黒詩の魔女の反抗は驚異的だが、魔界を再現し魔界の法理に守られたネメオンには、生半な〝ルール〟では通用しない。
有角神グラマティカから下賜された魔槍による、剛結。
(グラマティカ様は
第八の神。
正真正銘、〈
第八魔神貴族のなかでも、数限られた魔物だけが二つ以上の
(この世で一番はじめに、第八の神によって唱えられた
どんな呪文にも、最もはじめに唱えられた〝一番目〟というのが存在している。
この世の万物万象は、誰が名を決めたのか?
魔法の呪文は、誰が、何のために創ったものなのか?
はじめに言葉があった。
神は言葉だった。
かつての第八世界で、第八世界の住人は誰もが弁えていた。
八番目の神より分かたれし、神性宿した〝ことば〟──
魔法は、魔のモノどもの法理であり。
呪文は、魔のモノどもに法理を与えた神の御言葉。
第八の天地では、呪文と神は同一視され信仰されている。
(ゆえに、
グラマティカも、ネメオンも。
神の名を唱えて、神の名が宿す法則に守られているのだ。
……現状は不完全だが、そこに他の円環帯の理が入り込む余地は無い。
いくら斬り殺されようと、〝ことば〟は次々に紡がれる。
それを。
「"私は、黒く耀く一粒の石"」
「……?」
「"私は、自らを磨き上げて"」
「……なん、だと……?」
「"貴方と出会い、溶けるほどの熱を思い出す"」
「──!?」
ただの魔術が。
天ではなく地の理に属する人の技が。
予想だにしない滑らかな切り口で、ぬるり、とネメオンに迫った。
虚空に生成された黒曜石が、ナイフのように整形されて射出されたのだ。
槍で弾き、その自衛行動に驚愕し。
ネメオンは困惑する。
黒曜石の鋭利な礫は、長剣使いも併用していた。
だが、それらがネメオンの肌に迫るコトは、魔槍の真価を発揮してから決して無かった。
魔界礼賛の神性防御を、たかが魔術ごときがどうして貫通できるのか!
詠唱はとめどなく続いていた。
「"私は高く、貴く、何よりも鋭い黒を着飾り"」
「賢き女よ! 何らかの不正現象を働いたな──!」
「"近づかないで、と貴方の
射出される黒曜石の鋭刃が増す。
ティアドロップが詩を紡ぐごとに、爆発的な勢いで虚空が黒に埋め尽くされていく。
それ自体には、やはり大した芸当を感じない。
なのに、ネメオンのみが何故か脆弱性を発露している。
この程度の魔術、過去にも幾度となく蹴散らして来た記憶があるのに。
グラマティカから下賜された
詠唱を止めるための接近すら、圧倒的な物量の前に封じられる!
「"けれどけれど、たくましい貴方は私を抱き上げて"」
「っ……!」
「"他とは違うと、ありのままを教えてくれた"」
「ペテン師め……!」
世界に詐術をかける魔術は、術者である魔術師本人のみがロジックを構築できる。
象徴と擬似因果律。
何を記号として求める奇跡を発動するかは、個人ごとに術式を変える。
しかし通常、それは一定の共通点を持つものだが、ティアドロップの詠唱は完全に他者に理解不能だった。
耳を傾けても、恋や愛の詩を詠っているようにしか聞こえない。
高貴な布を身にまとい、触れれば裂けると拒絶をした女が。
それでも優しく手を伸ばしてくれた男に、強張っていた心を解きほぐされた。
詩情を解釈すれば、自ずとそう読み解くほか道は無いが。
「それでどうして、私に迫れる──!?」
「"だから私は、雪片の黒曜"」
──凍った心の分厚い壁も、熱く蕩けて貴方にもたれかかる。
直後、黒曜石の種類に白が混ざり込んだ。
雪の欠片のような斑点模様が混ざりこんだ、スノーフレーク・オブシディアンだ。
まるで、落ちてきた雪の欠片を吸い込んでしまったかのように、その黒曜石には異なる美しさが宿る。
ネメオンは視線を奪われた。
前方から押し迫るすべての雪片黒曜石に、意識を引っ張られた。
ひとつひとつ、どれもきちんと個として視認しなければ、次の石に注目できなかった。
一瞬の判断がものを言う戦場で、それは致命的どころではない!
「まやかしを!」
魔槍から至近で、魔力光を揮発させ。
ネメオンは一時的に、自らの視覚を殺す。
視覚が無くとも、魔法で外界を知覚すれば事足りるからだ。
「賢き女よ! 生まれ持った白髪がゆえに、不遇の過去を持つか!
誰もが眉を顰め、誰もが自らを嫌悪していると、それほどに他者の視線が突き刺さる人生だったか!」
ネメオンの術式理解は、恐らくこの現象に関しては正確だろう。
ダークエルフは黒髪翠眼の種族。
にもかかわらず、白髪で生まれたダークエルフがいれば。
「きっと、さぞや生き辛かったのだろうな! だが、そんな負け犬の鬱屈で刃を向けるなど、我らへの侮辱も甚だしいぞ!」
「"
足元がドロドロに溶けた溶岩に変わった。
詠唱が後段に差し掛かり、起こり得る超常現象も規模を膨らませたのだ。
黒曜石は火山活動によって溶かされたマグマが、急激に冷却される過程でガラス質の塊に変化して形になる。
恋に溶かされドロドロに茹だった女が、しかし、それでも冷たく凍てついた世界に晒され。
氷のような透徹さと、黒曜石の鋭さを兼ね備えた『切れ者』になったと言わんばかり。
したがって、その鋭さは透明な刃となって、足元の溶岩からネメオンを突き刺さんとした。
とにかく、数と勢いが半端ではない!
ネメオンは魔槍ごと跳躍し、空に躍り出た。
黒曜石の雲霞を抜けて、いいかげん耳障りな詠唱を終わらせようとする。
「──不快だ。誰ぞに向けた慕情かは知らないが、戦場を何と心得る……!」
魔界礼賛の神性防御が効かないなら、あくまで単純な武威を以って敵を砕くのみ。
然れど、ネメオンは見抜くべきだった。
たとえ、自らの存在が情報体化しつつあり。
生きた人間から、まさにこの瞬間、違うモノへと変質する過程にあるのだとしても。
ティアドロップの魔術が、殊更に己に有効である意味を。
ネメオンは、きちんと見抜くべきだった。
最初に発せられた魔術式の名にも、もっと注目を払って然るべきだった。
其れは、北の五大に数えられるダークエルフの建国事業において。
やがて、国名になったほどの『大魔術式』を──ティアドロップがまさにこの場で、アレンジしたものだった。
二千年を超える時のなか、一国を生かし続けた鬼才の術式。
ダークエルフが、ただダークエルフであるというだけで、〈大雪原〉に隣接した広域地帯に活性化した地熱を呼び込んだ驚異の術式。
涙滴鈴花の黒曜石は、今、たったひとりでそれを私物化したのだ。
第八の理?
魔界礼賛?
ネメオンの魔槍が、いくら八番目の天地で蓄えた魔力を解き放とうと。
魔術とは、星の霊脈に堆積した歴史の
(忘れたのかしら? グリムびと)
巨大彗星の衝突は、〈渾天儀世界〉を〈壊れた渾天儀世界〉へ不可逆に変えてしまった。
オマエたちもこうして、実際に
であれば。
であれば……!
もはや朽ちたり。
もはや落ちぶれたり。
かつての栄華も強壮なる隆盛も、見る影なく失ったメラネルガリアであっても!
北の五大には、オマエたちも数えられているな?
(その歴史は、どうあっても否定できないわ!)
──巨大彗星が、来る前の世界などッ!
いまこの星には、ひとつも無いッ!
ティアドロップの魔術は、個人で発動できる規模まで大魔術式の性能を落としている。
だが、たとえ限定的なペテンであったとしても。
メラネルガリアはたしかに生き続け、ダークエルフの『プリンス』は再び国に戻っている!
第一王子、メランズールは副王として。
第二王子、ナハトは廃嫡ではあるが。
国家が転覆される前、ダークエルフがどれだけ長々と男系を重要視していたかは語るまでもない。
無論、国は変わった。
テルーズが女王になった。
ティアドロップもセラスランカも、これからもっと国を変えていく。
ただ、過去の歴史までは否定できない。
否定しない。
(私たちは、あの過去があったから今を生きてるわ──!)
然ればこそ、ここに二人のプリンスという記号を得て。
腐敗の歴史すら利用し、大魔術式を復活させよう。
兄も弟も、どちらも王位など望まない。
ダークエルフの歴史において、とても稀有なる王子たちだが。
(象徴としては、申し分ないのよね……!)
欲を言えば、実際にこの場に二人がいてこそ、術式は安定を見せるものの。
それは現状、高望みしすぎているため。
今はただ、ティアドロップたちが彼らを受け入れ、彼らもまた国に戻ってきたという事実をのみ利用する。ええい、戻って来たと言ったら戻って来たのだ。
ティアドロップはそこに、さらに土壇場のアレンジを施した。
恋しい王子様が、東方大陸で捕縛したという驚天動地の魔術師。
灰色の男、グレイマンことリュディガー・シモン。
カルメンタリス教世界で、大罪人と呼ばれたほどの大テロリストの魔術式。
伝聞でしかないが、伝聞で解体できる神秘の論理を組み込んだ。
宝石魔術ならざる黒曜石魔術を、見事に成し遂げ〝雲霞〟を作って見せた!
足りない断片は、自分の人生を盛り込みまくるコトで埋めた。
言っておくが、こんな魔術は生まれて初めて行使する。
──では、何故?
何故、用意周到なタチのティアドロップが、失敗の許されない状況で、そこまでの土壇場に挑戦したのか?
答えは、決まっている。
あの日、恋した理想の王子様が。
国を旅立った後で、どれだけの苦難を乗り越えて来たのか。
あれほどの強さを得るまでに、どんな道のりを歩いて来たのか。
ティアドロップには少ししか想像できない。
しかし、ある一点だけは深く理解できた。
メランズール・ラズワルド・アダマスが、魔術師の到達点とも言える〈
彼にとっては、人生そのものが魔術式と同義だったから『斧』を掴めたのである。
神秘の触覚を伸ばして。
ティアドロップもまた、彼と同じコトをやってみせようと思った。
何しろ、人生を費やして来たのはティアドロップも同じだ。
白髪異形のダークエルフとして、生を受け──
差別と偏見に塗れた世界で、支配階級に喧嘩を売り──
醜い黒曜石と罵られながらも、姉と一緒にメラネルガリアと在り続けた──
超人の道を選んだセラスランカには、出来ない。
魔術を学び、研鑽を続けてきたティアドロップだからこそ、偉大な前例を解体し己が欲するところを組み合わせ、この奇跡を組み上げられる──
〈
〈
よってここに、二つの到達点を掌握し。
ティアドロップ・オブシディアンは、大魔術師の仲間入りをする!
大罪人は
それは驟雨の獣の雨を止め、人が人外の異界を塗り替える異例。
綺羅と輝く地下神殿を作り上げ、種々様々な宝石が玉座の間を作り上げ。
美しい宮殿、冥王富者を祀る神殿を形作って見せたとか。
では。
「ああ──よかった。ちゃんと出来たわ」
「!」
新生メラネルガリアの双翼。
白髪異形の黒曜姉妹の片割れ、双子の妹は。
「"
「! 詠唱を変えた……なんだ……!?」
「“我ら──瀟洒なる黒の王国”」
生まれた場所と、育った国から与えられた全部。
残酷でクソったれな世界で、ふざけるなと反骨を原動力とした研鑽を以って。
半情報体である白眉のネメオンを、圧倒する。
ビキッ! バキッ! と。
──魔界礼賛の魔槍は、混ざりモノの黒曜石に砕かれた。
氷雪の彼方には、我らが故郷、瀟洒なる黒の王国メラネルガリアがあったのだと。
北方大陸の中心に腰を据え、セプテントリア語族で最も広範な国土を誇りながら、堅苦しく狭苦しい身分社会。
時代錯誤な男尊女卑と、旧態依然とした黴臭い価値観を引きずった、古代王朝の残した影こそが。
今は亡き、滅びしメラネルガリア。
その街並みは重く、時に威圧感をも与えかねない貴族権威の反映。
建物の色は黒、道ゆく人々の衣服の色も黒、食器や調度品、普段使いの日用品類まですべてが黒色。
ダークエルフは古来より、何物にも染まらない高貴なる漆黒を敬愛した。
自分たちの肌や髪色──端的に言い換えれば、種族愛の証だった。
黒は混じり気のない純粋な色。
ゆえに最も美しいとして、ダークエルフは周囲を黒で飾ったのだ。
無論、差し色として金や緑などの別色もまったく無かったワケではないが、全体的にはやはり、黒一色で統一されていた。
それ以外の色が基調に選ばれることは無く、例外は断じて認められない。
彼らの種族愛は、その誇り高さを象徴するように貴族の家名にも表れていた。
十一の名家、貴石の名を冠するもの。
第一位:
第二位:
第三位:
第四位:
第五位:
第六位:
第七位:
第八位:
第九位:
第十位:
第十一位:
すべてすべて、今は見る影も無く。
滅びて当然の一族すらいたが。
ティアドロップが手繰り寄せた〝
その
……第八世界人、グリムびとは。
白眉の、ネメオンは……!
「バ、カ、なあああああああああ──ッ!?」
その膨大な
「……ふぅ」
燃え上がる、火の粉。
それはあの日の滅びさえも、ティアドロップが魔術として再生した証拠だった。
「まぁ、燃えて清々したのも、否定はできないものね?」
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tips:ティアドロップの勝ち星
ネメオンが吹き飛び、五体を灼き切り刻まれながら雪上に倒れる。
折れた魔槍は魔界礼賛を維持できず、小魔の軍勢は避けられない動揺に沈んだ。
ララヤレルン防衛戦線の北東部は、勝利と殲滅の叫びに包まれる。
その一方で、妹の戦いを見守っていた姉は顔を真っ赤にしていた。
ティアドロップの魔術が、とんでもない愛の告白だったからだ。
"私は、黒く耀く一粒の石"
"私は、自らを磨き上げて"
"貴方と出会い、溶けるほどの熱を思い出す"
"私は高く、貴く、何よりも鋭い黒を着飾り"
"近づかないで、と貴方の
"けれどけれど、たくましい貴方は私を抱き上げて"
"他とは違うと、ありのままを教えてくれた"
"だから私は、雪片の黒曜"
"
魔術については妹の後塵を拝するセラスだが、魔術が使えないワケではない。
その発動論理も、成立する仕組みも、大まかに理解するコトが可能だった。
「ど、どれだけラズワルドが好きなのよ……!」
共感性羞恥がヤバかった。
恐らく、今頃は戦いを見守っていたテルーズたちも呻いているだろう……
「やったわ」
当の本人は、いろいろ頑張った結果だからだろうが、天を仰いで静かに拳を握り込んでいる。
告白剣ならぬ、告白詠唱をした自覚はまだ無いらしい。
セラスは頭を抱えそうになりながら、付近に寄ってきた敵を斬り殺す。
「ぎゃあぁあ!」
「くっ、緩んでる場合じゃないわね……!」
まったくもって、その通り。
決着を見守っていた群青卿も、ホッと息を吐きつつ──ついに到着したネルネザゴーンを前にし、気を引き締めた。