ヰ世界の歌 夜明け前のダークエルフ 王道硬派な大河ファンタジーの世界で一歩から始める人外愛譚 作:所羅門ヒトリモン
では、堕ちた聖騎士の話をしよう──
いや。
正しくは、悪心萌芽に呑まれる前。
異形の一角獣が、まだ穢れなきユニコーン・ヘルムの騎士だった頃。
彼の幼馴染だった修道女と。
たまさか、些細な縁があっただけの『悲しき獣』の話を──
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──
黒詩の魔女を、守る者がいない。
ジュリウス・ネメオンはセラスランカを蹴り飛ばした後、下卑た舌舐めずりをしながらヴァシリーサのもとへ近づいて行った。
しゃくり、しゃくりと。
蹄で雪を踏み締め、ニタニタと童女の姿を視線で舐め上げていた。
両手を挙げて、大魔槍の落下をいまも食い止め。
健気な頑張りは、ジュリウス・ネメオンも大いに認めるところだったが。
小さな魔女のその体勢は、あまりにも胴体を無防備に曝け出し過ぎていた。
「おいおい、魔女よ。これでは鼻先に馳走をぶら下げられたようなものだ!」
「あああああああああああああああッ!!」
「痛ましいな。涙が溢れそうだ。ゆえ、今すぐその苦痛から解放してやろう。なに、何事もハジメテというのは痛みを伴うものだが、すぐに〝悦く〟してやるとも──私が教えてしんぜよう」
ハハハハハハハハハハハハハハハハ──ハハハハハハハハハハハハハハハハ──ハハハハハハハハハハハハハハハハ──ッ!!!!
鼻息荒く、乙女を穢す悦びに猛る魔人半馬。
その周囲には、勇敢にも十数名を超える人界同盟軍がいたが、近づくコトも出来ずに槍圧だけで吹き飛ばされてしまう。
「……まったく。女が足りん」
女殺しの殺戮槍兵には、もはや男しか挑む者がいない。
セラスランカを槍で串刺しに出来ず、蹴り飛ばすコトで仕留めるしか無かったジュリウス・ネメオンは、後悔と不服から早々に苛立っていた。
本当はもう少しばかり、戦場の女たちを蹂躙してから魔女を貫くつもりだったが、予想よりも遥かに敵陣の交代が素早かった。
鶯髪の将が、なかなかに優れた指揮を見せている。
「……うん? いや、アレは女か?」
銀冬菩提樹の紋章を掲げるエルノス人の軍。
アゴヒゲを生やした近衛に守られ、とても容貌の整った貴族がいる。
「なるほどなるほど、男装の麗人というヤツか」
あの面持ち。
あの気品。
あの佇まい。
「さぞや高潔なのだろう。さぞや高貴な生まれなのだろう。さぞや領民に慕われているのだろう」
魔女と麗人。
ジュリウス・ネメオンはどちらを先に穢すか、数瞬だけ迷った。
「──決めたぞ? 魔女が先だ!」
大魔槍が落ちれば、淫惨魔界が顕現する。
あの麗人を生きたまま凌辱し、臣下たちの前で犯し。
犯した後は、湧いて出てくる下等で奇怪な淫魔どもの餌食とする。
絶望に沈む男たちが、やがて敬愛する主君の末路にどんな
ジュリウス・ネメオンは興奮を隠せず、ヴァシリーサに首の向きを戻した。
あともう少し年恰好が上なら、魔女を楽しみに取っておいても良かったのだが。
「すまんな、魔女よ。人間の女と比べると、どうしても……フハハ」
どこまでも、ゲスに。
どこまでも、勝手なセリフを吐き。
魔人半馬はヴァシリーサへ、槍を構え──
「███████████████████████████████████████████████████████████████████████████████────ッ!!!!」
「なに!?」
──ようとして。
直前で、恐らく武人としての直観から、意識の注意をズラされてしまった。
世界最強の獣。
ドラゴンの咆哮とも似た雄叫びが、戦場を震わせたからだ。
グラトロンではない。
それはもっと動物的で、熊や獅子などを連想させた。
あまりの轟音。
あまりの重低音。
ジュリウス・ネメオンならざるとも、それはすべての者が意識を引っ張られる獣の
音の発生源はどこだ! と誰もが耳を抑えかけながら振り返れば、そこには遠方からでもハッキリ見て取れる巨躯がある。
「なんだ? あのネフィリムは……?」
鴨羽色の有翼巨人。
ティールブルー・ジャイアント。
古代を識るジュリウス・ネメオンでなければ、ネフィリムという種族名に思い当たるコトは無かっただろう。
ともすれば怪物的な人類、怪人の一種かとすらうかがえる恐ろしい羽獣巨人が、まっすぐに突き進んで来る。
ドシンッ! ドシンッ! ドシンッ!
鈍重にも見える猛突は、北東部の大地を揺らして積雪を浮かすほどだった。
一応、ジュリウス・ネメオンが指揮を取っているネルネザゴーン軍から、小魔どもが一斉にネフィリムに飛び掛かる。
なにせ、相手は巨大だ。
的には困らず、次々に攻撃が行われ、ネフィリムもまた少なくない手傷を負っていく。
然れど、
矢で射られようが、槍で突かれようが、剣で刺されようが。
下級とはいえ吸血鬼に噛まれ、有象無象のデモゴルゴンに体毛を毟られ、爪や尻尾、触手などで打たれ、引っ掻かれても。
「なんだ? キサマはっ!」
「███████████████████████████████████████████████████████████████████████████████────ッ!!!!」
ネフィリムは、どんどんジュリウス・ネメオンの前に近づいて来た。
概念槍が効果を発揮しないため、性別は男。
見たところ、ただのデカブツでしかない。
馳走を目前にして邪魔を入れられるのは、不快どころの話ではなかった。
まだ少し距離がある。
配下に合図を送り、ジュリウス・ネメオンは突如湧いて出てきた古代種族を「殺せ」と命令する。
しかし、太古の森の大木よりも太いかもしれない剛腕と剛脚が、純然たる力の強さだけでネルネザゴーン軍の戦陣に穴を開けていく。
ただ、その横には亜人の女がいた。
──
「…………」
アイスブルーの瞳と、太ましい尻尾。
ヤマネコを連れ、ヤマネコに身を守られながら、女は泣いていた。
少数部族風の、巫女のような出で立ちだ。
ジュリウス・ネメオンは知らないが、それはニコ・ノタルスカだった。
「だめ……だめっ! 止まって、ティールくん!」
ニコはネフィリム──鴨羽のティールに向かって、必死に呼びかけている。
霊感が強い彼女は、言葉の壁がある古代種族のティールとは、霊的な交信によってコミュニケーションを重ねて来た。
だから、泣いていた。
「こんなの……ッ、こんなのって、ない……!」
感情が乱れているせいだろう。
ティールとの交信は失敗し、現状はうまく意思を伝えられてもいない。
ティールからの意思もまた、ニコには届かない。
……いや。
ティールはもう、ニコとの意思疎通を必要としていなかった。
北東部の戦場にいた、ララヤレルンの民たちは驚く。
群青卿が連れて来た謎の客人。
古代からのまれびとである三名の内、有翼巨人の彼は西の森の小池で、鎮座を続けるばかりだった。
静かで、寡黙で、大人しくて。
外見は恐ろしかったが、
──それがいま、外見通りの恐ろしさを発揮し、カイブツのように暴れ回っている!
態度や行動は、時として言葉よりも雄弁だ。
ネフィリムのティールは、激しい怒りを爆発させて
そう時を必要とせず、戦場の誰もがそれを察知した。
なかには心強い援軍が現れたと、声援すら送り始める者もいた。
「行け……」
「……行ってくれ」
「やってくれるのか!」
「すまねぇ、すまねぇ……!」
「任せるッ」
「頼む……!」
「やってくれぇぇぇぇッ!」
「違うッ!」
ニコだけが、その声援に対して「否」を叫んだ。
「やめて! やめて、ください……! こんなのはッ、違う……!」
他ならぬティール当人に向けて、ニコは繰り返す。
二人は静かに交流を重ねてきた。
交信が出来なくても、今のティールならニコがどんな〝想い〟でいるのか、理解できるはずだった。
それでも、鴨羽色の有翼巨人は止まらなかった。
悠久の時を経て、自分に良くしてくれた女性に。
たしかな感謝と別れの想いは告げている。
不器用かもしれなかったが、元よりこの身は古代からのまれびと。
止まっていた時が、動き出したのだ。
凍っていた心臓が、再び鼓動を鳴らすチャンスを得たのだ。
──鴨羽のティールは、決して堕ちた聖騎士を許さない……!
その決意が、その覚悟が。
ニコにもまた、どうしようもなく伝わってしまうから。
涙の熱は大地に落ちても凍らなかった。
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では、堕ちた聖騎士の話をしよう。
いや。
正しくは、悪心萌芽に呑まれる前。
異形の一角獣が、まだ穢れなきユニコーン・ヘルムの騎士だった頃。
彼の幼馴染だった修道女と。
たまさか、些細な縁があっただけの『悲しき獣』の話を。
怪人道の種族とすら見紛い得る。
巨人の近縁種とは言うが、ネフィリムの身体的特徴は〝デカいニンゲン〟というより〝人型の巨獣〟と言った方が正しい。
たとえ正座で、翼を小さく折り畳んでジッとしていても。
その頭部は顎が大きく、牙も鋭く。
目は真っ黒で。
額の両側からは、後ろに伸びたツノもあり。
指の一本一本は、丸太と同じ。
恐ろしい外見だ。
だが、ティールの中身は〝怖がりな子ども〟である。
年齢はたったの五歳。
今まさに、ティールはおぞましい魔軍の雑兵たちに数多とたかられ、数多と傷つけられ、数多と群がられながらも。
ただ、白眉卑槍のジュリウス・ネメオンを目掛けて、突進し続けているが。
本当は痛いのが嫌だし、戦場が恐ろしくてたまらないし、今にも膝を抱えてうずくまってしまいそうな恐怖を抱えている。
ニコにはそれが分かっている。
なのにティールは止まらない。
怒りと恐怖がないまぜになった大声をあげて、必死に自分を奮い立たせている。
この戦場で、ニコだけがその真実を知っている。
同盟軍からはティールの『雄叫び』に呼応し、声援が上がり始め。
不利だった戦況からは、いっそ考えられないほど士気が高まってすらいくが。
それすらも、ニコには「違うんです……ッ」と真実が分かっていた。
鴨羽のティールには、
群青卿の『死界の王の加護』と同じで、人ならざるモノからの贈り物がある。
名を、『飽くなき名声の呪業』
顔面が〝触手の相〟に変わる代わりに、あらゆる神の権能に対して
万物を黄金に変えられる『尽きせぬ黄金の呪業』と並んで、人間を必ず破滅させると云われる天からのギフト。
祝福も呪いも紙一重、とはよく言ったもので。
群青卿のそれも、加護とは銘打たれているが、尋常人とは比べものにならない苦難の運命を与えた。
ティールの場合、それは〝他者を心酔させるが、最終的には凶運を招き寄せる〟代物だった。
声援は、呪業による影響を受けている。
有翼巨人は寡黙な気質なのではない。
寡黙にならなければ、地味で目立たない振る舞いを心がけなければ。
周囲の者が自然とティールに注目し、心酔を始め、崇敬すら抱き始めてしまうから!
だからティールは、口を閉ざして現代人との交流を避けていた!
交信によって呪業の効果を受けないニコだけとは、例外的にコミュニケーションを取っていたが、本当なら誰とも絆を育もうとは思っていなかった。
その証が、今の状況だ。
ティールの外見は恐ろしい。
本当なら人界同盟軍は、あまりに怪物的すぎるティールを警戒して、さらなる緊張を孕んでいたはず。
交流は出来なかったし、して来なかった。
ティールの人となりを知らない者は、ティールを魔軍の一員だとすら思って当然だった。
いや、むしろそうあるべきなのだ。
戦場に突如として雄叫びを上げて突進し。
もしかしたら、何か重大な作戦行動の途中だったかもしれないのに、ティールがドシンドシンと突っ込んだせいで、同盟軍の何かが失敗してしまったかもしれない。
ティールは巨体だから、同盟軍の兵士を誤って踏んづけたりしてしまうかもしれない。
ただ転んだだけでも、迷惑がかかるだろう。
にもかかわらず、同盟軍はティールを受け入れてしまう。
ちょっと敵を殴りつけて、ちょっと敵を蹴り飛ばして、ちょっと敵に虫のようにたかられているだけで。
彼らはそれを、〝勇気ある猛攻〟と勘違いしてしまう。
違う。
ティールは怖い。
勇気なんてカケラも無い。
あるのはただ、過去への悔恨と怒りだけだ。
授けられた呪業についても、良い思いなんてまったく無い。
ネフィリムとは、ハーフを意味する。
第五世界の巨人と、第二世界の天使。
両者が交わった末に誕生したのが、有翼巨人と呼ばれる種族。
然れど、ティールはそこに第六世界の
古代でも類を見ない超希少種族。
現代では、自分の姿が歴史に残り、ネフィリムとは〝人型の巨獣〟のような外見をしていると伝わってしまったようだが、正確には違う。
ティールは、
物珍しい
普通なら爪弾き物にされる。
他の仲間たちとは、外見があまりに違いすぎる。
けれども、ティールには『飽くなき名声の呪業』が宿っていた。
ティールの『声』を聞いた者は、ティールに惹かれて心から酔いしれた。
奇跡の仔と呼ばれた。
生まれ故郷では、バードマンの伝統なども合わさって。
三種の混血であるティールを、奇跡の神子として信仰対象とした宗教が出来上がった。
あっという間だった。
幼いティールには、それがどういうコミュニティだったのか、今でもイマイチ分からない。
ただ、自分の声が彼らを歪めている事実を、程なくして悟ってしまった。
最初はオヤツをねだっただけだった。
ある者はティールに、ご馳走を用意しようとした。
一方である者は、それはティールの健康に良くないと苦言を呈した。
いつしか、争いが始まっていた。
ティールの声のせいで、周りが争い。
ティールの声のせいで、周りが狂っていく。
ならば、声など発さない。
怖くなったティールは故郷を出て、誰もいない秘境へ隠れた。
人気のない森の奥深くで、ひっそりと静かに暮らそうと思った。
〝ぼく は いないほう が いいんだ〟
だが、有翼羽獣巨人というのは、見ての通り強壮な種族に分類された。
猛獣や怪物、魔物や怪人に襲われるコトもあったが、幸い有翼羽獣巨人よりかは弱かった。
ティールが居着いてしまったコトで。
奇しくもその森の周辺一体が、安全地帯と化した。
程なくすると、森の近辺には『
部落には代表的な巫女がいて。
雪豹人の他にも、信仰は異なれどもと。
同じような境遇の尼僧や修道女が集まり。
ティールは隠れようとしていたが、なにぶん巨体すぎるもので彼女たちに見つかってしまった。
だからと言って、深い交流があったワケじゃない。
積極的な交流は無かった。
向こうからしても、ティールの存在は未知で脅威だったのだ。
最初は警戒され、次第に害の無い〝お隣さん〟だと認識されて。
ティールと部落の女たちは、森のなかでたまたま出会った時だけ、薄く頭を下げて挨拶をする程度の関係性を構築した。
異種族同士ながらも礼儀を守り。
いつしか向こうからは、会釈もされるようになったが。
ティールからは決して、黙礼以上の交流を返さない無愛想な『隣人』──
怖がりで、ひとりぼっちが寂しかったせいで。
ティールはときどき、わざとらしく倒木をどかしてあげたり。
森の奥で、果物が豊富にあったら密かなお裾分けなどをしたりしてしまったが。
あくまで、互いに不干渉なご近所さんであるつもりだった。
──ある時、部落に男がやって来た。
当時、大戦で名を挙げつつあった騎士で。
ティールは詳しい評判を知らなかったし、外で大きい戦争が始まっているコトすら知らなかったが。
この男こそ、ジュリウス・デスランディングだった。
まだ悪心萌芽に呑まれていない。
穢れなき一角獣の聖騎士、と讃えられる。
槍使いのパラディンである。
ジュリウスは、幼馴染である
もともとは同じ村の出身だとかで、彼女を気にかけて、それから定期的に何度も部落を守るために足を運ぶようになった。
ティールは偶然、ジュリウスと彼女の会話を聞いたコトがある。
カルメンタリス教の信徒である二人は、ティールの故郷と同じ言葉を使えた。
現代では、南方大陸の古語とされている。
「私は聖騎士なんて肩書きには、ふさわしくない男だよ」
「あら、どうして? みんな、貴方をユニコーンの騎士って慕っているわよ?」
「だからこそさ。私は自分のなかの欲望を知っている」
欲望? と彼女は首を傾げた。
傾げた際に尻尾もくにゃくにゃ揺れるのが、ティールは興味深かった。
「ああ、そうさ。幼馴染である君にさえ、口憚られる欲望だ……」
「それって、聞いたらゼッタイ絶交されちゃうようなもの?」
「……女性であるキミには、間違いなく」
「でも、ジュリウスはだから聖騎士になったんでしょう?」
「……」
「私、知ってるよ? ジュリウスが昔から悩んでて、女神様の騎士になれば悩みを解決できるって考えてるの」
「知ってたのか?」
「バレバレ。じゃなきゃ、あんなにいっつも自分を虐め抜くみたいな鍛錬、フツーはしないよ」
二人の会話の意味は、後に眠りの女神ユミナから教えてもらった。
ジュリウスには女性に対する攻撃的な欲望があり。
けれど、それを恥じていた彼は、カルメンタリス教の門を叩くことで自身を律しようとした。
いっそ、欲望など忘れてしまえるほどの戦いに日々に、身を投じようとしたのだ。
結果、ジュリウスは超人戦技を身につけ、英雄への道を登り始めていたのだと。
──なのに。
ジュリウスはいつものように、部落の安全を確認して出て行った。
大戦に参陣して、また一段落ついたら様子を見に戻ってくると。
そんなふうに、いつもとまったく変わらなかったのに。
部落は安全だ。
外で大きな戦争が起こっていると知って、あの時のティールは部落の様子をそこはかとなく気にかけていた。
けれど、自分がいなくてもジュリウスがいれば、お隣さんは安全だろう。
だったら、である。
むしろ、ティールは自分がいるコトで、部落に危険が及ぶかもしれないと考えた。
なにぶん、有翼羽獣巨人は目立つ体格だ。
ジュリウスはまだ、ティールの存在に気がついていなかったが。
気にかけている幼馴染の部落の周辺で、こんな恐ろしい種族がいると知れば、大事になってしまうかも知れない。
ティールはしばらくの間、森の奥さらなる深くに引きこもった。
……しばらくして。
ティールが寂しさを、どうしても堪えきれなくなって、部落の様子を見に森の浅瀬に戻ると。
「ハハハハハハハハハハハハハハハハ──ハハハハハハハハハハハハハハハハ──ハハハハハハハハハハハハハハハハ──ッ!!!!」
ジュリウスは人が変わっていた。
悪心に呑まれ、部落は凌辱されていた。
代表者を務めていた雪豹人の巫女が、そのとき幼い子どもを数人抱えて、ティールの前に現れた。
彼女は、森に潜むティールに。
部落のなかで、最も初めに挨拶をしてくれた女性だった。
……本当なら、巫女はティールに自分も助けてもらいたかったはずだ。
その時、彼女は初めてティールとの意思疎通を図った。
言葉が通じるとは最初から思っていなかったのか、ニコと同じ霊的な交信によるコンタクトだ。
──お願いします! どうか助けてはくれませんか!
だけど、ティールは怖がりの臆病者だった。
突然、頭のなかに流れ込んできた他者の思念にも驚愕し。
変わり果てた部落の状態にも怯え、心がひっちゃかめっちゃかにグチャグチャだった。
「うそ──貴方、子ども……」
その有り様を、巫女は一瞬で把握したらしい。
ティールが五歳の子どもであることを、彼女は知った。
決断は早かった。
「っ! この子たちを抱えて、逃げなさい!」
ティールは巫女が抱えていた
押し付けられ、その子たちを助けるという〝
〝ぼく は にげた〟
逃げた。
逃げた。
逃げて、しまった……!
自分には強い力があるはずだった。
巫女の求めに応じて、何かひとつでも助けになるコトを出来るはずだった。
なのに、逃げるコトを選んだ……!
やがて、遠い遠い別の森で。
子どもたちを、偶然見つけた別の
ティールは自分を恥じ、お隣さんを見捨てたコトを後悔した。
数時間をかけて、引き返して。
結果は、当然、妥当な残酷さを残しただけだった。
失意と後悔が、ティールを襲った。
〝ぼく なんか うまれて こなければ〟
とことん、自分が大嫌いになって走り続けた。
悲しみに暮れ、もうどこを走っているのかも分からなくなって。
真っ白で真っ暗な
深く深く裂けたクレバスの底に、最後は落下して凍死した。
次に目が覚めると、あたたかな眠りの抱擁があった。
女神ユミナはティールへ言った。
「肉体は仮死状態に陥っただけです……まだ、あなたには、残されている役割があるでしょう……?」
……そう。
そうだ。
そうなんだ。
ついに、その時が来たんだ……!
「███████████████████████████████████████████████████████████████████████████████────ッ!!!!」
ティールには、戦い方など分からない。
この世にたったひとりきりの種族で、たったひとりぼっちの悲しい獣。
持って生まれた肉体の強さだけでは、たくさんの怖いモノに寄ってたかって虐められ、血も流す。
痛い。痛い。痛い。痛い。
怖い。怖い。怖いよ。怖いんだ。
嫌だ。なんで。あっち行ってって。
嫌だよ。嫌なんだってば!
──それでも。
「なんなんだキサマは!」
生まれてはじめて、精いっぱい。
〝ぼく は たたかう って きめたんだ〟
深い繋がりがあったワケじゃない。
彼女たちと友だちだったワケでもない。
森で偶然会ったら、軽く頭を下げて挨拶するだけの関係性だった。
だけど、それで十分じゃないか?
〝ぼく は おとなりさん だから !〟
カイブツを受け入れてくれた、彼女たちの優しさに。
今度こそ、報いるために『声』だって使う。
故郷の仲間を歪めてしまってから、二度と発さないと決めていた『声』を!
「███████████████████████████████████████████████████████████████████████████████────ッ!!!!」
「チィッ!」
腹の底から、怒りの咆哮にして何度だって放つ!
欲望なんかに負けて。
一番大切にしていたあの
どうしてだよ! と拳だって振り上げる。
生まれて初めて、他者をやっつけるために『気合い』を叫ぶ。
そうすれば、ほら。
〝ぼく の のろい は すごいんだ〟
ティールの『声』を聞いた同盟軍は、まさにあり得ない戦意に漲っていた。
戦場において、『飽くなき名声の呪業』を持つ者が、鬨の声を上げる意味。
それはこれ以上ない『鼓舞』であり、限界を超えた意志の力を絞り出させる。
ごめんなさい、とティールはそれも申し訳なく思う。
だけど、彼らの声援や共に戦ってくれる事実があるから、ティールも頑張れた。
長年、機会を欲していた呪業も。
収穫の時は今だと言わんばかりに効果を発動し、ティールが頑張れば頑張るほど、その姿勢が勇姿として周囲には伝わった。
よって、ティールは死ぬ。
この戦場で死ぬ。
ニコには申し訳なかった。
今も泣かせてしまっているが、ティールはそれ以上に嬉しかった。
〝あのひ ぼく が たすけた〟
いや、彼女に託された未来。
その証が、こうして現代にまで残り続けていたのだから!
見れば、黒詩の魔女が大魔槍を押し返しつつある。
ティールの『声』が、ヴァシリーサにもきっと、何かしらの働きをもたらしたのだろう。
ああ、よかった。
ヴァシリーサが勝つなら、ララヤレルンは安心だ。
魔界礼賛による淫惨魔界顕現は、起こらない。
この国は元の秩序を取り戻して、ネルネザゴーンの軍勢は恩恵を失って、勢いを失っていく。
「バカな──バカなッ、バカなバカなバカなバカなバカなバカなァァァ──ッ!!」
いったい何度、槍で刺されただろう?
いったい何度、槍でカラダを切り裂かれただろう?
ジュリウスは、やっぱり、すごい騎士だった。
けれど、ティールだって今はすごい。
約束された破滅の報酬に、鴨羽のティールは今度こそあの日の後悔を晴らす。
英雄になれたはずの男を。
英雄なんて肩書きとは、一番ほど遠かったはずの男の子がやっつける。
女ではないティールに、ジュリウスの槍は通じない。
また、これはティールには預かり知らぬ事実だったが。
三種の混血であるティールには、第二世界、第五世界、第六世界の理が紐づいている。
そのなかで、最も第六の理が強い。
獣らしい外見的特徴は、それが顕れている結果だ。
ティールの咆哮を聞いて、ジュリウスが最初にドラゴンを連想した由縁も実はそこにある。
第六から第八の理は、〈渾天儀世界〉においてある対等関係を示すのだ。
群青卿とニック・ノタルスカも、尖り兜山で会話していた。
──四千八百万〜一億年前、新原生竜代。
世界神エル・ヌメノスは、各リングベルトにセンタースフィアの基礎情報を転写した。
転写し、しかし、それぞれ別の可能性を与えて廻天させた。
異なる未来を辿らせることで、八つの異世界を促成するためだった。
やがて、八つのリングベルトの内。
第六から第八の高次に純度を高めた
世界神はセンタースフィアの何匹かの『竜』へ、そのまま与えた。
竜はこれにより霊格を高めて『龍』となり。
この時代、ようやく獣の神=古龍が現れたことで、獣に食い荒らされていた世界に均衡が取り戻された。
──つまり。
世界最強の獣たるドラゴンのなかでも。
上位種に区分される龍は、第六から第八の円環帯から生み出された。
特に、獣としての性質は第六の証左だった。
なればこそ!
奇跡の仔、ティールには。
第六の法理──太陽と熱砂、獣頭の神世界における極めて原始的な〝
それは南方大陸で、今なお形を変えて息づく強大な掟(ここでは第八の理に対して、対等以上の優位があるとだけ理解していればいい)。
鴨羽のティールに、第八法は届かない。
少なくとも、効果も影響も半分以下に減衰する。
梟雄奥義、魔人戦技なども第八法が介在するなら、意味が無い。
ここに立つのは、世界最強の獣たる龍種を生み出すに至った原初の根幹。
美しき、ティールブルー。
空のように青く、海のように碧く、森のように蒼く。
深みのある鮮やかさは、高貴にして永遠を意味する栄えある羽獣の証。
……仮に、もしもここに南方大陸のとある神王国が、ティールの存在を知れば。
大いなる敬意とともに、礼を尽くしただろう。
だが、その運命は来なかった。
ティールは北方大陸で死に、その生涯で真に誰かと交わした言葉はひとつとして無いまま──ようやく己が役割を果たして死ぬ。
ジュリウス・ネメオンは、あるいはそこに、かつての己が理想を見出しただろう。
「バカ、な……どうして今さら──」
「███████████████████████████████████████████████████████████████████████████████────ッ!!!!」
純粋無垢ではいられなった。
少年の日の騎士願望。
ティールの拳は、ついにジュリウス・ネメオンを捉えた。
殴り、殴り、がむしゃらに殴り。
気がついた時には、大魔槍は黒詩の魔女に存在ごと否定され。
魔人半馬はクレーターと化した拳の集積のなか、人間として命を落とす。
ティールもまた、心臓を槍で貫かれて絶命したが。
異形の一角獣は、捻れ狂っていた奇形の角を折られていた。
最後に残ったのは、かつてユニコーンの騎士と讃えられ、英雄にはなれなかった者の諦観。
──どうせなら、あの日に止めてくれれば良かったものを。
未練がましく、恨みがましく。
その声は、だからこそ誰にも届かず風雪となって消えた。
勝利の歓声が、ブチ上がる。
ニコ・ノタルスカの涙は、熱いまま。
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tips:もうひとりの刺客
ジュリウス・ネメオンは死亡した。
黒詩の魔女は、沈黙しながら、ララヤレルンの完全な支配権を取り戻した。
鴨羽のティール。
古代からのまれびとであり、眠りの女神ユミナの使徒の一人が。
月眼=ムーングラムの一手を、完膚なきまでに粉砕したのだ。
「オマエは私とだけ、戦っているつもりだったかもしれないが、彼の女神もまた巨大彗星の再来なぞ望んではいない」
「……なるほど。さすがに旧き泥濘の力の前では、〝視よう〟という意思も死んでしまうんですね」
叔父は姪に、自らの部分的な敗北を認めた。
「ですが、ここからは眠りの女神の使徒という不確定要素も含めて、未来を演算し直せばいいだけです──それに」
鉄鎖流狼は、未だ健在。
本物も偽物も、ともに決め手を繰り出した。
さらには──