ヰ世界の歌 夜明け前のダークエルフ 王道硬派な大河ファンタジーの世界で一歩から始める人外愛譚 作:所羅門ヒトリモン
深淵が、そこにあった。
グラトロンの襲撃を、幾度も幾度も打ち破り。
吹雪も、氷雷も、凍風も。
ただでさえ身に堪えるなか。
グラトロン以外にも、そこに到達するには恐るべき脅威が何度も立ちはだかった。
否、正確には何度も翼をはためかせた。
野生の怪物『北天の巨大鷲』フレースヴェルグ。
何処かの亡国が遺せし『白鳥乙女の氷雪像』ヴァイス・ワルキューレ。
北の超大陸上空を、とてつもない速さで突き進む俺たちを。
怪物の飛行種や、古代機構の残骸が襲った。
すべて蹴散らし、ようやく
「なんだ……これは」
その峡谷が、悪魔の口や
大きく、長く、縦方向に婉曲しながら裂けた
肉食獣の牙や、草食獣の臼歯、猛禽類の爪や、偶蹄類の角などが。
まるで、尖塔ほどのバリケードのようにして、峡谷の淵から生えていて。
内部、奥深くからは。
赤紫、青紫、どちらとも取れる妖しい光を胎動するように明滅し。
光がひときわ淡く強まると、黒ずんだピンク色が広がった。
それなのに、峡谷の底は見渡せない。
信じられないほど、広くて深い……!
「……生きてる……!?」
フェリシアの愕然も、当然だろう。
そこはまさしく、深淵の大峡谷の名に相応しい『魔境』だった。
しかし、上空から全体を俯瞰できたのは一瞬──
敵はすぐに、
大峡谷の淵に聳え立つ『獣の霊骸』から、二桁を超える
後方からも、グラトロンの群れが旋回して戻ってくる。
「避けろフェリシアッ!」
「ッッッ……!!」
間一髪で戦車は回避を成功させたものの、俺たちの顔にはさらに刻まれる愕然があった。
「信じられませんッ、先輩ッ! あれ全部ッ……魔槍です!」
「ああッ!
グラマティカが根城にしていた時点で、これは想像して然るべき光景だったのかもしれない。
俺たちは
それが〈
あのクソ有角神が、ベアトリクスやヴァシリーサを魔女に変えた際にも、頭蓋骨や面皮を依代にした。
ネメオンが握っていた魔槍は、
だとしたら、そこには理由があるのだろう。
ネルネザゴーンには、第八の原棲魔までもが居着いている。
だったら、国を防衛するための魔力兵器くらいは、用意していて必然だった。
骨のような白、痣のような紫、乾き固まった血のような黒。
第四世界の理に浸されていた
──ゆえに。
「"
第四冬至・銀盤の霊亀を
八番目の天地から蓄えられた魔力の奔流を、目眩しも兼ねて防ぐ。
俺はあらかじめ打ち合わせていた通り、フェリシアに合図を送った。
少女は頷き、呪文を唱える。
「"
夜の暗闇を以って、物を隠したり姿を隠したりする魔法だ。
派手な攻撃とグラトロンの数もあって、俺たちは敵の眼から逃れる。
なにせ、俺には生まれつき暗闇を視通す双眸があり。
フェリシアにも、多少の視界封じは刻印魔法の訓練で問題ないと判明している。
そして、敵が一瞬でもこちらを見失ったのなら……!
「いっけぇぇぇぇぇぇぇッ!!」
「よくやったッ!」
女神が駆る獣戦車は、荷台に乗せていた俺を今度こそ
俺は
大顎門を開けた敵の本拠地に、単身で身を投げ出す。
──その直後、フェリシアのもとに大量の魔力流が集中して爆発するが……!
「ッ……舐めるな!」
今のフェリシアなら、この程度で死にはしない。
仮に不覚を取ったとしても、テレジアの霊薬だってある。
恋人を撃てば、俺が動揺するとでも思ったか……?
「むしろ──それはオマエたちの死期を早めただけなんだよッ!」
ギ、ギギ、ギギギギギギ……
扉を、開ける。
忽然と虚空を割り、実体を伴いながらもどこかで曖昧。
茫洋としていてあやふや。
幽かに揺らぐ異界の門。
白嶺の魔女のそれは、死と冬の女王の名に相応しい
落ちる形で、潜り抜けて。
大峡谷の内部に、侵入して。
四方八方、おびただしいと評するのもうんざりする真紅の瞳に魔物群の息遣いを。
「"
燃える極光尾、最美の太陽風で一斉に消滅させた。
鯨飲濁流と同格になったいま、俺の魔法は小魔ごときでは防げない。
ネルネザゴーンから、音が消える。
──が、およそ三十秒ほどして、すぐに耳障りな音が戻り始めた。
「人界ヲ荒ラセ!」
「人間ドモヲ、食ィ荒ラセッ!」
「秩序律ヲ破壊シロ!」
下劣、低脳、カスの有象無象が、そこに自分たちの意思すらロクに残っていないと気が付かぬまま無限に増殖している。
大峡谷の深淵は、暗く昏く冥く深い。
俺の魔法も、一度では底までは届かないほどに。
そして、敵の名持ち連中は、すでに最初から効果範囲外にいたようだ。
落下する速度も、増していくばかり。
いったいどれだけ、深いのだろう……
「だったら、いいぜ」
冀望の朝を再発動したまま、俺は真っ逆さまに深部へ向かった。
月の瞳の
恐らく、深部に到着した時にこそ──俺は〈異界の門扉〉を開ける必要があるのだろう。
(──たしかに)
落下しながら、大量の魔物が消滅していくのを横目にしていても。
何体かは、効果が無効な魔物もいる。
そしてソイツらは、間違いなく第八の原棲魔のはずだった。
他にも、魔物ではない第八世界人、グリムびとや。
デュラハン、ダンピールといった第八種族。
北方大陸に適応した怪人類。
凍てつく人肉食、ウェンディゴといった強い種族も続々と。
まさに、空中で四方八方を囲まれながら身動きも出来ないであろう俺目掛けて、一気に魔法や武器の数々を放ってくる。
──だから、そうした連中については。
「"
普通に、こちらも魔法で殲滅する。
「ナニッ!?」
「いかんッ」
「闇祓いだったか!?」
動揺が、瞬時に広まっていく。
果たして、いったいどれだけの敵が生き残れるか。
万象灼き焦がす大剣状の火炎、複数同時展開からの連続大投射。
俺の場合は、さらに低確率での即死効果を併せ持つ。
脊髄が無い相手には、これでも効果は低いだろうが。
カラダの真ん中を掻き鳴らされれば、かなりの一撃だろう!
さらにそこに、継嗣詠唱。
「──
「ハァ!? 巫山戯るなッ!」
「なんだアレは──!」
「こッ、ンなモノを!」
「ムーングラム卿は……!」
「我らに迎撃しろと言うのかァァァ!!」
「やってられるか! ワシは帰らせてもら──ぬぅおおおおおッ!!」
日輪剣を模した三千丁の炎は、やがてとある復讐鬼を
アレクサンドロの武技を、まるまる再現できているとは思わないが、人型の炎はいつ爆発するかも分からないだろう。
速度を緩めるコトもなく。
俺はどんどん、敵軍を壊滅させながらネルネザゴーンの底へ進んだ──瞬間だった。
「!」
大峡谷の景色が、
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──
「では、やってもらいましょうか」
大峡谷の底の底。
魔城ニコストラテーは王の間にて。
未だ遥か頭上の『群青卿』を感じながら、月眼=ムーングラムはパチンと指を鳴らした。
すると、視線のひとつを浴びた
その後ろ姿と、その去り際の決死を感じさせる威圧。
ムーングラムはにこやかに、拍手を鳴らして見送る。
「ここまでは、まぁ、仕方ありません」
誰もいない王の間。
声を発しても、返事をするモノなど誰もいない。
そう、普通なら思うところだったが、こと月眼=ムーングラムと月の瞳に限っては違う。
大戦の行く末を操作する二体の魔物は、互いの一手を読み合うがゆえに、互いの言動を把握していた。
脳内で仮想的に演算したシミュレートではあるが、現実と同じ結果ならコミュニケーションを交わしているのと変わらない。
「幾つかの策が、失敗しました」
姪のファインプレーを、称えるがごとく。
叔父は「うんうん」と頷きを繰り返し、拍手を送る相手を変える。
「ララヤレルンに送り込んだ駒のうち、『鉄鎖流狼』は『驟雨の獣』に撃ち抜かれ──『白眉のネメオン』は『瀟洒なる黒の王国』に矛盾を貫かれました」
人界同盟の生命線を支えている霊薬は、『物質者』の異名を取る女錬金術師によって生産されている。
テレジア・トライ・トロイメライを殺害するには、黒詩の魔女を出し抜かなければならない。
第一の刺客に選ばれたのは、人間の生皮を被れば人間に変身できる人狼。
第二の刺客に選ばれたのは、人間の枠組みでありながら大魔よりも魔界の法理に親しむ魔人。
しかし、第一の刺客は悪心礼賛者であるがゆえに、対人・対悪特攻の魔法に狩られた。
第二の刺客は、魔界礼賛者であるがゆえに、自らも属してしまった人界の歴史を否定できなかった。
「見事です」
月の瞳は、この〈渾天儀世界〉に蔓延るルールをきちんと把握し、正しい対抗手を採択した。
「ですが」
そう、
「すでに、認識しているはず」
月眼=ムーングラムは、敵が選んだ対抗手すらも利用して。
相手が〝自分の意思でそれを選んだ〟と思っている意識の隙を突いて。
あたかも失敗したかに見える自分の〝手〟を、実は最初からそうなるコトを企図して、未来を視ているのだ。
いや、感覚的には〝そうなってもいい〟と見越して動いている。
「たしかに、残念な結果ではありました」
群青卿がララヤレルンには留まらず、こうしてまさにネルネザゴーンに投下される結果ととなったコト。
黒詩の魔女が暴走し、大魔法を発動するよりもララヤレルンの庇護に注力したコト。
愚か者たちが、生来の愚かしさに眩んだ道に進まなかったのは、意外だった。
「個人的にも残念な気持ちでいっぱいです──が、
月眼=ムーングラムには、依然として自身の目的が叶う瞬間が視えていた。
なぜなら、ここからが自分の一手が輝く瞬間だと、知っているのである。
「健闘を称えて、ひとつ教えてやりましょう。この大峡谷は、そちらの読み通り〈中つ海〉の深海回廊に繋がっています。
けれども、群青卿がそこへ辿り着く未来は無い。陛下には追いつけない。ララヤレルンの戦いも……まぁ、じきに同盟側の敗北で終わるでしょう」
なぜなら──ああ、なぜなら。
オーケストラの指揮者のように、月眼=ムーングラムは両手を揺り動かして全身の
頭上より響きし、文字通りの断末魔。
消滅してしまうせいで、仲間たちが末期の叫びすらも中途半端に途切れさせる光景を、現在進行形で正しく直視しながらも。
無限増殖炉となったゼオメイガスが、依然として魔軍を量産しネルネザゴーンに静寂無く。
「『白眉のネメオン』を情報体化したのは、私です」
グリムびとが魔術に対して、本人も解せないレベルで脆弱性を増していた理由を告白する。
「月に到達した夜闇の王が降臨したのなら、こちらの
ネメオンは、贄に過ぎなかった。
本人も知らないままに、器にされていた。
つまり、分かるだろうか?
グリムびとが情報体化している謎を、放置してしまった時点でヌケている。
「心臓を撃たれた『鉄鎖流狼』も、それがいったい何だと言うのです?」
忘れてしまったのだろうか?
城塞都市リンデンで、あの人狼の大魔は奇妙な不死性を覗かせている。
大魔としての格は、それほど高くない。
というか、闇の公子の
だから、カルメンタリス教の聖域であり、弱点でもある銀で覆われた聖堂への落下。
しかも、聖銀の看板を持った秘宝匠の手による大聖堂に落ちれば、皮が捲れ上がり眼球が沸騰し内蔵すらも弾け飛ぶ。
熟練の刻印騎士に両腕も切断され、鉄鎖流狼は間違いなく瀕死の重傷を負っていた。
にもかかわらず、人狼は自らの心臓を抉り出してもなお活動。
魔物は生き物ではない、と言ってもだ。
白嶺の魔女でさえ、霊核である心臓を刺し貫かれては消滅不可避なのに、どうして格で劣る鉄鎖流狼が無事なのか?
その謎を解かない限り、
「まだ、動きますよ? その『鉄鎖流狼』も」
ララヤレルンの危機は、依然として続いている。
加えて。
「──ああ、始まりましたね」
ネルネザゴーンの景色を、塗り替えていく大魔の心象。
ただ塗り替えるだけではなく、実際に『伝説』の舞台である土地ごと持ってきて。
この星で、最も魔物に都合のいい『
さらには『皮』と『呪文の原初』まで。
実に大盤振る舞い。
「ここはもう、ただの大魔の〈
およそ、彼のモノにとって最強且つ最高の恩恵で満ちた
物理的にも、不可逆の変化を迎えている。
「ネルネザゴーンは今や、このニコストラテー城をも含んで──本物の『縛鎖監獄城』と化しました」
最新の英雄に、果たしてこの壁を踏破できるものか?
「たとえ斧を使ったとしても、異界ではないものを斬ったところで」
待っているのは、〈中つ海〉へ通じる道を、自ら瓦礫に埋める愚行でしかない。
月眼=ムーングラムは笑う。笑う笑う笑う。
だからこそ。
その思い上がったニヤケヅラを、姪である月の瞳は一ミリも変化しない表情で罵倒した。
「馬鹿が。オマエこそ、すでに認識しているはずだ」
「ほう?」
「我々にすら読めない力が、彼らにはある」
「だと、いいですがね?」
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tips:墜落したフェリシア
ネルネザゴーンの迎撃兵器によって、大峡谷の淵にフェリシアは落ちていた。
「いっ、ツゥ……」
(大丈夫か? フェリシアよ)
「あ、はい。なんとか……」
裡なるミナから、心配の声がかかる。
それに問題ないと返答しながら、フェリシアは改めてとんでもない場所に来ていると警戒体勢を取った。
本来、魔力とは感得できない。
にもかかわらず、可視化されるほどの揮発光があんなにあって、さらには兵器化されるほどの運用も可能にしているなど。
(もしかして、魔界文明のレベルって高い……?)
ある意味では、
壮麗大地とは揮発光の色も質も違うので、恐らくは〈第八円環帯〉由来の魔力──星の血液が結晶化しているに違いないが。
「だとすると、ここは本当に魔境です……」
魔物、魔人、魔獣。
第八の眷属はあらゆる恩恵を得るだろう。
大魔はただでさえ強大な力を持つのに、ここで大魔と戦うのはさらに危険である。
「とりあえず、私は先輩が扉を開くまで、少し休憩しないと……」
北方大陸の約半分を、およそ半日で踏破した。
メランの体力や魔力を、ほとんど消耗させなかった代わりに。
フェリシアはかなり疲労が蓄積している。
霊薬瓶を開けて、ゴクゴクと飲んだ。
すると、効果はたちまち実感として現れたが……手持ちの瓶は残り二本。
一本はメランの分だったが、「俺には秘紋がいるから」と彼はフェリシアに譲って行った。
それを無駄には出来ない。
「表層をどれだけ相手したって、深層をどうにかできなきゃ意味ないですもんね……」
作戦は、メランがネルネザゴーンの深部に辿り着いた時に〈異界の門扉〉を開けて、一気に仲間たちと攻め込むというものだ。
現在、群青卿の空輸&投下作戦における目的の半分(魔軍大消滅)は達成したと言えたが、その時まで無駄な消耗は回避しておくのが賢い行動だろう。
メランがロアやララヤレルンに門扉を繋げば、フェリシアは月の瞳によって門扉を経由できる。
よって、"夜"の呪文を継続させていた。
撃ち落とされた時は、かなり痛かった。
しかし、フェリシアの体は正史の時代の女神との混ざり物である。
魔界礼賛による第八法は、ミナの神性防御でどうにか耐えられた。
「逆に言えば……」
ネルネザゴーンは魔界礼賛のフィールドを崩さない限り、陥落が難しいかもしれない。
最低でも神性が無ければ、何となくだが息すら出来ないような感覚があった。
「え、そうなるとかなりマズいですよね……?」
メランが〈異界の門扉〉を開けても、フェリシアの師匠や団長は足を踏み入れただけで死んでしまう可能性がある。
月の瞳も、ネルネザゴーンがどんな場所かは知らない。
「──やるしか、ないですね」
(危ないぞ。やめるんだ。きっとあの男が、何とかしてくれる!)
フェリシアを案ずるミナが、大人しく休んでいようと訴える。
しかし、それでは作戦が成功しない。
少女は息を潜めつつも、大峡谷の潜入と探索を開始した。
「──え?」
程なくして、意外なものが見つかる。
それは緑衣と白毛の、いまは洗脳されて裏切り者になっている
吟遊詩人はテクテクと、反対側の淵を歩いていた。
こちらには、どうやらまだ気がついていないようだ。
風の精霊の祝福。
声を出さないように注意しつつ、
「…………」
フェリシアは、後を追った。
だって、カプリがいま完全に裏切り者なら。
逆に、ネルネザゴーン陣営として、自軍の弱みくらい掴んでいてもおかしくはない。
魔界礼賛のフィールドを崩す方法も、分かるかもしれなかった。