ヰ世界の歌 夜明け前のダークエルフ 王道硬派な大河ファンタジーの世界で一歩から始める人外愛譚   作:所羅門ヒトリモン

358 / 359
#358「聖義など糞喰らえ」

 

 

 "聖義など(カテナ)糞食らえ(タンターラ)"

 

 魔法の発動は、最初に知らない老人を出現させた。

 

「プリムス……プリムス……おぉ、プリムス……」

 

 老年の、エルノス人男性だった。

 種族はニンゲン。

 歳の頃は、およそ七〜八十。

 服装は古代貴族の一般的な長衣(ローブ)だが、カルメンタリス教をよく信仰している特権階級にありがちな、法衣じみた質素な意匠だ。

 

「は……?」

 

 虚を突かれ、思わず呆ける。

 縛鎖監獄城最上階、鯨飲濁流に化けた鉄鎖流狼は、大魔法を発動したはずだった。

 だが、俺の目の前には〝常軌を逸した老人〟だけが出現している。

 

「──」

 

 幽閉塔の拷問部屋、奥。

 魔法の発動者は無言のまま、ニヤリと笑っていた。

 

 異界の展開。

 心象景色の具現。

 〈領域(レルム)〉が塗り替わるのを待ち構えていた俺は、「どういうコトだ……」と声には出さず慎重に辺りを窺う。

 

 森羅斬伐を握り締めるが、やはり英雄奥義は使えないままだ。

 

 大峡谷の景色は変わっていない。

 俺の身を取り囲む縛鎖監獄城は、引き続き物質として存在している。

 

(異界が展開されれば、即座に斧を振るって鉄鎖流狼の霊核(本質)を斬り裂ける目算だったんだが……アテが外されたのか?)

 

「何をした」

「まぁ、そう慌てるなよ。()()()()()()()()()()だ」

「プリムス……プリムス……おぉ、プリムス……!」

「っ」

 

 老人が、うわごとの語気を強める。

 フラフラとした足取り。

 望洋とした目つき。

 どう見ても正気ではなく、現実を理解している様子とも思えない。

 

 魔法による幻像か。

 あるいは、悪心萌芽の犠牲者なのか。

 いや、生きてはいない。

 死んでもない。

 

 ならば何だ? 人形か?

 

 今この場で最もおかしな〝現象〟に、必然、大きな注意を払う。

 

 だが、一番不可解な点は、最初からありありと披露されていた。

 

 老人は片手に、()()()()()()()()()()()()を握っているのだ。

 しかもそれは、秘宝匠が鍛える鋼鉄のなかでも、()()の値がつけられる『聖剣』だった。

 

 アレクサンドロ・シルヴァンの『日輪剣』カエロラム。

 アイナノーア・エリンの『中つ星の三叉槍』トライデント・エルノス。

 ベルーガ・ベルセリオンの『白虹剣』セレノフィール。

 拝光聖騎士団長スカイハイの銘不詳の聖槌。

 

 これまで幾つか、同等の価値を持つ聖具を至近で目の当たりにして来た。

 だから、俺にはそれが間違いなく聖剣だと分かった。

 

 ファルシオンという刀剣は、安価だが耐久性に優れているため、軽武装の兵士に好まれる武器だ。

 ナイフ型の刃を特別大きくして、剣の形に(こしら)えたような見た目をしている。

 

 そのため持つと意外に重量があり、真っ直ぐに振り下ろせば斧のような殺撃も可能だ。

 

 ──シンプル。

 

 その聖剣は、そのシンプルさを神域の芸術と言っていいほどに磨き上げていた。

 魔物が魔法で、創り出せるはずが無かった。

 

 老人は俺に近づいて来た。

 

 ファルシオンを片手に、しかし、攻撃を繰り出すような素振りではなく。

 両腕を前へ伸ばして、胡乱な足取りで縋るように迫って来る。

 

 目から光は消えていた。

 

 (うろ)のような底無しの闇が、眼窩から這い出していた。

 それは次第に、老人の顔面の肉や骨をしゃぶりつくように啜り始め、やがて至高の聖剣さえもがグズグズに崩れていく。

 

「おぉ、おぉ……美しき(かな)、美しき(かな)……!」

 

 鉄鎖流狼は、その様に感嘆の息を零した。

 俺には何が起こっているのか、まるで分からなかった。

 

 これは何だ? この現象は何だ?

 敵は何の意図があって、こんなものを俺に見せる?

 ここからどんな攻撃が、俺を襲う?

 

 ひとまず、老人に組みつかれるのを回避し、後ろへ距離を取る。

 

 その瞬間だった。

 

「アァ……()()()()?」

「!」

 

 宿敵の容貌で、人狼が歓喜に染まる。

 俺は気づくと、()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 ──狼憑きとも呼ばれる魔物、人狼。

 

 この魔物の発生起因は、以下のようにして語られる。

 人間が生前に、狼を狩るなどして狼から怨みを買ったか。

 すでに人狼と成り果てたモノと、何かしらの身体的接触を持ってしまうコト。

 

 満月の夜に変身し、内に秘めた獣性を爆発させ、繁殖欲と狩猟欲に耽る……

 

 それが、通常の人狼だ。

 

「しかしながら、オレはそのへんが普通(マトモ)な人狼とは違った……」

 

 鉄鎖流狼。

 古代末期に発生し、発生年数二千年を超える大魔。

 

 名の由来は、鉄の鎖が狼のカタチを取って激しく流れ動く威容から。

 

 体毛の一部が、皮膚に直接縫い付けられた鋼鉄鎖に変わっていて。

 ジャラジャラと音を鳴らしながら、自在に操っては数多の人間を擦り潰し、轢き殺し、締め上げ惨殺した。

 

 物理攻撃に対する極めて高い耐性を持ち、凡百の武器では討伐が困難。

 古代では至高の聖具か、英雄の〈遺風残香(レリック)〉を以って対抗するのが最低条件とさえ云われた。

 

 闇の公子の爪牙を謳い、悪魔王の麾下で最弱の大魔なれども、その性質は最も悪魔王のそれに近い。

 

 ゲラゲラと下卑た言動が目立つ大男。

 悪事を悪事として認識しながらも、その営みに愉楽を覚える破綻した精神異常の権化。

 鯨飲濁流の悪事を模倣し、爪牙として身を粉にするコトにしか喜びを感じず。

 

 ついには二千年ぶりに、闇の公子を復活させたモノとして、人界に大いに名を轟かせた。

 

 人間の生皮を剥ぎ取り、被るコトでその人間に変身し。

 変身中はカルメンタリス教の聖具すら騙くらかし。

 化けた人間の記憶さえも読み取って、疑心暗鬼のゲームを演出しては楽しむ。

 

 鋭い爪と牙には、狼憑きの呪いが宿り。

 傷を受けたものは、たとえ人狼化を防げたとしても凶暴化を避けられない。

 

 "悪心よ、萌芽せよ"

 

 ゲルミナティオ・ノズィーアン。

 鉄鎖流狼が抱く〝世界とはこういうものだ〟という死生観。

 人間の本性を悪だと弾劾する、対人特攻の精神干渉大魔法が示すように。

 

 伝染病のような呪いを、鉄鎖流狼は撒き散らせる。

 

 〝満月の光を浴びて、人間どもよ真の姿を晒すがいい〟

 〝ヒトは悪心に染まっている時こそ、最も美しいのだから〟

 

 ──では、『鉄鎖流狼』という魔物は、如何にしてこの世に産声をあげたのだろうか?

 

「テメェにそれを教えてやる」

 

 悪心萌芽とは、呪いにして賛美。

 鯨飲濁流という悪魔に触れて悟った、この世の真理。

 

「どうしてか分かるか? ──およそ『悪』ほど、この地上で純粋で! 美しいモノはないからだッ!」

 

 (よこしま)なるモノには余分が無い。

 

 白いもの。

 身綺麗なもの。

 そういった類いは、すぐに薄汚れる。

 だから、嘘くさい。

 虚飾の塊だ。

 

 一方で、混じり気のない悪には、どこまでも完成された唯一性がある。

 汚される不安はなく、何かを偽られる懸念もない。

 剥き出しの感情、ありのままの自分、心から吐き出された真実。

 

「ゆえにこそ、この世のすべて悪意に染まればいい──」

 

 どんな聖者も、どんな賢哲も。

 たとえどれだけ体面を取り繕っていたところで、人間ならば決して捨てられない汚濁がある。

 

 倫理、良識、分別などといった洒落臭(しゃらくさ)い言葉は。

 所詮、人間が自らの醜さと弱さを覆い隠すために作り出した、ちっぽけな欺瞞に過ぎない。

 

 鉄鎖流狼は、それを誰より知っている。

 知っているから、鯨飲濁流を王と奉じる。

 

「……オレには最初、別の名前があった」

 

 まだ魔物に成り果てる前。

 人間として、生きていた頃の話。

 

 特に面白みのある名前ではない。

 それどころか、唾棄すべき最低な名前だ。

 少なくとも、子どもをたくさんこさえられた当時の特権階級においては、恐らく別段珍しくもなかった凡庸な名前。

 

 一番(プリムス)

 

 長男長女の場合に、よく使われた名前だった。

 次男次女の場合は二番(セクンドゥス)

 三男三女の場合は三番(テルティウス)

 

 昔から、どの地域でも生まれた順番によって名前を決める風習は存在するもの。

 要は、その〝一番目〟の名前が、鉄鎖流狼に与えられた最初の贈り物だった。

 

「ひでェよなァ? 子どもを番号で呼ぶんだぜ?」

 

 だが、それが当時の特権階級の慣習だったのだ。

 

「オレが生まれたのは、聖門の権威なんざ呼ばれてた家だ……」

 

 今は潰え、すでに国ごと滅び去っているが。

 かつては国の中で、宗教的権威の最高峰に位置した聖なる血筋。

 

「クソジジィの『聖剣』を見ただろう? 聖剣信仰って言葉に聞き馴染みはあるかよ?」

 

 それは、護剣士とも似ている。

 違うのは、護剣士が刀剣を管理の目的で複数集めるのに対し。

 鉄鎖流狼の生家は、一本の聖剣だけを奉った点。

 

 聖剣の守護を担い。

 国に悪しき魔物の危機あれば、聖剣に命を捧げることで国難を祓う一族。

 

 言うなれば、当時その国の護国の柱とも云うべき家系であり。

 また、同時に体のいい人柱にされている一族でもあった。

 

 聖剣とは、秘宝匠が鍛えた刀剣類の中でも、『破魔』の力を宿したモノである。

 刃をかざし、切っ先を向け、剣気を放つだけですら、魔を打ちのめす鋼。

 けれど、

 

「分かるよなァ? 誰も彼もに扱えるモンじゃねェんだ」

 

 至高の聖具は、担い手を選ぶ。

 何が条件なのかは、誰にも分からない。

 恐らく知っているのは、恩寵を授けるカルメンタリス教の女神だけだろう。

 

「ある一族が、その仕組みを解明しようとしたが……早々に無理だと諦めやがった」

 

 代わりに、その一族は()()()()使()()()()()()()()()

 

「つまり、偽物の聖剣だ!」

 

 古代初期から中期ごろ。

 灑掃機構一番機の部品が、たまたま彼らの手に入った。

 魔物との戦闘で破損し、戦場の跡地に転がっていた女神の工芸品。

 

 パーツとはいえ、それは至高を超える聖具に他ならず。

 

 人間に許された〝人類文明を守る聖域〟の解放権限ではなく。

 女神が〝魔を撃滅する〟ために手掛けた天罰の一端。

 

 人間の手で聖剣の形に作り変えられ、著しく性能を落としても。

 

 それは、恐ろしいほど強力な破魔武装だった。

 

「たしかに、担い手は選ばなかった」

 

 しかし代わりに、担い手は命を捧げる必要があった。

 人間に女神の天罰を扱うコトは、出来なかったからだ。

 

 柄を握れば腕が灼けた。

 骨は炭化し、一度振るえば総身が『光輝』に蝕まれて蒸発した。

 

「信仰に篤かった一族は、それをテメェらの『悪』が原因だと考えやがった」

 

 汝、正しく在れ。

 汝、悪心を捨てよ。

 

 さすれば聖剣は我らを認め、地上に真の人界守護者が誕生するぞ!

 

「笑わせるよなァ!? そんな戯れ言吐かされたところで、テメェらはハナからそういうふうにはデキちゃいねェんだッ!」

 

 裡に秘めた欲望や(へき)

 他人には言えない危うい(さが)

 禁断へと惹かれる不意の衝動。

 

 そういった後ろ暗さは、誰の心にも潜んでいる。

 

 でなければ。

 

「でなければ! 人間が魔物に変わっちまうコトなんてッ! そもそも起こりゃァしねェッ!!」

 

 それを分かっていた一族は、自分たちの末裔に厳しい掟を遺した。

 

 〝──我らが聖剣を振るえなければ、このさき何百、何千、何万という無辜の民に未来はあるまい。

 我が末裔よ、聖剣の守護者よ、私心を殺し、大義に仕えよ。

 滅私奉公のもとにこそ、我らの存在理由は与えられる……〟

 

「──もちろん、そんな掟が永遠に守られ続けるはずもねェ」

 

 事件が起こったのは、鉄鎖流狼が産まれる前。

 つまりは、鉄鎖流狼の()となる女が、生家より脱走を図ったコトに端を発した。

 

「──女はただ、自由が欲しかった」

 

 閉ざされた山奥での暮らし。

 下界に降りれば世俗に汚れると、固く外出を禁じられていた。

 娯楽に触れれば、魂が愉悦の淀みを生むと、ひたすらに戒律と修行だけの日々だった。

 

 清廉であれ。高潔であれ。貞淑であれ。

 

 そしていずれ、我らが使命を託すための子どもを産め。

 

「……だが、いったいどうして、人が人の自由意志を阻めるってんだ?」

 

 空を見上げれば、鳥がいる。

 地に耳をそばたてれば、獣が駆け回る気持ちのいい律動(リズム)が聞こえてくる。

 

 風に舞う花の種は、吹かれるままに何処へなりとも根を巡らせるもの。

 

 たとえ、山深い峻険(しゅんけん)な緑の牢獄に閉じ込められようとも。

 

 世界はただ、そう在るだけで、女に不自由を感じさせるに十分だった。

 

「まぁ、脱走は当たり前に、至難を極めたがなァ……」

 

 滅私奉公を、是とする一族。

 有事の際に聖剣に身を捧げ、だからこそ、国の中である種の特権的地位も得ていた『聖なる家門』において。

 身内からの脱走者など、そんな落伍者が生じるコトは、すなわち人界に対する裏切りも同然。

 

 弱き心、悪しき心。

 

 人間ならば誰しもが持ち得るほんの些細な心の瑕疵(かし)を……しかし、聖剣の守護者だけは絶対に許さなかった。

 

 女はおよそ、三年に渡って逃げ続け。

 追っ手は武器を手にし、女を追った。

 

 恥晒しを世に放つくらいなら、いっそ殺してしまうのが、自分たちの正しさを証明する手段だと信じていた。

 

 凄絶な逃走劇だった。

 

 死を装い、いくつもの幸運に恵まれなければ、女は待望の自由を、ついぞ手に入れられずに終わっていただろう。

 

「しかし、手に入れたッ!」

 

 故国から遠く離れた異国の地。

 誰も自分を知らず、誰も自分の自由を阻まない。

 

 女は初めての『外』に胸を躍らせ……それなりに苦労することもあったが……

 

「やがて……恋を知りやがった」

 

 初めての情熱。

 初めての逢瀬。

 そして、初めての甘い肉欲。

 

 かつては固く禁じられていた、数多の戒律を破りながら。

 女はそこで、人として真に大切なものを手にしたと心から確信していた。

 

「惚れた男の逞しいカラダに抱かれ……これから先は、いついつまでも優しい時間が……延々こうして続くのだと……まるで疑っちゃいなかったッ!!」

 

 まさに、愚の骨頂という他にない。

 

 甘やかな幻想。

 砂糖菓子のように他愛ない夢物語。

 それらは所詮、世間というモノをまるで知らぬ箱入り娘が思い描いた、都合のいい明日への展望。

 

 現実は甘くなく、この世界は常に冷酷だと云うのに。

 

「──ある日、女が子を宿しているコトが分かると、男がいなくなった」

 

 愛しているよ、大好きだよと。

 情事の際には、あんなにも睦言を交わしあった仲だったというのに。

 

 男にとって、女は行きずりに手に入れた何処の国の人間かも分からない身元不詳の女。

 たまたま知り合い、たまたま男の好みにハマってたから、ちょっとした遊び心で近づいただけ。

 

「なにしろ、女は簡単だった」

 

 優しげな言葉をかけ、ちょっと親切に接すれば、それだけでカラダを許してしまった。

 

 そんなアバズレ、男からしてみれば、一時の気まぐれで恋人ごっこに興じていただけに過ぎない。

 

 遠い異国で、たった独りの心細さ?

 

 くだらない。

 そんなモノは知らない。

 心底どうでもいい。

 

 男にとって、女はあくまで『女』だった。

 結婚し、所帯を持つ気などサラサラ無く。

 面倒になったら、アッサリ捨てると端から決めていた。

 

 ──そこに。

 

 女の慟哭(どうこく)が呼び水となったのか?

 

「満月の夜、畳み掛けるように魔が忍び寄った……」

 

 人狼である。

 

 涙を流し、荒野の中、さながら死告乙女(バンシー)も斯くやといった様相で、ひどく泣き腫らしながら男を探し歩く女のもと。

 

 人狼はゲラゲラと、ゲヒャゲヒャと下卑た笑いを漏らし、本能のままに近づいていった。

 

 今宵は満月。

 ひと月の内、最も人狼の血が騒ぐ宵闇の晩。

 

 殺した人間の(かわごろも)を被り。

 未だ生暖かく、ぬらぬらと血も滴る粗末な変身だったが、昂る獣欲は抑えられない。

 

 人狼は背後から、力任せに女を組み伏せると。

 

 その場で有無を言わさず、乱暴へと至った。

 

 普段ならば、多少の抵抗がある。

 しかし、それすらもコトの愉しみのひとつだと。

 

 溢れ出る暴力への誘いに、人狼はむしろ激しい抵抗を望んですらいた。

 

 ……だが。

 

「人狼の薄汚れた期待とは裏腹に、女は抵抗をしなかった……」

 

 それどころか、まるで喜ぶかのような顔で、人狼を抱き締め受け入れた。

 

 

 ──ああ、やっぱり戻ってきてくれた! 嬉しい。嬉しい。嬉しい! わたし、あなたが大好きだもの。あなたも、わたしが大好きなのよね? だって、あんなにも愛を誓ったんですもの。いいよ、だいじょうぶ。がんばって気持ちよくなれるようにするから、だから、だから、ずっと一緒にいよ? わたしをひとりに、しないで、おねがいします……

 

 

 そう。女は疾うに、正気ではなかったのだ。

 

「たしかに、人狼は男に変身していた……」

 

 女を襲う前、たまたま町の外で逃げるように荒野を行く人間を見つけ、その生皮を剥ぎ、化けるために裘として被ってはいた。

 

「繰り返すが、その変身は粗末なものだった……ッ」

 

 格が低かったのだ。

 大魔でもなかった。

 

 目も爪も牙も毛皮も、ほとんどがはみ出したりしていて。

 人狼としての正体など、隠しきれていなかった。

 

 人狼自身も、それをハッキリ自覚していた。

 

「傍目から見りゃ、今のテメェは相当にヒデェ姿を晒しているだろうッてな──!」

 

 なのに、女は恐怖に叫ぶでも悲痛に呻くでもなく、歓喜とともに人狼を抱き締めた。

 

 人狼にとって、それは初めての体験であり、不可思議だった。

 

「……が、どうあれだ……人狼にとっても、女はあくまでも『女』ッ!」

 

 醜い獣欲。

 ケダモノの本性からしてみれば、なに、特段問題があるワケでもなし……

 

 まぁ、たまにはこんなコトもあるかと。

 

 人狼はフンと鼻を鳴らし、夜明けまで女を堪能し尽くした。

 

 ────そして。

 

「無辺の荒野で、ひとり残された女の(はら)には……どういうワケだけかッ!

 人狼に変生した赤ん坊じゃなくッ、あくまでも人間ッ!

 しかしッ、人狼の血を色濃く継いでいた『混血児』が宿っていやがった……ッ!」

 

 歪な愛と、醜い獣欲。

 

「それこそが、オレだッ!」

 

 後に、『鉄鎖流狼』という大魔を生んだ始まりにして悪因。

 

 以後、女は虚空に向かって、いもしない夫へ愛を囁きながら、誰しもに疎まれ行く宛を無くしていく。

 

 頭のおかしくなった身重の女。

 人狼の仔を、喜んで孕む異国人。

 

 助けの手を差し伸べる者は現れず。

 追放はやがて迫害になり。

 女はどこへ行っても、爪弾きにされるようになった。

 

 けれど、そんな女にもひとつだけ。

 

 希望と言っていいかは分からないが、最後の選択肢が存在した。

 

 故国。

 

 すなわちは、家へと帰るコトだ。

 

 すべては愛する夫との子どもを、安全な暮らしに置くため。

 女は過去、あれほど苦労して逃げ出したはずの生家へ──舞い戻る道を選択した。

 

 無論、無意識での行動だった。

 

 狂気の内に潜む、ほんの一雫の理性。

 

 あるいは、それはもしかすると、子を守らんとする母としての愛情だったのかもしれない。

 

 とにかく、女は実家へと帰り、たとえ自由を失うとしても、我が子の安全を選択した。

 

「そうなればどうなるか……あまりに自明だったって言うのになァ」

 

 女は一族の当主によって、処刑を申し渡された。

 

 掟を破り、戒律を乱した大罪人、

 

 見せしめの意味を込めて、その骸は一年にわたって野へ晒される。

 

 その条件を呑むならば、ああ、すでに外界で罰を受けたようなもの。

 罪なき子どもの命だけは、救ってやろうと哀れみの下に取引が交わされ。

 

 臨月を終え、赤子を産んでから、その温かなぬくもりを両腕に抱きしめるコトもなく──

 

「即座に、吊るされやがった。女の物語は、そこで終わった。でも、喜劇はここからだッ!」

 

 ──ぬぅ……!? よもや、混ざり胤であったか!

 

 残された人間。

 ここで言えば、女の父であった当主と、鉄鎖流狼。

 

 関係性としては、祖父と孫に当たる両者を中心に、喜劇の車輪は尚も回転を続けた。

 

 カムビヨンの仔ら。

 

 俗に狼憑き。

 あるいは、混血児と呼ばれる悲劇の象徴。

 

 彼らは大抵、産まれた時は人間の赤子とさして変わらず、成長するとともに人外的特徴を発現させる。

 

 だからこそ、すぐには判明しなかった。

 

 女の死後から時を置いて、聖なる家門は呪われた。

 

「聖剣守護の家系に、魔物の血が入り込んだなどと知れれば、一族はとんだ醜聞だ」

 

 ただでさえ、身内から脱走者を出してしまった汚点がある。

 そのうえ、これ以上一族の信用に疵がつくのは、絶対に避けなけらばならなかった。

 

「……とはいえ。如何な罪人だろうと、仮にも娘であった者との死を代価とした約束を、無碍(むげ)にもできねェんだな」

 

 鉄鎖流狼の祖父。

 一族の当主の進退は、ここに(きわ)まり。

 

 以って──壮絶な決定が下された。

 

「監禁だよ」

 

 祖父は孫を、後に縛鎖監獄城と呼ばれる城の幽閉塔に閉じ込め。

 

「数多の鉄枷と、数多の鉄鎖によって、その身動きを一切封じたッ!」

 

 殺しはしない。

 

 もっとも、生かしもしない。

 

 それは苦渋の決断であり、祖父も孫もどちらもともに、二度と歯を食い縛らずに済む日は来ない。

 そういう、苦しみに満ちた地獄(セイカツ)の始まり。

 

 祖父は孫に罪悪感を覚えぬ日は無く。

 孫は祖父に、「なんで」「どうして」と幼さゆえの憤り、涙、悪感情を募らせた。

 

 その様に、祖父はますます心の中に(しこり)を増していった。

 

 やがて、聖門の当主の心にも……

 

「己が弱さから、目を背けるための『悪』が生まれた──」

 

 幼き鉄鎖流狼。

 人間名、プリムスは。

 

 自らを閉じ込め、不当に(いましめ)を与える老人から、言い訳のように様々なコトを聞かされて育った。

 

「──オマエの母親は、裏切り者で罪人だった。

 悪しき魔物の血を引くオマエもまた、罪人だ。

 我らは聖剣によって守られ、聖剣もまた我らを守っている」

 

 ──子に罪はないと思った。

 ──だが、オマエはただ、存在しているだけで我らにとっての悪だった!

 

「泣くな。喚くな。黙ってくれ。静かにしろ!

 外に出すワケにはいかぬ、いかぬのだ……許せ、許せプリムス。

 いっそ! あの娘と同じように、殺してやるのが慈悲なのかもしれぬ……!」

 

 ──だができん! 儂にはできん!

 

「約束がある。儂はあの娘の首を締め、その骨を折った感触がずっと忘れられぬ!

 ──ああ、あぁ……なぜ、産まれてきた……なぜ、こんなにもオマエは醜い……」

 

 鉄鎖流狼は、すべて覚えている。

 なにしろ、人間だった頃の大まかな記憶は、ほとんどがそれだけだ。

 

 暗く、ヒカリの無い閉ざされた室内。

 

 無機質な檻の中、自分を縛る鉄の鎖と鉄の枷。

 

 ジャラジャラ、ジャラジャラ。

 ジャラジャラ、ジャラジャラ。

 

「ジャラジャラ、ジャラジャラ」

 

 ジャラジャラジャラジャラジャラジャラジャラジャラジャラジャラジャラジャラジャラジャラジャラジャラジャラジャラジャラジャラジャラジャラジャラジャラジャラジャラジャラジャラジャラジャラジャラジャラジャラジャラジャラジャラジャラジャラジャラジャラジャラジャラジャラジャラジャラジャラジャラジャラジャラジャラジャラジャラジャラジャラジャラジャラジャラジャラジャラジャラ──!!

 

「時折りやって来る、黴鼠(かびねずみ)の饐えた臭いと、テメェが垂れ流した糞尿の匂いだけが、オレの気を紛らわせた。いや、紛らわされちゃいなかったんだろうなァ?」

 

 毎日毎日、意味もなく妄言を吐き散らかす、狂った老人によって聞かされた罵倒。

 

 オマエは罪人だ。

 オマエは穢れている。

 オマエは醜い。

 オマエは許されない。

 

 要約すれば、すべてが呪いだった。

 

 そして、そんな生活が……

 

「十四年間、続きやがった。なァ……どうだ?」

 

 世界への認識など、確定するだろう。

 

 ──このクソジジイは。

 

 ボクを悪だと。

 生まれてきたコト自体が罪なんだと。

 何度も何度も、繰り返しそう言うけれど。

 

「いったい……ボク(・・)が何をしたって言うんだろう……?」

 

 何もしていない。

 何もするだけの自由がない。

 

「──じゃあ、やっぱり、自由を欲しただけの『おかあさん』が悪かったのかな……?」

 

 あるいは父が。

 でも、父は魔物だ。

 魔が魔として、ただそのように在っただけだ。

 

 それが、そんなにも悪いコトなのだろうか……?

 

「──違う。違う違う。違う違う違う違う違う違う違う違う! ボクも両親も、何も誰も悪くなんてない……!」

 

 悪いのは、コイツらの方だ。

 

「ヒトを勝手に悪だと決めつけて……自分勝手な理屈で、許されないだとか醜いだとかを阿呆のように繰り返すキモチの悪さ」

 

 一族を守るため。

 聖剣の守護を担うため。

 人のため。

 社会のため。

 国家存続のため。

 

「そんなふうにご大層なお題目を掲げれば、オマエたちはきっと、何をしたっていいと思ってる……

 なァ、なんでだ? ふざけるなよッ! 気持ち悪いんだよゴミクズどもッ!

 正しさを謳うな! 清らかさを謳うな! ボクをこんな目に遭わせておいて、何を澄まし顔で高潔ぶっていやがるんだ穢らわしいッ!

 オマエら全員、嘘つきなんだよ! 偽善者が! 人の皮を被ったドブの塊がッ!」

 

 聖剣の守護者が、聞いて呆れる。

 まさか、ほんとうに、気がついていないのか?

 

「オマエたちが聖剣に触れて焼け死ぬのはッ! オマエたちの根底にある、その矛盾と傲慢さが、何よりも醜悪だからじゃないかッ!」

 

 女神は見抜いているんだろう!?

 オマエたちは綺麗でも何でもない。

 少なくとも、ボクなんかより、よっぽど醜くて腐ったクソカスヤロウだと……!

 

「──もはや、肉親の情など掻き消えていた」

 

 鉄鎖流狼のなかで、祖父……延いては、世界への憎しみは第八の奈落を引き寄せつつあった。

 

 ()に対する憎しみ。

 

「ただそれのみが、微かに残ったオレの人間らしさでもあった……」

 

 十四年間。

 

 十四年間だ。

 

 劣悪な環境で、鉄鎖流狼が曲がりなりにも生命活動を維持し続けてこられたのは、父である人狼の魔力があったからだろうか?

 

 それとも、顔を合わせば呪いを吐くしかなかったとはいえ、毎日変わらず、たったひとりで世話を続けた祖父のおかげか──?

 

 答えは、分からない。

 

 なぜなら、鉄鎖流狼(プリムス)を取り巻いていた世界のカタチは、あの日。

 

 唐突に。

 

 すべてが、華々しく砕け散ってしまった。

 

 

 

「──足りない。まるで、足りないぞッ!

 俺を止めたければ、聖剣のひとつやふたつッ! そらッ、満足に振るってみせろッ! まさか、できないのか!? 本当にできないのか!?

 ああ、ああッ、嘘だろぅ?! なんて滑稽(・・)なんだオマエたちッ! オモシロすぎて憐れみが抑えきれん!」

 

 

 ハ、

 ハハ、

 ハハハ!

 ハッハハハ!

 ギャハハハハハハハハハハハ!

 

 まるで、山彦のように多数の口から哄笑をブチ上げて。

 

 その魔物は、鉄鎖流狼の生家を蹂躙していた。

 

 燃え上がる火の手。

 空を舞う血飛沫。

 

 穢らわしい汚濁が、華のように赤く咲いて、くるくると美しく回っていく。

 

 濁流は家屋も人間も区別なく。

 聖者も愚者も賢者も勇者も差別なく。

 

 ただひたすらに呑み込み喰らい、宙を舞い!

 

 光差さぬ幽閉塔で、鉄鎖流狼を繋いでいた厳重な縛めすらも、噛みちぎっては解放してくれた。

 

「──ああ、ああ……! そうだッ、あれこそッ、オレにとって初めてのヒカリだった……ッ!」

 

 鉄鎖流狼はあの時、生まれて初めて世界を美しいと思った。

 

「世に斯くも、テメェを飾らずありのままの姿で生き、高らかに悪徳を謳うモノあるならばッ、ボクもまたッ! 彼のモノと同じ空の下で生きていたい──ッ!」

 

 聖なる教え。

 聖なる導き。

 

 正しさだとか、道徳だとか、尊ばれるべき善心だとかは、欺瞞の巣窟ッ!

 

 闇ならば闇、悪ならば悪。

 何もかも、そういう純粋で美しい世界になればいい。

 

 

「ゆえにこそ──悪心よ、萌芽せよッ!」

 

 

 呪いの祝詞は獲得された。

 この呪文の前で、人はあらゆる悪性を包み隠せない。

 

 いかなる聖者、いかなる賢哲、たとえどれほどの英雄であったとしても。

 

 必ずや心の奥底に、小さくも仄暗い衝動が潜んでいる。

 

 クソッタレなこの世界に、オギャァオギャァと泣きながら生まれついた瞬間に、種は植えられている!

 

「オレはその『種』に、水をやる代わりに月光を注ぎッ! 満月によって暴かれるテメェらの本性を、ほんの少し刺激してやってるだけだッ! もともと全部、テメェらの自業自得なんだよッ!」

 

 聖義など、糞喰らえ。

 

 始まりから終わりまで、『鉄鎖流狼』はただ人間の心の在り方のみを呪う。

 ゆえに、一つ目の大魔法も二つ目の大魔法も、どちらも人間の精神に干渉するものとなった。

 

 だが、一つ目の呪文が、人間の悪心を暴き立てるものだとするならば。

 

 二つ目の呪文は、魔法をかけた人間に『鉄鎖流狼』を追体験させるものだった。

 

 プリムスという名前を与えられた……

 

 可哀想な混血児の……

 

 魔物になる前は……

 

 幼いとすら言える、『少女』だったモノの人生──

 

 

 

 

 

「これを食らって、立っていられた英雄はいねェ」

 

 

 

 

 

 鉄鎖流狼の正体は、子どもだったのだ。

 

 棒立ちになった俺に、爪牙が迫る。

 

 

 

────────────

tips:偽りの聖剣

 

 灑掃機構一番機の破損したパーツを使い、秘宝匠が鍛え上げた。

 破魔の聖域を解放する機能ではなく、天罰の『光輝』を僅かなりとも解放する。

 誰にでも扱える代わりに、誰もが人身御供の擬似天罰。

 鯨飲濁流が古代に女神に目をつけられ、北方大陸王との戦いの後で急襲を受けたのは、これを破壊したのが原因だった。

 

 鉄鎖流狼──プリムスの生まれた家は、闇の公子に滅ぼされたが、間接的に二千年間、鯨飲濁流のいない世界を作り上げた形である。

 

 ただ、謎はあった。

 

 至高を超える女神の被造物が、どうして破損し、パーツを落としていたのか?

 灑掃機構一番機とは、聖具の頂点ではないのか?

 

 

【評価】

【感想】

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。