ヰ世界の歌 夜明け前のダークエルフ 王道硬派な大河ファンタジーの世界で一歩から始める人外愛譚 作:所羅門ヒトリモン
「やれやれ」
最初に訪れた異変は、北東部の戦場でだった。
「な──貴様、何者だ……!?」
「角獣の〈異界の門扉〉……?」
「待て、まさか……!?」
尖り兜山の麓。
鋭く切り立った断崖の影が、その時、わずかに陰影を濃くする。
ネルネザゴーンの軍勢は殲滅されつつあり。
将帥であった『白眉のネメオン』も、倒れ伏したまま動かない。
白髪黒曜の双子姉妹に率いられしメラネルガリア軍は、自分たちの優勢を確信して掃討戦の構えにすら入っていた。
群青卿が敵本拠地に到着したコトで。
ララヤレルンに限らず、北の人界同盟における各国各主要地では。
──終わりなど、無いのでは?
と思われていた敵の増援に。
一目でそう、と分かる〝激減〟を確認していたからだ。
例えるなら、それはダム。
北の人界を、向こう一千年は水没させられる巨大なダムが。
決壊し、怒涛と洪水を起こしていたところを、人々は〝手のひら〟を使って押し留めようとしていた。
そんな抵抗が、長く続くワケない。
しかし、ダムが修復され、水の放出量が蛇口レベルにまで制限されれば話は別。
「いける、いけるぞ……!」
「おおっ! 群青卿は辿り着いたのか!」
「我らが賢良大公に栄えあれッ!」
「ぶっちゃけ今でも怖ぇがッ、今ならキスできる!」
「勝てるぞ──勝つぞ……ッ!」
「
全ての戦線では、次々にそんな声も挙がっていた。
メラネルガリア軍も同様だった。
だから、戦慄があった。
最もはじめに、異変を察知したのは
「! ッ……やっぱりね。やっぱりやっぱりやっぱりやっぱり!」
「お!? オイッ、どうした!? 大丈夫か!?」
黒詩の魔女は苦鳴をあげ、「嘘つき」「許さない」の二語を繰り返す。
ビク! と怯え、心配したテルーズが恐る恐る駆け寄るが、即断を迫られたヴァシリーサの行動は早かった。
門扉を解錠し、北東の戦場にひとり移動したのだ。
──だが、そのワンテンポがあれば、
「やれやれ、やれやれ」
ネメオンの隣で、無惨に変わり果てた姿となった魔槍。
直し、触れないまま宙へと浮かべ。
「彼にも困ったものです。私をアテにするとは」
グリムびとよりも、権威が上だからだろうか?
魔槍は宙に浮かび上がって行くにつれて、第八の原棲魔の底知れない魔力をも吸い上げたかのように、大きく膨らんだ。
そして穂先が、大地に向き──
「"
「うわあああああああああああああああ──ッ!!」
ネメオンが唱えた解号とは、明らかに異なる言葉が呟かれた瞬間。
間一髪、間に合ったヴァシリーサが、二度目の『魔界礼賛』をギリギリで防いだ。
有角神の出現に戦慄していたメラネルガリア軍が、避けられない硬直に襲われていたなか。
空から禍々しい光を発して、大地に突き刺さろうとする大魔槍を。
黒詩の魔女は、小さな両手を空に掲げて、〈
ただ、それはヴァシリーサが行動不能になるのと同義だった。
ララヤレルン全域の監視と庇護。
ギンヌンガの支援、クリスへの指示。
下僕たちの使嗾に、避難民の保護。
そこに加えて、グラマティカが起動した大魔槍の『魔界礼賛』封じ。
ネメオンとは違い、ヴァシリーサは圧力を放つだけでは守りきれないと判断した。
よって自らが赴き、直接魔法を発動して魔界礼賛の高出力と大規模に抵抗する。
が、それでさすがにキャパシティオーバーだった。
有角神の前で、あまりにも無防備な姿を晒してしまう。
そこを──
「〝
「おっと」
「"
「おっとっと」
わずかに戦場を移動していたセラスランカとティアドロップが、すかさず攻撃を繰り出すコトで有角神を後ろに下がらせる。
「血気盛んですね。ですが、そう慌てずともすぐに退散しますよ」
「「逃げる気──!?」」
「当然。もう一本のツノまで、折られてはたまりません」
有角神の頭部には、バランスを守るためだろう。
折れたツノの代わりに、装飾の施された義手ならぬ義角があった。
グラマティカはチラリと、ララヤの方角へ視線を投じる。
その眼差しは、ギンヌンガを警戒して明らかな恐怖を映していた。
実際、ギンヌンガもまた「──」とグラマティカを捕捉している。
メラネルガリア軍が近くにいなければ、間違いなく爪が振るわれていた。
「というワケで、さようなら」
「ッ!」
「なんて──厄介っ!」
大魔槍を起動する。
ララヤレルンの戦場における、グラマティカの役割はたったそれだけ。
役割を終えたならば、〈異界の門扉〉を使って即座に退散。
第八の原棲魔であり、ネメオンには高貴なる神として信仰されていたほどの存在が。
あまりにもせせこましい行動だったが、効果は劇的だった。
「ああ──ようやくだ」
「なッ」
「どうして!?」
倒れ伏していたはずのネメオンが、立ち上がる。
ゼノギア・チェーザレによる『驟雨の獣』の異界法則展開から、しばらくして。
大魔と神父の戦いを見守っていたギルベルトは、いろいろ驚愕の事態に目を白黒させながらも、勝者の介抱をするため外へと出ていた。
「ゼノギア様、大丈夫ですかっ? 先ほどのお姿はいったい──」
「ッ、大丈夫ですよ。それよりフォーミュラーくん……アノスとネイトを……っ」
「えっ? アノス様と、ネイト様ですかっ?」
「二人は
ゼノギアは人間の姿に戻っているが、雨はまだ小雨で続いていた。
少し離れた場所には、倒壊した家屋に横たわる形で、『鉄鎖流狼』が死んでいる。
霊核である心臓を穿たれたのだ。
神父は憔悴し、ひどく体力を消耗した様子だったが、代わりに大魔を斃した。
凄まじい偉業である。
それを思えば、むしろこのくらいの消耗で済んでいるのは、奇跡ですらないかとギルベルトは思った。
(それに、ご自身がこれだけ苦しい状態にあるというのに……!)
ゼノギアが真っ先に気にかけるのは、
群青卿の執事は、「なんて御方だろう……!」と息を呑む。
戦いが始まる前。
アノスとネイトは、確かにテレジアに頼まれ
霊薬の生産に必要な物資を、倉庫から取ってくるためだ。
鉄鎖流狼が来たため、あまり説得力は無いが。
城館周辺はララヤレルンで、最も安全な場所。
ホムンクルスは普通の人間よりも力があり、カムビヨンの仔らでもある五つ子たちには、魔法という自衛手段もある。
テレジアも途中から、気が気ではなかったに違いないが、二人を使いに行かせたのは決して間違った判断ではない。
仰向けになって、息も絶え絶えであるゼノギアの肩を助け起こしながら、ギルベルトが
「あっ、良かった! 大丈夫ですよ、ゼノギア様!」
「二人、はっ……?」
「ご無事です! 戦闘が終わったのを見て、ちょうど戻って来るようです!」
アノスとネイトは、タッタッタッ、と木箱を抱えて走っていた。
ちゃんとテレジアからの頼みも忘れず、身の安全を判断してから行動している。
が、
「あっ!」
「! ネイトッ!」
途中でネイトが、雪に足を滑らせたのか転んでしまった。
いや、きっと雨が降ったために、行きよりも滑りやすくなっていたのだろう。
幸い、派手な転び方ではなく。
転んでしまった場所も、雪が積もっていたため大事は無い。
抱えていた木箱も、もともと頑丈な造りのか壊れるコトも無かった。
中身は少し、散らばってしまったが。
そんな様子が、窓からも見えたのだろう。
城館の玄関扉がバタン! と勢い良く開き──
「あっ、ちょっと、ダメよ!」
──と、焦ったテレジアの声とは裏腹に。
残っていたクゥナ、ミレイ、ヨルンもまた、二人を迎えに行った。
兄妹を助けるためだろう。
「優しい子たちですね」
「……ええ」
「きっと、ゼノギア様とテレジア様の日頃の教育の賜物です」
「タハハ……だと、いいのですが」
感動し、ギルベルトが心から思ったことを告げると、神父は少しだけいつもの雰囲気に戻って苦笑した。
培養混血児たちの自我は、未だ希薄である。
情緒面に関しても、凪いだ湖面のような無感情に見える。
親として成長を見守るゼノギアには、現実問題、この調子で本当にいいのだろうか? と悩む日もあるに違いなかった。
それでも、神父は困ったように眉を下げながら、「ぐっ」と気合いを入れて立ちあがろうとする。
「! ご無理はなさらずっ! あの子たちなら、私が代わりにっ!」
「いえいえ……彼らを引き取ると決めたのは、私ですから……ッ」
「では、肩をお貸ししますので……!」
「──タハハ……すみません、ありがとうございます」
礼に、「命を救ってもらった恩に比べれば」と応えて。
執事と神父。
何かと領地を留守にしがちな群青卿に代わり。
居残り組、になりやすいギルベルトとゼノギアは、ゆっくりと五人のもとに向かおうとした。
「よォ」
「ッ!!??」
「
何が起こったのか、ギルベルトには分からなかった。
ただ、気づいたら宙を飛んでいた。
貸していた肩が、神父に押し飛ばされて。
「────グッ、ゴホッ! ……ぇ、ぇ?」
背中を打った痛みと、肺から叩き出された息による苦しみ。
雨で濡れ、凍り始めた雪の冷たさと泥の不快感。
分かったのは自分が、尋常ではない腕力で助けられたというコト。
その代償に、ゼノギアが致命的な隙を晒してしまったというコト。
「グォぉァアアアアアアアアアア──ッ!!」
「吠えろ吠えろ吠えろッ! ハンパモンがァァッ!」
「そん、な……!」
鉄鎖流狼が、生きていた。
人狼の大魔は穿たれた心臓から、大量の鎖を生やして神父の五体を絡め取り、虚空へと縛り上げる。
ゼノギアもまた、先ほどの恐ろしい姿に戻って抵抗しようとするが、血錆に汚れた鎖による拘束のほうが早い。
「なんで……!?」
ギルベルトには分からなかった。
魔物に詳しい専門家ではない。
戦いを生業にする職業戦士でもない。
けれど、
──その疑問に、偽りの『鉄鎖流狼』が答える。
「クックックッ……
「ッ!? オマ、エ……『鉄鎖流狼』ではない、のか……!?」
ゼノギアが驚愕する。
バカな、と丸眼鏡を落とす。
神父には手応えがあった。
己の魔法が、悪心を礼賛する人狼に極めて致命的な代物であると、たしかな手応えを感じていた。
戦闘中に浴びさせられた大魔の威圧も、まさにあの日のリンデンで垣間見た『鉄鎖流狼』そのものに違いなかった。
戦闘方法、下劣な性根、魔物としての弱点。
いずれも『鉄鎖流狼』を意味していた。
たしかに、偽物である可能性はあったが……ゼノギアは自身の勝利から、ララヤレルンの『鉄鎖流狼』が本物だと考えていた。
だが、人狼は今やズルズルと〝皮〟を捲れ上がらせていた。
いや、心臓に穴を開けられたコトで、被っていた皮がズレたのだ。
それが内側に潜んでいたモノの正体を、わずかにだが覗かせる。
「! ──
「ご名答ゥゥッ!」
敵は、吸血鬼や人狼に並んで〝変身の魔〟と呼ばれる人外。
天性のプリテンダー。
その能力は、変身する相手の体組織の一部があれば、何にでも化けられるという変身特化!
字名の所以は、変身と呼ぶにはあまりに気持ちが悪い生物的な
そして、このシェイプシフターは鉄鎖流狼の信奉者だった。
鉄鎖流狼が、鯨飲濁流の信奉者であるように。
悪心萌芽の縛鎖狼にも、その闇にヒカリを覚えた魔物がいた。
名も無きシェイプシフターは、ただ鉄鎖流狼になりたくて。
ただ鉄鎖流狼と同一化したくて堪らなくて。
──その一心だけで、本物と見紛うほどの『鉄鎖流狼』足り得ていたのだ……!
なればこそ、本物と同じ魔法も使える。
人狼という魔物にとって、皮は極めて重要な
本物から皮を与えられ、そのうえで変身したのなら。
もはやこのシェイプシフターに、『鉄鎖流狼』でなかった頃の自分など欠片も無い。
「ここではたしかに、
「グッ! ガァっ、うぅゥゥ……ッ!」
「如何なテッサ様と言えど、闇の公子と同格の魔女には手も足も出ねェ……でもなァッ!」
ゼノギアを締め上げながら、偽りの人狼は唾を飛ばしてゲラゲラと吠えた。
「なにも〈領域〉を乗っ取る必要はねェ……範囲と出力を、テメェひとりに抑えて使う分にはッ、何も制限なんざねェェンだよォォォ──ッ!!」
──すなわち。
"悪心よ、萌芽せよ"
魔法の名は、ゲルミナティオ・ノズィーアン。
人狼擬きの変身魔は、呪矢に貫かれる前に己が心臓を抉り出していた。
何故なら、それがこの魔法の発動条件。
信奉する鉄鎖流狼に倣って、シェイプシフターは不死性の恩恵を得る。
……先ほどまでなら、それで終わりだった。
偽物は己が身を守って、生成りの神父と泥のような第二ラウンドに臨んだだろう。
だが、今は!
「ヒッヒヒヒヒッ! ありがてェ、ありがてェ……!」
黒詩の魔女は、北東部にて魔界礼賛の大魔槍を抑えるのに手一杯になった。
直前に、驟雨の獣の異界を許してもいた。
分かるだろうか?
小さなヒビが、小さな亀裂が──此処に。
「……さァ、人間ども……テメェの底をッ、ブチ晒せェェェ──ッ!!」
よりにもよって、
ごく限定的とはいえ、紅の満月を浮かべる隙となったのだ。
悪心萌芽の穢らわしい魔力が。
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tips:眠りの女神の祝福
「いや……いや……やめて──!」
グウェンドリンはその瞬間、テレジアの悲鳴を聞いた。
霊薬の生産過程では、目を離せば危険な事故も起こり得るため、錬金術師は外の様子をハッキリとは確認できない。
グウェンドリンの新たな友だちは、大戦の生命線を支える重責を、決して中途半端に放り投げるような無責任な人間でもない。
それでも、愛する男が戦いで追い詰められ。
日々の成長を愛しく見守ってきた五人の子どもたちが、〈目録〉で語られる禁忌の魔法に脅かされるとなっては、必然の悲鳴だった。
人狼は紅い満月を浮かべたが、その効果は外の大通りしか襲っていない。
偽物だし、黒詩の魔女の抑圧もあるため、出力規模も低い。
ゼノギア・チェーザレは、生成りであるがゆえに抵抗可能だろう。
なので、グウェンドリンはせめてもの協力として、ギルベルトを助けた。
城館の近くにいて、なおかつグウェンドリンの手が届く距離にいたのは、ギルベルトだけだった。
「お眠りを」
「ぅ──」
執事はガクリと、悪心萌芽の影響を受ける前に意識を失う。
問題は、残された五人の子どもたちだが──