翌日、一誠はただぼんやりと公園のベンチに座っていた。
きのう、あの一軒家から部室へのジャンプを終えた後、一誠は間髪無くアーシアの救助をリアスに申し出た。
だが当然ながら結果は否。こちらは悪魔で、相手は堕天使の下僕。相容れない関係だ。彼女を救うことは堕天使を敵に回すことになる。それはすなわち、自身のワガママで取り巻く全てを危険に晒すことでもあった。
アーシアとグレモリー眷属。一誠はその二つを天秤に掛ける。その傾きは現在も激しく上下し、価値の、重さの、大切さの優劣をつけることを許さない。一誠は己の領分を遥かに超えた問題を前に、決断を下すことができないでいた。
だが一誠は、アーシアの安否について特段案じてはいなかった。
一誠は確かにアーシアのことを心配している。比喩でなく夜も眠れない程に。しかし今すぐ町に駆け出して虱潰しに捜す必要までは無いとも思っていた。
それはひとえにダンテの言葉が原因だった。
『嬢ちゃんと坊主の願いは、俺がツケで叶えてやるよ』
昨日、グレモリー眷属が部室にジャンプする直前に、ダンテはそんな言葉を残した。
ダンテの言う、アーシアと自分の願い。それは再会なのか、彼女が抑圧から開放されることなのか、一誠には分からない。しかし、そのどちらにせよダンテならアーシアを守りぬいて、再び日の拝める場所まで引っ張り出してくれる。一誠はそんなふうに感じた。
勿論、一誠がダンテと顔を合わせた機会など数えるほどしか無い。他人の命を易々と預けられるほどの信頼関係を構築するには、時間も機会も圧倒的に足りない。それでもあの去り際でのダンテの声音は、一誠にこれ以上無い信頼を抱かせた。
人任せと言ってしまえばそうなのかもしれないが、自分がアーシアを探しに行ってしまえばダンテに抱く信頼を裏切ってしまう気がした。
アーシアは心配だが、同じくらいダンテを信頼している。一誠は相違するようでそうでもない二つの想いに挟まれる。そんな経験は彼の生涯では初めてのことで、今日に入っても心に整理がつかず、霞がかかったままだ。
そしてそんな心持ちでは学校どころではない。一誠は学校やリアスに連絡もよこさず、ふらふらと家を出てこの公園にたどり着いたのだった。
人もまばらなこの公園は、一誠が思考を深めるのに一役買っていたのだが、
「ん?」
その折、ベンチで俯く一誠の耳が人のざわめきを拾う。
ここにはさっきまで誰も居なかったはず、そう怪訝に思った一誠は顔を上げた。
「え……なんだあれ?」
一誠が顔を上げた先、そこには10人を優に超える人だかりがあり、何かを取り囲うようにして集まっていた。
こんな平日の昼間の公園に人が群がるとは珍しい。もしかすると主婦や子供向けの催しが開かれているのかもしれない。
そういった類、普段は目に入っても寄りも付かないものだが、今日の一誠は趣向が違った。考えても纏まらない思考を一旦払いのけるため、彼は進んでその輪に加わることを決める。
「ちょっと寄ってみるか……」
呟いた一誠は立ち上がり、人だかりの中心に向かって歩き始めた。
「よっと、すいません」
一誠が目にしてから行動に移すまでの数瞬の間にも人が増えていたようで、人垣の半円は一層の厚みを呈していた。掻き分けるのにもそれなりの労を要する。
しかしそれもすぐ終わり、やがてこれだけの人を引き寄せていた原因が明らかになる。
一誠の目に飛び込んできたのは、赤いコートに銀髪の男、そして金髪碧眼のシスターだった。
「ダンテさん……とアーシア!?」
一誠は驚愕の声を上げた。
やはりダンテはアーシアと自分を引き合わせるために動いてくれた。一誠は絶大な歓喜を覚えずにはいられなかった。
今すぐにでも駆け寄りたいが、ここは衆人環視の場だ。リアスにアーシアとは関わるなと言われていた事も相まって一誠の足に歯止めがかかる。
しかしそれがきっかけとなり、冷静さを取り戻した一誠は最もな疑問を浮かべる。
「……にしても、なんでこんなに人が?」
一誠は再会を喜ぶのは後に回すことにして、辺りを見回す。
周囲にはダンテとアーシアを取り囲むように人が集まっている。いくら彼らの容姿がテレビでもお目にかかれない程に飛び抜けているからといって、人垣を作るほどの観衆を集める理由にはなるだろうか。
それにさっきからアーシアがこちらに気づかず、ハラハラとした表情でダンテを見守っているのも気になる。
何が彼女の焦燥を駆り立てるのか。その答えはダンテの右手に握られていたソレが原因だった。
おどろおどろしい装飾とは対照的に、健康的な昼の日差しをキラキラと反射するソレ。さっきまでは体の影になって見えなかったが、今はハッキリと確認できる。
それはまさしく先日の廃屋でダンテが担いでいた大剣だった。
「なっ!?」
見るだけで寒気が止まらないあの大剣は、どう考えても観賞用といった類のものではない。分厚い刀身と振るだけで鈴鳴りのしそうな鋭さを兼ね備えたあの大剣は、実戦で使うためにあるような代物だ。それを衆人環視の場で見せびらかすとはなんたる酔狂か。いかに一誠でも常識を疑ってしまう。
しかしそれは少なからずその道を知る者の見識に過ぎない。何も知らない町民からしてみれば海外で名の知れた新進気鋭のパフォーマーが気まぐれに来日したような認識なのかもしれない。
見たことは無いが、さぞかし有名な人物なのだろう。観衆たちにそう思わせる程には、ダンテの出で立ちは堂に入ったものだった。
期待を寄せる観衆と、驚愕を通り越し呆れ気味に苦笑する一誠。ダンテはそれが目に入っているのか、さらりと微笑した後に行動に出る。
彼は大剣を自身の目の前に放り投げ、宙に浮いたその剣先を――蹴り上げた。
大剣は空に勢い良く飛翔し、爪先と軽く擦れた合った地面は深い溝を刻まれ、砂塵を散らす。
『うおぉ!!』
観衆が沸いた。持ち手ならまだしも剣先を蹴り上げるとは、誰からしても予想外だった。痛がって然るべき所業だが、ダンテはその素振りを微塵も見せない。その超人ぶりと派手な見た目が相まって、観衆の心を大いに掻き立てた。
皆が一様に空へと打ち上がった大剣を刮目する。それは一誠も例外ではない。さっきまでの些細な疑問など彼方に吹っ飛んで、ダンテの突発的なエンターテイメントに引きこまれていた。
そして大剣はクルクルと回転しながら飛翔を続け、やがてその推力が重力にかき消されると、先ほどとは真逆にダンテに向かって落下を始めた。
未だに回転だけは衰えない大剣をあの男はどう捌くのか、自然と観衆の注目がダンテに集まる。もし仕損じれば大怪我、しかし尻込みして避ければエンターティナーとしては落第。常人ならばそのプレッシャーに冷や汗の一つでも浮かべるだろうが、ダンテは未だに飄々とした笑みを絶やさない。
刻一刻と落下する大剣に、観衆は息を飲む。このままいけば両断間違いなしだ。しかしそれでもダンテは動く素振りを見せない。
やがて大剣は見上げるダンテの頭上数センチにまで迫った。
もうだめだ、間に合わない。観衆がとっさに目を閉じたその時。
パンッと小気味良い音が鳴り響いた。
「へ?」
一誠が間の抜けた声を上げ、恐る恐る目を開ける。
するとそこには頭上で手を合わせたダンテ。合わせられたその手には、大剣――しかもその剣先が挟まれていた。
『うおおおぉ!!!』
再び観衆が沸いた。中には小銭をダンテの足元に投げ渡す者までいる。
一誠も素直に感動していた。これほどのパフォーマンスを為すためには大剣を蹴り上げる強さ、タイミング、回転の周期、その全てを緻密に――実際はただの勘なのだが――計算し、それを実行する力も兼ね備えていなければならない。いくら悪魔になって力が強くなったといっても真似できないモノがそこにあった。
割れんばかりの拍手がダンテを讃える。このままお開きと言われても文句が無いほどのレスポンスだ。しかしこの程度でダンテが満足するはずがなかった。
観衆がある程度静まり、落ち着きを見せた辺りで、ダンテは次なる行動に出た。
ダンテは頭上で剣を挟んだ手をそのままに、顎を空に向かって突き出し――名一杯、口を開いた。
「え……うそ、まさか!?」
一誠のみならず、観衆全員が動揺する。その動作から予測するに、ダンテはあの大剣を飲み込もうとしているのだ。
それは大道芸では十八番とも言える芸だが、今、ダンテが為そうとしているそれは事情が違う。普通、剣飲みに使われるのは1×50センチ程度の薄身の刃のない小剣だ。しかしダンテの持つ大剣はそのどちらもオーバーし、さらには刃を潰してあるかも怪しい。
それを飲み込めばどうなるか……皆が青ざめるのも無理はなかった。
観衆はダンテを気遣い、必死に制止を促す。しかしダンテは全く意に介さない。
もはや怒号に近い制止の声をよそに、ダンテは剣先を挟んだ両手を口にあてがう。
そしてどう見ても口や食道より幅のあるそれを――鍔まで飲み込んだ。
「うおおおぉ!?」
およそ身長ほどはあろうかという刀身が、きっちり鍔までダンテの中に収まり、おまけに何かが貫通したような音が辺り一帯に響いた。
観衆は絶叫をあげる。ある者は気を失い、またある者は香典代わりに札を投げこむ。そして波紋がまた波紋を呼んだのか、公園の外からゾロゾロと野次馬が集まってくる。
町民たちの憩いの場は、僅か数分で狂乱の渦中と化した。
◇
「ほんと、何してくれてるんですか……」
「あぁ、悪かったよ」
頭を抱える一誠に対して、ダンテはまったく悪びれた様子を見せずに言った
あの後、いち早く正気を取り戻した一誠の機転によって、一行はさきほどの公園から遠く離れた別の公園に逃げ込んだ。
一誠とアーシアは再会の感動に浸る暇なくダンテの容態を気にしてきたが、なんてことはない。
いくら食道がスッパリ切り裂かれ、背部から剣先が飛び出そうと、ダンテにとってはさしたるケガではない。もとよりダンテの居た世界の悪魔に身体的なダメージなどほとんど意味が無い。生命力の核、原動機とも言える『魂』にまで及ぶ攻撃をしなければ害することはできないのだ。
そんな経緯で異常な回復力を『悪魔だから』の一言で片付けたダンテは、今現在改めて一誠とアーシアと談じている。
「あの、アーシアのこと……本当にありがとうございました」
ここで真剣な面持の一誠が頭を下げた。
ダンテは一誠が立場上、どうすることもできなかったアーシアの救出を請け負った。そこに明確なやりとりがあったわけではなかったが、一誠にとってはありがたいことには違いない。どうしても礼が言いたかったのだ。
「気にするなよ。こっちが勝手にやっただけだ」
ダンテは手をひらひらと振りながら言う。
ダンテが二人に手を貸したのは、ある種の親心のようなものだ。
アーシアには傀儡としてではない自分の生き方をして欲しかった。そして愚直なまでに直向な一誠に手を貸してみたくなった。それらは依頼されたものではなく、自分が勝手にやったことだ。故に礼を受け取る筋合いはない。そうダンテは考えている。ツケなどと言ったのも、一誠に気負わせないためだった。
言葉の後、ダンテは突然思い出したようにコートの懐を漁る。
「あぁ、それと……これもってけ」
ダンテが懐から取り出したのは、クシャクシャになった紙袋だ。それを一誠の胸に押し付ける。
怪訝ながらも一応受け取った一誠は、その中身を確認する。
「え、これって?」
中に入っていたのは大量の紙幣と硬貨だった。紙幣はどれも千円札ばかりだが、総計すれば相当の額になるのは簡単に予想できる。
そんなものを突然受け渡された一誠は困惑する。
「それ使って二人でピザでも食ってこい。文無しでエスコートなんてカッコつかないだろ?」
ピザなどホールで頼んでも釣りが返ってきそうなほどの現金を、外連味なく明け渡したダンテ。一誠は唖然とした表情を浮かべ、中身が見えなかったらしいアーシアは疑問符を顔に貼りつけている。
紙袋に入った紙幣、それはさきほどのパフォーマンスで集めたものだ。
この町に来て間もないアーシアは、街を楽しむに充分な金を持っていなかった。普通ならばダンテが自分の財布から分け与えてやるのが自然だが、彼は宵越しの金は持たないタイプである。突発的に金が入り用になっても対応ができない。そのためアーシアには社会経験と嘯いて、大道芸の真似事をして金をかき集めていたのだ。ダンテにしては斐甲斐しすぎる行いだが、これは彼らの身をこれから交渉の手段として利用する事に対する詫びでもあった。
「そんな!? 受け取れませんって!」
一誠は大慌てで紙袋を突き返す。
彼女と街に繰り出すというのは魅力的だが、アーシアを救ってもらった上に施しまで受けるのは流石に申し訳が立たない。
しかしダンテにとっては元よりそのために集めた金でもある。このまま突き返されては報われない。
「そうか? それじゃいつか返してくれ。俺は明日になったら忘れてるかもしれないから、ちゃんと覚えとけよ?」
返したければ返せ。そんなニュアンスでダンテは言った。実際、金があって困る者などそうそう居ない。虚勢の切り売りを嫌うダンテらしい言葉だった。
しかしそんな態度が好感を買ったのか、一誠は大きく頭を下げる。つられて横のアーシアも頭を下げた。
「本当に……何からなにまでありがとうございます!」
一誠は感謝で胸を塞がれたように礼を述べる。ダンテとしてはここまで感謝されると若干の居心地悪さを覚えてしまう。一誠の素直さは美点と言って間違いないが、ダンテにとっては毒とも言えた。
ダンテは眩しさを遮るようにイッセーとアーシアに背を向ける。そして背中越しに手を振った。
「こっちもワケ有りだ。気にすんな」
ダンテは公園を後にした。
彼が向かう先は、駒王学園。
遥か風上に雷雲を潜ませた青空の下、ダンテは歩を進める。紅の姫君は人を、悪魔を背負うに値する器か、それを確かめるために。
次はネヴァンで路上ライブでもするか(唐突)
こんな所で切るつもりはなかったんですが、長くなりそうなので投稿しました。そのため原作一巻終了は延びそうです。
剣の蹴り上げはアラストル入手時のムービーをオマージュした……つもりです。
あと剣飲みと串刺しは別腹なのでご安心ください。