ヰ世界の歌 夜明け前のダークエルフ 王道硬派な大河ファンタジーの世界で一歩から始める人外愛譚 作:所羅門ヒトリモン
〝何かを言わなければならない〟
その瞬間、幼女の視線を真正面から受け止めた俺にあったのは、自分でも予想外の使命感だった。
使命感──いや、それは義務であり罪悪感の自覚。
感情を揺さぶられた結果の、突発的な衝動であって理性的じゃない。
だが、幼女から聞かされたルフリーネの状況。
笑うことがなくなり、感情を表に出せなくなったという今さらながらの現実を知って、
「……っ」
俺の唇はわずかに震えたし、足は後悔とも呼べる感情から咄嗟に動きかけた。
何かを言わなければいけない。
無論、目の前の幼女にではない。
これまでロクに知ろうとしないまま、本気で向き合うことをしてこなかった血縁上の
気まずさや負い目、不安。
そういう自分の、個人的な問題はどうあれ、助けられた過去、命を救われた一点。
たしかな
(会って何を話すってことは、別に考えなくたっていい……)
ただ会って、顔を見せて無事を知らせる。
まずはそれだけで、十分なはずなのだから──俺はそう、突き動かされるままに決意を固めて、
「
「っ! ナハト……殿下?」
背後から現れた異母弟の冷徹な声。
それにより、何とかギリギリで踏みとどまることができた。
ガシャン、ガシャン。
ナハトは近衛──ロイヤルガードを四人も従えて、厳しい視線で幼女を睨む。
「悪ふざけはお止め下さい」
「……おや。悪ふざけとは心外だな」
「王族ともあろう者がメイドに扮するなど、悪ふざけ以外の何ものでもありません。気の毒に。何も知らないスピネル殿まであざむいて」
ナハトは庇うように俺と幼女の間に立った。
(……悪ふざけ? 扮する? それに、あざむいてだって?)
突然の展開に理解が進まないが、つまり、これは、まさか……
「──チッ、やれやれ。オマエのせいで、とんだ無駄骨だ」
「姉上!」
「うるさいぞ。黙れ。分かっている。……はぁ。まぁ、なんだ。そういうワケだ。騙していてすまなかったな、
「君は……いや、貴方は……」
「バレてしまったからには仕方がない。だが、そういえば自己紹介はまだだったな? ならばどうか見知りおきたまえよ。私はテルーズ・アダマス」
メラネルガリア王ネグロと故第一妃イザンナの子にして、すべてのダークエルフが焦がれて止まぬ永遠の乙女──生まれながらの
「見ての通り、単なる女の子です!」
幼女──否、正体を晒したテルーズ・アダマスは、自嘲げに口調を
第五円環帯接続体。
「要は先祖返りなんです。姉上は」
門までの見送りの間、ナハトは溜め息混じりに教えてくれた。
「先祖返り、ですか?」
「ええ。〈
エルノスの星に落下したダークエルフは、その存在が劣化している。
「まあ、これはダークエルフに限らず、他の多くの種族にも当てはまる言説なのですが……要約すると、そうですね」
「もともと〈中枢渾天球〉ではなく、〈第五円環帯〉に棲息していた種族が我々です。分かりにくければ、海水魚と淡水魚の例で考えてみるといいでしょう」
「海水魚と淡水魚……」
「仮に〈中枢渾天球〉を海水。〈第五円環帯〉を淡水として想像してください」
両者の水質環境は大きく違う。
しかし、
「〈崩落の轟〉によって海水と淡水は混ざり合い、そこに棲んでいた数多の生き物は、強制的に新たな環境へ適応することを求められました」
結果、ダークエルフは紆余曲折の末どうにか絶滅せずに済んだものの……
「やはり
「! まさか、〈第五円環帯〉で暮らしていた頃に比べて……?」
「察しがいいですね。はい、その通りです。僕らは寿命が短くなった。老化が早くなったんです」
もう、とっくに大昔の話ですけど。
ナハトは一瞬、空を見上げて息を落とす。
変わらぬ曇天。
北方大陸ではなかなか円環帯が望めない。
だが、ナハトの言いたいことは十二分に伝わった。
彼女は現代のダークエルフが失った本来の種族寿命、
言い換えるならそれは、水の合わないこの世界ではなく、遠い
単純な先祖返りではなく、あくまで〈第五円環帯〉との親和性が特別高い個体として、周囲には認識された。
国一番の美姫という評判も、こうなってくると多少意味合いを変えてくる。が、なるほど。
「道理で見た目の割に、しっかりした言葉遣いだったワケです」
「驚かせてしまいすみません。アレは何というか、姉上の困った悪癖のようなものでして……」
「構いません。たしかに驚かされましたが、別段悪さをされたワケではありませんので」
「そう言ってもらえると助かります」
ナハトは安心した顔でフッと微笑む。
「ああ見えて、姉上は苦労の多い方なんです」
テルーズ・アダマスと云えば、この国で一番の美姫として評判を集める王女だが、実態は容姿というより、
幼すぎる容貌のため、女性的な美しさよりも、魔術的な価値の方が高く評価されて至宝と称された経緯を持つ。
ダークエルフは強さを望み、永遠の若さは、誰の目にも魅力的に映った。
おかげで、縁談を持ち込む貴族は枚挙にいとまがなく、中には強引な手段に訴えて、非道な研究対象としようとする慮外者まで。
なので、普段はよっぽどのことがない限り、テルーズは奥の離宮に引きこもっている。
「それはまた……」
苦労の多さが、トラウマを刻むレベルで同情を禁じ得ない。
思わず絶句してしまう俺を見て、ナハトは「だから、助かります」ともう一度同じ言葉を繰り返した。
「ごくたまに、姉上はああやって身分を隠しては、何も知らない誰かを連れて宮殿内をうろつくんです。きっと、長いこと離宮に引きこもっているせいで、息が詰まるからでしょう。付き合っていただき、ありがとうございました」
「あ、いえいえ……そんな、大したことは」
「家族として礼を申し上げます」
ズキリ。
ナハトは意図してかせざるか、今の俺には耳の痛い言葉を使った。
仮面の重さが妙に煩わしい。
けれど、
(……テルーズはたぶん、ただ息抜きのためだけに俺を連れ回したかったんじゃない)
大広間での質問。
いや、宮殿の案内から、ルフリーネの様子を伝えるところまで。
彼女には何か明確な狙いがあって、そうしたように俺は思う。
(問題は、それが善意だったのか悪意だったのか……)
分からないものの、後者であれば危険な罠に引っかかるところだった。
いや、悪意があろうとなかろうと関係ない。
ラズワルド・スピネルの正体が暴かれるということは、王太子ナハトとの関係性がどう転ぼうとも拗れることを意味する。
現状、いい感じでうまくやれているのに、下手をすれば「騙していたな?」で即バッドエンド直行だ。
友情は反転して、一気に憎しみに傾くだろう。
嘘をついている事実が、否定できないのも、殊更に厄介ポイントを上げている。
(というか、第二妃ルフリーネも、まだ俺の帰還を知らないはずだし……)
不用意に接触して、第三妃家とか他の貴族を刺激するのはいただけない。
あの場で感情に流されなかったのは、大きな目で見れば正解だったと思う……まあ、ぶっちゃけナハトが来なかったら、ガッツリ流されまくっていたと思うが。
(……怖いね。失ったものへの執着は)
自分をコントロールできない。
我ながら、なんて情けない。
あの場でルフリーネを一目見れたことは、それだけで望外の幸運だった。
だというのに、
(……自重できなかったのは、甘えだな)
反省。
しっかり己を叱咤し、楔を打ち込んでおく。
(──この豚! 堪えることを知らない甘ったれの豚野郎! 気持ち悪いんだよ! ……よし)
反省完了。
ひとまず心に自戒を刻み込んで、意識を切り替える。
何にせよ、
「殿下は約束通り、私に陛下の書斎を見せてくださいました。なので礼を言うのは、私の方です」
「スピネル殿……」
「実際、有意義な一日でした」
俺の目的は達せられている。
欲しかったものは手に入れられた。
後はどれだけ、この国で未練を潰していけるか。
薄情かもしれないけれど、やりたいコトはそれくらいしか残っていない。
「──っと、もう門ですね」
「次にここへ来るのは、煌夜祭の日になりますかね」
「スピネル殿が煌夜祭に参加されるなら、恐らくそうなるでしょう」
「ハハハ。一応、出るつもりではいます」
「セラスランカ嬢などは、例年出ていませんよ」
「らしいですね。けど、一回くらいは出ておこうかと」
「……そうですか」
その時、一段と強い風が、俺たちの間をビュウッ、と吹き抜けた。
氷の欠片が線を引くように地表を舞う。
俺もナハトも、ついその流線を追って──
「……では、名残り惜しいですが、今日はここまでですね」
「──本当はもう少し、書架室を自由に使わせてあげられれば良かったんですが」
「構いません。気にしていませんから」
「……すみません。それでは、また〈学院〉で」
「ええ、〈学院〉で」
別れの挨拶を済ませ、俺とナハトは互いに背を向け合う。
来た時とは対照的で、別れ際、ナハトの顔は少し物憂げだった。
もしかすると、俺が王宮を去るのを寂しく思ったのかもしれない。
ナハトにとって、俺は恐らく唯一の〝友人〟だろうから。
だが、
(……間違ってるよな。何もかも)
ナハトが本当に欲しがっているものは、俺では与えられない。
ラズワルド・スピネルは、所詮どこまでいこうと偽物だ。
偽物は本物を与えるべきじゃない。
仮に外面を取り繕って、真に迫るものを与えられたとしても、後が悲惨になる。
ナハトが一番欲しいもの。
俺が一番大切にしているもの。
(それが、決定的に噛み合わないんだもんな)
だからこそ、どうしようもない。
物言わぬ
……ナハトは、それから二度と〈学院〉に現れなかった。
煌夜祭、到来。