ヰ世界の歌 夜明け前のダークエルフ 王道硬派な大河ファンタジーの世界で一歩から始める人外愛譚 作:所羅門ヒトリモン
己が正体が、子どもであることを明かす。
魔物に転生する切っ掛けと、人狼になる前の生前についても明かす。
鉄鎖流狼にとって、それはイヤでイヤで仕方のない選択肢だった。
己の弱さを晒し、無力で惨めだった頃の
大男のように振る舞って。
何のために、一人称も変えて。
しかし、それで闇の公子を救えるならば。
鯨飲濁流の助けとなって、偉大なる吸血鬼の覇道を支えられるなら。
(オレは、構わねェッ!)
焦がれたヒカリに身を捧げたい。
爪牙として、誇りある忠誠を果たしたい。
群青卿にとって、子どもは手出しできない存在だ。
白嶺の魔女の遺児であり、幼少期にどっぷり影響を受けた英雄は、決して子どもを殺すコトができない。
城塞都市リンデンでも、肝心な戦局で見ず知らずの子どもを見捨てられず、愚かな失敗を犯した。
だからこそ、鉄鎖流狼が『子ども』で、しかも『少女』だと分かったのなら。
最新、最強の英雄は、大人しく殺されるしかないだろう。
月眼=ムーングラムは、いやらしい作戦を立てる。
作戦は上手く行った。
英雄はショックを受けて固まった。
その喉笛を狙い、鉄鎖流狼は愛しきご主人様の皮に包まれながら、本気の爪撃を叩き込んだ。
右腕を振り上げて、当たれば人体など即座にミンチに変えるチェーン・ネイル。
ダークエルフの英雄は動かなかった。
避ける余裕が心から失われているのだ。
古代でも同じだった。
勇者や英雄、聖者と呼ばれた人間こそ、鉄鎖流狼の真実を前に戦意を失った。
(舐めやがってッ!)
ガキだから、何だというのか?
メスだから、何だというのか?
オレは鯨飲濁流の爪牙だぞ……!
その報いを、まさにいま新時代の英雄にも与えてやる。
ズザザザザザザザザザ──ッ! と。
左肩から斜め脇腹にかけて、真っ赤な鮮血が噴き上がる。
鉄鎖流狼の爪は、大きく英雄の胴体を引き裂いた。
呆気ない。
公子の手を煩わせるまでも無かったと、鉄鎖流狼が嗤おうとした刹那だった。
「ハッ! 終わりだ馬鹿ぐァ──ッ!?」
「はァァァ……」
英雄が、深い息を吐いて掴んで来た。
右腕を肩ごと振り落として、ちょうど良い位置にまで下がっていた鉄鎖流狼の首を。
英雄は斧を握っていない左手で、喉笛を潰すような万力の握力で鷲掴みにして来た。
色は白い。
白嶺の魔女の、手。
「ッ!! 離せェェェェッ!!」
「スゥぅぅ……」
慌てて逃れようとする鉄鎖流狼だったが、まったく首が動かせない。
まるで空間に縫い止められてしまったかのような、圧倒的な腕力と握力。
殴る。蹴る。叩く。打つ。噛み付く。
抵抗は続けるが、その間も英雄はしばらく深々と呼吸を続け、やがてゆっくりと俯けていた顔を戻した。
「……たしかに、俺に子どもを殺すコトは出来ない」
「クソァ! 離せッ、離せェェッ!」
「オマエらも知るように、俺にとって〝子ども殺し〟は禁忌でしかない──だから、仮に俺よりも強い子どもが敵になれば、俺はどうすることもできずに殺されるだろう」
それでも、と英雄は続けた。
「──それでも、いまこの場では〝そう〟はならない」
「ッ!! チクショウッ! なんでだッ! なんでだァ……!」
「今の一撃は、『納得』のために受け入れた」
シュゥゥゥゥ……! と。
次第に英雄のカラダが修復されていく。
心臓まで達するたしかな手応えが、あったはずだった。
ハッ!? とした鉄鎖流狼には、すぐに原因が分かった。
秘文字が蠢いている。
刺青のような紋様を描きながら、英雄の肉体を癒すために……!
根源的な恐怖が、そこにあった。
「いいか──ひとつずつ、ゆっくり教えてやる」
「……ヒッ!」
「オマエの魂は、たしかに子どものものだったかもしれない。けどな?」
鉄鎖流狼の伝説は、すでに二千年以上も〈渾天儀世界〉に刻まれている。
「人から転じた魔物で、すでに死者でもあるオマエたちは、基本的に心が変わらない」
「ッ〜〜〜!」
「過去に破綻した精神の停止時間。そこから何一つ変わらないからこそ、オマエたちは大いなる魔物に成り得る──が」
例外が、存在する。
例外を適用できる条件が、存在する。
「分かってるんだろう? オマエだ」
「ウゥゥゥ〜〜ッ!」
「魔物の精神が、どれだけ変化しない代物であっても、こと『人狼』に関してだけは人間的な成長の余地が残る」
鉄鎖流狼は、イヤな汗が止まらなかった。
わざわざ言われるまでもなく、それは薄々自覚していた事実だからだ。
だが、認めたくなどなかった。
「違うッ! オレは、オレは! テメェらとは違ェェんだァァ……ッ!」
「そうやって、自分すらも騙し続けてきたか? プリテンダー」
人狼は人間の生皮を被り、化けた後、人間社会に紛れ込んでも違和感を持たせないために、
「これまで数え切れないほど、オマエは人間に化け続けた。数限りない被害者たちの皮を剝ぎ取り、そのなかには当然、『大人』も含まれてる。というか、大人のほうが多いだろ」
「ッ!!」
「言っちゃ悪いが、大人はいろいろ抱えてる。子どもには見せられないし、聞かせられないような部分だって持ってる」
なら、数多と人間に化け続けた過去の事実。
鉄鎖流狼の精神には、イヤになるほど『大人』としての価値観が影響を及ぼしていたはずなのだ。
「だからオマエを、純粋な子どもだとは見なさない」
「クソッ!」
「だいたい、それが無くとも罪は罪だッ!」
「ヒィッ……!」
英雄が声を荒げる。
内に溜め込んだ怒りと憎しみを、必死に堪えていたのに。
不意にそれが、どうしても溢れ出てきたしまったかのような声だった。
「過去にオマエが積み上げた罪は、こうしている今もまだ一つも償われてない」
「……うっ、ウルセェウルセェ……ッ!」
「たとえ子どもだったからといえ、いや、むしろ子どもだったからこそ情状酌量の余地は無い」
「このッ、このッ、このォッ!」
「子どもが悪いコトをしたら、罰を与えて正しいコトを教える。間違ったコトをしたなら、社会では罰せられるんだって当然のルールを、オマエには教えておかなきゃならない」
「黙れェェッ! オレはガキじゃねェッ! テメェのガキじゃねェ──ッ!」
正しい教え?
間違っている?
「──さんッざんッ、見せてやっただろォがァ! だから、そういうのが〝糞食らえ〟だって言ってんだよォッ!」
「オマエがそうなってしまった原因が、オマエの周囲にいた大人にあったのは認める。ロクな人間じゃなかった。極端な価値観で、環境もよくなかった。それは認める」
良識ある誰かが。
分別ある誰かが。
プリムスという子どもの前に現れず、少女が救われなかった不幸にも同情する。
英雄はハッキリ、憐れみを垂れた。
ふざけるなと鉄鎖流狼は吠えた。
「憐憫なんざ寄越すんじゃねェ! オレはシアワセになったんだッ! ゲイイン様がオレにヒカリをくれたんだッ!」
「その理屈が通じる時代は過ぎた」
「ッッッ〜〜〜!?」
英雄の手は、ちっとも離れなかった。
喉を掴んで、なのに首を絞めもしない。
じっくりと、これまで鉄鎖流狼が一度として与えられなかったものを、強引に捩じ込んで来る。
「オマエは間違った相手を親にしちまった。間違ったヤツの後ろをついて回って、外に出ちまった。オマエを苦しめた『家』とは、何も関係がない他人に八つ当たりをしているだけだ」
「違うッ! 違ウ違ぅチガう違うチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウチガウ──ッ!!」
否定は、無意味だった。
離脱は、不可能だった。
英雄は、もう一度だけ、深々と息を繰り返した。
「────オマエの首を落とす」
処刑宣言。
だが、その前に呪文が紡がれた。
変化は、一瞬だった。
「"
「ァ──アァ──?」
掴まれた喉笛を通じて、鉄鎖流狼の精神に英雄の記憶が流れ込む。
それは極北の大自然。
永久凍土地帯で暮らしていた、ある母娘の日常。
穏やかな時間があった。
世界に厄を振り撒いた禁忌が、信じられないコトに少女の献身によって癒されていた。
他愛のない夢の話があった。
教育熱心な母親と、頬を膨らませて花嫁修行から逃げる娘。
「ヤメロ」
ヤメロ。
そんなモノは見たくない。
だが、奇しくも鉄鎖流狼の大魔法を識ったコトで、英雄もまた精神に干渉する業を獲得してしまった。
──慈愛の深さこそ、魔女の堕ちたる奈落の深さ。
「冀望の朝陽が、極光の風が届かないなら、直接教えてやる」
「チガウッ! こんなのはまやかしだッ! オレは信じ──」
ない、と否定を叫ぼうとした口は、自ら中断される。
なぜなら、人間の心の在り方を問い、人間の心の在り様に向かって呪いをかけ続けた鉄鎖流狼には。
それが、どうしようもないほど、『真実の心』だと分かってしまったから。
「アァ……ァァアァ……アアァァァアアァァァァァ……!?」
自己矛盾。
自己矛盾。
自己矛盾。
これはオレの記憶じゃない。
これはオレの経験じゃない。
これはオレの感動じゃない。
なのに、
「ゲイイン様! ゲイイン様! おおォォッ、ゲイイン様ァ!
アナタは言った! 『人間は闇に堕ちている時こそ素晴らしい』……!
怒りや憎しみや恨みや辛みに猛り震えッ、たとえ百億の夜を超えて呪い果たさんともッ、決して飽き足りぬ永遠にして刹那の混沌ッ!
……アナタはそこに、この地上で何よりの『純粋』が在ると教えてくれたッ!
だからこそ! ボクはアナタに魅せられ、アナタに惹かれッ、今なお強く! 焦がれているんだッ!」
だから……だから……!
「こんなモノォォォォォォォォォォォォォォォォォ──ッ!!」
鉄鎖流狼には、耐えられない真実だった。
たとえ
もしも、もしも、あの日に現れたのが鯨飲濁流ではなくて──だなんて。
「呪ってやるッ! 呪ってやるぞッ! メランズール・ラズワルド・アダマスゥゥ……ッ!」
「ああ。それでようやく、対等だ」
鉄鎖流狼は泣いた。
涙を流して、悪態をついた。
こんなのは違う。
絶対に違う。
間違っている。
なのに、どうして。
どうして、思い知らされるコトになったのか。
〝親とは、子の将来にいついつまでも安らかなるを祈るモノ〟
プリムスには与えられなかった。
鉄鎖流狼になってからも、与えられなかった。
鯨飲濁流は、決して「安らかなれ」などとは祈らない。
「地獄の裁きを経た後に、せめて来世では安らかな暮らしを識れるといいな」
「このっ、このぉ……ダイキライだァ……!」
最後に。
英雄はいじけて泣く鉄鎖流狼に、大きく眉間を寄せて。
掴んだ首を、パキパキと凍らせ握り潰した。
人狼の
……悪心萌芽の縛鎖狼は、最後まで心の在り処に縛られ続けた魔物だった。
────────────
tips:縛鎖監獄城の停止
伝説の主である鉄鎖流狼が消滅した。
瞬間、大峡谷の深部を遮断し続けた鋼鉄鎖壁は、一斉に動きを止めた。
魔法の憑依現象は解除されたが、物質としての形は残り続ける。
群青卿は魔法を使い、道を作った。
すると、ちょうどその時、ネルネザゴーンで作動していたある機能も停止した。
第八以外の理を許さない排他的法則が、解除される。
異変に驚く群青卿の背に、上層から飛んできたフェリシア・オウルロッドが合流して言った。
「ルカさんから、合図です」
以って、魔城『ニコストラテー』への攻略作戦が、本格始動する。