ヰ世界の歌 夜明け前のダークエルフ 王道硬派な大河ファンタジーの世界で一歩から始める人外愛譚   作:所羅門ヒトリモン

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#356「紅の満月は再び」

 

 

「やれやれ」

 

 最初に訪れた異変は、北東部の戦場でだった。

 

「な──貴様、何者だ……!?」

「角獣の〈異界の門扉〉……?」

「待て、まさか……!?」

 

 尖り兜山の麓。

 鋭く切り立った断崖の影が、その時、わずかに陰影を濃くする。

 

 ネルネザゴーンの軍勢は殲滅されつつあり。

 将帥であった『白眉のネメオン』も、倒れ伏したまま動かない。

 

 白髪黒曜の双子姉妹に率いられしメラネルガリア軍は、自分たちの優勢を確信して掃討戦の構えにすら入っていた。

 

 群青卿が敵本拠地に到着したコトで。

 ララヤレルンに限らず、北の人界同盟における各国各主要地では。

 

 ──終わりなど、無いのでは?

 

 と思われていた敵の増援に。

 一目でそう、と分かる〝激減〟を確認していたからだ。

 

 例えるなら、それはダム。

 

 北の人界を、向こう一千年は水没させられる巨大なダムが。

 決壊し、怒涛と洪水を起こしていたところを、人々は〝手のひら〟を使って押し留めようとしていた。

 そんな抵抗が、長く続くワケない。

 

 しかし、ダムが修復され、水の放出量が蛇口レベルにまで制限されれば話は別。

 

「いける、いけるぞ……!」

「おおっ! 群青卿は辿り着いたのか!」

「我らが賢良大公に栄えあれッ!」

「ぶっちゃけ今でも怖ぇがッ、今ならキスできる!」

「勝てるぞ──勝つぞ……ッ!」

「北方大陸人(セプテントリオン)の意地を見せろ──!」

 

 全ての戦線では、次々にそんな声も挙がっていた。

 メラネルガリア軍も同様だった。

 

 だから、戦慄があった。

 

 最もはじめに、異変を察知したのは鳥籠の街(ケージ・シティ)にいたヴァシリーサだ。

 

「! ッ……やっぱりね。やっぱりやっぱりやっぱりやっぱり!」

「お!? オイッ、どうした!? 大丈夫か!?」

 

 黒詩の魔女は苦鳴をあげ、「嘘つき」「許さない」の二語を繰り返す。

 ビク! と怯え、心配したテルーズが恐る恐る駆け寄るが、即断を迫られたヴァシリーサの行動は早かった。

 

 門扉を解錠し、北東の戦場にひとり移動したのだ。

 

 ──だが、そのワンテンポがあれば、敵(・)には充分だった。

 

「やれやれ、やれやれ」

 

 ネメオンの隣で、無惨に変わり果てた姿となった魔槍。

 有(・)角(・)神(・)グ(・)ラ(・)マ(・)テ(・)ィ(・)カ(・)は、手を翳しただけで魔法のように直した。

 

 直し、触れないまま宙へと浮かべ。

 

「彼にも困ったものです。私をアテにするとは」

 

 グリムびとよりも、権威が上だからだろうか?

 魔槍は宙に浮かび上がって行くにつれて、第八の原棲魔の底知れない魔力をも吸い上げたかのように、大きく膨らんだ。

 

 そして穂先が、大地に向き──

 

「"双角王(ドゥルカルナイン)・魔槍剛結杭(パイルノット)"」

「うわあああああああああああああああ──ッ!!」

 

 ネメオンが唱えた解号とは、明らかに異なる言葉が呟かれた瞬間。

 間一髪、間に合ったヴァシリーサが、二度目の『魔界礼賛』をギリギリで防いだ。

 

 有角神の出現に戦慄していたメラネルガリア軍が、避けられない硬直に襲われていたなか。

 

 空から禍々しい光を発して、大地に突き刺さろうとする大魔槍を。

 黒詩の魔女は、小さな両手を空に掲げて、〈領域(レルム)〉の支配者として空中に留めたのである。

 

 ただ、それはヴァシリーサが行動不能になるのと同義だった。

 

 ララヤレルン全域の監視と庇護。

 ギンヌンガの支援、クリスへの指示。

 下僕たちの使嗾に、避難民の保護。

 

 そこに加えて、グラマティカが起動した大魔槍の『魔界礼賛』封じ。

 

 ネメオンとは違い、ヴァシリーサは圧力を放つだけでは守りきれないと判断した。

 よって自らが赴き、直接魔法を発動して魔界礼賛の高出力と大規模に抵抗する。

 

 が、それでさすがにキャパシティオーバーだった。

 

 有角神の前で、あまりにも無防備な姿を晒してしまう。

 

 そこを──

 

「〝既存秩序斬殺(其の法則を斬る)〟!」

「おっと」

「"ガラスの溶岩(グラス・ラーヴァ)、氷種黒曜石(アイス・オブシディアン)"!」

「おっとっと」

 

 わずかに戦場を移動していたセラスランカとティアドロップが、すかさず攻撃を繰り出すコトで有角神を後ろに下がらせる。

 

「血気盛んですね。ですが、そう慌てずともすぐに退散しますよ」

「「逃げる気──!?」」

「当然。もう一本のツノまで、折られてはたまりません」

 

 有角神の頭部には、バランスを守るためだろう。

 折れたツノの代わりに、装飾の施された義手ならぬ義角があった。

 

 グラマティカはチラリと、ララヤの方角へ視線を投じる。

 その眼差しは、ギンヌンガを警戒して明らかな恐怖を映していた。

 

 実際、ギンヌンガもまた「──」とグラマティカを捕捉している。

 

 メラネルガリア軍が近くにいなければ、間違いなく爪が振るわれていた。

 

「というワケで、さようなら」

「ッ!」

「なんて──厄介っ!」

 

 大魔槍を起動する。

 ララヤレルンの戦場における、グラマティカの役割はたったそれだけ。

 役割を終えたならば、〈異界の門扉〉を使って即座に退散。

 

 第八の原棲魔であり、ネメオンには高貴なる神として信仰されていたほどの存在が。

 

 あまりにもせせこましい行動だったが、効果は劇的だった。

 

「ああ──ようやくだ」

「なッ」

「どうして!?」

 

 倒れ伏していたはずのネメオンが、立ち上がる。

 

 

 

 

 

 

 城館(シュロス)前の大通りでも、変化は劇的だった。

 

 ゼノギア・チェーザレによる『驟雨の獣』の異界法則展開から、しばらくして。

 大魔と神父の戦いを見守っていたギルベルトは、いろいろ驚愕の事態に目を白黒させながらも、勝者の介抱をするため外へと出ていた。

 

「ゼノギア様、大丈夫ですかっ? 先ほどのお姿はいったい──」

「ッ、大丈夫ですよ。それよりフォーミュラーくん……アノスとネイトを……っ」

「えっ? アノス様と、ネイト様ですかっ?」

「二人は治療薬院(ケヒト)に向かっていましたっ。私のせいで、城館(シュロス)に戻れなくなっていたはずです……」

 

 ゼノギアは人間の姿に戻っているが、雨はまだ小雨で続いていた。

 少し離れた場所には、倒壊した家屋に横たわる形で、『鉄鎖流狼』が死んでいる。

 

 霊核である心臓を穿たれたのだ。

 

 神父は憔悴し、ひどく体力を消耗した様子だったが、代わりに大魔を斃した。

 凄まじい偉業である。

 それを思えば、むしろこのくらいの消耗で済んでいるのは、奇跡ですらないかとギルベルトは思った。

 

(それに、ご自身がこれだけ苦しい状態にあるというのに……!)

 

 ゼノギアが真っ先に気にかけるのは、培養混血児(ホムビヨン)の二人。

 群青卿の執事は、「なんて御方だろう……!」と息を呑む。

 

 戦いが始まる前。

 アノスとネイトは、確かにテレジアに頼まれ治療薬院(ケヒト)に向かっている。

 霊薬の生産に必要な物資を、倉庫から取ってくるためだ。

 

 鉄鎖流狼が来たため、あまり説得力は無いが。

 城館周辺はララヤレルンで、最も安全な場所。

 ホムンクルスは普通の人間よりも力があり、カムビヨンの仔らでもある五つ子たちには、魔法という自衛手段もある。

 

 テレジアも途中から、気が気ではなかったに違いないが、二人を使いに行かせたのは決して間違った判断ではない。

 

 仰向けになって、息も絶え絶えであるゼノギアの肩を助け起こしながら、ギルベルトが治療薬院(ケヒト)の方角を見ると。

 

「あっ、良かった! 大丈夫ですよ、ゼノギア様!」

「二人、はっ……?」

「ご無事です! 戦闘が終わったのを見て、ちょうど戻って来るようです!」

 

 アノスとネイトは、タッタッタッ、と木箱を抱えて走っていた。

 ちゃんとテレジアからの頼みも忘れず、身の安全を判断してから行動している。

 

 が、

 

「あっ!」

「! ネイトッ!」

 

 途中でネイトが、雪に足を滑らせたのか転んでしまった。

 いや、きっと雨が降ったために、行きよりも滑りやすくなっていたのだろう。

 

 幸い、派手な転び方ではなく。

 転んでしまった場所も、雪が積もっていたため大事は無い。

 抱えていた木箱も、もともと頑丈な造りのか壊れるコトも無かった。

 中身は少し、散らばってしまったが。

 

 そんな様子が、窓からも見えたのだろう。

 

 城館の玄関扉がバタン! と勢い良く開き──

 

「あっ、ちょっと、ダメよ!」

 

 ──と、焦ったテレジアの声とは裏腹に。

 残っていたクゥナ、ミレイ、ヨルンもまた、二人を迎えに行った。

 

 兄妹を助けるためだろう。

 

「優しい子たちですね」

「……ええ」

「きっと、ゼノギア様とテレジア様の日頃の教育の賜物です」

「タハハ……だと、いいのですが」

 

 感動し、ギルベルトが心から思ったことを告げると、神父は少しだけいつもの雰囲気に戻って苦笑した。

 

 培養混血児たちの自我は、未だ希薄である。

 情緒面に関しても、凪いだ湖面のような無感情に見える。

 

 親として成長を見守るゼノギアには、現実問題、この調子で本当にいいのだろうか? と悩む日もあるに違いなかった。

 それでも、神父は困ったように眉を下げながら、「ぐっ」と気合いを入れて立ちあがろうとする。

 

「! ご無理はなさらずっ! あの子たちなら、私が代わりにっ!」

「いえいえ……彼らを引き取ると決めたのは、私ですから……ッ」

「では、肩をお貸ししますので……!」

「──タハハ……すみません、ありがとうございます」

 

 礼に、「命を救ってもらった恩に比べれば」と応えて。

 

 執事と神父。

 

 何かと領地を留守にしがちな群青卿に代わり。

 居残り組、になりやすいギルベルトとゼノギアは、ゆっくりと五人のもとに向かおうとした。

 

 

 

「よォ」

「ッ!!??」

「殺(や)ったと思ったかァ? クサレ坊主──!!」

 

 

 

 何が起こったのか、ギルベルトには分からなかった。

 ただ、気づいたら宙を飛んでいた。

 貸していた肩が、神父に押し飛ばされて。

 

 城館(シュロス)の方まで、放り飛ばされたのだ。

 

「────グッ、ゴホッ! ……ぇ、ぇ?」

 

 背中を打った痛みと、肺から叩き出された息による苦しみ。

 雨で濡れ、凍り始めた雪の冷たさと泥の不快感。

 

 分かったのは自分が、尋常ではない腕力で助けられたというコト。

 その代償に、ゼノギアが致命的な隙を晒してしまったというコト。

 

「グォぉァアアアアアアアアアア──ッ!!」

「吠えろ吠えろ吠えろッ! ハンパモンがァァッ!」

「そん、な……!」

 

 鉄鎖流狼が、生きていた。

 人狼の大魔は穿たれた心臓から、大量の鎖を生やして神父の五体を絡め取り、虚空へと縛り上げる。

 ゼノギアもまた、先ほどの恐ろしい姿に戻って抵抗しようとするが、血錆に汚れた鎖による拘束のほうが早い。

 

「なんで……!?」

 

 ギルベルトには分からなかった。

 魔物に詳しい専門家ではない。

 戦いを生業にする職業戦士でもない。

 

 けれど、心臓(霊核)を失って生きていられる存在なんて、この世界にあるとは思えなかった。

 

 ──その疑問に、偽りの『鉄鎖流狼』が答える。

 

「クックックッ……あ(・)あ(・)、さ(・)す(・)が(・)は(・)テ(・)ッ(・)サ(・)様(・)。こ(・)の(・)魔(・)法(・)が(・)無(・)け(・)れ(・)ば(・)、死(・)ん(・)で(・)い(・)た(・)……ッ」

「ッ!? オマ、エ……『鉄鎖流狼』ではない、のか……!?」

 

 ゼノギアが驚愕する。

 バカな、と丸眼鏡を落とす。

 

 神父には手応えがあった。

 

 己の魔法が、悪心を礼賛する人狼に極めて致命的な代物であると、たしかな手応えを感じていた。

 戦闘中に浴びさせられた大魔の威圧も、まさにあの日のリンデンで垣間見た『鉄鎖流狼』そのものに違いなかった。

 

 戦闘方法、下劣な性根、魔物としての弱点。

 

 いずれも『鉄鎖流狼』を意味していた。

 たしかに、偽物である可能性はあったが……ゼノギアは自身の勝利から、ララヤレルンの『鉄鎖流狼』が本物だと考えていた。

 

 だが、人狼は今やズルズルと〝皮〟を捲れ上がらせていた。

 

 いや、心臓に穴を開けられたコトで、被っていた皮がズレたのだ。

 それが内側に潜んでいたモノの正体を、わずかにだが覗かせる。

 

「! ──変態野郎(シェイプシフター)、だと……!?」

「ご名答ゥゥッ!」

 

 敵は、吸血鬼や人狼に並んで〝変身の魔〟と呼ばれる人外。

 天性のプリテンダー。

 

 その能力は、変身する相手の体組織の一部があれば、何にでも化けられるという変身特化!

 字名の所以は、変身と呼ぶにはあまりに気持ちが悪い生物的な変(・)態(・)を経るため!

 

 そして、このシェイプシフターは鉄鎖流狼の信奉者だった。

 

 鉄鎖流狼が、鯨飲濁流の信奉者であるように。

 悪心萌芽の縛鎖狼にも、その闇にヒカリを覚えた魔物がいた。

 

 名も無きシェイプシフターは、ただ鉄鎖流狼になりたくて。

 ただ鉄鎖流狼と同一化したくて堪らなくて。

 

 ──その一心だけで、本物と見紛うほどの『鉄鎖流狼』足り得ていたのだ……!

 

 なればこそ、本物と同じ魔法も使える。

 人狼という魔物にとって、皮は極めて重要な霊的形相(エイドス)を持つ。

 本物から皮を与えられ、そのうえで変身したのなら。

 

 もはやこのシェイプシフターに、『鉄鎖流狼』でなかった頃の自分など欠片も無い。

 

 

「ここではたしかに、大(・)魔法が使えねェ……」

「グッ! ガァっ、うぅゥゥ……ッ!」

「如何なテッサ様と言えど、闇の公子と同格の魔女には手も足も出ねェ……でもなァッ!」

 

 

 ゼノギアを締め上げながら、偽りの人狼は唾を飛ばしてゲラゲラと吠えた。

 

「なにも〈領域〉を乗っ取る必要はねェ……範囲と出力を、テメェひとりに抑えて使う分にはッ、何も制限なんざねェェンだよォォォ──ッ!!」

 

 ──すなわち。

 

 "悪心よ、萌芽せよ"

 

 魔法の名は、ゲルミナティオ・ノズィーアン。

 人狼擬きの変身魔は、呪矢に貫かれる前に己が心臓を抉り出していた。

 

 何故なら、それがこの魔法の発動条件。

 

 信奉する鉄鎖流狼に倣って、シェイプシフターは不死性の恩恵を得る。

 

 ……先ほどまでなら、それで終わりだった。

 偽物は己が身を守って、生成りの神父と泥のような第二ラウンドに臨んだだろう。

 

 だが、今は!

 

「ヒッヒヒヒヒッ! ありがてェ、ありがてェ……!」

 

 黒詩の魔女は、北東部にて魔界礼賛の大魔槍を抑えるのに手一杯になった。

 直前に、驟雨の獣の異界を許してもいた。

 

 分かるだろうか?

 

 小さなヒビが、小さな亀裂が──此処に。

 

「……さァ、人間ども……テメェの底をッ、ブチ晒せェェェ──ッ!!」

 

 よりにもよって、城館(シュロス)の真ん前で。

 ごく限定的とはいえ、紅の満月を浮かべる隙となったのだ。

 

 悪心萌芽の穢らわしい魔力が。

 

 城館(シュロス)の外にいて無防備だった者に、月光となって降りかかる。

 

 

 

 

────────────

tips:眠りの女神の祝福

 

「いや……いや……やめて──!」

 

 グウェンドリンはその瞬間、テレジアの悲鳴を聞いた。

 霊薬の生産過程では、目を離せば危険な事故も起こり得るため、錬金術師は外の様子をハッキリとは確認できない。

 

 グウェンドリンの新たな友だちは、大戦の生命線を支える重責を、決して中途半端に放り投げるような無責任な人間でもない。

 

 それでも、愛する男が戦いで追い詰められ。

 日々の成長を愛しく見守ってきた五人の子どもたちが、〈目録〉で語られる禁忌の魔法に脅かされるとなっては、必然の悲鳴だった。

 

 城館(シュロス)内は安全だ。

 人狼は紅い満月を浮かべたが、その効果は外の大通りしか襲っていない。

 

 偽物だし、黒詩の魔女の抑圧もあるため、出力規模も低い。

 

 ゼノギア・チェーザレは、生成りであるがゆえに抵抗可能だろう。

 

 なので、グウェンドリンはせめてもの協力として、ギルベルトを助けた。

 城館の近くにいて、なおかつグウェンドリンの手が届く距離にいたのは、ギルベルトだけだった。

 

「お眠りを」

「ぅ──」

 

 執事はガクリと、悪心萌芽の影響を受ける前に意識を失う。

 問題は、残された五人の子どもたちだが──

 

 

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