ヰ世界の歌 夜明け前のダークエルフ 王道硬派な大河ファンタジーの世界で一歩から始める人外愛譚 作:所羅門ヒトリモン
黒詩の魔女ヴァシリーサによる現実の否定。
大魔槍『
有角神グラマティカの魔力と権能により、巨大に膨らんだ後。
大地に結杭がごとく突き刺さろうとしていた大魔槍は。
たとえ六千年近い発生年数を持つヴァシリーサであっても。
転変の魔と原棲魔の埋められない格差によって、本来なら最終的にララヤレルンの大地を穢し尽くしていただろう。
霊脈は汚染され、淫惨魔界が顕現していただろう。
だがそこに、
第二、第五、第六世界の
とりわけ、第八の理に優位を持つ第六法の〝後押し〟を持つ三種の混血。
ここで言う後押しとは、繋がりだ。
例えば、ダークエルフであれば第五世界との繋がりがある。
繋がりがあれば、自然と性質を持つ。
ティールには太陽と熱砂、獣頭の神世界との繋がり──性質があった。
奇跡の仔としての肉体。
生まれ持っていた『飽くなき名声の呪業』。
これにより、第八世界人と悪逆現象の混ざり物『白眉卑槍のジュリウス・ネメオン』は敗北に追いやられた。
ティールの存在が、大魔槍の『魔界礼賛』に穴を空けたからだ。
ティールの存在は、第八法を介在させるあらゆる事象に、打ち消しの効果を持っていた。
もしもジュリウスが、情報体のままだったなら。
勝負の行方は変わっていたかもしれない。
呪業の効果と、ニコ・ノタルスカを通して判明した〝ティール=子ども〟であるという事実。
黒詩の魔女はそれだけでも、大魔槍を押し返すコトに成功しただろうが。
ティールを殺したジュリウスが、大魔槍を押し返して直後、消耗状態のヴァシリーサをすぐに襲っていたはずだ。
──これは、その勝敗が明暗を分かち。
ララヤレルンが確かに窮地を脱して、人界同盟軍が確かな勝利に沸いて。
対照的に、幼き魔女が沈黙に静まり返り。
「が、ハ──!」
「そらそらどうしたどうしたァッ、ケダモノさんよォッ!? オレの心臓を撃ち抜くんじゃなかったのかァッ!?」
偽物の鉄鎖流狼。
いや、もはやその正体は暴かれ、シェイプシフター・テッサとでも呼ぶべき魔物が、大量の鎖を操って神父を痛めつける。
五体を拘束し、四肢を縛り上げ、全身を絡め取り。
ゼノギアが驟雨の獣となって、人間としての輪郭を崩そうとしていても。
その度に鎖の量が増えて、生成りは地面や家屋に向かって〝ドガララララララララッ!〟と叩きつけられていた。
時にはモグラ叩きの要領で、何度も冷たい大地の上、バウンドさせられていた。
鈍色の空は紅の満月に照らされて。
雨足はどんどん弱まり、抵抗の力は時を追うごとに減っていく。
当たり前である。
生成りでなければ、ゼノギアはとっくに挽き肉状にバラされていた。
擦り潰され、引き千切られ、それが人間の遺体であるなど誰も思わないような、肉塊のペーストに変えられている。
シェイプシフター・テッサは、本物の鉄鎖流狼と同じくらい嗜虐的だった。
人間を甚振るコトに、暗い喜びを得ている魔物だった。
それが、仮にも『鉄鎖流狼』の皮を傷つけ、一瞬でもヒヤッとさせた相手ならばなおさら──仕返しも兼ねて執拗に暴力を振るう。
「アァ〜ン?」
「…………」
「オイオイ……返事もできねェか?」
やがて、鎖の内側に閉じ込めたゼノギアが、ついに虫の息になったのを確認しても。
シェイプシフター・テッサの溜飲は、まだまだ下がらなかった。
悪心萌芽の満月は、ひどく性能を貶められている。
本来の大魔法に比べれば、みみっちいとすら言える限定的かつ屈辱的な極小規模。
然れど、都合がいいコトに
「ったく……オイ、起きろ。聞いてたぜェ? オイッ!」
「っ……グ」
「あの半魔ども、テメェのガキなんだってなァ!? クックックッ……ギャヒャヒャヒャヒャッ! 喜べよクサレ坊主ッ! ──テメェはッ! テメェのガキにッ! 殺させてやるッ!」
「……っ!?」
僅かに首の拘束を緩め、呼吸の制限を解くと。
生意気な神父は、やはり生成りゆえに意識の復活も早かった。
だが、喋らせるつもりは無かった。
敬愛する鉄鎖流狼を、悪心萌芽の縛鎖狼を。
このクソッタレ神父は、遥か格下の分際で脅かさんとした。
小癪な啖呵を吐いて、
その哀れで不快な勘違いを。
シェイプシフター・テッサは、心から後悔させるために囁く。
「テメェらは無力なんだよ」
「……!」
「テメェらは弱い」
「──!」
「ギャハッ! テメェらは何もデキねェッ!」
なぜ、半魔のガキなどを神父が育てているのか。
そんな事情は知らないし、どうでもよかった。
大事なのは、血の繋がりは無いにしても、この人間が五人の混血児を大切に想っているらしいコト。
よせよせ、みなまで言うな。
どうせアレだろう? 気色の悪いアレなんだろう?
聖人だ、善人だ──なんて。
この世には得てして、そう呼ばれる人種がいるが。
テメェもああいう気狂いどもと、同種の大馬鹿野郎なんだろう?
「──馬鹿めッ!」
シェイプシフター・テッサが、何のために死んだフリをしていたと思うのか?
それはゼノギアに、どうやったら最もツラい苦しみを与えられるか、考えていたからに他ならない。
愚かな執事のおかげで、幸い、とても役に立つ情報が手に入った。
ゼノギアを、紅い満月の真下に来るよう吊り上げる。
丁寧に顔の向きも変えてやり、絶望に染まるその瞬間を拝んでやる。
「さァ……ガキどもッ!」
偉大なる鉄鎖流狼の御業。
人間の悪心を増幅させ、醜い本性を暴き立てる紅の月光。
半魔ならば、殊更に〝効く〟だろう。
シェイプシフター・テッサは、五人の混血児が鬼火を操れるコトを見抜いていた。
それは偶然の知見だったが、
中途半端な惑いの証。
生成りなんて、生粋の魔物からすれば侮蔑の対象だ。
「コイツはカルメンタリス教の走狗だッ! 日頃テメェらが何を言われて世話されてたかは知らねェがッ、どうせ最後は裏切られるぞッ!
今までひとつも、差別や偏見を感じるコトは無かったか!? 半魔だからと体よく、利用されてはいなかったかッ!?
テメェらはどうして、他の連中と同じように避難して守られていねェんだッ!? 気づけよそろそろッ!」
言葉は、すべて自発的な悪心の成長を促すため。
些細な切っ掛けひとつでいい。
ほんのちょっとでも、五人の内側に思い当たるものがあれば、後は簡単に種から芽が出て華が咲く。
悪心萌芽は悪の華を咲かせるのだ。
……素晴らしい。
……美しい。
……これほど魔的で、地獄的な呪いの祝詞があるだろうか!?
人から転じた魔物に、蔑視を注ぐモノもいる。
しかし、シェイプシフター・テッサは見るべき価値には、心から敬意を払った。
「コイツを殺せば、テメェらだけは助けてやろうッ! 五人で協力して殺してもいいッ!
だが、一人になるまで殺し合ってから、殺してもいいッ! 五人はさすがに数が多いからなァ……見逃せる数にも限界があるかもしれねェ……!」
追い詰める。追い詰める。
思考の幅を狭くし、動揺を誘って疑心暗鬼を呼び起こす。
どのみち殺す。
全員殺す。
だがその前に、生成りの神父を絶望に陥れてやりたい。
「さァ、さァ……!」
「ウゥ────ッ!」
生殺与奪の権を握り締め。
シェイプシフター・テッサは、悪心萌芽の魔力に絶大な信頼を寄せ、もがき唸るゼノギアを宙に
────────────
────────
────
──
魔物がゼノギアを襲っている。
耳にザラザラと、蛞蝓のように入り込む言葉がある。
それは、五人の培養混血児の頭と心に、不可逆の変化を生じさせていた──
「コイツはカルメンタリス教の走狗だッ! 日頃テメェらが何を言われて世話されてたかは知らねェがッ、どうせ最後は裏切られるぞッ!」
紅い満月が、なにか、とても、居心地の悪くなる光を発している。
音は錆びた鉄のようで、病に毒され黒ずんだ血の不潔さを感じさせた。
鼓膜の内側に、
なのに言葉自体は、東方大陸に生息していた
ネバネバと、粘性のある体液を絶えず体表から分泌し。
奇怪な触覚をウネウネと伸ばし、揺らしながら這い進む。
両耳の穴の奥。
外耳道から鼓膜を突き破って、鼓室と耳管へ侵入し。
そのまま頭蓋骨を噛み削り、土を掘るみたいに脳まで到達。
アノス、クゥナ、ネイト、ミレイ、ヨルン。
銀髪銀瞳銀爪の。
魔術と錬金術で造り出された人工生命。
半魔のオリジナルを素体にし、〈渾天儀世界〉で新たな種族として産まれ落ちた培養体。
ホムンクルス=カムビヨン。
縮めて、ホムビヨン。
「──」
「──」
「──」
「──」
「──」
五人は
不思議な満月だった。
五人がこれまで知っている月とは違って、とても近い。
サイズも小さくて、
そんな月を見上げていると、魔物の声がより大きくなって〝中〟へと入り込んでくる。
「今までひとつも、差別や偏見を感じるコトは無かったか!? 半魔だからと体よく、利用されてはいなかったかッ!?
テメェらはどうして、他の連中と同じように避難して守られていねェんだッ!? 気づけよそろそろッ!」
差別。偏見。利用。
確かに、それらはあった。
ゼノギアにも、テレジアにも。
ララヤレルンで見かけるどんな人々にも、五人に対する差別と偏見、利用はある。
誤魔化す必要は無い。
五人は尋常の生命とは違う。
外見もそうだ。
角だって生えている。
定期的に〝水銀漬け〟にされる調律処置を施されなければ、自力で生命活動も覚束ない。
初見の者は、大抵がギョッとした。
事情を知る者も、だいたい常に変わったモノを見つけた反応を見せる。
例えば、群青卿のような比較的好意的な人物であれば、「おっ、今日も元気か?」と。
好意的とまでは言わないまでも、多少は
自分たちは変わっているのだ。
それが、差別や偏見に晒されていると言うなら、確かにそうなのだろう。
体よく利用されている、という指摘にも、実際、この状況がまさにそうだと思った。
そんなふうに考えたコトは無かったし。
そんなふうに考える自由意志も、自分たちには無いはずだが。
ホムビヨンだから、危険な仕事を与えられた。
ホムビヨンだから、他の非戦闘員と同じようには避難を許されなかった。
自分たちは、所詮、替えの効く
最初のマエストロも、
いま生き残っている自分たち五人は、たまたま余っただけ。
使い道が無くなったのだろう。
もう不要な道具だったのだろう。
ゼノギアに引き取られ、彼と彼の伴侶であるテレジアから、代わりに〝このように在れ〟と望まれ、彼らの子どもや仕事の手伝いをする係として日々を過ごしているが。
それもまた、結局は道具として、利用されているだけかもしれない。
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
……ただ。
なぜ、だろう?
「コイツを殺せば、テメェらだけは助けてやろうッ! 五人で協力して殺してもいいッ!
だが、一人になるまで殺し合ってから、殺してもいいッ! 五人はさすがに数が多いからなァ……見逃せる数にも限界があるかもしれねェ……!」
は?
と、思った。
五人は同じ培養槽で、製造されたからだろうか?
まるで、本物の人間の五つ子のようなシンクロ的思考回路で、生まれて初めて「その命令には従えない」と結論を出していた。
ああ。
ああ。
ああ、ああ、ああ……!
紅に染まった満月の、なんと虫唾の走る濡れた光。
肌に張り付き、大気から呼吸器系へ潜り込んで、五臓を満たすような。
内側から生じる、熱と震え。
制御不能の、身体不調。
──五人にはそれが、『怒り』によってカラダに生じている変化だと分からない。
未成熟で、無垢で。
自我に乏しくて。
最初から使い捨ての道具として、不要な要素をオミットされた造られた命には。
刺激をいくら与えても、遅々として〝獲得〟が進まなかった。
情緒は幼く。
だから、心の動静が時として、肉体に激しい影響を与えるなんて……
五人はこれまで、知る由も無かったのだ!
「──ア? 待て、何をして……!?」
鬼火を創り出す。
ゼノギアではなく、悪しき魔であるシェイプシフター・テッサに向けて、絨毯爆撃にも等しい大火炎を放つ。
誇るがいい、偽りの悪心萌芽。
呪いの祝詞は、このとき──
未成熟だった五人の
熱く燃え上がる『心』を与えた!
「ゼノギア様を離せ」
……いや、与えたのではない。
「私たちは、誰も殺さない」
正確には、こじ開け引っ張り出したのだ。
「私たちは、ゼノギア様が好きだ」
優しい父と母でも。
「ゼノギア様と、テレジア様が」
いずれ、緩やかな成長を待って。
「お二人が好きだ」
その偉業を、成し遂げただろう。
だが、すべては悪魔の自業自得……!
五人は同時に、強くまなじりを険しくして言った
──死ぬのは、オマエだ。
悪心。
なれど心──!
「なン……ッ、だとォ……!?」
シェイプシフター・テッサは、予想だにしない展開に虚を突かれ。
爆炎に呑まれて、鎖を灼き切られる。
ゼノギアを、拘束から逃す。
「この──クソガキどもがァァァァ──ッ!!」
しかし、仮にも大魔の霊威を纏うモノ。
半魔ごときの魔炎では、せいぜいが激情を買って報復を受けるだけ。
ゼノギアは解放され、瞬時に五人の前に身を躍らせるが。
驟雨の獣となって、有り余る光栄と感謝に、もう一度「ウォォォァァァァァァッ!」と命を懸けても。
身を盾にして、五人を必ず守ると裂帛の気合いを叫んでも。
直前までのダメージは無視できない。
ゆえに──神父と培養混血児を殺す鋼鉄流が押し寄せて──
「…………」
男は人間だった。
だが、同盟側ではなくネルネザゴーン側に属していた。
元は西方大陸人で、ある事件を切っ掛けに人間世界を恨んでいた。
特にカルメンタリス教圏を憎んでいて、数多くのテロ活動や犯罪に手を染めていた。
一度は東方大陸にまで逃れ、終末の巨龍を呼び起こすという最大の計画を成功させるも。
新しい時代の英雄に敗れ、計画を潰された。
年齢もすでに老境であり、もはやここから何かを始めるほどの熱量は、どこにも無かった。
妻と子どもたちを失ってから、心は凪いだ灰色。
何を見ても、何を味わっても無感動。
繰り返される記憶は、ずっと同じ。
投げられた石の数を、覚えている。
破られた窓ガラスの、落ちた破片の向きや形まで覚えている。
踏み入ってきた暴漢が、棍棒を振りかざして正義を叫んだ醜さも。
時間を稼ぐと囮になってくれた養父と養母が、広場で首を括られていた絶望も。
愛する妻と五人の赤ん坊を馬車に乗せ、必死に街を逃げた焦りと怒りも。
馬を走らせ続け、やっと無事に逃げおおせたと思って車内を開けたら、妻と子どもは後ろからの矢で無惨に殺されていた喪失感も。
人類文明を愛する女神だと?
悪しき魔物を討ち破る、聖なる教えだと?
ふざけるなよ、クソの掃き溜め。
──子どもたちは、まだ一歳にもなっていなかった。
──我が子を守ろうとし、最後まで離れようとしなかった彼女の、どこが穢らわしい魂なのか。
──
──
殺したのは、人間たちだ。
醜いのも、人間たちだ。
カルメンタリス教は、欺瞞に満ち溢れている。
魔に類するモノが、すべて許され得ぬ咎を背負うと云うのなら。
人間はそもそも、魔物へ転じ得る生命なのだから、カルメンタリス教とて裁かれるべきだ。
信条に変わりはない。
この世界に守る価値など無い。
助ける価値など無い。
──『大罪人』リュディガー・シモンは、だから魔軍側に立った。
監獄に入れられ、特別な独房で余生を終えるかと思っていたが。
人間の世界に、思っていた以上に魔の手は伸びていた。
全身にありえない量の眼球を持った魔物が、リュディガーを脱獄させたのだ。
人間であり、一流の魔術師であるリュディガーなら。
ララヤレルンに侵入するのは容易く、人界同盟の生命線も簡単に切り崩せる。
女をひとり、殺すだけ。
偽りの鉄鎖流狼。
第八世界人、異形の一角獣。
ネルネザゴーンが放った刺客は、実はもう一人いたのだ。
第二次エリヌッナデルク。
魔軍に協力すれば、リュディガーは容易くカルメンタリス教世界を破壊できる。
交渉に頷かない理由は無く、斯くて魔物の手引きによって、大罪人は密かな脱獄を果たしていた。
アンチ・カルメンタリス活動を、再始動させていた。
協力しなければ、頷かなければ、殺されていたという理由もあったが。
動機もあった。
潰された計画の復讐を、群青の空にブチ撒けてやるのも、この際一興かと考えていた。
「…………」
実際に足を運ぶと、老人は溜め息を堪え切れなかった。
ララヤレルンは、カルメンタリス教に頼っていない。
あの日、あの獣神王の棲み処で、耳に痛いとすら感じた『若者の夢』……
その始まりが、宣言に相応しい形で動き出していて。
しまいには、これは何の罰なのか……
単なる被造物に過ぎなかったはずのホムビヨンが、人間として成長する可能性を見せている……
「──で、あるならば──で、あるならばだ」
リュディガーは、指を弾いた。
袖口から、数種の鉱物を空中に溢した。
驚天動地の魔術を、発動した。
「──綺羅と輝け『
宝石の魔弾よ。
虹色の雲霞よ。
その輝きを乱反射さえ、万華鏡のように弾け渦巻くがいい。
リュディガーは、『鉄鎖流狼』を攻撃した。
「アアァァッ!?」
「なん──」
光弾が、キラキラと自分たちを助けた。
輝ける宝石の雲霞が、シェイプシフター・テッサの横腹に虹色の魔術を炸裂させた。
ゼノギアはその瞬間、信じられない思いで闖入者を見た。
「バカ、な……どうして貴様が──」
「たわけ。呆けるな、ゼノギア・チェーザレ」
「テメェェェッ! 裏切ったかァァァァッ!!」
「黙れイヌモドキが」
赤い
青い
淡い
白い
大罪人、リュディガー・シモンの十八番。
宝石魔術の精髄が、東方大陸での輝きすら超えて冴え渡る。
ホムビヨンの五つ子が、次々に「マエストロ」と呟いて瞠目した。
そんななか、どうしてここにいるのか分からない大犯罪者は、ただゼノギアだけに言葉を投げかけて来た。
悠然と歩き、相変わらず灰色に染まった眼で。
ひどく倦み疲れた声を喉から鳴らして、
「さっきから見ていれば、何をやっている」
「な、な──」
「貴様はまた、自らを哭き狂う驟雨に沈めるのか?」
「なん、だと……!?」
「守ると誓ったものを守れず、愛している女を泣かせ、その目の前で全てを失う無様を晒すのかと訊いている」
「……ッ!」
リュディガーは、チラリと
シェイプシフター・テッサが、裏切ったか、と激昂したコトから、ゼノギアは大罪人がネルネザゴーン側に立っていたのだと悟る。
──あの『
魔術師に、鋼鉄の反撃が向かう。
綺羅星雲を押し返し、シェイプシフター・テッサが激怒に染まった。
「テメェッ! なぜ影響を受けねェッ!?」
「フン。悪心萌芽か? くだらん。本物でもなければ本来の出力でもない。──そんなモノに、私の心をどうして変えられる?」
「!?」
何も感じない灰色の精神。
「唯一、この老いぼれの胸に残されているのは、復讐心だ。だがそれも、とっくの昔に悪心に染まっている」
「ッ……このクソジジィ……!」
ゼノギアは驚愕した。
まさか、そんな──と打ち震えた。
悪心萌芽の縛鎖狼には、天敵がもうひとりいたのだ。
リュディガー・シモン。
ゼノギアが怨敵と狙い定めた因縁の相手。
それが、今ここでゼノギアと同じ人間側の伏兵となって、魔物を追い込んでいる。
宝石の雨霰が、大通りを埋め尽くさんほどに暴れうねっていた。
血錆に汚れた鉄の鎖流は、奇跡的な拮抗状態に陥っている。
魔術師は指を弾き、足を踏み締め、首を鳴らし、手掌を軽く動作させるだけ。
たったそれだけのワン・ボディアクションで、天変地異が如き超常現象を操り続ける!
まさに──驚天動地。
大魔術師の威容に、翳り無し……!
「貴様は、あの退廃の嵐すら退けただろう」
「っ!」
「テレジア・トライ・トロイメライと言ったか?」
「彼女の名を、貴様が口にするな……!」
「ならば、少しは背後の女をちゃんと見ろッ!」
「ッ!?」
言葉に、ゼノギアはギョッとして後ろを振り返った。
テレジアが大通りに、出てきてしまっているのかと焦ったからだ。
「ぁ」
違った。
そうではなかった。
テレジアはちゃんと、
一階の広間。
大きい玄関扉を開けて、幼馴染は泣いていた。
「見たか! 貴様を想い、涙に濡れる女の姿が!」
「テレ、ジア……」
「呆けるな! ゼノギア・チェーザレ!」
老人の声が、まるで過ちを犯している若者を叱るように、大通りに響き渡る。
超常の爆音が、戦闘の騒乱が、なおも耳を
「貴様がこれ以上ッ、真に愛する女を泣かせたくないと想うなら!
貴様がこれ以上ッ、この世の残酷さから大切なものを傷つけたくないと願うなら!」
リュディガーは「弓を取れ!」と怒鳴った。
「そして、空を見ろ! 霊核を穿たれて、なお不死身だと!? そんなはずが無い!」
「ッ……ですが、実際に!」
「たわけが! 貴様はただ穿つものを誤った! 撃つべきものが、ヤツの胸には存在しなかった!」
「……!! まさか、テメェッ!?」
シェイプシフター・テッサが、激しく動揺する。
リュディガー・シモンの言葉を、遮らなければと猛攻の勢いを加速させる。
然れど、魔術師の舌のほうが速い。
「笑わせるな大魔崩れが! さぁ、魔弾を番えろゼノギア・チェーザレ!
空を穿て! 偽りの人狼その
「!!」
「やめろおおォォォォォォォォォォォ、グゥ──ッ!?」
絶叫は、不死身のカラクリを暴かれた何よりの証だった。
同時に、北東部の戦場で大魔槍が消滅した瞬間でもあった。
悪心萌芽の魔力が弱まる。
人間の悪心を膨らませ、秘めやかなる本性を暴き立てる人狼の大魔法が。
精神に干渉する極大の呪いが。
ついに大いなる弱点を晒し、天敵たちに見つかった!
満月の晩に獣欲に烟る人狼こそは。
まず、最もはじめに、己が心の存り様を晒していなければならなかったのだ……!
「然れば、哭き狂う驟雨は終わりの刻だ!
悪心を強制する暗雲ごときッ、貴様の絶技ならば容易に晴らせるだろう!?」
「……貴様に、言われるまでもなくッ!!」
「ウオオオオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ……ォォ……ッ!!」
満月は撃ち抜かれる。
偽りの人狼は消滅する。
退廃の嵐に比べれば、なんてことはない。
それは仕掛けすら見抜いてしまえば、簡単な決着だった。
けれど、大魔術師がいなければ、弱い人間には決してもたらされなかっただろう勝利だった。
"獣は哭く、驟雨の終わりに"
魔法の名は、プルウィア・レペンティーナ。
紅の月光を薄れされ、覗いた晴れ間がララヤレルンを明るく照らす。
どうせすぐに、いつもの凍雲に覆われるだろうが。
ゼノギアたちは、勝った。
────────────
tips:ララヤレルンの勝利
「な、に──?」
月眼=ムーングラムは、あり得ない光景に硬直した。
ゼノギア・チェーザレは死ぬはずだった。
培養混血児たちは悪心に呑まれ、五人の子どもを殺せない神父は、幼馴染を守れず絶望の果てに死ぬはずだった。
リュディガー・シモンも、決して裏切るはずのない駒だった。
ホムビヨンの心が、あり得ない方向に向かったせいで……!
「何故──!」
「馬鹿が」
「ッ……!?」
姪の罵倒に、叔父は初めて焦燥の色を宿す。
このルートはマズかった。
群青卿にとって、後顧の憂いとなる事象が全て消えてしまった。
「ですがまだ……!」
縛鎖監獄城がある。
本物の鉄鎖流狼がいる。
その真実を前に、群青卿は群青卿であるがゆえに、膝を折るしかない──!
ネルネザゴーンに〈異界の門扉〉を開けられても、魔界礼賛領域は他の理を許容しない──!
「だと、いいがな?」
「!」