ヰ世界の歌 夜明け前のダークエルフ 王道硬派な大河ファンタジーの世界で一歩から始める人外愛譚 作:所羅門ヒトリモン
フィロメナ・セレンディバイト。
少女の名は当然知っている。
今期の〈学院〉に通う学徒は九人。
そのうち、女子はオブシディアンの双子を入れて四人で、ネビュラスカ・ブラックオパールが悪女なことで有名なら、フィロメナ・セレンディバイトはその容貌──とりわけ
(美髪姫……)
艶やかであり緩やか。
ウェーブのかかった優しい髪。
冬の泉で出会えば、恐らく水の精と名乗られたところで何の疑問も持たなかっただろう。
そのくらい綺麗な髪をしている。
しかし、
「座っていいとは一言も言ってないぞ」
「あら。ではここに、もうひとつ席を設けてももらいましょう。相席でなく隣席ということで」
──それなら、どうです?
フィロメナは小首を傾げ、ニコリと微笑みながら言ってきた。
俺は仮面の下で、思わず唸る。
相席でなく隣席に陣取られれば、いよいよどうにもならない。
(……クソ。お預けじゃねーか)
楽しみにしていた肉料理が、思わぬ邪魔者に遮られてしまった。
こうなればフィロメナの用件を済ませるまで、俺は絶対に舌鼓を打つことができない。
(チッ、しょうがない)
どのみち平日の、〈学院〉外で遭遇してしまったのだ。
多少の
俺は頷き、恭しく略式の礼を取った。
「分かりました。どうぞそのままで」
「ふふ。ありがとうございます」
「で? こんなところで何をしてるんだ? セレンディバイト」
「そういう貴方様は?」
俺たちはそこで、数秒だけ視線をぶつけ合った。
しかし、しばらくしてフィロメナの方が、先に降参を口にする。
「ふふ……すみません。今のはさすがに失礼でした」
「ん?」
「せっかく相席をお許しいただいたのに、わたくしったら、自分の欲しいものばかり優先しようとしてしまって……はしたない女と思わないでくださいましね? ごめんなさい」
フィロメナは小さく顔を伏せると、しおらしい態度で謝罪した。
「ただ、貴方様とは〈学院〉でも、あまりお話する機会が無かったものでしょう? 普段の貴方様は何というか、周囲を遠巻きにしてらっしゃるご様子ですから」
偶然にもこうして、二人きりで会話をするチャンスに恵まれて、だからわたくし、実は少し舞い上がってしまっているのかも知れません。
花も恥じらう高嶺の笑顔で、少女は堂々とのたまった。
「オマエ、スラスラとすごいこと言うな……」
「なに偽らざる本心ですもの。お詫びとして先ほどの問い……わたくしの方からお答えさせていただきます」
そう言われれば否やはない。
背もたれに身を預けて、続きを促す。
すると、
「そうですね。今日、わたくしは父の付き添いとして、こちらのレストランに参りました」
「付き添い?」
「はい。黒き豊穣の芳醇。父は昔からこちらの店のオーナーとは親交がありまして、重要な取引などがある場合は、だいたいこういった場所へ私も呼び出すのです」
「ふぅん? つまり、親の仕事の手伝いをしてるってことか?」
「概して言えばそうなります」
ですが、
「親の仕事の手伝いと言えば、たしかに聞こえはよいのでしょうけれども。実際はわたくしなんて、単なる接待要員でしかありません」
「おいおい」
「ふふ。ありがとうございます。でも、別にこれは謙遜ではありません。美しい娘を使って殿方のご機嫌を取る──ほら、先ほどのも。お分かりになられました?」
「──む」
「ええ。要はそういうことです」
フィロメナは澄ました顔で告白する。
ふ、ふーん。なるほどね?
(つまりアレは、「本心ですもの」とか吐かしときながら、当たり前にリップサービスだったってワケか)
やめろよな。そういうの。
分かっていても、ちょっと喜んじゃった自分が情けなく感じるだろ。
「……まあ話は分かった。けど、それで?」
フィロメナが
肝心の部分を追求するため、俺はもう一度続きを促す。
「わざわざ俺に挨拶するために、父親から頼まれた接待役を抜け出して来たってワケじゃないんだろ?」
「あら。わたくしが貴方様と、せっかくだから交友を深めようと思ったとは考えないので?」
「冗談吐かせよ。俺は
メラネルガリアの常識的に、俺とフィロメナとではあまりにも立場が違う。
なにしろ目の前の美少女は、王太子の婚約者候補筆頭に見なされるほど器量がよくて文句のつけようがないのだ。少なくとも、メラネルガリアの主流な価値観においては。
〈学院〉での成績こそ、セラスランカやティアドロップに一歩劣った評価で甘んじている。
しかし、それすらも恐らく、男性社会のメラネルガリアで敢えて顰蹙を買わぬための彼女なりの処世──俺の勘では、フィロメナ本人の能力は極めて高いと推測している。
(ただの勘だけど)
そういう片鱗を、ちょっとだけ感じ取れるというだけの感覚的な根拠。
なので、当然油断していい理由にはならない。
実力を隠している人間が自分ひとりだけなんて可能性は、ゼロに等しいのだから。
「それで?」
少女の姿を真正面から見据える。
「うふふ」
フィロメナはなぜか嬉しそうだった。
「そうですね。では、特別にサービスしてあげます。本当はもう少し黙っているつもりでしたが、思わぬ仕返しを受けてしまいましたし」
「あん?」
「ですが、ひとつだけ交換条件を呑んでくださりません?」
「…………」
「ああ、身構えないで。そんなに大した話ではないのです」
「……じゃあ聞くが、交換条件ってなんだ」
「今後、わたくしのことはどうかフィロメナとお呼びください。オマエ、ではなく。そして、わたくしが貴方様を、お名前で呼ぶことを許して欲しいのです」
「……はぁ? なんだそりゃ」
突然の申し出に意味が分からず困惑する。
仮面の裏でフィロメナには見えちゃいないだろうが、俺の眉間はいま相当なシワを刻んでいた。
それくらい意図が掴めない。
「ただ名前で呼び合うようにするだけ?」
「はい」
「つまり、あー……なんだ。それは友達みたく?」
「そうとも言いますわね」
「……よく分からんが、そんなことでいいならいいぞ」
フィロメナに何の得があるのか知らないが、名前を呼び合うようにするだけで話を聞けるなら、断る理由はどこにも存在しない。
だいたい、これまでもそうだったように、今後も関わることなんかそうないだろうしな。
と、俺が内心でタカを括っていると、
「では、どうぞ」
「ん?」
「ですから、どうぞ?」
「どうぞって何がだ」
「まあ、ひどい。まさか口約束だけで、信じろとおっしゃるおつもりですか?」
少女は咎めるような眼差しをぶつけてきた。
どうやら今ここで、実際に名前を呼んでみせろと言いたいらしい。
「分かった。分かったよフィロメナ。これでいいか?」
「ええ、ひとまずは及第点ですわね」
「そらようござんした」
両手をあげてシニカルに嘆息する。
そんなこちらに、フィロメナは再度クスリと笑うと、ようやく続きを話し始めた。
「まぁ、正直に告白してしまうと、ラズワルド様とは前々から話してみたいと思っていたのです」
「前々から?」
「はい。ただ、それは今日こうやって話しかけに来たのとは違う理由ですので、しばらく置いておきましょう」
「置いておくのなら黙ってて欲しかったぞ」
気を引くような言い回しをわざとしやがってからに。
「うふふ。ごめんなさい。でもいずれ話しますわ」
「そうかそうか。なら、安心したよ──さっさと本題に入れ」
「では、おうかがいします。ねえ、ラズワルド様?」
「?」
「
フィロメナ・セレンディバイトは、禅問答のようなことを言い始めた。
「オイ」
「誤解なさらないで? わたくしは別に、話を巻き戻そうとしているワケではありません。ラズワルド様がどうしてこのレストランにいるのか? その謎も興味がございますが、今のはまったく別の質問になります」
「……どういうことだ?」
困惑するこちらに、少女はスっと背筋を伸ばすと、おもむろに真剣な顔を作り上げた。
エメラルドグリーンの深い瞳。
少女の視線が真っ直ぐにこちらへ突き刺さる。
「ラズワルド様。ねえ、ラズワルド様? もう一度お訊ねしますが、貴方はどうして
「なんだと?」
「メラネルガリアは良い国です。ダークエルフは素晴らしい種族です。ここでは目に入り込むものすべてが洗練されていて、わたくしたちは偉大なる父祖への感謝を忘れてはなりません──少なくとも、貴族の子女は物心つくより以前から、徹底的にそう教え込まれます」
けれど。
「けれど、殿方だってそう変わりはないのです。
わたくしの父も、兄や叔父も、〈学院〉で会う様々な導師たちも、程度の差はあれ、皆さま大抵は似たようなお考えを持っていらっしゃいます」
……いえ、むしろ。
「わたくしども女と違い、偉大なる父祖と同じ男性であるという分、その愛国心と自尊心は、限りなく表裏一体で、ほとんど比べ物にならないかもしれません」
メラネルガリアとはそういう国で、ダークエルフとはそういう種族。
なまじ実力も伴っているから、始末に負えない。
国は長年閉ざされ続け、普通ならば腐敗が進行し弱体化を免れぬはずが、異常な種族理念で国力強化が続いている。
「その反面、陰では多くの淀みが生まれていますのに」
強さを追い求める国政は、必然、弱者の烙印を押された者にどこまでも冷たくあたった。
強者の枠組みに収められない者を、劣等と決めつけ下に見た。
「ラズワルド様もすでに、うんざりされているのでしょう?」
「……よく分からないな。さっきから、いったい何の話をしてるんだ?」
「隠そうとしても無駄です。わたくしには分かっています。貴方は
「────」
動揺を晒さなかったのは自分でも驚きだ。
フィロメナの言葉は、つい昨日、自分の口から解き放った言葉である。
偶然か必然か。
俺は嫌でも、平静を装うことを余儀なくされた。
フィロメナはそんな俺に、さらに懇々と説き続ける。
「メラネルガリアは醜い国です。ダークエルフは非道い種族です。ラズワルド様を見ていれば、たとえその素顔が仮面で隠されていても、考えていることは分かります」
「驚いた。俺、そんなに顔に出やすいタイプだったか? 仮面で見えないと思っていたよ」
「ふふ。オブシディアン家の双子が、何よりの証拠です。特にセラスランカ嬢とは、あまりに親密に接しすぎましたね」
ふたりで授業中に遠乗りをする仲だなんて、言い逃れはできませんよ?
フィロメナはそこだけ、鬼の首を取ったように得意げな顔になった。なんという勘違いか。
「いや。あれはお互い、兵装院の訓練で仕方がなくだな……」
「ともかく、ラズワルド様は普通のダークエルフではありません」
「聞けよ人の話を」
セラスランカにも悪いため、何とか誤解を解こうと口を挟みたかったが、フィロメナはまったく有無を言わせてくれなかった。
話は続いていく。
「いくら世間知らずの田舎者でも、貴族ならば例外なく厳しい教育が施されます。
たとえ病弱で、長年病床に縛られていたとしても、我らが貴きメラネルガリアの思想のひとつくらい、強制的に刷り込まれていなければ、そんなのはダークエルフとは言えません」
「ハァ……スピネル家が特殊だって可能性は?」
「他ならぬ第二妃を排出した家ですから、一考にも値しませんね──というか」
そも、病弱な子どもなど早々に手放すのが貴族の常識だ。
病を克服し快復したなら、遅れを取り戻すべく通常の何十倍もの密度で『躾』が行われる。
貴族だからこそ、それは避けられようがない。
「なのに、ラズワルド様はまるでわたくしどもとは違います」
自由で奔放で、仮面の奥ではわたくしたちに対して、何より嫌悪の感情が滲んでいる。
「
「……」
「どことなくですけれども、時々そう考えているような風にも見えますから」
フィロメナは見透かしたように指摘した。
その指摘は、否定のできない図星だった。
(たしかに、な……)
ヴォレアスに比べれば──それは捨てられるはずのない苛立ちだ。
日頃、無意識の内に感情が漏れ出ていたとしても、何も不思議は無い。
(なにせ、ここで見上げる空はあんまりにも──)
醜い。
だから、こんなモノを一生見続けなければならないのかと想像しただけで、堪え切れない吐き気がいつもはらわたの中を一杯にする。
フィロメナの指摘は正しい。
俺はたしかに、メラネルガリアが嫌いだ。
好きか嫌いかの二択で答えを出せと言うなら、今は当然、嫌いとしか言えない。
(だって、仕方がないだろ?)
上辺が綺麗な分、余計に中身の汚さに我慢がならないのだ。
俺は口を閉ざさざるを得なかった。
一方で、フィロメナは滔々と言の葉を紡ぐ。
「ご気分を害されたなら申し訳ございません。
けれど、わたくしにはどうしても疑問なのです。ラズワルド様はこの国を嫌っている。どうしてそのように育つことができたのかはともかくとして、貴方は
それは、メラネルガリアの『外』の価値観だと。
少女は暗に告げていた。
「それに打ち明けておきますと、わたくしは昨日の事件を知っています」
「──へぇ、昨日の事件?」
「はい。〈学院〉では昨日、恐るべき企みが実行されていました」
三つの家が共謀を働き、〈学院〉の導師すら抱き込んで、ティアドロップ・オブシディアンを罠に陥れた。
凶暴な他種族の奴隷を使って、ひとりでいるところを襲わせたのだ。
「恐ろしい企みでした。しかし幸い、最悪の事態は避けられたようです。ティアドロップ様は昨夜、無事にオブシディアン邸へ帰られたところを確認されています」
「ずいぶんと情報通なんだな」
「オブシディアン邸からゆうべ、日を跨がぬ内に情報が送られて来ましたので」
「ふぅん? 今のは問題発言な気がするけど。俺にバラしてよかったのか?」
「構いません。証拠は残しませんし、だいたい何処の家も、密偵のひとりやふたりは当然他家へ潜り込ませていますから」
仮に問題になったとして、内々に処理されるだけ。
そんなことよりも、
「……ねえ、ラズワルド様? ティアドロップ様は昨日、どうして助かることができたのでしょう?」
普通に考えれば、まんまと〈学院〉に誘き寄せられ罠に嵌った時点で、ティアドロップ・オブシディアンの運命は決している。
ブラックジェイダイト、ブラックパピリオ、ブラックオパール。
曲がりなりにも三人の貴族が協力して事を企て、〈学院〉すら敵に回った。
ティアドロップ・オブシディアンがいかに優秀だろうと、さすがに多勢に無勢。
罠に気づいて抵抗をして、途中までは足掻くことはできても、最終的には絡め取られる。
首謀者たちとて、愚かではない。
仮にも学友として、獲物の能力は忌々しいほど見知っているのだ。
食い破られる罠など張らない。
仕掛けるなら、彼らも最善を尽くす。貴族なのだから。
「けれど、わたくしの受けた報告では、ティアドロップ様は平穏にご帰宅されました」
そして、
「昨日の〈学院〉にはもうひとりだけ……大変目立つ学徒の姿があったそうです」
「…………」
「ラズワルド様は、どなたかご存知なのではありませんか?」
フィロメナはすでに確信している様子で訊ねた。
なので、こちらも空惚けることは不可能だと察した。
嘘を吐いたところで、俺の姿は昨日、書庫塔の司書にバッチシ目撃されている。
(なるほどな)
フィロメナ・セレンディバイト。
この少女は強い。
少なくとも、情報戦という分野では明らかにこちらが後塵を拝する。
ゆえに、
「まあ、俺のことだろうな。そのもうひとりってのは」
「やっぱり」
「でも、変な誤解をされないよう念のため伝えておくんだが、俺は昨日、ティアドロップとは会っていない。今しがた聞かされた陰謀事件には、ちっとも関わっていないぞ?」
「あら、そうなのですか?」
「おお。そうなんだよ」
フィロメナは信じないという顔つきで「ふぅん。そうですか」と頷いた。
「でしたら、まあそういうことでもよいと思います」
「微塵も信じちゃいないって顔だな」
「ごめんなさい。なにしろ素顔をお隠しになられている方の発言なので」
「俺たち友達だろ?」
「今日はじめて互いの名前を呼び合ったお友達ですわ」
軽妙な返しに、俺たちはそこでほぼ同タイミングで笑った。
「ハハハ」
「ふふふ」
傍目には和やかな談笑の絵面が出来上がる。
が、
(──コイツ、たったそれだけの引っ掛かりで、俺に揺さぶりをかけに来やがったのか?)
タラリ、と仮面の裏で冷や汗が流れる。
いや、マジで勘弁してほしい。昨日の今日でいくら何でも早すぎだ。
秘密がバレそうになるのって、もっとこう、時間を置いてからじゃないの?
(まだ一晩しか経ってないんだぞ……!)
「フゥ……ともあれ、理由は分かったよ。フィロメナ」
「なんです? ラズワルド様」
「つまり、こう言いたいんだろ」
ティアドロップ・オブシディアンが助かったのは、スネイカー・ブラックジェイダイトらの想定になかった第三者の介入が発生したからだ。
「そして、その第三者は他ならぬラズワルド・スピネルだと」
「ええ、まあ。だって、常日頃からメラネルガリアの現状に反感を覚えていらっしゃるラズワルド様なら、当然思ったはずですもの」
ティアドロップ・オブシディアンが襲われている。
髪が白いというだけで、またしても不当な差別を受けている。
こんなことがあっていいのか?
見て見ぬふりなんて、絶対にできない。
「──違うな。間違ってる。俺はそんなに胡散の臭い正義漢じゃない」
「どちらにしても、状況が結果を物語っています」
「違うったら違うって。フィロメナ、それは大いなる誤解だ」
「まあ、大いなる?」
「俺は書庫塔に行って、たしかにちょっとした調べ物はしてたよ。けどな? ティアドロップが昨日、スネイカーたちの奴隷に襲われていた? オイオイ……そんなのまったく知らなかったって! ああ、これっぽっちも!」
「でしたら、この場はそういうことでもよいですわ」
わたくしは分かっていますけど。
フィロメナは嫌味なほど完璧な笑顔で言った。なんて女だ。
嘘をつく側の身にもなれ。
「じゃあもういい。とにかく俺は知らん。さあ、これで用は済んだだろ」
さっさと帰れ。
俺はしっしっとフィロメナを邪険にした。
向こうの用事が昨日の事件の詮索だった以上、これ以上は何一つとして口をきいてやらない。
腕組みして口を閉ざす。
なのに、
「……オイ、なにしてる」
「……」
フィロメナはなおも席を立ちあがろうとはしなかった。
かと思えば、
「ああ、そうですわ。まだラズワルド様が、どうしてこのレストランにいるのか教えていただいておりませんでした」
「肉を食うためだ。〈学院〉はサボった。これで満足か? 満足だな? よし、帰れ」
「なら、一緒にお肉食べません?」
「何言ってるの?」
俺はつい素で反応してしまった。
え、マジでなに?
「俺が人前で、
「……ああ、そういえばそうでした」
「それに、俺たちいま、割とウェイトのある話をしてたと思うんだがな」
ともすれば、対立に近い空気感で。
やや呆れながら戸惑いつつ、俺は怪訝にフィロメナを見やる。
すると、
「──フィロメナ。そこで何をしている」
「お父様……」
今度はバルコニーに、別の人物が登場した。
(人払いはどうなってんだ人払いは……)
半ば憂鬱になりつつ声の主を視界に入れる。
フィロメナがお父様と呼んだ男。
すなわちは、セレンディバイト家の当主であろうと推察される壮年。
(娘の異名が美髪姫なら、父親はさしずめ美髯公か?)
まるで関羽だな、などと考えつつ、仮面越しに親子の関係を観察する。
「約束の時間に姿が見えないと思えば、こんなところで油を売っているとはな。その男は何だ?」
「お父様。こちらは──」
「いやいい。道化師の名前などいちいち聞き留めるにも値しない。それがオマエの新しい遊び相手ともなればな」
「お父様っ!」
「フン。オマエのことは少々躾すぎたと反省している。自分の役割を理解し、忠実に私の命令を聞くのは良いが、まさか成長して毒婦の素質を開花させるとはな」
まあいい。その才能も便利に使ってやる。さっさと来い。
「っ!」
男はフィロメナの腕を掴み、強引に連れて行こうとした。
……俺は観察なんて、しなけりゃよかったと、心底から後悔して首を振る。
たった数秒で、なんてザマだ。
チクショウめ。
「失礼。セレンディバイト家の御当主殿とお見受けしますが、少しよろしいでしょうか」
「……道化師ごときが、分を弁えろ。私たちは見ての通り忙しい」
「そこを何とか。せめて自己紹介だけでもさせてください。私はラズワルド・スピネル。こんな
「……なに? スピネルだと?」
「はい」
男は立ち止まり、胡乱なものでも見るように渋面した。
無理もないが、大層不躾な視線である。
「スピネル家は道化師でも養子にしたのか?」
「ハッハッハ。よく言われます。ですが、あいにくとこの格好は生まれつきの病のせいでして、お見苦しいとは思いますが、どうかご寛恕のほどを」
「……フン。それで? 貴様はいったい何の用だ」
「ああ、その件。できれば娘さんを、この場から連れて行くのはご勘弁してもらえませんか」
「なに?」
不快げに眉を歪めるヒゲの後ろで、「ぇ?」とフィロメナが驚いたように目を丸くする。
なんだ。そういう声も出せるのか。
「貴様……いったいどういう了簡だ」
「いえね。実はいま、私と娘さんで昼食を摂ろうと思っていたところでして、すでに料理も二人分頼んでしまったのですよ」
それもフルコースで。
俺は嘘八百並べ立てる。
「それに、どうやら何らかの手違いがあったみたいで申し訳ないのですが、このバルコニーは絶賛貸切中なんです。つまり、私的な利用の真っ最中というワケで……この意味、お分かりになられます?」
「なにが言いたいッ」
「鈍いな。デートですよ! 貴方もさっき気づいていたでしょう? 私はいま娘さんと、デートをしているんです! もちろん、貴方も若かりし頃にご経験があるはずだ」
〈学院〉に通うダークエルフは、在籍中、将来の伴侶を見繕うことも社会に求められる。
もともと成人の儀式を兼ねた催しだ。
ヨーロッパの社交界みたいな、結婚相手探しの側面も備えている。
つまり、俺とフィロメナがデートをしていたとすれば、それはある種の
貴種の血統は大事。
種族の特性で、血の濃淡によって能力の優劣が決まるというなら尚更。
「娘さん──フィロメナさんは、同世代の女性としては正直ぶっちぎりで最高です。
王太子殿下の婚約者候補筆頭と目されているのも納得の貴族令嬢で……もちろん私なんかが釣り合う相手とは到底思ってはいません」
「当たり前だ……!」
「ですが、あくまで現在は王太子殿下の婚約者候補筆頭止まり! 私には貴族として、公平な機会が与えられて然るべきでしょう!」
「ッぬ!?」
ヒゲはたじろぎ困惑し出した。
道化師だと思っていた相手が、突如として熱血的な貴族子息に変貌したのだ。
俺が彼の立場なら、その胸中は察するにあまりある。
人は混沌的な状況に置かれると、脳がバグってしまうからな。
(なお、フィロメナの反応は先ほどから見ないようにしているため分かりません)
昨日から今日、まったくどうしてこんな目に。
「ともかく、そういうワケですので」
俺は疲労を感じ、話を強引に畳みにかかった。
終わりだよ終わり。
「いや、だが……」
ヒゲはそれでも、渋い顔で食い下がろうとする。
しつこいぞ、ヒゲ。
「お願いです。スピネル家が持つ正当な権利を、どうか奪わないでください」
「ぬぅぅ……」
ダメ押しにスピネル家のところを強調。
ヒゲはそれで、ようやく引き下がることにしたようだ。
第二妃輩出の威光は、凄まじく大きい。すごいな。今日だけで、俺は物凄く貴族的な行為に耽っている。なんて罪深い。
バカげた思考に沈んでいると、ヒゲは憮然と鼻を鳴らした。
「今後はこういったことがないよう注意しろ」
「は、はい。お父様……」
不機嫌な足音がカツカツ遠ざかる。
「…………」
「…………」
「……ありがとう、ございます?」
しばらくして、フィロメナがポツリと礼を口にした。
俺は片手を振り、気にするなと言ってやる。
「フルコース代ふたり分、払ってくれればそれでいい」
「……まあっ!」
零れる童女のような笑い声。
──その後、俺は陰で様子をうかがっていたセドリックを強引に同じ卓につかせて、仲良く満腹にさせてもらった。
(まさか、本当に支払ってくれるなんてな)
期待していた肉の味については、まあまあ悪くなかったとだけ付け加えておく。