ヰ世界の歌 夜明け前のダークエルフ 王道硬派な大河ファンタジーの世界で一歩から始める人外愛譚 作:所羅門ヒトリモン
──異常な現象だった。
「……」
地形の変化は一瞬。
然れど、大峡谷のロケーションが完全に消え去ったワケでもない。
黒い岩肌と、植物の根と獣の牙を組み合わせたような謎の突起物。
奥底からは、上空から確認した〝生きた内臓〟のような光が明滅を繰り返している。
その上に、明らかにミスマッチな人工物が、張り付くように
薄汚れ、黒ずみ、不潔なシミを浮かべる城壁。
先ほどまでは、大峡谷の内側は原始的で長大な断崖そのものだった。
断崖には洞穴や、あるいは坑道のような横穴がマンションのように存在していて、蟻の巣穴みたいな内部構造をしていると思われた。
実際、敵の軍勢は
だが、今やそんな穴には、立派な胸壁がある。
矢狭間を設けられた城塞機能が、周囲に食い込むように嵌まっている。
まるで、大峡谷の内壁が七割ほど〝捲れ上がった〟みたいだった。
断崖の裏側には、もともとそういう城があり。
何かの仕掛けを作動させると、カモフラージュが解かれて真の姿を表すといった。
しかし、それは慣れ親しんだ感覚からして、違うと言わざるを得ない。
周囲を取り巻く不快な気配からも、大魔の〈領域〉を感じる。
断崖は表面を塗り替えられただけじゃなく。
ところどころは、城塞の構造物を大きく突き出していた。
無数の鉄鎖が、垂れ下がっている。
一本一本が、大樹ほどの太さもある鉄輪の連なりが、城壁と断崖にいたるところで打ち付けられていた。
鎖は塔を縛り、崖を鋲で穿ち。
遥か谷底へと吹く風には……どうしようもないほど、血錆の匂いを混ぜている。
──ガァン……!
──ガァン……!
──ガァン……!
やがて、上から落ちてきたのか。
鎧を着た敵兵の死体が、耳を抑えたくなるほど大きく鈍い音をあげて、次第にどこかで
着込んでいた鎧ごとだから、凄まじい硬質音混じりだった。
どうやら。
「ここの
下に行けば行くだけ、大峡谷本来の姿は減っている。
その代わり、明らかに監獄と思しい城塞が地形の占有率を圧迫していた。
分厚く、何重にも重ねて束ねられた鎖の遮断層。
俺は「チッ」と舌打ちし、監獄城の回廊を何本か緩衝材として破壊しながら、何とか着地する。
思った通り、鎖以外の部分なら接触していても問題ない。
斬るか? とも思ったが、それをすると嫌な予感がした。
足裏に伝わる感触と、これまでの経験が五感に訴えかける。
物理法則。
これだけの変容。
状況が大魔の異界であるのは明白なのに、同時に、俺はこれら構造物のすべてが〝魔法に依らない実物〟であるかのような違和感を覚えていた。
森羅斬伐を使えば、簡単に斬れる。
それは間違いない。
が、斬った後はどうなる?
目下の目的は、ネルネザゴーンの最下層に辿り着くコト、
なのに、瓦礫の山を自分で作って道を塞ぐのは、非常にバカバカしい。
下手をすれば、大峡谷周辺一帯にも深い斬り傷を作りかねない。
要するに、〈中枢渾天球〉を斬撃の対象にしてしまいそうだ。
ネルネザゴーンは滅ぶだろうが、それ以外に及ぶ被害も甚大どころでは済まされなかった。
必然、状況の不可解さを紐解いて前へ進むしかないが……
「……魔界礼賛ってのは、そこまで地力を底上げするモンなのか?」
「さて。どう思う? え? 征伐者の末裔」
回廊の端。
まるで、俺を待ち構えていたかのように城の中にいた影。
そいつはクツクツと肩と喉を鳴らして、いつぞやのように不快な声を発した。
姿は柱の陰に隠し、奥の壁にぬらりと伸びた影だけが、人狼の姿を映し出す。
きちんと物陰に隠れているのは、ただの暗がりに隠れたところで、俺の眼には意味など無いのが分かっているからだろうか?
声も出して、気配も濃厚で、何の意味があるのか分からないが。
しかし、どうにも〝それ以前〟が不思議だった。
「オマエたちの能力が、ここだと外よりも強くなってるのは分かる」
「……ああ、そうとも。魔界礼賛の恩恵。第八の宙は、オレたちにとっちゃ楽園だ」
すべての魔物が、忘れじの楽土と恋焦がれる故郷。
ネルネザゴーンがグリムランドとも呼ばれていた理由は、実際に足を運んでみて良く分かった。
地上に聳え立っていた
「ここはティタノモンゴットみたいに、自然と第五世界の
「知らねえよ。最初がどうだったとかはなァ」
「そうか? まぁ、オマエはそうだろうが」
巨大彗星衝突によって、エルノスの星に舞い降りた第八眷属は。
(〈崩落の紀〉を乗り越えた果てに、恐らく意図的に自分たちの棲みやすい場所を作った)
それが、ネルネザゴーン。
別名、
魔剣や魔槍の担い手であるグリムびとが、第八世界由来の魔力を霊脈に注入して異界を創り上げた地。
真に驚くべきは、深淵魔境を創り上げ。
なおもアレだけ、野放図に魔力の奔流を撃ち放てる元々の貯蓄量だが──
「に、してもだ」
「……」
吐く息に、細氷が混じる。
指の先から全身が、凍った骨のように白くなる。
黒衣を纏い、昏い眼窩の羚羊骨面を被り。
魔女化は一瞬。
俺のなかのベアトリクスの力は、この通り、まったく封じられていない。
したがって、俺とコイツの格の違いも、あの頃から変わっていない。
それが意味するのは、
「『鉄鎖流狼』じゃ、『白嶺の魔女』には勝てない」
厳然たる事実だけだ。
今じゃ俺は、"
発動はやめていないし、こうしているいまも大量のアンデッドやデモゴルゴンを消滅させている。
なのに、状況がおかしかった。
(どうしてコイツは、〈
冀望の朝自体も、先ほどから妙な感覚である。
極光の帳は、まるで薄い壁を隔てた『外側』で発動している。
例えるなら、筒と布だ。
大峡谷という
俺の大魔法は俺を中心にしているため、落下と同時に筒の内壁へ張り付く
極北にして最美の自然景色。
魔境を塗り替える心象景色の具現は、必然的に筒の内部にそこまで浸透しない。
それでも、筒の内部に入り込んだ極光模様の綾織物は、人から転じた魔物にとって致命的だ。
仮に『鉄鎖流狼』が大魔法を発動しても、いや、大魔法を発動して抗おうとしてしまうからこそ。
人狼は無防備な魂の本質を晒し、消滅していなければならない。
俺の〝死者送り〟は、元人間に特攻効果がある。
(けど、現状はそうなってない)
筒の底側から、監獄城という違う布がぶつかって来た。
ぶつかって来たどころか、俺の魔法よりも優先権を持つみたいに、大峡谷の地肌に潜り込んだ。
(いや、それだと表現がおかしいか……?)
現状が異常すぎて、正しい語彙での状況把握が難しい。
強いて言えば、筒の中にもう一本の筒と円錐が生まれたような感覚だ。
大峡谷という大きな筒の容れ物。
その内側に帯状の布が落ちて行ったが、大筒と帯布の間に滑り込むようにして、もう一本の筒が出来上がり。
帯布は二重の筒の中に囲われてしまった。
ただ、二つ目の筒はとても薄く。
大筒の内側面を覆った〝
薄すぎるために、帯布と擦れ合えば刺激が大筒にも伝わってしまう。
そして、この薄筒は底部で円錐状の
筺の名は、『縛鎖監獄城』──俺はいまコレに足を着き、異界の主と対峙していた。
単純な異界でないため、イマイチ確信は持てないが。
「フン、分かるぜ? 分からねェんだろう?」
「ああ。でもまぁ」
頸を落とせば、さすがに事足りるだろう。
闇人化も発動する。
すると、人狼は狂ったように笑った。
「ヒッヒヒヒヒッ! ヒトがせっかく、種明かしをしてやろうかと思ったのに……そんなふうにバカデケェ斧を向けられたら、オチオチ話もできねェだろォがッ!」
笑い、隠れていた柱の陰から──姿を現した。
「──────」
その、束の間の意表を。
いったい何と、表現すればいいだろうか?
俺はあまりに予想外すぎて、一瞬だがたしかに思考が停止してしまった。
見間違えるはずもない敵の首魁。
思考は停止していたが、積日の怒りが咄嗟に反応する。
「ぐなァッ!? なッッ、んだよッ! 反応すんのかよォッ!!」
「オマエ」
頸動脈を狙った鋭い爪を、斧で弾く。
人狼──否、吸血鬼のカラダを持った化け物は、宙返りして反転した。
……膨れ上がった感情のボルテージに、つい言葉が出なくなりがちなのは俺の悪癖だな。
だが、理解と同時に納得も生まれた。
「そうか──オマエ、そうか」
「ヒッ、ヒヒヒっ……どうだ? 格下に追いつかれた気分はァ!!」
人狼という魔物は、人間の生皮を被るコトで人間に化けられる。
では、もしも仮に、魔物の生皮を被ったら?
(不死身のアンデッドなら、自身の皮を剥ぐくらい大した痛痒でも無いってワケだ)
答えは、目の前に現れていた。
「オレは白嶺に勝てねぇ……だが、だがだがだがだがだがッ!」
──『鉄鎖流狼』は、『鯨飲濁流』の皮を被り変身していた。
忠誠を誓い、敬愛を捧げ、心と魂のすべてから信奉する闇の公子。
この人狼にとっては、それがどれだけ恐れ多く……また、どれだけの光栄になるだろうか。
感動と、爪牙として奮い立つ自負。
まさに、俺は狂喜に歪む宿敵の
本物か、偽物か。
頭の片隅にあった疑問の答えさえも、もはやこれにて明白。
月の瞳が視た〝鉄鎖流狼が二体いる〟未来の謎も、ほぼ解き明かされた。
「ゲーン様はオレにッ、『皮』をくださったッ! テメェが白嶺の霊威を被るみてェにッ、オレはゲーン様の霊威を被ったんだッ!」
だがそれは、人狼という魔物の器に許された逸脱じゃない。
吸血鬼が人間の血を吸わず、べつのナニカの血を求めるような狂行。
人間の生皮ではなく、魔物の生皮を被っての変身?
鉄鎖流狼は、代償無くしてそれを成立させられなかったはずだ。
「代わりにオマエは、オマエの『皮』を失ったか」
「ああッ!」
「ララヤレルンのオマエは、その『皮』を与えられた偽物だな」
「大正解ッ!」
端的な肯定は、『鯨飲濁流』並のプレッシャーを伴った。
人をおちょくるような雰囲気も、たしかにヤツを彷彿とさせる。
──しかし。
「喜べよ、不倶戴天……」
「……」
「オレは闇の公子、その爪牙ッ! あの方の一番槍でありッ、あの方の身を守る城でありッ、あの方の立つ戦場で先駆けるのは常にオレッ!」
鯨飲濁流の姿で、鉄鎖流狼はフラフラと足を揺らしながら、魔物としての存在感を大きく揺らしていた。
大魔の圧力には波があり、小さくもなれば大きくもなる。
波が大きくなった時は、たしかに鯨飲濁流と同等だ。
だから、俺とも辛うじて互角と言えるが──
「なるほどな。地の利を活かして、あの手この手も尽くして」
その結果が、現状の奇妙と言わざるを得ない異常事態をもたらした。
が、厄介なのは〝場の異常性〟だけだ。
「大した覚悟だと認めてやりたいところだが、そんな有り様でマトモに戦えるつもりか?」
鉄鎖流狼自体の脅威は、やはり疾うの昔に追い抜いている。
この〝場〟を整えた策謀と、コイツ自身の覚悟そのものには一定の評価を下せるが。
「どうして出てきた?
「ッ……!」
波が弱まった瞬間を狙って、斧の刃を首筋へ当てる。
ほら、接近する速度にも追いつけない。
俺はそのまま、スルリ、と宿敵の貌を胴体から切り離した。
もちろん、それで終わるとも思っていない。
首を失った吸血鬼のカラダが、ぐるりと向きを変えて爪を振りかざす。
だからそれも、振り抜いた森羅斬伐を遠心力のままに振り戻して、対処した。
弾き合い、間合いを置く。
「……ハッ、分かってンだよォそんなコトァッ!」
鉄鎖流狼は首の切断面から、ジャラジャラと鎖を伸ばして首を回収した。
「それでもだッ! さっきも言ったろうッ不倶戴天ッ!」
「……」
「オレは栄光ある闇の公子が誇りし、爪牙ッ! あの方の一番槍でありッ、あの方の身を守る城塞でありッ、あの方の立つ戦場で先駆けるのは常に、このオレを置いて他にいねぇッ!」
たとえ勝てずとも。
たとえ劣ろうとも。
「分かるか──オレは、この『皮衣』を下賜された歓喜を以って、全霊を捧げ尽くすッ! それになァ……」
もはや、人狼と呼んでもいいのか。
それすら不確かになった状態で。
下位の大魔は、大胆に両腕を広げて、主人のように嗤った。
「テメェの圧勝、テメェの即勝ち……テメェがここまでやって来んのに、大層苦労して手にした技だろうと魔法だろうと、どんな奇跡もッ! こうして封じて、使えなくして、足止めできた『状況』を作れた時点で──!」
縛鎖監獄城は、意味を成している。
「一撃で死ぬ無念は無いッ! 雑兵のように斬り捨てられる恐怖も無いッ! 何故ならここは──オレの生まれた『伝説』そのものなんだからなァァァ──ッ!!」
「!」
裂帛は、どんどん血錆に濡れた大鉄鎖の遮断層を増やした。
鉄鎖流狼は跳躍し、その交差の渦の奥へと逃げていく。
監獄城の奥へ奥へ、どんどん逃げて行った。
追走する。
次々に垂れ落ちては、妨害するように伸びる巨大な鎖の〝擦り潰し〟に気をつけつつ。
現状はたしかに、足止めを食らっている。
増えていく巨大な鎖も、明らかな超常現象にもかかわらず、依然、物質の気配を伴っている。
(……とにもかくにも)
不快な状況だ。
純粋な戦いになれば、ウィンター伯との約束をようやくひとつは果たせる。
だというのに、敵は「だったら純粋な戦いなどしなければいい」と言わんばかりに姑息な真似をしている。
策を授けたのは、間違いなく月眼=ムーングラムってヤツだろう。
(逆の立場だったら当然かもしれないが、強くなりすぎるとメタを張られる運命なんてクソ喰らえだな)
鯨飲濁流に変身している鉄鎖流狼を殺しても、現状の大峡谷から縛鎖監獄城が消えるかは分からない。
でも、鉄鎖流狼が〈領域〉の主であるのは、間違いない。
ヤツがいる限り、遮断層は厚みを増していく。
抜け道を探したり、局所的な道を作るコトもできやしない。
そして。
(──月眼=ムーングラムは、ひとつ計算違いをしてるな)
鉄鎖流狼を、分かっていない。
今しがたの交錯で、ヤツは月眼=ムーングラムの思い描いた通りに動いていたに違いないが。
(こんな、向こうも向こうで俺に勝てない作戦……)
闇の公子の爪牙を自称し。
一番槍で城塞、先駆けの栄誉を誇りとし。
且つ、破綻した精神の化身でもある大いなる魔が。
受け入れているはずが、無いのだ。
だからこそ、わざわざ姿も現した。
最初から隠れ続け、逃げ続け、壁であり続ければ。
俺の足止めは、もっと長く続けられただろうに。
鉄鎖流狼は、必ず〝攻性〟に転じる。
己が
縛鎖監獄城とは違って、純然たる魔力でのみ構成された異界を。
すべてのアドバンテージを捨ててでも、使わずにはいられないだろう。
そうなれば、こちらが英雄奥義を躊躇う理由は無かった。
「ッ……! 来たなッ!」
「──ああ、来たぞ」
ズザザザザッ、とドリフトするように振り返って。
縛鎖監獄城の最深部にて、人狼は始めた。
いや、最深部というのは語弊があるか……
正しくは、最も高い尖塔の最上階。
円錐の先端。
そこは、貴人の拘束に使わていた幽閉塔のようで。
数限りない拷問器具が、壁や床に散乱している部屋。
すなわち。
「テメェにオレの、『
「……」
悪心を賛美し。
悪逆に愉悦し。
それでいながら、常に
鉄鎖流狼、ではなく。
悪心萌芽の縛鎖狼、としての異名の由縁を。
かつて、焦がれた
呪文が、唱えられる。
「"
────────────
tips:群青卿VS真・鉄鎖流狼
深淵の大峡谷、ネルネザゴーン。
最深部を防衛せし縛鎖監獄城戦。
月眼=ムーングラムは以下の策を人狼に授けた。
【1】鯨飲濁流の生皮
白髏の夜にも冀望の朝にも対抗できるよう、格の大幅な強化。
ただし、人狼という魔物の器を逸脱するため、鯨飲濁流の能力を得られるワケでもない。
それどころか、魂にかかる負担のほうが大きい。
あくまで時間制限付きの霊威上昇。
ただ大魔法を発動可能にするのみで、元の魔物にも戻れない。
が、鉄鎖流狼は迷わなかった。
【2】縛鎖監獄城の転移
鉄鎖流狼という『伝説』が生まれた土地を、丸ごと大峡谷内に移設。
これにより、大魔法は憑依現象を起こして物質としての性質も持つため、魔法により構築された異界ではなくなる。
森羅斬伐による世界破壊斬を行っても、大峡谷の崩落という結果によって、鯨飲濁流の追跡を防ぐ構え。
【3】魔界礼賛領域
ネルネザゴーンにおける魔物の地の利。
ここでの魔物の魔法は、すべて
あらゆる能力値に強化が入り、逆に言えば、これと『皮』が無ければ……鉄鎖流狼は本人も恐れていたように、一撃死していた。
雑兵のように首を落とされる未来を、爪牙は嫌ったのだ。
したがって、群青卿の考えとは裏腹に。
「ああ、やはり使いますか」
月眼=ムーングラムにも、『真・鉄鎖流狼』が大魔法を使うのは視えていた。
ララヤレルンを襲っている『偽・鉄鎖流狼』も、時同じくして大魔法を使う。
その結末を、
「私の望んだ通りです」