ヰ世界の歌 夜明け前のダークエルフ 王道硬派な大河ファンタジーの世界で一歩から始める人外愛譚 作:所羅門ヒトリモン
扉を開けると、温かな料理の匂いが鼻腔を香った。
パチパチと爆ぜる暖炉の薪。
食卓に並べられた三人分の皿。
魔女は振り向き、少し硬直し、招かれざる客をわなわなと睨むと、瘴気を増やした。
「死ね」
「出会い頭にいきなりそれか。相変わらずだな、白嶺」
オマエが死ね。
端的に呪詛を吐き返し、アレクサンドロは舌打ちをひとつ。
ダークエルフの友人とデーヴァリングの死霊に比べ、こいつはあまりに揺るぎがない。
ゆえにこそ、度し難いと憎悪が嵩を増していく。
「オマえ、オマエ、どッ、どうして、ココに……!」
「ハッ! 一家団欒の場に踏み込まれて、心中穏やかじゃないってか? 笑えるな、バケモノ。天はオレに味方した。その顔、まさか思いもしなかったってツラじゃねえかよ」
ま、それもそうか。
「異界渡りで消えたはずのオレが、よりにもよってオマエの設置した扉をくぐって現れたんだからな」
「! ……悪魔。この悪魔ァアッ! 私の子どもたちに何をしたのッ!」
「何もしてねえよ。もっとも? オマエはそれを感知し得ないんだろうがな」
己が〈
驕りも過ぎれば足元を掬われると、人間だった時の常識なんて忘れちまったか?
それとも、疾うの昔に滅ぼし尽くした場所など、人っこひとり寄りつきはしないと確信していたか。
どちらにせよバケモノらしくて実に助かる。
アレクサンドロは首を傾け嘲った。
「なあ、白嶺。オマエの欺瞞はすべてブチ破ってやったぞ。アイツはもう、オマエたちの嘘を知っている」
「!」
「さあ、どうする? オレはこれでも聖剣の担い手だからな。得意の魔法は全部解いてやった。ハッハハッ! なあ、どんな顔を浮かべたと思うよ?」
「────こ、の」
ドロドロドロドロドロドロドロ。
殺意の波がぬかるみがごとく、アレクサンドロの全身を瞬間的に覆った。
極大の魔。
発生年数五千年以上。
その重圧は対峙しているだけで、常人の精神を自滅に追いやる。
然れど、
じュゥゥゥゥ……
体が内側から燃えている。
浄罪の焔が、エルフの肉体を焼きながら再生させる。
その苦痛がどんなプレッシャーにも勝り、アレクサンドロの正気を辛うじて持続させていた。
恐怖なくして語られず。
それは実に三千年の道程を恩讐に灼き焦がした、復讐鬼とて何も変わらない。
(……ああ、そうだ。これこそが、白嶺の魔女)
子ども以外の何もかもを鏖殺する。
デーヴァリングの死霊も、ダークエルフの友人も、きっと本当の意味で知りはしない。
聖剣の輝きはあらゆる魔物に苦痛を与える。
〝
それなのに、何の痛痒も覚えた様子を見せない不浄の理。
(いったいどれだけの奈落に沈んでやがる?)
聖剣の威光が届かぬ闇の深淵。
目の前の敵はそういうバケモノだ。
これでは直接、剣を振るって斃すしかない。
(まぁ元より、そのつもりではあるがな)
アレクサンドロが冷徹に柄への握力を強めた、そのとき。
魔女の黒衣から、怨霊の瘴気がさらに氾濫した。
「──ふ。ふふふ。ふふふふふふふふふふふふ」
「……なんだ。なにが、おかしい」
油断なく睨み据えるアレクサンドロに、白嶺の魔女はクツクツと肩を揺らし両手で顔を覆う。
「ふ。ふふふ。なにが? なにが、おかしいですって? そんなの、アナタよ。アナタに決まってるじゃない」
「……」
「そう、そうだったの。いえ、そうなのね? やっと思い出したわ。許してちょうだい。ごめんなさいね、私ってば忘れっぽくて」
「……ああ? なにを、言ってやがる?」
「だからアナタ。アナタよ。誰かと思えば、この前も一度、私の〈
思い出すのに、つい時間がかかっちゃったわ。
「だって、背中しか見せてくれなかったんですものねぇ?」
「!!」
上質な煽り。
勘に障る女の
たしかに、アレクサンドロは逃げ出した。
魔女のねぐらを見つけるため、
探し物をするにはあまりに環境が厳しすぎるそこで、体力は早々に限界を突破していた。
そこに『扉』を使い魔女が現れ、不意を打たれて撤退を選択。
一時の体勢立て直しを図った。
けれどそれは、長年追い求めた怨敵を眼前にし、尻尾を巻いて逃げ出すしかなかった激情、屈辱感を伴い。
伝説の魔物からすれば、ああ、たしかに記憶に留めるのは難しかったに違いないが──
(……それを)
臆病者と罵られるのは、心外にも程がある。
「──ハ。ハハハ。ハハハハハハハハッ!」
「──ふ。ふふふ。ふふふふふふふふふふ」
聖剣、解放。
日輪の
聖剣の解放は、極北の世界を鮮やかに染めた。
エルフは最初に魔女へ斬りかかり、魔女はパチンと指を鳴らして異界の門扉を開錠。
戦場を強制的に外へと移し、変化は劇的に空へ表れる。
──太陽。
そして、青い空。
澄み渡る蒼穹に日輪の顕現。
季節は晩冬。
しかしながら第七冬至前日。
北方大陸の最北、終わらぬ夜の
それと同時に、〈領域〉の法則が少しだけ書き換えられる。
「ッ、その剣……!」
「忌々しいか!? これこそは古代の秘宝匠、その名も呼び声高し〝聖剣のルーブル〟が鍛えた至高の一作!」
日輪剣カエロラム。
その
春の涼風と初夏の燦々。
この聖域の前に、いかなる夜も存在は認められない。
死に生きる魔物は、空より落ちたる光の幕にその身を灼かれ、ただ突っ立っているだけで存在否定の裁断を下される。
〝太陽源力・生者の理〟
相反する法則をぶつけられ、魔女は初めて苦鳴した。
「うぅぅッ……“
「バカが! その程度の魔法、
放たれた青き火炎を一刀のもとに斬り払い、アレクサンドロは真っ直ぐに追撃を行う。
簡単に終わるなどとはもちろん思ってはいなかったが……
(このバケモノめ……!)
五千年級の魔は聖剣ですら容易に打ち破れない。
認め難い現実を、改めて突きつけられたアレクサンドロにあるのは余裕のない焦りだ。
人類が積み上げた研鑽。
魔物に抗うため数多と繰り返された修練の果て。
それが、こんなにも通用しないと感じたのは、アレクサンドロをして初めてである。
ならばこそ!
(ヤツが死霊を出す前に終わらせる──!)
アレクサンドロの選択は必然そうなる。
敵が本領を発揮すれば、アレクサンドロの勝率は著しく下がるだろう。
魔女は〝戦うもの〟じゃない。
──編み出し、喚び、従えるもの。
低級の死霊は聖剣の前に塵と化すが、魔女が
〈目録〉が正しければ、最低でも霜天の牙と錆鉄吐きは抱えているはずだ。
獣神も地竜も、壁としてはあまりに邪魔すぎる。
「ッ! “
「猪口才──!」
重戦士を模した氷の彫像。
迫り来る氷塊の斧槍。
それらを横薙ぎに燃やして、アレクサンドロは大きく宙を跳躍、限界まで腰を捻転。
回転の剣速と落下の重力を合わせて、勢いよく魔女の頭蓋を狙った。
「“
「!?」
魔女が透過。
日輪剣は両断すべき敵をすり抜け、空しくも地面を叩き割る。
硬質な衝撃が両手を伝い神経を痺れさせた。
(ッ、いまのは……!)
困難呪文。
別名、難解呪文。
魔法は詠唱者の意図した通りの結果を第一義とし、それゆえ、抽象的な意味を持つ呪文はだいたいにおいて中途半端な現象を導きやすいのだが、魔女は高次の階梯で呪文を掌握していた。
魔物の中で魔女ほど困難呪文を使いこなす存在はいない。
(まずい……!)
ヴェールの隙間。
白髏の面が、隙を生んだアレクサンドロを嘲嗤う。
「“
「ぐッ、ぬああぁァァ──!?」
全身を横殴りに押し飛ばす不可視の一撃。
圧縮された空気の〝面〟が、鉄のごとき硬さとともにアレクサンドロを大きく吹き飛ばした。
骨と肉の破砕される音。
激痛に身を捩りながら、しかし聖剣を握る右手だけは離さない。
日輪剣の聖域において、人間は尋常ならざる自然治癒力を発揮する。
痛みはあるが回復はするのだ。
諦める道などとっくに捨てた。
復讐心から
ならばこの身が、今さらこの程度で止まれるはずがないだろう……!
「ウオォっ! 舐ァめるなァアッ!!」
鉄槌を破壊。
体勢を立て直す。
敵も聖剣の脅威を認め、魔法の強度を上げてきた。
それ自体が信じ難いことではあるが、現実は受け入れなければならない。
開かれた彼我の距離はおよそ三十メートル。
アレクサンドロならば問題なくすぐに詰められる距離。
大狼の一撃をお見舞いしろ。
攻撃を止めるな。
まだいける。
詠唱の余裕を無くせ。
疾走しろ。
駆け出すアレクサンドロはそこで。
「……ああ、もう……うんざりだわ」
魔女が嫌気を込めて溜め息を吐くのを見た。
「鬱陶しい聖剣。此処をどこだと思っているの?」
黒白の死世界。
絶対零度を越えた濃闇の地獄。
日輪はそも姿を隠すが道理の極点なり。
「私の〈
不遜だわ。
増長だわ。
思い知らせてあげましょう。
旧き支配権は、いま誰のもとに?
「──“
「…………な」
肉薄した聖剣は、再度魔女の頭蓋を割ることが叶わなかった。
聖剣は届かず、魔女はするりと僅かな時間で高所へ移動する。
アレクサンドロは戦慄した。
脊髄に氷柱を刺し込まれたように愕然と打ち震えた。
蒼穹の結界に、陰鬱な凍雲。
魔女の足元にあった氷雪が、まるで意思を持ったようにひとりでに蠢き始める。
風、風、風。
氷雪渦巻く颶風はやがて、山のような屍の玉座となり、その周囲を、七つの偉大な影がぐるりと取り巻いた。
「バカな……」
オマエは、
膝を着かなかったのは奇跡に近い。
天地が揺らぐ。
それほどの驚愕が総身を打ちのめした。
「
白嶺……! 貴様はそのおぞましき死霊術でッ、奴隷にしていたと云うのか……!?」
「だって、邪魔だったんですもの」
正真正銘の神話が、復讐の聖剣使いに立ちはだかった。