兄者はおしまい   作:知らない半島

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公式102話読みましたか?
流石は姉者、俺たちの想像を超えてきやがった……。
専攻は薬学なのに、機械工学にまでその天才性を発揮しはじめちゃいましたね……。
お兄ちゃん絡んだからって専門の道具も無しに一晩で自立型人型ロボを作るとか、ep004の話を飛び越えてきおったぞ……。

もう姉者の出来ないは信用できないな。




ep010 カンナとカレーと林間学校

ep010 カンナとカレーと林間学校

 

 

 

「お暇をいただきます」

 

 三つ指そろえて大仰に頭を下げるみはりの口から放たれた言葉を、オレは数秒飲み込む事ができなかった。

 コントローラーから指示を与えられないまま棒立ちになったキャラクターがリンチされ、ゲームオーバーを知らせるおどろおどろしい音を耳にして、ようやくオレは現実に意識を引き戻す。

 え、おいとま? 仕事を辞めるって意味だよな? いやでもみはりは学生だし……ほかにどんな意味が……あ、離婚します的なニュアンスもあったなそういえば。その場合……家を出て行くって事か?

 

「な、何故だみはり! オレたち今まで一つ屋根の下、上手くやってきたじゃないか! オレに何か至らぬ所でもあるというのか!?」

「いやよく言うわ」

 

 ま、まぁ、心当たりがないわけでもないというか……そりゃ、オレは仕事してないし、家事手伝いもほとんどやらないし、日がな一日ゴロゴロしながら漫画にアニメ、ゲームを満喫する生活をしているわけだが、アレこれって完全にオレの至らぬ所なのでは?

 

「まぁ、冗談というか、言葉のあやよ」

 

 何だ、ビックリさせるなよ。もうちょっとで足にすがりついて「捨てないでくれみはりぃ~」って泣きじゃくる所だったぞ。

 

「ただちょっと研究が山場でね~。一晩研究室に泊まり込みになりそうなのよ。その間家の事お願いできるかなって」

 

 えぇ!? 一晩みはりがいない!?

 という事は、みはりが洗濯してくれないし、部屋の掃除もしてくれないし、飯の用意もしてくれないって事かぁ!?

 

「いや、カンナが居てくれれば全く困らんな」

 

 今言った事、普段からカンナもしてくれている事だし、一晩ぐらいじゃ何も変わらんだろうよ。

 

「ん? 兄者、俺を呼んだか?」

 

 噂をすれば影なのか、はたまた一軒家の中なら出くわす事も必然なのか。

 ちょうど名前を挙げた末妹が、俺の部屋の入り口に立っていた。洗濯終わったぞ。と言いながら、部屋の奥にあるクローゼットへ歩いて行く。

 

「おおカンナ。いやな、明日みはりが大学で泊まり込みらしくって、一晩居ないらしいんだ。飯の用意とか2人前で大丈夫みたいだぞ」

 

 クローゼットに衣類を入れながら聞いていたカンナは「え、そうなのか?」と今聞かされた言葉を飲み込み、何かを考えるように中空を見つめた。

 

「了解。じゃー飯は大皿物は止めておくか。丼物でもいいか?」

 

「ありだな。カツ丼とかどうよ!」

 

「うん、ちょっと待て」

 

 二人きりの夕飯どうしようか、とちょっとワクワクしてきた所に、みはりが何処か冷たい感じで口を挟んでくる。

 なんだよお前もカツ丼食いたいのか?

 

「いやそうじゃなくって……お兄ちゃん、なんで私がお兄ちゃんに『家の事をお願い』しているんだと思う?」

 

「オレが長男だから」

「でもそこに頼もしさはないじゃない」

 

 お前っ、言ってはならんことを! オレも同意見だけどさ!

 

「お兄ちゃんに頼んでいるのは、当日はカンナも家に居ないからなのよ」

 

 え、カンナも家に居ないって?

「何かあるのか?」とクローゼットを閉めてる当人に聞くと、肩をすくめて大したことじゃないよ。と前置きをした。

 

「林間学校があるけど、まぁ出席日数は十分足りてるから欠席しても問題ないさ。当日は熱でも出たことにして、家に居るよ」

 

 あー、そっかそっかこの時期だったなー林間学校。

 懐かしい。一泊二日でハイキングやら飯炊きやらをやらされたっけ。大人数のお泊まりというだけで、当時子供だったオレはらしくもなく、心の中でははしゃいでいたのを思い出した。いやはや懐かしい話だ。

 あ~、で? 家の事とオレの飯のために、それを休むと。ふむふむふむ。

 

「任せろみはり、こちとら自宅警備のプロだ」

「そう言ってくれると思ってたよお兄ちゃん」

 

 合点承知の助と胸を叩いて請け負う。みはりも、それでこそお兄ちゃん。と褒め称える。

 

「……いや、だから当日は俺は休むからーー」

「いいから行ってこいよ。それこそオレが一人で留守番するってだけで、大したことないんだから。そんな事で林間学校なんてビッグイベントを休もうとするな」

「そうよ。お兄ちゃんだって、もう一人でお留守番ぐらい出来るわよ」

 

 なぁお前ら、もしかしてだけどオレが成人男性だって事忘れてらっしゃる? この中で一番年上なんですけど。成人してるんですけど。

 

 過剰に心配する妹たち二人にジトッとした視線を送れば、両方とも何処かばつが悪そうに視線をあさっての方へ向けた。こ、コイツら……。

 

「とにかく! 明日は俺一人で留守番してるから、お前ら二人は学校へ行ってくること! いいな!?」

 

 オレがそう言い聞かせると、みはりは軽い調子で「じゃあお願いねー」と締める。カンナの方は「何かあれば連絡をくれ。必要そうなら抜けてくる」と真剣そうに言い残していった。

 大丈夫だってのに。まったく、オレへの信頼感よ……。

 

 

 

♂♀♂♀ あにまい ♂♀♂♀

 

 

 

 前世の記憶の通りならば、林間学校というのはゴミ拾い等を通しての地域貢献アピールであり、修学旅行前の集団宿泊の訓練であり、友達と大はしゃぎする一大イベントである。

 前世の時はそりゃー楽しかったさ。ゴミ拾いしながらのハイキングだって友達とくだらない雑談をしながらなら、そんなにかったるい物ではなかった。バーベキューの時には肉の奪い合いに真剣になり、最後の方には残った野菜をもそもそ食べる羽目になったっけ。キャンプファイアーを囲んで手を繋ぎ踊るカップルに、友と肩を組みながらブーイングを飛ばす。皆との風呂の時間は、洗い合ったり、泳いだり、比べ合ったりと大盛り上がりよ。そして興奮が最高潮に達する就寝時。もちろん眠りにつけるわけもなく、トークやカードにスニークにと、やることは目白押しだった。

 

 本当、楽しかった。いい思い出さ。

 

(けど二度目はいいかなーって……)

 

 30半ばにもなれば、宿泊への憧れというか、わくわく感という物はすっかり希薄になっていった。むしろ好きに酒が飲めて、慣れ親しんだ寝具が使える自宅こそ至高ってなものである。

 ハイキングにバーベキュー・キャンプファイアーなどに対しても、何処か倦怠感の方が強く感じるようになってしまった。それ、やる必要ある? みたいなね。

 

 これは俺が捻くれているとかそういう事ではない。人間年をとれば非日常に対して興奮よりも面等臭さが勝ってくるものなのだ。

 

 だからまぁ正直な話、姉者の不在は俺にとって、体のいい休む理由だったのだけれど。

 

(まぁ諦めて腹くくるのも、年と共に早くなっていったからな)

 

 今更あーだこーだと不満を口にする事などないさ。適当に過ごして無難に終わらそうと決意を新たに、俺はジャージ姿の人の列へと歩んでいくのだった。

 

「おはよう、皆」

 

 挨拶をすればその声に気がついたのか、班員たちは雑談を止め、俺の方へと顔を向けた。

 

「おはよう、緒山さん。今日はよろしくね」

 

 パッツンヘアに後ろ髪を短く一結び。キリリとした眼差しに、伸びた背筋やハキハキとした声から、快活さにあふれた少女。

 

「おはよう穂月。よろしく頼む」

 

 穂月(ほづき)もみじ。本日、俺が同行する班の実質的リーダーな子。

 スラリとした体型。腰に手を当て、胸を張ってたたずむ姿は、ともすれば少年漫画でコマ抜き立ち絵が描かれるであろう程様になっている。爽やかにニカリと笑えば、白く眩しい歯からキラリと光が放ちそうである。

 だが女だ。

 

「おぉ来たかンナ! 待ってたぞー!」

 

 底抜けに明るく脳天気なのを声だけで分からせてくる、でかい声。後ろ髪を残し、二つ結びにした髪を跳ねさせながら手を振ってくる元気娘。

 

「おはよう桜花。それはそうと『か』が一つ足りんぞ」

 

 桜花(おうか)あさひ。班員の一人で、気力体力生命力に溢れた、落ち着きという物を家に忘れてきたような娘だ。挨拶一つとっても俺の方を見て腕をブンブンと振り、動きがでかい。

 

「おはよう、緒山さん。うちの班はこれで全員だね」

 

 落ち着いた、ゆったりした声。おさげ髪を揺らし、こちらに手を小さく振っている、控えめな娘。

 

「おはよう室崎。私が最後とは、待たせたかな?」

 

「集合時間前だし、まだ来てない人もいるみたいよ」

 

 室崎(むろさき)みよ。ボーイッシュ、元気娘、俺、というメンバーに囲まれた、普通の女の子である。4人集まって内股なのはこの娘だけだし、立ち居振る舞いがゆったりしてるのも一人だけだ。

 

 ちなみにこのメンバーになった経緯は、班員の数が4人以上6人未満だったので、この仲良し3人組の中に数あわせとして余っていた俺を放り込んだ結果である。

 三人共150cmぐらいな所に、俺が165cmある事もあって異物感がすごい。見た目通り、子供の集団に大人が一人紛れ込んでるわけだしな。

 

 

「昨日は眠れたー? 私楽しみすぎて、なかなか寝付けなくって……ちょっと寝不足気味かも」

「実は私も。まぁ、私はハイキングとかが不安ってのもあったんだけど……」

「あさひはグッスリ寝てきたぞ!」

 

 

 とりあえず、手持ち無沙汰になったのでスマホを開く。今のところ、兄者からのメッセージは無し。つつがなく一人の時間を満喫できているようである。

 

「ンナはどうだったんだー?」

「カが抜けているぞ。後、何の話だ?」

 

 桜花がおそらく俺の名前を呼んだようなのでスマホを仕舞う。見れば何故か3人とも俺の方を見ていた。

 

「いや、昨日眠れたかって話なんだけど……」

 

「いつも通り快眠だったな。眠れなかったのか?」

 

 楽しみすぎて……と穂月は苦笑し、ハイキングが不安で……と室崎は小さくため息をついた。何も言わないってことは桜花は眠れたようだな。

 

「まぁこの後ハイキングコースに行くまでに、2時間程バス移動だろ? その間に眠っておけば一日持つだろ」

 

「えー? でもバス移動中も皆と一緒にお話したりしたいし」

 

「あさひも遊びたいぞー!」

 

「私も、皆の事見てたいかなー」

 

 この年頃なら、友達と一緒に過ごすなら、車移動だけでもちょっとしたイベントか。なんとも若いものだ……。

 

「ま、体調が悪化したなら無理はするなよ。言ってくれればフォローするから」

 

「なんだか緒山さん、保護者みたいだね」

 

「確かにちょっと先生みたい」

 

 中身の年齢的に、輪の中に入ってはしゃいだりとかは無理だからな。そう称されるのも無理もない。なんなら先生たちも、元の俺より年下が多いぐらいだ。

 

「ンナも一緒に遊ばないのか?」

 

「カが抜けてるのはわざとなのか? 私に気を遣わなくてもいいぞ。暇つぶし用の本ぐらいは持ってきている」

 

 手荷物の中から文庫本を取り出してみせる。その辺は抜かりないさ。

 

 ……え、なんだこの微妙な空気。なんで3人とも、眉根を寄せながら「マジかこいつ」みたいな目で見てきてるんだ。

 

「緒山さんって、もしかして人付き合い苦手な部類なのかな」

 

 穂月が何やら苦笑しているが、失礼な。君らは知るよしもない事だが、こっちは30半ばの社会人だったんだぞ。人付き合い、コミュニケーションにおいては、中学生な君らの数歩先に俺は居る。社会経験の差を舐めないでもらおうか。

 

 まぁ、ムキになって反論したりはしないさ。ここは余裕をもって沈黙を選ぶとも。

 

 

 

♂♀♂♀ あにまい ♂♀♂♀

 

 

 

 バスでの移動はつつがなく終了した。

 あえてハプニングがあったとするならば、途中兄者から自撮り画像を送られてきた事だろうか。家で一人のパーリータイムを満喫しているようで『これが本日のカジュアルウェアにしてフォーマルウェア!』という文面と共に、ダボダボなシャツ一枚の横ピース自撮り写真が送られてきた。

 一枚だった、間違いない。なんたって襟元から見えちゃっていたからな。

 何がだって? あまり聞く物ではないよ。

 

 さて俺らが下ろされた所だが、山間にある宿泊施設、その手前数キロ地点。

 俺たち学生はここから、ご機嫌なハイキングコースを歩いて宿泊施設まで行き、苦楽を共にすることで仲を深めて、あふれ出る自然に触れて環境への興味関心を育んでいくのである。

 まぁ実態は、自然体験のお題目を満たすためのカリキュラム兼、普段運動をしない生徒の体力作りの一環だろう。

 

 運動得意なグループは、競争だー! 1位は自分だー! みたいなノリで走るように道の先へと消えていった。緩やかだろうと坂道。それも宿泊の荷物を背負っての行軍だ。ありゃ途中でバテるだろうな。

 

 一方運動不得意なグループはどうかと言えば、数キロハイキングなんて疲れる事を喜んでやるわけもなく、嫌々そうにダラダラと歩いていた。だるーいめんどーいが彼ら彼女らのかけ声だ。

 

 そして我らがグループだがーー

 

「もみじー見て見てー! ナイスな枝を見つけたぞー!」

「もーあさひったら。小学生じゃないんだからー」

「ケンジューだ! テッポウだー! ババババババババー!」

「アッハハハ。あ、あさひーコレどう? ほら、剣みたいな形してるよー?」

「おぉ! グレイトだぞもみじ! それはかの伝説の剣に違いない~」

「道ばたに落ちてる伝説の剣って何さー」

 

 桜花は女子ながら、学年トップクラスの運動神経と体力をしている。体育で走らせれば大体こいつが一位だ。陸上に出れば表彰台に立てるかもしれないが、部活に入らないのは本人の気質だろうか。

 穂月も運動は得意な方で、クラスで上位に入る事が多い。友人だからか、よく桜花と競っているのを見かける。なかなか切迫しているようだが、桜花には一歩及ばずといった感じらしい。

 で、そんな運動トップ層二人がお前ら小学生男子かよって会話を繰り広げているのだが、これは俺の中学生女子への理解度が低いからなのかね。

 

 そんでもって残り一人の室崎だが……。

 

「ぜー……ひぃ……ぜー……エホッ、ケホッ……」

 

 息は荒く、体はフラフラ。されど心は未だ挫けずといった所。

 桜花と穂月が道草食いながらだから、まだはぐれてはいない。それでもなんとか視界に納められてるといった距離だ。基本スペックの差が大きすぎる。

 

「室崎、大丈夫か?」

 

「だっ、大丈夫……アサモミがある限り、私はまだーーぜぇ……ぜぇ……」

 

 麻樅? なんかそんな植物でもあるのだろうか。それとも俺が聞き間違えたのか。

 まー何にしても、気力はあれどコレでは目的地まで持ちそうにない。負担を軽くすべく手を差し出す。

 

「荷物を預かろう。このままじゃアイツらはぐれてしまいそうだ」

 

「え? で、でも……」

 

「気にするな。こっちにはまだ余裕がある」

 

 少しだけしりごみした後、申し訳なさそうに「じゃあ、お願いします……」と荷物を背中から下ろして渡してくる。これで少しは楽になるだろう。

 

「ゴメーン! 二人の事放置しちゃってた!」

「二人とも生きてるかー?」

 

 どうやら先行していた二人が、俺らとの距離の開きを察したようだ。テッテと駆け寄ってきた。

 

「おぉ!? すごいなンナ! 力持ちだ!」

 

 俺の両手に提げられている二人分の荷物を指さし、桜花が驚きの声を上げているが、お前だってこれぐらい出来るだろうよ。

 というかだなーー

 

「もしかして、ンナってのは私の渾名か?」

 

「そうだぞー! カンナだから、縮めてンナだ!」

 

 しりとりで最後がンになっても続行出来そうな渾名だな。一文字しか略せてないし、それならカンナでいいだろうに。

 

「あれ? もしかして嫌だったかー?」

 

「略す意義は測りかねるが、まぁ嫌という事はないよ」

 

 でもカンナの方が言いやすくないか?

 

「それにしても、ここまで歩調が合わないなんて……」

 

「アサヒたち、結構寄り道とかしてたのになー?」

 

 運動系二人が不思議そうにしてるが、単純に運動スペックの差が大きすぎるだけだ。

 普段一緒に歩いてる時はそりゃ足並みそろえているのだろうが、それは町中のような平地で、たいした荷物もなく、徒歩圏内の短距離だからなのだろう。

 山間部のハイキングコースという、ゆるやかでも坂道を、宿泊用の荷物を背負いつつ、数キロという普段なら自転車やバス等を使う距離を歩くとなれば、その能力差は如実に表れてくる。

 

「ん~……お、そうだぞ!」

 

 何かを思いついたのか、桜花は穂月の後ろに回り込み、そして、そのまま穂月の股下に顔を突っ込んだ後、穂月を肩に乗せ持ち上げるように立ち上がる。いわゆる、肩車の体勢へとなっていた。

 

「うぇっ!? ちょ、ちょっと、あさひー!?」

「こっちが重くなって遅くなれば、多分一緒に歩けるぞ!」

「いやいやいや、流石に途中でバテるってこれはー!」

「その時はあさひは交代してもらって、もみじに背負ってもらうぞ!」

 

 そんな感じで、肩車の姿勢でワーワーキャーキャー二人ではしゃいでいる。

 

 まぁ確かに、これで足並みは揃うのかもしれんが、肩車はどうなんだろう……多分ゴールまでは保たないんじゃなかろうか。中学1年生。去年まで小学生だったのだ。運動が得意といえども、流石に荷物×2と人間一人背負ってハイキングは無理だろう。

 

 ただ、ここで荷物を全部俺に集中させれば、ちょうどいい感じになるかもしれない。そう思い二人へ提案しようとしたその時、背後で人の倒れる音がした。

 

 何が起きたとその音の方へ目を向ければ、そこには室崎が、何やら痙攣しつつ地面へと倒れている姿があった。

 

「室崎っ!? どうした、何があった!」

 

 とっさに荷物二つを地面に放り、彼女の元へ駆け寄る。肩を数回ゆすれば……幸い意識があるようだ。荒い息を吐き、頬を赤く染めながら、されど目だけは不気味に一方向だけを見つめ続けていた。

 

「……リ、リリーガーデン……おーばーどーず……」

 

 よく分からない言葉を口にしているが、どうやら大したことはないようだ。見た感じ体に異常はないっぽい。

 

「だ、大丈夫? みよちゃん」

 

 ただ事ではないと、肩車組はその陣形を解散して室崎の事を心配そうにのぞき込んでいた。

 

「体に異常はない筈だが……どうにも体に力が入らないようだ。脱力状態が治る様子がない」

 

 ほら。と室崎の体を少し起こして揺さぶると、何故か頭が空中に固定された状態で体だけが揺すられる。

 いや、やっぱりコレちょっと異常かもしれない。なんだこの手ぶれ補正機能。人間に搭載する物じゃないだろう。

 

「みよちん、起きられないのか?」

 

「そのようだ。まずいな、この道半ばで……」

 

「あぁ……おかまいなく……」

 

 意識がハッキリしてきたのか、室崎はゆっくりと弱々しいが、しっかりと言葉を発していた。

 

「ちょっと……興奮しすぎちゃっただけだから……心配しないで……」

 

 言葉の通り心配かけまいとしているのか、室崎はゆっくり立ち上がろうとしているのだが、その足腰はカタカタと笑っており、とてもじゃないが長距離移動が出来るような状態ではない。

 さて、どうしたものか……室崎の回復を待ってもいいのだが、出来るならば昼食の時間までには宿泊施設に到着しておきたい。予定ではその後、施設の各部屋に荷物を置きに行ってからの野外炊飯だ。多少余裕を持って予定は組まれているだろうが……。

 仕方ない。

 

「穂月、桜花、すまんがそれぞれ、私と室崎の荷物も持ってくれるか?」

 

「お、おう! 分かったぞ!」

 

「室崎は私の背中に。負ぶっていこう」

 

 二人はいそいそと俺が放り出した荷物をそれぞれが手に取る。俺の提案を聞いていた室崎に「いいな?」と一言断りを入れ、頷いたのを確認した後上半身を起こし、その腕を取った。首に腕を巻き付けさせ、俺の背中に覆い被さるような状態を作り……

 

「緒山さん、準備出来たよ」

 

「ンナ、いつでも行けるぞ!」

 

「……? 緒山さん?」

 

 俺には35歳まで生きたオッサンの人生経験がある。それは周囲の同い年にはない経験というアドバンテージであり、大抵の事は大人として、冷静にこなしてみせる事が出来る。

 だが、童貞だったんだ。

 それどころか、女性経験はゼロだった。

 そんな俺の背中に、フワフワで、けれどグニグニと変形しつつも抵抗感を出す、二つの塊の感触が襲いかかっていた。

 

 ここは、それに気付いた俺の頭に浮かんだ第一声を聞いてもらうとしよう。

 

(デッパイがパイパイでベターって広がり密着して嘘だろ13歳!)

 

 なんたる事だ室崎みよ。中学生ながら凶悪な獲物を懐に忍ばせていたとはこのリハクの目をもってしても見抜けなんだわ……。

 それが不可抗力とはいえ、背中にグデーッと密着している! その感触を、神経を総動員して最高品質のデータとして脳へと送り込まれている! その圧倒的情報量に、脳は処理機能が追いつかず、結果、自身の体への指示がおろそかになり、身動きが取れなくなっているのだ!

 

「あ、あの、緒山さん……流石に重かったかな?」

 

「イイヤゼンゼン?」

 

 背後から不安げな室崎の耳打ちに、脳味噌を強制再起動させる。大丈夫バレてない。中身はともかくガワは同性。不審に思われよう筈がない。 

 

 というかしっかりしろ。俺は大人、相手は中学生。俺はロリコンなどではないのだから、劣情を抱く年齢ではない。たとえそのパイパイがデカかろうとも。なんかフニョンと触ったことないような感触がしたけれど!

 

 足に力を入れ、ぐいっと体を持ち上げる。

 室崎の体はそのデッパイに反して思いのほか軽い。これなら支障なくハイキングコースを登り切る事が出来るだろう。というかいい加減おっぱいから離れろ俺。物理的ではなく煩悩的に。

 

「二人とも、行けるか?」

 室崎を背負った俺が問う。

 

「うん、こっちはいつでも」

 背中に自分の荷物を背負いながら、俺の荷物を肩掛け鞄を下げるような形で持ってる穂月が言う。

 

「大丈夫だぞー!」

 背中に自分の荷物を、胸の前に室崎の荷物を背負った桜花が、特撮の怪獣がやるようなポーズをしながら宣言した。

 

「うぅ……ゴメンねぇみんな……」

 おっぱいが申し訳なさそうな声で、身じろぎをして背中でこすれた。

 

 よし!

「イクゾー!」

 デッデッデデデデ、カーン! デデデデデ。

 

 

 

♂♀♂♀ あにまい ♂♀♂♀

 

 

 

 長く苦しい戦いでした。

 

 時刻は12時半をちょっと過ぎた辺り。一応、予測していた到着時刻の範囲内。

 施設についた辺りで、配られたお弁当をレジャーシートの上で先に食べてる同級生がチラリホラリと。中には運動得意組なのであろう、もう食い終わってその辺を走り回って遊んでいる奴らもいた。

 

「ありがとう、緒山さん。背負ってもらっちゃって」

 

 荷物を割り振られた部屋へ放り込んだ後に弁当を受け取りながら、室崎が感謝を口にする。中身はおかずの種類がとにかく多いことから幕の内弁当のようだ。

 

「気にするな。それだけ余裕があったってだけだから」

 

 俺も自分の弁当を受け取る。予定ではコレを食った後は自由時間。3時ぐらいから野外炊飯となり、6時ぐらいに夕飯。となれば、食った後が13時ぐらいだとして、2時間ぐらい空くのか。

 気分的には昼寝で時間を潰したい所だが、ここで寝ると夜の間眠れなくなりそうだ。体作りでもして過ごそうか。

 そんな風に予定をパパッと頭の中で組み立てつつ、さて何処で食べようかと辺りを見渡せば、草原のど真ん中からコチラに向かって桜花が手をブンブン振っていた。

 すぐそばには穂月も座っており、二人はあの場所で飯を食べるようだ。

 

「室崎、ほらあそこ」

「あ、あさひちゃんにもみじちゃん、アソコで食べるんだ」

 

 指さして教えてやれば、二人に気付いた室崎は小さく手を振りながら合流しに行った。

 それを見送ってから、自分の昼食の場所を探す。そうだな、出来れば端の方。木陰の下なんかが理想だが、はたして空いているだろうか。

 

「ンナー!」

 

 唐突に、桜花が周りに注目されるぐらいの大声で俺を呼ぶ。

 

「どうしたー! 桜花ー!」

「あさひたちはココだぞー!」

「おーう! 分かったー!」

 

 さって、飯の場所を何処にしようか……。

 

「だからー! あさひたちはココだぞー!」

「? 分かったー!」

「だーかーらー! ココだぞー!」

 

 さっきから何だ? 目一杯両手を振り回したり大声出したりでアピールしてるせいで、周りの奴ら全員「何事だ」みたいな目で見てるぞお前ら。

 だがこの状況、おそらく俺を呼んでいると思われる。じゃないとこんなに大声出したりしないだろう。

 

「……桜花、何かトラブルか?」

「何を言っているンナ?」

 

 弁当片手に近寄って聞けば、何故か桜花を筆頭に二人も「え、何の事?」みたいな顔をしだした。

 

「あさひ達、ココでお弁当食べようって事になって」

「ああ」

「だから、いっしょに食べようってンナを呼んだんだぞ」

「ああ?」

 

 え、いいのか? 今は班行動の時じゃないから、お前ら仲良し組だけで食っても大丈夫なんだが。俺が残り二人に視線で問えば、無言で頷かれる。そうか……なんか気を遣わせてしまったな……。

 

「……じゃあ、ご一緒させてもらおうか」

「いらっしゃーい」

「緒山さんとは初めてだねー」

「よーし食べるぞー!」

 

 広げた一枚のレジャーシートに4人全員が座り、弁当を広げる。手を合わせていただきますと挨拶を済ませれば、桜花が「待て」を解かれた犬みたいに弁当に箸を突っ込んだ。

 

「それにしても緒山さん、すごかったね。あそこからココまで、みよちゃん背負って歩けるなんて」

 そう言って穂月はエビフライをサクリと口にする。

 

「疲れた様子もなかったし、緒山さん力も体力もあるんだね~」

 水筒のお茶を口にしながら室崎が感心したように言う。

 

「アバフィ、アフガウィウェオッエ」

「あさひ、口の中の物飲み込んでから喋りなさい」

 行儀の悪さに穂月のチョップが、桜花の頭に振り下ろされる。コツンという軽い音の後、数秒咀嚼した後に彼女は食ってた物を飲み込んだ。

「あさひ、流石に背負ってここまで来る自信はないぞ」

 

「まあ、ああいうのは体格が物を言う所があるからな。桜花が私ぐらいデカくなればいけるんじゃないか?」

 

「あさひもンナぐらい大きくなれるかなー?」

 

「なんかちょっと想像出来ないよねー」

 

「緒山さんの身長って、飛び抜けてるからねー」

 

 今の俺が165cmくらい。成長期の終わっているであろう姉者が155cmくらい。多分姉者の身長が普通ぐらいだから、俺程デカくなるのは希だと思う。

 というか、俺まだ成長期終わってねぇんだよな……まぁ、俺個人としては元の175cmぐらいにまでなって欲しいんだが……。

 

「まぁでも、平均ぐらいが一番楽だと思うぞ? 世の中そこを基準に作られてるし。あと成長早すぎてすぐ服が小さくなるからな」

 

「大変な事もあるんだねー?」

 

「でも高身長お姉様と低身長妹の組み合わせ的に、背が高いのはアリだと思うの」

 

 いやー我が家の姉者は俺より身長低いーー待って今コイツなんて言った?

 

「それでもあさひはもっと大きくなりたいなー。ダンクシュートとか憧れるぞ」

 

「実は私も……背が高いってなんかカッコイイよね」

 

 スポーツ組はやっぱ身長欲しくなるものなんだな。まースポーツにおいては基本有利になるだろうし、妥当なのかね。

 

「ねぇ、緒山さん。大きくなるコツとかってあるの?」

 

「大きくなるコツ?」

 正直、自分から意識して何かしたって事はない。前世では身長で悩んだ事なんてないし、今世においても年相応より高かったんだ。

 まぁだが、月並みな事なれどーー

 

「成長に必要な栄養を取る事と、成長ホルモンの出る夜には眠っておく事。ありきたりだがコレを守る以外はないんじゃないか? 遺伝的な部分も多分にあるんだろうけど、そこは自分じゃどうしようも出来ないし」

 

「そっかー。劇的なコツみたいなものなんて、そうそうないよねー」

 

「あれば2mぐらいまで大きくしたんだけどなー」

 

 そこまで行けば伸ばしすぎだろ。日本はそこまでの高身長を想定してない所いっぱいあるぞ。しょっちゅう頭ぶつけることになるだろうよ。

 

「みよちゃんは一杯ご飯食べたり、夜はちゃんと寝たりしてるの?」

 

「……えぇ?」

 

 穂月にいきなり話を振られた室崎が、困惑の声を上げている。

 

「えぇっと、ご飯はどうだろう……作るのは得意だけど、そんなにたくさん食べてるわけではないと思うけど……あ、でも夜は美容のためにもしっかり寝るようにはしてるよ」

 

「ほうほう、やはりやはり」

「やっぱそうなんだねー」

 

 桜花と穂月が、室崎を見ながら納得の声を上げる。

 ……具体的に言うと、たわわに実ったその胸を。

 

「おかしいなー。あさひ、ちゃんと沢山食べるし、いっぱい寝るのになー」

「ねー。身長もコッチも二人に負けてるって」

 

 片手で頭を、もう片手で胸元をさすりながら俺ら二人を見るその目には、何処か上手くいかないこの世界に対する憤りのような物がにじみ出ていた。

 そのさすられている胸は、何処までも続く平原であった……。

 

 まぁ、なんだ、二人とも……嘆くくらいなら、その手元にある弁当を残さずちゃんと食べた方が良いと思うぞ……。

 

 

 

♂♀♂♀ あにまい ♂♀♂♀

 

 

 

 運動嫌いの奴らも遅めの昼食を終え、少しの自由時間を楽しんだ後に来るのは、午後3時からの野外炊飯。

 本日のメニューはこういう時の鉄板であるカレーである。ただし米は飯ごうで炊く事となっており、難易度はちょっと高くなっている。

 さて、正直料理なら俺一人で全部パパッとやってしまった方が楽で早いのだが……まぁそれだと三人の経験にならん。ココはむしろ俺は消極的に動き、何かあればフォローに回る方向で行けば良いんじゃないかな。

 

「で、お前ら料理の経験は?」

 

「お姉ちゃんは得意なんだけど、私はあんまり……」と穂月。

「ぜーんぜんやった事ないぞー!」なんて元気に言う物じゃないぞ桜花。

「私はお料理好きで、結構やってるの」なんて頼もしいんだ室崎。

 

 となると、出来るのと出来ないのが二人二人の半々か。

 そして役割分担だが、トラブルをあらかじめ想定して余裕を持たせると考えれば、飯ごう炊飯とカレー作りを平行して行うべきだろう。だが正直、飯ごう炊飯に二人居ても持て余すんだよなぁ……。

 となればカレーに三人。米に一人か。

 それぞれに料理の出来る奴を分けるとなると、桜花と穂月はカレー作りに入ってもらって、俺か室崎がそのフォローに入る事となる。そうなると二人と一緒に作業するのは、元から仲良しの室崎に任せるか。

 

「じゃあ私が飯ごうで米を炊くから、三人はカレー作りの方を頼む。室崎、未経験者のフォローを任せていいか?」

 

「大丈夫。任せて!」

 

 三角巾を頭に巻いた室崎が、胸の前で両手の拳を握りムン! といった感じに力を入れる。力強い返事だ。

 

「作業開始と行こうか」

 

 さて飯ごう炊飯だが、流石に未経験者も多い中学生にやらせるだけあり、難易度は抑えめになっている。流石にコンロやバーナーを使う程ではないが、調理のための炉は用意されており、調理場を一から作る必要はないらしい。

 斧や鉈を使うのも流石に心配だからか、薪はあらかじめ割られている物を小屋から持ってきて、火起こしから始める。

 炉に薪を組んでいき、新聞紙にチャッカマンで火をつけ、それを種火に薪に燃え移らせていく。この時、空気の通り道を意識して組んでおくのがいいらしい。

 順次薪を細くて小さい物から足していき、空気を送り込み火を育てていく。火が安定し始めれば一段落といった所か。ここまで約30分。パチパチという音が心地よい。

 

 カレー組の方は、どうやら順調らしい。野菜を洗い終わったのか、今は包丁がまな板を叩く音が途切れ途切れ聞こえてくる。

 

 さて、続いて米を炊く準備だ。

 水は水道があるので、蛇口をひねれば使えるのがこういう施設の楽な所だ。飯ごうに米と水を入れ、数回研ぐ。そして水を米に合わせた分量を入れて、このまま1時間程度浸けておく。

 その間手が空くので、カレー用の火も用意する。薪を組んで、最初に作った焚き火から火を持ってきて、育てる。一度やった物を繰り返すんだ。そう難しい物ではない。

 

「すごーい焚き火が出来てるー!」

 

 声に振り返ると、穂月がフライパンを手に近づいてきていた。手順的に肉を焼く段階のようだ。

 使うねー。と断りを入れてきたので、どうぞ。と返す。炉にフライパンを置いて、そこに油を入れて、なじませる。フライパンが熱された所に、豚の細切れ肉が投入される。焼きむらが出ないよう、菜箸で炒めていく。

 

 残り二人はと調理台の方を見れば、室崎と桜花が残りの野菜を切っているようだ。

 

「そろそろ肉はいいんじゃないか?」

「そお? じゃあ一回お皿に移しておいて……」

 

「タマネギ切れたぞぉ~」

 

 そこにエグエグと涙を流しながら桜花が合流する。タマネギに目をやられたか。

 

「よし、そんじゃ肉を炒めた後のフライパンに、タマネギ入れて炒めようか」

「じゃあ私は他のお野菜切ってるね」

 

 炒めた豚肉の入った皿を手に、穂月は調理台へ戻っていく。入れ替わりに桜花がタマネギの炒め作業に入った。

 

「どんぐらい炒めればいいんだ?」

 

「色が茶色に変わって、シャキシャキ感がなくなりシナっとなってくるまでだな」

 

 辛みを残すならばタマネギの炒め具合は軽くでいいのだが、今回甘口で作る事になったのでしっかり火を通す方向になったのだ。これが結構時間がかかる。

 

 その間に米の浸水も終わったようだ。飯ごうを火にかけて加熱を始める。はじめちょろちょろなかぱっぱってね。沸騰するまで行けば、火から遠ざけて15分程。

 

 隣のカレーも順調で、飴色タマネギができあがり、そこに水を入れて鍋に移し、炒めた肉と残りの水を入れ、その後に他の野菜を順次投入という手順だ。

 

 さて、米の方も最終段階。火から下ろして蒸らしに入る。赤子泣いても蓋開くな。10分ほどで完成である。

 

 時間を見れば、調理時間は約2時間半。時刻は五時半か。特段トラブルもなく順調に出来たじゃないか。

 

 カレーの方は……室崎が鍋をかき回しており、最終段階。うんうん、良い感じだ。タイムスケジュールもバッチリ。

 

「室崎、どんな感じだ」

「あ、緒山さん。うん、美味しそうに出来てるよ~」

 

 確かに食欲を刺激する匂いが空腹を刺激してくる。正直中辛のスパイシーな方が好きなのだが、これはこれで美味しくいただけそうだ。

 カレールーもしっかり溶け込み、見事な紫のとろみのあるカレーがーー待って紫?

 

「…………」

 

 少し、目元を揉む。あれ? 煙に目をやられたのだろうか。今カレーの色がおかしかったような気が……。

 

 もう一度カレー鍋をのぞき込む。そこにはドロッとした茶色いカレーがって駄目だ、どう見ても紫だ。それも青い方の紫だ。

 どういう事だよ。匂いはちゃんとカレーなのに、色が俺の知ってるカレーじゃない。目の色彩感覚がおかしくなったのかと思ったが、空は若干あかね色に染まり始めた夕焼けが広がっている。目の異常ではないらしい。

 

「……室崎、このカレーに、一体何を入れたんだ?」

 

「え? 先生達から配られた食材以外入ってないけど」

 

 じゃーこの紫色はどっから来たんだよ。紫色出すような食材なんて無かっただろうが。え? カレールーは? 駄目だ普通の茶色いカレーがパッケージに描かれている。そういうカレールーではないらしい。

 え、えぇ? どういう事だよ。どっから来たんだよこの色。腐っても白くはなるが紫にはならねーだろうが。

 

「二人とも、何かあったの?」

「なんか雰囲気が重いぞ?」

 

 俺らの様子がおかしい事に気付いた二人が寄ってくる。俺はカレー鍋を指さすと、二人はその中を見て、

 

「紫だね」

「紫だぞ」

 

 あぁ、やはり俺がおかしくなった訳じゃなかったのか……。なんたる事だ……。

 

「おい、お前ら……いつからこんな色になってた?」

 

「えぇっと、私が炒めてたお肉は普通の色だったよね」

 そうだな穂月。それは俺も見ていたし間違いない。

 

「あさひがタマネギを炒めてた後、野菜とお肉と水も入れていって……そのときは紫っぽい色は無かったぞ」

 あぁそうだな。俺もちょくちょく見てたけど、不審な様子はなかった。至って普通のカレーの途中段階だった。

 

「で、私が灰汁を取って、ルーを入れて混ぜて、出来上がり」

「待て待て待て待て」

 

 うん、思い出そう。コイツこのカレーになんて言ってた? 美味しそうに出来てるって言ってたよな? コレを見て。

 

「……室崎、お前、このカレーに何か思うことは?」

 

「美味しそうな匂いよね」

 

 色は? ねぇこの紫色に何も疑問を感じていないの?

 駄目だキョトンと小首をかしげてらっしゃる。何を問題視してるか分からないって顔だよオイ。おそらく絶対コイツが犯人だけど、何をどうやったかが全然分からん……何由来の色なのコレ……。

 

「ちなみに味見は?」

 

「え? まだだけど」

 

 そうか、味はまだ未確定か……。

 

 どうする? 使われた食材に問題は無かった筈……調理過程も、途中まで何の問題も無かった。材料と行程が正しいならば、食べられないという事は無い筈だが……。

 

「……確認、するか……」

 

 味見皿にひとすくい、紫カレーを入れる。

 緊張に若干手が震える。そんな姿を、穂月と桜花の二名が息をのみながら見つめる。

 

 近づいて匂いを確認。……大丈夫、ただの甘口カレーの匂いだ。匂いに問題はない。

 普通なら駄目だが、指を入れて、感触を確かめる。少しとろみを感じるだけの、普通のカレーの感触だ。

 後は、味か……。

 

 大丈夫……大丈夫な筈なんだ……食材が問題なく、調理過程が合ってるなら、ちゃんと食べられる物になってる筈だ……。大体、肉や野菜をどうやったら食べられない状態に出来るというんだ? 発酵、腐敗には時間が足りない。焼きすぎだとしても焦げているだけだ最悪食える。茹ですぎに関しては問題にすらなりはしない。そう、カレー作りなんて食べられない物を作る方が難しいんだ。よし、食える。食える筈だ!

 

 じゃあどっからこの紫色は来たんだよ、という不安の種をいったん棚上げして、俺は震える口の中に紫カレーを流し込んだ。

 

 恐怖心から

 …………うん。うん?

 いや、これはなんというか、普通の甘口カレーだな……。

 

「ど、どうなんだ、ンナ……」

「大丈夫そう?」

 

 うん、食える食える。美味いうまーー

 

 プツリ、と、何かの薄膜を、歯が貫いた。

 ブシュッと、口の中に世界が広がる。

 それは深い深い水の底。

 太陽届かぬ暗闇に、薄く輝く巨大都市。薄気味悪く、それでいて神秘的で、薄ら寒い光が、奥へ、奥へと続いている。正常であるならば、まず立ち入ろうとはしない筈のそこに、引き込まれ、吸い込まれ、中へ中へ央へ央へ真へ真へ真へ心へ。

 あぁ道が俺の手を取り引いている。周囲を囲む建造物はゆうるりゆるりと揺れ踊る。音叉の音色のような虫の鳴き声が隙間隙間から響き渡る。細くてネバネバしたミミズを詰め込んで這い回らせるかのような臭いが鼻を犯している。

 突如落ちる。水底の中でさらに水面を突き抜けるような感触の後、視界が左右上下をぐるぐる回る。文字が左から上へと流れたかと思えば、目の前で俺の姿が激しくシェイクされている。だが次の瞬間には中央へ収束する橙色と苔色と群青色の渦が俺を照らして引き込んでいたと思っていたら、数多の穴が俺を捉えてーー

 

 ふと、意識がはっきりすると、俺は何処か見知らぬ所で座り込んでいた。

 固い、湿り気を感じる石の床。そこに膝をつき、手をつき、まるで四つん這いの状態から尻を下ろしたかのような姿勢で、少し前を見つめていた。

 視界の先に、見知らぬ文字の列が見える。それは石壁に刻まれた物の一番下の部分であり、顔をゆっくり上げていくと、徐々にその石壁が視界へ入っていく。

 何の文字かは分からない。ただ、それが人の扱う物ではないであろう事だけがなんとなく分かる。アレは文字という形を取っているが、その一文字一文字の奥底で、何かがうごめき、外へ飛び出す時を今か今かと待っている。そんな、情報媒体とは別の何かがびっしりと刻まれている石壁を見上げていると、そこに奇妙な物があった。石壁の表面を這い回る、細長い何か……それは石壁の上に行くにつれ、徐々に数と大きさを増していく。

 このまま行けば、その細長い何かの大本を見ることが出来るだろう。だがそれは駄目だ。理屈じゃない、本能がそう叫んでいる。駄目だ。コレは人の踏み入って良い所ではない。

 

 あぁ、ンナ、ンナ、オキロシ、ヌナ……。

 オヤマサ、ンシカリ、オキテ、オキテ……。

 ドウシテ、ナニガ、ゲンインで……。

 

 

 

「おぉい死ぬなンナ! 目を覚ますんだぞ!」

「起きて! 起きて緒山さん!」

「急にどうしちゃったの!? 後頭部から倒れたけど平気!?」

 

 俺をのぞき込む、不安と焦りに歪んだ顔が三つ。桜花と穂月と、室崎の向こうに、正常な、あかね色の空が広がる。

 

「俺は……どれぐらい気を失っていた?」

 

 上半身を起こしながら問うと、穂月は嗚咽しながら抱きついてきて、桜花は安心したようにぺたんと座り込んで深く息を吐いた。

 

「だいたい10秒ぐらい。緒山さん、味見の時に急に倒れだして……綺麗に後頭部から倒れてたけど、大丈夫?」

 

 言われてみれば、後頭部に鈍い痛みのようなものを感じるが……正直、それどころではない。さっきから腹の奥底からじわじわと這い上がってくる何かの気配の方が深刻だ。

 そうか、俺飲み込んだのか、アレを……。

 

「ちょっと緒山さん、大丈夫!?」

 

 俺が倒れた騒ぎに気がついたのか、担任の西方教諭が心配そうにかけてくる。

 

「すみません、西方先生……カレー作りに失敗したようで……」

 

 そう言って原因の鍋を指させば、西方先生の目にも紫カレーが飛び込んできたようで「え、何アレ……」と絶句している。

 

「食材は問題ない筈だし、臭いに感触、味も大丈夫だったんですが……咀嚼している内に、何かに当たったようで……」

 

「……それは、ちょっと食べるのは止めた方が良さそうね……」

 

 というか、あれは一体何だったのか……。

 辛いとか、酸っぱいとか、マズイとかじゃない……ヤバイが一気に広がって、俺の全てを浸食して、何処か遠くへ飛ばされたって感じだった……料理に対して抱く感想じゃねぇよコレ……色以外のほぼ全てがマトモなカレーだっただけに質が悪い。

 

「それにしても、一体何が原因で失敗しちゃったのかしら……」

 

 教員達の手により片付けられていくカレーを見つめながら、室崎がそう呟く。

 とっさに「お前だよ!」とツッコミを入れたくなったが……そもそも何をどうすればあんな物が出来上がるのか、説明どころか想像もつかない俺らには、原因を断定する事が出来ないでいた。

 結局、俺と穂月と桜花は、お互いの顔を見て頷くにとどめた。

 今後、室崎の料理には、最大限の警戒をしよう、と。

 

 

 

♂♀♂♀ あにまい ♂♀♂♀

 

 

 

 我が班のカレーは全滅。残ったのは炊きたて白米だけ。

 流石にコレだけの夕飯はわびしいので、各班からカレーを少しずつ分けてもらい、米と一緒に炒めて塩胡椒をパッパで味を調整。カレー炒飯をでっち上げて、なんとか夕飯の体を整える事となったのだった。

 

「うん、美味しいねコレ!」

 

 そう絶賛してすぐに、穂月はスプーン数杯を一気に口に入れる。頬を膨らませながら咀嚼する様子は、とても幸せそうである。

 

「すごいね緒山さん。こういうアレンジをすぐ思いつくなんて」

 

「そんなに力を入れた物でもないさ。冷蔵庫の残りとかで作るような料理だよ」

 

 室崎も褒めるが、マジでカレーと米を炒めただけで、分量も何もあったもんじゃない、思いつきだけの適当飯だ。

 ちなみに桜花はさっきから無言でがっついてる。カレー炒飯を入れるか、咀嚼するかで絶賛口はフル稼働だ。あんだけ勢いよく食ってくれるなら、まぁ言葉は不要だろう。

 

「緒山さんってお料理上手なのね。普段からやってるの?」

 

「姉と二人で家事は分担してるから、頻度は高いね」

 

 へーすごーい、と感心する室崎。正直家事に関しては任せてもらってもいいのだが、自分もやると聞かないのだ。出来るなら己の勉学に集中してもらいたいのだが……。

 

「あれ、お姉さん? お母さんやお父さんは?」

 

「ああ、両親は今海外出張で家に居ないんだ」

 

 大丈夫だぞ穂月。口元を手でおおって、悪いこと聞いちゃったって反応しなくても。手をヒラヒラとふって気にすんなと返す。

 姉者と兄者はともかくとして、元々一人暮らしをしていた成人男性だった自分としては、兄姉がいるだけでも騒がしいぐらいだ。

 

「桜花、もう少しいるなら私の分、少し食うか?」

 

「ん!? いいのか!?」

 

 どうぞどうぞと3分の1程桜花の皿に移すと、ありがたいぞー! と勢いよく食べるのを再開した。本当、ここまで美味そうに食ってくれるなら本望だよ。

 

「緒山さんは大丈夫なの? 量少なくなるけど」

 

「あんまり入りそうになくてな……桜花程じゃないが、穂月も少し食うか?」

 

 そう言うと遠慮がちに「じゃあ、ちょっとだけ……」と言いながら皿を差し出してきたので、残ってる内の半分ほどを移した。

 

「そんなに少なくて大丈夫? ちょっと分けようか?」

 

「あぁ、気にするな室崎。あんまり食欲がないってだけだから」

 

 正直な所あのカレーを食った後から、うっすら吐き気のような物が残ってるもんで、あまり食いたくないんだよなぁ。あらかじめちょっと少なめに盛ったんだが、それでも残してしまいそうなぐらいに。

 口に入れたカレー炒飯をもそもそと咀嚼し、さて何時飲み込むかとタイミングを見計らっていると、ポケットから通知音。

 どうやら兄者からのメッセージのようで、開いてみれば卓上のピザを背景にドヤ顔自撮りピースの写真が送られてきていた。本日は豪華に宴だー! との事で、あっちは一人を満喫しているようだ。

 コチラは夕飯が終わったよ。と返信の後。残ったカレー炒飯を一掬い口に放り込むのだった。

 

 

 

♂♀♂♀ あにまい ♂♀♂♀

 

 

 

 ひどい目にあった事は間違いないが、まぁアレでよかったのかもしれない。

 夕飯の後は、キャンプファイヤーを囲んでダンスやゲーム、そして宿泊施設の大浴場で入浴という予定でした。このままでは何も知らない少女達が、中身がオッサンな俺に裸体をさらす事になってしまいます。だから、調理実習を失敗して体調不良になっておく必要があったんですね。コレを理由に入浴をスキップ。多分コレが一番早いと思います。

 まぁ、お湯に浸したタオルで体を拭くくらいはしたのだが。アレだ、銭湯の時と一緒だ。正直腹をくくるべきだとは思うのだがね。30年以上の男であったという自意識は、たかだが10年ちょいじゃ無くならんのだ。

 

「ただいま~……」

 

 その後は就寝して、朝飯食った後帰るだけ。家に到着したのは昼前ぐらい。

 とりあえず、洗濯機に服全部ぶち込んで、軽くシャワーを浴びよう。タオルで拭きはしたが、なんだが髪がベタついてるような感じがするし。

 脱衣所へ行くためにリビングを通ろうとすると、そこには姉者と兄者の二人がテーブルに着いていた。

 

「お帰り、カンナ」

「お、お帰り……」

 

「……何があったんだ?」

 

 何故か、姉者が不機嫌そうにピザを頬張っており、その対面で兄者は肩身を狭くしながらピザを両手で持っていた。

 というか、何だそのピザの山は。ざっと見て五枚程Lサイズが机の上に並んでるし、ポテトと唐揚げまであるんだけど。何かのお祝い事か? それにしては空気感が重苦しいのだが……。

 

「コレ、昨日お兄ちゃんがお昼に頼んだピザ」

 

「……何だって?」

 

 え? 昨日一人で留守番してたんだよな? そこにこんなデカいピザ五枚に、ポテト、唐揚げのフルコース?

 無茶だろ食えるわけがない。というか兄者、ラーメン食いに行った時に自分の容量が少なくなってる事を自覚してただろうよ。何でこんな量頼んだ? 宴だー! じゃないんだよ……。

 

「そ、その……一人ではしゃいじゃって……テンションに任せて、いっぱい注文、しちゃった♡」

 

 しちゃったじゃねぇよ。カワイイけど誤魔化されんぞ。ええと一枚約1500円だとして五枚だから7500円……。

 

 チーン♪ とオーブントースターから音が鳴る。

 

「あ、一枚温め終わったみたいね」

 

 六枚で9000円……ポテトと唐揚げ追加で、大雑把に1万円……。

 マジか。一回の飯で1万使ったのか、兄者……。

 嘘だと言ってよアーニーと目で訴える。えへっ♡ とかわいさで誤魔化そうとした。

 ……そうかぁ……ピザLサイズが、六枚、かぁ……注文したのが昨日として、保って今日一日かなぁ……。そっかぁ……夕飯もピザかなぁ。

 

 ええっと、兄者が二食でLサイズ一枚。とすると、俺と姉者で五枚。一人二枚半か。まぁ行けるかな……。

 

「待っててくれ。シャワー浴びてくる」

 

 正直まだ本調子ではないが、四の五の言ってもいられんか。

 

 

 

 味はよかったよ。でもしばらくピザやカレーはいいかな。

 

 





というわけで、今回は第12話 まひろとひとりの夜 の話です。
まー時間軸が同じなだけで、ほぼ別の話なんですが。
ようやっとコミック2巻に突入。3人娘も出せましたし、こっから会話が増えていくかもです。

今回兄者の出番少なかったので、次回は多めに書けたらいいな。
オニイチャンカワイイヤッター
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